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資料1

私的録音録画小委員会における意見の概要(第8回)

1. 録音録画機器・記録媒体の提供という行為に着目した制度設計について(2対象機器・記録媒体の決定方法について)

 私的録音録画が可能である全ての機器、記録媒体を補償金の対象にすれば、決定方法を決める必要がなくなるが、これは理想であり、現実的にはフランスの例に倣い、公的な評価機関に補償金の額の決定を併せて委ねることが必要。
 従来のような政令指定やメーカーと権利者との協議等による決定では非常に長い時間がかかる。急速に技術等が発達する時代にあって、補償金の対象とするかどうか決定するまで機器、記録媒体を販売しないというわけにもいかないので、何年も委員会で議論しなければならない状況も起こり得る制度では問題である。

 JEITAとしては法的安定性や明確性を担保するために政令指定方式は維持すべきという意見。政令指定方式そのものの問題点というより、新たな対象の追加に迅速に対応できない、消費者からみて決定プロセスの透明性が確保されていない、技術を指定する現行制度は消費者には理解しづらいという個々の問題点そのものを議論しきちんと分析して、違う解決方法も考えるべき。

 現行制度のいろいろな問題のかなりの部分は運用を改善することで解決できるのではないか。そういうことをもっと議論していくべきではないか。

 政令で技術を記述する現行の方式は、対象が非常に明確であり、紛争防止機能が高いという点は評価されてよいのではないか。

 分離型で専用機器、記録媒体という前提で現行の政令指定方式が構成されており、政令指定の要件が現実に合わなくなっているという問題ではないかと思う。そこを見直す際、とりあえず録音録画に供される機器、記録媒体とだけ定義して、実際の補償金の課金にあたり様々な要素を勘案して決定していくという方式が一番望ましいのではないか。

 現行制度はビジネスとしての著作権を保護する政策という性質が強いと考える。私的録音録画の範囲の決定は確かに法制度かもしれないが、それを補償することや、対象機器と補償金額を法制度で決めるという考え方に違和感がある。新しい体制作りの中で、契約でなく法制度によってエンドユーザーから見て非常にわかりにくい形で徴収、分配して金を動かすのはいかがなものか。
 IT化の進展によりデジタルコンテンツの利用やそれを取り巻くビジネスのあり方が大きく変化しており、新しいビジネス形態が生じたり既存のビジネス形態の変化が起こる。
 制度設計をきちんと議論し、位置づけた上で対象機器、記録媒体について考えていただきたい。

 著作権にはビジネスの側面があり、例えばJASRAC(ジャスラック)の場合、市場規模、コンテンツと権利者の関係、制作・演奏・メディア製作者などどの段階でどう対価が支払われるのかなど、実態をきちんと理解した上で、その中に補償金制度がどう入るのかを議論すべきではないか。

 ヤフーの動画投稿サイトにJASRAC(ジャスラック)が管理する音楽がユーザーから投稿された際にヤフーが著作権料を支払う方向で契約が進められつつあるが、これは決して法制度でなくビジネスとして両者が検討して契約を進めようとしているものであり、資本主義の原理に基づき当事者が契約するという自主的な動きだと思う。私的録音録画の件ではないが、これまでにない著作権料の支払い方の模索の一つの形だと思う。

 ハードディスク録画機などの一体型機器やブルーレイディスク録画機などは明らかに録画専用機器なので早急に補償金の対象にしていただきたい。汎用機器は、録画機能を持っているところに着目し、ユーザーに不公平感がないような形で補償金の制度の対象にしていただきたい。

 迅速な対応のために政令指定制度を変更することは望ましいが、政令で定められる一定の一般的な基準は可能な限り透明で具体的にしてほしいと希望している。

 ヤフーの件は許諾権を前提とした著作物の一つの利用形態として新しく生まれてきたものであり、利益調整が契約によって果たされたと理解すればいい。録音録画機器、記録媒体による利益やそれを使った録音録画による利益を調整する仕組みは、権利者に許諾権はないため補償金制度によるしかないと思う。権利者と利用者、メーカーの個々の私的な相対契約ではこの問題は解決されないから、大きく包括的に処理するためにこの制度ができていると思う。

 保護主義的な事態に陥るのではないかという指摘に同感である。補償金制度は契約で届かない範囲を補償するという前提のもと、現状は私的複製の対価を含めて契約していないということから出発する意見も提示されているが、なぜこれから契約で処理できないのか、どこに障害があるのかというところについてよく説明されていないのではないか。補償金制度の議論の前提として、契約がなぜできないか、何が障害であるのかをきちんと説明しないと、何を補償すべきかの議論につながらない。

 適法配信は30条の範囲から外して契約にゆだねる提案があるが、これまで当小委員会や法制問題小委員会では、JASRAC(ジャスラック)は配信段階までは契約で処理しているがそれ以降については処理していないという主張だった。現在、適法配信を除外するように意見が変わったのか、あるいは主張は変わらないが評価は変わったのか。

 契約が届かないところに補償措置を考えていくのか、補償措置があるからその部分は契約の範囲外としようとするのか、立ち位置が2つに分かれていることによりなかなか話がかみ合わないのだと思う。
 契約と補償の関係の考え方と、録音録画機器のどのような用途について補償が必要なのか、無償で私的録音録画を行える領域は本当にないのかについてまず議論すべきであると考える。

 JEITAの主張する契約による処理では、例えば配信の対価に私的録音の対価を含めて徴収し、権利者に還元できるという理屈であろうが、30条により私的複製が無許諾で可能なことを前提にして、メーカーが多くの機器を売って得ている利益は調整する必要がないと考えているのか伺いたい。

 録音録画機能がある機器の販売によりメーカーが利益を得ていることは事実だが、その利益を補償金や契約で権利者に還元する必要はないと考えている。私的録音録画することが違法行為とすれば、メーカーは違法行為の幇助になって法的に還元の理由もあると思うが、現行法ではそうはなっていない。還元を行う契約があり得るかと問われると、無くはないとしか申し上げられない。

 放送事業者から見て視聴者との契約と権利者との契約があるが、視聴者と私的録画の対価を含んだ契約を締結するとすれば、逆に言うと私的録画を30条の範囲から外すことになり、自由な私的録画は認めない方向になっていくのではないか。私的複製が今まで文化、経済の発展に寄与してきたことと個人の楽しみを考えると、やはり私的録音録画の自由、権利者の許諾なく複製できる範囲は残しておくべきではないか。
 録画する視聴者と放送事業者との契約は、どれだけ録画されているか把握できないし、むしろ把握することがよいかどうかという問題になり、権利者との間で複製の対価を含んだ契約をすることも難しくなる。
 一方で私的録画が行われているのは確かであり、視聴者も楽しんでおり、録画機器も売れているが権利者だけ阻害されるという問題が起こってくる。知的創造サイクルの一環として権利者に何がしか経済的なメリットを生じさせることは必要であり、現在ベストではないがベターな選択肢として考えられるのが補償金制度であると考える。

 映画の場合は原則コピーネバーであり、無料地上波放送のタイムシフト録画についてのみ、私的録画補償金が運用される前提で放送に提供しており、せざるを得ないという状況である。契約で対処すべきとなると、放送事業者とコピーネバーを条件に契約をせざるを得なくなる。放送事業者を飛び越して視聴者とそれぞれ録画契約を結ぶことも現実的に不可能である。コピーネバーは無料地上波放送にはなじまないので、映画を供用してタイムシフト視聴を許しているかわりに、補償金の運用でバランスをとってほしい。

 複製禁止であれば自由はなく、複製制限がないと自由であることは誰の目にも明らかだが、その中間の許諾なく私的複製できる範囲を複製権を行使している領域と見るのかどうかについての考え方が委員の中で違っていると思う。JEITAとしては、許諾なく私的複製できる範囲については、その範囲内であればその都度許諾がなくても複製をしてもよいと了解されており、ある種包括的な許諾というような観念と考えられるのではないかと思う。

 私的録音録画の対価を契約で処理できるという主張の中には、録音録画機器、記録媒体を売るメーカーの利益の還元の議論が入っていない。そうした方法では調整機能が不十分であり、メーカーの利益を何らかの形で調整することを回避するための主張でしかないと思われてならない。

 現行制度がメーカーの利益を権利者に還元する制度だということであれば、メーカーは協力義務を果たしており、それにより利益を還元していると理解している。

 録音録画源の提供に着目した制度設計では、メーカーの利益の還元という考え方がなくなってしまう。

 例えばアップルがiPodの販売を前提にiTunes Storeを開設しレコード会社と契約するというビジネス全体の中では、私的録音の対価を含めた形で契約で処理をしたことになり、そういう意味ではメーカーと権利者の私的録音録画の対価に関する契約があり得るということだろうと思う。

 ヤフーとJASRAC(ジャスラック)の契約が成立する背景には許諾権があり、許諾を得なければ著作権侵害が起こるという前提があって、その責任をヤフーも負いかねないという現実があると思う。JASRAC(ジャスラック)におけるいろいろなビジネスモデルの検証が提案されたが、許諾権行使の話は、許諾権のないところで生じる私的録音録画の議論とは少し違うのではないか。

 ヤフーの例はそれまでにない新しい著作権料の支払い方が出現したことを申し上げただけであり、本当に法制度で決めるべきことと市場に任せるべきことの一線はどこかについての議論がないということを一番申し上げたい。初めから補償金の対象機器、記録媒体や補償金額の議論になっているが、むしろ何を法制度で決め、何を自由市場に任せるべきなのかをきちんと考えるべきではないか。30条のあり方はもちろん検討すべきだが、補償金制度が常に一緒に議論されているということには非常に違和感を覚えている。

 私的録音録画の対価の還元の問題は、一つの解決法だけを求めるものではないと思う。CDレンタル事業者がJASRAC(ジャスラック)に収益の何パーセントかをフィードバックする契約のように、利益の配分調整を当事者同士が相談をして決める行為は法制度で決められているものではない。好ましいかどうかは別として、誰と誰がどう調整すべきということを議論しなくてもよいのではないか。
 一番シンプルな理想形として、権利者と個々のユーザーの契約があると思うし、実際には非常に煩雑になるので、サイトやメディアが代替することも、メーカーがデバイス価格と包括して対処することもあるかもしれず、誰と誰がどこでやるべきという話でもないと思う。

 現行制度がないとすると、誰が考えても、権利者と個々の視聴者との間で解決することはできない。結局誰が間に立つかというと、最も考えられるのがメーカーだろう。
 ヨーロッパでは補償金制度ができる前にメーカーと権利者団体が解決に向け協議したが、自分たちが私的複製するわけではないということで結果的に契約関係は成立しなかった。契約による対処もなく補償金制度もない状態が継続したら、権利者の損害も大きくなり、録音録画機器が市販されていることがその原因ではないかと紛争になり、私的録音録画機器が著作権侵害物か、ないしは侵害の幇助かという議論になってしまう。その紛争の決着は、権利侵害なので私的録音録画機器を販売してはいけないか、権利侵害ではないので私的録音録画機器を販売してもよいかのどちらかになる。仮に販売してはいけないとなったら、一番の被害者はメーカーよりも、著作物を自由に視聴できる利益を侵害される視聴者個人なので、それはまずいということで消費者、メーカー、権利者など関係者が知恵を出して補償金制度を作ろうとした。少なくともヨーロッパの議論ではそうであった。
 もう一度契約関係に委ねることは、可能であれば良いアイデアだと思うが、どうしても契約関係では解決できないと見受けられる。仮に案があるのであれば提案していただきたい。
 現在の議論は、話し合いでは問題を解決できないことからスタートしたことを忘れており、補償金制度は一方のみが利益を得てもう一方が利益を得ていないというような議論になっているが、補償金制度は消費者も含めて利益を得るための方策として考え出されたということを主張したい。

 究極的にはDRMが徹底的に進化し30条の世界がほとんどなくなることで、補償金をゼロにすればいいと思う。そういう社会作りの検討を進めることもこの小委員会の役割ではないか。

 コピーコントロールCD(CCCD)が登場した際、レコード会社に話を聞くと「ユーザーは補償金を支払っているのに複製できないのはおかしいと言うが、ユーザーには私的複製できる権利は存在せず、家庭内の小規模な複製に関しては権利者が捕捉できないからお目こぼしをしてやっている」と言われたことがあり、映画業界では本来コピーネバーにしたいという意向があることも考えると、補償金制度は、実質的に緩衝材になっていてユーザーの私的複製を確保している側面は認めるが、ユーザーの私的複製を担保しているわけではないと思う。
 補償金制度があるからユーザーは複製できると権利者が言うのであれば、補償金制度によってユーザーが自由に私的複製する権利も保証することを明確化する必要があると思う。そうなると、30条の縮小の議論もユーザーとしては受容しやすくなるかもしれない。
 ただし、ユーザーの私的複製できる権利をどのように保証するかは大変難しく、著作権法の条文に書くのか、sarahやSARVHのホームページのトップに明示するのかなどはっきり議論する必要があるし、逆に権利者に考えを少し伺いたい。

 補償金制度は私的録音録画による権利者の経済的な不利益を補償するための制度であり、国民生活の一分野の話であって、認知度の問題などがありつつ制度が存続してきた側面もあると思うが、補償金制度を税金のような広いシステムにしていくべきではないかなどの議論を聞くと、補償すべきという議論から、録音録画に使用できるかもしれない機器を所有すること自体から対価を徴収すべきという議論に変化している気がしており、個別具体的な議論を扱うこの小委員会でそうした提案をすることが適当かという疑問があるため、本来の補償金制度を拡大していくのか、録音録画機器の所有から対価を徴収する制度に拡大していくのか権利者に意向を伺いたい。

 CCCDは補償金の対象であるMD等への複製を禁じるものではない。

 録音録画機器、記録媒体の販売による利益の調整が必要という発言をしたのであり、録音録画機器を所有していることに課金すべきという主張をしたつもりはない。また、税のような制度にしていくという構想は、私的な利便性を担保するためのインフラとして非常に有効だと考えてはいるが、本小委員会における補償金制度の議論上でそこまで話せるとは思っていないので、私的な利便性の確保と権利者の逸失利益のカバーのためのリーズナブルな制度として補償金制度について議論をしている。

 映画業界では、補償金の受け取りを第一義的に考えたことは一度もない。放送についても、世の中のコンセンサスが取れたうえで劇場用映画のみコピーネバーにしてもらえるならば、補償金の運用も不要であり理想。映画の著作権者としては地上波デジタル放送もコピーネバーにしてもらえれば補償金の運用は全く不要で一番理想だが、残念ながら映画会社が望む最も厳しい制限を他の番組にも求めることができないので、補償金制度の運用を前提に私的録画を受け入れる苦渋の決断をしている。

 現行法でも、30条は国民にコピーする自由を完璧に保証しているのではないか。そのうえで権利者がコピーコントロールを施せば、消費者はそれを買わない自由もある。コピー禁止が施されているコンテンツは補償金の対象外であり配分を受けられないので、補償金制度に矛盾はないのではないか。

 コンテンツの利用形態がパソコンとインターネットを通して伝統的な形態から変容しており、エンドユーザーにとって、合法な利用と違法な利用の境界があいまいになってきたり、実質的に「複製」と「再生」の違いや「ストリーミング」と「ダウンロード」の違いが分かりにくくなってきている。エンドユーザーに私的複製できる権利はないというコンテンツホルダーによるプロパガンダもあった。こうした背景のもと、よく分からないまま私的複製はいけないのかなと思っているエンドユーザーも多分いるので、補償金制度が私的複製を確保することをエンドユーザーの側にも訴えていく意味はそれなりにあるのではないかと問題提起した。エンドユーザーの立場からここ数回の議論を見ていると、エンドユーザーの立場を離れた方向にいっているように聞こえがちであり、誤解があるなら解いてほしい。

 CCCDはパソコンにおける複製をコントロールするものであり、現行の補償金対象機器、記録媒体によって何ら問題なくコピーできた。

 DRMの普及によって補償金の範囲等も今後変わってくるであろうし、補償金の支払いとユーザーの一種の私的複製権の引きかえというのは少し違うと思う。

 対象機器、記録媒体の決定方法に関しては、まず対象範囲をどうするのかによってどう指定すべきかが自然と出てくることを考えると、対象範囲の議論をある程度尽くさないとやりにくいと思う。

 平成4年の補償金制度導入時と現在で複製の実態、技術の発展による状況の変化を捉えて制度改正を考える必要があるが、実態の変化に関しては事務局から資料がいろいろ出ており、コピーの量は当然増加しており、ほとんどデジタル録音録画になっていることでコピーが商品に代替するようになってくるという質の大幅な変化もあったと思う。今後、政府の方針として、配信、マルチユース促進により、コンテンツの流通を促進していかなければならない中、同じコンテンツが一方では有償、一方では無許諾無償で複製できることは、ユーザーの受益に対する利益の還元の面で甚だしくバランスを失している。そもそも30条の権利制限は他の権利制限規定と違って私益と私益との調整なので、権利を制限する場合のハードルは当然高くないといけないと思う。そうした現在の問題点を解決する一つの方法として、事務局のたたき台は現在考えられる策としては非常に合理的、常識的なものだと思う。

 FCAは私的なコピーの禁止に反対しており、補償金制度は私的にコピーできる環境を守ると考えている。

 録音録画が可能な機器からの対価徴収に関し、税金という言葉も使われたが、各国でも税金のような考え方で徴収しているのではなく実態に即して汎用機器に補償金をかけているので、決して日本でだけ特殊な主張をしているとも考えていない。

 30条は技術的保護手段の回避を伴う私的複製は除外しているが、これは技術的保護手段をかければ私的複製できる範囲が無くなるということを表していると思う。つまり、権利者の意思や市場によって30条の範囲が拡大、縮小するので、30条により私的複製の自由が担保されているわけではないと認識している。そのことと補償金制度の存在をどう考えるのか、この小委員会で是非ご議論いただきたいとお願いしてきた。

 技術的保護手段の回避を伴う私的複製を30条から除外していることについて、価値の問題から皆がやむを得ないと考えているのであれば、技術的保護手段の回避を伴うもの以外については30条で補償されることになるのではないか。やむを得ないプロテクションは音楽や映像だけでなくコンピュータ・プログラムにもあるが、そうしたものには補償金の配分がない。

 それはコピーネバーのプロテクションではないか。

 コピーワンスである地上波デジタル放送の普及率は30パーセントであり、残り70パーセントは全くコピー制限がかかっていないアナログ放送を受信している。DVD録画機器は補償金の対象であるが、受信する放送がアナログでもデジタルでも補償金を払っており、コピー制限があっても有無を言わさず補償金を払うということになっている。

 これまで申し上げなかったが、全国の多くの無料放送視聴者が映画を見たいと思っているうえでもコピーネバーでの提供が良いというなら、有料放送にだけ流すという選択だってできるはずではないか。公共の福祉のためでなくビジネス上の観点から視聴率の高い地上波に流そうと思っているから地上波に出すわけであり、現実に今も70パーセントの人がコピー制限のかからないアナログ波でデジタル録画ができているが、それでもビジネスが成り立っているのではないか。なお、盗撮による複製による損害の話は別であると思う。

 世間一般へのコンセンサスをとっていただければ、映画の著作権者として劇場用映画を無料放送へ提供しなければよいということに従う意志はある。

 映画については、放送から1回でも複製されれば補償金の対象としていただきたい。複製回数がゼロであれば当然要らない。

 消費者の大運動によって、アナログ放送の停波が回避され、コピー制限がない放送が何年も継続されるかもしれない。そのときに、映画業界として映画の供出をやめるならやめればよい、そのような選択肢もあるのではないかと申し上げた。

2. 録音録画機器・記録媒体の提供という行為に着目した制度設計について(3補償金の支払い義務者、4補償金の額の決定方法)

 30条の存在によって利益を上げる者としてメーカー、消費者が挙がっているが、メーカーを支払い義務者すると結果的に消費者も間接的に支払い義務者となるので適切であると思う。

 メーカーを支払い義務者にすることに賛成する。過去にCDがSCMSで保護されていたとき、パソコンでCDがコピーされる際にもSCMSが機能していれば、孫世代の複製はできず、新たな音楽の楽しみ方もあったかもしれず、現在の状況には陥らなかったのではないかと思っている。こうしたことから、今後も技術の発展を握るメーカーの社会的責任や影響力は絶大であり、メーカーがこうした問題を円満に解決して、消費者、権利者、メーカーの共通利益を確保するための社会的に重要な役割を果たすという責任が今改めてより大きく求められているのではないか。メーカーにはその合理性をご理解いただき、世界に範を示していただきたい。

 現行制度では補償金支払い義務者はユーザーとなっているが、メーカーに変わったとしても、価格に転嫁され、実際にコストを負担するはユーザーであるので現状とほとんど変わらない。仮にメーカーが義務者になり消費者が補償金支払い義務者でなくなる場合、文化審議会にユーザーや消費者団体代表が呼ばれ続けるのかという疑問がある。

 ユーザーを審議会の審議から除いてしまうということはないだろう。

 メーカーが補償金支払い義務者になっても結局消費者の負担は何も変わらないと言うが、シャープの亀山工場の固定資産税はユーザーが負担しているのだとも言えてしまう。転嫁はメーカーのやり方次第である。

 ヨーロッパの例では製造業者、輸入業者が補償金支払い義務者であるが、評価機関は権利者、消費者、メーカーの代表が加わっている公的な機関であるフランスの例に倣うことがよいのではないか。

 事務局のたたき台では、補償金の支払い義務者をメーカーにする提案の大きな根拠として挙げられているのは返還制度がうまく機能しないことであるが、補償金制度の対象を汎用機に拡大するかどうかの議論があって初めてその提案が成り立つと思う。補償金の負担額は、原価として見れば価格に転嫁されるのはおそらく必然だが、そのとき、補償と録音録画しない人の返還により成り立っていた現行制度のバランスが一切なくなるので大きな議論になるだろう。
 返還制度が機能しないことについては、運用や制度改正による解決という違う観点の議論もあるだろう。

 製造販売元が録音録画機能を大きくセールスプロモーションして消費者の購買意欲を誘因しているような機器は、それを製造販売してメーカーが利益を上げているので、その利益の中から補償金の原資を還元するのが最善の方法ではないかと思う。極端に言えばユーザーがそうした機器を購入した後一度も起動せずコレクションとして飾っておくことも考えられるが、製造販売元が企画段階から私的録音録画に供する目的で製造販売した機器については、そのような場合でも現実にメーカーに私的録音録画を根拠とする金銭的利益が発生しているので、販売した際の利益から補償金の原資を捻出するのが妥当ではないか。

 第10小委員会の報告書によると、現行制度においてメーカーが協力義務を尽くさない場合は民事訴訟で訴えることができ、メーカーは金銭債務も負うことになる。つまり、現行制度上協力義務と呼んでいるが、法的には金銭の支払い義務をメーカーが負っているのと同じと理解できるし、現行制度はそのような前提でできたのだろうと思う。現在メーカーが支払い義務者であることは、協力義務か支払い義務かの名称上の政治的な妥協があって、法的に見た点は補償金支払い義務者をメーカーにしても現行と変わらないという整理になるだろう。
 支払い義務がないからといって補償金制度の様々なプロセスからユーザーが排除されないことさえ確認しておけば、現在は法律上補償金支払い義務者であるユーザーが今後は義務を負わないとしても問題はないと思う。

 録音録画機器、記録媒体を私的録音録画に使用する頻度の軽重は現行制度でも考慮していないし、今後も考慮することはできないだろうが、それが不公平だというと、個々のユーザー毎の利用頻度に応じた課金制度ができれば公平な制度が実現可能かもしれないがそれは不可能である。返還制度はユーザー間の不公平の解消のためにあるということだが、補償金を支払ったことで私的複製をできる権利はユーザーに平等にあるので、返還制度がないと不公平だという批判はできないのではないかと思う。現在のみならず将来に渡り私的録音録画を一切しないことの証明は当然難しく、返還制度を機能させる改善方法は論理的に考えても無いので、ユーザーの補償金支払い義務を免除し、義務者をメーカー一本に絞ることに十分合理性があると考える。

 メーカーが製造したコストは販売でしか回収できず、結局ユーザーの支払いで賄われている。どう考えても補償金を負担すると当然ユーザーの負担になることに変わりはないと認識している。やはりメーカーを支払い義務者にすることで私的録音録画以外の用途で録音録画機器、記録媒体を使用する人に補償金を返還する必要がなくなるということについて違和感があり、返還制度を無くすことは現在の制度よりユーザーに不利な方向の議論になるのではないか。

 補償金支払い義務者をメーカーにすることが一番美しい解だとしてそもそも現行制度が返還制度を設けた考え方を全部やめてしまうことには賛成しかねる。やはり最終的に複製行為をするユーザーが支払い義務者であるべきだと考える。

 以前JEITAが配付した資料に、補償金支払い義務者をメーカーにする案には理念や根拠がないと書いてあったが、現行制度においてはユーザーは理念上の支払い義務者だと第10小委員会報告書に書いてある。要するに観念的にはユーザーに支払い義務があるが、実際にそこから徴収することは難しいのでメーカーが法的な支払い義務を負うという整理がされていた。理念上の義務というものは、あくまでも理念的なものに過ぎないということを明確にするという意味では、メーカーを義務者にするほうが本来の考え方に沿っている。
 現行制度の返還制度は、過去も将来も私的録音録画をしないことを証明することが可能であれば返還するものであるが、機器を廃棄たうえで過去に一度も私的録音録画をしなかったと証明しない限りは返還請求が成り立たない。返還制度の問題というのは、本来の第10小委員会の報告と成立した法制度の間の齟齬が顕在化してきたから生じた問題と見るのが正しい認識ではないか。

 確かに返還制度が実質的に機能していないことは感じるし、メーカーが負担者になって権利者がメーカーから徴収するとなったほうが法的にすっきりすることは理解できるが、やはり、実質的な効果を考えると、専用機器と汎用機器というのは区別がつかなくなっていく中で、どういうふうに対象機器を決めるのかという議論とも関わるが、法的義務は無いが実質的にユーザーが補償金を払うような形になってしまうということは、やはりユーザーとしては納得できないことになるのではないか。

 補償金をコストとして考えた場合、ユーザーは私的複製のできる機械を購入することで、私的複製できる権利を留保していると考えれば、メーカーのコストと返還制度の必要性の関連の整理がつくのではないか。

 補償金制度導入時の第125回国会衆議院文教委員会議録によると、参考人発言で、録音録画を行う者が補償金支払い義務者であることについて、他の先進諸国が成し得なかった規定だと紹介されており、国会審議においては受益者負担の妥当性が説明されていると思う。会議録のこの部分を次回お配りいただき、共通理解として議論できればよい。国会での審議の際の政府見解、参考人意見とその際の議論を共有すると、メーカーの協力義務に関する議論の参考になるのではないか。

 CDを買ってiPodにコピーする場合は、コピーが主目的であるのでユーザーの感覚としては別に補償金を払ってもよい。ただし、メーカーが補償金支払い義務者になって返還制度もなくなってしまったところで、実際には録音に使わない携帯電話についても補償金をよくわからないまま負担させられている状況は非常に納得しづらいというところがある。非常にセンシティブな問題だと思うが、やはり汎用機器と専用機器の議論をきっちりしなければいけないし、支払い義務者の議論とも関係してくると思う。

 現行制度上支払い義務者であるユーザーがそうでなくなったとすると、ユーザーは法律上どう位置づけられるのか保証がなくなるという危惧はもっともであるので、対象機器、記録媒体や補償金額の決定方法のところでユーザーを法律上明確に位置づけておく必要があると思う。

 メーカーが支払い義務を負う場合には、一定の範囲内で録音録画ができる権利を承認済みで録音録画機器、記録媒体を売り出すことになると思うが、権利を行使する人もしない人も録音録画の対価を支払うことになり、不公平性の問題が出てくる。多くのユーザーが私的録音録画に使用していない機器は対象機器から外したり、録音録画に供される実態を踏まえた補償金額の決定方法を制度に織りこむような工夫の中で解決策を見出すことが合理的な方策ではないか。

 たたき台資料の現行制度の支払い義務者に関する問題点の記述や改善すべき課題と対応策を見ると、基本的に現在制度は専用機器、記録媒体による録音録画を念頭に置いており、それに不具合があるからと書いてあるが、裏返すとどう読んでも汎用機器を対象にしたいから制度を変えたいと読める。そこはやはり順序が逆なので納得できない。
 また、個々の利用者の録音録画行為に着目する方式だからこそ、十分に機能しないが返還制度を規定してあるということだと思う。個々の利用者の録画録音行為に着目した制度が良くないから変更することは分かるが、一人のエンドユーザーとして、汎用機器を考えると運用しづらくなるから支払い義務者を変えようという点に非常に納得しづらい。
 録音録画に使用しない機器でもメーカーが代わりに補償金を払うことは、逆に段々機器の利用実態が変わっていっても、状況に応じて補償金のあり方を変えにくくなることにも繋がる気がするので納得しにくい。

 私的録音補償金はピーク時で40億円あったが、今年度は大体8億円から9億円と見込まれる。現行制度の対象機器以外での複製の量が圧倒的に増えた手当てをどうしようかという議論において、専用機器、記録媒体以外は全て補償金なしという話がこの実態から出てくるものなのか。

 補償金制度はやはりラフ・ジャスティス。どこまでが許容範囲か、専用機器からPCや全く私的録音録画に使用しないものまでどこで線引きするとラフ・ジャスティスを維持できるのかという議論であり、このまま放っておけばいいという話ではない。

 何をもって汎用機器なのかよく分からなくなっている。テレビパソコンはテレビに高度な録画機能が付加されていて、ユーザーの方が縦横無尽に使用して楽しんでいるものではないかと思うが、それが汎用機器なのか。電話機能だけの高齢者用の携帯電話が売れているようだが、一方、音楽携帯と呼ばれているものもあり、これも一くくりで汎用機器なのか。

 パソコンと携帯メモリーオーディオと携帯電話につき、どれを補償金制度の対象にすべきと求めていくのかお聞きしたい。

 録音録画機能を持っていれば全部対象にしたほうがよく、機器ごとの補償金額の決定プロセスで変えていけばよいと思う。

 録音録画に供される機器、記録媒体全てが対象になることが望ましいことには間違いない。パソコンは多様なものがあり、それなりにカテゴライズもできると思う。携帯電話も、音楽携帯もそれ以外のものもある中で、全て対象になった上でよい解決法を評価機関の中で見出していければいいし、欧州の諸外国がやってきているところにさまざま学ぶところがあると思っている。

 携帯メモリーオーディオははっきりと対象とすべき。パソコンであればビジネス用と個人用、さらに個人用でも使用頻度や機能上の差異など、さらに詰める必要があると思う。基本的に外すのではなく、どういう考え方で運用するのがよいかを詰める必要がある。携帯電話も同様である。

 リナックスという例外を除き、マックにはiTunesが、ウインドウズにもウインドウズメディアプレーヤーが標準で搭載されており、市場で流通しているパソコンの90パーセント以上が録音機能を有している状況なので、パソコンとして補償金をかけるかかけないかのどちらかの議論になってしまうと思う。携帯電話も、今auが出しているものは高齢者向けの一部を除きほとんどが音楽の録音再生機能を有しているし、NTTドコモも同様で、おそらくソフトバンクモバイルも今後そうなるから、携帯電話もほとんどが録音機能も有するようになっていくと思う。

 個々の録音録画機器の用途を分析していくことが無駄だとは思わないが、やはり負担の公平性等の点から汎用機器に拡大するのが難しいから支払い義務者を改善すべきという方向で話が進むのはおかしい。
 また、権利者の損害に対して補償しているのか、利益があるから還元しろというのかよく説明できていないと思っているし、補償金額が減っているからという理由もどうしてもよくわからない。
 補償金制度において、補償金額が減ってきたから一定額まで回復させなければならないとか上げていかなければならないというのは理由にならない。技術は進歩しており、補償金額は減っているかもしれないが、本当にクリエーターが得るものが損害を受けているかどうかが問題であって補償金額の絶対量の問題ではないと思う。


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