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1.私的私用目的の複製の見直しについて

個人/団体 意見
個人 特に項目やページ等ではなく、今回の意見募集案件全体についての意見です。
私的複製に関しては、それが零細なものにとどまらず著作者の利益に影響するまで拡大してきたという認識があるかと思いますが、まさにその認識自体が問われている状況かと思います。
よって、現在日本の著作物にかかわるマーケットに私的複製がどのような正の影響・負の影響を与えているのかを新たに広く調査すべき段階かと考えます。新たに調査し現在の状況についての認識を共用した上で、またパブリックコメントを実施し、意見を深めていくべきです。
個人  私的複製に関する著作権法第30条第1項但書に関しては、企業活動等の一環としてなされるものではあるが、複製物自体は少人数の閉鎖的な範囲内でのみ使用されることが予定されている場合にも適用されることを明示されることが望ましく、今後この点についても検討されたい。

 著作権法による規制の目的を著作物創作のインセンティブの保護という点に置く場合、経済合理性という観点から見たときに通常創作のインセンティブを失わせない場合についてまで人や企業の活動を著作権法により規制することは本来許されない。

 このように著作権法による規制の正当化根拠に立ち返って考えたときに、複製物が少人数の閉鎖的な範囲内で使用されるにとどまり、正規商品と市場において競合するおそれがない場合には、人や企業が著作物を複製したとしても通常の創作インセンティブを阻害するとは認められず、これを著作権法により規制するのは本来許されないということができる。

 また、インターネット上では、英語を含む各国語の文献が多数入手可能であるが、これらの資料を基に企業戦略を練る際に、当該仕様言語が不得手な役員または従業員のために、自動翻訳プログラムまたは翻訳担当社員等により当該資料の日本語訳を作成することは少なからずある。インターネット上でコンテンツをアップロードしたということからキャッシュへの複製や紙へのプリントアウトまでは「黙示の許諾」で正当化できるが、「他言語への翻訳」まで「黙示の許諾」で正当化できるかは議論の分かれるところである。しかし、このような内部検討の資料として翻訳されることが、著作権者の創作のインセンティブを阻害するのかというと大いに疑問である。
個人  また、私的複製問題については、著作権法第30条の「公衆用自動複製機器」が共用サーバコンピュータを含まないことを明示することが望ましいので、検討されたい。
 選撮見録訴訟において、マンション内の共用サーバが「公衆用自動複製機器」にあたるか否かが争われた。しかし、「公衆用自動複製機器」を用いた私的複製を著作権法第30条第1項による著作権の制限の対象から除外した理由は、貸しレコード店等における高速ダビング機を利用した私的複製を禁止するためであって、正規商品の代替品としての複製物を複製者が持ち帰るような場合を禁止の対象として想定したのである。従って、持ち帰り可能な複製物を増製しない機器を著作権法第30条にいう「公衆用自動複製機器」に含めるのは過剰な規制であるというべきである。
個人  今日、各個人や企業がデータを保管するための手段として、外部業者が提供するオンラインストレージサービスを利用する機会が増えている。個人や小規模企業用のオンラインストレージサービスは、コストの関係から、1台のサーバコンピュータを多数の利用者で共用する形態をとるのが通常である。すると、公衆(イコール多数人)が用いることが予定されている複製機器イコール公衆用自動機器としてオンラインストレージサーバを捉える場合、このオンラインストレージサービスを利用して電子メールのバックアップをしたり、私的にリッピングして作成したmp3ファイル等のバックアップをしたりすることが禁止されてしまうし、そのような用途にも使用されていることを知りつつオンラインストレージサービスを提供し続ける事業者は刑事罰による制裁を受けることにも論理的にはなりかねない。

 地震大国日本においては、自宅または事務所の外にデータをバックアップしておくということは本来推奨されるべきことであるのに、保存しておくべきデータの中に他人の著作物が含まれたとたんにこれが違法となるのは不合理である。
個人  知的財産推進計画2006においては「私的録音・録画について抜本的に見直すとともに、補償金制度については廃止や骨組みの見直し、他の措置の導入も含め抜本的な検討を行」うとの項目があります。
 にもかかわらず、本報告書(案)においては「現在の私的録音録画補償金制度が対象とする範囲等について見直しの必要があるのか」という検討課題に後退していることにたいして、大いに疑問に感じます。

私的録音録画補償金に関しては、
・共通目的事業の内容が不透明
・公平な分配が行われているからどうか
・私的複製にあたらない利用を行った利用者への補償金の返還制度が機能不全といった点に代表される多くの問題点があり、それらの点を議論し、抜本的な見直しを行う必要があると考えます。
 何ゆえ知的財産推進計画と異なる検討を行うことになったのか、その根拠や、今後どのように「抜本的な見直し」「廃止や骨組みの見直し」「他の措置の導入」を検討していくのかを明確にしてください。
JASRAC(ジャスラック)  4ページ 2.3.(1)解釈上の検討課題 1私的複製と契約との関係について

私的複製と契約の関係を議論するにあたっては、著作権者等が契約の当事者となっていない場合があることを前提にして、議論するべきである。

契約・利用ワーキングチームにおいて具体的検討事例として取り上げられた契約の類型のうち、音楽配信契約、楽譜レンタル契約については、コンテンツ提供者とユーザー間の契約である。
これらの契約では、著作権者等が契約の当事者となっていないため、ユーザーが行う複製について著作権者等のコントロールが及ばない。また、仮にその契約によって複製可能な範囲が限定され、その可能な範囲内の複製が私的複製として位置づけられる場合であっても、多数のユーザーが複製を行うことで、全体から見れば膨大な数の複製が行われることとなり、結果的に著作権者等の正当な利益が不当に害されることがあり得る。

さらに、ユーザーが複製回数等を制限する旨の契約に違反して複製を行ったときに、著作権者等が直接ユーザーに対して契約上の責任を追及することは不可能である。
したがって、私的複製と契約の関係を検討するにあたっては、著作権者等が契約の当事者となっている契約類型とそれ以外の類型とを分け、私的複製のあり方の基本的な考え方を踏まえた議論を行うべきである。
5ページ 2.3.(2)立法上の検討課題 1私的録音録画補償金関係

私的録音録画補償金制度に関する私的録音録画小委員会では、「制度の抜本的検討」が行われているが、iPodに代表される「ハードディスク内蔵型録音機器等」が爆発的に普及し、著作権者等の経済的不利益が更に拡大していることから、制度の抜本的検討から切り離し、これらの機器を一刻も早く政令で追加指定すべきである。

私的録音録画補償金制度は、元来、零細であった個人的又は家庭内で行われる著作物の複製が、録音録画機器の急速な高性能化と普及によって、著作権者等の正当な利益を脅かしかねない状況になったことから、消費者の利益に配慮しつつ著作権者等の保護を図るために制度化されたものである。
ところが、わが国では、既に私的録音補償金の対象となっているMD等に代わって、iPodをはじめとする、いわゆる「ハードディスク内蔵型録音機器等」が、市場における主流になっているにもかかわらず補償金の対象とされていないことから、著作権者等に一方的な経済的不利益をもたらしている。

この問題については、2006年1月の文化審議会著作権分科会報告書において、私的複製に関して、それが認められる範囲の明確化などについて検討することとされており、また、パソコン等の汎用機器の取扱いについても、私的録音録画の抜本的な見直しの中で十分な検討を行い、「平成19年度中には一定の具体的結論を得る」とされた。
この結果、著作権者等は、結論が得られるまでの間、「ハードディスク内蔵型録音機器等」により膨大な量の私的録音が行われるにもかかわらず、何らの補償も得られないこととなった。
JASRAC(ジャスラック) 現在、私的録音補償金制度は、著作権者等にだけ一方的に経済的な不利益を強いる形で事実上形骸化した状態が続いており、このことは著作権制度の空洞化を来たすことにもなる。このような事態を避けるために、現行法に照らし制度の対象になることが明らかな「ハードディスク内蔵型録音機器等」を一刻も早く政令で追加指定すべきである。
個人 2.私的使用目的の複製の見直しについて」への意見

ダウンロードする側は、ダウンロードが完了して実際に内容を確認するまで、そのファイルが何であるか分かりません。

合法・違法の判断のつかないものや、ファイル名と内容が結びつかないものが違法複製物だった場合など、意図せずに違法行為を犯してしまうリスクを誰もが抱えることになり、インターネットの利用自体を萎縮させる事になりかねません。

しかし、そのような過失によるダウンロードを違法と見なさないなると、違法複製物のファイル名を工夫すれば、ダウンロード側罪を免れる余地が生まれ、今度は法律の実性が問われることになります。どちらも現実的ではないと思います。

また、どのようにして違法複製物をダウンロードしたことを把握するのか疑問です。
囮ファイルを用意してダウンロードさせるような信義に反した方法でも取らない限り、利用者が何をダウンロードしているのかを確認するためには、通信内容の解析が不可欠であり、結果的に「通信の秘密」を侵害する行為に及ぶことが懸念されます。

通信記録により違法者を突き止めるにも、第三者のパソコンを経由している場合や、途中でダウンロードを中止したり、ダウンロード後にファイルを廃棄したりして手元に違法複製物が残っていない可能性もあり、通信記録のみでは違法者と違法行為の成立を特定することは困難です。確証を得るために安易な家宅捜索や記録媒体の押収に繋がる懸念が払拭できません。

1つの違法複製物に対してダウンロード者が大勢いる場合でも、各個人の侵害額は1つ分に過ぎず、それらに貴重な捜査力を割くことは不毛であり、一罰百戒を目的とするにも、それによって生じる弊害を受容できるほどの効果があるとは思えません。

違法複製物の蔓延を防ぐには、配付元を断つことが何よりも効果的だと思います。現行法で既に違法であるアップロード行為の取り締まりによって防止するべきです。
個人 目次

【全体として】
○私的複製の諸問題を検討する場として、私的録音録画小委員会は適格か否か?
○私的複製の分類。
○著作権法に“利用者の権利”を明示すべきではないか。
○権利者へ複製権を無条件に与えてしまうのは時代錯誤ではないか。
○私的領域内へ著作権を及ぼすことに合理性はあるか?

【契約による権利制限のオーバーライド】
○契約によってオーバーライドすることを認めるべきでない(社会での抵抗感が強い)複製態様というものは存在しないのか?
○オーバーライドを簡単に認めてしまっては、市場振興・消費者保護に悪影響を及ぼしかねないのではないか?
○立場の不均衡が著しい権利者・エンドユーザー間において、適切な契約関係の構築を探るべきでなのではないか?

【DRM】
○DRMの仕様に委ねる形で、著作権法上の私的複製の範囲を調節することは適切か?

【私的録音録画補償金】
○そもそも、正当な対価を支払って入手したコンテンツを私的複製することに補償金が課せられるのは妥当か?
○現行制度の、録音・録画機器と記録媒体両方への課金は適切か?
○その他、そもそも論の再提起。

【違法コンテンツからの私的複製】
○これを私的複製から外すとすれば、どう規制するのか? それは可能なのか?
○私的複製の範囲にとどめるため、補償金制度を活用することは可能か?
○複製態様に応じた徴収法を検討すべきではないか?
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『法制問題小委員会報告書(案)』から感じる疑問と私の考えを以下に述べる。

【全体として】
○私的複製の諸問題を検討する場として、私的録音録画小委員会は適格か否か?
私的録音録画小委員会は論理的もしくは法的な検討が可能な場なのか。
個人  もともとは補償金制度の根本検討を目的として設けられた議論の場である。法的検討を前提とした委員構成では全くない。むしろ法的検討は法制問題小委員会で行なうべきであろう。現に私的録音録画小委員会会合での委員発言は、それぞれの立場からの要望または印象批評にとどまるものでしかない。私的録音録画補償金制度の根本検討にすら程遠い有様である。

 また、利用者代表が権利者代表に比べ少なすぎる。学識経験者はそれなりに参加してはいるが、法的観点からの発言は圧倒的に少ない。やはり法制問題小委員会において法的検討を加えるのが本道と言えるだろう。
 私的録音録画小委からフィードバックされた法的論点を検討し、私的複製(私的録音・録画に限らない)を大まかにでも分類した上での検討を行なう。すべての私的複製が一緒くたに議論されがちではあるが、それが適切なのか否かも含めて考えるべきである。

 発生した各課題について、適法・違法のボーダーラインもそれぞれ明示(あるいは例示)する必要があるだろう。ここまでの作業は私的録音録画小委には不可能であり、法制小委がやるべきものである。

○私的複製の分類。
 その性質によって扱いを区別すべきではないだろうか。現在の著作権法では私的複製の分類を殆どおこなっていない。あえて言えば、私的録音録画補償金においてデジタル・アナログの区別を行なっているのみである。しかし社会通念上は、私的複製が〈無償・自由とすべきもの〉〈有償・自由とすべきもの〉〈私的複製の範囲から外すべきもの〉等に分かれているのではないか。
 以下にいくつかの分類を考えてみた。私の見解も付記してある。

・デジタル著作権保護技術による私的複製の制限での分類
(1)公正な利用であって無償・自由とすべき私的複製。
(2)補償金を課すことで有償・自由を維持すべき私的複製。
(3)DRMによって制限されてしまうが、本来「公正な利用」であって無償・自由とすべき私的複製。
(4)DRMがかかっているため補償金不要と考えられる私的複製。

※正当な対価を支払い入手したコンテンツの私的複製については無償・自由とすべきであるというのが私の基本線。この「正当な対価」なしに入手したコンテンツを私的複製する際に「補償金」を支払うこととしてはどうかと考えている(私見だが、ここまでは譲歩できるのではないか?)。もちろん経済的不利益に関する検討は必要。

 問題はDRMとの共存。DRMの許す範囲内で行なう私的複製では「補償金」を課すのはおかしいと思うし(もともとコンテンツ流通の段階でどの程度複製されるかが想定されているのだから)、本来無償・自由とすべき私的複製までDRMで制限されているようならば、その回避を容認すべきであろうと思う。
個人的には、著作権法上の「技術的保護手段」の回避についても規制を緩和すべきだと考えている。
個人 ※私がいつも主張している分類。個人的にはこの主張が本命。
 コンテンツ流通から得るべき権利者の利益というのは、ある私的領域内に当該コンテンツが入り込む際に得られる対価であると私は考えている。ひとつの私的領域では同一コンテンツを何度も買うことは推定されず、ほとんどの場合は一つ買えば充分(それ以上の購入は、付加価値等を勘案しての自由行動になる)。それが一般的な消費行動であって、それ以上の利益を権利者に保障することは著作権法といえども不合理だろう。

従って、自ら購入したり、正当な対価を支払ってレンタルしてきたコンテンツについては私的複製をしても権利者の利益を損ねるものではない(複製をしなかったとしても、同じコンテンツを再び買うことは期待できないのだから)。また放送コンテンツから私的複製したものも、それがコピー制御を行なっていない以上、あらかじめ私的複製を想定して流通しているものと考えられる(さらには放送コンテンツの私的複製の殆どがタイムシフト用途で行なわれていることが判っており、これが権利者の利益を損ねるものでないことは明らかである──単に本放送時の試聴が時間をずらして行なわれているだけなのだから)。

 私個人としては、友人から借りたコンテンツから私的複製する場合、あるいは違法複製物から私的複製する場合には、権利者に対する「不利益」について若干の同情がある。
ちょっとぐらいは金を払ってやっても良いじゃない?──というわけだ。厳しい言い方をすれば、そもそも購入できるようなコンテンツを適切な価格で流通させていないのが悪い、と突っぱねることも可能ではあるのだが。

パブリックドメインのコンテンツを私的複製することは(元)権利者の利益を損ねるものではないのは言わずもがな。それが著作権等の保護期間の肝。しかし現行補償金制度はそういうのお構いなしだったりする。

 市場で流通していないコンテンツ(例えばCDは廃盤になってるしネット配信すらされていない音楽とか)については、そもそも購入してもらう機会が無いのだから、私的複製によって権利者の不利益が生じているとは考えられない(自業自得)。個人的には、著作権法によって強い禁止権を持っている権利者である以上、当該コンテンツを流通に載せることは義務であるとすべきだと思う。つまり流通しないコンテンツについては権利制限の範囲を広げるという。保護期間が満了していなくてもパブリックドメインとみなせるような条項があっても良いと思う。

※なおレンタルに関しては、貸与権使用料が私的複製を前提に定められている(本来の使用料よりも高く設定されている)ことを根拠として“不利益なし”と判断している。このあたり、権利者側とレンタル事業者側とでは見解が食い違っている(エンドユーザーからすれば「善意の第三者」であり当該使用許諾の内容に制約は受けないのだが)。国会においては私的複製を前提とした貸与権付与が行なわれている以上、論理的にはレンタル事業者に分があると思う。
個人  著作権分科会(法制問題小委員会あるいは私的録音録画小委員会)においては、JASRAC(ジャスラック)とCDVJ双方の意見を聴取した上で検討することが急務だ。また、私的録音録画補償金制度の導入の前後において貸与権使用料の額に変化があるのか否かも調査すべきである(経緯からすれば補償金制度導入時に使用料が減額されていないとおかしい)。録音権使用料などとの比較もされたいところ。

※友人から借りたコンテンツ、あるいは違法に複製されたコンテンツからの私的複製を権利者が把握することは不可能である。したがって私的複製の範囲から外し違法化したり、その実態を正確に掴んで補償金を取ることなども不可能であると言っていい(無理にやろうとすると社会的混乱を招くだけである)。こういう、ラフにやらざるを得ない時こそ「補償金制度」の出番ではないのかと私は考える。

個人的には、その実際の複製元のコンテンツにかかる権利者が誰であるかにかかわらず、エンドユーザーが分配先を指定して補償金を納められるようにすれば問題は少ないのではないかと考えている。エンドユーザー自身の判断で正しい権利者に送っても良いわけだし、誰か他の権利者に“投げ銭”するのでも良い。こういうやり方の方が出てくる文句が少ないと思うわけだ(少なくともエンドユーザー側からは文句が出ないし、権利者側は実態との齟齬を知る手掛かりがない。ぶっちゃけた話、誰かに払いたいエンドユーザーが払うのだろうし)。

※違法複製物については、その呼び名の通り、既に著作権法による規制は充分に為されている。あとは権利者がきちんと権利行使するかどうかの問題だけであって、そういう努力をせずして“違法複製物の私的複製を違法化すべき”などという主張は虫の良い話にしか見えない。社会に混乱をもたらすことが必至であるような法改正を要求できる権利は著作権者・著作隣接権者には無いと思う。

・複製手段での分類
(1)アナログ技術による私的複製(現行では私的録音録画補償金の対象外)。
(2)デジタル技術による私的複製で、私的録音録画補償金の対象とされているもの(代表例:MD・音楽用CD-Rなど)。
(3)デジタル技術による私的複製で、私的録音録画補償金の対象とはされていないもの(代表例:汎用機器・汎用機録媒体・iPodなど)。
個人 ※まず、補償金制度においてアナログとデジタルを区別する必要があるのかという根本的な疑問がある。いちおう「劣化しない完全なコピーができるから」などというもっともらしい(?)理由づけが為されているが、これなどは論理的一貫性を全く考えていない詭弁に過ぎない。なぜなら、デジタルによる私的複製でも不可逆圧縮技術を使えば「劣化」するのだから。
 方向性としては、私的複製としてアナログもデジタルも同じように考えて補償金の対象とするか、劣化しないコピー(多くはデジタル)に限定して補償金の対象とするか(圧縮技術によって劣化する私的複製については補償金対象外とする)のいずれかだろう。ここを無視して、論理的整合性のある(納得できる)補償金制度を再構築することはできない。

 もっとも、どの程度「劣化」すれば不利益にならないかというボーダーラインについては議論の余地があるとは思うけれども(個人的にはYouTubeの品質がDVD等の代替になるとは思えない──というか、YouTubeで見たコンテンツがDVDでも手頃な値段で売ってたら、たぶん私は購入を考える)。

※たとえばCDを例にあげると、CDの商品としての価値はMP3やAACでは代替できない。こうした圧縮音声をCDの「複製」として扱うから、iPodで聴くために「録音」することすら“補償金がいる”みたいなおかしな話になるのであって、こういう“市場と競合しない”複製については無償・自由を認めるべきなのである(特に自分で購入したCDからリッピングする場合は)。

○著作権法に“利用者の権利”を明示すべきではないか。
 権利制限規定を強行規定化すれば当該権利を保障できる。
 著作権法に消費者保護の観点を導入し、安心してコンテンツ商取引に臨めるようにする。端的に言えば著作権・著作隣接権がそれを阻害しないよう、権利者と利用者とのバランスをきちんと取るということ。

正当な対価を支払い入手したコンテンツの私的複製については無償・自由で認めるべきである(コンテンツ売買の結果実質的に生じる私的複製“権”の保障が必要──社会通念と整合性をとることが重要である。著作権制度が社会に受け入れられるためには、制度を常識に近づけなければならない)。

 DRMによる制限を回避することも、正当な対価を支払い入手したコンテンツの私的複製については認めるべきである(著作権法の規定による私的複製制限を緩和する)。この複製態様での、契約による制約(権利制限のオーバーライド)についても認めない方向性を打ち出したい。
 正当な対価が支払われた際、エンドユーザーは何を「買った」のか明示することも必要である(売買契約の明確化──もちろん必ずしも文書を交わすことは要しない)。エンドユーザーが正当な対価を支払い、常識的にコンテンツの利用“権”を買うインセンティブが働くよう著作権制度を見直す必要がある。現行著作権法のように権利強化がばかりが進むようであれば、とても利用の拡大は望めない。
個人 ※売買契約の内容・条件に不備(エンドユーザーの行動を不当に制限する条項など)があれば、エンドユーザーは「不買」の選択をする。契約意識の啓蒙が必要となるだろうとは思うが(最初は権利者側に言われるまま不利な契約を交わしてしまうおそれも強かろう)。

※権利強化や私的複製制限の容認がなされることで、消費者保護の関係法令が骨抜きになってしまう現状がある。
 著作権者・著作隣接権者の権利を規定する著作権法の規定ぶりからすれば、直接的に“利用者の権利”を規定することは難しかろう。最低限、その意識を持って権利者・利用者間のバランスをとるべきということである。

○権利者へ複製権を無条件に与えてしまうのは時代錯誤ではないか。

 権利制限にかかる議論の中でも、複製権の無条件付与が前提となって「不利益」を認定している節が見られる。
 国際条約の規定を変えていくことは困難に思われるが、各国に留保されている立法でもってバランスを取っていくことは可能だろう。複製が不可欠となっている現代のコンテンツ利用状況(特に私的領域内で起こっている無償・自由とすべき複製)に合った権利制限規定のあり方を探る必要があるのではないか。

 著作物の使用(再生・鑑賞等)に伴い私的複製が必然的に発生している現代において、複製に対し何が何でも権利者の「不利益」と認定する考えは時代遅れである。
 コンテンツ売買の実態に鑑み、正当な対価を支払って入手したコンテンツを私的複製する場合には、権利者の不利益は存在しないものと考えるべきである。
(社会通念としては、こちらの考えが一般的である。)こうした意識でもって利用者の“権利”が確立し、安心してコンテンツ市場に関われるようになる。
 そもそも複製権の保護によって、権利者のどのような「利益」を守るべきだったのかから洗い出す必要がある。

※社会的に認められる著作権者・著作隣接権者の「経済的利益」は、コンテンツ売買またはコンテンツ商業利用からの収入に尽きる。すなわち同一の私的領域において、一人の人間が同じコンテンツを何度も買うことを前提とするような議論は不合理である(一般的には、同一の私的領域内ではひとつのコンテンツが購入される見込みは1度しかない──まれに数度購入されるのは、何らかの付加価値が用意された場合に限る)。

○私的領域内へ著作権を及ぼすことに合理性はあるか?
 規制・取締りの実効性とトランザクションコストは? モラルは?
 そもそも著作権法によって保護されるべき「経済的利益」とはどこまでを指すのか?(社会通念上、どこまで想定されているのか?)
 プライバシーの確保と衝突しないか?
 そもそも実効性ある規制は可能なのか?
個人  民事・刑事双方の裁判が激増することが予想され、捜査や裁判に費やされる社会的コストを許す根拠がどこにあるか?
 私的領域内での自由な視聴(私的複製も視聴の内である)を制限することで、著作物に対価を支払い所有するというビジネスモデルを崩壊させかねないことに対する懸念は?(無料で視聴できるメディアに利用者が集中してしまい、そもそもコンテンツに対価を支払うインセンティブが働かなくなるのではないか?
 視聴のみに低価格かつ定額の料金を支払うビジネスモデルへの移行が進むと考えられる。)

【契約による権利制限のオーバーライド】

○契約によってオーバーライドすることを認めるべきでない(社会での抵抗感が強い)複製態様というものは存在しないのか?
 社会の要請を意識すべきである。著作権保護技術(必ずしも著作権法上の「技術的保護手段」であるとは限らない)の実態についても要検討だ。

コンテンツを購入し所有するという現行のビジネスモデルは、あくまでも私的領域では当該コンテンツが自由に視聴できる(私的複製も含む)ことが前提となっている。そうでなければ、購入することにインセンティブが働かない(レンタルや放送番組で充分である)。
 とくに音楽の場合には、私的複製によって利用が拡大しコンテンツ購入の機会も増大してきた歴史的経緯がある。私的複製の制限はそのまま音楽への需要の縮小を意味する(なお不当な賦課金も需要縮小の原因となる)。

○オーバーライドを簡単に認めてしまっては、市場振興・消費者保護に悪影響を及ぼしかねないのではないか?
○立場の不均衡が著しい権利者・エンドユーザー間において、適切な契約関係の構築を探るべきでなのではないか?
 現状は権利者側の立場が強く、あまりに一方的なコンテンツ供給が行なわれているのではないか?

※契約法に複製の可否を委ねるのであれば、著作権法には手を付けず私的複製の範囲をそのままにしておくべき。(エンドユーザーが明文化されていない契約の内容を争うには、著作権法の権利制限規定が唯一のよりどころである。)
 ここで、契約に応じた範囲で権利が及ぶとすれば、合意内容に争いが生じた際に、エンドユーザーは不当なほど弱い立場に追い込まれる。このことは最初の売買契約・利用契約においても不利に作用する。
個人 【DRM】

○DRMの仕様に委ねる形で、著作権法上の私的複製の範囲を調節することは適切か?
 特に、DRMが著作権法上の「技術的保護手段」である場合と、そうでない場合とで扱いは異なる筈である。
 まず、DRM(デジタル著作権保護技術)は著作権法の規定とは関係なく存在し得る。著作権の問題というよりは、権利者とエンドユーザーとの間に結ばれた間接的契約を具現化したものと言える。

 現行著作権法からすれば、「技術的保護手段」を回避しての私的複製は禁止されている。これに当たるDRMであれば、契約とは別に著作権法によっても私的複製ではないと判断される。ただし無反応機器などによる“回避を伴わない私的複製”については規制対象とならないから、ここまで契約で禁止されているか否かを問わず、著作権法上私的複製の範囲から外れることはないと思われる。

では、権利者とエンドユーザーとの間に交わされる契約に応じて私的複製の範囲を変えるよう、著作権法の規定を変えるべきか? しかし問題の契約は間接的に交わされるものであって、また明文で内容が示されたものではない。さらにはDRMが完全であることは殆どなく、音・映像として視聴可能である限り私的録音・録画される可能性は必ず存在する。明文化されていない曖昧な契約でもって私的複製の範囲を決めることはエンドユーザーの行為を規制する手段として適当ではなく、また私的録音・録画が技術的に可能である以上、「技術的保護手段」を回避しての私的複製を除いては、著作権法によって規制することは実質的に不可能であると考える。

実際問題として、著作権法上の「技術的保護手段」にあたるとされない例は多い。DVDでのアクセスコントロールが代表である。また、音楽・映像配信にかかるDRMについても、それを回避することなく私的録音・録画する方法が存在する(たとえばiPodで再生する音楽をアナログラインを介して録音するなど)。
DRMが働いた状態で現にこのように可能である私的録音・録画が契約によって“禁止”されているとは解釈しづらく、また著作権法上これを私的複製ではないと規定することは無用のトラブルを発生させる原因になりかねない。
 著作権法上の私的複製の範囲については手を加えず、「技術的保護手段」ではないDRMについては純然たる契約法上の問題として処理すべきものと考える。

【私的録音録画補償金】

○そもそも、正当な対価を支払って入手したコンテンツを私的複製することに補償金が課せられるのは妥当か?
 こうした私的複製によって権利者にいかなる「経済的不利益」が生じるのか。社会的に認められている、権利者が得るべき利益の範囲はどこまでか?
個人  「正当な対価を支払って入手したコンテンツ」には、新規購入したものはもちろん、中古で購入したもの、レンタルしたものも含まれる。新規購入あるいは中古購入したものについては既に権利者に正当な収入がもたらされているし、レンタルについては私的録音・録画を前提とした貸与権使用料が支払われている。

 一般に、同一の私的領域において同一コンテンツが複数回購入されることはない。エンドユーザーの消費行動として明らかな事実であり、ここで“私的録音・録画がされなければ新たな購入の機会が発生する”かのような前提で補償金を課すことの不合理が存在する。

また私的録音・録画によって権利者にいかなる経済的不利益が発生するかについて、未だにきちんとした議論がなされていない。
特に既に正当な対価が支払われているコンテンツの私的録音・録画については、むしろ経済的不利益の不存在の方が論理的に説明される。

○現行制度の、録音・録画機器と記録媒体両方への課金は適切か?
 タイムシフトやプレイスシフトといった、権利者への不利益を与えない複製態様にしか使えない録音・録画機器の存在をどう捉えるべきか。

 まず、タイムシフトにしか使えない録画機器というものがある。放送されたコンテンツを録画することしかできないハードディスク内蔵型録画機器がそれに当たる。ハードディスクというものは限られた期間しか使えないものであって、この種の録画機器はハードディスクが稼働する間のみコンテンツを保持できる。すなわちタイムシフト用途の録画にしか使用されない。

 放送されるコンテンツはエンドユーザーが無料で視聴することを前提として権利処理されたものである。基本的には放送時にリアルタイムで視聴されることが想定されてはいるが、私的録音・録画を可能とする機器が一般に普及している昨今、この番組を録音・録画することもまた前提として放送されていると言わざるを得ない。

このうちタイムシフト用途で録音・録画された分については、その視聴の態様としてはリアルタイム視聴と同じものであり権利者に経済的不利益を与えるものではない(逆に、タイムシフト用途以外の私的録音・録画──アーカイビング用途のものについては、当該コンテンツを購入することの代替になることから経済的不利益を与えるおそれなしとしない。詳しい検討は必要であると思われるが)。

また、正当な対価を支払って入手されたコンテンツを、プレイスシフトあるいはメディアシフト用途で私的複製することについても権利者の経済的不利益を生じさせるものではない。なぜなら、すでに入手されたコンテンツを再び購入することなど同一の私的領域においては期待できないからである(まれにそれが起こり得るが、それは付加価値等の判断からエンドユーザーの自由意思で為されるだけであり、著作権法によって権利者に保障されるべき経済的利益とは言えない)。
個人 そして、プレイスシフトやメディアシフト用途にしか使えない私的録音・私的録画機器というものがある。同一の私的領域外へ複製物を拡散するおそれが技術上抑制されているiPod等の機器がそれにあたる。
 以上の事実から、デジタル録音・録画が可能となる録音・録画機器に一緒くたに課金することは、補償金を課する必要性の点から言っても適当でない。また、記録媒体のみに課金するようにすれば、エンドユーザーから見ても私的録音・録画を行なう頻度・回数に応じた支払いをすることになり、より公平な負担になる。

○その他、そもそも論の再提起。
→別項「私的録音録画補償金にかかる議論で検討すべき論点」参照。

【違法コンテンツからの私的複製】

○これを私的複製から外すとすれば、どう規制するのか? それは可能なのか?
 私的領域内での複製の実態について、権利者が把握していくことは不可能である。また、それを可能とした場合にはプライバシーに抵触する蓋然性が高い。
 エンドユーザーから見ても、入手したコンテンツが果たして適法に複製されたものか否かは判断できない。適法だろうが違法だろうが複製を可能としてしまうデジタル技術が普及している現代であればこそである。

 違法コンテンツからの私的複製が違法化された場合、仮にその疑義が指摘されたエンドユーザーは、自らの所有する複製物が適法コンテンツからの私的複製によるものだと証明しなければならない。しかし私的複製物には、そのコピー元が適法か違法かを知る手がかりなど存在しない。これはエンドユーザーに不当な負担を強いるものである。

 私的領域内で実質的には可能である行為を違法化することは、“見つからなければ平気”というモラルハザードを蔓延させかねない。特に適法の私的複製と外形的に区別できないとなれば、ますます違法コンテンツからの私的複製を抑制するインセンティブは働かなくなる。

 商売上の理由から流通が止められているコンテンツや、そもそも流通していないコンテンツ(例えばライヴコンサートの模様を収録したブートレグなど)の「違法」複製物から私的複製することについて規制を行なうことは、その実効性が疑わしいばかりか、そうした違法コンテンツをきっかけに喚起される需要をも失うことに繋がる。特にブートレグ等に対抗するために正式発売されたコンテンツがファンを掴み、新たな需要を喚起する例は数あまたある(音楽業界においてライヴ盤・ベスト盤・アウトテイク集などの企画は海賊盤対策から生じたものが大半と言える──中には海賊盤で流通したものを正規に発売しなおす例もある)。
個人  違法コンテンツの提供自体はすでに法の規制がかけられているところであり、それ以上の手当てを法で行なう必要はない。むしろ「違法コンテンツ」からの私的複製については積極的に実態調査を行ない、マーケティング資料として活用すべきと言える。(どうして違法コンテンツからの私的複製をコンテンツ入手法として選択するのか、その根本を解決しないかぎりこの問題はなくならない。)

○私的複製の範囲にとどめるため、補償金制度を活用することは可能か?
 必ずしも現行制度をそのまま活用する必要はないことに注意。また、補償金不要という主張も当然成立しえる。私的複製の範囲や自由さを維持するために導入された私的録音録画補償金の趣旨からすれば、この補償金という手段をもって「違法コンテンツからの私的複製」をも私的複製の範囲内に留めておくこともまた可能ではないかと思われる。

○複製態様に応じた徴収法を検討すべきではないか?
(エンドユーザーによる個別支払いへ道を拓くなど。)
 録音・録画機器と記録媒体との両方に課金することの妥当性? 小売価格に対する低率で課金することの妥当性? また、その率の妥当性?
 実質的に補償金を支払っている者(機器・記録媒体メーカー)の妥当性? 本来の支払い者であるエンドユーザーが直接支払うことも出来ても良いのでは?
 ラフな分配だけを行なっていることの妥当性? 分配先を支払い時に指定する方法も検討に値するのではないか。

※私的録音録画小委員会においては、各権利者団体による具体的な分配実態を公表させることで、分配の適切さについて議論すべきである。最低でも、分配対象となる権利者の数、分配額(平均だけでなく最高額・最低額も含めたデータとして)、分配額を決めるための基準(そのデータ)などは公表すべきである。
社会に対し多大な負担をかけている以上、各権利者団体はそれくらいの情報公開を行なってしかるべきだ。

※アナログとデジタルを区別する必要性を改めて問うべきであろう。アナログを補償金対象外とする“論理”のもとで、逆にデジタルなら何でも補償金対象とすることは不合理である。なぜならデジタルでの私的複製の多くは、複製元コンテンツに取って代わることのできないデジタル圧縮を介したものだからである。“アナログでの私的複製は劣化するため権利者の不利益が大きくない”とする“論理”はデジタル圧縮技術(不可逆のもの──代表としてはiPodへのMP3やAACが挙げられる。実はCDからMDへの私的複製もデジタル圧縮された音声である)にもそのまま当てはまる(当てはまらなければおかしい)。

※どの程度デジタル圧縮すれば「不利益」とならないかについては議論の余地もあろう。私見では、MP3ならば128k、映像ならばYouTube程度の劣化があれば元コンテンツの利用を妨げることは無いかと思われるが。
個人 私的録音録画補償金にかかる議論で検討すべき論点

 私的録音録画補償金については、文化審議会著作権分科会法制問題小委員会での前期(2005年度)1年間の議論で数々の論点が採りあげられた。検討の中心となったのはハードディスク内蔵型録音録画機器・汎用機器および記録媒体・政令指定であったが、他にも二重徴収の問題や分配・共通目的基金の問題なども指摘された。私も意見募集を通じて少なからぬ指摘を行なったところであるが、これを吸い上げたかのような委員意見も若干見られた。

ところが、この法制小委の検討を引き継いで補償金制度自体を議論するはずの今期・私的録音録画小委員会は上記論点をなかなか消化できないでいる。下手をすると議論されずに終わってしまうのではないかとの危惧すら覚えるところである。
 そこで私が検討を望んでいる論点を整理するとともに、本意見募集の場を借りて私の意見もまとめることとした。

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目次

【1.議論に先立つもの】
●1-1 大前提
1-1-1 エンドユーザーが納得できる理論を構築すべき
●1-2 議論の当事者
1-2-1 私的録音録画小委員会
1-2-2 忘れられた重要当事者

【2.現行制度に感じる疑問】
●2-1 「補償」の検討
2-1-1 私的複製の範囲
2-1-2 「不利益」の存在
2-1-3 複製権ありきの考え方
2-1-4 私的領域に及ばない知的財産権
2-1-5 「補償」されるべきもの
2-1-6 不当な「補償金」と、負のインセンティブ

●2-2 「そもそも論」として
2-2-1 フェアユース類似規定創設の必要性
2-2-2 「違法コピー」喧伝の詐欺性

【3.疑問の検討】
●3-1 現行制度創設時の論点を洗い直せ
3-1-1 メディアシフトが全く検討されていない
3-1-2 制度創設の根拠はレンタル・放送
3-1-3 「不利益」の正体を明らかにせよ

3-1-4 スリーステップテストの精査を
3-1-5 デジタル・アナログを区別する妥当性は?
3-1-6 メーカー悪者説に固執する、信義則を忘れた権利者
3-1-7 再検討すべき他の手段
個人 【4.前期法制小委で指摘された論点】
●4-1 ハードディスク内蔵型録音機器・録画機器
4-1-1 タイムシフト目的の私的録画
4-1-2 プレイスシフト目的の私的録音、そしてiPod等の汎用性
4-1-3 機器・媒体一体型の指定は著作権法上予定されたものか?

●4-2 二重徴収問題
4-2-1 法解釈からの議論、そして契約法と一般慣行

●4-3 補償金を課すのがおかしい態様
4-3-1 所有著作物(複製物)からの私的録音・録画
4-3-2 「コピーコントロール」された著作物(複製物)からの私的録音・録画
4-3-3 レンタルした著作物(複製物)からの私的録音・録画
4-3-4 ネット配信で購入した著作物(複製物)からの私的録音・録画

4-3-5 友人からの借り物からの私的録音・録画
4-3-6 放送番組からの私的録音・録画
4-3-7 私的録音・録画時には複製元を所有していたが、その後売却した場合
4-3-8 自作曲や非著作物から、自ら行なった私的録音・録画

●4-4 メディアシフト・プレイスシフト・タイムシフト
4-4-1 対価支払い済み著作物につき、上記目的の私的複製は補償金の対象外とすべき
4-4-2 上記目的の複製に使われたCD-RやMD
4-4-3 ハードディスクは有限期間しか使えない
4-4-4 上記目的の私的録音・録画につき技術的保護手段の回避も認めるべきではないか

●4-5 汎用機器・記録媒体
4-5-1 録音や録画に使用している場合
4-5-2 録音や録画に使用していない場合

●4-6 政令指定
4-6-1 基本は現行通り
4-6-2 規定を簡略化すべきか?

【5.これからの制度】
●5-1 私的録音録画補償金制度廃止の可能性
5-1-1 補償金制度はDRMとは両立しない
5-1-2 既に家庭内に存在する著作物(複製物)について

●5-2 暫定的に改善すべき点
5-2-1 分配の透明性確保
5-2-2 共通目的基金は廃止・縮小すべきか?
5-2-3 返還制度
5-2-4 制度の周知

●5-3 これからの補償金制度
5-3-1 録音・録画機器への課金をやめよう
5-3-2 付加価値をつけたCD-Rの市場投入が可能ではないか?
個人
【6.議論のされ方について】
●6-1 審議会(小委員会)の進行
6-1-1 意見募集の必要性
6-1-2 迅速な情報公開
6-1-3 とりわけ議事録公表を速くするために
6-1-4 余談だが──
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【1.議論に先立つもの】

●1-1 大前提
1-1-1 エンドユーザーが納得できる理論を構築すべき
 著作権制度自体の在り方としても言えることだが、エンドユーザーが納得できる理論を構築していく必要がある。かつては各権利者団体や法学者・実務家の間で納得しあっていれば済んでいたのだろうが、著作物利用(あるいは使用)においてエンドユーザーも重要な位置を占めるようになっているからである。その理由については、エンドユーザーの各々が情報発信の手段を得たり、著作物の複製を可能とする機器を所有したりしていることなど、多くの識者によって指摘されるとおりであろう。

 とりわけ、私的領域内における著作物の扱い(この場合は「利用」ではなく「使用」と呼ぶべきものばかりではないかと個人的には考えるが)に関する取り決めをおこなう場合、エンドユーザーの納得が得られなければ制度自体破綻することは間違いない。著作物を扱うのがエンドユーザー自身であり、私的領域内においては各々の判断が全てだからである。著作権制度が維持できるか否かはエンドユーザーの理解如何にかかっていると言ってもいい。

 では現行制度にエンドユーザーが納得できていないことが多いのは何故か。権利者側が不当にも決めつけているような「無知」や「意識の低さ」から来るものでは決してない。現行制度の設計・検討にあたり、エンドユーザーを納得させるだけの論理性に乏しいことが原因なのである。また著作権制度の前提として想定されているものと社会常識との乖離が著しいことも一因だろう。

ひとつの論点について、仮に現行の著作権制度を変更しなくてもいいと結論するとしよう。しかしこの場合でも、論理的検討を一通りすませ、その検討内容を後からでも参照できるように最低限すべきであろう。そうすれば周知不足によってエンドユーザーの「理解」が不充分だったとしても、自ら学ぶ方法が確保されることになる。過去の議論を理解したうえで制度に評価を下すことができるわけだ。

 もっともその「参照」できる情報は、著作権制度の説明を一方的に行なうのではなく、制度設計時の論理的検討をふたたび辿らせられるような詳細さで用意されている必要がある。最初の議論の段階で、論理的には粗い検討しか行われていないとしたら論外ではあるが。
 なお著作権制度については、研究者でないかぎり、過去に遡って審議会の内容を精査することは難しい(議事要旨しか掲載されていなかったり、そもそもある年以前はインターネット上で参照することすらできない)。私的録音録画補償金制度はその創設時において詳細な検討がなされていたのか否か。現状の文部科学省・文化庁サイトではそれすらも判りづらい。
個人 ※もちろん、権利者にとっても録音・録画機器メーカーにとっても納得できる内容でなければ私的録音録画補償金制度の運用は覚束ないだろう。よって、これら三者をつなぐのは論理か妥協しかない。私はこのうち前者を重視している。

現行補償金制度は後者によって構築されてはいなかったか。制度創設の議論に加わらず私的録音・録画問題の当事者となってしまった者からは、全く説得力のない制度として酷評されているように見受けられる。「妥協」で制度設計を行なったところでその合意内容が脆いということは、権利者団体・メーカーの双方に合意内容を反古にするかのような発言が見られることからも判る。

●1-2 議論の当事者

1-2-1 私的録音録画小委員会
 現在、私的録音録画小委員会において私的録音録画補償金制度に関する議論を行なっているところであるが、その委員構成は以下のようになっている。

権利者代表 6名
 日本レコード協会
 日本音楽作家団体協議会
 日本芸能実演家団体協議会
 日本放送協会
 日本民間放送連盟
 日本映画製作者連盟
メーカー代表 3名
 電子情報技術産業協会
 日本記録メディア工業会
ユーザー代表 2名
 主婦連合会
 IT・音楽ジャーナリスト
学識経験者・実務家 7名

実のところ、私的録音・録画をおこなうエンドユーザーは消費者団体の構成員とは一致しない。よってエンドユーザーの考えが小委員会の議論に反映されないという危険がある。エンドユーザー代表としての人物をもう数名追加すべきであろう(数としてのバランスからもそれが妥当である)。
 エンドユーザーというものは、極端な話、国民の全員がこれに該当する。このようなエンドユーザーの大部分を包括する団体の創設など極めて難しいものであり、また現行の消費者団体のような形で仮に結成できたとしても、エンドユーザーの多種多様な意向を汲み上げていくことは不可能に近いと思われる(また残念ながら現行の消費者団体は私的録音・録画問題に積極的に取り組んできたとは言い難い)。
 私的録音・録画にかかる論点を収集・検討していく意味でも、大々的な意見募集を早急に実施することが必要である。従来のような報告書をまとめる段階になっての意見募集では遅すぎる。まず意見募集をおこない、寄せられた意見・疑問から浮かびあがる論点をもとに「そもそも論」を議論していくべきである。
 できることなら、意見募集を幾度かにわたりこまめに行なっていくことが望ましい。議論の推移に応じて反応を見ていくことができるからである。
個人 1-2-2 忘れられた重要当事者
 私的録音録画補償金を議論する場には、この問題において重要な当事者であるレンタル事業者も含めるべきなのではないか。なぜなら著作物利用者として大きな存在であり、私的録音・録画問題ではエンドユーザーが著作物入手法として多く利用することに加え、私的録音録画補償金の導入時にその根拠として挙げられていたのがレンタルCDだったからである。
しかも私的録音録画補償金制度が創設される以前から、レンタルレコード・レンタルCDについて私的録音前提の貸与権使用料で権利者の利益が確保されていたという経緯もある。この補償金と貸与権使用料との関連性については、現在もレンタル事業者とJASRAC(ジャスラック)との間で言い分が食い違っている。これを解決する意味でも、レンタル事業者を議論の場に参加させるべきである。
 最低限、レンタル事業者(CDVJ)と著作権者(JASRAC(ジャスラック))との双方から意見を聴取し、私的録音録画小委員会の場で検討することが必要である。

【2.現行制度に感じる疑問】

●2-1 「補償」の検討
 私的録音録画補償金を理解しようとして感じる疑問は数多い。しかも過去の議論(特に創設時のものなど)を紐解いても、残念ながらその多くが解消しえない。今まで本質的な議論が重ねられて来たのか正直疑わしいほどである。今もなお「そもそも論」からの検討を求める声が多いのは、こうした過去の経緯からしても当然なのではないか。
 現行補償金制度は、エンドユーザーが私的複製を行なうことに対する権利者への「補償」である。あるいは自由に行なえるとする私的複製にかかる権利制限に対する「補償」であるという解釈も示されている。しかしながら、こうした根本的な部分ですらエンドユーザーが理解するための手掛かりは少ない。過去の議論では観念論に終始し、具体的な話として説明されていないためだ。

2-1-1 私的複製の範囲

 これまで法制問題小委員会で、「私的複製の範囲」の見直しについて議論されていたとされる。しかし意見募集に付された報告書案を見る限り、私的録音録画小委員会での議論を待って検討をしていくとの方向性が打ち出されているようである。これでは法制小委としての役割を果たさずに議論を丸投げするような無責任な結論と言わざるを得ないが、ここではさて置く。

 私的録音録画補償金制度はあくまでも私的複製の範囲内での行為について適用されるものであるから、私的複製の範囲自体を左右する法制小委の議論を待たずとも検討することはできる。私的複製から外すべきという録音・録画態様が法制小委の議論で指摘されれば、それも補償金から外せば済むだけの話だからだ(私的複製の範囲から外れた無許諾複製は当然違法となる)。
 しかし私的録音・録画の議論においてはもうひとつ、重要な論点を提示しておきたい。私的複製として考えられる録音・録画態様のうち、“権利者へ、経済的不利益を具体的に発生させているもの”だけに補償金を課すべきである──ということだ。
個人 2-1-2「不利益」の存在
 私的録音録画補償金問題において、「不利益」という言葉はかなり観念的な意味合いで使われているようである。もちろん法学用語としての性質もあるが、本問題のような社会生活を左右しかねないものについては、一般国民が理解できるような具体的定義が必要である。

 私的複製にかかる権利制限が定められているために権利行使を“我慢”させられることが権利者の「不利益」であるとの説明も散見される。しかし著作権制度本来の趣旨からすれば、著作物の商用利用(すなわち著作物が私的領域へ入っていく場面)からの正当な対価を保障するのが本道であって、私的領域へ入ったあとの著作物視聴に新たな対価を発生させる必要があるのか疑問である。
いちど私的領域に入った著作物については、それが正当な対価(無償も含む)によって入手されたものであるかぎり、その著作物(複製物)からの利益還元は既になされているからだ。

 確かに、私的録音・録画によって私的領域内での著作物視聴は拡大していると言える。しかし所詮は同一人(あるいはその家族)による視聴である。私的複製物を視聴することも、入手した大元の著作物を繰り返し視聴することも同じであり、権利者が新たに得るべき「経済的利益」の発生は考えられない。具体的には、たとえばあるCDを持っている者がそれをiPodに録音できなかったと言って、新たに配信楽曲の形で買い直すか──ということだ。

一般的な消費行動として、それはまず考えられないところである(同一著作物の新たな複製物に付加価値があれば別だが、それとて買うかどうかはユーザー自身の判断次第である)。私的複製に権利者の「不利益」を推定するということは、同一著作物を何度も重ねて購入することを推定するのに等しい。これは現実からあまりにかけ離れた前提と言わざるを得ない。
 また、逆のアプローチでも考えてみる。

もし私的領域内で私的複製や視聴をするたびに支払わねばならない金銭が発生するとすれば、エンドユーザーは著作物の購入という行為そのものを行なうだろうか? ビジネスモデルとして、権利者・流通業者・エンドユーザーの三者間で合意されたもの(適切な価格が設定されたペイパービューなど)が存在すれば別であろうが、これに近い負担を著作権法で強制することは、エンドユーザーにとっての著作物(複製物)購入のインセンティブを失わせる。

このような権利者の新たな「利益」は不当なものであるとすら言える。繰り返しになるが、著作権制度が著作物流通からの利益還元を意図するものである以上、経済的な動きが生じない私的録音・録画にまで無条件に「利益」を想定するのはおかしい。
個人 ※著作物パッケージを一家庭内で複数買うことが殆どない──という一般的消費行動は、著作権に対する意識とはまったく別の問題である。むしろ同じ人間に同じ著作物を何度も買って貰えるという権利者側の考えの方が甘い(そこまで著作権法が面倒を見る必要はない)。

著作権者・著作隣接権者に新たな創作へのインセンティブを生じさせるという考え方からすれば、むしろ家庭内での著作物取扱いへの課金を認めるべきではない。このような課金は既発著作物を繰り返し売ることで金銭を巻き上げる“錬金術”を誘発し、新たな創作が抑制させる原因となる。

2-1-3複製権ありきの考え方
 “我慢イコール不利益”の考え方と表裏一体なのが、“まず複製権ありき”という考え方である。確かに国際条約上は、まず第一義として権利者へ複製権が付与されている。しかしスリーステップテストに適合することを条件として、公益や各種権利との調整から権利制限を行なうことは各国の立法に委ねられているところである。日本なりの論理構成でもって権利者と利用者とのバランスを図ることはできる。

 ところで、そもそも複製権を無条件で付与することは現代社会に合致した考え方なのだろうか? 私的領域内に複製機器が全く無かった時代ならいざ知らず、私的録音・録画にかぎらず著作物を複製する手段がいくらでも入手可能になって久しい。複製権と私的複製とのバランスをどう取るべきなのかという問題はいつも指摘されているところではあるのだが、実はこれと逆の意味で指摘されるべきなのではないか。
 これまでの著作権制度の前提がおかしかったのではないか、と。

2-1-4 私的領域に及ばない知的財産権
 複製技術(特にデジタル機器を介したもの)の普及によって著作権制度が危機に陥っている──とのフレーズは権利者側からよく連呼されているところである。しかし複製権以外での著作権制度の設計を見てみると、著作物の使用(視聴など)や利用(送信など)については私的領域にまで及ぶとされていない。著作権以外の知的財産権についても市場での保護が第一義であって、私的領域内での“使用”にまで権利を及ぼして禁止してしまおうという設計はされていない。

とすると一つの疑問が出てくる。複製権においても、市場利用と私的領域での使用とを同じように禁止権が及ぶものとする当初の前提自体がおかしいのではないか。単に昔は複製機器の普及が遅れていたために、このような誤った“前提”による歪みが顕在化しなかっただけのように思える。

現行著作権法でも私的録音・録画以外の場合、たとえば講演内容をメモする、講義の板書をノートに写す、研究用に論文をコピーする、写真を撮る(これなども時として著作物の有形的再製となる)──などの行為も含めて「私的複製」とされている。こうしたものは一般国民の知的活動の一環であって、さらには過去の知識・技術を体系的に習得することで今後の表現活動へと繋げていく行為と言える。ここで複製権が及んでしまって「私的複製」が禁止されるような事態になってしまえば、「知る権利」や「表現の自由」はもちろん、国民が文化的な生活を送ることをも阻害することになりかねない。
個人  私的録音・録画についても同様である。放送番組や映画・コンテンツパッケージ、あるいはCD・レコード等の視聴は映像・音楽文化を国民が吸収するのに極めて効果的なメディアであることは明らかである。しかも私的録音・録画が可能となったことでこうした文化に接する機会・時間が拡大していることも明らかであり、もし私的録音・録画を前提とした著作権制度が設計できないとしたらそれは時代に逆行する社会を標榜することに他ならない。今後の映像・音楽文化を再生産していく次世代から機会と可能性を奪うこととなる。

 また、著作物(複製物)を購入することでエンドユーザーに認められるべき利用態様というものがある。いれもの自体は有体物として存在するコンテンツパッケージでは比較的擬制しやすい財産権的アプローチでの論理構築が必要であり、またインターネットなどで流通する無体コンテンツについても同様に“財産”としてのみなしが必要であると思う。
 たとえば音楽CDや映像DVDであれば、エンドユーザーがわざわざ購入する以上、相当回数の視聴が可能でなければおかしい。
そしてその視聴態様について限定的な拘束が(不当にも)生じてしまうのはおかしい。このことはエンドユーザーがCDを購入する際の売買契約の“前提”として現に意識されている上に、エンドユーザーの今後の文化的・知的活動を保障するという意味から言っても、こうした正当な視聴を著作権制度によって妨害・抑制することは不適切きわまりない。

 著作物パッケージではその物理的制約により、視聴態様がしばしば限られてしまう(レコードでは室内で視聴するしか方法がない等)。たとえば再生機が持ち運びできなかったり、あるいは多くの事例があるように再生機自体が世代交代して生産されなかったりした場合である。このような時に私的録音・録画によってエンドユーザーは自身の“財産”たる著作物の視聴機会を繋いできたのである。

古くはレコードから私的録音したカセットテープをウォークマンで聴くこと(プレイスシフト)、現在ではCDから私的録音したiPodで音楽を聴くこと(プレイスシフト)、メディア破損の危険が少なくない自動車内において私的録音したCD-Rを視聴すること(メディアシフト)、あるいはレコードでしか発売されていない音楽をCD-Rにメディアシフトすること──など、私的録音・録画ができなかったら過去に購入した著作物パッケージが著しく不便に(酷いときは只のゴミに)なってしまう。こうしたコンテンツの一部は新たなメディアなどでも流通しつづけるが、かつて旧メディアで購入したエンドユーザーはその新メディアでの再購入を強制されるのは理不尽だと言えるだろう。

 無体コンテンツについても同じことが言える。むしろファイル形式やDRM・再生環境を限定した仕様で流通している分、著作物パッケージよりもメディアシフト・プレイスシフトの必要性が生じてくる。これを単純に売買契約の問題として片づけるには深刻すぎ、エンドユーザーが当然に認められるべき私的複製の保証が検討されなければ、コンテンツ流通自体を危うくすることとなるだろう(エンドユーザーが理不尽な商品に対して下す最終判断は「不買」である)。
個人 以上のように、私的領域内において常識の範囲内(現行著作権法での「私的複製」の範囲)で私的録音・録画を行なうことについても、権利の存在を前提として著作者らの「不利益」をすぐ認定してしまうのはおかしいのではないか。むしろエンドユーザーが著作物を入手するのと引き替えに支払った対価(それは無償のものも含まれる)によって保障されるべき自由視聴の範疇だ。
 言ってみれば、エンドユーザーが私的領域内で完結させる私的録音・録画は視聴と同義なのである。

著作権制度のありかたとして、まずは市場での著作物利用から対価を得さしめることを第一義とし再構築する必要がある。私的領域での著作物利用に制限をかけるのは、あくまでも市場での利用に影響ある不当なものに限るべきである。
私的録音録画補償金においては、権利者に具体的な「経済的不利益」を生じさせる複製態様についてのみ「補償」する(すなわち課金する)よう制度改正すべきである。

2-1-5 「補償」されるべきもの
 私的録音・録画を行なうことで、私的領域内での著作物視聴が拡大することは間違いない。この結果として新たな著作物の購入・視聴を連鎖的に誘発していくことは、私的録音・録画のプラスの効果として充分意識されるべきである(たとえば友人間でのCDの貸し借り及び私的録音が、自らが消費できる金額以上の音楽以上の音楽体験をもたらし、その後のCD購入機会を増やすという事実に注目しなければならない)。もっとも私的録音・録画問題ですぐさま槍玉に挙げられるのは私的複製そのものの「不利益」とやらなのだが。偏った議論と言わざるを得ない。

もし私的録音・録画によってエンドユーザーが何らかの経済的利益を得ているのであれば、権利者への「還元」もまた考えねばならないだろう。しかし私的録音・録画を行なっているのは著作物(複製物)を所有する本人(またはその家族)なのであって、録音・録画できなかったとしても元々の著作物を視聴すれば事足りるだけだ。そのままでの視聴が不便であって、私的録音・録画をすることで利便性向上を図れるために著作物視聴が拡大するのである(私的録音・録画ができないとすれば単に視聴機会が失われてCDが売れなくなるだけである)。

 正当な対価を支払って入手した著作物(複製物)を何度でも好きな形で視聴することは、コンテンツパッケージを購入した所有者に認められて然るべき権利である。こうした利便性確保だけを目的とした私的複製に「補償」が必要──と頭ごなしに決めつけるのは不合理なのではないか。言ってみれば、欠陥品を売りつけられたユーザーが自らの努力で改良して物品を使いこなす際に、元の売り手に追加料金を支払えと求めるようなものである。

 現行法で私的複製とされる態様で作られたものであっても、その複製物が私的領域外に出てしまえば「目的外使用」として著作権侵害とみなされる。
個人 また、私的領域内での複製であれば、その複製の量が多くても「不利益」とはなりづらいものと考えられる。極端な話、私的複製の数は、シフトできるメディアの種類の分だけ必要となる。しかもこのような形だろうがなかろうが、個人が視聴目的で幾つも幾つも同一コンテンツを複製することはまず考えられない(せいぜいCD-Rバックアップ、パソコン、iPodくらいなものであろう。あとは並び替えや編集したCD-R程度)。そしてそのうち同時に聴かれる複製物などはごく僅かである。同一家庭内では聴く人間が同じであって、私的録音・録画をしようがしまいが同じことだ。プレイスシフトで聴く時間が多少は増えるが(これは明らかである)、1日24時間しかないのは誰も同じである。

私的領域内でどんなに私的複製を行なったところで、すればするほど著作物の使用が無限に拡大するというものでもない。
 私的複製が権利者に与える「不利益」が大きくないということに加え、権利者が本来得るべき「利益」がどんなものかということもまた検討する必要がある。本来得るべき「利益」が得られなくなるからこそ「不利益」となるのだから。それ以外の“甘い見込み”や“獲らぬ狸の皮算用”“希望的観測”の分は「不利益」ではない。

私的録音・録画問題において、著作物の流通はいくつか考えられる。CDや配信などでの正規売買。あるいは放送などの二次利用である。他にも中古売買があるが、これは正規売買に準じて考えれば良い(中古売買自体から権利者は利益還元を受けることはできないが、最初の販売時点で充分な利益を得ている。また生産しなくなったコンテンツパッケージについては中古売買でしか入手できないのであって、むしろ権利者側が中古品店に手数料を支払うべきであろう。文化を流通させつづけ、時代の中を生きながらえさせているのが中古品店らなのだから)。

 正規の商業利用による「利益」を精査し、これが得られなくなる因果関係が明らかな場合にこそ権利者の「不利益」を認定すべきであって、まずそうした録音・録画態様を特定すべきなのである。

2-1-6 不当な「補償金」と、負のインセンティブ

 著作権制度の問題というよりは経済的な問題であって余談になってしまうかもしれないが、メディアシフト(CDからMD、CDからPCなど)やプレイスシフト(PCからiPod、CDからCD-Rに録音しカーオーディオ視聴するなど)といった用途の私的録音・録画に「補償金」の名目で賦課金を発生させることは、エンドユーザーが著作物購入をするインセンティブを失わせる原因になる。私的複製に料金を発生させようとしたソニー製「レーベルゲートCD」が、「コピーコントロール」への拒否とともに市場での生き残りすら叶わなかった事例もある通りである。CD-Rへの焼き付けが許されなかった時代の日本製音楽配信が全く普及しなかったことも同じ原因による。
個人 著作権制度は、複製以外の利用態様ではfirst saleからの利益還元を意図した設計が採用されている。代表的なのは譲渡権の国際消尽原則だ。複製権についても同様の考え(ただし市場への影響を考えれば、私的複製物を私的領域の外に流出させないことは大前提となろう)で臨むべきと考える。経済的な動きが生じない(本来支払うべき金を払わなくて済むという場合を除く)態様の私的複製にまで権利者の「利益」を推定し、それを「還元」させようとする制度設計はおかしい。エンドユーザーの理解など永遠に得られまい(ひどいときは著作権制度とともに葬り去られることとなろう)。

●2-2 「そもそも論」として

2-2-1 フェアユース類似規定創設の必要性
 日本の著作権法は、権利制限の範囲が米国法よりも広く取られているとの評価もできるところではある。しかし権利制限にかかる議論や、新しい技術の出現を阻害する事実を見るかぎり、利用者の権利が充分に確保されているとは言い難い。そこで米国法のフェアユースに類似した概念を(例えばスリーステップテストを要件にするなどして)導入し、一般権利制限規定を権利制限個別規定との並行で規定できないだろうか。

※もっとも現行の私的複製のすべてが「エンドユーザーの権利」であって無償・自由とすべきものだとは言えないだろう(逆も然り)。無償・自由とすべきか、有償・自由とすべきか、その峻別をきちんとしておかなければ、いつまでも私的複製の問題は解決しない。

 著作物(複製物)を購入するエンドユーザーの権利を意識することが肝要である。たとえばCDなどは、当のレコード業界が「半永久的」に聴けるものとして売り出したものである。「半永久的」との表現が適切かどうかは別としても、エンドユーザーがCDを買うときの意識としては“今後ずっと聴く権利を買った”というものである。

これに加えて、“自由な態様で聴く権利を買った”という意識も存在する。自分で購入した著作物、あるいは所有している著作物について、エンドユーザーが私的録音・録画を行なうことの裏側にあるのがこれである。
 著作物(複製物)を売買することが一般的なものであり、エンドユーザーの上記意識が社会常識と言える以上、こうした私的録音・録画が無償・自由で行なえるようにする必要がある。フェアユース類似の規定をすべきである。
 デジタル技術で私的複製を妨害することが可能となる今後、この問題は大きく注目されることは間違いない。

2-2-2 「違法コピー」喧伝の詐欺性
 パソコンを使った私的録音・録画については私的録音録画補償金の対象外とされる。汎用機器・記録媒体への課金が難しいことが理由だが、補償金が課金されていない以上そのまま私的複製規定が適用される私的録音・録画ということになる。よってこれは適法行為である。
個人 仮に現行補償金制度の精神を尊重するのであれば、パソコンでCDからCD-Rへ私的複製する際に音楽用CD-R(補償金が課されている)を使うことで補償金支払いを実質的に済ますことも可能である。それにもかかわらず、レコード業界はこの私的録音を「違法コピー」と名付けて喧伝し続けている。本来なら「音楽用CD-Rを使ってください」とでも言えば済む話だというのに。

そればかりか、レコード業界が「コピーコントロールCD」というパソコンでの視聴すら妨害する物品を市場に投入した。これはCDの規格を逸脱した上に、購入したエンドユーザーに再生を保証しないという商品の名に値しない代物であった。
 現行補償金制度へのエンドユーザーの理解が一向に進まないのは、業界側が全く補償金制度の周知活動を行なわないことに加え、以上のような行動にも原因がある。もともとは私的録音・録画を有償かつ自由とすることを前提に導入した補償金制度でありながら、それを当事者のレコード業界自身が反古にするという事態なのだから誰の理解も得られまい。

 「コピーコントロールCD」とやらを市場にバラ撒いている間も、レコード業界は(従来と変わらない額の)補償金を受け取り続けていた。これでは二重・三重の意味で「詐欺」と言わざるを得ない。現在の補償金に対するエンドユーザーの反発は、レコード業界自身が引き起こした自業自得である。

くりかえしになるが、私的録音・録画にかかる補償金制度のもとでは、私的複製そのものを禁じるような重DRMは撤廃されるべきである。補償金制度下で重DRM状況が続く現在のままでは、エンドユーザーの理解が得られない上に補償金制度を廃止する理由になり得る。

※なおCDの規格内ではコピーコントロールは実現できない。今まで流通していた「コピーコントロールCD」は再生を保証できない欠陥品ばかりである。商道徳上不適切と指摘されるべきものであり、再販制等の優遇措置を多く受けておきながら行なう商行為として決して許されるものではない。もっとも実態の伴わない欠陥品だったとしても、売り手本人が「コピーコントロール」を標榜している以上、私的複製補償の対象から外すべきではあろう(主張する権利者側の責任として負うべき問題である)。

【3.疑問の検討】
●3-1 現行制度創設時の論点を洗い直せ
3-1-1 メディアシフトが全く検討されていない
 現行の私的録音録画補償金制度が創設される際に念頭におかれていたMDは、その用途はユーザーが自ら所有するレコード・CDからのメディアシフトが主である。議論当時も音楽入りMDはわずかしか売られていなかったし、また現在にいたっては音楽入りMDは殆ど扱われていない。所有するCDをMDに私的録音するだけでは、権利者に与える不利益が全く存在せず補償金を課す必要がない。
個人 しかしメディアシフトの多くが不利益を生じさせないことは全く考慮されていない。メディアシフト用途の私的録音・録画を課金対象から外すなど、見直しが必要である。

3-1-2 制度創設の根拠はレンタル・放送
 制度創設時から現在にいたるまで、補償金制度の必要性はレンタルCDや放送からの私的録音・録画にあるとの説明がなされているところである(文化庁担当者や法学者らによる文献より)。エンドユーザーが自分で購入したレコード・CD等からの私的録音・録画について全く触れられていないことは前述のとおりである。これだけでも現行制度の妥当性が疑わしくなるが、根拠として挙げられたレンタルや放送ですら問題なしとしない。

まずレンタルでは、貸与権使用料との関係が問題となる。私的録音録画補償金制度に先がけて貸与権が創設された際、レンタル利用者の私的録音が前提として議論された。またレンタル料金に占める貸与権使用料の率が高いことも、ユーザーによって私的録音されるからとのことである。現状、レンタル事業者の団体は補償金と使用料とが「二重取り」であるとし、また権利者団体側の見解はそれと異なることが判っている。

 私的録音録画補償金創設にかかる著作権法改定の国会審議で、貸与権によってレンタルCDからの私的複製にかかる補償は解決済みと考えられる旨が確認されてもいる。エンドユーザーにしてみれば、レンタルCDからの私的録音・録画については補償金を課さないとの運用が論理的であると考える。

※補償金制度が創設された前後で、貸与権使用料の減額があったのか否かを含め、当事者双方から意見聴取し検討する必要がある。
 放送については、タイムシフトが考慮されていない。「必ずしもタイムシフトでないものもある」という理由にならない理由で無視された模様だ。本来ならばタイムシフトは課金しないものとし、それ以外の用途となるものを特定すべきだったろう。現行制度の設計は論理的だとはとても言えない。
 実は、放送からの私的録音・録画に補償金を課す必要があるとの理由がひとつだけ示されている。それは「ライブラリー目的」のものである。これは確かに、コンテンツパッケージとして販売される時の代替として機能する可能性はある。
 しかしながら、記録媒体に私的録音・録画する形態の録音・録画機器しかなかった以前ならともかく、現在ではタイムシフトやプレイスシフトにしか使われない録音・録画機器が登場している。ただデジタル録音・録画するからといって一括で扱うことは私的録音・録画実態と法の前提との齟齬が大きくなるだけである。是正すべきだ。
 ハードディスクレコーダーは、ハードディスクという壊れ物が動く間だけのタイムシフト専用機器でしかない。逆に、CD-RやDVD-Rは一度しか書き込めない「ライブラリー目的」専用の記録媒体と言える。そもそも論からすれば、前者には課金の必要がないし、後者には課金することが論理的な判断であるだろう(ここでは放送からの私的録音・録画に限っている)。

なお現在の私的録音実態の中では、放送からのものが極めて少ないことが判っている(対照的に、私的録画は放送からのものが殆どである)。
個人 3-1-3 「不利益」の正体を明らかにせよ
 なぜ私的録音・録画が権利者の「不利益」なのか。具体的に、どのようなメカニズムで「不利益」を発生させているのか。
この疑問は現行補償金制度創設時の議論の際にもメーカーから提起されていたにもかかわらず、制度創設を進めた文化庁や権利者側からの回答は全くなかった。いまだに「不利益」のメカニズムは(私的領域に及んでいない複製権を前提にしたものしか)説明されていない。
 この問題は「そもそも論」として最も根本のものである。

現行制度では忌避されている(全く考えようとしない)ように見えるが、私的録音録画補償金という制度が数あまたいるエンドユーザーの理解を得ていかねば存続できない以上、この根本の疑問を明らかにしなくても済むというものではない。

 不利益を具体的に与える態様・与えない態様でもって課金する・しないを決めるべきであるし、そもそも「不利益」の存在が補償対象の私的録音・録画で認められないのであれば補償金制度は廃止すべきである。

国際条約上の判断や法学上の用語を含めて検討していく必要はあるだろうが、最終的には国民全体で理解し運用していける論理を構築していかねばならない。現行の補償金制度は僅かな“関係者”だけでもって妥協したものでしかない。もっと多くの当事者(エンドユーザーも当事者である)が理解できるような根拠をしめすべきである。

3-1-4 スリーステップテストの精査を
 現行の私的録音録画補償金制度に関しては、スリーステップテストについて極めて粗い議論しかなされていない。制度創設の説明の中で文化庁や審議会は、さまざま考えられる私的録音・録画の態様について全く考えず一括して扱っている上に、「社会全体として」などという奇妙な方便でもって曖昧な「不利益」の存在を述べるという形をとっている。これでは国民の理解を得られるとは到底考えられない。

私的録音・録画問題は行政・法学者の間だけで“解釈”できていれば済むものではない。国民全体として共有していける論理・概念を用意しなければならない。
 国際条約上の議論については、行政・有識者が内容をまとめ広く知らしめていく必要があろう。そのためにも、国民全体を巻き込んだ議論を審議会で行なうべきである。審議会内でなあなあのスリーステップテストをやっているようでは、問題解決も遠い。

3-1-5 デジタル・アナログを区別する妥当性は?
 現行の私的録音録画補償金はデジタルの私的録音・録画のみを対象として設計されている。こうした設計の理由としては「デジタル録音・録画の方がアナログよりも簡単・手軽にできる」「デジタル録音・録画はコピー時の劣化がない」「(制度創設当時)対象となる機器・記録媒体がまだ少なく、課金を始めても市場が混乱しない」などの理由が制度創設当時に説明されていた。
個人  しかしながら、これらは課金対象からアナログを外すための方便に過ぎない感が強く、アナログとデジタルを区別する根拠には乏しい。次のような反論が可能である──「アナログ録音・録画が不便だと言っても時間がかかるか程度のものでしかなく、簡単・手軽にできる点は同じである」「デジタルでもコピー時に劣化するものがある。データ圧縮技術をどう考えるのか」「制度改定の後の製造分から課金するとすれば、アナログでも市場を混乱させない」「iPod等はすでに市場に多く出回っており、これから課金すると却って混乱が大きくなるのではないか」。

 そもそも論として、アナログとデジタルを区別する必要があるのか否か、しっかり検討しておく必要があるのではないか。また、現行制度の前提を良しとするのであれば、デジタル録音・録画でも劣化した圧縮音声・映像の場合には課金対象から外すべきである。

※アナログに課金すべきとの議論もあり得るところである。しかしながら、それでメーカー側と合意が可能なのか定かではない。ここで合意できるくらいなら、現行補償金制度の範囲内で定率課金から定額課金に変更できそうなものだ。

3-1-6 メーカー悪者説に固執する、信義則を忘れた権利者
 私的録音・録画によって誰が得をするのか──などという論点を持ち出し、私的録音・録画機器の普及の“責任”をメーカーに負わそうとする権利者の態度を「メーカー悪者説」と呼ぶ。これは私的録音録画補償金制度創設の前からあった言い分であり、むしろこれを権利者側が不問にすることで補償金制度が成立したという経緯がある。

しかしそもそもの話、私的録音・録画の存在をメーカーだけに起因するかのような指摘は不正確である。音楽や映像などのコンテンツが存在しなければ私的録音・録画は問題にならないし、またコンテンツを運ぶCDや放送・レンタルなどの流通方法も私的録音・録画発生の一因である。
逆に、メーカーが再生機を販売しなければCDやDVD等のパッケージコンテンツや、音楽配信ですら不可能となってしまうことも指摘できる。

著作物(複製物)を販売することで権利者が利益を得るというビジネスモデルが一般的になっている今、メーカーをどうこう言うことが如何に愚かなことか判るというものだ。むしろメーカーが新たな機器を開発していくことで、コンテンツ販売のビジネス機会が広がっていることを無視してはならない。

※メーカーが再生保証を否定した「コピーコントロールCD」が殆ど売れなかったことなどがその証左となるだろう。また、生産終了した旧規格のメディアがコンテンツ市場からも急に消えていく場合も同様である。
個人  現行補償金制度ではメーカーが補償金徴収の協力者として位置づけられている。つまりメーカー自身の機器・記録媒体の非から「補償」しているのではなく、あくまでも「補償金」の支払者はエンドユーザーなのである。こうした画期的な位置づけ(おそらく現行補償金制度の設計で唯一の論理的判断と言える)によって制度導入が可能となったのである。ここへと辿り着くのに、権利者側とメーカー側との画期的和解を経ていると聞く。

 しかしながら、今でも「メーカー悪者説」を公言して憚らない権利者が後を絶たない。団体を代表して参加しているはずの審議会においてすら、(議事録で発言内容が残るのに)メーカーの“非”を主張する者がいる。それどころか支払い義務者をメーカーにすべきなどという、補償金制度の前提を反古にするような意見すら出している。
 こうした現状は、現行の補償金制度ですら維持が難しいという証拠なのではないだろうか。権利者側は本当に補償金制度を存続させる気があるのだろうか?

 補償金額は現在定率で決められているが、これを定額に改めることすら出来ないでいる。現行制度の硬直化は、実は権利者とメーカーとの関係がもたらしているものと考えられる。
 「メーカー悪者説」の放棄をまず権利者側に認めさせねばならないのではないか? それができなければ、現行補償金制度を廃止すべきであろう。制度の維持も改定も全く出来ないようになるのだから。

3-1-7 再検討すべき他の手段
 補償金制度創設前においては、補償金という手段の他に私的録音・録画問題を解決する手段が幾つか提案されていた。著作物流通の上流(レコード販売・CDレンタル・放送など)での徴収や、税金型の補償金制度(権利者への分配ではなく「共通目的事業」的な支出に充てる)などである。
 これらの手段は、補償金制度創設の前段階で検討し否定された経緯がある。税金型の補償制度については「共通目的基金」として一部導入されたとも解釈できるが。

しかしながら、エンドユーザーが著作物(複製物)を購入する際に私的複製をも含めた対価を支払っていると考えれば、著作物流通の上流での徴収と形の上では同じことになる(私が前者の主張をしているのは、そもそも私的複製の「補償金」は必要ないと考えるからだが)。また補償金分配の透明性がきちんと確保されない限り、「共通目的基金」を廃止することは難しく、逆に割合を増やしていくことも未来の制度のあり方としては考えられる。

こうしたことを含め、他の手段での解決策も再度検討すべきなのではないか。特に現行補償金制度を廃止することになれば、私的録音・録画が権利者に与える「不利益」を明らかにした上で、それを解決する手段を広く検討することになる。先の検討では無碍に捨てられたアイディアが実は今後有効になっていくことも充分考えられる。

【4.前期法制小委で指摘された論点】

●4-1 ハードディスク内蔵型録音機器・録画機器
個人 ハードディスク内蔵型録音機器(具体的にはiPodなどのデジタルミュージックプレーヤー等)および録画機器(具体的にはハードディスクに録画する形のレコーダー)への補償金課金については、制度自体の検討を2年間行ない、その後結論を出すとされた。
 私的録音録画補償金制度を根本検討することは当然必要なことである。その中には、所有するコンテンツの私的録音・録画に補償金を課すべきか等、論じなければならない点が多い。

4-1-1 タイムシフト目的の私的録画
 ハードディスク内蔵型録画機器の使用は、放送からの録画を行なう場合が殆どである。しかし限定された期間しか使えないハードディスクという物理的制約により、その私的録画は「タイムシフト」用途に限定される。タイムシフトは権利者に「不利益」を生じさせるものではなく、課金は必要なかろう。

※ただしハードディスク内蔵型録画機器とDVD記録機器が一体化しているものについては、DVD記録機器の使用に関してのみ課金すべきとの考え方もある。こちらは「アーカイブ化」用途であると推定できるからである。

4-1-2 プレイスシフト目的の私的録音、そして汎用性
 ハードディスク内蔵型録音機器は、パソコンを介したプレイスシフトを行なうのみである。特にiPodから他の場所へデータが移動することは無い(最近のiPodではiTunes Storeから購入したコンテンツのみパソコンへ引き出せるようになったが、これも再生時に認証が必要で、購入した本人でなければ聴けないようになっている)。プレイスシフトは基本的に権利者の「不利益」を生じさせないものである。課金は必要ない。

ところで、現行補償金制度は専用の録音・録画機器のみを対象としており、汎用性のあるものについては対象外としている。パソコンやデータ用CD-Rはこの汎用機器・記録媒体にあたり、課金について別論とされる。また音楽を聴く手段として一般化しつつある携帯電話についても、本来の機能は通話にあるため補償金の議論から外されている。

 ではデジタルミュージックプレーヤーについてはどうか。iPod等には最近多機能なものが多く、音楽を聴く以外の用途で使われることが少なくない。写真表示・読書・スケジュール管理・時計・英会話学習・ポッドキャスティング(補償金とは無関係である)・映像視聴(配信などで合法入手したもの)など。このような用途での使用が実態として広がっていけば、iPod等が汎用機器化していくことは間違いあるまい。iPodが汎用機器であるために課金相当でないとする論点も存在する。

4-1-3 機器・媒体一体型の指定は著作権法上に予定されていたのか?
 法制小委の報告書においては、機器・媒体が一体化したものを著作権法が予定していたのかという論点が提示されている。これについては法技術的な問題でしかないのだろうが、ひとつの論点として検討され、論理構築のもとで一定の結論が出されることを期待したい。
個人 ●4-2 二重徴収問題

4-2-1 法解釈からの議論、そして契約法と一般慣行

私的録音録画補償金が私的録音・録画に対する「補償」とされている以上、本来の著作物利用あるいは著作物視聴から権利者が得るべき利益と、私的録音・録画から受ける権利者の「不利益」の両方を検討し、その結果で「補償」の内容を決定すべきである。
 この利益と「不利益」の両方については、著作権法だけでなく契約法や一般慣行などとのバランスも考慮すべきかと思われる。すなわち売買やレンタル・放送といった、著作物が私的領域内に入る経路における契約において、私的録音・録画についてどのような前提で権利者・エンドユーザー間の(間接的な)合意がなされているのかという問題である。

 「二重徴収」問題は前記法制問題小委員会においてネット配信のみ注目されていたが、これに限った話ではない。私はむしろ、エンドユーザーが購入した著作物(複製物)やレンタル・放送・友人間貸借などで入手した著作物(複製物)についても問題としたい。
 つまり既に私的録音録画補償金の対象とされている私的複製の範囲についても、その課金が相当であるかどうか再検討する必要があると考えているのである。

●4-3 補償金を課すのがおかしい態様
4-3-1 所有著作物(複製物)からの私的録音・録画
 まず大前提として、所有する著作物(複製物)に対しては権利者が得るべき対価は既に支払われている(中古購入したものについてもfirst sale時に支払い済みである──中古売買合法の根拠)。そこで問題になるのは、著作物(複製物)を購入することでエンドユーザーはどこまでそれを自由に扱えるのかということである。これは当該著作物売買にかかる契約の解釈や、購入後の財産権の問題ではないかと思われる。

 私的録音・録画問題で言えば、たとえばCDを買うことで音楽を(私的領域内で)自由に聴く権利を得たと考えられるか──である。メディアシフト(CDからMDに私的録音、CDからパソコンを介しiPod等に私的録音するなど)はそうした自由に視聴する権利を行使したものなのではないか。そう考えれば、当該著作物の私的録音・録画に補償金を課金することは「二重徴収」ということになる。

 特にCDの場合には、私的録音は売買の前提となっている(売る側も私的録音が可能であると意識している)。ここで私的録音を抑制しようとすれば一般的慣行に反し、市場からの強い拒否反応を受けることとなる。「コピーコントロールCD」の失敗が代表例である。

※なお「コピーコントロールCD」が市場から撤退する際には、発売レコード会社から“iPodに私的録音して音楽を聴くというユーザーニーズを無視できなくなった”旨の発表が為されたところである。これは、レコード業界がiPod等での私的録音を前提にCD販売を続けている証拠といえる(念のため付記しておくが、今はまだiPodに補償金が課せられていないのである!)。
個人 コピーコントロールという点で言えば、すでにスーパーオーディオCDやDVDオーディオ等の次世代音楽メディアで実現されている。しかし私的録音が自由に行なえる標準CDが市場の大部分を占めている。これだけ私的録音・録画が拡大していると言われながら、である(もっとも調査によれば、補償金制度創設時より減っていることが明らかになっているが)。

 はっきり言えば、標準CDで発売されている著作物は私的録音されることが織り込み済みであることは明らかなのである。
 エンドユーザーが自ら所有している著作物(複製物)については、私的録音・録画は無償・自由とすべきである。これが可能だからこそ当該著作物を購入しようとするのである。

4-3-2 「コピーコントロール」された著作物(複製物)からの私的録音・録画
 「コピーコントロール」を謳っていながら、実際その機能は全く果たしていないものから私的複製した場合である。もし機能を果たしているのであれば、あらかじめ想定された範囲内での私的録音・録画しか行なえないわけで、当初の対価に私的録音・録画分が織り込まれていると考えられる。補償金を課する必要はない。

 機能を果たしていない場合、実際には私的録音・録画が行なわれるかもしれない。しかし権利者側が意図して事実に反した「コピーコントロール」を明示している以上、私的録音・録画が行なわれていないものとして扱うのが公正というものであろう(「コピーコントロール」を喧伝しながら補償金もせしめるという、権利者側の“言ったもの勝ち”の状態ではあまりにも不公正である)。

私的録音録画補償金の分配は、私的録音・録画全体に占める各著作物の録音・録画回数を推定して行なわれているのであって、コピーが自由に行なえる著作物(複製物)と「コピーコントロール」された著作物とを同じに扱うのは問題がある。当然「コピーコントロール」された著作物の方が私的録音・録画回数の目減りがあるものとして考えるべきである。

 そもそもコピー制限と私的録音録画補償金とは両立しない(前記のように重みづけを変えて分配に差を付けるのは難しかろう)。ならば「コピーコントロール」しているものについては、いっそのこと補償対象から外すという考え方もある。たとえば映画著作物のビデオやDVDはコピーガード(必ずしも著作権法上の「技術的保護手段」とは限らないが)がかかっているため、補償対象とはされていない。私的録音・録画から補償金を受け取ろうというのであれば、「コピーコントロール」を行なわないインセンティブを生じさせるべきである。その方が公正な制度が実現できる。

※いまの私的録音録画補償金制度が全く不健全な形で存続しているのは、権利者側が従来と同じように分配を受けていながら「コピーコントロール」ないしDRMでの私的録音・録画の制限を行なっていることが原因である。またこれゆえに、エンドユーザーからの理解も全く得られていない。本来ならば、補償金を取るか「コピーコントロール」を取るかという話なのである。
個人 4-3-3 レンタルした著作物(複製物)からの私的録音・録画
 レンタルCDに関しては、エンドユーザーが私的録音を行なうとの前提で貸与権が創設され、貸与権使用料が決定されたという経緯がある。ここで権利者の得るべき利益は確保されているのであり、ここから行なう私的録音に関しては補償金を課すべきものとは考えられない。「二重取り」は避けなければならない。

ただしCDVJとJASRAC(ジャスラック)とでは見解が異なっており、双方から意見聴取した上で検討を加えることが必要であろう。特に、補償金制度導入の前後でもって貸与権使用料の減額が行なわれたのか否か、調査が必要である。本来レンタル事業者も私的録音・録画問題の当事者であり、利用者代表として私的録音録画小委員会へ招くべきだった。

レンタルビデオ・DVDからの私的録画については、私的録音とは少し事情が異なる。
 レンタルビデオについてはコピーガードが機能していることから補償対象とはされていない(またレンタルビデオから複製するには技術的保護手段の回避を要し、私的複製の範囲外とされる)。それとは対照的に、DVDには技術的保護手段が付されているとは一般的に考えられていない。実質的にはコピーガードがかかったものと同じ状態になってはいるが、パソコンを介することで私的複製が可能となっている。

 よってレンタルDVDについてエンドユーザーの私的録画が前提となっているのか検討の余地がある。実際問題としてDVDコピーが可能なことが判っていながらDVDを提供する権利者がエンドユーザーの私的録画を認めている──と推定することは可能だろうか。

※レンタルに限らず、実際に私的録音・録画が可能な仕様で市場投入される著作物(複製物)が、エンドユーザーの私的録音・録画を前提としているのかについて検討しなければならない。エンドユーザーは対価を支払って当該著作物を入手しているのであり、補償金の要不要は大きな問題となる(エンドユーザー側からすれば可能な私的録音・録画を織り込みずみであり、その上で適正価格を判断している)。
 まぁ私的録音・録画では割に合わないほど販売著作物(複製物)が安くなれば、そもそもの問題が発生しなくなるのだが(一部の映画DVDについては、現状それが言えるのではないか)。

 エンドユーザーから見れば、利用許諾契約に関して「善意の第三者」の立場にあるだけに、権利処理の内容を知ることは殆どできない。しかし権利処理の内容を(上記検討を通して)知ったら知ったで、購買欲を削ぐ結果になる可能性はある。
 しかしそれは権利者側がエンドユーザーを引きつけるビジネスモデルを構築できなかったためであり、言ってみれば著作権制度が手当てすべきものではない。著作権制度側としては、権利者の得るべき利益をシビアに特定し、それを最低限保証するにとどめるべきである。
個人 4-3-4 ネット配信で購入した著作物(複製物)からの私的録音・録画
 配信の仕様として採用されたDRMとの兼ね合いが問題となる。これは私的録音・録画をあらかじめ想定した著作物(複製物)売買ということが言え、その後の私的録音・録画に補償金を課すことになれば「二重徴収」となるのではないか。当初の売買で対価は支払済みである以上、補償金を課すのはおかしい。
 この見解は前期法制小委で大半を占めていた印象がある。私も同感だ。

4-3-5 友人からの借り物からの私的録音・録画
 これはまぎれもなく私的複製の範囲内である(ただし友人から借りた著作物を自分で複製する場合に限る。複製物を受け取るのでは、厳密には私的複製とはならないのではないか)。
 本来の購入を代替するという性質は否めないところ。私個人としては、ここに補償金を課すのはやむをえないと思う。

※ただしこうした私的複製が次の購入を誘発するという一面を無視してはならない。文化的側面から言っても、エンドユーザー各自の可処分所得以上の著作物に触れる機会を得るということで、未知の文化に触れること、次なる購入を促すこと、自ら著作物を創作していく切っ掛けになることにも繋がる。

日本レコード協会らがこうした私的複製をその範囲から外すよう要求しているようであるが、これは自らの首を絞める行為といわざるをえない。ただでさえ再販制によって不当な高値でレコード・CDが売られているところ、これ以上エンドユーザーに購入を強制することは不可能である。友人からCDを借りて聴くこと(また私的録音すること)を禁じたところで、音楽を聴くこと自体をやめるだけの話である。また、レンタル(これを非合法化することは不可能である)を利用すれば同じ私的録音が可能である。

 むしろ友人間の貸し借りを活発化し、少子化と共に減り続けている音楽愛好家を増やす方策を考えることが先であろう(CDを安くする、音楽配信への楽曲提供を促進する、自由に音楽が聴ける環境を整える等)。もっともレコード業界が自滅したところで音楽文化が壊滅するとは到底考えられないわけだが。音楽文化の創造は、実際に演奏活動を行なっている者たちが担っているのだから。

 販売されているパッケージ(著作物の複製物)からの利益や、現行補償金制度による記録媒体(音楽用CD-R等)による利益を確保するのも方法のひとつではあろう。今後さらに、個人による個別の支払い方法を(現行のメディア課金との選択制として)用意してはどうだろうか。
 売られているCDほどの対価ではなくとも、友人から借りたCDを聴くことに際しわずかばかりでも対価を支払いたいと思っている者は少なくないはずである。しかし現行制度のラフな分配では期待する人物に補償金が渡らないおそれが強い。こうしたニーズに応えるきめ細やかな制度運用が望ましいところである。
個人 4-3-6 放送番組からの私的録音・録画
 放送番組はエンドユーザーに届く前から既に権利者への対価が支払われており、私的録音・録画ができない仕様で送信されているのでないかぎり権利者の「不利益」とはならない。特にタイムシフト用途の私的録音・録画であれば補償金を課さずとも行なえるものとすべきである。

 私的録音について、補償金制度を創設した頃からは激減している。当時はFMラジオ等からの録音が多かったのだが、今では所有CDからのメディアシフトが圧倒的に多い。ここでは放送に関する権利者の「不利益」は無視できるところまで行ったと言えるだろう。
 私的録画については、「アーカイブ化」目的のものについて検討する必要がある。これが本当に権利者の「不利益」になるのか否かである。あえて権利者への補償を考えるとすれば、現行制度の手法による記録媒体課金で充分対処可能である。タイムシフト専用機の存在を考えれば、当該録音・録画機器を新たに課金対象とする必要はない。

4-3-7 私的録音・録画時には複製元を所有していたが、その後売却した場合
 この場合については、現行法では私的複製の範囲に含まれる(売却についても譲渡権が消尽したあとなので適法)。

 しかしながら権利者に対する「不利益」が生じるか否かについて意見の分かれるところではないだろうか。結果的には著作物(複製物)を購入しないで私的複製にとどめるのと同じだが、最初の購入において権利者への対価は支払われている。もっとも売却後、それを中古購入し所有する第三者の存在も想定されるわけで、中古購入に関してfirst saleで対価支払い済みと考えている以上、本来権利者が得るべき利益を(後の中古購入者ではなく)最初の中古売却者が損ねているという考え方もできる。
 補償金を私的録音・録画の事後で支払う方法を確保できれば多少は「不利益」を緩和させられるのではないだろうか。

※もちろん、私的複製物を残さずに著作物(複製物)を売却するのなら単なる財産権の行使にすぎない。私的複製物があるから著作物(複製物)を処分できた場合に限った話である。
 また、ここで述べたような私的複製をその範囲から除外すべきとの意見も見られるところであるが、それには私は反対である。そもそも規制・取締りの実効性が期待できないことも鑑みて私的複製規定が存在するのであって、またこのような「不利益」を生じさせかねない私的複製を有償・自由とするための補償金制度なのである。私的複製の範囲をいじらずに処理する方法を模索すべきである。

4-3-8 自作曲や非著作物から、自ら行なった私的録音・録画
 こうした録音・録画に対しては、もとより補償金を課すいわれはない。現行制度下でも返還制度の対象となる(ただし実効性を確保しなければ正常化しない)。
 パブリックドメイン入りした著作物についても同様である。
個人 ●4-4 メディアシフト・プレイスシフト・タイムシフト

4-4-1 対価支払い済み著作物につき、上記目的の私的複製は補償金の対象外とすべきいわゆる「二重徴収問題」の一例である。
 エンドユーザーが自ら対価を支払って入手した著作物(複製物)に関しては、メディアシフト・タイムシフト・プレイスシフト用途の私的録音・録画を無償・自由で認めるべきである。つまり補償金を課さないとすべき。

たとえば手持ちCD・レンタルCD・配信音源・放送音源においては、その著作物(複製物)が私的領域に入る際に権利者が得るべき対価は既に支払われている(なお放送の場合は、エンドユーザーに届く前に対価が支払われており、あとはCMをめぐり、放送局とエンドユーザーとの間の問題となるだけである)。
 パソコンやiPod等で音楽を聴くこと・映像を鑑賞することが一般的となっているため、現在の私的録音・録画では所有著作物(複製物)のメディアシフトが大半を占めることとなっている。このことは補償金制度創設時の前提とは大きく異なっている(メディアシフトの存在自体はあったのだが‥‥)。

4-4-2 上記目的の私的録音・録画に使われたCD-RやMD
 権利者への「不利益」を生じさせない以上、補償金を支払う必要はない。
 また記録媒体への課金により支払われた補償金については返還すべきではないか。
※もっともエンドユーザー自身が認めた支払いについてはその限りではない。

4-4-3 ハードディスクは有限期間しか使えない
 ハードディスク内蔵型の録音・録画機器について、ハードディスクは有限期間しか使えない(壊れやすく、またその予測が難しい)という特性から、プレイスシフトあるいはタイムシフト用途でしか私的録音・録画できないことは明らかである。

 ハードディスクが経年劣化により破損することは一般的に知られているところであり、もし私的録音・録画した内容を保存しておきたいと希望するエンドユーザーであれば、別メディアへのバックアップを行なうところである。すなわち、メディアへのバックアップ時にのみ補償金を徴収するとした場合でも現行補償金制度の趣旨は全うできる。
 この際、DVD-Rを使用した場合には「ライブラリー化」目的であると推定している。ここでDVD-RWなど、複数回書き込めるものについてはタイムシフトの可能性もあるので検討が必要と思われる(ユーザーの自己申告制とする方法もある)。以上のような理由から、ハードディスク内蔵型の機器に補償金を課す必要はない。
個人 4-4-4 上記目的の私的録音・録画につき技術的保護手段の回避も認めるべきではないか
 図書館が資料保存のために技術的保護手段を回避して複製を行なうのは著作権法上禁止されてはいない。これと同様にエンドユーザーにも、自ら購入した著作物(複製物)を視聴しつづけるためメディアシフト(つまり私的複製)の権利を認めるべきである。

※新たなメディアで新品商品を売りたい業界側は、さまざまな形でエンドユーザーの所有著作物(複製物)視聴を妨害するのではなく、いかなる付加価値を提示し買ってもらうか模索するのが本筋というものであろう。そうした方が新たな創作へのインセンティブを生じさせ、市場や文化を豊かにする契機となる。

●4-5 汎用機器・記録媒体

 汎用機器と言えば、その代表はパソコンである。現にパソコンを介して私的録音・録画される著作物(複製物)は少なくないと思われる。しかし私的録音・録画にパソコンを使わない人も決して少なくない。汎用記録媒体についても同様であろう。
 汎用機器・記録媒体への補償金課金を検討するにあたり、そのパソコンの利用実態は無視できない。私的録音・録画に使い場合とそうでない場合に分けて考える必要がある。

4-5-1 録音や録画に使用している場合
 方法はともかくとしても、補償金を課すという妥当性なしとはしない(あくまでも私的録音・録画に使用している場合に限定した話である)。
 しかしながら、その使用が本当に「補償」すべき複製態様なのかを検討する必要がある。前述の「4-3 補償金を課すのがおかしい態様」参照のこと。

4-5-2 録音や録画に使用していない場合
 ここに該当するユーザーは非常に多い。調査によればPCユーザー全体の半分程度が私的録音・録画にはパソコンを利用していないとの回答がある。仮に汎用機器・記録媒体にも補償金を課すこととした場合、かようなユーザーからも徴収するとなると財産権の侵害となりえる──すなわち憲法問題にもなりかねないとされる。従って前期法制問題小委員会でも課金は相当でないと結論された。私も同感である。

もし返還制度がきちんと機能するのであれば、半分程度のユーザーに返還することを覚悟で課金するという選択肢もある。しかしこれだけの人たちに補償金を返還することは可能なのだろうか。せっかく集めた補償金を返還費用で食いつぶしてしまうと危惧されるところだ。
 ならば別の方法は考えられないか?エンドユーザーの自己申告による個別徴収が可能となれば、いくらかマシな状態になるように思われるのだが(完全に課金できないとしても、一部を得ることはできる)。
個人 ●4-6 政令指定
4-6-1 基本は現行通り
 現行の補償金制度では、補償金の対象となる録音・録画機器と記録媒体は政令(著作権法施行令)で定められている。これは著作権法の改正なしに政令の改定だけで対象機器・記録媒体を指定できる仕組みとなっているものだが、実際には去年のように審議会上で議論が紛糾して指定できないこともある。

この指定方法を変えるか否かという論点も前期の法制問題小委員会では話し合われた。しかし現行通り維持すべきとの報告が出されている。簡単に指定できてしまうとメーカーが安心して機器を発売できないわけで、補償金制度を維持すべきか廃止すべきかは別として、政令指定の方式を変える必要は確かに無いと私も思う。

4-6-2 規定を簡略化すべきか?
 政令指定関係の議論において指摘された論点がもうひとつある。それは施行令の第一章を見れば判るとおり、指定のされ方が極めて細かいということだ。技術仕様を文章で表現し、これによって課金対象の機器・媒体を特定することとなっている。はたして、この表現の簡略化が必要なのか否か。

個人的には、文化庁で示すガイドラインが適切に提供されれば問題ないのではないかと思う。現にこの規定ぶりで混乱が発生しているわけでもない(混乱するにしてもメーカー側で処理することだろう)。それに、仮に技術仕様で規定しないとなると何で指定するのだという話にもなる。品名やメディア名でやれるだろうか?あるいは採用規格名?独自名称などで規定抜けが発生したときの対処はどうするのだろう。

現行規定で何か問題でもあるのか、ということをまず示さないと議論に入れない。そして新たな指定方式のアイディアを一緒に出さないと。いずれにせよ、それはエンドユーザーの仕事ではなさそうだ。
※あえてエンドユーザー側がこの規定ぶり(理解の困難さ)に直面するとしたら、新たな指定がなされたときで検証が難しくなるという程度か。

【5.これからの制度】

●5-1 私的録音録画補償金制度廃止の可能性
 私的録音・録画によって生じる不利益が小さなものであれば、私的録音録画補償金を存続させる理由はない。私的領域内での著作物利用の態様が変化し、「補償」の必要がないと認められれば私的録音録画補償金制度を廃止するということは当然議論されるべきであろう。

 特に現行制度は、正当な対価を支払って入手した著作物(複製物)の私的複製については全く考慮されないでいる。権利者に「不利益」を与えない複製にはメディアシフト等の態様があるにも関わらずだ。
 そして今後の話。著作物利用の環境変化によって補償金制度の存続自体を問わねばならないところにまで来ている。
個人 5-1-1 補償金制度はDRMとは両立しない
 私的録音録画補償金は、エンドユーザーが行なう私的録音・録画に課せられたものである。つまり私的録音・録画が行なえない前提で売られている著作物(複製物)の権利者には補償金を分配する必要がない。いわゆるコピーガードのかかった著作物(複製物)から私的録音・録画をすることは不可能とされているからだ(理論上は)。

現に、映画著作物のビデオやDVD(いずれもコピーを行なえないような技術を採用している──DVDについては著作権法上の技術的保護手段には当たらないとの見解もあるところだが)については補償金の分配先から除外されている。

では、数回だけの私的録音・録画を可能としているDRMについてはどう判断すべきか? 複製が自由に行なえる無DRMの著作物(複製物)と同じ扱いになっているのはおかしいと言わざるを得ないだろう。
 設定された可能複製回数に応じて補償金の額を調整するのが論理的というものであろう(可能回数が少なければ、そのぶん推定される複製の回数も減るはずなのだから)。それが出来なければ、DRMのかかった著作物はすべて補償対象から除外すべきである。

 補償金制度が存在する以上、私的複製を抑制するような仕様の著作物を販売することはエンドユーザーの制度への信頼を裏切るに等しい。
 なお複製可能となってしまうような拙い“コピーガード”がかけられていた場合、それは権利者の言い分を尊重し補償金分配対象から外すべきであろう。どのようなコピーガード技術を採用するかは権利者の勝手であって、その不手際まで著作権法が面倒をみる必要などない。コピーコントロールについても、実態と権利者の主張を比較し可能複製回数の少ない方で判断すべきである。

5-1-2 既に家庭内に存在する著作物(複製物)について
 まずDRMがかかった著作物(複製物)であれば、私的録音・録画の複製元となっても補償金の対象とする必要はない。私的複製が権利者によるコントロール下にあるからである。DRMがかかっていない著作物(複製物)ならば、それは権利者が私的複製を容認しているものと推定することが可能である。
 もっとも現行の補償金制度下で発売された無DRMの著作物(複製物)──具体的にはCDを指す──については、補償金の存在を前提に販売しているとの考え方もできなくはない。こうした場合、基本に戻って考えるべきだと考える。

 そもそもエンドユーザーが無償・自由で認められるべき私的複製というものが存在するのか否かということである。私は、前述のとおり、自分で購入した著作物(複製物)については私的複製に補償金を課す必要はないと考えている。逆に、複製元の著作物をどう入手したかによって、補償金を支払っても良いのではないかと思われる態様も無いわけではない。
 その意味では、CDというものが全く使われなくなるまでは、補償金制度を完全に撤廃するためのハードルが高いように思われる。CDの利用がどの程度すくなくなれば補償金制度撤廃が可能となるか、そのあたりも検討に値する。
個人 ●5-2 暫定的に改善すべき点
5-2-1 分配の透明性確保
  sarahやSARVHといった補償金を直接徴収する団体は無論のこと、JASRAC(ジャスラック)等のような主たる分配先権利者団体についても分配手法の透明化を図るべきである。前期法制問題小委員会で報告された内容では不足と言わざるをえず、分配先の件数(権利者数)や平均分配額・最高額・最低額・分配決定プロセスおよびそれに供するデータなど、ユーザーの理解を得るのに必要となる情報がきちんと公開されるよう、文化庁からも指導していくべきである。

 分配に正確性を期すためには、私的複製実態の把握を行なうためDRMを利用し自動化するとの議論もありうるだろう。しかしこれは行き過ぎと言わざるをえない。プライバシーの問題も発生してしまうからだ。情報提供に同意したエンドユーザーに限るなどの工夫が必要であるし、自動で実態把握する方法よりも、むしろアナログ的に自己申告で行なう方がエンドユーザーの同意を取りやすいものと考える。

 現状のDRMでは、あらかじめ許諾された範囲内の複製に限ってそれを可能とするような仕様のものが主流である。情報収集を自動化するような追加機能は、技術的には可能であっても実行には移すべきではない。おそらくエンドユーザーの反発を受け、当該DRMの普及を妨げるだけの結果に終わるだろう。

※こう言っては身も蓋もないが、エンドユーザーと権利者自身の双方が納得できるような徴収法でありさえすれば、そう正確さを追求する必要はない。今の分配の「不透明」さが問題になっているのは、エンドユーザーが実態把握できないからであり、権利者から異議が出てこないかぎりは情報公開のみで現行の分配方法を維持することもできる。

 エンドユーザーが納得できる仕組みを構築するとすれば、投げ銭的に補償金を支払うという方法が考えられる。たとえばエンドユーザー自身が私的複製の元著作物を申告し、分配先を指定する形で個別に支払うものである。もちろん複製元を知られたくないエンドユーザーについては従来のラフな分配で「おまかせ」できる。こうした個別徴収を選択肢のひとつとして用意できれば、エンドユーザーの納得を得ることも可能だろう。

5-2-2 共通目的基金は廃止・縮小すべきか?
 共通目的基金は、私的録音録画補償金がラフな制度設計であるがゆえに用意されているものである。私的録音・録画の実態を把握することが極めて困難なため、補償金の分配も市場での著作物利用傾向を元にしたラフな決定方法をとらざるをえない。そこでどうしても生じてしまうのが、実際には私的録音・録画されていながら補償金の分配を受けられない権利者の存在である。共通目的基金がこのような権利者への間接的利益還元という位置づけであることを忘れてはならない。
個人 仮に共通目的基金を廃止するなら、分配をより正確にしなければならなくなる。しかしどこまで正確さを期すことができるのか、そのことでエンドユーザーのプライバシーを害することがないのか、疑問が生じるところである。
 また現行の分配手法のまま、共通目的基金に供する割合を下げるとしたら、現行で多額の補償金を受けている権利者の分配が増えるだけである。共通目的基金で緩和されるとした不公正さが却って拡大してしまう。

共通目的事業の費用は税から拠出すべきとの議論も当然ありうる。しかしそれとは別に、分配の正確性が確保されなければ現行制度からの変更は合理的でないと思われる。
※なお個人的には、共通目的事業の恩恵に浴している一面は否めない。たとえば著作権情報センターへの助成などは、著作権を理解しようとする一般人にとって有益な情報提供をもたらしていることは無視できない。論理的根拠が存在するのなら共通目的基金の廃止もやむをえないが‥‥廃止論について、私は積極的には支持しない。
 逆に、補償金をすべて共通目的基金とするという考え方もあるのではないか? 私的録音・録画をいかに次の新たな創作へと結びつけていくかという観点からすれば、過去の作品を作った権利者に還元するよりも、未来の作品に対して使った方が文化のためという考え方もできる。これも一つの方法ではあろう。

5-2-3 返還制度
 その実効性を確保することが必須である。この実効性が担保されなければ汎用機機・記録媒体への補償金課金は絶対にありえない(そもそも私は課金すべきとも思わないが)。
 返還手続きを簡略化していくことが望まれ、今のように手続きに要する金額の方が返還される金額より上回るなどという状況は改善されねばならない。また、この制度の周知も(補償金制度と同様に)徹底されねばならない。課金された製品(機器や記録媒体)への記載も欠かせないものとなろう。

5-2-4 制度の周知
 現状として全く足りない。sarahやSARVHのウェブサイト上で制度概要が掲載されているにとどまっている。一時期JASRAC(ジャスラック)やレコード協会らによる周知活動(ポスター掲載やCMなど)が行なわれていたが、1年もたたずにやめてしまったようだ。

このような有様では周知を行なったとは到底言えないし、またその努力が充分であったと評価できよう筈もない。金だけをかけて無意味に終わる。
※実に皮肉なことだが、権利者団体がiPodへの課金を主張したことの方が私的録音録画補償金の存在をエンドユーザーに知らしめる結果となった。勿論、彼らの思惑とは逆の方向、すなわち補償金制度に否定的な印象を抱かせることとなったのであるが。
個人 ●5-3 これからの補償金制度
 5-2では直近の課題として改善すべき点を挙げてきた。今度は長期的な課題を考えることにしよう。
 ただし前述のとおり、私は所有著作物(複製物)の私的録音・録画には補償金を課すべきでないと考えているため、メディアシフト・プレイスシフト・タイムシフト目的の複製を課金対象から外し、権利者への「経済的不利益」を具体的に与えかねない複製態様にのみ課金するとの前提で以下の提案を述べている。そう御理解いただきたい。

※もちろん私的録音録画補償金制度自体が不要との考え方もある。しかしここでは、「不利益」を与えかねない私的複製も存在しえるとの前提で論じる(「不利益」が絶対に生じないという命題の証明は補償金制度完全廃止派の方々に委ねることとする)。私的複製の範囲についても、現行の著作権法上の規定から変更されないことを前提としている(範囲が縮小されるのであれば、それは権利者の「不利益」が生じない範囲に変更されたということであり、補償金制度も同時に廃止されなければおかしい)。

5-3-1 録音・録画機器への課金をやめよう
 現行の私的録音録画補償金制度では、政令で指定された録音・録画機器と記録媒体に課金されることとなっている。具体的には、音楽用CD-RデッキやMDレコーダー、CD-RやMD・DVD-Rなどである。ただしパソコンやデーター用CD-R等については「汎用機器」「汎用記録媒体」に分類され、私的録音・録画に使われるとは限らないため課金されていない。

 ところで私的録音・録画の専用機について考えても、この機器の方に補償金を課しているのは妥当な判断なのだろうか?一応、制度創設の際には“私的録音・録画を可能ならしめている”ものとして課金相当とされた。しかし最近はタイムシフト用途にしか使われない録画機器が登場している。ハードディスク内蔵型のレコーダーだ。これに課金することは本当に妥当だろうか。
 記録媒体に課金するのは感覚として理解できる。購入すべき著作物(複製物)を私的録音・録画で間に合わせているとすれば、テープなりディスクなりが購入され増えていくことになる。すなわち課金された補償金の積み重なりが私的録音・録画の多さに比例していく。受益者負担として理解されやすい構造だ。

 しかし機器の場合は違う。多く私的録音・録画する人も、少ない人も同じ補償金額を支払わされている。しかもハードディスク内蔵型レコーダーのようにタイムシフト用途にしか使われないものであったり、iPod等のようにメディアシフト・プレイスシフト用途でしか使われないものの場合も(政令指定されれば)おかまいなしに課金される。これではまるで録音・録画機器を所有するための“みかじめ料”のようではないか。機器への課金は、補償金をめぐる不公平感の原因となりうる。
個人 iPod等へも課金するよう求めている権利者団体は“MDを使っているユーザーからは徴収しているのに、iPodユーザーから徴収しないのは不公平だ”とユーザーが考えるかのように主張していたが、それは全くの間違いである。むしろ機器への課金自体が不公平なものなのである。
 記録媒体への課金に一本化すれば、多くの私的録音・録画を行なう者から多く徴収する形になる。機器に課金していた分を記録媒体へ上乗せし、その結果記録媒体への課金が増額したとしても致し方あるまい。公平な徴収を実現するには、そちらの方が適正なのだから。

※現状、ハードディスクレコーダーにもiPodにも補償金は課されていない。ただし現行制度の前提を維持すれば、課せられる可能性は高いものと考えられる。おそらくエンドユーザーの理解を得ることが出来ず、補償金制度が崩壊するのは間違いないが。

5-3-2 付加価値をつけたCD-Rの市場投入が可能ではないか?
 補償金の分配先をあらかじめ確定した状態で課金した記録媒体があるとすれば、付加価値をつけたものを市場に投入することが可能になるのではないだろうか。あるアーティスト専用のCD-Rを売り出すなどのことが考えられる。
 エンドユーザーからしても、私的録音のためのCD-Rを買うことと、そのアーティストへの補償金支払いが直結することとなる。私的複製をやめさせるのが不可能である以上、分配を確実に受けられる方法で私的複製をさせていった方が、アーティストにとっても合理的判断と言えるだろう。

【6.議論のされ方について】
●6-1 審議会(小委員会)の進行
 私的録音・録画問題については文化審議会著作権分科会私的録音録画小委員会で議論していることとされる。この議事進行に関して問題なしとはしない。
 委員構成について、エンドユーザー代表が不当に少ないこともそのひとつである。また今のところ論理的検討には至っておらず、各委員が自ら代表する団体の要望を述べたり、各種聴取に対する印象批評を行なうにとどまっているのが現状である。

6-1-1 意見募集の必要性
 エンドユーザー(すなわち一般国民)の考えを小委員会での議論に反映させることが困難な以上、今のままで議論を続けていくことは危険である。最終段階で行なう意見募集の中で、議論の進行に抗議・反対する意見が殺到するばかりか、その後の補償金制度自体がエンドユーザーに受け入れられず瓦解する(実効性が失われる)可能性が高くなる。

私的録音録画小委員会での議論を有益なものにするためにも、ここでの議論についてこまめに意見募集を実施し、議題に反映していくことが必要である。極端な話、会合ごとに毎回意見募集を行なってもいい。それほどまでにエンドユーザーの視点が小委員会での議論に反映されていない。
 エンドユーザーの指摘に耳を傾けず、結果として審議会(小委員会)で行なわれている議論が具体性に欠けるともなれば、議論そのものが行なわれなかったのと同じことであり、後々禍根を残すことにもなろう。私的録音録画補償金にかかる今の議論も、元はと言えば「そもそも論」を創設時に議論しなかったことが原因である。
個人  また意見募集実施の際にも、文化庁による告知について一考する必要がある。
 今期の法制問題小委員会については二度にわたり意見募集が実施されているところであるが、その告知は『e-Gov.』サイトだけで為されたのみであった。文部科学省サイト・文化庁サイトでの告知は共に見られなかった。

 こうした文化庁の姿勢は意見募集を形骸化するに他ならず、是正が必要である。従来通り文部科学省サイト・文化庁サイトそして『e-Gov.』サイトでの告知をすべて並行して行なわなければ、国民の意見を広く聞く態度を示すことはできない。

6-1-2 迅速な情報公開
 現状、法制問題小委員会も私的録音録画小委員会も、会合から1ヶ月以上も経過したあとに議事録が公表されている(その他の審議会や小委員会の開催状況、意見募集の時期などによって前後することはあるようだ)。しかしながらこの公表は遅すぎる。国民がある会合の議事内容を把握する頃には、もう次の会合が開かれているからである。

 他の省庁、たとえば総務省などは、会合から数日ほどで議事録の公表を実施している。ここまで迅速な情報公開ができないまでも、すくなくとも現状の1ヶ月から短縮することぐらいは文化庁にも可能であろう。

 ところで、文部科学省サイトにおいては議事録に先行し配付資料が公表されている。しかしこれも会合日から少し置いて掲載されることが多い。
 できれば会合の当日に資料の公開があった方が望ましい。資料を作成する時点でPDFファイルにも変換しておけば、すぐさま公表できるのではないか。印刷から資料から単純スキャンしてPDF化したものも多く見られるが、このような二度手間をかけずに、あらかじめPDF化を想定して資料作成した方が事務局の負担を減らすものと考えられる。

6-1-3 とりわけ議事録公表を速くするために
 何時間分もの議事内容を文字に起こすわけだから、会合日から期間を置いたのちに議事録公表の運びとなるのは致し方あるまい。しかし一般国民からすれば、たまたま予定が合って傍聴できた人間以外は、文部科学省サイトに掲載された議事録だけが会合の中身を知る唯一の手がかりである。それだけに、審議会(小委員会)での議論の成り行きを正確に把握していくためには、議事録が迅速に公表されていくことが必要である。事務局の今以上の奮起を望む。
個人  ところで、ここでひとつ提案したい。おそらくは文字起こしのために議事内容を録音しているかと思われる。もしそうなら、この音声をインターネットで公開しては如何か。会合当日に議事を生中継するのも方法のひとつだし、後で公開するにしても音声のデジタル録音から変換するだけなので議事録よりは早く公開できる(私的録音録画小委員会の津田大介委員に方法を尋ねてみるといい)。文字起こしでは解りにくい委員発言のニュアンスを国民が知る手がかりにもなる。委員の了解さえ取れればすぐにでも始められる上に、議事への国民の理解を得るのに絶大な効果があると思われる。

 できることなら、後の議論に資するという意味でも、文字起こしの議事録と音声記録をいつまでも参照できるようにして戴けるとありがたい。私的録音・録画をめぐる課題は、今後も引きつづき議論されていくことが間違いない。その際に、いま行なわれている議論をより正確に伝えるためには議事録と音声記録の公表が役立つこととなる。
※逆に言えば、今の議論が混乱しているのは、過去の議論の不足と公表記録の少なさが原因である。

6-1-4 余談だが──
 情報公開の新たな試みとして、著作権課長によるブログなどをやってみては如何か。
 もしブログをやるとするなら、コメント書き込みについての方針を立てておいた方が良いと思われるが。登録者に限って書き込めるようにするのが妥当な線か。基本的にはトラックバックで意見を受け付けるようにすれば、某経産省官僚のブログのようなつまらぬ「炎上」など起こらないだろう。
日本知的財産協会デジタルコンテンツ委員会 2.私的使用目的の複製の見直しについて
2〜7ページ
私的複製の問題は、私的録音録画小委員会にて検討されている私的録音録画補償金の問題と密接に関係している。いずれも重要な課題であるため二つの小委員会で議論するのはよいが、切り離して議論することは適当でない。先に私的録音録画小委員会で私的録音録画について検討し、その検討結果を踏まえて、法制問題小委員会にて私的複製全体の在り方について検討を行うという進め方に賛成する。

 なお、30条で許容する私的複製の範囲を明確にしないまま補償金の議論を進めることは適当ではない。具体的に1どのような複製が権利者の許諾を要せず、かつ無償で可能であり、2どのような複製が補償金を支払うことにより認められ(補償金制度の廃止を含めた抜本的見直しが前提)、3どのような複製が権利者の許諾を要するのか、権利者、利用者双方が納得できる私的複製の範囲について明確化し、広く意見を求めた上で、補償金の在り方や違法複製物の扱いなどについて議論していただきたい。
社団法人日本映像ソフト協会 「文化審議会著作権分科会法制問題小委員会(私的複製・共有関係及び各ワーキングチームにおける検討結果)報告書(案)」(以下「本報告書(案)」といいます。)について、以下のとおり意見を申し述べます。

1.本報告書(案)5頁「私的複製と著作権保護技術との関係について」について

 貴委員会は、「引き続き慎重に検討する」とはいえ、DVDビデオに用いられているCSSをアクセスコントロール機能のみの技術とする一方、CPPM等はコピーコントロール機能を有する技術とするご見解を示しておられますが、アクセスコントロール機能のみの技術とコピーコントロールを有する技術とを区別するメルクマールをお示しいただくことを要望いたします。

 本報告書(案)では「著作権保護技術は、それにより複製可能な範囲が制限されるものであるが、」と論じておられますので、本報告書でいう著作権保護技術は複製権保護技術を指しているように思われます。その上で、著作権保護技術によって「複製可能な範囲内における私的複製によって、権利者の利益が害されているといえる場合があるか否かについて」私的録音録画小委員会に検討を委ねています。
社団法人日本映像ソフト協会 本年1月の文化審議会著作権分科会報告書76頁では、「今後の技術動向に注意しつつ引き続き慎重に検討し、平成19年を目途に結論を得るべきものとした。」とされていますので、何がコピーコントロールで何がコピーコントロールではないのかは、法制問題小委員会が引き続き検討しておられるものと拝察いたします。
著作権保護技術によって複製可能な範囲内か否かを審議するためには、何が著作権保護技術で何が著作権保護技術でないかが明らかでなければならず、その点を審議するために法制問題小委員会にデジタル対応ワーキングチームが設置されているはずでありますが、本報告書(案)にはその審議状況がまったく記載されていません。

 貴委員会は、「引き続き慎重に検討」するとはいえ、本年1月の報告書では、CPPM、CPRM等を「コピーコントロール機能にアクセスコントロール機能を加えた技術」とする一方、CSS等を「アクセスコントロール機能のみの技術」とのご見解を示しておられます。しかし、公表されている資料をみても、CSSとCPPM等との間で技術上の仕組みに相違があるようには思われません。

しかも、1月の報告書72頁脚注53では、CPMについて、「CSSを強化したもので、暗号システムの改良とハッキング対策が施されている」と記載されています。この記述を読むかぎり、貴委員会は、暗号システムを改良した点をもってコピーコントロール機能とお考えになっているのか、それともハッキング対策をもってコピーコントロール機能とお考えになっているのか、そのいずれか一方又は両方なのか明らかではありません。したがって、コピーコントロール機能を有しているかどうかの貴委員会の判断基準をお示しいただきたいと思います。

 例えば、地上デジタル放送に関して社団法人電子情報技術産業協会がご主張されている「EPN」が著作権保護技術といえるのかどうかという問題があります。「EPN」は暗号化技術であり、しかもコピーしたファイルは正規の機器であれば視聴できますので、コピーしたファイルを視聴する正規の手段がないCSSとはまったく異なる技術です。しかるに、総務省情報通信審議会第3次中間答申では、「EPN」は著作権保護技術と位置付けられています。

「EPN」が著作権保護技術で「CSS」が著作権保護技術ではないというのは理解できないところですが、その点を措くとしても、「EPN」を著作権保護技術だと考えるかどうかで、私的録音録画小委員会の審議内容に大きな影響があるのではないかとの懸念がありますので、この点に関する貴委員会のご見解をお示しいただくことを要望いたします。
社団法人日本映像ソフト協会 2.本報告書(案)5頁「私的録音録画補償金関係」について

 DVDビデオに用いられているCSSが著作権法上の技術的保護手段ではないとすると、CSSを回避して複製するリッピング行為は補償金の対象とすべきではないかとの問題を惹起することになりますので、CSSは著作権法30条1項2号の技術的保護手段に該当するものと位置づけることを強く要望いたします。

本報告書(案)5頁では、「権利の保護と著作物等の公正な利用とのバランスを図る方策について、補償金制度で対応するべき範囲、著作権保護技術等で対応するべき範囲の検討も含め、私的録音録画小委員会において検討を進めることが適切である。」と述べておられます。
 その際、抽象的な技術論によるのではなく、具体的著作権保護技術等と具体的録画機器・記録媒体の関係を踏まえつつ、社会的実態に即したご議論を要望いたします。

たとえば、CSSはアクセスコントロールだと言われますが、その意味するところはCSSで暗号化されたファイルは、暗号化したままでコピーできるから、コピーコントロールではないが、コピーしたファイルは暗号化されているので視聴できないということだと思われます。
 しかし、CSSで暗号化されたDVDビデオの映像ファイルは、パソコンでコピーできるのでしょうか。また、仮にコピーできたとしても視聴できないファイルをつくることが、「表現したもの」である著作物の複製と考えるべきなのでしょうか。

「著作権にかかわるコンテンツの管理情報と、コンテンツの暗号化の有無がCCIとなる。」(注1)と言われるように、DVDビデオの技術的手段は様々な技術が有機的に関連しています。他の技術との関連性をみることなくその中の1つのパーツだけを取り出して著作権保護技術ではないということは、いわゆる「リッピングソフト」によって暗号化を解除して複製することに、著作権法がお墨付きを与えることになってしまうのではないでしょうか。
 また、私的録画補償金によるのではなくDRMによるべきだというご議論もあります。当協会も有効なDRMが存在するならばその方がよいと考えております。

そして、そのような立場から、DVDビデオからのコピーについてはコピーコントロール技術が採られているとの前提のもとに、著作権者は私的録画補償金は受け取っていません。ところが、CSSがアクセスコントロールでコピーコントロールではないというならば、DVDビデオにはパソコンなどの汎用機で機能するコピーコントロール技術は存在しないことになりますから、かかる前提が覆されてしまうことになります。
社団法人日本映像ソフト協会  DVDビデオからの複製に関し、擬似シンクパルスやCGMSなどの専用機に機能するDRMの存在は、専用機を私的録画補償金対象機器とすべきではないという根拠になり得ても、汎用機を対象機器とすべきではないとする根拠にはなり得ません。DRMを根拠に汎用機を対象機器にすべきでないとするためには、汎用機で機能するCSSがコピーコントロールであるといえることが必要ではないでしょうか。

 また、本年1月の著作権分科会報告書76頁では、「著作権法の支分権の対象ではない「単なる視聴行為」をコントロールする技術的手段の回避を制度的に防止することは、実質的に視聴等の行為に関する新たな権利の創設にも等しい効果をもたらすと言う意見」もあった旨記されています。
 しかし、いわゆる「リッピングソフト」を用いた複製は、「複製」であって「単なる視聴」ではありません。

仮にCSSがアクセスコントロールだとしても、アクセスコントロールを無効化して「視聴する」ことと、アクセスコントロールを無効化して「複製する」こととはまったく別個の行為であり、後者はまぎれもなく複製行為です。
 したがって、「視聴のため」のアクセスコントロール無効化行為ではなく、「視聴可能な複製物をつくるため」のアクセスコントロール無効化行為及び複製行為を制度的に防止することは、新たな権利の創設とは無関係ではないでしょうか。

DVDディスクに収録されているCSSで保護されたコンテンツを、リッピングソフトを用いてハードディスクにコピーする行為が「単なる視聴」行為なのか、それとも技術的手段を回避した「複製」行為なのか、実態に即したご判断をお示しいただくことを要望いたします。

3.本報告書(案)5から6頁「違法複製物等の扱いについて」について

 違法複製物のダウンロードは、著作権法30条1項柱書の対象から除外することを要望いたします。

本報告書(案)では、違法複製物のダウンロードについて、ダウンロードしたものを送信可能にすれば違法であるということから「違法複製物等を私的複製としてダウンロードすることについて、第30条において、私的複製の範囲から明文で除外する規定を設ける必要性があるかについては、「家庭内の行為について規制することは困難である」との第30条の立法趣旨や、「著作権者の利益を不当に害するか」等の観点に十分留意して検討する必要がある。」としています。
社団法人日本映像ソフト協会  ところで、本年1月の「文化審議会著作権分科会報告書」の6頁で「時代によって変転していく社会的必要性に応じて一定の場合に権利を制限されることは、権利者の利益と社会一般の利益との調整を図りつつ、著作権法がこれからも社会的認知を受けていくためには必要なことである。」と「1基本的考え方(検討の進め方)」に述べており、その上で、「私的録音録画についての抜本的な見直し」(同報告書54頁)をすることになっています。
「私的録音録画についての抜本的な見直し」というならば、30条2項だけでなく1項も見直しの対象だと思われます。したがって、1項が社会的必要性に応じた権利制限規定であるかどうかも是非見直していただきたいと思います。

しかも、本年6月8日に知的財産戦略本部が発表した「知的財産推進計画2006」67頁では、「海賊版が社会悪であることを国民に広く認識してもらうことが重要」としています。違法複製物は「社会悪」なのですから、本来「あってはならないもの」です。そしてそれを送信可能にすることもあってはならないことです。そうであるならば、「あってはないもの」をダウンロードする社会的必要性もあってはならないのではないでしょうか。

 また、司法救済ワーキングチーム報告書では、著作権に基づく物権的請求権を審議しています。自動公衆送信権が著作権の支分権である以上、現に違法複製物の自動公衆送信が行われているとき、著作権者は物権的請求権に基づきこれを阻止しうるのではないかと思われます。そして、自動公衆送信権侵害行為はダウンロードする者のリクエストによって開始されるのですから、ダウンロード者は、自動公衆送信権侵害について「現に妨害を生じさせている事実をその支配内に収めている者」(注2)と言えるのではないでしょうか。

そもそも違法複製物のダウンロードが著作権法30条により許されるというのは、違法複製物のダウンロード行為の実質的違法性が否定されるからではなく、形式的に30条1項柱書に該当するからだと思われます。しかし、公衆に開かれたインターネット上のファイルのダウンロードは、行為が家庭内で完結しているわけではなく、規制困難とはいえません。また、ダウンロードさせることが著作権者の利益を不当に害すると判断されているのに、ダウンロードすることが著作権者の利益を不当に害さないということはありえないのではないでしょうか。

 もっとも私的使用目的で30条1項1号及び2号に該当する複製をした場合については、類型的に可罰的違法性がないこと等を根拠(注3)に刑罰の対象とはされていません(著作権法119条1項括弧書き)。多数の人のダウンロード行為について因果力を及ぼすアップロード行為と1個の行為では1個の複製に留まるダウンロード行為とでは類型的に法益侵害の程度に差異がある点で、30条1項1号及び2号と同様に考えることは是認できるとしても、それを越えて、30条が違法複製物のダウンロードを積極的に適法だと位置付けることの正当性を根拠付ける理由をお示しいただくことを要望いたします。
社団法人日本映像ソフト協会 4.本報告書案7頁「(2)平成4年改正〔私的録音録画補償金制度〕」について

 私的録画に関しては、私的録画のせいぜい10パーセント程度しか補償金の対象になっておらず、複製をコントロールするDRMの活用が重要ですので、活用されているDRMを著作権法上の技術的保護手段として正当に位置づけることを重ねて要望いたします。
本報告書案7頁で、平成4年改正の趣旨について、次のように述べています。

「デジタル方式の私的録音録画については、広範かつ大量に行われ、さらに市販のCD等と同等の高品質の複製物を作成しうるものであること」を私的録音録画補償金制度導入の趣旨だとしています。
この記述によれば、デジタル方式の私的録音録画が、「広範かつ大量に行わ」れていることが制度導入の根拠のひとつだと読めます。

 しかし、制度導入当時、広範かつ大量に行われていたのは、デジタル方式の私的録音録画ではなく、アナログ方式の私的録音録画でした。本報告書のこの記述に類似した記述は、平成3年12月の「著作権審議会第10小委員会(私的録音・録画関係)報告書」(文化庁)73頁にあります。そこでは、現在では、私的録音・録画は著作物等の有力な利用形態として、広範に、かつ、大量に行われており、さらに、今後のデジタル技術の発達普及によって質的にも市販のCDやビデオと同等の高品質の複製物が作成されうる状況となりつつある。」と述べています。

「広範に、かつ、大量に行われており」の主語は「私的録音・録画は」ですし、「今後のデジタル技術の発達普及によって(中略)状況となりつつある。」ということは、その時点では「デジタル技術の発達普及」は実現していなかったことを意味しますから、「広範かつ大量」に行われていた複製はアナログ方式の複製です。また、第10小委員会報告書が引用する平成3年の「私的録音・録画に関する実態調査」は、カセットデッキやビデオテープレコーダー等による録音・録画を調査しているのですから、広範かつ大量に行われていたのは、アナログ方式の録音録画です。

 さらに、第10小委員会報告書73頁は、「これらの実態を踏まえれば、私的録音・録画は、総体として、その量的な側面からも質的な側面からも、立法当時予定していたような実態を超えて著作者等の利益を害している状態に至っているということができ、さらに今後のデジタル化の進展によっては、著作物等の「通常の利用」にも影響を与えうるような状況も予想されうるところである。」と続けています。
社団法人日本映像ソフト協会 ベルヌ条約9条2項は「特別の場合について(1)の著作物の複製を認める権能は、同盟国の立法に留保される。ただし、そのような複製が当該著作物の通常の利用を妨げず、かつ、その著作者の正当な利益を不当に害しないことを条件とする。」と定めていますが、第10小委員会報告書では、「著作者等の利益を害している状態に至っているということができ」るとしているのですから、アナログ方式の私的録音・録画によって、この報告の当時、すでにベルヌ条約9条2項但書の2つの条件のうちの1つである「著作者の正当な利益を不当に害しないこと」を充足しえない状況になっていたと認識されていたといえます。

 そして、「デジタル化の進展によっては、著作物の「通常の利用」にも影響を与えうるような状況も予想されうるところである。」と述べているのですから、デジタル化の進展によって、ベルヌ条約9条2項但書の2つの条件のいずれも充足しえなくなるのではないかとの予想を述べているのです。

デジタル化の進展は立法の時点では進んでいなかったのですし、第10小委員会報告書77頁は、「アナログ方式による録音・録画とデジタル方式による録音・録画とは著作物の利用という観点からは、理論上区別すべき理由はない。」と明言しているのですから、記録方式を問わず私的録音・録画が広範かつ大量に行われていたことこそ、私的録音録画補償金制度導入の趣旨と考えるべきではないでしょうか。

 昨年の当協会の調査(注4)によれば、私的録画の54.6パーセントがビデオカセットへのアナログ方式の録画であり、汎用機への録画と合わせて考えれば、補償金の対象となっているのはせいぜい10パーセント程度ではないかと思われます。そして、TV放送録画の36パーセントはライブラリー化の目的で行われています(注5)。私的録音録画問題の抜本的見直しは、広範かつ大量に行われている私的録画のほとんどが補償金の対象となっていないことを踏まえて行われることを要望いたします。

(注1)水沢勉・片山儀高両氏著「DVD/HDDレコーダーの編集機能とコピープロテクション技術」『東芝レビューVol.58ナンバー6』46頁の図4では、DVD−ROMのコピープロテクションについて、暗号化システムしてCSSを示すとともに、CCIとして「CGMS,APSTB,など」と記載されており、DVD−RAMについては、暗号化システムとしてCPRMを示すとともにCCIについてはDVD−ROMと同様の記載がなされています。
 また、47頁では、「DVDのコンテンツをHDDにダビングする場合は、DVDのVideoフォーマットやVideo Recordingフォーマットで規定されている著作権にかかわるコンテンツの管理情報と、コンテンツの暗号化の有無がCCIとなる。」と記されています。

http://www.toshiba.co.jp/tech/review/2003/06/58_06pdf/a12.pdf(PDFファイル)(※東芝ホームページへリンク)
(注2)「文化審議会著作権分科会法制問題小委員会司法救済ワーキングチーム検討結果報告」(平成18年7月)87頁
(注3)加戸守行氏著「著作権法逐条講義 五訂新版」(2006年 著作権情報センター)726頁
社団法人日本映像ソフト協会 (注4)2006年3月「映像ソフト及びAV機器の消費実態に関する調査研究報告書」(社団法人日本映像ソフト協会)78頁で、録画・ダビングするメディアについての調査結果について、ビデオカセット(VHS)54.6パーセント、DVDレコーダーやTVの内臓HDD17.8パーセント、パソコンのHDD6.2パーセント、DVD6.7パーセント、その他不明14.7パーセントとなっています。
 このうち、私的録画補償金の対象となっている記録媒体は6.7パーセントを占めるDVDのうち、データ用DVDを除いたもののみということになりますし、私的録画補償金の対象となっている複製機器は、17.8パーセントを占めるDVDレコーダーやTVの内蔵HDDのうち、TVを除いたものということになります。

(注5)「映像ソフト及びAV機器の消費実態に関する調査研究報告書」(前掲)77頁では、録画の目的は、次のとおりとなっています。
・見たい番組の放映時間に外出していたり手が離せない場合、後でみるため94.3パーセント、
・同じ時間帯に複数のチャンネルで見たい番組が重なった場合、裏番組を録画する 64.1%、
・CMを飛ばしたり、興味あるところだけ見たいので、後で早送りしながら見るために録画する 14.8パーセント
・BS,CSなどの番組を、その放送が見られない家族や友人のために録画する 9.5パーセント
・お気に入りの連続ドラマや興味のある番組を録画して、自分用に保存する36.0パーセント
レコード協会 【項目】
2.私的使用目的の複製の見直しについて

【意見】
1. 私的使用目的の複製に関する当協会の基本的な考え方
近年のデジタル化・ネットワーク化の進展を背景に、汎用機器等を用いたレコードの複製が大量かつ広範囲に行われているが、このような状況はWIPO著作権条約第10条(2)及びWIPO実演・レコード条約第16条(2)で権利制限が許容される「著作物、実演又はレコードの通常の利用を妨げず、かつ、著作者、実演家又はレコード製作者の正当な利益を不当に害しない特別な場合」に該当しないものと考えられる。

問題の根源は、そもそも著作権法第30条第1項が定める私的使用のための複製に係る権利制限の範囲が広すぎることにあり、オリジナルのCD商品等に代替し得る高品質の私的複製が急増し、レコードの通常の利用が妨げられている事態に至っている。当協会は、この問題の抜本的解決のためには、著作権法第30条第1項の改正により、零細かつ権利者の利益を不当に害さない私的複製の範囲を明確に限定することが必要と考えており、本意見書では、特に「違法複製物等であることを知りながら行う私的使用のための複製」について以下のとおり意見を提出する。

2.「違法複製物等であることを知りながら行う私的使用のための複製」は著作権法第30条第1項にいう「私的使用のための複製」から除外すべきである。

(1)現行規定においては、個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること(私的使用)を目的とするときは、著作権又は著作隣接権を侵害して公衆送信、送信可能化あるいは複製された著作物・レコードを複製源として、その事実を知りながら複製する場合であっても、著作権法第30条第1項により適法とされている。しかし、このような複製を適法とすることは、著作権等の侵害を助長することとなり適当ではない。
レコード協会 (2)第30条の立法趣旨の一つに家庭等の閉鎖的な私的領域で行われる複製に対する規制の困難性が挙げられているが、技術的保護手段を回避して行われる複製については、既に、第30条第1項にいう「私的使用のための複製」から除外されており、規制の困難性が、法改正に係る特段の障害になるとは考えられない。規制の実効性は専ら法執行の問題であり、違法複製物等をソースとした私的使用目的での複製を法規範として許容するか否かという問題とは別論である。
知的財産戦略本部の公表している「知的財産推進計画2006」では、海賊品の個人輸入ないし個人所持については、社会悪であることを国民に対して明確にし、その氾濫を防止するための検討を行うべき旨が示されており、同様の理が違法複製物等をソースとした私的使用目的での複製にも当てはまると考えられる。

(3)さらに、近時、パソコンを利用した著作権侵害に加えて、モバイル向けの違法音源提供サイトが急増しており、当該サイトをソースとした音源ダウンロードが成長段階にあるモバイル配信ビジネスの発達を阻害している実態がある。このようなモバイル向けの違法音源提供サイトは、いわゆる「掲示板」を利用して公開(アップロード)されるケースが殆どであり、掲示者を特定することが困難であるだけでなく、掲示されているコンテンツの内容を通常認識していない掲示板運営者の責任を追及することも困難である。従って、送信可能化権侵害の法的実効性を実質的に担保する意味からも違法複製物等をダウンロードする行為を権利制限の範囲外とすることが必要である。
民間放送連盟 6.意見(私的使用目的の複製の見直しに関連して)
 オーディオビジュアル分野において、現行の著作権法制定時に存在していた「私的使用のための複製」は、極めて原始的な技術による複製(カセットテープによる音声録音程度であり、家庭用VTRは存在していなかった)であり、オリジナルからの複製個数もごく少数で、品質の劣化も避けられないものであった。このような環境においては、私的に行われる複製が、個人的又は家庭内での利用を大きく超えることは事実上あり得なかった。

しかし、技術の進歩により、家庭用VTRやパーソナルコンピュータの出現・普及、様々な録音・録画媒体の出現・低廉化により、当時想定されなかったような量の複製を、個人が簡便に行うことができるようになった。また、複製機器のデジタル化によりオリジナルの著作物と全く同等な品質の複製物が生成され、さらにはインターネットの普及により、これらの複製物がいともた易く世界中に配付され得るようになった。

このような現状において、現行の著作権法第30条「私的使用のための複製」の規定をそのまま維持した場合、ベルヌ条約に規定するスリーステップテストをクリアできるかはなはだ疑問であると言わざるを得ない。

「私的使用のための複製」の範囲は、私的使用の公益性と権利者の権利とを比較衡量して定められるべきであり、技術的に可能であるからといって、無制限に複製できるものであってはならないと考えられる。したがって、その複製が許容できるものであるか否かについて、個別の事案ごとに権利者の利益を不当に害するものでないかを慎重に議論し、検討されるべきであると考える。

「私的録音録画補償金」制度は、利用者に私的複製の自由を一定程度認めると同時に、権利者に対しても金銭的な補償を行うという、バランスのとれた極めて優れた制度であり、また、諸外国にも例を見るように我が国固有の制度ではない。であるから、「私的録音録画補償金」制度の見直しにおいては慎重な対応が必要である。

 また、権利の保護と著作物等の公正な利用とのバランスを図る方策については、補償金制度で対応すべき範囲と著作権保護技術等で対応すべき範囲とがあるが、デジタル放送のコピーワンジェネレーション(COG)のように一定回数の私的複製を許容しつつも、著作権保護技術によってそれ以上の複製を制限して権利者の権利を保護するような利用態様もあるため、補償金制度と著作権保護技術の双方を利用した対応も念頭におく必要がある。

 近年のブロードバンドの普及のスピードは極めて速いため、ファイル交換ソフトを使用した違法複製物等のファイル交換は、映画やテレビ番組においても猖獗を極めており、音楽のみならず映像コンテンツにおいても同様に十分な議論を期待するものである。その際は、違法複製物等のダウンロードを「私的使用のための複製」の範囲から除外することも含めて検討すべきである。
個人 (1)私的複製と契約との関係
○1私的複製と契約との関係
 第30条をオーバーライドする契約条項を一律で有効とするのではなく、DRMの種類や私的複製の回数や複製先の媒体、その他の利用者が一方的に不利益を被る恐れのある契約条件が含まれていないかを個別に判断すべきである。

○2私的複製と著作権保護技術との関係
 前述の通り、DRMの条件によっては正当な経済活動や学術研究・新たな創作の遂行を妨げる恐れがあり、DRMの採用に際してはそのような恐れに対する最大限の配慮を必要とすべきである。

(2)立法上の検討課題
○1私的録音録画補償金関係
現行の私的録音録画補償金制度は昨年度の報告書においても指摘されているように様々な問題点を抱えており、5年程度の期間を目処に廃止することを前提に縮小すべきである。

○2違法複製物等の扱いについて
「家庭内の行為について規制することは困難である」と言う現行法の趣旨を前提に議論を進めるべきであると考える。また、頒布目的の違法複製物製造と提供が取り締まられるべきであることは当然だが、違法複製物である情を知っていることのみを要件に単純所持を禁止することは、ローコストの増大や個人のプライバシー権に関わる問題を生じさせるため、好ましくない。

(3)まとめ
 今後は、私的複製のソース(原本)をパッケージ購入・個人間貸借・レンタル・音楽配信などに大別し、ソースごとの状況を当事者(特に、著作権料と補償金の「二重取り」との批判が生じているレンタル及び音楽配信)からヒアリングすると共に、出来るだけ多くの提供方法に援用可能性を考慮したより簡素な著作権料の徴収・配分についての検討・分析を私的録音録画小委員会で進められるよう希望する。
個人 2.私的使用目的の複製の見直しについて」(2〜7ページ)について

あらゆる複製は悪であるかのような議論の前提があるかのように感じられます。例えば音楽の場合,自宅でゆっくり聞くためのものと通勤通学途中で聞くためのものを別に用意することは特別なことではないはずですが,それを用意するのも複製ではなく,市販品を購入しなければならないとすれば,却って海賊版の横行や,消費活動の停滞へとつながり,ひいては,商業機会を失する結果に至らないとも限りません。

現行法では技術的保護手段を回避した場合,私的使用のための複製とはならないとされていますが,そうであれば,技術的保護手段を施していない場合に比べ,安価に提供されるべきとの考え方もあるかと思います。いかにデジタル環境での複製が可能になったとはいえ,社会通念上,許容されるべき複製を認めつつ,実際の商業活動の実態なども含めた視野の広い議論が必要かと思います。
社団法人電子情報技術産業協会 1.「2.私的使用目的のための複製の見直しについて」に関する意見
(1)契約・著作権保護技術によって可能となる複製の法的性質の明記

 私的複製と、契約および著作権保護技術との関係について、報告書案では、有効な契約で許諾された複製、あるいは著作権保護技術で可能となる複製は、依然、法30条の要件を満たす限り私的複製であるとし、その私的複製によって「権利者の利益が害されるといえる場合があるか否かについては、実態に照らして別途検討される必要がある」とする。

法30条はベルヌ条約9条2項の所謂3ステップテストを具現化するものとされるが、少なくとも、有効な契約で認められる複製や、「著作権等を有する者の意思に基づ」いて施された著作権保護技術(技術的保護手段)によって可能となる複製は、著作権者等の意思を反映したものであって、それにより作成できる複製物の数の多寡に関わらず、もはや「著作物の通常の利用を妨げ」るものでも、また「著作者の正当な利益を不当に害」するものでもないことを明らかにすべきであると考える。

(2)私的複製の要件の明確化の必要性
 私的複製が認められる「私的使用」について、現行法30条では「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内」における使用と規定するが、その具体的意味内容がわかり難く、国民の行動規範として有効に機能していないおそれが高い。

 例えば、「著作権逐条講義」(加戸守行著)では、「家庭にビデオライブラリーを作りテレビ番組等を録画して多数の映像パッケージを備える行為」は私的複製の範囲を超えるとする一方で、社内の同好会やサークルのような個人的結合関係がある規模の小さな集団(10人程度とされる)における配付のための複製は私的複製の範囲となると説明している。視聴者が自ら視聴する目的で各放送番組の録画を1個のみ作成した結果ライブラリと呼べる程度の数量の録画物になったとしても、そのことを以って何故「著作物の通常の利用を妨げ」または「著作者の正当な利益を不当に害」することとなるのか、また、これとの比較で、録画物を10本程度、しかも他人に提供するために行う複製行為が、何故これらに当らないのか、一般国民の理解を得ることは難しいのではないかと考える。

 かように不明確な法30条の要件を、どのようにすればもっとわかり易いものにすることができるかにつき、立法論を含め、検討を尽くすべきである。
個人 2.私的使用目的の複製の見直しについて
 3.検討結果
 (1)解釈上の検討課題」および「(3)まとめ」に対する意見

 本報告書では、私的複製にかかる課題について、私的録音・録画の在り方と密接に関係する課題であるとして、「法制問題小委員会としては、私的録音・録画に関する私的録音録画小委員会における検討の状況を見守り、その結論を踏まえ、必要に応じて、私的複製の在り方全般について検討を行うことが適当である」と結論している。

 法制問題小委員会と私的録音録画小委員会の関係については、小委員会の委員からも疑問の声が示されているところであるが、8月24日に開催された著作権分科会(第20回)において佐野委員が要望したとおり、両小委員会間の情報交換を密にし、私的録音録画補償金小委員会における検討内容は開催ごとに法制問題小委員会委員にも紹介するとともに、そこでの意見が私的録音録画小委員会の議論に反映される必要があると考える。また、報告書案のとりまとめにあたっては、著作権分科会への報告前に法制問題小委員会でも議論し、承認を得るべきである。

そもそも、私的録音録画に関しては、法制問題小委員会において綿密な議論が行われた結果、各種の基本的な問題点が明らかにされ、制度の抜本的見直しも含めた検討を行う必要があるとの結論が示されたものである。

 さらに、そのための検討の場に関しても、2005年の第9回法制問題小委員会において事務局が報告書案に「この私的録音・録画の検討は、実態を踏まえた解決策を見出すことが必要であることから、関係者が参加した形での検討がなされる必要がある。したがって、本小委員会とは別の検討の場を設けることが適切であり、そこでの検討を踏まえて法制面からの検討を本小委員会において行うべきであると考える。」との一文を記したことに対して、「『したがって、本小委員会とは別の検討の場を設けることが適切であり、そこでの検討を踏まえて云々』というところのくだりは削除していただきたいと思います。

 なぜならば、私はやはり審議の過程というのは透明性、それから公平公正であるべきだろうというふうに思いますので、この関係者、さっき課長の御説明の中に当然ユーザーも含まれているという理解でございますという御説明がございましたけれども、私は透明性の確保と公平公正というのが審議の過程では何よりも大事だろうというふうに理解しておりますので、『したがって』から『考える』までのところは削除をお願い申し上げたいと思います」(加藤委員(当時))
個人 「利害関係者が集まって私的録音録画の抜本的検討を行ってもデッドロックになるのは目に見えている。」(山地委員(当時))
「少なくとも今までの議論を記憶する限り、ここの書きぶりですと、何か我々の方でいろいろ頑張って調べて考えてみたけれども、関係者も入っていないし実態が踏まえられていないのでうまく結論が出なかったから、来年もっと詳しい方に委ねたいと思いますというふうに我々が言っているようにも読めるのです。非常に意地悪く読めばの話ですが。

しかしながら、皆さんそういうおつもりはまったくないのではないと思います。これまで、関係者団体の方も、オブザーバーという形でずいぶん積極的に御発言されておりましたし、文書でもずいぶん御意見頂戴しましたし、我々なりに検討はしたつもりです。ただ、いかんせん非常に賛否が分かれて、今後継続検討するということはもう皆さん多分合意しているのではないか。
 先ほどの課長さんの御説明では、場合によっては関係者を入れて他の小委員会が作られて、切り離した形で検討されるということがあると、そこまでいくとちょっと今のところ問題かなという気はしております。」(小泉委員(当時))

「やはり今まで我々が議論したことは踏まえて続けて議論、経過を踏まえて続けて議論すべきであるというのと、私も、利害関係者が集まってそこで合意したら、それでコンセンサスになるのかという懸念を持ちました。そういう意味では利害関係者を多少含めて議論した方がいいというのなら、それはそのとおりなので、ここに多少利害関係者を含める形で入れて議論することで済む話かなというような感想を抱きました」(村上委員)

「ある一定の前提の下で実態を踏まえた議論をやるということならば、先ほど中山主査がご示唆されましたように、法制小委とは別にそれと並ぶ小委員会を作らなくとも、この小委員会の下にワーキングチームを作って、そこで実態を踏まえた議論ができる方に参加していただいて、個々の問題点について詰めていただき、その結果を法制小委に上げてきて議論するということでもよいように思います」(森田委員)

など、別の場を設けて改めて検討することに対して多くの反対意見が示されている。
私的録音録画小委員会は、こうした意見に対して事務局が説得的な理由を示すこともなく、「審議会の運営全体という話にもなってまいりますし、事務局でどういうふうにお願いするかという施策にも関わってくる問題でございます」などとして、その後、(審議会の意思決定に関する形式論はともかく)独自の判断において新たに設置したものである。この取り扱い自体、きわめて不適切なものであったと考える。
個人 著作権分科会では、両小委員会は対等であるから、両小委員会の意見が異なったとしてもかまわないといった意見も示され、これは理屈としてはもっともに聞こえるものの、もともと上記のような経緯で設置された私的録音録画小委員会は、実質的には法制問題小委員会の課題の一部の検討を付託されたワーキンググループ的な存在であると考えるべきである。また、そうすべきことは、法制問題小委員会が中立的な立場に立つ学識経験者を中心として構成されているのに対して、私的録音録画小委員会が直接的な利害関係者を多く含む形で構成されているという性質の明らかな違いからも明らかである。

審議会事務局としては、両小委員会の形式的な関係を盾に取ることなく、これまでの検討の経緯に十分配慮し、私的録音録画小委員会の議論は逐一法制問題小委員会に報告されるようにするとともに、最終的には法制問題小委員会の了承を得ることとするよう、適切な運用に努めるべきである。
ボーダフォン株式会社 はじめに、「文化審議会著作権分科会法制問題小委員会(私的複製・共有関係及び各ワーキングチームにおける検討結果)報告書(案)」(以下、「報告書(案)」という)に関しまして、今回このような意見募集の機会を設けて頂いたことに、厚く御礼申し上げます。
以下に弊社意見を述べさせて頂きますので、宜しくお取り計らいの程、お願いします。

1.私的使用目的の複製の見直しについて
(1)解釈上の検討課題
1)私的複製と契約との関係
1私的使用目的の複製を契約でオーバーライド(私的複製を制限)することについて

当該指摘使用目的の複製を契約でオーバーライドすることについて問題なしという結論がなされています。
対等なパワーバランスを持つ当事者間で成立した契約については、その契約内容は尊重されるべきであると考えますが、これは、個人ユーザと企業のパワーバランスを考えると、ユーザには契約交渉を行う余地がないのが実情です。ユーザの私的複製を過度に制限する内容の契約は、消費者契約法の観点、公序良俗の観点から見て無効とされる可能性が高いと考えます。
なお、私的複製の問題に関する報告書(案)のスタンスに対する問題点は後述させて頂きます。
ボーダフォン株式会社 2私的複製と著作権保護技術との関係について
契約によって複製可能な範囲が限定され、その範囲において私的複製が規定される、という考え方は違和感を感ぜざるを得ません。
日本ではフェアユースは明文化されていませんが、本来はフェアユースの一形態として私的使用目的の複製が決められているものであり、フェアユースを制限しない形で契約が認められるものであって、報告書(案)の結論を導き出したプロセスに対して疑問を抱かざるを得ないものとなっております。

(2)立法上の検討課題
1私的録画補償金関係
本件は近年業界間で論争が活発なトピックであり、制度の廃止論も存在することは周知であるにもかかわらず、報告書(案)では私的録音・録画補償金制度の存在を前提とした上で議論がなされており、両方の議論に関する配慮がなされていないのは遺憾と言わざるを得ません。

・補償金分配の不透明さ
権利者・利用者の両面からみて、制度趣旨に立ち返って再検討する必要があります。
現状の制度では補償金がJASRAC(ジャスラック)や日本芸能実演家団体協議会等に分配されているところまでは公開されているものの、個々の権利者(実演家や著作者)に配分された結果については公表されておらず、不透明な制度であるとの批判を免れないものとなっております。

また、分配規程も大雑把であり、そもそも録音・録画機器単位で集めたものである以上、どのように分配しても、著作物の録音・録画の実態をダイレクトに反映したものとはいえません。このことが著作者であるアーティストからも製造業界からも疑問の声が上がる原因であることに配慮が必要であると考えます。

・技術やビジネスの状況変化
補償金制度が創設された時点と現在は大きく技術やビジネスの状況が変化しているものと考えます。
デジタル化、ネットワーク化や暗号化/複合化技術の進展によって利用者と権利者が直接の取引きが可能となっており、補償金制度に寄らずとも、権利者が妥当な対価を得るビジネスモデルを構築することは、補償金制度発足当初の時代に比べて容易になっているものと考えます。
なお、技術的保護手段の決定・導入にあたっては、音楽業界や製造業界だけでなく、幅広い業界や消費者の意見を集約することが肝要であると考えます。

・フェアユースとの関係
そもそも、私的録音・私的録画の問題は米国ではフェアユースにカテゴライズされる問題であり、本来は利用者に当然認められた権利であるところ、日本では権利者と利用者の調整を図るために補償金制度で妥協的な立法的解決が図られたことが問題の発端であると考えます。
ボーダフォン株式会社 この制度によって、利用者が本来認められてしかるべき権利に対して間接的にせよ補償金名目で金銭的負担を強いられているともいえます。
以上のことから、「私的録音・録画補償金制度の廃止」を実施し、むしろフェアユースに相当する文言を明文化して現行制度の問題を是正することが必要であり、現時点で安易に私的録音・録画補償金の対象範囲の拡大や私的複製に制限の容認といった議論のみを促進することは大いに問題であると考えます。

2違法複製物の扱いについて
これらの議論は1の議論と両輪で論じられるべきですが、私的複製に対する保護を明確化することと並行して、違法複製物への罰則は強化される必要があります。
悪質なケースに対処するために刑事罰の引上などを図ることは合理的ですが、違法複製物を私的複製としてダウンロードする行為に対し、安易に私的複製の範囲から明文で除外することは、報告書(案)でも記載のあるとおり著作権法30条の趣旨からみて問題があるものと考えます。

また、違法複製物を私的複製としてダウンロードした者が当該著作物の頒布を図った場合などにおいては、当該頒布の行為をもって著作権侵害として罰することは現行法制内で十分可能であり、現行法制のままでも著作権者等の利益を不当に減じるものとはいえません。
個人 報告書案は、政府を含む社会の著作権の運用とあまりに乖離しており、無意味である。

6.1 「2.私的使用目的の複製の見直しについて」について
まず、私的複製のあり方について論じる。

国会では、放送と有線放送にしか適用されない著作権法40条2項を、インターネットのユニキャストとVoDに適用して、国会審議を既に何年も中継・VoD送信している。
これは政府を含む社会では著作権のフェアユース運用が既に定着していることを示す。

また、ISPを利用して電子メイルを受け取る時には、ISPの運営するサーバに電子メイルの複製が自動的に作成されるが、他者の著作物を無許諾で私的に電子メイルでやりとりするとき、形式的には著作権法30条1項1号の「公衆の仕様に供する」「自動複製機器」による私的複製に該当するが、このような私的複製が違法であるという議論も、ありえない。
これもフェアユースの例であり、私的複製の見直しの議論はフェアユースを大々的に認めることからはじめるべきである。

もちろんフェアユースを不当に制約する契約(いわゆるオーバーライド)は公序良俗に反して無効であるし、強すぎるDRM(例えば、放送(その公共性とは、放送法によりなりより「放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障する」ことと規定されているため、コピー制御は放送の公共性と矛盾する)されたコンテンツのコピー制御)も違法化されるべきである。
日本音楽作家団体協議会
(FCA)
2私的使用目的の複製の見直しについて
意見の要旨
新たな補償金制度の確立が是非必要である。
・私的使用を目的とした複製全体を、機器・媒体の変化にかかわらず、技術革新に左右されることなく、カバーできるような方法が採用されること。(汎用機器の問題)

・補償金支払い義務者を誰とするかの再検討をする。
欧米諸国も支払い義務者はメーカーであったり輸入業界である。(支払い義務者の見直し)
・音楽愛好家をはじめとした消費者の理解と周知は、特に重要なポイントである。(消費者の理解と周知)

 昨年度までは、文化審議会著作権分科会の法制問題小委員会で検討していたが、補償金制度そのものが問題視され、かつハードディスク内蔵型録音機器等の政令追加指定についても関係者の理解が得られなかった。
 今後この問題については、「私的録音・録画についての抜本的な見直し及び補償金制度に関してもその廃止や骨組みの見直し、更には他の措置の導入も視野に入れ、抜本的な検討を行うべきである」とされ、見直しの結論については、「平成19年度中には一定の具体的結論を得るよう、迅速に行う必要がある。」とされた。

・補償金制度は、消費者の誰もがコピー文化を身近に享受するため、つまり、今、コピーしていない人も、いつでも何の手続もいらずに自由にコピーができるという『自由度』を得るためのもので、複製行為の有無に拘わらず公平な負担がなされるべきである。
・著作権保護技術が適用されている分野は、音楽配信される楽曲などほんのわずかであり、私的複製の全体をカバーし得ない。
・「著作権保護技術と契約」については、解消すべき問題もまだ多く、一体いつ、これらの問題が解決するのか将来図さえ全く見えない状況である。
社団法人日本音楽事業者協会 2.私的使用目的の複製の見直しについて」(報告書案2ページー6ページ)

1.私的複製と契約との関係について、契約により複製の回数等が制限されている場合などに、その契約(いわゆるオーバーライド)は有効であると解すべきかについては、契約自体は有効であると考える。

著作権の制限規定を強行法規と解するか任意規定と解するかについては、当該著作権制限規定の趣旨・目的に照らして個別に解釈されるべき問題であるが、私的録音録画を中心とする私的複製に関しては、公益的見地からの権利制限というよりも、権利者に及ぼす損失の程度と円滑な著作物利用との比較衡量の見地から、一定の範囲の権利制限を認めるものである。このような第30条の趣旨・目的に照らすならば、契約当事者間において、個別に私的複製の範囲を合意している場合には(いわゆるシュリンク・ラップ契約を含む趣旨ではない)、これを無効とすべき理由はないというべきである。

2.私的複製と著作権保護技術との関係については、著作権保護技術は、それにより複製可能な範囲が制限されるものであるが、複製可能な範囲内の私的複製については、第30条第1項柱書に定める私的複製の枠内にあるものとして位置づけられると基本的には考えられる。

 但し、著作権保護技術が施されている場合に、これを回避する行為によって可能となった複製を、その事実を知りながら行うことは、明文上許されないが、(30条1項2号)、同条項の趣旨は、著作権保護技術が施されている場合には、かかる回避行為を伴わない限り常に私的複製を認める趣旨であるとまでは解することができない。
したがって、著作権保護技術との関係において複製可能な派にないの複製についても、それが「私的複製」に該当するか否かは、なお個別に判断されるべき事柄である。

3.私的複製の内、私的録音録画については、大量かつ広範に行われている現状を考えると、著作権保護技術の普及・適用状況やそのような保護技術を前提とした契約の存在を踏まえるとしても、現在の私的録音録画補償金制度が対象とする範囲などについて、その範囲を縮小する方向で見直す状況にはないと考える。むしろ、ハードディスク内蔵型録音機器等や、汎用機器・記録媒体についても、その利用実態に照らし、私的録音録画補償金制度の中で、権利処理が図られるような制度の見直しをすべきである。
社団法人日本音楽事業者協会 4.なお、私的録音録画補償金小委員会における検討に当たっては、次の考え方が配慮されることを望みたい。
(1)日本の法制では、私的録音録画補償金の支払義務者は機器・記録媒体の購入者(消費者)であり、製造業者が協力義務を負うが、外国では、報酬請求権を定める国は製造業者が支払義務者である。例えば、1965年に世界で最初に報酬請求権制度を導入したドイツは、製造業者は消費者と共に共同責任を負う立場にあり、消費者と同様利用者であるという基本理念に立っている。

(2)報酬請求権制度は権利者と利用者の利益調整であるが、この場合、利用者には消費者と製造業者の両方が含まれている。著作物・実演等がなければ、機器・記録媒体は商品価値をもち得ず、又、逆に機器・記録媒体がなければ著作物・実演の市場的広がりはない。従って、報酬請求権制度は実質的に製造業者と権利者の利益調整であるという基本姿勢に立って、製造業者の「協力義務とは何か」が問われなければならない。

(3)製造業者が私的録音録画に関して、著作物等の利用者であり共同責任者であることからすれば、私的録音録画に使用される可能性をもつハードディスク内蔵型録音機器等、又汎用機器・記録媒体は当然に報酬請求権の対象となり、製造業者は私的録音録画の可能性の程度に応じた支払義務を負わなければならない。

5.違法複製物等の扱いについては、違法複製物等を私的複製としてダウンロードすることについて、私的複製の範囲から明文で除外する必要があると考える。違法複製物等を私的複製としてダウンロードすることを違法として規制しないならば、違法な複製行為を助長し、著作権者の利益を害するおそれがあるとともに、許諾を受けて複製する者の利益をも害するおそれがあるからである。


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