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複製の程度によって補償金の内容が変わることが理論的には素直であるが、制度が複雑になるので、大ざっぱにやるということは選択肢として残る。しかし、完全な複製禁止の場合、補償金を取ることは、整合性にかける。
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第30条の範囲内で、契約で対価の支払われている場合、補償金が取れるか否かについては、第30条の複製の対価が、契約で定めた対価に含まれているか否かが問題となる。実際には、契約する際の権利者等の主観的意図は多様であるが、それでは制度は動かない。したがって、そこをいかに解釈すべきかを確定しなければ、次の議論に進まない。
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法律、契約の両方によって許容されている行為をどちらで対応するのか、それぞれ別個に対応すればいいのか、それとも実質的な対象が重なっているので、何らかの調整が必要なのか等の論点がある。
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契約上の対価は、複製の対価ではなく、複製以外の行為が許容された対価であるから、複製の部分については、補償金を支払うことと矛盾しないという理屈は、消費者にはなかなか理解できないのではないか。
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複製の対価を含まない契約例として、私は日記を誰にも見せませんが、秘密を解除してあなたには3回だけ見せるので、お金をくださいということに似ている、ただし読む行為は著作権侵害ではないが。
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補償措置の在り方に関して、契約等でカバーできるのではないか、技術的保護手段でカバーできるのではないかという議論の立て方だと思うが、結局、CDはどうなのか、配信はどうなのかという個別の議論にしていかないと、その契約には権利者が全部そろっているのか、あるいは技術的保護手段について権利者が合意しているのかが問題であり、漠然と補償金制度に対して契約・技術的保護手段がどうなのかという議論をしていても始まらない。
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契約等で対価を得られる場合とは、契約ができる場合を前提にしているわけで、できない場合は、また別の議論になる。
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CDの私的複製が可能であるとしても、レコード会社は複製の対価を含んだ料金で商品を発売しているとは考えられない。例えば、音楽CDのレンタルにしても、複製は可能であるが、レンタル契約の中で対価に関する明示的な条項はない。基本的に、明示的に書いてある場合以外、複製の対価を含んでいることは考えられない。
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映画のDVDのパッケージに関しては、全く複製を想定していない。個人視聴を目的にして、販売している。
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3回まで複製可能というのは、技術的制限等で、無制限の複製を3回まで制限しただけで、そこでの複製は特に許諾複製ではない、従って、補償金を取ることは可能と考える。
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複製をどの程度許容するのかは、配信事業者によって異なる。複製枚数、複製数量が多いからその価格に反映する等はビジネスとしてはない。
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配信事業について、権利者が1回だけという許諾をした場合と、10回だけという許諾した場合と同じ対価という実態は、ユーザーと配信事業者、ユーザーと権利者の関係でなく、権利者と配信会社との関係である。
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複製の対価を含む契約、含まない契約の両方を自由に結ぶことができる。それが明示されていない場合、どちらの契約であるかを決めなくてはいけない。その際、意思解釈により解決しようとするのは、実際上うまくいかない。そこで、「こういう場合には、普通は対価を含んでいる」と考える。解釈するのが問題であれば、「別な措置を講じなさい」というような方向に行く必要がある。
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契約の現状はともかく、複製の対価を含む契約、含まない契約は、契約としては両方ありえるので、含む契約は許容しないというわけにはいかない。従って、含む契約がなされた場合、法的にいかに評価するかというルールが必要となる。
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契約に複製の対価が含まるか否かは、解釈問題であるが、それを回避したければ、明確に規定すればよい。仮に、複製の対価が含まれている契約の場合、補償金の対象にするかは問題となる。 |