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参考資料3

私的録音録画小委員会(第5回)意見概要

私的録音録画に関する検討を進めるに当たっての論点について
仮に何らかの制度的な対応が必要と考える場合、どのような対応をすべきか。

1 第30条の権利制限の範囲


1  次の録音源について権利制限の範囲外とすべきか否か
 他人から借りた音楽CDを私的使用のために録音

 
ベルヌ条約9条2項の、著作物の通常の利用を妨げ、かつ著作者の正当な利益を不当に害しないという観点から、私的複製の範囲外とすべき。

法改正をしても、全く執行可能性がなければ、モラルハザードが起こるだけである。法改正をする以上は何らかの執行可能性がなければならない。

私的複製の範囲外としても、執行可能性が低い。

著作物の通常の利用を妨げる状況においても、家庭内で行われることを権利者は把握できないから、何をされても許容しなければならないという結論は乱暴である。現行法制定時と今とでは複製にかかる環境が異なる。

私的複製の範囲外とすべき。他人から借りたCDをコピーしてよいとの法規範を認めれば、複製物が他人から他人へと行き、CDの市場性を大きく奪うのではないか。

国民の著作権意識はかなり上がっており、「かくあるべき」という規範を国民に示す必要があると思われる。

昨今の国民の著作権意識は上がっており、私的複製の範囲外にして、教育啓発活動等を通じて、法律をある程度守らせることは可能だと考える。

私的複製の範囲内とすべき。自由に複製できる環境を手放したくはない。歯止めは必要だが、厳しい締めつけは、消費者、著作者双方にとって、文化的な意味も含めて良い社会ではない。

私的複製の範囲を明確にしていくことが重要ではないか。例えば、他人から借りた音楽CDを複製してオークションに出す、不特定多数を対象にインターネットで流す等の経済的な実害が大きいものは規制し、その代わり、家庭内や自分のために使う複製であれば、フェア・ユースとして認めていけばよい。

第30条の「家庭内その他これに準ずる限られた範囲」の意味によって、「他人」の受け取り方が異なるのではないか。

第30条の「家庭内その他これに準ずる限られた範囲」とは、生計を同一する範囲内と考える必要がある。

家庭内で使用することを目的とし、かつ、その複製自体も家庭内で(場所でなく主体:当該複製物を持っている個人的、家庭内の者)行うという、二つの歯止めをすれば、従前の概念を使ったままでも、おおむね適切な法規範になるのではないか。

「私的使用のために」について、社内であれ、個人的な関係の強いサークルであれば、10人程度であればコピーしてもかまわないという解釈があるが、そういうものが認められるべきか常に疑問に思う。

私的複製の範囲が明確化されないままであることは、10年の懲役となる場合が曖昧なまま置かれることになり問題である。

アは私的複製の範囲内として補償金制度の対象とすべき。意識としては、違法にしたい行為かもしれないが、「今は許容範囲だ」とし、自由さを確保しながら、補償金制度で補償するべきである。

アは私的複製の範囲内として補償金制度の対象とすべき。許諾権を与えて、その許諾の対価を取るのか、一種の報酬請求権として補償金を取るのか、どちらの実効性が高いかという観点から、概して、私的使用のための録音については、その実態に照らし合わすと、補償金制度に馴染むのではないか。

私的複製の範囲の定義を明確化し、範囲内は、補償金又は対価の対象外であり、自由に複製ができる。範囲外は対価を支払うという形がわかりやすい。

 レンタル店から借りた音楽CDを私的使用のために録音

 
ベルヌ条約9条2項の、著作物の通常の利用を妨げ、かつ著作者の正当な利益を不当に害しないという観点から、アは私的複製の範囲外とすべきである。

アとの取扱いの違いは、借りた対価を払うかどうかによって異なる。

レンタル店に、消費者はお金を払っているが、複製の対価が含まれているかどうか両方の可能性がある。

図書館でのレンタルとの関係をどのように考えるのか整理する必要がある。

 違法複製物(権利制限規定に基づき許諾なく作成された複製物を含む)からの私的使用のための録音
 違法配信から私的使用のために録音

 
ベルヌ条約9条2項の、著作物の通常の利用を妨げるかつ著作者の正当な利益を不当に害しないという観点から、ウ、エは範囲外とすべき。

私的複製の範囲内か範囲外かの歯止めは必要でだが、厳しい締めつけは、消費者、著作者双方にとって、文化的な意味も含めて良い社会ではないが、ウ、エについては、海賊盤等からの複製であり、私的複製の範囲外とすべきである。

 適法な放送・ネット配信から私的使用のために録音

 
オは、基本的に私的複製の範囲内とすべき。

市販CDに代替するとは考えられないが、音楽専門放送については、代替することも可能と考えられることから、オは私的複製の範囲内としつつも、一部の専門放送は対象外とすべきである。

インターネット上の、ファイル交換ソフト等にかかる私的複製を認めざるをえない状況になっていくと思うが、従来の私的複製という範疇で、十分な説明ができるのだろうか。場合によっては、インターネット上の私的複製について、法律的に手当をする必要があるのではないか。

2  次の録画源について権利制限の範囲外とすべきか否か
 放送から私的使用のために録画
 放送(加入者制)から私的使用のために録画
 違法複製物(権利制限規定に基づき許諾なく作成された複製物を含む)からの私的使用のための録画
 適法なネット配信から私的使用のために録画
 違法なネット配信から私的使用のために録画

 
著作物の特質を考慮すべき。映画のビジネスは、完成原版を複製して、マルチユースすることで成り立っている。複製行為によって海賊版が作成される場合はもちろんのこと、家庭内で複製物が視聴のため保存される場合であっても、映画製作者の通常のビジネスを阻害する。
 以上より、エの適法なネット配信から私的使用のために録画が、パッケージ商品の流通の代替ということであれば、私的複製の範囲内。ウ、オは、私的複製の範囲外。ア、イは、コピーワンジェネレーション等の要件があれば、私的複製の範囲内。EPNが採用された場合は、私的複製の範囲外。コピーワンジェネレーションのタイムシフトによる視聴までは容認できても、EPNが採用された場合はコピーフリーであり、パッケージ商品と同等、それからそれ以上の高画質の複製物が無制限に作り出されることになるので、映画製作者としては容認できない。本来のテレビ放送は、テレビの視聴を目的としており、視聴のため保存したい消費者の方には、販売しているDVDのパッケージ商品等を購入していただきたい。

映画以外の著作物も基本的には一個の原版(盤)があって、それを複製していく点では同じではないか。

音楽等は、ライブ、楽譜等、様々な場面で利用可能であるが、映画は、シナリオを他で利用する等は殆ど考えられない。オリジナル・ネガフィルムに全てが収束する。

著作物の性質によって、第30条の要件を変えることは同意できない。基本的には、個人的、家庭内の範囲を、狭く解せば、映画の著作物の性質を考慮しても、経済的影響はない。また、例えば、録音の場面も含めて、個人的又は家庭内という概念を、「その当該複製物の持っている個人的又は家庭内の者が複製する場合に」という書き方をすれば、望ましい効果が得られるのではないか。

私的複製がビジネスモデルを阻害することは、避けなければならないが、30条の範囲内、範囲外というところで規定することは必ずしも適当でない。第30条の対象から映画の著作物を除くことは現実的ではなく、補償金制度等で解決を図っていく方が現実的ではないか。

基本的には録音と録画で第30条の範囲は違ってこない。例えば、他人から借りた音楽CDを私的使用のために録音する場合の類似例としては、例えば他人が録画した放送番組を借りてきて、私的使用のために複製する場合が該当するが、これを異なる取扱いとするのには疑問。

デジタル時代になってきて、コンテンツ、ネット、ブロードバンド等は、非常に進化が速く、コンテンツを視聴する環境等も常に変わっている状況において、法律で、どこまで複製していいのか、だめなのかを決めていくと、その状況に追いつけないのではないか。違った概念の、コンテンツを消費者に提供するシステムが登場すると、権利制限の範囲は、ア、イ、ウ、エ、オとは、全く違った項目が出てくるかもしれない。このとき、法律が全然遅れているといった、ねじれ現象が存在していくのではないか。法律でなく、ビジネスルールである程度規範を作っていく等の方法もある。

1 第30条の権利制限の範囲(録音、録画)全体を通じて


  著作権法の中に完全な執行ができる条文がいくつあるのか。第30条についてだけ、執行可能性を厳しく要求すべきではない。著作権法は、行為規範(各人に行為規範としての公平な法意識を形成させる意味を持ち、それを越えた場合、裁判規範としての意味をもつ場合があるという性質)を求めているところがある。

  第30条の範囲外としても、その行為を行う個人に対しては、訴訟を提起するだけの要件が揃わない、或いは訴訟に値する状況が生じるとは思われない場合であっても、その個人の行為をビジネスとしてサポートする側に対しては、訴訟を提起するだけの要件が揃い、訴訟に値する状況が生じる場合もある。

  第30条の範囲外とした場合、サポートする側だけを何とかするわけにはいかない。実際に侵害している個人を10年以下の懲役の対象にせざるをえない。

  個人に対して、常に、刑事罰で対処する必要はない。仮に刑事罰で対処する場合であっても、全ての法律ないしは権利侵害にいえることだが、起訴便宜主義、量刑等によって、司法全体の調整が図られている。10年の刑事罰だけを強調し、個人がみんなそうなるという議論に誘導すべきではない。

  第30条を可能な限り狭く立法した場合、補償金は減るが、経済的効果は上がる。例えば、行為規範性によって、人々は他人からCD等を借りて複製するかわりに、CD等を買うようになるため、売上が伸びる。

  範囲外とした場合に、実効性があれば、経済的効果は生まれるが、実効性がなければ、経済的効果は生まれない。

  自由な利用を妨げない、ある程度法律を緩やかな現行法で、経済的影響を鑑み、補償制度の拡充等で対応すべき。

  ネットショッピング、ラジオ、レンタル等、音楽にアクセスできる環境が多様化している中で、なぜコピーにおける自由度をそこまで許容しなくてはならないのか疑問。

  複製のヘビーユーザーはともかく、一般の人は、CD、DVDを買って家庭内で複製をしている。少なくとも自分の周辺はそうである。私的複製の範囲内の場合、補償金の対象外が望ましい。

  補償金制度は、ヘビーユーザーを対象にした制度ではなく、デジタル時代において、一般の人が1人1回の複製を行ったとしても、全国での総量は大きく、権利者の経済的利益を害することから創設された。

  第30条の範囲外とした場合、どのような法的インパクトがあるのか、また、補償金の場合、個別課金の場合、どのような経済的インパクトがあるのか等、いずれかの段階で、法的インパクト、経済的インパクトの両方が分かるような形でのシミュレーションをもとに議論をしない限り、抽象論で終わってしまい、実のある議論はできないのではないか。

2 補償措置のあり方


どのような複製行為に補償措置が妥当するのか。
1  契約等で複製の対価を得られる場合にはどう考えるか
 契約に基づく対価の支払いは、契約上許容された(明示的に禁止されない)録音録画の対価を含んでいるのか
  例 音楽配信・レンタル・パッケージ販売等
 契約上の対価に録音録画の対価が含まれているとした場合、その録音録画は30条に基づく録音録画と解するべきか。
 契約が前提としている保護技術が回避され、想定していない録音録画が行われた場合、30条1項2号によって権利制限外の録音録画となると解してよいか。

 
複製の程度によって補償金の内容が変わることが理論的には素直であるが、制度が複雑になるので、大ざっぱにやるということは選択肢として残る。しかし、完全な複製禁止の場合、補償金を取ることは、整合性にかける。

第30条の範囲内で、契約で対価の支払われている場合、補償金が取れるか否かについては、第30条の複製の対価が、契約で定めた対価に含まれているか否かが問題となる。実際には、契約する際の権利者等の主観的意図は多様であるが、それでは制度は動かない。したがって、そこをいかに解釈すべきかを確定しなければ、次の議論に進まない。

法律、契約の両方によって許容されている行為をどちらで対応するのか、それぞれ別個に対応すればいいのか、それとも実質的な対象が重なっているので、何らかの調整が必要なのか等の論点がある。

契約上の対価は、複製の対価ではなく、複製以外の行為が許容された対価であるから、複製の部分については、補償金を支払うことと矛盾しないという理屈は、消費者にはなかなか理解できないのではないか。

複製の対価を含まない契約例として、私は日記を誰にも見せませんが、秘密を解除してあなたには3回だけ見せるので、お金をくださいということに似ている、ただし読む行為は著作権侵害ではないが。

補償措置の在り方に関して、契約等でカバーできるのではないか、技術的保護手段でカバーできるのではないかという議論の立て方だと思うが、結局、CDはどうなのか、配信はどうなのかという個別の議論にしていかないと、その契約には権利者が全部そろっているのか、あるいは技術的保護手段について権利者が合意しているのかが問題であり、漠然と補償金制度に対して契約・技術的保護手段がどうなのかという議論をしていても始まらない。

契約等で対価を得られる場合とは、契約ができる場合を前提にしているわけで、できない場合は、また別の議論になる。

CDの私的複製が可能であるとしても、レコード会社は複製の対価を含んだ料金で商品を発売しているとは考えられない。例えば、音楽CDのレンタルにしても、複製は可能であるが、レンタル契約の中で対価に関する明示的な条項はない。基本的に、明示的に書いてある場合以外、複製の対価を含んでいることは考えられない。

映画のDVDのパッケージに関しては、全く複製を想定していない。個人視聴を目的にして、販売している。

3回まで複製可能というのは、技術的制限等で、無制限の複製を3回まで制限しただけで、そこでの複製は特に許諾複製ではない、従って、補償金を取ることは可能と考える。

複製をどの程度許容するのかは、配信事業者によって異なる。複製枚数、複製数量が多いからその価格に反映する等はビジネスとしてはない。

配信事業について、権利者が1回だけという許諾をした場合と、10回だけという許諾した場合と同じ対価という実態は、ユーザーと配信事業者、ユーザーと権利者の関係でなく、権利者と配信会社との関係である。

複製の対価を含む契約、含まない契約の両方を自由に結ぶことができる。それが明示されていない場合、どちらの契約であるかを決めなくてはいけない。その際、意思解釈により解決しようとするのは、実際上うまくいかない。そこで、「こういう場合には、普通は対価を含んでいる」と考える。解釈するのが問題であれば、「別な措置を講じなさい」というような方向に行く必要がある。

契約の現状はともかく、複製の対価を含む契約、含まない契約は、契約としては両方ありえるので、含む契約は許容しないというわけにはいかない。従って、含む契約がなされた場合、法的にいかに評価するかというルールが必要となる。

契約に複製の対価が含まるか否かは、解釈問題であるが、それを回避したければ、明確に規定すればよい。仮に、複製の対価が含まれている契約の場合、補償金の対象にするかは問題となる。

2  著作権保護技術がかけられ、その範囲内での録音録画をどう考えるか
 保護技術がかけられていることが権利者の意思に基づく場合には、その範囲内での録音録画については、権利者として許容したもので補償措置は妥当しないと考えるか。
あるいは、保護技術の内容によっては補償措置が妥当する場合があると考えるか。妥当する場合があるとすれば、制限の強弱は、補償措置の具体的あり方に反映させるべきであるか。
 保護技術をかけることができる権利者(レコード製作者など)とかけることができない権利者(作詞家・作曲家、実演家など)の立場の違いをどう考慮すべきか。また、保護技術にほとんど選択肢がない場合等をどう考慮すべきか。
【著作権保護技術の例】
  SCMS方式、完全な複製禁止、コピーワンス、10回までコピー可能、特定の圧縮技術を採用した機器、複製媒体にのみコピー可能、「アクセス制限」と分類される保護手段

 
著作権保護技術が、現実的に一体どういう形のものなのか、そのシステムすら見えてない状況で、論議することは難しい。

著作権保護技術の将来がまだ明確でない状況では補償措置は必要である。著作権保護技術には期待するが、あと5年も6年もほっておかれた場合に、権利者への経済的影響等はどうなるのか。

技術の進歩は早いので、仮に今何か措置を講じても、そう遠からず、また見直さなければならない。

著作権保護技術の内容をこの審議会においても紹介をさせていただいたが、これが権利者の意思に関らしめてないものだとすると、現行法の「技術的保護手段」に係る回避システムが働かないということになり、大きな問題となる。


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