第3節 諸外国の文化行政

2.フランスの文化行政

(1)概説

 フランスでは,1680年ごろからルイ14世がフランスを強固な中央集権国家としていく過程において,軍事力や警察力の充実と並行して,フランス語を中心としたフランス文化を各地方に根付かせ,人心の統一を図る取組が進められました。この時以来,文化が国家の存在において重要な要素と位置付けられるとともに,中央集権的な文化政策の伝統が生まれました。さらに19世紀には教育・啓蒙的側面を強調した文化政策への取組が行われました。このような伝統がある中,フランスの文化政策が大きな転機となったのは,1959年(昭和34年)の「文化省」の設立です。
 第5共和制の発足と同時にド・ゴール大統領は文人アンドレ・マルローを大臣として「文化省」を設立しました。マルロー大臣は文化政策の目的を教育・啓蒙的なものから国民全体が文化芸術に接する機会の向上へと大きく転換しました。その一例が,フランス各地における「文化会館(Maison de la Culture)」の設置という取組です。同時に,マルロー大臣は,「国家予算の1パーセントを文化政策へ」という目的を掲げ,その実現に向けての取組を進めました。この目標は,1981年(昭和56年)から文化予算が急増したことも受け,1990年代に達成され,2006年(平成18年)現在も国家予算の1パーセント強が国の文化振興策に用いられています。
 1970年代は地方公共団体や各種文化団体とのパートナーシップの下,文化振興を図る方策が講じられ,1981年(昭和56年)に文化大臣に任命されたジャック・ラングは文化予算の倍増のほか,地方文化局(文化省の地方出先機関)の定員を10倍にするなど,文化振興の体制整備を図るとともに,学校教育の中での芸術教育の振興,ジャズやロックといった若者文化やモード,写真芸術,料理といった分野の振興を図りました。同時に,文化と産業の結び付きが強化され,メセナ振興策の端緒が開かれました。中小の映画館に対する支援策が開始されたり,書籍の再販価格法が制定されたのもこの時期です。さらに,テレビ,ラジオの分野が重視されるようになり,文化省が文化・コミュニケーション省と改組されました。
 1990年代には,国主導の文化政策の在り方に関する批判もありましたが,文化政策の基本的枠組みが変更されることはなく,文化に対する国の支援は維持されました。ガット・ウルグアイ・ラウンドの終盤に提起された「文化的例外」という,経済的グローバリゼーションの中にあっても文化は単なる商品ではなく例外扱いすべき,というフランスの強い主張は,「文化多様性」の主張へと進化し,ユネスコにおける文化多様性条約の締結(2005年(平成17年))という果実を生んでいます。

▲オペラ・バスティーユ
(Opéra Bastille - photo Christian Leiber -copyright Opéra national de Paris)

▲ルーブル美術館
(Pyramide du Louvre. Architecte I.M.Pei ©C.Moutarde)

(2)文化芸術の振興

 文化・コミュニケーション省の文化芸術振興策として特徴的なのは,演劇,ダンス,音楽など舞台芸術の創造に対する支援や若者に対する芸術教育の充実という取組です。また伝統的に映画に対する支援が充実しており,中小の映画館に対する税制上の優遇措置のほか,近年では,フランス国内での映画撮影を優遇する映画製作税額控除も導入されました。さらに映画・テレビ産業からの税収を基に国立映画センターが中心となって映画製作支援に取り組んでいます。また,書籍の再販価格法を通じて中小書店の維持を図るなど作家や書店に対する支援,フランス国立図書館をはじめとする公立図書館の充実など書籍・読書政策に対する取組も充実しています。
 また,ルーブル美術館などの博物館・美術館,オペラ座などの劇場,ヴェルサイユ宮殿などの文化施設は公共企業体が運営を行っています。文化・コミュニケーション省は,補助金を支出し(例えばパリ・オペラ座の場合,予算総額の3分の2に当たる1億ユーロを補助),このような施設の運営・監督を行っています。

(3)文化財の保護

 フランスにおける文化財保護の歴史は古く,歴史的建造物の保護に関する法律が1887年(明治20年)に制定された後,数次の改正等を経て,現在も文化財保護の基本的法律となっています。
 文化財保護は,「歴史的モニュメント」としての「格付け」制度やその前段階としての「補完目録」への登録制度が基本となっています。歴史的保存区域内の建築物の居住者は,その修復に際し,国庫補助や税制上の優遇措置を受けることができます。同時に当該モニュメントやその半径500メートル以内にある建造物については厳格な規制が行われます。パリの町並みが整然としているのは当該措置による部分が大きいとされています。また,文化財保護に係る専門的職業資格が存在し,文化財保護に携わる人材の養成に向けた諸学校の設置などの取組も行われています。
 文化財の活用については,1914年(大正4年)設置の「国有モニュメント・センター」が国有モニュメント(モン・サン・ミッシェルやロワールの古城など)の入場料収入を原資としてモニュメントの管理・公開,観光案内の作成・配付,出版・研究活動等を行っています。また,1964年(昭和39年)より「フランスのモニュメント及び豊かな芸術についての総合台帳」(データベース)が整備・更新され続けており,現在では70万件以上の文物が登録されています。
 文化・コミュニケーション省では,建築・文化財局が文化財保護行政に当たっています。建築・文化財局の役割は,1歴史的,文化的な価値を保護するための建築物の維持,2文化財の調査,研究,保護,保存,普及,3建築家の管理,4文化財関連職種の監督,質の維持,5建築と文化財にかかわる教育,専門家育成,調査研究などがあります。

(4)国際文化交流

 文化コミュニケーション省の国際文化交流に関する政策方針は,「文化の多様化の推進」「国際的な文化協力の発展」となっています。具体的には,1フランス国内での外国文化の紹介,2外国におけるフランス文化の紹介,3フランスの文化専門家の派遣,4欧州域内の協力となっています。また,国際的な文化交流を推進する機関として「フランス芸術振興協会」が設置されており,外国の文化をフランスに紹介したりフランス文化を外国に紹介する「外国年」の設定など,様々な催しを実施しています。
 日本とフランスの文化交流では,浮世絵が印象派の画家に影響を与えたり,日本料理がヌーヴェル・キュイジーヌ(70年代初頭に登場した素材の味を生かした軽めの味つけのフランス料理)の誕生のヒントになるなど,我が国の文化が影響を与えた事例も数多く見られ,近年では「マンガ」が青少年の間でブームとなっています。

〈ユネスコ「文化的表現の多様性の保護及び促進に関する条約」とフランスの文化政策〉

 2005年(平成17年)秋のユネスコ総会で採択された「文化的表現の多様性の保護及び促進に関する条約」策定にフランスは中心的な役割を果たしました。
 フランスは旧植民地との関係もあり,外国人移民が多い多民族国家であることから,特にフランス語圏のアフリカ諸国における文化振興や,バスク語に代表されるフランス国内の地域語の振興などを通じて文化の多様性の促進に努めています。
 その一方で,1980年代の米国のメディア文化の流入に対する警戒心から,テレビ及びラジオにおけるクォータ(quota)制度(国内の番組放送のうち,外国で制作された番組の放送を一定の比率以内に制限する制度)の導入など「フランス語」「フランス文化」の保護に重点を置いています。
 文化・コミュニケーション省方針「文化及び創造産業の促進」では,「文化の多様性についての最終目標」として,次のように述べられています。
 「文化産業政策は,従来の産業政策でも保護主義政策でもない。課題はこの政策によって創造への自由及び創造物へのアクセスの自由を生むことである。様々な市民ができるだけ多くの知的,芸術的創造物に触れることができると同時に,アーティスト,クリエーターに表現の自由を与えることである。ここで述べる政策とは文化の多様性の保護,殊に芸術作品の内容と精神の多様性を保護していくことである。」

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