第2章 今後の科学技術振興に向けて

2 過去からの教訓

 第3期科学技術基本計画では、「社会・国民に支持され、成果を還元する科学技術」を基本姿勢として掲げている。この姿勢に沿って科学技術を振興する上で、第1章で取り上げた具体的事例から、参考になる点を抽出した。

(1)産・学・官の枠を超える

 科学とその社会への貢献は、相互作用を伴うダイナミックな過程である。第1章第2節では、一見純粋な基礎研究と思われた量子力学・高エネルギー物理学から現代の様々な技術が派生し、逆に技術発展が基礎研究の推進に寄与していることを紹介した。第1章第3節で見たように、科学の成果は、時間をかけて様々な過程を経て社会に還元されることが多く、したがって長い目で見て判断されるべきものである。顕著な例を挙げれば、DNA構造の知識は、解明された当時、具体的な活用方法の見通しはなかったが、遺伝子組換え技術などを生み出し、医薬品産業を含め広範な領域に多大な影響を与え続けている。これは、すぐ役に立つ成果と見なされたDDT、PCB、フロン等の使用や製造が停止になったことと対照的である。
 先端的な知識は高付加価値産業の土壌である。米国のシリコンバレー等では、大学の周辺にITやライフサイエンス関連産業が立地し、経済を牽引(けんいん)している。米国では研究開発において、大企業の中央研究所から、大学やベンチャー企業の果たす役割の比重が高まってきた。欧米のみならず中国、韓国やシンガポールなどでも大学等を中核とした産業クラスターの育成に積極的に取り組んでいる。科学知識を特許に活用する程度の指標であるサイエンスリンケージは、欧米ではライフサイエンス分野を中心に近年更に増大している(第1-2-1図)

第1-2-1図 米国登録特許におけるサイエンスリンケージの推移

 我が国の産業の活力を維持するためにも、産業界で先端技術を開発する研究者が基礎研究の内容を広く深く理解することがますます重要になる。企業等の研究者の数が増えていることと合わせ、大学・大学院における教育研究の役割は一層重要性を増しているといえる(第2-2-5図)。そのため、企業及び大学等の相互交流が有効に行われる必要がある。とりわけ、次代を担う研究者が、早い時期に社会の要請を知ることは意義がある。インターンシップなどを有効に活用し、本格的な産学官連携の深化と持続的な発展を図る必要がある。

(2)分野を超える

 生物学の爆発的な進展のきっかけとなったワトソン、クリックによるDNA二重らせん構造の発見は、X線結晶回折(注1)という物理学の手法により得られたデータを基に行われた。その後の生物学の発展においても、核磁気共鳴画像法(MRI)、質量分析器やクロマトグラフィー(注2)など、物理学、化学など他分野の知識から生まれた手法が極めて重要な役割を果たしている。科学の発展の原動力となる、現象に対する疑問には、元来分野の区分はない。基礎、応用を問わず、疑問を提起し、それを解決することに科学の活動の本質がある。科学技術の様々な分野の知識や活動は別々に発展しているのではなく、複雑に絡み合ってダイナミックな一つのシステムを作り上げている。
 このような世界的な潮流の中、我が国においても、先端的な融合領域研究拠点を大学等において重点的に形成することとしている。米国の融合研究拠点の取組事例に、スタンフォード大学のBio−X(注3)がある。研究スタイルに合わせて柔軟なアレンジができる研究室、会話が弾むスペースなどのハード面に加え、分野の違う人たちが互いに通じ合わない専門用語ではなく、同じ「英語」で会話することを心がけているという。専門に閉じこもらない、開かれた会話が視野を広げ、新たな流れを作り出していくのであり、既存の価値観にとらわれない若手科学者の活躍が特に重要である。

  • (注1)X線結晶回折:物質にX線を入射すると、それぞれの原子からの散乱波が干渉しあい、特定方向に強い回折波が進行する。この回折X線を調べることで、物質中の原子の配列を知ることができる。
  • (注2)クロマトグラフィー:化学物質を分離するための手法。蒸留、抽出などに比較し、格段に分離能力が高いため、複雑な組成の試料を扱うことができる。
  • (注3)Bio−X:学内において生物学、医学、工学及び物理科学を橋渡しすることにより、生物科学における学際的な研究を促進するよう計画された革新的な取組。

(3)組織の枠を超える

 科学も人間の営みである。科学の全体規模が増大することに伴い、研究の分野と、それに対応して組織が分化する。独立した精神に富んだ科学者といえども、研究機関に所属する以上、所属する組織との関係が存在する。
 湯川博士は、新設の大阪帝国大学において、所属している講座には縛られずに研究する自由を与えられ、ノーベル賞につながる業績を上げた。また、第2節で紹介した審良博士が現在世界に多大な影響を与え続けている研究テーマに着手したきっかけは、兵庫医科大学に異動したことであった。研究組織、特に基礎研究を行う機関では、研究者の能力を最大限に発揮できる研究の自由が必要である。多様な背景を持つ優秀な人材が刺激を与え合うために、組織間での情報交換に加え、公正な人事により国際的視野で自校出身者にとらわれずに採用を行うとともに、人材の流動性を高める取組が重要である。

(4)年齢・性別を超える

 第1章第4節で見たとおり、科学技術の進展において若手研究者の果たす役割は大きい。また、我が国においては著しく低い割合にとどまっている女性研究者の活躍促進は、今後の我が国の科学技術の発展にとって大きな意味を持つ。科学が知の限界に挑戦する活動である以上、年齢や性別を意識せずに本質的な問題に取り組むことが重要であり、そのためには広い視野の涵養(かんよう)とともに、研究計画を立てる訓練が重要である。大学院教育改革支援プログラムによる体系的な教育の推進、若手研究者の独立性の確保などとともに、研究計画の新奇性を重視した競争的資金の採択、若手研究者の審査への登用などの取組の推進が必要である。

(5)国境を越える

 科学は、基本的に国際的な営みである。多くの研究者が、外国の研究者と意見交換を行うとともに、能力を伸ばし、挑戦できる場を求めて国境を越えている。このような優秀な研究者を惹き付けるため、我が国にトップレベルの研究者が集結する拠点が形成されるよう、重点的な取組を更に進めていく必要がある。また、研究の規模の大型化が進むことにより、科学技術の振興における国際的な協力の必要性が一層高まっている。

(6)科学者と一般の人々の垣根を超える

 20世紀を通して、科学技術の活動が拡大し、組織化が進んだ。科学技術の振興は国の資源を投入して行われる大事業になっており、人々が科学の恩恵について正しく理解するとともに、科学の思わぬ暴走が起こらないよう歯止めをかけるためにも、科学者と一般の人々が科学技術と社会について対等の立場で論じ合う必要がある。
 科学者以外の人々は、一般的に、科学は常に明白かつ事実に即した明快な答えを出すというものだという誤解を抱きがちである。科学は永年の検証を経たほぼ確実な解答の集合であると同時に、まだ十分理解されていない問題についての疑問に取り組む活動でもある。社会から要請される諸問題は、複雑な要素が絡み、場面に応じて特殊な様相を呈すため、難しいことが多い。それだけに、一層幅広い視野が要求され、逆に基礎的な研究そのものが時代の投げかける問題から、新たな視点を獲得することもあるだろう。
 また、「新しいもの」に対する不信感は昔から存在する普遍的な感情であり、高度な科学教育を受けた人々ほど、より多くの疑問を提起するものである。科学技術の振興を、我が国の将来のために役に立つものとして人々に支持されながら進めていくために、可能な限り分かりやすい言葉を用いて対話し、共通の理解を形成していくことがますます重要になっている。

(7)常識の枠を超える

 科学の発展は試行錯誤の過程である。地動説や進化論といった考えも当初は異端の考え方であったが、様々な観測事実により検証され、時間をかけて社会の常識になった。平成15年(2003年)にも、宇宙の中にある物質やエネルギーのうち、実に96パーセントは未知のものであるという驚くべき観測結果が得られた。このような未解明の現象に挑戦し、次代を担う創造的な科学者が、これまでの常識の枠を超えた大胆な推論と健全な懐疑を駆使することで、問題解決を生み出す新たな方法を発見していくであろう。新たな知識は、教育による伝達過程を経て、価値あるものが残っていく。科学は、人類が存在する限り続く知的探究心に根ざす人類共有の文化である。

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