第1章 科学技術の振興の成果

第2節■人類の知的資産の創造 −知の創造−

5 歴史の謎を探る

 我が国の地域研究は、特に東南アジア研究において独自の発展を見せている。その象徴的な成果として、最近のカンボジアでの遺跡保存修復及び仏像発掘がある。これは日本チームが指導する文化財保護に関する現場研修の中で、現地のスタッフによって発見され、カンボジア史を見直すきっかけともなり、地元の人々を中心とした遺跡学の構築という、地域研究の本来の在り方を示すものとして世界的に注目されている。
 平成3年(1991年)以来、上智大学アンコール遺跡国際調査団(団長:石澤良昭(いしざわよしあき)上智大学学長)は、科学研究費補助金の支援等も受けて、アンコール遺跡内のバンテアイ・クデイ遺跡において、考古発掘調査と保存修復を進めてきた。そのような中、平成13年(2001年)、274体の仏像と千体仏石柱とを発掘した。
 19世紀後半から約140年に及ぶアンコール遺跡の調査・研究の中でも、これだけの大量の仏像が出土した例は初めてであり、世界の新聞各紙に報じられ、世紀の大発見と言われた。この発見は、出土仏像の検討を通じて従来の通説を覆す契機となり、アンコール王朝末期の歴史を塗り替えるという大きな研究成果をもたらし、東南アジア史研究に新しい知見をもたらした。
 19世紀以来のアンコール王朝研究史においては、「建寺王」と呼ばれたジャヤヴァルマン7世(在位1181〜1219頃)が、在位中40年もの長きにわたって多数の大規模な寺院を建設し、多くの人々を寺院建設に動員したため、村落は完全に疲弊し、国として外敵への抵抗力を失ってしまったという「建寺王朝の崩壊説」がいわば通説とされてきた。
 ところが、274体の廃仏出土という新たな事実と、それに関わる歴史的事実の考察はこのような通説を覆すこととなった。すなわち、ジャヤヴァルマン7世以降のアンコール王朝が、通説の言うように「疲弊するままに衰退していった」のではなく、「ある程度の繁栄を持続させていた」ことを証明するものであったからである。
 実は、発掘された仏像のほとんどが埋められる前に頭部と胴部を切断されたものであった。頭部の切断は明らかに人為的なもので、これらの仏像が破壊され埋納された廃仏であることを意味している。ジャヤヴァルマン7世の2代後の王であるジャヤヴァルマン8世(在位1243〜95)はヒンドゥー教徒であり、仏教勢力との王位継承のための戦闘を勝ち抜いて即位しており、仏教を信奉した前2代の王に対する敵意ゆえに、前2代の王が建設した寺院の改築、仏像の破壊や投棄、碑文の除去などを命令し、実施させたと考えられるからである。今回発掘された廃仏のほかにも、例えば、ジャヤヴァルマン7世が建立した主な仏教寺院の回廊や柱の上部に刻まれた仏像、およそ4万5,000体が削り取られている。
 このような歴史的文脈の中で考えると、今回発掘された274体の廃仏は、王位継承時の戦闘を通じて即位した新王が、前王の信奉する仏像を見せしめに破壊し埋めたものであると考えられることから、ジャヤヴァルマン7世以降の13世紀という時代は、通説のように、疲弊するままに衰退していった時代ではなく、逆に、新王の威令が十分行き渡り、政治が通常通りに機能していた時代であると言うことができる。これらの廃仏は、このような当時の王朝の状況を示す物的証拠なのである。
 なお、上智大学アンコール遺跡国際調査団は、カンボジアに入った昭和57年(1982年)以来、アンコール遺跡の発掘・保護活動とともに、考古学や建築学に関する研修等を通じて、遺跡を守るカンボジア人保存官等の人材養成に積極的に取り組んでいる。


274体の仏像の発掘現場

アンコール・ワット修復事業の現場

写真提供:石澤良昭上智大学学長

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