第1章 科学技術の振興の成果

第2節■人類の知的資産の創造 −知の創造−

3 地球と海洋の謎に挑む

 今や人類の活動は宇宙空間にまで及んでいるが、地球環境に大きな影響を与えている海洋、さらにはその下に広がる地球深部は、いまだに多くの謎に満ちたフロンティアである。特に我が国周辺の海域や地殻は非常に複雑で多様性に富んだ環境であり、様々な未知の生物も生息しているといわれている。我が国は深海底の探査技術を開発し、この身近であるが深淵なフロンティアの探索を行っている。
 海洋研究開発機構は、有人潜水調査船としては世界で最も深い潜行能力を持つ「しんかい6500」や世界最深部まで探査できる無人探査機「かいこう」などを活用し、深海において地震、地球の活動、深海の生命体等に関する研究に貢献してきた。最近の成果では、平成15年から16年(2003年から2004年)にかけての調査で、沖縄の熱水活動域において、メタンや硫黄を含む液体二酸化炭素プールという特殊環境を発見した。液体二酸化炭素はドライクリーニングのシミ抜きに使われるように、有機物を溶かしてしまう性質を持ち、生物にとっての有害物質であるが、液体二酸化炭素を含む堆積物を解析した結果、二酸化炭素等を栄養源とする微生物が生息していることを世界で初めて明らかにした。液体二酸化炭素プールに似た環境は、火星の極冠(注1)の地下にもあると考えられており、今後の微生物群の研究により火星の生命探査へとつながることも考えられている。また、平成18年(2006年)8月には、沖縄の別の海域で、熱水噴出孔から青色の熱水噴出物(ブルースモーカー)を世界で初めて発見した。このように、熱水活動にはまだ知られていない物理・化学メカニズムがあることが考えられる。熱水噴出孔は原始の地球と大変近い環境だと考えられ、生物の分子系統樹(注2)を見ると、細菌、真核生物、そして古細菌の三つの生物の共通の祖先に近いところにはすべて熱水の超好熱性菌(注3)が入る。日本近海の熱水噴出孔から多くの好熱性菌が見つかっており、今後好熱性菌の更なる調査により、生命の起源が解明される可能性もある。

  • (注1)極冠:火星の極部分。主に二酸化炭素が凍ったもの(ドライアイス)と考えられ、季節の温度変化により面積が変化する。
  • (注2)分子系統樹:DNA塩基配列やタンパク質アミノ酸配列等の違いをもとに作成した、生物又は遺伝子の進化の道筋を想定した図。
  • (注3)超好熱性菌:生育に適した温度が80度以上である微生物。高温環境下で増殖が可能で、耐熱性の高い酵素を持つ。

深海から得られた発見
  • 左:ブルースモーカーが発生している様子(赤矢印)。左側から発生しているのはホワイトスモーカー(黄矢印)
  • 右:鎧(よろい)のようなナノ結晶硫化鉄の鱗(うろこ)をもった巻貝
  • 下:365度の深海底熱水孔チムニーから分離された新属新種の超好熱性細菌

写真提供:海洋研究開発機構

 微生物には産業的な利用価値が高いものも含まれる。例えば紙の漂白、洗剤の汚れ落ちの改善、革製品の加工、オリゴ糖の生産などにも微生物由来の酵素が使われている。また、超好熱性菌由来の酵素は、生物学研究やDNA鑑定に欠かせないDNA増幅反応に使用されているほか、アルツハイマー症やプリオン脳症等の疾患の原因となり、大腸菌による薬品の製造過程の支障ともなるタンパク質変性を研究する上で重要な役割を果たすものと考えられている。
 また、様々な海域で多数のデータを安全かつ効率的に収集するため、自動化・無人化も重要であり、そのために自動で採水分析や海底調査などを行える深海巡航探査機「うらしま」が稼動している。最新鋭燃料電池の搭載などにより、平成17年(2005年)自律連続航行の世界記録317キロメートルを達成し、音響探査で深海底の泥火山表面の微細構造をとらえるなどの成果を上げている。
 地球の内部についても、国内外の研究機関との協力などにより、メタンハイドレート(注4)が存在する海底下の地殻内微生物群集の発見、海洋地殻から大陸地殻が形成される機構や地震発生の機構の解明、マントルと核の境界を構成する鉱物を世界で初めて明らかにするなどの成果が上がっている。
 一方、様々な観測手段の発達、分子生物学的手法による解析などにより、身近な生物の知られざる生態についても重要な知見が我が国の研究者により明らかにされている。例えば、ウナギは我々にとって身近な魚であるが、その繁殖の場所は紀元前4世紀のギリシア哲学者アリストテレスも悩ませた永年の謎とされてきた。20世紀に入り、大西洋のウナギの産卵場所はほぼ特定できたが、ニホンウナギの産卵場所はいまだに解明されていなかった。平成17年(2005年)6月、東京大学の塚本勝巳(つかもとかつみ)博士らは科学研究費補助金や21世紀COEプログラムの支援を受け、ニホンウナギが夏の新月の日にマリアナ沖のスルガ海山で産卵することを突き止めた(第1-1-8図)
 世界で初めてウナギの産卵地点をピンポイントで特定したこの発見は、これまでの大西洋におけるウナギの研究を遥(はる)かに凌いだ。この成功により、なぜ回遊するかといった進化的な意義や、地磁気の感知など回遊のメカニズム等の解析が進むことが期待されるとともに、自然界におけるウナギの繁殖生態の解明を通じて、資源の枯渇が懸念されるウナギの養殖に有効な知見が得られることが期待されている。

  • (注4)メタンハイドレート:メタン分子が水分子のかご構造に取り込まれた化合物で、その外観と性質から「燃える氷」と呼ばれている。

第1-1-8図 ニホンウナギの産卵場所を探る

 我が国が南極地域観測に乗り出すきっかけになった国際地球観測年が始まった昭和32年(1957年)から数えて、平成19年(2007年)は50年の節目である。南極地域観測の我が国の取組の一つとして、ドームふじ氷床深層掘削計画が平成15年(2003年)から3年計画で開始され、氷床下3,030メートルと推定された岩盤を目標に掘削が実施された。氷床とは、現在の地球上ではグリーンランドと南極大陸にのみ存在し、地表の広大な面積を覆う厚い氷体のことである。地球の気候は、何百万年にもわたって氷河期と間氷期を繰り返してきたが、南極は沿岸部を除くと、氷が融けず何十万年間の気候変動が氷の中に記録されている。平成18年(2006年)1月に第47次南極地域観測隊をはじめとするチームが3,028.52メートルまでの氷床コア(氷のサンプル)の採取に成功した。平成18年(2006年)10月までに実施された氷床コアの分析作業により、最深部は約72万年前のものと判明し、年代では世界で2番目に古い氷床コアとなる。更なる掘削を第48次南極地域観測隊が継続した結果、平成19年(2007年)1月26日、深さ3,035.22メートルまでの氷床コアや岩盤のものと考えられる数ミリメートルの岩粒、氷床底面から掘削孔にしみ出した水(再凍結氷)の採取にも成功した。
 氷床コア(氷のサンプル)を分析すると、様々な環境の変化を反映した物質や大気が気泡として閉じ込められているため、過去の地球規模の環境や気候変動がさかのぼって解明できる。気候モデルでは、起こり得る全事象、全要素が含まれているわけではないため、古気候によるデータを分析することは極めて重要である。氷床の拡大や縮小の歴史、さらに環境変動との関係を解明し人間活動による温暖化と自然変動を分けて評価ができるため、気候の将来予測にもつながるものである。
 現在、情報・システム研究機構国立極地研究所と大学等の連携により、種々の分析・解析が開始されており、地球規模の環境変動史にかかる新知見を多数もたらすものとして大いに期待される。

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