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平成20年9月2日大臣会見概要

平成20年9月2日(火曜日)
10時53分〜11時8分
文部科学省 記者会見室

大臣)

 本日の閣議は予定通り終わりました。閣議後の閣僚懇談会は少し時間が長かったと思いますが、閣議並びに閣僚懇談会のことについては、内閣官房長官がスポークスマンでありますので、すべて町村官房長官の記者会見にお任せしたいと思います。

記者)

 昨夜、総理が辞任の表明をされましたが、まずその受け止めをお伺いできますでしょうか。

大臣)

 緊急記者会見をされるぎりぎりまで内容は一切わかりませんでしたから、会見直前の総理の辞任というテロップを見まして驚きました。驚愕の一語に尽きます。

記者)

 内閣を改造して一ヶ月で辞任表明ということについて、大臣はどういうふうに受け止められますでしょうか。

大臣)

 たまたま一ヶ月なのです。個人的なコメントについては、町村官房長官から許されていますので、あえて申し上げますが、その時期とか何とかではなしに、総理は様々な国の未来のことを考えて、様々な要素を勘案し熟慮されての結論と思いますから、私の立場で一ヶ月だからどうのということは申し上げるつもりはありません。ただ、もう一言申し上げれば、私は福田総理から文部科学大臣の拝命をしたわけですから、この福田内閣が続く限り、職務はこれまで以上に励まなければならないのは当然のことでありまして、そこは微動だにしていません。ただ議員生活も19年目に入りましたから、色々な思いがあるのは当然ですが、しかしそれは一人の政治家としての思いでありまして、閣僚としては福田総理の下でこれまで以上に、所管の任務を果たしていかなければならないと心に決めています。

記者)

 総理の突然の辞任表明に、マスコミを含め国民の声は、無責任だとか、二代続けて総理大臣が職務を投げ出したというような批判が出ていますが、それについて大臣はどのようにお考えでしょうか。

大臣)

 テレビも新聞も拝見し、そういう声が圧倒的であることは、事実として認めざるを得ません。ただ、一人の政治家としての思いは色々ありますが、閣僚としての気持ちは先程申し上げたとおりで、不動のものです。

記者)

 大臣はこれまで特に教育政策に関心を持って取り組んでこられ、文部科学大臣に就任して一ヶ月、これからという矢先で、今、無念の思いもあるのではないかと思うのですがいかがでしょうか。

大臣)

 私は生意気なことを言い続けてきましたが、政治家というのは何になるかではなしに、何をするかが問われてるのだと、こう自分に言い聞かせてきました。何になるかを図ったこともありませんし、ただ、何をするかだけは、一所懸命に考えてきた一人だという誇りはあります。ですからこれからも、この思いは変えたくありません。

記者)

 今日は総理からは、どういった言葉でどのようなお話があったのでしょうか。

大臣)

 冒頭申し上げましたように、閣議、閣僚懇談会の模様については、町村官房長官にすべてスポークスマンとしてのお役割があるわけですから、これはノーコメントにさせて頂きます。お許しください。

記者)

 大臣は先程から閣僚としての御発言ということにこだわっていらっしゃるようにお見受けするのですが、政治家としての見解は述べないというお考えですか。

大臣)

 それは既に申し上げたように、長い間永田町で仕事をしてきましたから、本当に色々な思いがあります。ですから、私のこれまでの政治経歴をたどって頂ければ、わかると思います。御推測にお任せします。しかし私は閣僚なものですから、しかも総理は熟慮の末に判断されたと思いますから、私の胸の内のことは、皆様の御判断に委ねます。お許しください。

記者)

 今深刻に政治不信が広がっていると言われている中で、総理大臣が二代続けて自分で辞めるということが起きています。教育を所管する文部科学省として、子どもたちに、人を見る目、政治家の不信、そういうものについて、今の思いを一言お願いします。

大臣)

 ノーコメントとしたいのですが、私自身、新聞記者から、二世でも何でもない者が転身してきましたから、政治改革の実験台だと思ってやってきました。そこから先の私の思いはどうぞ御推測頂きたいと思います。また、私の足跡を見て頂ければ私の思いはわかって頂けると思います。これ以上は申しません。

記者)

 福田政権は厳しい政権運営の状況の中で、できる範囲でやってきたと思うのですが、大臣から見て評価されるポイントというのはありますか。

大臣)

 閣僚の一人として思うのは、福田政権というのはずっと前からの色々な懸案を背負い込んで、それこそ背水の陣というのは、まさにこのことです。総理は本当に重い思いだったと思います。ですから、これは御当人ではどうにもならない宿命みたいなものを引き受けたわけでしょうから、大変だったと思います。色々な意味で頑張ってくださったと思います。

記者)

 先程、テレビのテロップで総理辞任を知ったということでしたが、それは何処で御覧になられましたか、また、それまで何も連絡はなかったのですか。

大臣)

 自宅におりまして、一切、何の情報もありませんでした。

記者)

 まだ、総理が辞職するまでには少し時間がありますが、大臣として、文部科学行政へやり残したということがあればお願いします。

大臣)

 例えば、大分県の教職員採用試験を巡る汚職事件の影響です。昨日、大分県教育委員会から報告があったようでして、採用取消の対象となった21人について、3日までに自己退職等の意思表示をしてもらい、5日に最終的な意思決定がなされるということです。私が本当に心配するのは、この事件が清く正しく生きなければ駄目ですよと教えるべき教育の場で起きたということです。本当に、子どもたちがどれほどのショックを受け、悪影響を受けかねないかと思う。子どもたちの立場を思うと、せっかくなじんだと言いますか、尊敬もしたでしょうし、特に私にとっての先生というのは、ありがたいし、素敵な人で、大事な人だったものですから、子どもたちの気持ちを最優先に、何とか皆で温めてあげてほしいと個人的にはそう思います。県教委の在り方とか、組合との関係とか大人の世界の処理は、適正に厳格に見据えていかなければなりませんが、やはり一番心配なのは子どもです。子どもの気持ちをわかってあげてほしいです。この事件で子どもたちが悪影響を受けないように、家庭も地域も学校も、それこそ社会総ぐるみで、温かくしてあげてほしいと思います。文部科学省もそういうつもりで対応するつもりです。

(了)

  • 本概要は、発言内容を変更しない範囲で読み易く修正しています。

(大臣官房総務課広報室)