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21世紀の社会と科学技術を考える懇談会
―  第4回会合 議事録  ―

1.日  時:平成11年6月25日(金)  10:00〜12:00   

2.場  所:東海大学校友会館  「望星の間」

3.出席者:

  (委  員) 井村、石塚、雨宮、石井、宇井、後藤、玉井、中島、中村、松尾、丸島、安井、米本の各委員
   猪瀬政策委員、平石政策委員、矢田部政策委員
  (事務局) 科学技術庁 加藤科学技術政策局長  他
   文部省 上杉学術課長  他

4.議  事

・座長  今日は「日本の存立・発展と国際社会の課題」という大きなテーマの中で、「科学技術と経済産業との係わりを中心に」という題で、3人の方からご発言をいただき、それを基礎として討論をしていただきたいと考えている。
  まず最初に委員から、「日本のナショナルイノベーションシステムの課題」と題して、お話をいただきたいと思っている。

・委員  私は一橋大学のイノベーション研究センターというところに勤めている。これは3年ほど前に、私の同僚で知識経営、マネージマネージメントの元祖である野中という経営学者と一緒に大学の中にこういうセンターをつくって、世界のイノベーション研究の中心になろうという意気込みで始めたものである。もともと私は経済学を勉強しており、籍も経済学部にあるが、経済学あるいは経営学の立場からイノベーションの問題を研究しようというのが我々のセンターのねらいである。
  ただし、経済学が対象としている人間の経済社会というのは非常に複雑なので、難しいことがいろいろあって、その前提とか前置きをいろいろ置いて議論をしなければならない。その前提とか前置きが変わると、結論も非常に大きく振れて、変わってしまうということになる。今日は時間が短いので、細かな前提を申し上げることができないが、その点をお含みおきいただきたいと思う。
  昔、アメリカの大恐慌のときのフーバー大統領が経済学者を呼んできて、大恐慌から脱出するにはどうしたらいいかというのを何人かの経済学者に聞いたことがある。そのときに来た経済学者がすべて、最初に長々と政策提言をいろいろするわけだが、その後で必ず“On the other hand”と言って、全く違うことをまた長々と述べる。フーバー大統領はしまいには怒って、自分の秘書に「片手のない経済学者を次から連れて来なさい、そしたら“On the other hand”と言えないだろう」と。これはポリティカリー・コレクトじゃないジョークなのだが、経済学者の言うことというのはその程度のものだというふうにお考えいただきたいと思う。
  まず最初に、量的なレベルで日本の長期的な経済成長を考えるときに技術進歩がいかに重要かということを、データを見ながら少しくご説明したいと思う。2番目に、技術進歩が経済成長にとって重要だということになると、その技術進歩を実現していくための制度はどうあるべきかということを次に議論したい。非常に大きな話なので、限られた時間ではほんの一部しかお話することはできないが、以上のような順番で話をさせていただきたいと思う。
  配付資料の2ページ目をごらんいただきたい。わざわざこういうことを今から申し上げる必要はないと思うが、資本と労働という生産要素の増加と、生産性の上昇という要因によって経済成長が起こる。資本と労働と生産性の上昇と経済成長の関係を定式化したのを生産関数という関数系であらわして、資本がどれだけ増えれは経済成長はどれぐらいになるとか、労働がどれだけ増えれば経済成長はどれぐらいになるというようなこと、この場合の経済成長というのは潜在成長率になるが、その関係を量的にとらえようとしているわけである。
  生産性の上昇という3番目のファクターは、資本の増加も労働の増加もなくても成長が起こってくるというのが生産性の増加で、その背景になるのは第1に資源配分の効率化である。つまり、非効率的な部門に雇用されている資本や労働がより効率的な部門へと移転していくということである。高度成長期には例えば農業とかに雇用されている労働が製造業へ移転するというような形で、非常に大きな生産性の上昇への貢献がみられたことがある。それから、2番目の大きな生産性上昇の原因というのが技術進歩になっていて、研究開発によって技術進歩が実現されると、こういうふうに図式的に考えているわけである。
  このフレームワークの下で、日本の数字を少しずつ見ていくと、3ページ目が資本にかかわるところであり、貯蓄率である。資本蓄積というのは、今、国際資本移動が非常に活発に行われているので、国内の貯蓄からだけ資本がくるわけではないが、これはある意味でパラドックスであるが、これだけ国際資本移動が盛んな時代においても、一国の資本蓄積のほとんどは国内の貯蓄からくるというのが現状である。為替レートのリスクがあるとか、海外投資は取引コストがかかるとかいったような理由が挙げられると思う。
  だから、貯蓄率の動向というのは資本蓄積に一番大きな意味を持つ。その貯蓄率は、ごらんになってわかるように、徐々に低下している。高齢化で年寄りが増えると、年寄りというのは貯蓄を取り崩す存在だから、貯蓄率は全体的に低下していく。ただし、これは注意が必要で、日本の高齢者の貯蓄率は国際的に見ると非常に高い水準にあるので、ゆるやかにしか低下していないけれども、傾向としては低下していくだろう。
  次のページが労働の側だが、ご存じの通り2年前から生産年齢人口は既に減り始めているので、労働の方も減少していくだろうということである。そうすると、資本と労働という2つの基本的な生産要素が長期的には減少していくことはほぼ確実であろう。
  次のページが、第三の要因の生産性である。ごらんの通り生産性も低下しつつあるということが見てとれる。70年代の初めは2%程度の成長がみられたが、80年代以降は 0.5%以降の成長である。しかも、注目していただきたいのは、80年代後半のバブルの好調期でも生産性の上昇率は低いレベルにとどまっているということである。なので、経済成長をもたらす資本と労働と生産性の上昇、TFP成長率というのは生産性の上昇率と考えていただいていいと思うが、3つとも低下しているということなので、長期的な経済成長の伸びというのは鈍化せざるを得ないのではないか。
  次のページは、R&Dストックの増加とTFP成長率であるが、資本と労働という基本的な生産要素は高齢化の中で落ちるのは避けがたいとすると、頼りになるのは生産性の上昇だけであるということになる。生産性の上昇は、先ほど申し上げたように、技術進歩と資源の効率的な配分というのが大きな要因になっており、資源の効率的な配分の方は規制などによって、例えば建設業といったような生産性の低い分野は依然として非常に大きな資源があるので、規制緩和によってそういうところに滞留している生産要素をより生産性の高い部門に移動させてやることが大事になると思う。
  それから、技術進歩の方は、R&Dストックの増加とTFP成長率というところでわかるように、研究開発を活発にやると生産性は上昇するということがわかるので、研究開発を増やして技術進歩を促進していくということを通じて、生産性を上昇させていくことが非常に重要になってくるということである。
  次のページもご案内のことと思うが、生産性の源泉となる技術進歩のさらに源泉となる研究費も、近年は不況のおかげであまり増えてないという状況にある。そういうことになると、いかに研究開発を効率的に進めていって技術進歩を実現していくかということが大変重要な課題になってくると思われる。つまり、資本と労働があまり増えない、これは高齢化で何ともしがたいということであれば、生産性を上げなければいけない。生産性を上げるためには技術進歩と資源の効率的な配分が必要になってくるだろうと。技術に絞って言うと、そのためには研究費を増加して研究開発の知識のストックを追加していくことが必要になってくる。しかし、研究費もなかなか伸びにくい状況にあるというのが今までのストーリーである。
  成長率を確保するということはあまり意味がないという意見もあり得るわけで、成長万能ではないというような考え方もあり得るわけだが、2%程度の成長がないと、高齢化とか国際化という中で、非常に窮屈な経済社会になってくるのではないかと思う。しかし、そこは価値判断の問題なので、皆さんがどういうふうに判断されるかということだろうと思う。
  今のところで、簡単な数字でちょっと計算してみると、例えば資本が3%増える、労働が 0.7%減っていくというふうにすると、資本と労働の貢献というのは、それぞれの分配率が貢献分になる。そして、GNPを資本と労働で3対7で分けあうというふうに考えると、日本の場合は労働が7割よりもちょっと小さいが、大ざっぱに7割が労働の懐に入って、3割が資本の懐に入るとする。資本が3%伸びるとすると、3%掛ける 0.3だから、 0.9%ぐらいの成長押し上げが資本から受けられる。労働の方は、 0.7%減るとすると、それに 0.7を掛けてマイナス 0.5%ぐらいの押し下げになる。
  その2つを合計すると 0.4%ぐらいのベースでプラス成長率が考えられる。もし生産性が 0.5%で成長すると、潜在経済成長率は 0.9%ということになる。これは非常に大ざっぱな数字でものすごく振れるが、2%成長を達成しようとすると、生産性は 1.6%必要になってくるわけである。 1.6%の生産性の上昇率を確保するというのは、先ほど言ったように、現実は 0.5%ぐらいしか生産性は伸びてないわけなので、これは長期的にみてなかなか大変だということである。
  そこで、効率的に生産性の上昇、技術進歩の促進を図っていかなければいけないというのが次の課題だが、システムとしてどういうふうに効率的な技術進歩を図っていくかというと、ナショナルイノベーションシステムというフレームワークで考えてみる。産業の技術進歩というのは、産業の研究開発だけに依存しているわけではなくて、大学とか政府の政策というものにも非常に影響を受けているわけなので、一国全体の研究開発がどういうふうに行われているかということを考える必要がある。
  そのときに産業と大学と政府という3つのプレーヤーがいて、産業は利潤を目的として産業技術を開発する。大学は教育と基礎研究を行う、政府はルールを決める、あるいはミッション・オリエンテッドな研究を行う。こういうような役割を持ってプレーヤーが相互にインターアクションを行って、一国のイノベーションというのは進められていく。これは伝統的な役割分担で、今は変わりつつあるが。グローバリゼーションということが言われているが、国がどういう形でイノベーションを進めていくというやり方は、国によって非常にはっきりした違いがあって、アメリカには独特なイノベーションのやり方があるし、日本には日本の独特なやり方がある。
  このフレームワークで、各国のイノベーションのあり方を考えていこうというのが次のページだが、1つずつ取り上げていく時間がないので、各セクターごとというよりも問題だけを急いで申し上げる。日本のナショナルイノベーションシステムを考えるときの第1番目の問題点というのは、バイオテクノロジーとかインフォメーション・テクノロジーといった新しい技術と、組織や制度、慣行といったものの対応関係がうまくいっているだろうかということである。
  80年代には日本は自動車、鉄鋼、半導体、工作機械といった、ある意味で20世紀の資本主義を代表するような産業で世界一の生産量を達成したわけで、非常に驚異的なことだと思うが、そういった伝統的な産業では、ものづくりの現場における暗黙知(tacit knowledge)と言われるような、言葉や数式であらわしがたい知恵が非常に重要だとよく言われている。暗黙知を理解するためには、その暗黙知が語られる文脈、コンテキストを共有することが非常に重要になってくる。
  日本の場合には大企業の中に製造部門、販売部門、研究開発部門があって、日本的な雇用慣行の下で密接な交流が行われていて、暗黙知をできるだけ共有しようということが行われる。それが大きな競争力につながったという側面があるわけだが、こういうような特徴がバイオテクノロジーやインフォメーション・テクノロジーといった、かなりサイエンス・オリエンテッドで非常に安い高速のコンピューティングパワーを使うような産業にとって、そういった制度、組織のあり方が適合しているんだろうかということが、問題として考えられなければいけないのではないか。これは私自身もその回答を持っているわけではないが、そこに一つの大きな産業技術の問題があるかも知れない。
  2番目の問題は産学連携の問題だが、これはあとで玉井委員からもお話があると思う。今、産学共同が重要だということが主張されていて、確かに非常に重要なわけだが、あまり性急に大学に産業技術を開発しろというのはむしろマイナスになる可能性が高いのではないか。大学が特許をとって、それを企業へライセンスするという、産学共同のその側面だけが過度に強調されるということは、建設的な産学共同にとってマイナスになる可能性が強い。“Enabling Science”という言葉がよく使われるが、むしろ産業技術の基盤となるような学問領域について大学で先端的な研究を常に行っていって、そういうレベルでの産学の交流が起こることが望ましいわけである。そういう本質的な産学共同を推進することが、ややもすれば最近の議論の中では影が薄いのではないかという気がしている。
  3番目は技術政策である。研究開発税制については、増加試験研究費の税額控除の制度というのが日本にあって、欧米でも日本にならって導入しているわけだが、近年これの効果が非常に薄くなっている。優遇税制なので、政府の税収は減るわけで、一方で税収が減って他方で研究開発を促進する効果がある。そのときに1円税収が減ることに対して何円分の研究開発の増加が起こっているかというのを、私と共同研究者で計算してた。近年は非常に効率が悪くなっていて、1円税収が減るのに対して 0.2円ぐらいの研究開発の増加効果しかないということになっていて、この効果は非常に薄れている。
  最近、産業を活性化する税制を見直しとか競争力強化法案とかいろんなことが言われているが、これは非常に重要な問題になるのではないかと思っている。増加試験研究費なので、試験研究費を過去よりも増やしたときに優遇するという制度になっているわけだが、本質的な議論をすると、増やすことを優遇するわけではなくて、研究開発そのものを優遇すべきであるので、税制の設計自体を変えていく必要があるのではないかと思う。
  それから、知的財産権政策についても、近年の知的財産権制度というのは、アメリカに端を発した強い特許制度というので、発明者保護を強化する方向へいっている。日本の場合には、特に裁判で時間がかかるとか、賠償金の額が小さいという問題があるので、その意味で強化することは必要だが、技術というのは累積的に進化する性質を持っているので、あまり強い特許制度を導入すると、逆に技術進歩にマイナスになる恐れがある。だから、強める一方で、どこまで強めるのかということをそろそろ考えないといけないのではないかと思う。

・座長  今の委員のお話に対して少し議論をしていただきたいと思う。素人の質問で申しわけないが、「潜在成長率」というのはどういうものか。

・委員  国内にある資源をフルに使ったらここまでは生産できるというもの。需要がなければ生産が行われないので、実際はそれ以下になる。今、日本でも潜在成長率は2%とか3%ぐらいあると思うが、実際はマイナス成長しているわけで、それで失業者がたくさんいるというわけである。

・委員  今、先生のお話の中で産学の関係について、特許のやりとりを中心に据えたような、あまり性急な産学連携はむしろマイナスではないかとおっしゃったように思うが、私も産学連携を3年ほどやってきた体験から言うと、今、大学に特許を中心してそういうことができるほどのポテンシャルがない。したがって、できる状況であって、それを推進すると確かに副作用が出るかも知れないが、その状況にないのに、それをあまり心配することはないのではないかと私は思っている。

・委員  それはそうかも知れない。日本では大学が特許をとることは別に悪いことではなくて、それも必要だと思うが、そればかりが産学連携ではないと。産学連携の大事なことはほかにもあるということを申し上げたいので、おっしゃる通り、日本ではむしろベースとなるところの特許を中心とした産学連携というのは貧弱なので、それをもっと強化する方向は必要だと思う。

・委員  産学連携に関連して、配付資料の8ページで、大学の役割として教育と研究であるということについて、先生は「従来」とおっしゃっていた。確かに大きな役割はその通りだと思うが、これから産業界で大学に期待するところというのは、研究というのはアカデミックな研究という意味にすると、研究の範囲ではなくて、産業へのつながりのところにあるので、こういうミッションが大学に一つほしいというのが今の状況ではないかと理解している。
  というのは、産業界が基礎研究というのをなかなかできなくなってきて、応用研究から入らざるを得ない。基礎部分はどこがやるのか。国全体で見たときに、大きな役割を果たすのは大学ではないだろうかと思う。もちろん国研もあるかも知れない。そういうところで基礎的な研究をやっていただいて、それと産業との結びつきのところもやっていただく、こういう役割も大学に期待しているのではないかと思う。その意味で産学連携というのも非常に強調されているんじゃないのかなと理解している。

・委員  私の申し上げたかったことも、今、委員のおっしゃったことと同じで、特許をとるような技術というのは、大学よりも企業の方がはるかに比較優位があると思うので、そういうのは企業でやって、大学はより基礎的な研究に注力して、その上にさまざまな技術の花が開くような基盤的な研究を大学で行って、それと産業界の連携を強めていくというようなことが一番重要ではないかと思っている。

・座長  この間に一つにはベンチャーのようなものが、大学と産業をつなぐものとして、アメリカでは非常に大きな役割を演じているわけだが、日本はそれがまだできていないというあたりも一つの問題か。

・委員  アメリカでよく議論になるシリコンバレーとかバイオの話なども、大学の先生がベンチャーをつくる。そうすると、兼業でやっている人も多いので、大学の周りにハイテクのベンチャーの集積ができるという格好になるが、日本の場合の大学と産業のかかわりというのは、大学を卒業して企業に入った研究者が何年かして母校の研究室に戻るというような格好になっているから、そういう産学の形だとハイテク産業の地理的な集積が生まれるということはなかなか難しいと思う。
  だから、座長がおっしゃったように、大学をベースとしたベンチャーとか、そういったものの振興も必要だと思う。

・委員  私は経済の方の専門ではないので、教えていただきたいのだが、配付資料2ページの経済成長についての3つの要因があり、これはサプライサイドから見た場合の要因だが、日本の21世紀のことを考えると、トータルとしての人口が減るという状況になるので、個人消費に相当する分が必然的に減少する傾向にあるのではないか、それが経済成長にどういう影響を及ぼすのかという観点は必要なのか、不要なのかというのが、素人からお伺いしたい一点である。
  それから、今、話題になってる大学での研究の位置づけだが、企業サイドから見て本当に期待しているのは、かなり基礎のところから新しいものを含んだ研究、また、そういう要因のある特許、特許でなくてもいいと思うが、本当に新しいものを期待しているんだろうと思っている。特にバイオテクノロジーやマテリアルの分野だと、相当サイエンス性のあるものでないと、企業の方も関心を強く持たないのではないかというような気もしている。そういう意味では大学における研究というのは、基本的には本当に研究らしい研究なのではないかと私は感じている。
  3つ目は、先ほど研究開発税制の話があって、数年前までの知識しか持っていないので、正確ではないかも知れないが、増加試験研究費税制は今まての最高の研究開発投資よりも増加した分に対して税の対象から外すということだと思う。日本だと、バブルのころに一番たくさん研究開発投資していたとすると、増加する分が非常に減ってきている。そういう観点で効果が薄れているのかなと思っていたが、別の見方なのかどうか。
  この3つの点を教えていただきたい。

・委員  最初のお話は、おっしゃるように経済成長のフレームワークというのはサプライサイドの話なので、潜在的に日本国内に存在する資本とか労働や技術を利用してフル操業をやるとここまで可能であるという話である。それに対して需要がどこまであるかによって現実の成長は決まってくるので、需要の動向というのは非常に重要だと。重要項目の中で、消費も人口が減れば減るだろうし、需要がそれほと伸びないというのであれば設備投資も減るんだと思う。ただし、需要の方は比較的短期的な変動で、どれだけポテンシャルとして伸びる可能性があるかということが、長期的に見たら非常に重要なポイントになると思う。
  しかし、おっしゃるように需要の動向というのは非常に重要で、日本の高度成長期のときにも社会的なデモグラフィックな変化が起こって、地方にいた人たちが都市へ出てきて、独立の所帯を構えるということで耐久消費材とか住宅とかの需要が爆発的に伸びた、それは高度成長の需要面から見た背景になっているわけである。だから、そういう需要側のファクターが将来期待できるのかというと、あまり期待できそうもないので、需要面からの検討ももちろん必要だと思う。
  2番目は、大学の研究については私もおっしゃる通りだと思う。先ほどバイオとインフォメーション・テクノロジーを申し上げたが、サイエンスベースでの産業をこれからどうやって育てていくかということが非常に重要な課題だと思う。そうなると、大学の役割、産学の連携というのは極めて重要な課題になってくると思う。そこでサイエンスベースの産業を振興するために、どのような産学の連携の形が一番望ましいのかということを考える必要があって、委員がおっしゃったように、大学では基礎的な研究をやって、その上でサイエンスベースの産業が発展するような土壌をつくってやることが非常に重要だと思うので、おっしゃる通りだと思う。
  それから、増加試験研究費については、おっしゃる通り過去のピークから増えた部分について20%、税額控除できるという制度になっているので、先ほどの研究費のグラフにあるように、右下がりのときは非常に有効であったが、ピークを過ぎてしまって右肩下がりになってしまうと、あの制度は有効性がなくなってくる。それから、増加試験研究費の税額控除なので、法人税を納めるような企業でないとありがた味がないわけだが、今の日本はほとんどが赤字企業だから、あの税制の恩恵は全くない。

・委員  私は、経済のことは全然わからないが、配付資料4ページの人口の図を見ると、アメリカだけが増えているし、2050年あたりでも高い水準にある。今、経済や科学技術の問題は、アメリカの動きが非常に大きな影響を世界に与えている。人口が経済成長を支える大きなファクターだとすると、これから先もアメリカがずっと強いという感じが続き、より強くなるという感じになるのか。単純にこれを読んで感じたが。

・委員  これは他の役所の会議の資料をそのまま持ってきたもので、日本のことを示そうと思って持ってきたんのだが、アメリカが上の方にあるのは今初めて私も気がついた。

・委員  大学で、TLOを好むと好まざるとにかかわらず進めている張本人として一言だけ。
  先ほどの産学共同の問題だが、皆さんおっしゃっていることはすべてごもっともなことだと思う。先ほどどなたかから出たように、大学でもどの段階の研究もやっているし、基礎、応用、開発研究というような分け方はよろしくないと思う。ただ、TLOに対してすぐ特許というものはほとんどないというか、あまり期待はしていない。しかし、そこへいろんな研究のシーズ、つまり、どういう研究をやっているかという情報が登録されている。
  ところが、大学の研究者にしてみると、それが一体どういう展開をするかということが十分わからない場合もある。それをよくごらんになって、これはものになりそうだというようなものを探してもらうのは、むしろ企業の側ではないかと思う。そういうところから、産学のプレ・コンペティティブぐらいの段階での勉強会が始まるというところが、実際の効果ある産学共同につながっていくのではないかと感じている。

・座長  まだご議論もあろうと思うが、またあとで全体的な討論の中でお願いしたいと思う。事務局の方で資料を準備しており、 配付資料4−3 について簡単に説明をしていただく。ここにまたいろんな資料があるので、ごらんいただければと思う。

(事務局より、 配布資料4−3 について説明)

・座長  それでは、続いて、委員からお話をいただきたいと思う。配布資料4−4−2をごらんいただきたいと思う。

・委員  私は法律学、その中でも知的財産法というジャンルを中心に、ごく狭いフィールドの研究をしているにすぎないので、非常に狭いフィールドから、あるいは井戸の中から空をのぞいている、その観察記録というようなことになるかも知れないが、15分ないし20分程度のお時間をいただければと思う。
  私が狭いフィールドから感じているのは、全体的な戦略というのが重要であって、しかもそれについては一定の要件を満たす必要があるのではないかということである。私は知的財産権を中心にごく狭い分野を研究をしているということを話したが、私などが申し上げるまでなく、アメリカ合衆国が1980年代からかなり明確な知的財産権戦略があったんだという人もいるし、そんなものはなかったんだという人もいる。しかし、事後的に観察すると、そういうものがあったとすると非常によく理解できる現象が起こっている。
  どういうことかと言うと、80年代に日本が経済的に優位であると、“ジャパン  アズ  ナンバーワン”であると言われていた時期に、「モノ作り」、目に見て手で触れられるモノをつくっていたのでは日本に勝てない。日本に勝てないだげてはなくて、日本の後から追いかけてくるNIESがいっぱい出てきている、それにも勝つのはとても無理だということを、ある種の諦めとともに悟ったのではないかということである。
  そうなると、合衆国としてはどうすればいいかということだが、まず社会構造から言うと、日本のように中堅レベルで非常に良質な労働力が多数あるところではない。逆にトップは限りなくすばらしいけれども、ボトムの方にいくと非常にミゼラブルである。経済的にもミゼラブルで教育の機会もないので、そこから脱出するのは難しいというようなところで、一つひとつのモノの品質がどれだけのパーセンテージでよいものが出るかというところで勝負していたのでは勝てるはずがない。非常にすぐれた基盤的なアイデアを出す人がいた場合、そのアイデアから金をとれるというような仕組みにすると、合衆国全体としていいはずだと。
  こういう判断はできるわけだが、例えば貿易統計などを見ても、モノづくりでアメリカ合衆国の赤字が大幅に増えている。しかし、知的財産と言うか、広い意味での技術の輸出でその7分の1ぐらいを消している。したがって、技術輸出の黒字が、単純に言えば7倍になる。つまり、各国での特許権の価値が7倍になれば、合衆国の貿易赤字が消せると。もう少し深い計算があったのかも知れないが、そういう極めて単純な計算でもそういった戦略を立てることはできるわけである。
合衆国がすごいと思うところは、それをまさに国家規模で政策化し、あらゆる面で実現を図っている。現に実現しつつあるということではないかと思う。知的財産権制度の強化というのが合衆国内でまず始まり、深く広く強い権利にする。なかんずく、そのパテントを権利として位置づけ直すということをした。強い権利と言うのは、例えば1つの特許訴訟で負けた場合の損害賠償額の平均が 9,000万ドルぐらいであると、そのぐらい強い権利である。
  広い権利と言うのは、ある発明があった場合、日本の古い考え方でいうと、その発明だけが特許の対象になるということだったのだが、その発明の背後にある基本的なアイデアまですべて権利にしてしまう。例えば世界で初めて遺伝子組み換えの実験を成功させたとすると、その微生物を使ってその遺伝子をある特定の制限酵素で組み換えたということについて特許を認めるのと、抽象的に細胞について適当な制限酵素を使って適当な遺伝子を組み換えたということについて権利を認めるのでは、原理の値打ちが何万倍にも違ってくるわけである。そういう意味で広い権利を認めるということをやっている。
  それから、深くと言うのは、コア技術あるいは基盤的技術、あるいは、場合によっては萌芽的な技術というようなことも重なるわけだが、そういった段階でパテントにすることを認めてしまうということをするようになった。極端なケースとしては、人間の遺伝子配列をただ読んだというだけでパテントになるのではないかということが取り沙汰されたことすらある。現在でもその問題は尾を引いており、まだ未解決なところがある。
  ということは、例えば大学の研究ということから言うと、実用化に近い研究が特許になって、それが商業化されて売れるんだというような、あえて言えば誤解と言うか、そういうものもあるかも知れないが、それだけではないようになっている。大学での基礎的な研究について特許をとって、それをじっと持っていると実用化が10年先になされて、実用化された段階で大学に何十億円という収入をもたらすというようなことがあるわけである。
  先ほど話した例で言うと、コーエンとゴーギアが最初に遺伝子の組み換え実験をしたときに、これが商業化されて価値を持つとは全然思っていなかったという有名な話がある。あるいは、特許についてはあまり関心はなかったけれども、ある人の勧めで、先に論文として発表してしまっていたので、特許制度の違いにより、日本とヨーロッパでは特許は成立しない、合衆国内だけで成立したわけだが、その特許権によってスタンフォード大学が毎年何十億円という収入を上げていたということがある。ごく最近特許の期限が切れたが、そういったことがある。
  また、合衆国の安全保障その他も含めた世界的な地位が極めて高いので、こういったことを各国でもやるべきだと。一緒にやりましょうという呼びかけというよりは、やるのが正義である、やらないのは不正であると。ほかの貿易関係で制裁でも何でもやってやるという態度で、各国に押しつける、我々から見ると押しつけられるということがある。それによって特許制度を中心とした知的財産制度が、場合によっては技術開発の悩みのタネになるという状況であるのは、私がこの場で申し上げるまでもないことである。
  こういった例を見ると、戦略を立てるのに必要なことはどういうことかというと、当たり前の話だが、全体的な視点を持つ、そして、それぞれのフィールドに目配りをする。フィールドに目配りをするといっても、その分野で新しい研究成果を上げるような能動的な能力は必要ないだろうと思う。しかし、受動的にしろどの分野でどういうことが起こっているかということが理解できる程度の目配りは必要である。それを目配りした上で全体的に、これが必要だという大方針を打ち出すというのが日本にとっても必要なことではなかろうかと思う。
  他方、戦略を打ち立てる場合にあってはならないことが幾つかあり、そのあってはならないことが日本ではまま見られる。これも実感として諸先生もいろんなフィールドでご存じのことだと思うが、例えば過去にとらわれる。将来の戦略を立案するのに過去の延長という格好でやっていては斬新な抜本的な解決策は出てこない。合衆国の知的財産戦略というのは過去の特許法を抜本的に見直して新しいことに組み換えるということであったので、あのような効果があったんだろうと思う。
  増分主義と言うか、予算づけなどでよく見られることだが、実際が 100だったので来年は 105ぐらい要求すると、 102ぐらいで通るとか、そういうたぐいのことは革新的な戦略を樹立し、実現するのにマイナスだろうと思われる。
  それから、ベクトルの打ち消しあいというか、司々でそれぞれやっていくと、全体としてよくなるというモデルが、今では全然成り立たないだろうと思う。司々でそれぞれやっているところが打ち消しあって結局非常に効果の小さなものになる、一方で産学連携を推進する。産学連携を推進するという一つの内容は、大学というのは人材のプールなので、そこの人材を活用しない手はない。それを活用しないと社会経済的に効率が悪いということだろうと思う。
  有名な例で明らかになったように、国家公務員法というのは、基本的には公務員は私企業から隔離されなければいけないという建前に基づいている。その建前に基づいて厳格に運用しようという役所がある。これは司々の立場で言えば当たり前のことだと思うが、そうだとすると人材の活用よりも連結性と言うか、もっと正確に言えば連結性を害する恐れがごくわずかでもあってはいけないので全面的に隔離するという、連結性を維持するためにほかの擬制はすべて顧みないという政策になるわけである。
  ソニーの社外重役になることが必要なのかどうか、私は判断できないが、そういったような社会での人材の活用というのは阻害される。阻害されないようにしようと思うと、一橋大学の学生さんがすぐれた授業が聞けなくなる、こういう無駄が起こっているわけである。産学連携の推進の中に、大学発のベンチャーが出てないではないか、シリコンバレーやカリフォルニアにあるのに、東大の周りにはないじゃないかというようなことを言われるわけである。それは、一方でムチを入れていただいても他方で手綱を締められては、速く走れるはずがないというのが多くの大学人の実感ではないだろうかと思う。
そういった改革に根本的なところから検討して、公務員が全体の奉仕者であるという憲法の規定にさかのぼって検討しなければならないので、検討に普通は5年かかるところだが、3年ぐらいでやってみようと、そういうことだとすると、その間は我々はベンチャーなんか起こさなくても構わんというふうな社会的な免罪符でも与えていただかないと、アホらしくてやっていられないというのが大学人の実感であろうと思う。
  先ほど少し技術移転のお話も出たので、それについても若干申し上げたいと思う。私も会社をつくって、技術移転機関をつくってやっている。特許になるような技術シーズは大学にごろごろあるというのが実感である。ただ、そう言うと、先ほど申し上げたような理解に基づいて、それがすぐにどんどん売れて、もうかるのかというふうに問われるわけだが、そんなことは全然ない。
先ほど話したように、大学で行われている基礎研究がそのまま特許になるという時代なので、そこから実用化に向けてさらにもう一段の研究開発をして、一群の特許、応用的なパテントも含めた数十という単位の特許をそろえて、やっとワンセットで社会的に売り物になるというのが現状である。その場合、基礎的なパテントをとっておかないと、日本としては極めて大きなマイナス、ロスになるので、それをとるための組織はどうしても必要だろうというのが私どもの実感である。
  ところが、後藤委員がおっしゃるような、全体的な政策がなかなかできないものだから、一度キーワード、キャッチフレーズ的に技術移転というのはやらなければならないということになると、産学連携のほかの面は大体なおざりにして、それをどんどんやるといいですよという話になってしまって、ごく特殊な領域だげで尻を叩かれても、あるいは、それを推進していただいても、全体としては効果は薄いかも知れないということを実感として感じている。そういう意味では、後藤委員のおっしゃる通りだということで、あまり大したお役には立てないわけである。
話を戻して、もう1つ、戦略のためにあってならないことというのは、専門家への丸投げと言うか、あるジャンルの専門家というのはそのジャンルについてよく知っているのだから、そのジャンルについての戦略を立てるのに適任だという思い込み、暗黙の前提がいろんなフィールドで見られると思う。人に唾をはきかけるわけにいかないので、「知的財産権の専門家は知的財産権戦略の立案に適任か」という書き方をしたのだが、この「知的財産権」というところに何を代入していただいてもいいので、バイオテクノロジーでも何でもいいと思う。
  我々は知的財産権を勉強しているわけだが、アメリカ合衆国のような政策を世界各国がとって、パテントの強化をやりましょう、プロ・パテント、プロ・コピーライトで頑張りましょうというふうな政策をとってくれれば、いろんなところで講演をしてくださいとか、意見を聞きたいと、そういった機会は増える。あるいは、先端研のようなところに知的財産権を研究するディビジョンができるとか、あらゆる面でいいことばかりである。
  あるいは、私の教え子が弁護士として就職すると、知的財産権の訴訟がどんどん起こって、1回の訴訟で 9,000万ドルというような時代になれば、教え子の就職にとっても非常にいい。教え子がいいところに就職できてどんどんお金を稼ぐというのは、教師にとってこれほど楽しいことはないので、そういう面でもどんどん知的財産権が強化されると私にとってはうれしいということになる。そうすると、当たり前だが、特殊な利害を生み出す。利害というとギラつきるけれども、どうしてもバイアスがかかる。
  私自身それは公平中立に判断するように努めているつもりだが、周りにいる人々、私が日常的に接触する弁護士、裁判官、学者といった人々は知的財産権を強化するのは世界の流れであり、正しいことであるという前提で仕事をしている者が大半である。その中で息を吸って、お話をして、ものを食べている、そういう生活を送るだけで知的財産権を強化するのはぜひやらなければいけないことだという感覚になる。それで本当にいいかのというと、これも後藤委員が言われたことだが、全体的にみるといいことかどうかというのはわからない。
  もしかすると、日本の社会構造からいって、モノづくりでお金を稼ぐということが国家戦略としても正しいことなのかも知れない。あるいは、少なくとも伝統的な日本の倫理観に照らしてそれが悪いことであるはずがないという感じがする。それは当たり前じゃないか、ちょっとアイデアを出しただけで 9,000万ドルとれるというのはおかしいんじゃないかというようなことを世界に向けて発信して、合衆国が80年代、90年代にやったのとは逆の方向の国際貢献をすべきなのかもしない。そういう戦略を立てるような場所は日本国内どこにもないし、そういうことをしようとすると知的財産権専門家が、何をばかなことを言っているんだ、ど素人が何を言うんだと言って、阻止に回るということだろうと思う。そういうことでは私も何を言いだすかわからない。
  あるべき戦略が必要な領域というのは知的財産権だけではなく、当たり前のことだが、産学連携というのはどういう全体の仕組みに基づいて、何を学がやり何を産がやるのが適当なのか、その中でどういう性格が必要なのかという全体の設計図というのはあまり描けていない。司々で、通産省は大学をもう少し活性化して産業に役立てたいということで、いろんなところでやっているように見えるが、それが本当に21世紀の日本にとっていいことなのかどうなのかはわからない。
あるいは、文部省、科学技術省もいろいろやっていて、それは司々で自分たちの目の前にあるフィールドはすごくよくなりそうな政策だが、全体としてよくなるかどうかはわからないというふうに見える。技術移転も随分促進していただいて、私は最大の受益者の一人と言うか、少なくとも私が出資した株式会社が倒産しないだけでも上出来という感覚なので、受益者なのだが、それは本当の一コマにすぎない。産学連携というのは非常に大きなフィールドで、その中で欠けているコマがあったので、それを補うために産学間技術移転機関が必要なんだという視点は、新聞論調などを見てもスポッと落ちているという気がしている。
  あるいは、先ほどあげつらねたが、バイオテクノロジーというのは、日本の将来を左右するような分野であるというのは共通の認識だろうと思う。例えばそれを強化する場合に、バイオの先生に聞いたら、アメリカは何々兆円注ぎ込んでいるんだから、日本だって何兆円注ぎ込むのは当然だとか、こういう研究をアメリカは始めて1兆円注ぎ込んでいるのに、日本はまだ 2,000億円しか入れてないのはおかしいんじゃないかと、そういう話になるのは当たり前だと思う。
  この分野がおもしろいと思い、この分野は大事だと思って、その分野の専門家になっているわけだから、そこの専門家に聞けば、こんな大事なことを推進しない日本というのはなんとひどい国だという議論になるのは当たり前のことだろうと思う。バイオテクノロジーのことはパッシブにわかるけれども、自分自身はそんなに入れ込む必要はないという立場の人が全体の設計を考えながら、入れ込むなら入れ込んでもいいが、そういう人たちが議論して決定する場というのがないと、恐らく社会的な説得力は持たないんじゃないかという気がする。
  例えばそういう戦略を立案する立場の人を教育しているのか、そういうトレーニングをして社会に送り出しているのかというと、大学がやってないというところに行きつくのかも知れないし、そういった意味でも私ども大学人は反省すべきなのかも知れないが、全体的な科学技術戦略というのは必要なのではないか、そのためにはあってはならないことがいろいろあるし、現に起こっているんじゃないかというようなところで、話を終わりにさせていただきたいと思う。

・座長  国家の戦略を立てるというのは大変難しいことだろうと思う。しかし、それが今までの日本では極めて欠落していた点で、例えばさっきの増分主義は極めて日本的なものであって、過去十数年間それをやってきた弊害が今ものすごく出ているわけだが、こういったことをするために今何をしていくのが一番いいとお考えか。今までの日本的な指導原理とか発想法とか、そういうことを変えていかないといけないというところがあると思うが。

・委員  この会合の目的でもあると思うが、総合科学技術会議ができるので、それに大いに期待している。例えばバイオテクノロジーが文明主義にどういう位置づけになるかといったことは私どもには全然理解の外で、哲学の先生もここには入っている。今のは一例に過ぎず、インフォメーションテクノロジーでも何でもいいが、そういうことも踏まえた上で、そういうところに日本としてはどういうふうにかかわっていくのかということが必要で、増分主義はやらないということを初めに宣言した上で、政策立案をしていくことが必要なんじゃないかという気がする。

・座長  アメリカは非常に強い大統領府があって、そこがかなり思い切った政策が出せる。しかし、非常におもしろいことに、最近はたいてい議会は反対政党がとって、それが適当にバランスをとっているというふうなところもある。日本の場合、極めて強い政府をつくったときにどうなるだろうかと、心配は少しあるが。

・委員  直接関係あるかどうかわからないが、今のお話の中で大学の研究は基礎的なものがトップになるんだということは、私もその通りだと思う。日本の学者は、どちらかというと論文は出すけれども、特許は出さないというのが今までの傾向ときいている。論文で発表することによって万人の知識基盤にするんだという大きな使命があってなされているんだと思うが、それが果してその通りになっているのかということをお考えいただくのも一つだろうと思う。
  というのは、高度な基礎研究であればあるほど、それを論文で発表されて、それをもとに特許をとる方がいる。それが日本の人がとっているならまだいいが、外国の人にとられて、その特許によってまた日本が影響を受けるという現象も出ているように聞いている。そういう意味で、先生方が基礎的な研究をやって論文に出すときに、同時に特許を出すということもお考えいただく、そのことが国のために貢献するんだということをぜひ思っていただきたいという感じがする。
  ご承知のようにアメリカの場合は、先発明主義だから、論文で発表して、あとで特許を出願すればいいが、日本の場合は先願主義だから、論文で発表してしまうと特許をとれなくなるということで、論文で発表する前にぜひ、基礎的な研究であればあるほど、特許をとっていただきたいということをお願いしたいと思っている。

・委員  大学というところが何をするべきかというのは、この懇談会の趣旨には合わないのかも知れないが、基本的には大学というところが一番のメインとして、今ご指摘のようないずれは役に立つための基礎研究というものしかできないのか。つまり、バイオテクノロジーの話を伺ってつくづく思うのだが、現在のバイオテクノロジーのテクニックというのは大変役に立つが、一番のバイオサイエンスというのは今世紀の初めに始まっていて、極めて素朴な生命とは何かというアプローチで始まってきている。
  そういう意味で、今のバイオロジカルサイエンスというのは、ある成果を上げて行き詰まっていて、大学としてはこの先を新しいアプローチで開拓していく必要がある。学問の基礎をやっている人から見れば、自分がやってきたものがバイオテクノロジーと称して社会のお役に立つかどうかということを考えてきたわけでもないし、今後も考えるべきではないというポピュレーションを大学に残すときに、それはこういう戦略の中には入らないのか。
  今となっては基礎研究、応用研究と分けるのは意味がないということを言われたが、実際には生物学というのは見事な成果を上げてある頂点に達してしまって、全然別なアプローチを模索しているという基礎研究者が、既に日本よりもアメリカにもヨーロッパにもいる。今は役に立たないけれども、 100年後には役に立つかも知れない。でも、その人自身は 100年後に役に立つと思ってやっているのではなくて、単なる知的好奇心でやっているということだから、そういう人をエンカレッジするということが、今の我々が考えるべき21世紀のいろんな戦略の中にかなりの面で入ってこないと、非常に難しいのではないかという気がする。
  これは石井先生にお伺いしたいのだが、人文社会系と自然科学との間のある種のお互いに理解し得ない部分というのが、人文社会系の方はむしろ私が今言ったような面が非常に強いというふうに理解する。だから、もう一遍同じことを言うが、学問の流れについて考えるなら、生物学というのはバイオテクノロジーに象徴されるほど見事な成果を上げたが、上げた瞬間に行き詰まっている。今のままではどうにもならないので、新しいことを模索している人が世界にも日本にもいると思う。それを21世紀を考えるところから否定してしまったら、サイエンスは成り立たないのではないかという気がしている。

・委員  簡単に申し上げるが、先ほど申し上げたように、応用を開発的な研究だというふうにみんなが見る中でも基礎的なものはあるわけで、そういう意味できちんと区分はできない。先ほどの資料にもあったが。それから、今の大学の研究と言うか、学術全体の社会的貢献というのは非常に重要なことで、これはどの段階の研究者にでも当てはまる。昔のように大名に雇われて、その人の保護でやっているわけではないから。
  しかし、社会的貢献ということは念頭にあっても、大学の研究者には自分の研究的興味が先行するのは当然で、そういうものは大学にとっては絶対に必要である。ただ、先ほど申し上げたのは、そういう研究の成果を、TLOがいいのかどうかわからないが、そういうところにこういう成果があるということを出して、それがどういう展開の可能性を持つかは違う観点の人に探していただく必要がある。大学だけではなかなかそこまではできないということを申し上げた。

・委員  先生のアカウンタビリティーというものは極めて重要だと思って日ごろ主張しているが、アカウンタビリティーはイコール社会貢献だとは私は思えない。だから、すべての大学でのサイエンスが、税金を使っているからには社会に貢献しろというのと、きちんと説明責任を果たすということとは別であって、アカウンタビリティー、イコール社会貢献と言われたのでは基礎研究をやっている人は浮かばれないんじゃないかと思っている。アカウンタビリティーはすべての研究者にとって必要であると思うが。

・座長  それは確かにその通り。ただ、私個人の考えでは、21世紀の日本の科学を考えるときに、基礎研究を無視するとかいうことは決して考えていないわけで、研究者が自分のやりたいことをどんどんやっていくことは必要である。ただ、先ほど先生が言われたことと関係があるのは、そういった事実をトランスレーションしていって、それがどういうふうに応用できるかということを考える人も必要であると。日本ではそういう人たちが足りないのではないか。

・委員  先生がおっしゃったことは個人が好き勝手なことをするというのではなくて、玉井先生の資料の2番に書いてある全体的視点、各フィールドでの目配りをすると生物学では基礎が必要という答が出る。70年代にバーグ、コーエン、ボイヤーが組換え技術で展開してくれたが、その前は行き詰まっていた。それを展開してくれて今まできたのだが、ちょうどその時期と同じ気持ちに我々は今いるのではないか。
  全体的視点、各フィールドでの目配りをしたときの戦略として、バイオテクノロジーだけでなく基礎の新展開が必要。だから、好き勝手なことをやるというのと全然違う意味で、基礎の必要性を生物学者は説明しなければいけないし、社会も理解して欲しい。そういう状況にあるので、先生の発言が出てきたのだと思う。

・座長  ただ、一方ではそういった全体的視点とか、各フィールドへ目配りできる研究者が極めて少ないというのもまた事実ではないか。

・委員  その通りだが、生物学はまさにブレークスルーが必要である。それを日本から出すと将来に大きな戦略になる、それは言えると思う。

・座長  非常に重要な課題になってきたが、時間の都合もあるので、またあとで時間があれば議論をしていただくということにしたいと思う。続いて、委員から「技術標準について」ということでお話をいただきたいと思う。

・委員  タイトルは非常に狭いところから見ているが、前提としては、21世紀に向けて国家プロジェクトがあり、先ほど先生もおっしゃったように技術戦略もあり、そうした技術戦略を実行するのに技術標準活動というのは非常に大事なんだという意識を持っているので、技術標準についてお話させていただきたいと思う。
  皆さんもご承知だと思うが、現在、技術標準という言葉にいろんな意味があって、例えばISO9000とか14000というのは、国際標準ではあっても、管理技術に関係した標準である。それから、従来の標準というと一種の規格的な意味にとらえたと思うが、今、私が申し上げたいのは技術開発競争から生まれている技術標準ということに中心を置きたいと思っている。
  1ページをごらんいただきたい。これは現在でも始まっているが、将来の形としてホームの中あるいはオフィスの中で使われている機器というのは単独であり得ない、すべてがつながるような状態で、有線、無線も含めて双方向でつながって機能する時代になるだろう。それを伝送する伝送路というのも、放送、通信、コンピュータが融合した形でなされるだろう。そういうことを想定してかいた絵である。
  標準化活動が今までとどう変わっているかということを2ページに書いている。従来はスタンドアローン型とあえて書かせていただいたが、部品の互換性が中心だった。コストの低減、品質の安定性、あるいは生産性向上等、こういったものを中心に既存技術運用型の標準である。こういう標準は取り決めであって別に支障はなかった。というのは、枯れた技術なので、特に知的財産が存在しない。あるいは、存在していても無償で公開されていたというのが従来の標準だった。そういう時代は、日本の場合、外国からくるものを使っていいものをつくればいいという考え方が非常に強かったと思う。現在もこの考えが非常に強いと思う。
  今も競争が激烈に始まっているわけだが、デジタル化されて、ネットワーク化された時代ではシステムの互換性と言うか、システムの中で機器がそれぞれ動かなければいけないということで、相互接続性、相互運用性あるいは拡張性というところをターゲットにして、それぞれが技術開発と並行して技術標準がつくられている。だから、開発型の技術創出型の標準化活動が現在行われている。これは従来と大きく違っていると思う。そうなると、知的財産がその背後には相当存在するということである。戦略を実行するには、標準化活動をリードして競争力を高めるという考えをとらない限り、従来のような考えでは絶対競争には勝てないだろうという意味合いで、これを図式化した。
  では、活動はどんなタイプがあるのだろうかというのが3ページである。一番左に公的な標準、一番右にデファクトの標準とあるが、現在非常に活発に活動しているのが真ん中に書いたコンソーシアム型標準である。公的標準というのは、国際標準だから、会則あるいはルールは明確だが、そのための時間がかかるという問題がある。それから、一国一票の投票権ということでヨーロッパが非常に有利である。
  そういうことからタイムリーに標準をつくっていこうという意味で、コンソーシアム型の標準がアメリカを中心に非常に活発に動いている。これは任意に会社が集まって標準化活動をやるので、外部から見ると、その内容が明確ではない。IPルールというのは知的財産のルールであるが、国際標準の場合はただ一つ、合理的かつ無差別な条件でライセンスしなさいと。しかも、これは標準を実施するのに必要な特許だけということである。こういうルールで運用されている。デファクト型あるいはコンソーシアム型は国際標準のIPルールに沿って動いているが、それぞれルールは不定で不明である。
  そういうことで、標準化活動を積極的にリードする側になるということが大事である。リードするには提案者側になることが条件である。これは技術開発型標準なので、こういう内容がいいと実際にこちらから示さなければ決してリードはとれない。そして結果としてリードをしてきた提案者側に利潤が集中してくる。このために、欧米では企業間で国家戦略的に標準化活動が行われていると言ってもいいのではないかと思っている。日本の場合、標準化活動はなされてはいるが、まだまだ遅れているのではなかろうかという印象を持っている。
  4ページは、5ページと同じような絵に表したが、日本の強い標準化活動分野というのはAV系で、どちらかというと単品、ハード的な標準が非常に多い。アメリカはPC系をデファクト型で持っている。それをベースにアプリ分野、これはフォーラムで活動が多いが、ここがアメリカの中心である。一番ベースとなるインフラ部分ではヨーロッパが非常に強いということである。5ページについても同じようなことである。
  ここからなのだが、6ページに書いたのは、一番左上にDTVの規格、これは日本の規格であるが、この規格を一つとってみると、その中にいろいろな規格が入っている。だから、1つの規格を実行しようとすると、他の規格と皆関連性を持っている、時代がたてばたつほど規格の連続化、複合化が相当広がっていくということを書かせていただいたつもりである。
  その次のページは、6ページのIEEE1394というところだけの標準をあらわしてみたものである。この標準の中にも、一番下のフィジカル層とリンク層、それから、その上にそれぞれあとにつながっていくような垂直型に標準が増えている。又、この下位層もまた進化すると、そこからまた上に積層されていく。1394という1つの標準でありながら、これだけの標準が中に存在するということを申し上げたかったわけである。
  標準なので、合理的な条件で使わせてくれるだろうから、それを使えばいいのではと言ったときにロイヤリティーはどのぐらいになるんだろうか。8ページに書いたのは、1つの標準を使おうとしたときにその標準に関連する標準が複数あるという図である。また、その標準に積層されたサブ標準が複数あり、そのそれぞれのサブ標準に企業が複数存在している。その企業が必須の特許をそれぞれ複数件持っている。これを全部ライセンスいただいたらロイヤリティーは幾らになるか。20%や30%はすぐいってしまう。それだけのロイヤリティーを払って競争力が保てるかというと、絶対あり得ないと思う。そういう意味で、こういう標準の特許をとらない立場の人というのは競争できない時代になってくるのではなかろうかという感じで、あえてこの複雑な絵をかかせていただいた。
  そこで、標準化のあり方についてということで9ページに書かせていただいたが、科学技術戦略なり産業技術政策というのが前提にあって、魅力ある国家プロジェクトをつくっていただきたいという感じがする。これは基礎から応用まで、いわゆる未来市場性のある重点テーマについて産学官連携で実行していきたい。それを実行するための戦略的な長期・短期の実行計画をつくっていく必要があるのではなかろうか。これは資源あるいは人材、あるいはそれを実行する機関、あるいは必要な法制度の改革ということもあると思う。

・座長  大変要領よくお話をいただいた。知的財産権の一つになりつつある国際標準というものを、日本がもっととっていかなければいけないというお話だったと思う。
  

・委員  私は、この標準活動に直接携わったことはないが、国際標準となる技術開発をやろうというハードの研究をやっている委員会のメンバーになっており、そこでいろいろ勉強させていただいている。
  そこで、企業の方が中心だが、外国に調査団を出した。その報告によれば、外国の方が日本よりも国際標準についての取り組みが積極的である。たとえば、外国の企業では標準戦略を専門的にやる部署ができているところがかなりあるが、日本の企業ではほとんどない。実際に国際的な標準活動をやっている方々は、自分の母体の企業からのバックアップがないとやれないところがあるので、そこのところの認識を何とか深めてほしい。それは先ほどの玉井先生の専門家として自分の方に引っ張るという話ではなくて、そういうふうなところはあるかも知れないが、客観的にみると、そういう認識を日本の中で深めなければいけないのではないか。そういう観点からすると、科学技術会議等でそういうところの重要性をアピールするというのは非常に重要だと思う。
  それからもう1つは、標準の関係の仕事だと、従来の科学技術の枠の外のように感じられる方もいるのではないかという感じを持っており、そこのところは、先ほどからある知的所有権との関係も含めて非常に重要なところであるが、国際標準にするためには、国際標準になるような技術開発をしました−では決して終わりではなくて、国際標準とするための活動が非常に大変な活動だと思う。特に日本では距離的にもヨーロッパ、アメリカと離れているし、言語の問題もあるので、非常に大変なところがあると思う。そういうある種のハンディキャップを背負った日本として、国際的な標準を日本から生み出していくためには、相当バックアップが必要ではないかというのが私の印象である。トータルの印象として私が受けているところをお話させていただいた。

・委員  逆に挑戦的なことを言いすぎて皆様の怒りを買うかも知れないが、今までの議論を伺っていて、今の議論だと、先生の言われたアメリカの戦略に乗っかった上で、そこをどうやって強化しようというお話になっているような気がして仕方がない。知的財産権についても技術標準についても非常に大事で、そこを十分に検討しなければならないということはよくわかるが、同時にそれだと一歩先にいっているアメリカの後塵を拝してしまうということからなかなか抜けられないのではないかという危惧を大変強く持った。
  先ほど先生が非常におもしろいことを言われたという印象が私は強いのだが、例えばアメリカは知的財産権が強くて、製造が弱いということに、明確に気がついたかどうかは別にしても、そこを自覚して知的財産権を強くすればということに気がついた。日本は、皆さん非常に日本に対する自信がなくなっていて、今、モノづくりが強くて知的財産権が弱いと。だから、知的財産権を強くしようという話はよくわかるが、逆にモノづくりを強くして知的財産権を無効にしてしまえばいいのではないかという戦略も初めて戦略になるんだと思う。
  これは冗談で言っているのではなくて、例えばPC系であれば、リナックスのようなもの、つまり知的財産権が強すぎることに対して、一部、非常に不満を持っているグループが存在するわけで、ここに例えば日本が国家投資をして、リナックスのようなものをただて配布してしまうということをすれば、つまり、知的財産権を日本が押さえて無料にしてしまえば、そこを全部押さえてしまうということになり、アメリカは困るわけである。実際にはウィンテルに対抗している勢力がこれをやっているわけだが、それを支援しても構わないのではないか。
  もう1つ、これは先生に伺ってみたいと思ったのだが、ある学士会合の中で、日本の利益の多くの部分は製造業が出しているのではないかということが書かれていけれども、果して日本は本当に知的財産権とか標準だけを強調するのが、日本にとって有効な戦略なのかどうかということは改めて検討しないと、再びアメリカのアジェンダセッティングに乗ってしまう。グローバルエコノミー、デファクトスタンダード、知的財産権、これは危険なのではないかと思う。先生の書かれた中で、例えば日本はAV系で大変強いが、AV系で例えばファイヤーワイヤーのようなもの、IEEE1394、このようなものはソニーのバイオなんか実際に取り入れられて、日本が非常に強い分野として活かせる可能性もあって、ここからPCの分野を取り込んでしまうというような戦略、素人なので、全く間違いかも知れないが、ゲームのルールを変えるということも同時に検討していただけないだろうかと思う。

・委員  先ほどの先生と今のお話を伺って、私も知的財産の専門家という立場からものを見ているから、別の立場でみたいなと常々思っている。ただ、今、国際ルールが現に敷かれており、日本だけ別の方向をとるというのは非常に難しいと思っている。例えばTBT協定というものがあって、国際標準のものを、国内標準に合っていないという理由で輸入禁止ということはできない条約ができている。だから、別なものをつくって対抗すればという考えも確かにあるが、国際ルールに沿った形でいかに競争力を高めるかということを考えないと、今の世界の時流には反するんじゃなかろうかと思う。
  私が申し上げたのは、標準の特許が大事だから、そこだけに集中しなさいというのではない。背景には日本の固有の技術の優秀さというのは前提に置いているが、例えば私どもがつくっているマシン、プリンタにしろ複写機にしろ、エンジン技術かいかによくても、標準化技術でエンジン化技術を殺されてしまうということも実際はある。だから、大きな意味で申し上げたいのは、科学技術より、国として何をやろうかと言ったときに、それを実行するのに国際標準というか、標準の形に持っていけなければ実行できなくなることである。現に通信系にしても、ヨーロッパでインフラ関係はそれこそ政府の国家戦略の一つだと思うが、日本の提案を排斥し、あるいは、ハイビジョンの規格案も排斥されたときいている。これは戦略的に日本の技術を排斥しようという前提の下に動いている活動だと思う。
  そういう意味で、今お話があったように、標準化活動は非常に大変だが、それを一度は乗り越えないと、国際的に通用する日本発の技術というのはなくなるのではないかという感じを常々思っているから申し上げた。

・委員  いずれにしても、国際標準、技術標準というのは戦略の中で非常に重要な問題なので、議論を深める必要があると思うが、今日は3人の先生方のそれぞれ大変関係が深い。委員の技術標準ということに関連して、他の委員の方々が既に発言され、幾つかの意見交換があったが、みんなひっくるめて何かご意見があれば、お願いいたしたい。

・委員  先ほど先生の方から大変重要なご提案をいただいたように思っている。私自身大学にいながら産学連携を進めているという立場で、本当の本音を一遍ご説明しなければいけないかなと思って述べさせていただく。
  先ほどの先生の「大学は純粋に好奇心でやる研究を支援しないのかするのか」という話だが、これはもちろん支援するに決まっていると私は思っている。なぜならば、大学というところは伝統的に2つの社会的貢献を義務づけられている。1つは、純粋学術面における貢献、これは先生の社会貢献とちょっと意味が違うかも知れないが、立派な社会貢献だと私は思っている。もう1つは、社会への人材の供給、学生を出すということが大きな貢献だと思っている。
  では、最近の産学連携というのは一体何なんだと言うと、要するに科学技術を基礎とした国際競争力の向上にも役に立って見せなさいという、第3のつけ加えられた貢献だろうと私は思っている。ところが、この第3の貢献を実際に実行してみようと思うと、大学人が長々身につけてきた読み書きそろばん能力だけではなかなかできない。例えばどういうものが特許になって、どういうものがお金になるのかというのは、全く感覚として持っていない。そういうような状況なので、実際になかなか難しい。
  TLOをつくりいろんなことをやるという活動も重要なのでああるが、大学人の一部がそういうことを積極的にやってみせる。人口の割合として大学人の5%もいれば十分だと思っているが、大学人の5%ぐらいはそういうことを具体的にやってみせるというのが、隣に住んでいる状況を実現すると大学のバランスがよくなるのではないかなと、そういう問題意識で産学連携を推し進めてきた。基礎的な学問、要するに好奇心だけで動いている学問というのが大学の一番基幹、基礎であるには全く合意である。

・委員  今、先生のおっしゃったことで、特に3番目の貢献ということに対して、私もまさにその通りだと思っている。今日のご議論の中にある産と学の連携ということに関連して先生からご意見があったわけだが、私は産業界にいて、私自身感じていることは大学側での評価が少し偏りすぎているというところに問題の源があるのではないかなという感じがしている。例えば第3の貢献というものに対して、評価の多様性みたいなものをもう少し取り入れていかないと、なかなか根づいていかないのではないのかということを感じているので、一言言わせていただいた。

・委員  今日の皆さんのお話あるいはご意見を伺って、非常に平凡と言うか、陳腐な言い回しだが、社会の方でも科学技術の方でもパラダイムの転換が起こりつつある、そのことをしっかりわきまえないと国際的にも乗り遅れるだろうし、大学とか学術研究機関の将来にとってもマイナスになりかねないというところがあるような気がする。
  社会のことはいずれまた申し上げるとして、科学技術の方のパラダイムの転換というのはどういうことかというと、今までお話に出たことだが、本来科学というか学術研究というのは、成果は学問の世界と言うか、ピアーの仲間全体である。あるいは学界のものだというのに対して、技術の方は多分開発者のものだという約束事が、今まではできていたんだろうと思う。だから、論文というのは誰でも、ちゃんと引用の礼儀さえ守っていれば、ただで引用できるが、技術の方は特許と結びついて、お金を払わなければ使えないという約束事というか、二分法があったんだろうけれども、これがだんだん崩れてきたと言うか、基礎の方から広く深く特許を押さえていくというようなシステムが開かれていくと、科学の方も開発した人、あるいはその研究をした人のものという色彩が強くなっていく。
  したがって、先ほど先生が学問の研究に、第3のミッションがつけ加わったんだということをおっしゃったが、今のパラダイムの転換という問題を引っかけて考えると、第1と第3というのは非常につながっているということで、それが今、委員がおっしゃったような評価の多様性の必要ということに結びついてくると思う。そういう今までお金の問題になり得なかったものが、どんどんお金の世界に繰り込まれていく。これは先ほど先生からのご質問なのだが、人文社会科学もそのうち、部分的にだろうが、なってくる。
  笑い話を申し上げると、この間将棋の「居飛車穴熊」の元祖はどちらかという訴訟があって、引分けになったわけだが、もしかすると居飛車穴熊を1回使ったら1万円払う世の中が来るかも知れない。そうなったら、どっちが元祖か決めなければならなくなってくる。これは冗談だが。台湾でものすごいデータベースを国家的事業でつくってしまった。史書の部分の大部分がデータベース化されてて、それを世界中の中国研究者は使う世の中になっている。
これをどうやって使えるかというと、普通のシステムだと、文字バケするので、台湾の学士院がハードウエアを売っており、それを買って自分の国で接続する。昔、学士院賞をもらった研究者に、中国における塩業で大著をお書きになった京都大学の先生がいらっしゃったが、一生かかって中国の古典の中に出てくる塩という文字が出てくる箇所を、ご自分だけはなくて、弟子にも家族にもやらせて付箋をつけさせて、そこをご自分で分析・叙述なさった。ところが、今はそのデータベースを使うと、10分で全部出てくる。
  そういう人文社会学でもデータベースみたいなものを媒体にしながら、お金の世界に繰り込まれつつあるわけで、大学あるいは科学、あるいは学術研究というものも、そういう状況になってきているということをしっかりわきまえないと、めちゃくちゃにされてしまう恐れがあるのではないか。

・委員  技術標準のみならず、人文科学のような社会も含めて、知的財産権というものは非常に重要な戦略の一つになりうるというお話であろうかと思う。先ほどかからお話があった通り、国による知的財産権に対する扱いの違い、あるいは特許制度の違いというのが、かなり大きな乗り越えなくてはならない一つの障壁なのかどうか。アメリカと日本の特許制度の違いを乗り越えて、なおかつ国際標準になるような知的財産権の取得のために、科学技術政策上、特許制度そのものを変えていかなくてはいけないというようなことで何かご意見があればお願いしたい。

・委員  バイオが次の研究投資先のトップに上げられたというのは、私もバイオの研究部署にいるのに本当かなという感じがある。バイオがトップに上がってくるというのは、アメリカがしょせん巨大農業国家で、もともとアメリカの国というのは西へ西へ大きく広がる巨大農園を開拓した。フロンティアというのはそういうことで、例えば20世紀前半の諸技術、アメリカの消費財というのは自動車とか通信といったものはすべて西へ西へ広がる巨大農園を管理する技術として発達したんだろうと思う。冷戦で今度は逆に国家の求心力をもってものすごい投資をして、さて次にというので、もう一回バイオに帰ってくるんだろうと思う。
  80年代の初めにアメリカが旗を振ったときに、アグリビジネスに変身した巨大化学メーカーが数社あるが、それはほとんどアメリカの巨大市場を想定して化学からバイオにいき、結局成功したわけだが、日本の化学メーカーはそれを途中でやめた。私どものところも全部やめて、結局医薬品だけに特化したということである。先ほど皆さんおっしゃったように、自国の比較優位の中で、自国の産業構造をちゃんと見据えないと、アメリカが次はこうだから日本もバイオでということは、それでお金が流れるのもいいが、余りにもアメリカ参照主義であると空回りするのではないかと思う。
  それからもう1つは、日本というのはアジアの中で一国だけ先進国なので、日本が世界のことを考える場合にはアジアのことを考える。アジアのことを考えるということは、途上国のことを日本が代表してメッセージを発信しないといけないと思う。例えばバイオだけに限ると、92年に生物多様性条約が成立した。バイオテクノロジーのための資源として生物多様性を保護するという条約だったのだが、そのときに地域の人々の知識も重視するということが条約の一文に入った。その一文は第三世界ではなくてアメリカのNGOが入れた。アメリカのNGOが条約に入れたのを唯一のポジションと言うか、そこを足がかりに、第三世界がいろんな意味で種子の囲い込みということが行われようとしていることについて、アメリカのNGO、どちらかというと理想主義的な知識人が条約にねじ込んだ1行を足がかりに、これから起こるであろうバイオテクノロジーの産業構造の変化について、第三世界の人たちがやっと異議申立てができている状態である。
  したがって、国家戦略、あるいは国益とは言わないが、アメリカが知的財産権、あるいはバイオを含む知的財産権を対外的なカードに使おうとしているときに、そこを崩すと言うか、それ以外の先進国の人たちもその益にあずかるためには、そこのところに研究費をつけて、しかも途上国の人と一緒に研究をしてしまう。いわゆる研究資源を日本が出して、途上国の人たちと一緒に研究成果を上げる。それがアジアにおけるカードだし、途上国の人たちが研究資源がない時点で、日本のお金なんだけれども、あたかも国際公共財のように日本が途上国側に差し出す。逆にいうと、途上国の人が科研費に申請ができると。特にロシアの人が科研費に申請できるようなことを考えなければいけないと思う。
  先ほどアメリカ参照主義でいいのかという話が出て、それで戦わなければいけのだが、なおかつ日本が別の価値観を込めたカードを出すとすれば、日本がお金を出して途上国と一緒に研究するということが、広い意味で日本の立場にもなるし、国際貢献になるのではないかと思う。

・委員  まず発明者にインセンティブを与えるようなシステムを構築すべきではなかろうかと思う。今も話題になっているが、国のお金で開発した成果物は、国に知的財産を渡すというシステムになっているわけだが、アメリカと同じように発明者に帰属させるということが、発明に意欲を持たせる一番の基本になるのではないだろうか。これが第一点である。
  それから、アメリカと日本の知的財産制度の違い、ご承知のように先発明主義と先願主義ということで、アメリカだけが先進国では先発明主義をとっている。これは直すべきだという国際的な意見はあるようだが、なかなか直せない。次に何を求めるかというと、出願公開制度だと思う。アメリカの場合は公開制度をとっていないので、ここが先進国で大きな違いだと思う。公開制度はぜひ求めていくべき問題ではなかろうか。次に大事なことは、知的財産があって競争に勝つというのではなくて、産業の強い技術を知的財産でどんどん守っていこうというのがアメリカの戦略だと思う。ベースには技術がなければ知的財産政策もとってないはずである。
  今、アメリカはバイオとソフトウエア関係が非常に強いということで、そこに知的財産を強く認めていこうという政策をとっている。さらに、ソフトの中のビジネス特許である。インターネットを通じてのビジネス、あるいはエレクトロニック・コマースと言われているビジネスのルールすら特許化している。こういう意味で、何を特許の対象にするのかということを早い時期に国際的に調和をとるような働きかけをすべきではないかと、そんなことを感じている。
  もう1つは、それとあわせて、今、法的に各国別に裁判制度があるが、これから起こる問題としては、国をまたがった知的財産の侵害の問題というのが起こる。これをどこで裁くのか、どこの法律で裁くのかが今は一つも決まっていない。想像だが、アメリカは国内法に従ってアメリカを裁判地にし、自分の国の法律で裁くであろうと思う。そういうことが21世紀にわたって相当出てくるように思う。そういったような準拠法の問題、あるいは、裁判管轄の問題と言うか、これを国際的に早めにルール化する必要があるのではなかろうか、そんなことを考えている。

・委員  まだまだいろいろとご意見あろうかと思うが、予定の時間を過ぎているので、本日のご議論はこの程度にさせていただきたいと思う。
  本日は科学技術との係わりを中心に、お三人の方から基本的なお話を伺い、いろいろご議論をいただいたが、大変重要な点をたくさん含んでいるので、中間報告書を取りまとめる段階で少しまとめていく必要があろうかと思う。
  次回は、日本の存立・発展と国際社会の課題というテーマでの2回目として、科学技術と国際社会の課題、あるいは、安全保障等との係わりといったことに中心にご議論をいただきたいと思っている。


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