資料5−2

いままでに出された意見の概要

注:○印は前回第4回目に出された意見

1.科学技術の在り方そのものについて

  • 開発から維持というように、時代の精神というものが大きな変換を遂げている中で、従来のスキルがついていっていないことが問題を引き起こしている。このような状況の下では、人文社会科学と科学技術のサイドとが、一緒のプロジェクトの中で研究するということが必要。  
  • 人間と対象とを分けて考えるのが従来の科学だったが、今後は、人間込みの自然を考えなければいけない。従来の知識体系そのものの転換が必要となっている。  
  • 科学技術について、人間は一体何をどこまで知り得るかという問いとともに、いま何が一体知るに値するかという問いが重要になっており、両者を内在的に関係づけることが必要。  
  • 職業人としてのサイエンティストは、競争にうち勝たないといけない状況に置かれており、研究のスローダウンや環境への配慮等、いろいろ指摘を受けても、競争原理に代わるものが十分確立されていない中では対応が困難。  
  • 学問分野の細分化問題については、現役研究者は、競争に勝ち残るため細分化をいわば強いられる立場にある。現場の声を十分聞きながら検討することが重要。  
  • パースペクティブの長い知の体系を構築する営みが重要。目先のことばかり追いかけていると、世の中の大きな変わり目に対応できない。  
  • 科学は自然現象を知るための知的活動と言われているが、現代科学はそうなっておらず、特別なわかりやすいところだけを取り出してモデル化して見ている。自然を見るというときには、外から客観的に見るだけでなく、人間も自然の中に入ったものとして見る知のつくり方がある。21世紀は人工、人間、自然の関係がどうあるのがよいかということも議論して欲しい。  
  • 生命体としてのヒトの持っている能力、生態学的なことや生理学的なことなどを取り入れた科学技術が重要。ヒトを含む地球上のすべての生態系が、何をすると壊れてしまうのかというようなことを系統的に把握する学問が存在していない。  
  • 20世紀の科学は、多くが線形近似的、直線的な思考で物事を考えてきた。例えば遺伝学では、形質の発現について、遺伝子の作用のみを重視し、環境の作用を見てこなかったのではないか。  
  • 新しい科学の展開として、人文科学と自然科学が融合するために、エネルギーや物質には還元し得ない部分の科学というのが、どこかに出てくるのではないか。  
  • フィールドで研究している科学は、明確にコントロールできない条件下で行わなければならないため、認められないことが多いが、環境問題などの研究には非常に重要。  
  • フィールドワーカーの持っている知識、経験等を今後は重視すべき。  
  • 女性の持つ物の見方、視点というものを取り入れた科学技術が必要ではないか。  
  • 科学者は何をしてもいいが、それを使う側の人間の倫理観がしっかりしていないといけない。  
  • 科学者の中から倫理の問題を考える場所が欲しい。  
  • 科学者の行為も科学技術も、社会と"and"で結びつけられるものではなく、むしろ"in"で考えられるもの。社会の中の1つの活動としてきちんと位置づけられているようになるのが望ましい。  
  • 夢ドリヴンのような科学技術とは別に、日本のように資源もエネルギーも食糧も自給できない国では、21世紀の危機というようなものを予測しての、危機ドリヴン型の科学技術ということも重要。  
  • 学問の細分化が進行しており、狭いことを自分の専門とし、それ以外のことは何も分からなくなってしまうような状況にある。こうした事態を改善するのは、結局は基本的教養に帰結すると思う。そのための時間の不足という問題については、人生80年時代にふさわしい学習形態をいかに形作るかということが重要。  
  • 科学技術と社会との関係を考えると、ある種のシステム的な取組を考えないとうまくいかなのではないか。縦割りの弊害が生じている原因の一つはシステム的な発想に欠けているところ。バイオテクノロジーでよく見るように、その分野の研究の発展に大きな影響を与えているのは新しい研究開発ツール。そうしたものが日本から生まれてこずに輸入されているのも、同じ所に原因がある可能性。  
  • 21世紀に向けて既存の学術分野の見直しが必要。特に大学などでは、研究分野について従来のディシプリンを固定的にとらえすぎ。  
  • 20世紀の特徴として、自然系の科学技術の非常な発展と、そのパラドックスとして、負の遺産を多く生んだことが挙げられる。工学の分野では反省が非常に大きく、文理連携、あるいは文理融合型の学術分野がぜひ必要。同時に、やはり領域分野の発展も必要であり、あわせての進歩が重要。  
  • 自然系の科学技術の進展がなければ、21世紀に残っていく環境、エネルギー、資源、食糧、人口等々の問題に対して、何一つ解決することはできないが、同時に人間性や、日常生活における感動、そうしたものとうまく調和したような科学技術の進展が必要。  
  • 明治以来の日本の歴史というものを一度振り返り、我々が西洋の科学技術を受け入れてきた過程でどういう問題点があったか明らかにすることが必要。  
  • 自然の恵みにも、ストックとフローとがあると思うが、特に20世紀後半から、多くの産業は、ストック型の資産を活用して、社会の発展に貢献してきたが、その結果として、ストックそのものにも影響が及ぶとともに、フロー、例えば生命の営みに影響を及ぼすような事態が発現しつつある。    21世紀の早い時期に、ストック型の恵みに対して、科学技術による持続可能な社会になるような仕組みをつくることや、生命の営みに対する影響についても、安心できるような解析が必要。そうすると、21世紀は、エネルギー、バイオテクノロジー、情報通信というような分野が、キーテクノロジーになっていくと思う。そういう中でも、一方では、国としての夢みたいなものを掲げていくことが重要ではないか。次世代の交通システムや、母国語でしゃべれば世界の人とコミュニケーションできるようなツール、何かそういう夢というものが重要な役割を持つのではないか。  
  • 過去には経済的な指標でメカニカルに最適性が判断できたが、現在では、それだけでは不十分。1つ1つの技術の内容、科学の内容に立ち入り、その影響の質的な側面を考慮し、意志決定をしなければならない。社会的合意というものが、既に科学の質というものと関与している状況が起こっている。プラスサイドとともに、マイナスサイドについても考慮されなければならない。  
  • 科学技術の方向性を選択するためには、将来、科学技術の影響がどのように人類に影響を与えるのか、シナリオを準備しなければならない。そのシナリオは、一種の予測だが、同時にそれは科学的なものでなければならず、それに基づいて、社会的合意について意志決定をしなければならない状況になっている。そうなると、単に科学者の好奇心とか真理の探究というような言葉の中だけで問題を考えてはいけないことになる。一方では、政策側はいろいろなことを決めてしまうわけだから、科学の発展が、科学を知らない人によってコントロールされてしまうという危険な状況に。科学者のアドバイスというものが公的な意味で必要になってきた時代が来たと思う。ここで日本型のアカデミーをつくらないと、科学と政治の状況というものが、今後、公的に発展する条件を失ってしうのではないか。科学、あるいは科学者が、新しい意味を持ってオートノミーを持つ必要がある。  
  • 学問のサイドでも、大きな改変というものが必要になる。現在存在している学問の領域がこれでいいのかどうかという反省、あるいは、自分達の考え方が政策に直ちに影響していくことがあるという状況を無視することは最早許されない。  
  • 科学は非常に大きな存在になってしまったので、社会との接点において、これまでのロジックというか、基本的な考え方を十分包括できる、しかもより高い観点からの哲学をうち立てる必要があるのではないか。  
  • 競争原理というのは20世紀の指導原理であり、もはやこれだけを主張したのではだめ。環境調和型循環社会の構築などは、競争原理一本槍ではとてもいかない。この懇談会で、何か新たな指導原理のようなものを見つけていきたい。  
  • 学術研究の社会的貢献は非常に重要ではあるが、大学にとっては研究者自身の 研究的興味が絶対に必要。  
  • 大学での学術研究において社会貢献と説明責任とは別であり、同一視されたの では基礎研究者は浮かばれない。  
  • 大学が担う社会的貢献とは、純粋学術面における貢献、社会への人材供給、産 学連携による科学技術を基礎とした国際競争力の向上への寄与、である。  
  • 産業の技術進歩は、産業の研究開発だけに依存しているわけではなく、大学や政府の政策にも非常に影響を受けている。  

2.経済産業との係わりについて

  • 今後日本が経済成長を維持する上で、技術進歩の役割は非常に重要であり、研 究開発を増やして技術進歩を促進していくことを通じて生産性を上昇させていく   ことが大切。また、そのためのナショナルイノベーションシステムの在り方を考え た場合、特に大学の役割が重要。  
  • 日本は、研究費の額や人口当たりの研究者の数は多いというデータもあるが、研究と経済とのリエゾンがうまくいっていない。米国のように、ダイナミックな流動化が図られることが必要。  
  • 日本の大学は、経済活動とのリンクについて、米国等の例も踏まえて改善して行くべき。  
  • 研究者が研究論文を発表するときには、同時に特許の出願を行うようにしない と、外国人に特許を取られ国益を損なう危険性がある。  
  • 普通に基礎研究と言われるものの中にも、国益に係わる研究が多く存在しており、諸外国では戦略的に強化しようとしているが、日本はそうした意識が乏しい。  
  • 知的財産等、技術進歩に係わるルールの国際的な調和を図ることが重要。  
  •  知的財産制度が、場合によっては技術開発の悩みの種になる。  
  •  知的財産政策についてアメリカは発明者保護の強化という強い特許制度の方向 へ行っているが、あまり強い特許制度を導入すると逆に技術進歩にマイナスにな   る恐れがある。  
  •  発明に意欲を持たせるようなシステムを構築すべきで、国からの委託で開発し た成果はアメリカと同じように発明者に帰属させるべき。  
  •  知的財産制度における日欧と米国との大きな差違は、米だけが先発明主義で他 は先願主義であること、米は公開制度をとっていないことである。先発明主義を   改めるべきとの国際的意見はあるが、なかなか直せない。公開制度はぜひ求めて いくべき問題。米は産業の強い技術を知的財産で守っていこうという戦略だ。  
  •  何を特許の対象にするのかについて、国際的に調和をとるよう早急に働きかけ るべき。  
  • 日本国籍を有する企業が日本という国の中で、21世紀も国際競争力を維持できるのか、維持するためには何が必要なのか。産学連携ということが言われるが、本当に効果的なアウトプットが出る形になっているのかという見直しが必要ではないか。  
  • 産学連携推進の理由の1つは、大学は人材の宝庫であるため、活用しないと社 会経済的に非効率であるということ。実際、大学には特許になるような技術シー   ズが無数にある。  
  • 特許をとる技術は大学よりも企業の方がはるかに比較優位があり、大学はより 基礎的な研究に注力して、その上にさまざまな技術の花が開くような基盤的な研   究を大学で行い、それと産業界の連携を強めていくというようなことが一番重要。  
  • アメリカでは大学の教官がベンチャー企業を作る。兼業の教官も多く、大学の 周りにハイテクベンチャーの集積ができる。  
  • 21世紀の科学技術を考える上では、人類のためにという大きな目標とともに、競争の中で日本自身が産業で競争力を持たなければならない、そのために何をするのかというテーマがあると思う。  
  • 情報通信等の分野で、最近特に日米間の技術格差が開いている。日本が競争力を得るために、重点テーマを国家的に設けて、多くの科学者が取り組むようなシステムをつくるべき。  
  • アメリカは国家規模で政策化し、あらゆる面で実現を図っており、その典型は 知的財産制度の強化である。  
  • 科学技術の成果について、国家予算を使って人類のためにというだけではもったいない。科学技術の成果は知的財産との関連性も強く、国益の事も考えて、両者の政策を総合的にセットで考えて行くべき。  
  • 21世紀の日本が果たすべき役割は何か、製造業の一員として考えたとき、やはり高付加価値、高機能商品を提供することだと思う。そうした革新的な科学技術、あるいはそれを応用した産業技術が育まれる国として存在することが重要で、そういうことができる政策基盤をつくることが、今求められているのではないか。  
  • 目的を明確にした科学技術発展のシナリオというのが必要ではないか。産業を支えるという目的をもった科学技術というものの位置づけを明確にすることも必要。そういうことが日本がフロントランナーとなるに必要な条件ではないか。  
  • 科学技術を体系化していく上で必要な知的基盤や、標準化基盤というものの整備が大変重要であるが、現在の日本の水準は立ち遅れており、各方面の連携によって、解決していくことが必要。  
  • グローバル大競争時代の中で、発展の最大の源泉は競争原理。科学技術の発展を維持する、そういう体系の中に、具体的な戦術はともかくとして、競争原理の働くシステムの概念というものがこれから有効になってくるのではないか。日本がいわゆるキャッチアップの場面で機能してきたシステム、行政も含めた縦割り社会とか、そういうことについての考え方を変えていくというようなことも必要だろうと思う。  
  • これからは、若い人も含めて、日本として、自分たちが技術標準をつくり、それを知的財産権で保護し、競争をリードするといった、自分の道を拓くということを強く認識して行動することが大事。  
  • あまりに性急な産学連携はむしろマイナス。大学が特許をとって、それを企業へライセンスするという面が過度に協調されているが、むしろ大学で産業技術の基盤となるような学問領域について、先端的な研究を常に行っていって、そういうレベルで産学交流が起こることが望ましい。  
  • どのような産学連携の形が一番望ましいのが考える必要あり。大学では基礎的な研究をやって、その上でサイエンスベースの産業が発展するような土壌をつくってやることが重要。  

3.情報公開や教育について

  • 科学技術に係わる問題の情報公開について議論をすることが必要。  
  • 科学技術が人々から疎遠になっているのは、研究者にも責任がある。研究者が自己の科学について語ることは重要。  
  • 環境問題について、研究者が持っている知識と市民社会が持っている知識とが乖離している。市民に対する情報伝達をマスコミに一方的に任せているのは問題。  
  • 小中学校や高校での倫理教育や自然教育等も含めて、科学を支える教育の役割が重要。  
  • 若者の科学技術に対する関心の低下が懸念される。  
  • 21世紀の科学技術を語るということは、科学技術の再生産、すなわち現在の教育について問題にすることだ。  
  • 初等教育の段階でヒューマンな先生が物事を教えてくれると、子供たちも科学に対して興味を持ってくれるし、地域の施設の利用ということも重要。  
  • たとえ詰め込みでも、それで教育されていた子供たちは大学で教育できたが、今は、詰め込まれていないため、教育すること自体が難しい大学が増えている。  
  • ヒトの持つ能力を伸ばす時期と、社会の中での知識教育の時期とは全く違うもの。大学になったら記憶を詰め込む知識教育でいいかも知れないが、小学校とか中学の段階では、ヒトとしての能力を生かすようなやり方が必要。  
  • 原理原則をしっかり踏まえた上での人材の再生産ということを、科学技術の中でどう考えていくかについて、関心がある。  
  • 21世紀の日本は人口の減る時代なので、科学技術を担う若い人達の数も必然的に減っていく状況。その中でどう考えていくのか。人材の問題、量の問題、どういう分野か、パブリックセクターかプライベートセクターか、そういうところでのマンパワーの配置の問題、人材の質の問題。これらが非常に大事。  

4.人間との親和性について

  • 教育やコミニュケーションなどの場面での人間関係におけるスキルと、テクノロジーというものとを、どう結びつけて考えていったらよいのか検討が必要。  
  • 人間の技法や技術というものが、テクノロジー化して外在化していくことによって、個人の能力として、人が何を獲得し、何を失うのかということを見定めることが必要。  
  • コンピュータについては、その性質上、思ってもみないことが起きるような創発性を追求するよりも、むしろ安全性や人間との親和性ということについて考えるべき。本当の意味での情報化社会をもたらすにはどうすべきかを考えたい。  
  • 医学の力は世の中に多くのものをもたらしたが、一方で、科学としての医学が進めば進むほど、医学への不信感が増すような状況がある。ゲノムの解読を通じて個の医学の実現を図るとともに、臨床の知というものを発展させることが必要。  

5.科学技術政策について

  • 先見性を備えた科学技術政策を可能とするメカニズムづくりが重要。政策や研究についての評価を、社会的側面についての先見性を持たせる手段にしていく必要がある。  
  • 明るい戦略目標を立てることが、社会全体が暗い方向に向かっているときには、大事なこと。米国のように、多くの人を惹き付けるような戦略目標について議論したい。  
  • 地方公共団体が、科学技術の振興について関心を高めるための方策について考えたい。  
  • 日本人が独創的に、科学技術論や科学技術政策を立てるということはなかなかない。なぜ日本人は自分たちの科学技術に関する考え方を、世の中に広めていくような事ができないのか。  
  • 経済学や国際政治学等でも科学技術の問題を扱っているが、常にマイナーな存在。科学技術のようなものを、政策で本当に高揚できるのか。科学技術を語る際の言語と、社会科学が語る言語とが違っているのでは。両者の整合を図るべき。  
  • 現代社会における科学技術の在り方の中に起こってくる様々な問題を、恒常的に議論し、資料を蓄積していくための組織が必要。行政につくるのか、それとも民間でやるのかという問題はあるが、議論と資料のインテグレーションをきちんと行い、そこから我々の判断や行動を汲み上げていけるような制度があれば、総合科学技術会議を支える組織としても機能するのではないか。  
  • 非常にわかりやすいスローガンのようなものが必要。科学技術で尊敬される国というのは、いいスローガンではないか。  
  • これまでの科学技術振興の流れの中で、科学技術の成果の消費者、使用者である側が、具体的に何を求めているのか、あまりはっきりした形では提示されていないのではないか。特に産業技術というようなことになると、骨太の産業政策との係わりから、ニーズが出てくるということが必要。  
  • 国際協力・国際競争という面で、科学技術をどう考えるかと言うことが重要。各国とも科学技術政策で国際競争力の強化ということを掲げており、どこで国際競争力を高めるのかという戦略を立てることが必要になってくるのではないか。  
  • 科学技術政策において、常に組織性や計画性、産官学が一致協力した研究の推進ということが説かれてきた。重要なことと思うが、いわゆる研究動員的な手法が成功する分野とそうでない分野と両方あるのでは。巨大プロジェクトと、スモールサイエンスの振興とは分けて、研究動員的な進め方をするものは、十分練り上げたものに限定することが必要。  
  • 科学技術振興というと、どうしても研究費のフローで振興しようということが先立ち、基盤形成は金も人も必要なためになかなか進まない。例えばゲノムの問題なども、中核となる拠点が基盤が存在せずに、いろいろなプロジェクトが平行して走っているというような印象。基盤整備をやるべきところはやる。  
  • 総合科学技術会議が備えるべき要件の整理を行って、よい提言がなされることを期待。特に、科学技術の政策としての戦略性、欧米とは異なる日本独自の戦略性といったようなものを提示することが必要。  
  • 国際協力に関して、日米欧3極という考え方で、すべての分野で一流プレーヤーになることを今後も目指すのか。日本は日本としての得意技で貢献をするというような戦略が必要ではないか。  
  • 生物学の分野では、成果を上げてある頂点に達してしまったため、全然別なアプローチを模索しているという基礎研究者が、アメリカ、ヨーロッパにもいる。その人自身は、100年後に役立つと思ってやっているのではなく、知的好奇心でやっているのだから、そういう人をエンカレッジすることが21世紀のいろいろな戦略に入ってくるべき。  
  • 余りにアメリカ参照主義であると空回りするのではないか。  

6.安全保証・安全との係わりについて

  • 安全保障の問題と科学技術の問題とを正面からきちんと考えることが必要。  
  • 科学技術と軍事との関係は非常に重要。  
  • 安全保障の観点というものが重要。  
  • 安全の視点、リスクベネフィットということについて、単に科学技術だけの問題ではなく、経済や環境、政治、法律、制度、人々の受け止め、さらには国際関係というようなことも含めて、要素だけではなく全体の関係としてとらえる。そういう中での安全問題ということに興味を持っている。  
  • 安全で安心できる社会というものが第一。防災の科学技術や生命科学技術等が非常に重要になると思う。そこで倫理が大きな問題になってくるだろう。技術倫理は既に議論が行われているが、科学を含めた科学技術に関する倫理が非常に大きな問題になってくると思う。  
  • 科学技術がどのように人体に影響を及ぼすのか、一つの省庁の所管の範囲だけでは全体が見えない。  

7.その他

  • 生命科学は、命に対する理解の深化や、人間の健康の保持、新産業の創出、地球上の生命世界の保持など、今後非常に重要な役割を果たすことが期待される。しかし、それを支える教育などの面で、日本の現状は、変えていかなければならない課題を抱えていると考えられる。  
  • 環境汚染について、余り環境重視にとらわれすぎると、別の大量消費・大量廃棄社会をつくってしまうおそれ。安全性をどこまで追求するのか考えるべき。  
  • 科学と技術とは違うのではないか。そのこともしっかりと議論すべき。  
  • 科学と技術は違う。科学的知見が人間のインタープレテーションを経て技術になったときに問題点を生ずることが多いのではないか。  
  • すべて科学技術で語られてしまうことには少し抵抗がある。科学そのもののありようも是非議論して欲しい。  
  • 現在は、科学技術のブラックボックス化や啓蒙的なイメージの衰退により、科学技術が広い国民的な支持を受けにくい状況になっている。どうやって科学技術を再び愛されるようにしていくか。  
  • 20世紀という世紀は人類の歴史の中ではかなり特殊な世紀だったのではないか。20世紀をきちんと見ることも大事だが、もう少し長い時間の中で人間の活動を見て21世紀を考えるということも大事ではないか。  
  • テレビという科学技術の産物が、集中力を持続できない子供たちを生んだ。そうした事態が望ましくないのなら、人間の本性としてこうあるべきという形と両立するような科学技術の姿を探求することが課題。  
  • 科学が非常にグローバル化してきており、巨大な国際会議、国際プロジェクトが行われているときに、日本としてどう対処していくのか、中核になるものをもっと強くすべき。  
  • ポスト・ドクトラル・フェローの後をどうするか、大きな問題ではないか。  
  • 21世紀の医療は、治療と言うより、健康をどう維持していくかという点にフォーカスが当たってくると思われ、遺伝子情報との係わりということが本質的な重要性を帯びてくる。そうすると、サイエンスよりもテクノロジーとして、どのように大がかりな解析業務その他をやっていくのか、討論して欲しい。  
  • 科学技術を「科学」と「技術」だと言い切ってしまうと、「科学技術」という言葉が持っている、ある色合い、色彩というものが薄れていくのではないか。科学技術というコンセプトが果たす機能を考えると、2つを区別した方がいいと考えには疑問。  
  • 英語の中でも、日本語の科学技術に相当するものをうち立てたいという動きもないわけではないと思う。ただ、歴史的に見れば、"science  and technology"という概念は、ずっとあるのだろうと思う。  
  • この懇談会としては、科学・技術というのはとらずに、やはり「科学技術」という言葉でやっていってはどうか。現在でも、純粋な科学、純粋な技術もあるが、その中で、「科学技術」と表現する方がより適切な分野もどんどん広がってきている。そういう広いスペクトルを全部、科学技術という言葉でとらえて議論していきたい。  
  • 20世紀の後始末、特に自然環境に人間がかけてしまった負荷を取り除いていくのも科学技術の力だと思うが、それをお荷物的に、負の遺産のような形でもっていくのではなく、そのことを直接に生活の向上として取り込むようなセンスがないと、21世紀に向かっての、本当の意味での希望にはならないのではないか。  

記号     「21世紀の社会と科学技術を考える懇談会」のホームページへ戻る    

記号     議事次第(第5回)に戻る