第二章 人文学及び社会科学の学問的特性

 人文学及び社会科学の振興について、これまで学術全体の振興を図る中で様々な提言がなされ、また施策も講じられてきたが、それらは必ずしも人文学及び社会科学の学問的特性を十分考慮したものではなかった。このため、今後の振興施策を、より実効性のあるものとするためには、人文学及び社会科学の学問的特性を踏まえて施策を展開することが重要である。第二章では、対象、方法、成果、評価の観点から、人文学及び社会科学の学問的特性をとらえ、第四章における施策の方向性へとつなげていくための基礎としたい。

 まず、対象、方法、成果、評価の各項目の説明に入る前に、総論的な留意事項をいくつか指摘しておきたい。
 第一は、人文学と社会科学との連続性である。ここでは、第二節及び第三節で述べるように、人間の意図や思想を研究の対象とする人文学を、「他者」との「対話」を基盤として、「他者」を説明し、理解する学問としてとらえるとともに、社会科学を「他者」との「対話」の場としての「社会」を説明し、理解する学問としてとらえている。人文学も社会科学も「対話」を可能とする諸条件を模索しており、このような意味で両者は連続していることに留意したい。
 第二は、学問における「総合」と「分析」のバランスの確保である。ここでは、研究方法を対話的な方法と実証的な方法とに類型化するとともに、概ね、前者が「総合」を、後者が「分析」を担っているものと考えている。しかし、学問全体として見たときには、対話的な方法と実証的な方法とが組み合わされ、車の両輪として学問全体を成り立たせていると考えてよい。
 第三は、人文学にせよ社会科学にせよ、自らが依って立っている「価値」や「規範」などの歴史的、文化的な伝統に自覚的であることの必要性である。ここでは、「学者」も歴史や文化の中の存在として、歴史や文化に拘束されていると考えている。したがって、一見、科学的に見える研究であっても、その「価値的前提」が問われなければならない。

第一節 対象

 人文学は人間の精神や文化を主な研究対象とする学問であり、社会科学は人間集団や社会の在り方を主な研究対象とする学問である。ここでは、個々の研究対象の検討に入る前に、総論として二点を指摘しておく。
 第一に、人文学及び社会科学の研究対象は、基本的に人間によって作られたものであることを確認しておきたい。このため、研究対象に関する「知識」は、歴史的、文化的な制約を受けながら、特定の歴史的、文化的な枠組みの中で生みだされることに留意しなければならない。
 第二に、人文学においては、哲学や思想といった「価値」それ自体が研究対象となるとともに、社会科学においても、社会を構成する人々や集団の意図や思想といった「価値」に関わる問題を取り扱っている。このように、「価値」の問題とかかわりが比較的少ない自然科学と比較して、ある面でより複雑な研究対象を取り扱っているということができる。
 さらに、社会科学が研究対象としている社会現象については、その構成主体である人間の意思や意図によって、現象自体が変化するという性質を持っている。いわゆる「法則破り」とか、「予言の自己成就」とか、「アナウンス効果」などが典型例である。このため、人間の行動のみならず、行動の背後にある意思、価値判断等について研究の対象としなければならない。即ち、社会科学では、構成主体の行動の相互作用に関する因果関係のみならず、行動の背後にある「意図」の形成に関する因果関係の解明が必要ということになる。このような意味で、社会現象を取り扱うに当たっては、自然現象を取り扱うのとは異なる意味で複雑な問題を抱えている。

(1)「メタ知識」

 哲学や論理学を中心に、人文学では「精神価値」、「歴史時間」及び「言語表現」といった「知識」に加え、自然科学や社会科学が研究対象とする諸「知識」に関する「知識」、即ち、論理や方法といったいわゆる「メタ知識」を研究対象としている。
 このような観点から、人文学は、個別の研究領域や研究主題を超えて、社会科学、自然科学に至るまで、個別諸学を基礎付け、もしくは連携させるための重要な位置を占めていると考えなければならない。

(2)「精神価値」、「歴史時間」及び「言語表現」

 人文学及び社会科学は、「精神価値」、「歴史時間」及び「言語表現」を研究対象としている。人文学ではそれ自体として、社会科学では、政治哲学とか、経済史といったある種の応用分野として、また哲学的アプローチとか、歴史的アプローチとかいった方法的な意味付けをもった研究対象として、これらを取り扱っている。
 社会や文化が成立するに当たって、その根拠となるような「精神価値」はどこにあるのか、また、「精神価値」は自然に存在するというものではなく、「歴史時間」の中で形成されたものであることから、その歴史的な文脈はどのようにして理解されるのか、さらに、「精神価値」や「歴史時間」を表記する「言語表現」の理解はどのようになされるのか、このような問題が、人文学を中心に伝統的に取り扱われてきた。
 これらの問題は、古典的な問題であると同時に、現在でも決して十分に説明や理解が得られていない重要な問題である。また、これらの問題は、諸学が「学」としての基礎付けを求められた際に、思索の深いレベルで出会う問題の一つでもある。
 このような意味で、「精神価値」、「歴史時間」及び「言語表現」それ自体を研究対象としている人文学が、学問全体の展開において果たすべき役割は大きい。また、社会科学においても、これらを研究の基盤として踏まえておくことが必要である。
 なお、ここで「精神価値」という言葉を用いているが、これは、これまで使用してきた「価値」とは、意味の範囲が異なっているので留意する必要がある。ここでの「精神価値」とは、人間の心の働きに関わる価値意識であり、思想、哲学、倫理、宗教、芸術等が対峙する「真」、「善」、「美」、「聖」などの価値を意味する。

(3)「社会構造」、「社会変動」及び「社会規範」

 人文学及び社会科学のうち、特に社会科学を中心に、「社会構造」(「社会制度」を含む)、「社会変動」及び「社会規範」が研究対象とされている。
 ここでは、人文学及び社会科学の研究対象の特性を研究方法との連関で提示する観点から、「社会構造」、「社会変動」及び「社会規範」という三つの概念で類型化を試みたものである。

1. 「社会」

「社会構造」、「社会変動」及び「社会規範」を説明する前に、この報告書では、研究対象としての「社会」をどのような観点からとらえるかについて説明をしておきたい。   まず、ここでは、「社会」、即ち、社会科学の研究対象としての「社会」を、「自然」に対する「社会」としてとらえているということを強調しておきたい。即ち、先にも述べたように、社会科学の研究対象としての「社会」は、人間によって作られたものであって、自然に存在しているものではない。したがって、自律性を持った「第二の自然」として人間の前に立ち現れることがあるにせよ、「社会」から人間の作為性を取り除いた上で研究を行うことは困難であろう。
 次に、ここでは、後述する研究方法の観点から、「社会」を「他者」との「対話」の場として、また、「他者」との「対話」の結果としての「『関係性』の束」としてとらえていることを指摘したい。後述するとおり、対話的な方法としての「他者」との「対話」とは、即ち「関係性」の成立であり、「社会」とは、そのような「他者」との「対話」の場としての側面と、「対話」の結果として成立する「『関係性』の束」としての側面を有していると考えている。

2. 「社会構造」、「社会変動」及び「社会規範」

 1. を踏まえ、続けて、「社会構造」、「社会変動」及び「社会規範」について説明をしたい。
 まず、「社会構造」とは、社会を構成している諸要素のパターン化された、相対的に変化しにくい結びつき(役割、社会制度、社会集団、地域社会、国家等)を意味している。ここで、結びつきとは「関係性」であり、個々の「関係性」はより大きな社会的単位間の「関係性」に包摂されている。
 例えば、「父親」や「母親」という役割と「子供」という役割の結びつきは、一般に「親子関係」と呼ばれる結びつきであり、これは「家族」という社会制度として、より幅広い「関係性」に包摂されている。また、「国家」と「国家」の結びつきとは、「国際関係」と呼ばれる結びつきであり、これは「国際社会」というより幅広い「関係性」に包摂されている。さらに、「売り手」と「買い手」という役割の結びつきは、「市場」という社会制度に包摂されている。「選挙権者」と「公職の候補者」という役割の結びつきは、「選挙制度」という社会制度に包摂されている。
 なお、「社会構造」の一部としての「社会制度」については、法学や政治学等において、主要な研究対象となっている。
 次に、「社会変動」とは、結びつきのパターンの変動を意味している。人文学における「歴史時間」と重複するが、ここで「社会変動」とは「社会構造」の変化としてとらえられるものであり、多くの場合、社会科学者は、現在と未来に対する実践的な問題意識から出発しているので、例えば、「近代産業社会」とか「近代市民社会」の社会構造の変動をとらえる場合には、それ以前の構造がどのようなものであり、それは今後どのような方向に向かっていくのかという問題意識からとらえられている。
 最後に、「社会規範」とは、「社会構造」や「社会変動」の前提にある意図や思想といった社会集団の鋳型に人々の行動をはめてしまうような「価値」に関わるものを意味している。これまで見たように、人文学及び社会科学の学問領域は、人間の行動や社会の構造、変動を取り扱っているが、人間や社会というものは、問題設定や目的そのものが一義的に与えられているものではなく、問題設定や目的自体をめぐって、思考が繰り返されるのである。したがって、研究対象についての客観的な知識を獲得し、それを技術的に適用すればよいという学問領域ではない。
 また、この報告書では、「社会構造」や「社会変動」の前提として「社会規範」を考えている。これを「社会構造」を構成する一要素として取り扱うという考え方もあるが、この報告書においては、歴史や文化に拘束された存在としての人文学者や社会科学者の「価値的な前提」の問題や、後述するように「実証的な方法」の前提として「対話的な方法」を位置付けているということとの一貫性、整合性の観点から、「社会規範」をこのように取り扱っているものである。

第二節 方法

 人文学及び社会科学は、自然科学のように「証拠」に基づき「事実」を明らかにするとともに、「論拠」を示すことにより「意味付け」を行うことをも目指すものである。このような意味で、人文学及び社会科学の方法を考えるに当たっては、「実証性」とともに「説得性」を問題として取り扱わなければならない。特に、人間や社会の在り方を把握するためには、人間の意図や思想といった「価値」に関わる問題を避けて通ることはできないことから、人文学及び社会科学の研究を進めるに当たっては、実証的な方法による「事実」への接近の努力とともに、研究者の見識や価値判断を通じた「意味付け」を行うことが不可欠である。
 以上を踏まえ、人文学及び社会科学の研究方法の特性を考えると、言葉による意味付けや解釈という研究者の見識や価値判断を前提とした研究方法と、人間の行動や社会現象などの外形的、客観的な測定を行う研究方法とが併存することになる。

 ここでは、このような基本的な考え方を前提としつつ、人文学及び社会科学の研究方法を対話的な方法と実証的な方法の大きく二つの類型に分けた上で、それぞれ分析する。ただし、ここで留意しておきたいことは、実際の研究においては、これらの方法が組み合わされているということ、そして、組み合わされているということの自覚が、人文学及び社会科学全体の振興にとって大きな意味を持つことになる。
 即ち、伝統的な学問観では、人文学及び社会科学の研究方法上の特性は、1. 定量的に計測するというよりは、定性的に記述する学問であること、2. 外形的、客観的な事実を明らかにするというよりは、解釈を通じた意味づけの学問であること、3. 研究対象に再現可能性がないという意味で、非実験系の学問であるということが、しばしば言われる。
 しかし、他方、人文学及び社会科学においても、実証的な研究方法を積極的に活用すべきという考え方がある。この立場からは、自然科学と人文学及び社会科学との差異は質的なものではなく、量的なものであり、人文学及び社会科学においても、1. 統計的な方法、2. 実験的な方法、3. 現地調査等のいわゆる実証的なアプローチに基づいてなされることが望ましいということになる。   ここでは、実証的な研究方法による「事実」への接近の努力とともに、研究が、一見実証的な研究方法のみによって成り立っているように見えても、そこには「価値的な前提」があり、「価値的な前提」を取り扱うという意味で、対話的な方法というものに自覚的であることが求められるという考え方に立っている。

(1)対話的な方法

 対話的な方法は、相対化の視点を前提とした「総合」のプロセスとして、その真価が発揮される。ここでは、それを「他者」との「対話」を通じた「普遍性」の獲得という研究のプロセスに即して説明する。

1. 歴史や文化による拘束

 第一節で述べたように、人文学及び社会科学の研究対象は、「精神価値」であれ、「社会構造」であれ、人間によって作られたものであって、自然に存在しているものではない。即ち、人文学及び社会科学は、人間と無関係に存在するものを取り扱うのではなく、歴史や文化の中で人間が作りだしてきたものを取り扱っている。このため、人文学及び社会科学における「知識」とは、純粋で客観的な「知識」として成立するのではなく、歴史的、文化的な制約を受けつつ、特定の歴史的、文化的な枠組みの中で生みだされた「知識」であることに留意する必要がある。
 ここでは、さらに重要なこととして、人文学者や社会科学者自身もまた、歴史や文化に拘束され、依存した存在として、特定の歴史や文化の内に存在しているということを指摘したい。即ち、人文学者や社会科学者は、自らも歴史に参画する人間として歴史を解釈し、文化の内に存在する教養人として思想や哲学を構築し、社会に参加する行為者として社会を分析せざるをえないのである。換言すれば、世界の内にあって世界を語ることの困難性を人文学や社会科学は抱えているのである。
 なお、このような観点を踏まえると、日本の学問の伝統や歴史に由来する知恵、発想といったものが、日本の人文学者や社会科学の思考や感性の前提となっているということにも、自覚的であることが必要と考えられる。

2. 経験や感性の役割

 人文学者や社会科学者が歴史や文化に拘束された存在であるとすれば、歴史や文化の中で培われた「経験」や「感性」、あるいは思考の構えとでもいったものが、研究プロセスにおいて大きな役割を果たすことは言を待たない。
 例えば、文学研究であれば、一般化された批評理論の適用によるテクスト読解という、いわば科学的な研究方法に対して、人文学者自身の「体験」や「想像力」を、テクスト、特に「古典」の読解を通じて普遍化していくという伝統的な研究方法が、依然として重要であることに変わりはない。それは、研究対象であるテクストとは異なる「価値」を体現した人文学者自身の「思考の構え」や「感性」といったものが、自然科学的に言えば研究装置として、人文学的に言えば「対話」の契機として、機能しているからに他ならない。

3. 相対化の視点(「多様性」の自覚)

 人文学者や社会科学者は、自分自身が歴史や文化に拘束された存在であることを自覚した刹那、自らが依って立つ「価値」の相対性に気付かされることになる。この結果、人文学や社会科学における研究のプロセスにおいては、研究対象となる歴史や文化を「他者」としてとらえること、即ち、相対化の視点を前提とせざるをえない。
 例えば、文化人類学の研究プロセスは、単にある異文化の社会を観察したり、自文化の立場から評価するのではなく、逆に、異質な社会の調査を通じて、文化人類学者自身が帰属する社会や文化の「価値」とは異なる「価値」を学ぶ行為となる。また、同じ文脈で言えば、歴史学の研究プロセスは単に過去の社会や文化を観察し、現在の視点から評価するのではなく、過去に学ぶ行為となる。
 また、日本の法学の特徴として各国の法を相対化する視点が顕著である。このことは、フランス法、ドイツ法、英米法といった諸国の法を継受するという日本における法の歴史の中で、日本の法学に培われた視点である。このような特徴は、開発途上国における法整備支援などの場面で、日本の法学者や実務家が一方的に日本法の継受を求めるのではなく、相手国の国情などを踏まえた支援を行うという態度や姿勢によく現れている。

4. 「他者」との「対話」(「普遍性」の獲得)

 相対化の視点は「他者」との「対話」の契機となり、「他者」との「対話」を通じて、人文学者や社会科学者は自分自身の思考の構えや感性を練り直すことができる。また、「他者」との「対話」という知的営為は、単に、学者個人の問題にとどまらず、古今東西の様々な歴史や文化が前提としている諸「価値」を学ぶことを通じて、自分自身はもとより、自分自身が帰属している社会集団が前提としている諸「価値」を相対化するとともに、他の社会集団が前提としている諸「価値」を抽出した上で、両者を比較考量するための高次の「(認識)枠組み」を構築し、これを用いて異なる社会集団の諸「価値」を練り直していくことを可能としてきたのである。
 このような「他者」との「対話」という対話的な方法は、ある「価値」を前提として、その「価値」に基づいて物事の真偽、優劣を判断していくのではなく、その「価値」自体が本当に正しいのかを他の「価値」との比較考量の過程で吟味し、判断していくという、知的判断、道徳的判断、美的判断を総合した判断であると言ってよい。そして、このような対話的な方法を踏まえると、人文学や社会科学は、「他者」との「対話」を通じた自他の「(認識)枠組み」の共有の契機を含むものであるとともに、そのような「対話」を通じた「(認識)枠組み」の共有により、「共通性」としての「普遍性」を獲得できる可能性をも含むものであることを意味している。また、このような「(認識)枠組み」の共有の結果、より普遍的な「(認識)枠組み」が形成され、諸集団において共有されうるような基本的「価値」を含んだ諸概念の体系として、異なる「歴史」や「文明」の通文化的基盤(例えば「教養」)となることも想定されるのである。
 なお、第三章において述べるとおり、このような意味で、対話的な方法を中心とした人文学は、諸学を基礎付けるとともに、「共通規範」としての「教養」の形成に資するという役割・機能を果たすことになるのである。

(2)実証的な方法

 研究の対象となる経験的現実の性質に応じて、意味解釈法、数理演繹法、統計帰納法、という研究方法に関する三つの類型が存在しており、それぞれの方法が相互に補い合って初めて、全体としての「現実」を明らかにすることができる。
 ここでは、三つの類型について定義を行った上で、それぞれの研究方法の中で、典型的と思われる研究方法を例示したい。

1. 意味解釈法

 意味解釈法とは、「現実」を把握するに際し、個別の事例を採りあげ、その意味解釈により、個別の事例にひそむ物事の本質をとりだす研究方法である。物事の本質は、それを単にあるがままに記述することによって説明されるのではなく、個性的な意義のあるものを普遍的な連関の中に整序することによって説明される。
 具体的には、文化人類学や都市社会学等における現地調査を通じて作成された研究成果に見られる「『意味の構造』の記述」や、歴史学や文化研究等に見られる意味体験の解釈を通じて了解される「『存在』の記述」がこれに当たる。

2. 数理演繹法

 数学的論理を用いることにより、特定の時間・空間を超えて成り立つ普遍的な「現実」を認識しようとする方法である。仮説認識から数理(演繹)によって導かれた命題が具体的経験をよく説明し、他の経験的事実によって反証されない限り受容される方法である。数理社会学や数理経済学の方法である。
 また、近年、社会科学においても、研究対象となる集団や組織・社会の構造や機能に関する操作的な模型を作成し、それをコンピュータ上のプログラムで動かし、その挙動を観察して解を導き出したり、特徴を知ろうとする思考実験としてのシミュレーションの手法も一部で採られている。

3. 統計帰納法

 統計帰納法とは、データを収集し、分析することにより、社会の具体的な状態や経験則を取り出す「現実」認識の方法である。社会調査データを集計したり、統計解析することにより、「現実」を検証可能なものとして捉える。データを図表に表したり、多重表分析、相関分析、多変量解析などを行う計量分析がこの方法を代表する。
 なお、近年、社会科学において実験的な研究方法によりデータを収集し、これを分析するという方法も一部で採られるようになっている。

第三節 成果

 人文学及び社会科学の成果について検討するに当たり重要と思われる二つの観点を指摘したい。
 第一は、人文学及び社会科学が「分析」の学問であると同時に、「総合」の学問であるということである。そして、このような観点から、人文学及び社会科学の成果を「分析」による「説明」という側面と、「総合」による「理解」という側面の二つの類型によりとらえ、後者の「総合」による「理解」が、社会の側から成果をとらえた場合に意味を持つことを指摘したい。
 第二は、人文学及び社会科学の成果には、「実践的な契機」が内包されているということである。学者の側が意図するにせよ、しないにせよ、歴史や社会との相互作用を通じて、これらを変革していく潜在的な力が内包されていることに留意が必要である。

(1)「総合」による「理解」と「分析」による「説明」

 本章の冒頭で述べたとおり、ここでは、人文学及び社会科学を、主に実証的な方法に基づいた「事実」の提示としての「説明」と、主に対話的な方法に基づいた「(認識)枠組み」の創造としての「理解」のプロセス或いは試みとして考えている。
 このような考え方を踏まえ、ここでは、人文学及び社会科学の成果を、研究対象である歴史事象や社会現象等の「説明」と、その意味づけとしての「理解」という二つに類型化したい。前者は、自然科学と同様、主に実証的な方法を通じた研究対象の「分析」により獲得される個別的で客観的な知識であるのに対して、後者は、「対話」を通じた「総合」により得られる「(認識)枠組み」を意味している。
 「分析」による「説明」は、概ね実証的な方法に基づき、特定の専門分野の独自のコード(ディシプリン)の内部で行われる、いわゆる「研究」である。これに対して、「総合」による「理解」は、実証的な方法に基づき得られた各専門分野の成果を活用しながら、特定の専門分野のコードを越えて行われる知の営みであり、おそらく「学問」と呼ばれるような行為である。
 専門分野というシステムは、独自のコード(ディシプリン)による内部のコミュニケーションにより、他のシステムからの独立性を確保している。細分化が顕著に進行した現在の知の状況では、コード間のコミュニケーションがきわめて困難であることは間違いない。このため、「分析」による「説明」は専門家による専門家向けの「研究」としての側面、「総合」による「理解」は知識人が歴史や社会に問う「学問」としての側面を、それぞれ有することが予想される。
 このような成果の特性を踏まえると、人文学及び社会科学の振興のための施策の検討に当たっては、専門家を中心に発信される成果としての「分析」による「説明」と、専門家を含めた社会に対して発信される成果としての「総合」による「理解」という二つの類型を念頭に置くことが必要と考えられる。特に、第一章の「研究の細分化」に関する課題の克服の観点から、次節及び第四章第三節の「学者」の養成に関する課題、第六節の評価に関する課題を検討していく際に、重要な意味を持つものと考えられる。研究の細分化を克服していくためには、「分析」による「説明」に加え、「総合」による「理解」というものを成果として明確に位置付けることが求められる。
 まず、「学者」の養成については、「分析」による「説明」に加え、「総合」による「理解」という成果を創出できる人材が、いわゆる「学者」と呼ばれる人材と考えられ、このようなタイプの人材をいかに養成するのかが課題となると考えられる。「研究者」として優れていることと、「学者」として優れていることとが、必ずしも一致するとは限らない。
 次に、評価については、「総合」としての成果は著作物や作品として発信され、「分析」としての成果は学術誌における論文として発信されることが多いと思われる。そして、論文の評価は、査読という特定の専門分野内における独自のコードに基づく内部の基準で行われ、著作物等の評価は、「歴史や社会における評価」という専門分野のコードを越えた外部の基準で行われる場合が多い。おそらく、研究の細分化の克服のためには、査読による評価が「歴史や社会における評価」と交錯し、互いに収斂していくような在り方を模索することが必要と考えられる。

(2)「実践的な契機」

 「分析」による「説明」にせよ、「総合」による「理解」にせよ、人文学及び社会科学の成果は、政治や経済に対する社会の見解の形成に一定の影響を与えている。それは、人間観や歴史観といった文明史的なレベルでの影響の場合もあれば、政策や社会の在り方に対するオピニオンの形成といったレベルでの影響の場合もある。即ち、歴史や社会の変革という「実践的な契機」が含まれている場合があるのである。ただし、ここで言う「実践的な契機」とは、明確な実践の意図があるという意味ではなく、結果的に歴史や社会に対して影響や効果を与える要素という意味である。後で歴史を振り返った時に初めて分かるという性質のものである。
 例えば、「デモクラシー」概念に関して、比較的肯定的な評価を与えたフランスの思想家トックヴィルの『アメリカのデモクラシー』には、その後の欧米社会において「デモクラシー」概念が積極的な価値を持って理解されるような「実践的な契機」が含まれていたと考えられる。また、かつて、政党や政治家と官僚制との関係についての実証分析を行った「族議員」の研究があったが、これは、政治や官僚制に対する社会の見解に刺激を与え、結果的に社会における政治や行政に関するイメージの形成に影響を与えている。実践的なものを直接意図しなくとも、ある種の実践的な帰結を伴うことがあるのである。
 「実践的な契機」について、もう一つ重要なことは、人文学や社会科学においては、成果が社会還元に直結するのでは必ずしもなく、成果が歴史や社会における選択を経て、受容されたり、拒絶されたりするという成果の展開のプロセスそのものが実践性を帯びていることである。成果を活用するか否かの意思決定は、社会を構成する人々が歴史のプロセスにおいて行うものであり、人々は成果として示された人間や社会のあり方とは異なる選択をし、行動を採ることもできるのである。このような意味で、人文学や社会科学の成果は、「唯一の真理」ではなく、「選択肢の一つ」として社会に提示されていると言うことができる。ただし、人文学や社会科学の成果は「相対的な真理」でしかなく、「唯一の真理」を提示できる自然科学に劣るということを意味していない。主に人々の意図や思想を取り扱うという対象や方法をめぐる学問の特性に起因する相違であり、優劣ではないということを確認しておくことが必要である。今後、行政において人文学や社会科学の振興のための施策を検討するに当たっては、このような特性を踏まえ、中・長期的な視野に立った取組みが期待される。
 なお、第一章第一節(2)の「歴史や社会に根ざした研究活動の展開」で指摘した日本の人文学及び社会科学が抱える課題との関連では、欧米の学説等を受容する段階で、欧米の社会の文脈において意味を持っていた「実践的な契機」が形式化してしまっている可能性がある。即ち、このような場合には、学説等に含まれている「実践的な契機」が日本社会との文脈とは無関係に発動されたり、逆に、「実践的な契機」が消滅してしまい、学説のための学説になってしまうことが考えられる。

第四節 評価

 人文学及び社会科学における「評価」を考えるに当たっては、これまで述べてきた学問的特性を踏まえるとともに、産業技術への応用を目指した工学分野における「評価」との相違を念頭に、いくつか留意しておくべき事項がある。第一は、学問の特性に起因する多元的な評価軸の確保の必要性、第二に、いわゆる学術誌の査読の限界の認識の必要性、第三は、定性的な評価の重要性である。人文学及び社会科学における「評価」システムを具体化するに当たっては、学問の発展を妨げないためにも、これらを踏まえることが期待される。

(1)多元的な評価軸の確保

1. 多元的な評価軸の確保の必要性

 人文学及び社会科学における「評価」については、自然科学における「評価」よりも幅広い観点から行われることが肝要である。人文学や社会科学における知の在り方には、事実の「発見」や「説明」といった在り方にとどまらず、「理解」や「対話」といった方法を通じた「(認識)枠組み」の構築という在り方をも含むものであるからである。この結果、「評価」に当たっては、事実のレベルだけではなく、意味や価値のレベルでの「評価」という問題が存在することになる。
 おそらく、事実の「発見」や「説明」ということであれば、手続きの適切性の確保といった観点や、当該分野における過去の研究蓄積に対して新たに何を付加することができたのかといったアカデミックな観点からの評価で済む場合もある。しかし、「理解」や「対話」といった方法を通じた「(認識)枠組み」の構築というような場合には、アカデミズムからの評価だけではなく、「理解」や「対話」の相手方でもある社会や歴史における評価というものが本質的な意味を持つと言ってよい。つまり、人文学や社会科学の研究は、現実の社会や生きた歴史の場において、そこに存在する多様な意味や価値と対峙しなければならない。これは、人文学や社会科学においては、現実の社会や生きた歴史の場において、総合的かつ継続的に評価が行われていることを意味するものであり、当然のことながら、評価軸は多元的とならざるをえない。

2. 評価の三類型(歴史における評価、社会における評価、アカデミズムによる評価)

 人文学及び社会科学における多元的な評価軸として、ここでは三つの類型を指摘したい。第一は「歴史における評価」、第二は「社会における評価」であり、そして、第三は主として専門家相互間で行われる「アカデミズムによる評価」(狭義の研究評価)である。おそらく、人文学や社会科学に対する評価をめぐる問題は、これらの「評価」を混同していたところにあると考えられる。施策の対象としての評価を考えるに当たっては、「歴史における評価」や「社会における評価」とは異なる仕組みとして、別途検討を行うことが必要である。
 以下に見るとおり、これらは、それぞれ相互に独立した基準で評価が行われている。しかし、究極的には、これらの評価の結果が一致することが理想の姿ではある。おそらく、自然科学の評価においては、「アカデミズムによる評価」が「社会における評価」でもあり、「歴史における評価」を形成していくことになるのであろう。しかし、人文学及び社会科学においては、その成果の特性は「選択肢の一つ」として歴史や社会において選択がなされているというところにある。成果の受容とともに、拒絶ということもありうるのである。

 まず、「歴史における評価」とは、人文学や社会科学の成果が、異なる時代や異なる文化といった「他者」との「対話」を通じた「普遍性」の獲得というプロセスの下、歴史における選択の過程において行われる評価を意味している。ここで「対話」が成立するとは、現実の社会や生きた歴史の場における人文学者や社会科学者の「人間」、「社会」、「文明」あるいは「世界」といったものについての「理解」が、「他者」の「理解」との間で、根源において通底していることを意味している。また、根源において通底しているとは、論理や検証を通じて一致するとか、判断を通じて同一化するという意味ではなく、両者の間に「ずれ」や「ゆれ」を含んだ緩やかな関係性が結ばれていることを意味している。
 結局、これは、いわゆる「古典」として位置付けられうるか否かといった意味での評価である。「古典」とは、「他者」がそこから様々な「(認識)枠組み」を取り出すことのできる源泉なのであり、それは文明社会の「教養」を形成することとなるのである。

 次に、「社会における評価」とは、同時代の読者層(ジャーナリズムを含む)から示される評価と、実務家から示される評価から成る。
 前者は、同時代における読者層との「対話」のプロセスの中で、示される「評価」を意味している。短期的な「評判」で終わる場合もあれば、同時代の思想や文化的な潮流に影響を与えるジャーナリズムなどの「書評等」の場合もある。また、新書等のベストセラーのような読者層による「静かなブーム」といった形での評価もありうる。
 また、後者は、実務家が必要としている専門分野の知識との関係で行われる場合が多い。これは、アカデミズムによる評価とその性格が類似している場合もある。社会科学の多くの分野では、実務家による評価は無視できないものである。
 最後に、「アカデミズムによる評価」とは、学術水準の向上等を通じて学問の発展を促すことを目的として、研究プロセスの適切性、研究成果の独創性等の観点から、主として専門家相互間で行われる研究の検証システムである。即ち、研究システムの一部としての研究評価であり、施策の直接の対象となりうるような評価である。「アカデミズムによる評価」については、項を改めて、学術誌の査読の問題、そして定性的評価として課題を検討したい。

(2)学術誌の「査読」の限界

 学術誌の査読は「アカデミズムによる評価」の評価軸の一つであるが、これに過度に依存することには、学問の発展の観点から問題がある。
 例えば、学術誌の査読という評価システムに親和的と言われることの多い経済学の場合を考えてみたい。
 まず、経済学の歴史を振り返ると、おそらく20世紀の中頃までは、研究成果の発信は書籍(単著)により行われていた。いわゆる査読付きの学術誌への発表が中心となるのは、20世紀の半ば以降であろう。かつての大経済学者、あるいは大経済学者たらんとする学者は、『経済学原理』とか、『経済原論』といった大きな著作を世に問うという形で、研究成果を発表していくことが基本的な姿勢であった。ところが、20世紀の半ば頃から、新しい学説の提唱に当たっては、大きな著作を執筆するのではなく、専門の学術誌に論文を発表するようになったのである。
 次に、著名な経済学者へのアンケート調査によると、大経済学者であっても、何度も学術誌への論文掲載を断られるという経験をしていることが明らかとなっている。例えば、ノーベル経済学賞を受賞した著名な経済学者の古典的な論文が有力な学術誌で掲載を拒否されたり、2008年度のノーベル経済学賞の受賞者も投稿した論文のうち6割が不採択になっているという。多くの大経済学者が学術誌の査読には課題があると考えているという結論が導かれている。
 さらに、我が国を代表する国際的に著名な経済学者も、研究成果の発表について、「私は研究成果を雑誌論文ではなく、単行本のかたちで公開するのを常としています。現在の専門雑誌は細かい技巧を重視しすぎており、重要な発想は無視されがちである。技術的な論文なら、どんな些細なものでも、採用される機会がより大きいことは確かである。」と述べており、学術誌の査読に対して批判的であった。

 これら学術誌による評価の限界の背景には、レフェリーが概して保守的であるという傾向があるようである。現在の学界の主流派の考え方に基づき、それをさらに一歩前進させるような論文についての判断力は正しく、信頼ができる。しかし、現在の学界の常識を覆すような論文についての評価は慎重でありすぎ、しばしば誤った判断をすることがあるようである。
 つまり、科学論的に言えば、「通常科学」(ノーマル・サイエンス)的な論文の評価に関しては現行の学術雑誌のレフェリー制度はかなり適切に機能している。問題は、既存のパラダイムを変革するような革新的な論文に遭遇したときに、学術誌の査読というシステムが適切に機能しうるのかどうかなのである。

(3)定性的な評価の重要性

 人文学及び社会科学の評価においては、定性的な評価が重要である。これは、先に述べたとおり、人文学及び社会科学における「歴史における評価」や「社会における評価」の意義、そして、学術誌の査読システムに過度に依存することの問題から、半ば必然的に導き出される結論である。
 ここで問題は、人文学や社会科学の学問的な特性を踏まえた評価システムと評価指標の開発である。評価が求められる昨今の世相にあって、ある程度確立された評価システムと評価指標とを持つ自然科学の評価方法が、人文学及び社会科学の評価にそのまま導入された場合には、人文学及び社会科学の発展に問題が生じる可能性がある。
 おそらく、このような問題を回避するためには、定性的な評価の重要性を確認するとともに、現在、ある程度その役割を果たしている書籍という形での成果発信の方法を積極的にとらえることが必要と考えられる。即ち、人文学や社会科学の場合、書籍という形での研究成果の発信が、このような学術誌の査読システムの弊害を回避するための重要な研究成果の発信方法となる可能性を重く受け止めることが必要なのではないだろうか。もちろん、日本における書籍の刊行には、査読システムが内在されていない。ある意味では、出版社の編集者の勘、即ち、大体の評判を聞いて、この研究者はなかなかの知識人ではないか、といったもので動いている部分があるのは事実である。しかし、先に述べたように、人文学や社会科学の評価は、自然科学のように「アカデミズムによる評価」が「社会における評価」や「歴史における評価」に優越するとは必ずしも言えない。評価軸が多元であることから、評価方法を複合的に用意しておくことが重要なのである。このように、「社会における評価」や「歴史における評価」にさらされるという意味で、書籍の意義を重く受け止めることが必要であろう。人文学や社会科学の場合には、学術誌の査読という「アカデミズムによる評価」、書籍による(アカデミズムの評価も含めた)「社会における評価」のバランスを確保することが重要と考える。

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