平成21年(2009年)11月26日
日本学術会議
日本の展望委員会
1.緒言:日本学術会議における第4期科学技術基本計画の検討
2.我が国の学術の総合的推進と強化のために
2-1
学術および科学・技術のあり方に関わる日本学術会議の基本的立場
2-1-1 国の長期的発展のために、「学術政策」を確立する
2-1-2
学術政策における日本学術会議と研究者の役割を強化する
2-1-3 日本社会の文理統合を促進し、縦割りを克服して社会的要請に応える
2-1-4
研究統計データを組織的に取得分析する体制を構築するとともに、科学に関する用語概念を国際基準を踏まえて整理する
2-2
安全な社会・持続可能な社会に向けた学術政策の提言
2-2-1 安全な社会の構築のための「安全の科学」の構築と先進技術の社会影響評価の確立
2-2-2
持続可能な社会の構築のための革新的な科学・技術の推進
2-2-3 温暖化など地球環境問題への総合的で長期的な研究・観測・支援体制の構築
2-2-4
地球規模・地域規模の生物多様性・生態系変化の国際的モニタリングネットワーク
2-2-5
世界人口の増加に対処するための食料の確保と食品の安全性の向上
2-3 基礎的・基盤的研究の推進のための政策提言
2-3-1
大学等における学術研究基盤の回復強化のための強力な政策
2-3-2 大学等の研究・教育環境改善などの具体的政策
2-3-3
大学等における多様で多彩な研究・教育の育成
2-3-4 学会などの学術活動への国の支援政策の抜本的強化
2-3-5
基礎研究とイノベーション創出目的研究の両輪的振興の推進
2-3-6 大型研究計画の調和ある推進
2-3-7
新しい研究手法としての「大規模研究」の確立
2-3-8 新たな知の創出のための学術情報基盤の構築
2-3-9
滞在型国際的研究拠点の実現と強化
2-4 統合的研究および応用研究の推進のための政策提言
2-4-1
諸科学の統合的研究による社会的課題への挑戦
2-4-2 世代循環を見据えた社会の制度設計と子ども・次世代のための統合的研究の推進
2-4-3
生命現象の統合的理解と人間の福祉に貢献するための人間科学の推進
2-4-4 新たな文化や社会を支えるソフトウェア基盤の開発推進
2-4-5
巨大化・複雑化する社会経済システムのための統合的科学の確立
3.大学と若手・人材育成、教育、人材活用に関する政策提言
3-1
多くの国民に質の保証された多様な高等教育の機会を提供する、個性輝く国公私立大学群の形成のための総合的施策
3-2
高等教育における人材育成へ向けた公財政投資の充実
3-3 大学院就学の奨励、修了者登用、行政・教員採用の計画的促進
3-4
博士課程就学の奨励と大学院生への国際水準の支援
3-5 博士人材の就労・研究環境の改善
3-6
人材の流動性、若手研究者の早期独立と流動化支援資金の新設
3-7 専門職教育と研究者養成のバランスのとれた運営体制の構築
3-8
世界に開かれた大学の形成と海外での学びへの支援
3-9 高校教育と大学との接続性の改善
3-10
総合的な科学基礎教育への取組み
3-11 次世代の科学・技術リテラシーの涵養と新リベラルアーツ教育の構築
3-12
男女共同参画の推進と熟練シニア人材の活用
3-13 人材育成データベースの構築
4.結語
日本学術会議は、日本の学術研究を代表する210 人の会員と約2000
人の連携会員で構成される公的組織であり、「科学の向上発達を図り、行政、産業および国民生活に科学を反映浸透させる」ために科学に関する重要事項を審議し、政府および社会に対して助言・提言を行うことを責務としている。日本学術会議は、日本社会の現状および将来のために科学の強化、科学者の社会への寄与の拡大、そして科学の理解の増進が急務であることを痛感し、第20
期・21 期を通じ、総力を挙げて『日本の展望 学術からの提言2010』の検討と取りまとめを進めている。
21
世紀、人類社会はグローバルな環境変動、経済変動、および紛争の継続・拡大に同時に対応すべき、大きな転換期に立ちつつある。その中で、アジアの一角にあって経済と科学の発展の重要部分を支える日本は、大きな存在感を示している。物心ともに豊かな世界の構築と拡大に日本が積極的に貢献し、また当面する多くの課題を乗り越えて展望ある豊かな日本社会を作り出すためにも、科学の果たす役割が決定的に重要であることは、改めて指摘するまでもない。人類社会の未来を開くには着実な科学的認識による舵取りと新たな知と価値の創造による社会活動の絶えざる改革が不可欠であるが、とりわけ資源大国ではない日本にあって、広範な学術的基盤に支えられた科学・技術の発展が果たす役割は、非常に大きくかつ本質的であると言わねばならない。2010
年4月に公表を予定している『日本の展望 学術からの提言2010』の諸提言・諸報告は、そうした状況の中で科学・技術を広く包含する学術研究活動が社会に寄与すべき重要な課題を総合的に集約・検討するとともに、日本の学術が進むべき方向と展望を明らかにし、日本社会・全国民に向けて発信するものである。
総合科学技術会議が科学技術基本法に基づいて5年ごとに取りまとめる「科学技術基本計画」は既に3期15
年を数え、「科学技術創造立国」を柱に据えて、我が国の経済的困難の中で科学技術予算の確保、科学技術の強化に重要な役割を果たしてきた。その中心課題は、そこで用いられている「科学技術」(science
based technology)という日本独特の言葉に代表されるように、産業に結びつく応用的・技術的研究の強化、科学研究投資の重点化などにあり、その面では所期の効果を上げてきたと言えよう。しかし、それを支えるはずの基礎科学や人文・社会科学を含む研究、すなわち学術研究の長期的な推進強化のための政策については、基本的重要性への言及に止まり、具体的政策を示してきたとは言えず、現状では日本が内外に対して果たすべき役割を担う「科学技術創造立国」の実現は、困難と言わざるを得ない。さらに、法人化された大学等における新たな問題も加わるなど、第4期計画が直面する課題は多く、大きい。
「学術」は、自然科学から人文・社会科学の領域に及ぶ知的・文化的営みを包括的に捉えたキーワードとして、長年我が国に定着している言葉である。すなわち学術とは、「あらゆる科学分野における知識体系とそれを実際に応用するための研究活動」を総称するものであり、幅広い知的創造活動を意味する。従って、学術は基礎科学・応用科学とともに人文・社会科学を包含するものである。人類は学術の探求を通して新しい知を生み出し続け、それに基づく応用・技術を通じて、今日の位置を築いた。学術は多元化した学問・人類の知的活動を統合する総称であって、そのあり方は人類の基盤をなす活動として総合的かつ多様に追究されなければならず、日本学術会議の存立基盤および使命もそこに根ざしている。科学技術創造立国を標榜する我が国がグローバリゼーションの潮流と変動の中で明治の開国以来とも言える変化・変革の時期を迎えている今日、学術の長期的文脈の下に「科学技術」をしっかり位置づけ、新しい、国際性豊かで独立性・独創性に満ちた科学・技術(scienceand
technology)の発展を目指すことは、極めて重要な国家的課題である。
以上述べてきたように、一国の科学および技術の発展は、科学技術基本計画が主眼としてきた応用的科学研究のみならず、その基礎となる基礎的科学、さらに人文・社会科学を加えた総合的概念である「学術」の発展を見通した政策と、それに基づく豊かな人材の育成なくしては実現し得ない。このような広い意味での学術に関する政策は、学術研究の本質に根ざして、総合的・長期的なものでなければならず、それゆえ、その具体的な政策検討は、政府機関としての日本学術会議が積極的に担うべきものであり、日本の学術コミュニティを代表する日本学術会議の重大な責務である。
日本学術会議は以上の視点から、『日本の展望‐学術からの提言2010』の主旨を踏まえつつ、第4期科学技術基本計画策定に際しての提言を並行して取りまとめてきた。第4期計画に向けての日本学術会議の基本姿勢は、基礎・応用に偏らず、総合的かつ長期的な科学・学術の強化と推進を確かなものとするための方向および政策を提言することである。そこでは日本の社会的状況・動向のみならず、人類が直面する重要課題や国際的動向、学術の本質とその長期的な発展方向が、十分に見据えられなければならない。1999
年、UNESCO(国連教育科学文化機関)と ICSU(国際科学会議)の共催によりブダペストで開催された世界科学者会議は、「科学と科学的知識の利用に関する世界宣言」(ブダペスト宣言)を採択した。宣言は、科学が人類全体に奉仕すべきものであり、その創出と利用については十分な情報と民主的議論が必要であるとして、科学の意味づけを次の4つの部分に整理した。すなわち、「知識のための科学;進歩のための知識」、「平和のための科学」、「開発のための科学」、そして「社会における科学、社会のための科学」である。折しも2009
年11月には、ブダペスト宣言の10 年後のフォローアップと今後の議論が行われたところである。
日本学術会議はこのブダペスト宣言の趣旨に深く共鳴し、その実現を目指すものである。「第4
期科学技術基本計画」への日本学術会議の提言と実施における役割もこれを基本とし、さらに人文・社会科学の役割を加えて、日本の学術の総合的・長期的な発展と社会への寄与の拡大に邁進する所存である。
日本学術会議においては緒言で述べた認識を踏まえ、我が国の科学・技術の発展のために、現在欠けている学術という広い視点での長期的な政策・展望をどのようにして持ち得るかについて、深く検討した。まずは「学術政策」を持つことの重要性、その実現のために科学者コミュニティとそれを代表する日本学術会議が果たすべき責任、その際重要となる諸項目について、以下に取りまとめる。この課題は、第4期科学技術基本計画の任務を超えるものであるが、その必要性・緊急性に鑑み、日本学術会議の基本的考え方として述べるものである。
我が国の行政において用いられている「科学技術」の概念は、人文・社会科学を除外し、かつ「科学を基礎とする技術」を中心に据えた応用志向が強いものであり、本来はより広範な概念である「学術」の中に位置づけられるべきものである。学術は、人文・社会科学を含めた全ての知の領域の実践的・理論的活動を包摂し、21 世紀の人類社会の課題に応える諸科学の統合と発展、そして社会への寄与を導く本質的な役割を担っている。従って、学術の長期的かつ総合的な振興こそがこれからの「科学技術」の推進に不可欠であり、国の科学および技術の発展は、従来、科学技術基本計画が主眼としてきた「科学技術」のみで実現することはできない。人類の知的活動の総合的概念である「学術」を基本に据えた「学術政策」の展開により、長期的な発展を見通した政策を準備し、また、それに基づく豊かな人材の育成を目指すことが肝要である。このことは従来から、科学技術基本法体制における課題として広く指摘されてきたところであるが、学術に課せられる使命がますます緊急となる今日、この課題に具体的に対処する必要性は極めて大きい。国は、今般の第4期科学技術基本計画の策定に当たり、従来の「科学技術政策」に留まることなく、学術の総合的発展の中に「科学技術」の推進を位置づける視座を明確にし、真の科学・技術立国の確立と、その着実で適正な推進を目指す長期的・総合的な「学術政策」の策定を図らなければならない。
人類の営みとしての学術研究の本質を踏まえ、我が国が長期的で総合的な「学術政策」を打ち出して行く上で、科学者コミュニティとそれを代表する唯一の公的組織である日本学術会議の責任は重く、大きい。現状を見るに、我が国では先進諸国に比べて、科学・学術政策における研究者や高度な学術専門家の関与が極めて弱く、日本の学術・科学関連政策において長期的視点・計画性の不足や国際対応の遅れが目立つ大きな要因ともなっている。複雑化する学術と社会との関係の中で、府省ごとの審議会行政における部分的、一時的な研究者の関与を越え、総合的・長期的・計画的な学術政策への学術専門家と行政が一体となった取組みを進める体制が必要である。また国際的協議や調整においても、関係府省と学術専門家や関連科学者コミュニティの密接な共同が重要になっている。日本学術会議はこのことを深く認識し、我が国の学術政策の立案と推進の体制を格段に強化するため、日本学術会議が持つべき機能として以下のように考える。
環境や安全など自然と人間の密接な関わりの中で現れる諸問題に直面する現代において、科学・技術を含めた学術の総合的発展と社会への還元、その成果に基づく新しい社会の構築には、総合的・横断的な知を備えた人材と異分野間の多様な連携が必要である。従って国の学術政策は、人文・社会科学の役割を含めて総合的に立案・推進されなければならない。残念ながら我が国の現状は、先進諸国中に類を見ない縦割り社会であり、様々な組織における縦割りの克服は大きな課題である。それは中等・高等教育から専門教育、研究分野に至るまで著しく、社会の文系理系人材の受け入れや、なかんずく行政組織でのはなはだしい文系優位にみられるように、ポスト配置でも著しい偏りがある。まず、教育の文理分断を改めて、総合的な科学教育を明確に目指すべきである。大学など研究の場では、分野間の連携と流動を強化し縦割りの打破を掲げるべきである。雇用では文系理系の分断や登用の差別を廃し、高度な専門性を身につけた人材の効果的活用を図るべきである。特に学術政策では、立案・推進のプロセスで非常に不足している博士取得者・研究経験者などの科学の専門家を行政における政策決定の場にしっかりと取込み、文系専門家との協力で科学政策を常時研究し高度化するなどの仕組みと組織的基盤を整備するべきである。
科学政策立案の基礎となるべき研究統計データの系統的収集とその分析・利用に関して、我が国の体制は国際的に見ても非常に貧弱である。まず日本学術会議や関係各機関の連携の下で、学術研究統計のあるべき姿とそれを担保する組織体制を検討し、我が国の科学技術・学術統計を国際レベルに強化することによって、「科学技術」を含む学術研究の推進基盤を整えるべきである。加えて我が国では、科学や技術の研究活動に関わる概念・用語に関して、行政用語も含めて混乱があり、それらが「科学技術政策」や学術政策を立案する上で問題を生じさせている面がある。基礎研究についてそれぞれの立場から独自の細分化や用語が利用され、「応用研究」や「研究者」に関して国際基準と異なる定義による統計調査が実施されているために、統計データの国際比較において齟齬を生じていることは、学術政策上も看過できない問題である。我が国の学術の長期的発展を期した適正な学術政策立案のためには、上記の研究統計データの収集・分析体制の整備と併せて、この点についても改善が必要である。基本的にはOECD のフラスカティ・マニュアルにおける基礎研究・応用研究の規定などの国際基準を踏まえ、整理するべきである。
人間の生活は、地震や風水害、事故、伝染病など多くのリスクと向かい合っている。科学・技術の発展は生活を豊かにし、安全性を高め、社会の発展に大きく貢献してきたが、同時に、負の側面として、環境破壊やエネルギー・資源の不足・枯渇、情報漏洩、生命倫理などの社会的リスクをもたらした。また、インターネットシステムに見られるように社会・情報システムが複雑巨大化したことは、利便さの一方で、制御が困難になることで我々の生活を脅かすリスクを増やしたことも否定できない。それゆえ、こうした多様なリスクを把握し、深く理解して適切に対応することが豊かで安全な持続可能社会の構築のために必須であり、そのための学術を、理学・工学、生命科学、人文・社会科学の協働で創成して行くことが求められている。国はこのような学術の創造活動を推進し、かつ個別の知を多様な社会的価値の創造に結びつける人材の育成に取り組むべきである。具体的には、以下を提言する。
自然災害、社会的リスク、そして科学・技術の負の面としてのリスクまで、あらゆるリスクに対して応答的かつ頑強な社会を作るには、各種のリスクを網羅的に把握し、その大きさに応じた対策をとる必要がある。そのためには「リスク指標」の構築が将来の一つの目標となる。ただし、リスク評価に伴う不確実性の克服、リスク管理策の費用対効果の推定や社会的受容性の予測、「指標」自体がもたらし得る社会的な負の影響など、課題は複雑で幅広いことに留意すべきである。社会に広がっている科学技術に対する漠然とした不安の要因を学術的手法で突き止め、これを解消する方策を実施することも、真の豊かさを保つために重要である。こうした課題に対応するため、自然科学と人文・社会科学の連携による「安全の科学(レギュラトリーサイエンス)」を構築し、これを支援するとともに、この分野の専門家を養成することが必要である。
これと併せて、人間が豊かで安全・安心な生活を送る持続可能な社会に向けて、先進技術の社会的影響やリスクを評価できる制度設計が必要である。「科学・技術が及ぼす倫理的・法的・社会的課題への責任ある取組み」を目指し、先進技術の社会的影響評価の確立と、そのための新たな専門機関の設立・制度化を進めるべきである。また情報化社会の深化を見通し、今後の社会の情報に関わる活動のあり方、情報技術と法・社会制度設計の具体化を進めるべきである。評価能力を持つ人材の育成も望まれる。
資源・エネルギーの乏しい我が国では、持続可能な社会の実現のためのサスティナビリティ技術の推進が重要である。またそれを支えるためには、継続的な調査観測体制、低炭素社会のありようや科学的基盤、また将来あり得る様々な要素も含めて総合的・長期的に持続可能社会の科学的側面を研究するサスティナビリティ科学の構築も欠かすことができない。持続可能な社会を構築するためのこの革新的な科学・技術戦略は、ナノテクノロジー、インフォメーションテクノロジー(情報技術)、バイオテクノロジーなどの戦略とも相乗的かつ相補的な関係にあり、資源やエネルギー消費の最小化、再生可能資源・再生可能エネルギーの活用拡大、人と環境の健康・安全を支える科学技術の開発と推進などの基盤となる。サスティナビリティ科学・技術の推進は、地球温暖化問題などの地球環境負荷の軽減への貢献、環境保全から代替技術への環境に対する社会改革の促進、相応する文化的人材育成への貢献、健康・安全の課題解決の推進、科学情報の社会資産形成と重要情報の永続的保存の推進、日本が主導する国際貢献など、多くの利点と波及効果がある。各々の学問分野の界面に、真の創造的なサスティナビリティ科学・技術の芽があることが多く、知の統合と異分野連携が望まれる。
地球温暖化などの地球環境変動や人間活動に伴う生態系の劣化などは、多種の複雑な現象が絡むために明快な結論を導くことが困難な問題である。これらの問題にはグローバルかつ長期的に取り組むことが必須であるが、まずその基礎としての地球、資源、生態系、生産、社会などの学術の総合的な研究とその蓄積に基づく不断の分析・展望の明確化が本質的に重要である。また広範な応用・基礎研究の政策的強化と、これらの問題の社会的理解の基本となる科学・地球環境教育の推進、市民の広い科学リテラシーの強化が重要である。さらに具体的には、まず現象を的確に捉え、長期的推移を検証するための観測体制の整備が必要である。地球レベルの環境問題は、自然科学的に把握できる生態系などの問題と社会科学的に把握される人間の生産活動・生活行動の相互関係の結果であり、その問題解決には自然・社会両面の研究統合が不可欠である。さらにその基礎となる地球的スケールでのデータの収集、観測網の充実、その長期的継続は、今後の科学的施策展開の基本中の基本である。さらに地球環境の危機には、個別課題への対応では不十分である。例えば温暖化と生物多様性は互いに深く関わっており、問題の解決には施策の効果的組合せ、グリーンイノベーションへの転換、総合的・統合的・システム的取組みの一層の推進が強く求められる。
気候変動対策と並んで持続可能性確保に向けた重要課題である「生物多様性の保全と持続可能な利用」のための国際的観測ネットワークに相応の貢献をするため、生物多様性・生態系の分析・評価・予測に資する大規模長期生態系研究・自然史研究の強化が求められる。ここには、それらを推進するための標本・実物資料など基盤整備とモニタリングの継続的支援、生物多様性・生態系データベースの整備と指標開発、データの統合・分析・社会との双方向情報交換システムの構築と活用などが含まれる。
近い将来90億人を超えると予測される世界の人口を養うために、遺伝資源・生物多様性の包括的把握と保全、農林水産生産技術の確立、ゲノム情報の解析成果に基づく有用生物遺伝資源の利用、そして遺伝子組み換え作物の開発による食料の持続的で安定した供給が必要である。また食品流通の国際化・複雑化が進む中で、食品の安全管理の国際的な枠組みと技術の開発が不可欠である。
我が国において、学術研究・教育を担う大学等を巡る環境が過度の競争環境への誘導や法人化の影響などで悪化し活気が失われつつある現在の状況は、深刻である。国は大学や大学共同利用機関における学術研究・人材育成が我が国の将来への重要な投資であることを再度明確にし、適切な政策を推進すべきである。
具体的には、基盤的経費と人員の削減、過度な競争環境育成などがもたらしている危機の克服のため、まず従来の政策を転換し、国立大学等における運営費交付金など研究基盤経費の増額により各大学等の研究の財政的基盤の大幅強化と継続的拡充を進めるべきである。また、基盤施設の整備と修理・更新、共同利用運用を含めた効率的使用のため、充分な予算枠を設定するべきである。各大学等で取り組む特色ある研究等にも公的な資金援助の機会を配慮すべきである。いっぽう競争的資金の採択率を上げて大学や教員のインセンティブを育て、国の研究開発予算における基礎的研究と応用・開発的研究のバランスを十分に吟味分析した上、資源配分に反映させるような施策を検討するべきである。
法人化後の国立大学等については、法人化の本来の目的であったはずの大学の自立と自律の達成、個性と機能の多様化による学問・教育の特徴に応じた役割分担を実現し、活き活きとした大学群を形成するため、大学間格差を増長しあるいは過度の事務負担と評価で教員が疲弊する現在の制度について再考すべきである。まず、国立大学法人運営費交付金並びに私学助成の総額を削減する方針を撤廃するべきである。また、大学法人の中期目標の設定において、大学の自主的な経営の幅が広がる制度とすべきである。また、独立法人研究機関等との連携と人材交流を促進するため、雇用制度等の見直しを進めるべきである。
法人化で導入された現在の評価のシステムには、課題が多い。過度の事務負担で教員・事務が疲弊する制度の大幅な再考、多角的で柔軟な大学評価指標の導入による大学個性の多様化、および簡素で大学を励ます評価制度の設計が必要である。総じて、研究環境の向上、過度な競争の是正や人員制限の柔軟化に舵を切ることが、「科学技術」を含む日本の学術のために必須である。さらに将来に向けては、学術教育活動に関わる税制改革などを通して大学に独自資金確保への道を開き、大学が高い独立性・自主性・活動性を確保できる長期的政策が重要である。
研究者育成が少数の大学でのみで行われることは、長期的に見て研究分野の多様性を損ねるものである。競争的研究資金などによる重点化・小数大学化への誘導の結果、我が国全体で見れば多くの研究者・研究分野・大学等の疲弊の進行に加え、少数の大型大学と多くのその他の大学との格差の拡大、そして国立大学のステロタイプ化が進んでいる。これでは、我が国の健全な学術の発展は展望できない。世界トップクラスの研究は、それらを支える様々なレベルの研究が健全に活動していることで成り立つのである。大学における人材育成も重大な問題を生じている現在、広く大学を支援する政策が緊急に求められる。具体例として、中小規模の複数の大学等が連携して特色ある研究教育課題を推進するなどの連携体制を構築して、全国的に豊かな研究・教育拠点を形成し、機関を超えた連携で人材を育成する「大学連携拠点特別推進費(仮称)」の創成などが挙げられる。また、研究プロジェクトの支援・助成については、特に人文・社会科学に関わる場合、従来のあり方から進んで、より組織的な大規模研究を国際的、総合的視野から積極的に推進するとともに、小規模グループの創意性を活かすべく中小規模の研究プロジェクトをあわせて重視し、さらに短期的な成果を求めない長期的な知の蓄積型研究(データの開発・収集・保存・分析)の支援を展開するなど、多様・多彩な研究・教育の基盤を形成すべきである。
学会・論文誌など学術活動に対する我が国の支援策は、先進諸国のみならず、主な発展途上国に比べても劣悪である。日本の学術活動の国際的な発展を支援するため、学術団体の活動を少なくとも諸外国並みに支援する抜本的政策を立案・実施し、また国産の国際学術誌への大幅な支援強化により、我が国の学術の成果を国際的に発信して行かなければならない。そのためには、「学術法人法」の制定などが有効である。
世界的に科学的・技術的知の創造の成果が社会に深く浸透し、今後一層の進展が予測される21
世紀において、科学・技術とイノベーションとは表裏一体の関係にあると言えよう。我が国の社会および世界の持続可能な発展には、持続可能な科学技術駆動型イノベーション創出能力の一層の強化に加え、「教育と人材育成」がますます重要になる。そのために、新たな知の源である学術の発展と、社会・経済的価値を生み出すイノベーション創出を目的とする研究の両輪的振興が重要である。真理の追求を目指す多様性・継続性を必要とする基礎研究を着実に推進しつつ、同時に社会・経済的価値創造を目指す応用研究を推進する両輪一体的振興の担保が求められる。その具体的実行に向けて、それぞれの研究資金枠とその審査基準を明確化・適正化した上で、それぞれのファンディング・レベルを政策的に適切に仕切るポートフォリオ的な推進方策を検討すべきである。同時に基礎研究による「新たな知の創造」と、応用研究による「社会・経済的価値の創造」との間の不連続的かつ不確実な結合メカニズムも考慮したイノベーション誘導政策の強化も重要である。
行政はこの視点に立った個別の強化策とともに、「教育」と「研究」と「イノベーション」の三位一体的な視座からの総合推進機能の強化を行うことが喫緊の課題である。
宇宙空間科学、粒子加速器・放射光、天文学・宇宙物理学、地球科学・海洋科学などにおける大型研究計画は、科学と技術の限界への挑戦である。生み出される最先端の成果は我が国の国際的地位を高め、広い関連分野の研究・教育を育て加速するとともに、国民に夢と誇りをもたらし、技術の革新や産業創出にもつながる。優れた大型研究計画を科学的評価に基づいて継続的に推進する透明性の高い体制の確立、国際対応体制の整備を早急に進めるべきである。基礎科学の推進は、大型装置に代表される先端的研究によってフロンティアを切り開きつつ、常に萌芽的研究を育成する研究基盤を広く強化することなしには成り立たない。従って、大型計画の推進と基盤的研究との調和を生む公正な仕組みを構築するとともに、大型計画において国際的にも対応できるプロジェクト・マネージャーの計画的育成など、計画支援の充実を図る必要がある。並行して、大学等が必要としている中小規模の基盤的機器も、計画的に設置を進める方針を確立すべきである。また、既存施設の修繕・改良費枠を設定することは、研究費の効果的使用の面からも重要である。
多くの研究者を組織する、あるいは長期にわたって展開する大規模な研究計画推進の重要性が、理学・工学、生命科学や人文・社会科学など広い分野で増している。ボトムアップによる計画に立脚しつつ、日本の各分野の科学者コミュニティの合意の下でコアとなる研究組織・施設が責任を持ち、従来の科研費等の枠を超える多額の経費によって国家レベル、場合によっては国際レベルでの推進が必要と判断される「大規模研究」の概念を、新たに設定するべきである。
新たな知の創出のための、学術情報基盤の構築が必要である。今後の発展を支える大型研究設備や研究支援体制の整備の中でも特に研究の基盤となるバイオリソースやデータベースを恒久的にサポートする組織的、財政的支援体制の確立が必須である。また、日本の学術にとって共通の基盤である日本語について、喫緊の課題としての「日本語データベース」の構築が重要である。当面具体的には「明治以前の日本語典籍のテキスト」のデジタル・アーカイブ化を推進すべきであり、国レベルの統一的な作業方針に基づく計画的実行が求められる。さらに、平成の大合併による地方自治体の再編にからんで散逸の恐れがある自治体保有の行政資料などの収集・整理・保存の事業が重要であり、早急な実行が必要である。これらは、上記(2‐3‐7)で提言した「大規模研究」によって実現するのが、ひとつの方法である。
これに関連して、地域に関わる情報を形成する行政主体を含めた諸機関の連携によって「地域の知」の共有・集積・創出を図り、時空間情報処理技術の開発と活用を通じて、日本全体での地域情報・地域資源の利活用のシステム構築が促進されるべきである。学術情報基盤の国際的な構築については、特にアジア諸国の企業行動や家計行動、政治行動、社会行動、地理情報などに関するマクロおよびミクロデータを収集し、また調査を設計・実施する拠点を構築し、アジア地域の学術研究推進の基礎を作るべきである。
我が国の学術の水準向上、国際的発信と国際学術ネットワークの強化のため、分野を問わず滞在型国際共同研究機能を充実させることが必要である。真に日本が国際貢献をするには、国際的水準にある研究機関の国際的拠点としての運用のための整備(外国人研究者・家族の生活・教育支援、事務系・技術系職員による英語での研究支援態勢など)が必要である。さらに、日本で行った研究や日本に留学した経験が国際的に科学者のキャリアパスとして重要視される体制づくりをしなければならない。我が国では施設面に加えてソフト面での遅れも顕著であり、この面での特段の充実策が重要である。また、新たなネットワーク型の研究方法論(例えばE‐サイエンス)や新しい研究推進体制(例えばバーチャル研究所)を構築し、滞在型国際共同研究拠点とネットワーク化することにより、人材育成を含めた我が国の学術基盤の格段の向上と国際貢献の機能強化を図るべきである。
21世紀の現在、地球環境、生態系、人口、エネルギー、水資源、食料、自然災害など、地球と人間社会の関係について多くの問題が指摘されており、人文・社会科学も包摂した諸科学が新しいパラダイムを構築して解決に向かわなければならない時代が来ている。そこでは、来るべき社会について科学、技術、および価値選択に基づいてソフトとハードを総合的に設計する、諸科学の統合的研究が必須である。具体的課題としては、地球環境・生態系の保全など人類社会の持続可能性確保のための科学的洞察・価値選択に基づく政治的決定としての国際的計画と実行システムの策定、核と戦争のない平和な世界と人類の平等の福祉を目指し「人間の安全保障」を実現する国際的なシステムの形成と科学的・技術的基盤の創出、人間のライフサイクルに即した生活・医療保障の総合制度設計と実施プログラムの策定、現代社会を構成する「人間」の存在と精神のありよう・心の機能についての脳神経科学・心理学等の統合的研究による解明、諸科学の統合によるジェンダー研究の推進と性差別を含むすべての差別の社会的解消等が挙げられる。これら人類社会にとって不可避で、多様な社会的諸課題に挑戦するための、諸科学の統合的研究が推進されるべきであり、またそのためには研究を支援すべき関係府省の縦割りの壁を取り去ることが必要である。
日本を含め先進諸国の社会は人口の減少および高齢化に直面しており、一方で子どもの問題、他方で高齢者の問題に対応し、持続可能な社会への展望を見出さなければならない。また社会の持続可能性は、将来世代のための地球資源の確保問題にも関わる。人口構成がピラミッド型をしていた時代に形成された現在のシステムは、補正が試みられているとはいえ、医療・福祉領域にとどまらず、広く経済、生活、文化、そしてこれらが相互に関連する複雑な課題を提起している。こうした現代の世代循環を見据えた学術研究が必要である。それは、高齢者、子ども、そして可能ならば将来世代までを射程に入れた、持続可能な社会制度の設計と技術基盤の創出を図る統合的な研究の推進である。
特に具体的課題として、子どもが自然と共生し健やかに生きるための社会基盤を作出することが重要である。我が国の子どもは近年、学力や体力・運動能力の低下、生活習慣病の増加、コミュニケーション能力の低下、意欲や向上心の低下、不登校や引きこもりの増加、孤独感、いじめ、自殺などの諸問題を抱え、危機的な状況にあると言える。対策として、子どもが群れて遊ぶ公園・広場、住環境、遊び道の復活、自然体験の場、健康を守る環境(医療環境)、生活のための環境基準、地域コミュニティーの拠点としての教育保育環境、活発な運動を喚起する施設・都市空間の整備が必要である。また、子ども・高齢者のいわゆる災害弱者を配慮した災害対策の展開および安全な生活空間を支える技術開発を推進するべきである。
進展の著しい遺伝子・ゲノム情報、発生分化、免疫不全などの分野では、生命現象解明の研究の臨床への応用、および社会的影響に対する倫理面の研究などの強化が重要になった。特に、学際的アプローチを包括した統合的研究により、基礎研究の成果を健全な生命の維持のための保健医療環境の改善・応用につなげる連携の強化が必要である。こうした中で、従来の生命科学の分野間の連携のみならず、工学や人文・社会科学の統合に資するシステム構築や、健康科学全般にわたって文理を超えた学際的・複合的な研究を強化し、人間の福祉に貢献するための人間科学を推進することが求められる。また、疾病構造の解明におけるゲノム解析研究などの進展を医療研究に活用するための基盤整備、特に人間を対象とする臨床研究・開発研究の促進のため国際的レベルの学術統計の活用など体制の強化が重要である。
現代の社会基盤は情報技術に依存するところが大きく、安全で安心できる情報社会のための信頼できるシステム構築が極めて重要である。情報技術の活用により、具体的には、新たな文化形成や、出版、図書館、美術館・資料館などの将来展望、人に優しいインターフェース技術、遠隔地からの高信頼制御技術などによる生活環境の実現が可能になりつつある。このように情報化社会へと急速に変容する中で、新たに開発される超高速度・超低消費電力デバイスやシステムアーキテクチャ技術、情報メディア技術を活かすために、実時間・実世界を対象にした信頼性が高く誰もが利用できるシステム実現のためのソフトウェアの開発が重要である。最近のシステムは人の行動が複雑に絡み合う実時間・実世界を対象とするところに特徴があり、それを実現するソフトウェアは大規模になるのが必然である。このようなソフトウェアの開発に対する方法論の確立は緊急の課題であり、そのためには、先進的な設計手法を駆使し信頼度の高い大規模ソフトウェアを開発するための戦略を講じる必要がある。
科学と技術が発展し、人間生活に深く浸透するに従い、社会システム全体が極めて複雑化、巨大化し、その全体の把握と制御が困難となってきている。代表的な例がインターネットシステムであり、利便さの一方で生活を脅かす面も併せ持っている。また、地球規模気候変動のように、細分化された科学と技術のみでは、その対応が難しい課題がある。現代社会が直面するこのような巨大な、あるいは、複雑で複合的な課題を解決するためには、新しい価値観や科学・技術、あるいは、革新的な社会経済システムを生み出す「知の統合」能力が必要になる。この「知の統合」能力を先導する統合的科学の確立のためには、あたらしい研究方法論の開拓、学術全体の再編も含めて新しい研究推進体制の創出、また、その人材育成体制の構築が必要である。将来の持続可能な社会へ向け、知の創造を社会・経済的価値創造に具現化する統合的科学の研究と人材育成を、学術政策と教育政策において強化することが重要である。
現在、我が国の大学は、国立大学の法人化などを契機に大きな曲がり角に立っている。大学の大衆化と卓越性を両立し、国際社会での十分な役割を果たすためには、大学自身の自己努力とともに、国民の理解の下に高等教育を支える公財政投資の拡充が必要である。知に基づいて人類社会に貢献する豊かな知識基盤社会を構築するためには、大学の門戸をさらに拡げ、人材育成の質と量を一層向上させることが不可欠であり、それは我が国の国家的な命題と位置づけられる。この重要な目標を達成するために我が国が目指すべき大学像は、以下のように描かれる。
このような、言わば「知の連山としての大学群」の形成によって、国民の知的レベルの格段の向上を通じ、活力ある社会を築くことが可能となる。第4 期科学技術基本計画においても、引き続き大学院を含む高等教育への公的支出を増やすことが必要で、停滞傾向にある我が国の科学・技術および産業の再構築、そして持続可能な発展につなぐことを目指すべきである。当面の重要課題を、以下のように提言する。
我が国では、高校卒業後直ちに大学に入学し、卒業後はほとんど大学へ戻ることがない直線的なパスが、暗黙の標準として社会に広く浸透している。一方、大学在学中に長期の社会活動や就業の経験を積み、あるいは就業経験を経てから大学へ進学することがまれではない海外諸大学では、異なる履歴を有する多様な人材が集まり、優れた教育・研究の成果を挙げている例が多々見られる。様々な社会経験を持つ人材が大学に回帰することは、学生の学習動機や社会への関心を涵養し、大学教育の厚さと質の向上に寄与する。
国民にこうした多様な生涯学習や複線的キャリアパスの設計を可能とする、質の保証された幅広い高等教育の機会を提供する「知の連山としての大学」を育成すべきである。それらは、多様な理念を持ちながら切磋琢磨する大学であり、入学年齢、入学時期、就学年数などにおいて飛躍的に柔軟な大学制度への改革を進める必要がある。国民の大半が高等教育を享受する機会が得られる知識基盤社会の実現に向けて、18
歳大学進学率を増加させるとともに、例えば40 歳において大学卒業者・大学院修了者率を合わせて80%程度とすることを目標にする。国民の多くが高等教育を享受できるようにするためには、大学制度の改革、そして生涯学習を可能にするきめ細かい国の支援制度の整備が求められる。
国民の高等教育就学の奨励、そして国公私立大学の教育研究基盤整備と経営基盤強化に向けて、公財政投資の改善(当面、OECD 諸国と同等の、教育費全体で対GDP 比3.3%から約5%へ、高等教育費で対GDP 費0.5%から約1%への増額)に積極的に取り組むべきである。大学および大学院の就学者において男女割合の差を無くすよう、また就業経験者なども対象に含めた大学生および大学院生への奨学金、修学ローン制度を拡充するよう、取り組むべきである。府省の教育関係施策においては、各大学が教育基盤、教育課程の着実な改善に計画的に取り組むことができるように、短期単発的なものを避け、長期継続的な予算化へ重点を移す必要がある。こうした教育投資を増やすことに国民的合意が得られるよう、政府を始め、産官学の関係機関のあらゆる努力を結集する必要がある。教育予算財源のための教育目的税、奨学団体や大学・研究機関法人への寄付に対する市民・企業のインセンティブを醸成する税額控除の検討を進めることも必要である。
過去の大学院強化政策で大学院生数は増加したが、先進国との比較では日本の人口当たりの大学院学生数はなお、はるかに少ない。優れた大学院教育プログラムの育成とともに大学院就学を奨励し、大学院修了者を増加させ、国内外の様々な場で彼らを積極的に登用し、活躍できるよう環境を整える必要がある。女性、社会人、留学生の就学奨励も重要である。これらのための環境整備こそが急務であり、そのために様々な社会制度や人事制度の改革が必要である。まず、公務員採用やその後の任用において、文理などの分野の偏りを解消し、大学院修了者を総じて50%程度へ増加させる。博士号取得者を計画的に採用し、持てる能力をいかんなく発揮できるような制度や組織を整備し、しかるべく処遇するべきである。我が国の行政官庁の中枢に博士取得者、理系出身者が極めて少ないという特異な状況は、解消する必要がある。初等中等教育教員採用では、2020 年までに新規の採用者の50%以上を修士号取得者にするとともに、30%以上の現職教員に大学院での再教育の機会を提供する。また、理系大学院修了者の採用を積極的に進めるように教員採用制度を改善し、教員の科学能力を早急に高める必要がある。なお博士課程については、次の3‐4、3‐5で再度述べる。
科学・技術研究推進の原動力としての博士号取得者を正当に育成・処遇できない日本社会の状況を理由に、その減少を許容する見方もあるが、世界的趨勢と我が国の学術強化の観点からは明らかな逆行である。我が国の博士課程学生は依然として少なく、その上に現在、博士課程進学者は減少の一途にあって、高度な専門性を持つ人材の貧困化を招き、国の将来に禍根を残す恐れがある。厚い人材層を形成して長期的に国力を維持するには、専門分野間のバランスも考慮しつつ大学院博士課程修了者を増加させ、優れた専門性を身に付けた者を積極的に登用するシステムを整備して行くべきである。そのためには大学院博士課程で学ぶ者を高度な研究職業人と位置づけ、経済的な自立を可能とする財政支援を強化し、社会的地位の国際的同等性を確保することが急務である。また、博士課程定員充足率によって基盤経費予算が左右される状況を改善するために、博士課程定員については、修士課程との定員移動や異分野専攻・研究科間の流動も含め柔軟な運用が必要である。さらに、大学における教員数や施設規模の再配分は、博士課程定員充足条件とは切り離し、長期的構想の下で実施できるようにすべきである。
若手研究者の就労環境は近年著しく劣悪となり、博士号取得後のポスドク1万6千人が将来に大きな不安を抱きつつ、非正規労働者として低収入に甘んじている。我が国の博士人材の就労・研究環境は深刻な状況にあり、このことが特に日本人の理工系博士課程進学者の顕著な減少にもつながっている。また若年人口の減少に伴い、今後さらに、科学・技術の担い手としての博士人材の減少が加速されることも危惧される。この問題の克服には、従来に増して明確な政策対応が必要である。博士号取得者の民間での積極採用のほか、高度な専門家としての若手研究者採用に、「官」が率先して取り組むべきである。大学などにおける若手教員ポストの増加、国家・地方公務員の博士人材採用枠の新設、司書や学芸員など高度専門職への博士人材の積極的採用など、実現可能な施策を早急に実施すべきである。同時に大学では、様々な場面で高度な専門知識・技術を生かして活躍できる幅広い能力を持つ博士取得者を育成すべく教育環境の整備や奨学金の充実など、格段の努力を行うべきである。それと並行して、博士号取得者の専門性を正当に評価することを社会に浸透させ、就労・研究環境や処遇の制度的改善を図る必要がある。
人材の流動性を高め、逞しい人材を育成することが極めて重要である。システムの硬直化を避け、社会の活力、産業の競争力、優れた社会サービスなどを保つためには、人が組織や分野を越えて動き、持てる力を有効に発揮し、あるいは新しい力を獲得することが可能でなければならない。大学や研究所の間での学生、研究者、教員の移動・交流は、特に科学・技術の発展にとって必須の要素である。雇用制度を含め、流動性を阻む諸制度の見直しを進めるべきである。特に、若手研究者が機関を移る際、自由な発想で研究を継続、推進できるように流動化支援経費(研究教育環境整備費および間接経費を含む)を新設することを提案する。これにより採用した大学等での研究教育施設整備が可能となる。その前提として、透明で公平公正な完全公募人事が求められるのはもちろんである。
専門職大学院と研究者養成大学院が併存する学術分野については、専門職教育と研究者養成のバランスのとれた運営を図るために、相互の連携が適切に行われ、教育上の交流および教育研究を担当する科学者の交流と人的リソースの効率的活用を進めることが重要である。また、医・歯・薬・看護・獣医学等分野についても、大学院教育において専門職教育と研究者養成の二つの課題を成功裏に達成するためには、教育上の制度的、人的な措置が必要である。ここでは、研究者のみならず臨床実践に関する専門職教育を行うことが求められており、臨床研究をサポートする疫学研究デザインの専門家や生物統計家の養成のための教育機関およびそれらの研究を支援するシステムの整備が進められるべきである。さらに、専門医教育と研究者養成をバランスよく運営できるコースの設置が検討されてよい。
教育サービスの競争が激化する世界の中にあって、日本の高等教育が国際的に高く評価され、多くの人材を惹きつける魅力を形成するためには、我が国の長期的な戦略と施策が求められる。多様なキャリア、多様な価値観を有する人材が国内外から集まる環境を大学に形成し、全ての学術分野で国際性を備えた新しい教育研究を展開する必要に迫られている。まず、我が国の各大学において、世界の人びとが真に学びたいと考えるインフラを整備する必要がある。留学生30 万人受け入れ、優れた海外研究者の招へいといった施策には、各大学の受け入れ体制や世界レベルの研究環境の整備が前提となる。世界は、より質の高い教育や研究環境を求めて人材が移動する時代となっている。従って、数とともに、質の向上へ十分配慮した施策が必要である。一方、日本人を海外へ送り出すことにも力を注ぐべきであり、当面、近年減少傾向にある日本人の海外留学者を大幅に増加させる。そのために、学生に加え、就業経験者も含む日本人を対象とした海外フェローシップ制度、留学資金ローンを拡充する。さらに、帰国人材の積極的な受け入れ制度の導入を検討する必要がある。
大学での教育を受け始める前提としての基礎知識、社会人としての一般教養、そして大学で学ぶ目的意識、その一部どころか3つとも欠く学生が生まれている。また、筆記試験に追われて勉強する若者に時間をかけて十分に知識を身につける学習態度が不足し、結果として大学教育の質の劣化を招いている。従って高等学校と大学の教育の接続性の改善が必要であり、大学入学試験対策のために偏った知識の獲得に流れがちな現状の高等学校教育の改善と質の保障について、抜本的な対応がなされなければならない。これにはまず高等学校の自主的な取組みが必要であり、同時に大学側も偏った勉学を誘導するような入試科目の設定を見直すなど、連携して支援していく必要がある。各大学は、求める学生像を含めアドミッションポリシーを明示し、その大学が授ける教育に最適な応募者を選抜すること、ならびに、応募者の成績に加えて、クラブ活動、福祉活動、科学研究活動、文化活動、独自で行う勉強など、多様な尺度で選抜を行う制度を検討する必要がある。
若手研究者・人材育成問題の根幹の一つは、初等教育や受験体制を含めた現在の教育システムにある。入学試験における学科選択の拡がり、さらにその影響を受けた小中高等学校の若手教員の科学力の低下、過剰な情報に曝される教育現場など、初等中等教育における科学教育は全体としてみると困難な課題を抱えている。顕在化している事例を挙げれば、我が国における初中高等教育における統計教育は十分にはほど遠く、社会人となっても現代社会の統計データを的確に理解する力が不足している。統計教育においては、コンピュータを利用した教育が必要であり、学校教育の現場においても情報機器の活用がさらに図られるべきである。地球に関する教育も不十分で、温暖化などの問題に対しても、国民の理解の基盤は著しく貧弱である。一方、数学や物理を通じて涵養される論理的な思考力、また現代技術の理解を通じて獲得する設計的な考え方などの必要性も提起されている。こうした状況を全体として把握し、長期的視点に立った総合的科学教育政策に取り組むべき時が来ている。
次世代を担う若者の科学・技術リテラシーを涵養し、創造力豊かな人材を育成するための教育投資が行われなければならない。その中には、初等教育から高等教育までの教育プログラム、全ての生徒・学生を対象とする文理統合的教養教育(リベラルアーツ)、人材育成と若手のキャリアパスの制度構築、女性研究者の活躍を促進する制度的支援、市民の継続教育などが含まれるべきであり、その中での大学の役割は格段に重要になる。さらに大学・研究所・博物館等が協力しての教師に対する教育やアウトリーチなど、生涯教育や生涯参加の仕組みについても、同時に検討して行く必要がある。中長期的には高度な科学・技術リテラシーを有する教員の育成と現職教員の研修の実施、学生および教員に幅広い科学的教養を持たせるためのリベラルアーツ教育を、また短期的には科学・技術の成果を社会に発信するためのマスコミとの連携、研究者側の情報発信意識とスキルの向上などを増強、促進すべきである。
日本の女性研究者数および全研究者に占める比率が、先進国の中で依然として極めて低いことを踏まえ、国の男女共同参画推進体制の一層の強化を図るべきである。具体的には、ポジティブ・アクションを含む積極的施策、男女共同参画の指針設定率が低い私立大学を含めた取組み促進の制度化、「女性研究者育成モデル事業」および「女性研究者養成システム改革加速」プログラムの継続と促進などを推進すべきである。我が国で特に遅れている科学・技術に貢献する分野での活躍を促進するための、教育・研究労働環境の格段の施設整備が必要である。また、今後我が国で増加する活動的なシニア科学者・技術者に対しては、彼らが豊富な経験や高度の知識を活かして活躍できる仕組みを早急に作る必要がある。
人材育成は、国民誰もの共通関心事であり、また国家的な課題でもある。そうした人材育成の方針や施策を練る際の共通基盤として、そして大学や大学院の教育効果を長期的に追跡し改善に活かすために、学生や若手人材の動態を継続的に記録する人材動向統計データベースが必要である。しかし、現状は多くの異なる組織で、また異なる術語や条件でデータが集められ、異なる形態で公開され、極めて利用しにくい状況にある。上記のデータベースの構築整備を行政機関・関係組織の連携によって進める必要がある。このような継続的データベースは、次代を担う若手人材に提供する大学卒業・大学院修了後の就業に関する情報としても極めて有用である。
以上、日本学術会議として『日本の展望‐学術からの提言2010』の審議と併せて検討してきた、第4 期科学技術基本計画への提言を取りまとめた。今回の提言は、特に危機的な状況にあると認識される基盤的・基礎的研究と博士課程など人材育成の状況を踏まえ、日本の科学・技術の政策がなによりも「学術政策」を基本とし、長期的な見通しの下に進められるべきであるという、日本学術会議としての強い認識を反映したものである。学術の基盤、人材育成の根や幹を犠牲にしては、枝に豊かな花が咲き実がなることは決してないからである。これはまた、社会のために学術の力を発揮し豊かな世界を築きたいという真摯な思いから出た提言であり、この提言の実現のため、日本の科学者コミュニティを公式に代表する唯一の機関である日本学術会議は、全力を尽くす所存である。
高橋、中村、谷村
電話番号:03-5253-4111(内線4295)、03-6734-4169(直通)
-- 登録:平成22年04月 --