第3 人文学の学問的特性

(1)基本的考え方

「科学」と「技術」

  • 「科学」と「技術」は、本来的に性質を異にしている。近年、日本における「科学技術」概念、英米圏における「ST」概念、「テクノサイエンス」概念に見られるように、両者を融合させた概念が誕生しているが、少なくともヨーロッパでは、両者は性質を異にするものという視点は、現在でも維持されていると考えてよい。【再掲】

「外部の目的の達成のための手段」としての「技術」

  • 外部のクライアントが設定した社会的、経済的目的の達成のための手段である「技術」は、人類の発祥とともに存在した。「技術」の中に、我々が「科学」と呼ぶような知的営為が全くなかったわけではないが、外部のクライアントが存在せず、それ自体として自己充足的な営みである「科学」は、「技術」とは異なる淵源をもつものである。【再掲】

「自己充足性」としての「科学」

  • 「科学」とは、純粋な知識体系であり、「科学」の成果を活用するクライアントが外部にいないということを最大の特徴とする。その目的は「真理の探究」であり、動機付けは「好奇心」である。【再掲】
  • 「科学」の動機付けは科学者の好奇心である。したがって、「科学」の営みは、科学者個人の中で完結するか、科学者共同体(学会等)の中で完結しているというのが「科学」の本来の姿である。外部に存在し、「科学」の成果を活用するクライアントの目的が動機付けとなっているのではない。
  • 「サイエンス」の訳語としての「科学」という言葉は、「科に分化した学」という意味であり、日本が「サイエンス」を受容した19世紀後半という時代が、既に西欧においても「サイエンス」が専門分化してしまった後の時代であったことを意味している。

「文化」としての「科学」

  • 「科学」とは、人間が生きていくために必ずしも必要ではないけれども、人間活動の一部として大事と思われるものという意味での「文化」の一部である。これに対して「技術」とは、人間が生きていくのに必須のあらゆるものという意味での「文化」の一部である。【再掲】
  • 「科学」を「文化」の一部として考えるならば、「科学」に対する支援というのは本来的にフィランソロピー(慈善活動)という性格を有するものである。
     フィランソロピーとは、「フィル+アントロポス」即ち、「人間を愛すること」を意味しており、オペラや芝居という人間活動に対する支援と同様、自然などに対して好奇心を働かせ探求している科学者の活動も、人間活動の一部として重要であるから支援を行うという性格のものである。【再掲】
  • 研究者の自由な発想に基づく学術研究を支援する科学研究費補助金制度も、フィランソロピーの原理に基づき運営されていると言えるのではないか。
  • ノーベルの遺言も経済活動や産業活動とは、本来無縁のものではなかったか。

「科学」の変容-「好奇心駆動型の科学」と「使命達成型の科学」-

  • 20世紀の後半において、「科学」の成果を活用した「技術」の開発が活発化した。この結果、自己充足性を特性とする「科学」においても、「科学」の外部の世界においてその成果を活用するクライアントが存在するようになった。この場合のクライアントとは、軍事であり、産業である。この結果、財物としての「科学」という観点が生まれてきた。【再掲】
  • このような経緯から、現在、「科学」には、「科学」の本来的な在り方である専ら研究者の好奇心により研究が進められる「好奇心駆動型の科学」とは別に、産業や軍事といった外部のクライアントの目的の下で研究が進められる「使命達成型の科学」とが成立し、両者が併存する事態となっている。【再掲】
  • 「好奇心駆動型の科学」と「使命達成型の科学」の相違は以下の通りである。
     目的やテーマの設定については、前者においては科学者が行うが、後者においては科学者以外の者が行う。研究チームの構成については、前者においては同一分野の科学者を中心としており同質性が高いが、後者においては異分野の科学者のみならず、技術者やマネージャーなど、異質性が高い。研究の構造については、前者がハイアラーキカルに対して、後者がリゾーム状である。リーダーについては、前者が学問指導者がリーダーであるのに対して、後者はマネージャーがリーダーである。
  • 科学者の意識は常に「好奇心駆動型の科学」であり、社会の意識は常に「使命達成型の科学」である。このため、「使命達成型の科学」の基準で、「好奇心駆動型の科学」が評価されてしまうところに、「科学」をめぐる最近の問題がある。特に、人文学や社会科学についてまで「使命達成型の科学」の基準が無条件に適用されるような事態は、「科学」の自殺とも言うべき大きな問題ではないか。【再掲】
  • 人文学、社会科学の研究を振興するに当たっては、分野等によっては経済的な支援も重要ではあるが、まずは研究者の知識欲を満たすための研究時間の確保という観点から、「学問の自由」が確保されていることが重要である。それは、人文学、社会科学の研究が、既存の価値や通説に対する「懐疑」から出発する場合が多いということ、及び研究者の知識欲を満たす自由が学問の原動力となっていることからの要請と言ってよい。【再掲】

(2)対象

要旨

  • 人文学の研究対象は、価値、歴史、言語そしてメタ知識である。

価値、歴史、言語

  • 人文学は、「精神的価値」、「歴史時間」、「言語表現」を研究対象としている。
     即ち、人間の社会・文化が成立するに当たって人間の「精神的価値」はどこにあるのか、また、「精神的価値」は単に現存するだけのものではなく、「歴史時間」の中で形成されてきたものであり、その歴史的な脈絡はどのようにして理解できるのか、さらに、「言語表現」を理解する在り方はどのように説明できるのか、といった問題を伝統的に取り扱ってきた。これらの問題は、古典的な問題であると同時に、現在でも決して十分に説明できていない重要な問題である。
  • 人文学は、社会や過去の古今東西の様々な考え方や色々な価値観の在り方を学び、自分の自社会の価値観やものの考え方を相対化する。また、自分とは違う文化や過去の中に、自分たちと異なる価値の遠近法を発見し、学び、自分にフィードバックして自分の価値の遠近法を練り直していくという性質をもっている。

メタ知識

  • 人文学には、「精神的価値」、「歴史時間」、「言語表現」といった個別の研究対象に加え、自然科学的知識や社会科学的知識、技術的知識も含め、それらの知識が人間、社会及び文化に対して、どのような意味を持っているのかについての知識いわゆる「メタ知識」を取り扱うという機能がある。
  • このような観点から、人文学は、個別の研究領域や研究主題を超えて、社会科学、自然科学及び技術に至るまで、これらのものを学問的に統合し、もしくは連携させるための重要な位置を占めていると考えなければならない。【再掲】

(3)方法

要旨

  • 人文学においては、研究者自身が歴史や文化に制約された存在であるが故に、価値の相対性を方法的な前提とする必要がある。

歴史内在性

  • 人文学という学問が取扱う「真理なるもの」とは、「自然にできあがったもの」ではなく、「作られたもの」である。すなわち、人間と関係のないところに存在するものを扱うのではないのだということ、全ては歴史の内に存在するのだということが、人文学者にとっての共通理解である。
  • 人間の存在は、社会であれ、文化であれ、基本的にはみな歴史の中で構築されてきたものであり、歴史について考察を行う人文学者もまた歴史の内にあり、自らも歴史に参画する者として歴史を解釈せざるをえない
     このような方法的な前提を確実に理解した上で、人文学者が何を求め、研究の成果を社会や文化に対してどのような形で提供しているかということをはじめて理解できると考える。
  • ある意味で、我が国の学問的伝統としての「和学」というのは、日本の学問の基礎という側面を持っているのではないか。それは、知恵、発想、工夫といった形式知に還元できないものとして日本人研究者の思考の前提となっているのかもしれない。

価値相対性

  • 人文学は、ある意味、社会から学ぶものであると考えられる。例えば、芸術学であれば、芸術作品、即ち過去又は現在の創造的な行為が一体どのような感受性のなかでどうしてこのような形になって生まれてきたのかを問う学問である。また、文化人類学や民族学は、単にある異文化を価値評価するのではなく、異質な社会の調査を通じて、逆に自分たちとは異なる価値を学ぶ学問である。歴史学については、過去を価値評価するのではなく、過去に学ぶ学問であるということができる。このような意味で、人文学は、異文化や過去の中に自分たちと異なる価値を見出し、学び、それを自分の方にフィードバックして自分の教養、あるいは価値を練り直していくという往復作業であると考えている。
  • 人文学、社会科学の研究は、既存の価値や通説に対する「懐疑」から出発する場合が多い。このような意味で、研究者が自由な発想に基づき研究を行っていくことが重要なのである。【再掲】

研究者個人の見識の重要性

  • 文学研究について言えば、インターネット上の圧倒的な言語の力、即ちグローバリゼーションの力を前にして、ポスト構造主義的な理論による精緻な方法には限界があるようにも見える。むしろ、研究者個人の体験と想像力とを他者のテクスト、しかも『古典』を通じて普遍化していくという方法が重要であり、グローバル化時代においては、むしろ先端的な研究になると考えられる。

個人研究と共同研究

  • 従来、人文学研究は個人研究が中心であったが、共同研究により新たな知見が得られる可能性について、検討することが必要である。

使用言語

  • 人文学においては、英語以外の言語の重要性を視野に入れる必要がある。
  • 哲学研究における使用言語については、英語に加え、ラテン語、ドイツ語、フランス語、イタリア語であり、どれか一つに決めることは難しい。また、哲学には、日常言語を厳密に再定義し直して、論理を組み直すという難解な作業を行う必要がある。このような要因から、自然科学などと比較して、外国語による発信の難しさがある。

(4)成果及び評価

真理の理解と社会の変革

  • 自然科学が「真理の理解」を目指すのに対して、社会科学には「真理の理解」に加え、「社会の変革」という実践的な契機が含まれている。例えば、「民主主義」概念にプラスの意味を与え、肯定的な評価の下で「民主主義」が理解されるような契機はトクヴィルの思想にあったのではないか。

骨太の研究成果

  • 日本の人文学や社会科学から骨太の研究成果を生み出されるためには、研究者の自由な発想に基づき行われる研究をもっと大事にしていかなければならない。

評価基準

  • 定量的な評価になじまないものをいかに評価するかというのが、人文学の非常に重要なテーマである。
  • 評価の在り方について、定量的な評価になじまないという主張を超えた、人文・社会科学系からの対案が必要な時期にあると思う。
  • 人文・社会科学系において、定量的な評価が難しく定性的な評価がなじむということであれば、積極的にどのような評価基準であれば優れた定性的な評価と言いうるのかを示すことが必要である。また、人文・社会科学系の学問が何を目指しているかについて、常に社会に発信し続けることが同時に必要である。

お問合せ先

研究振興局振興企画課学術企画室

(研究振興局振興企画課学術企画室)