第1 人文学の現状と課題

(1)輸入学問という性格

要旨

  • 日本の哲学研究の課題として、西洋の偉大な哲学者の著作に対する文献学的な関心のみが肥大化した、いわゆる「哲学者研究」にとどまっており、本来の「哲学研究」になっていない。
  • ヨーロッパでは、かつて全ての学問を包括する有機的なシステムとしての「哲学」という概念があったが、19世紀にはそれが完全に崩壊した上で再編成され、「個別科学」の時代へと転換した。【再掲】
  • 日本では、「個別科学」の時代になってからヨーロッパの学問を取り込んだため、まさに専門分化した「科の学」としての「個別科学」を取り込んだということになる。これは歴史的な運命としか言いようがない。【再掲】
  • 日本の哲学研究は、百数十年間、西洋思想史の研究に必死に取り組んできた。西洋の偉大な哲学の歴史、そのテキストをまず言語を学ぶことからはじめ、テキストのクリティークをきちんとし、草稿、マニスクリプトまで丁寧に読んで、西洋思想史について正確に理解するという営みを続けてきた。ヘーゲル研究やマルクス研究などは世界水準に達している。しかし、問題は、それは哲学の勉強でいわば「哲学学」ではあっても、「哲学」ではないというところにある。
  • 日本の哲学研究は、ある哲学者の思想の文献学的研究に始まり、それを思想史の文脈の中でどう位置づけていくのか、そして、研究対象とした哲学者の著作の解釈を更新していくことにすべてのエネルギーを注ぎ込んでいる。哲学教育にしても、哲学の思想史研究としての哲学研究の専門家を養成するということに著しく偏っており、社会の中の哲学的思考を育んでいこうという関心が非常に少ない。
  • 哲学が「基礎学」としてあらゆる学問に関わるにせよ、「教養」として専門の学問を超えた一つの思考のより広い能力を発揮するにせよ、少なくとも、今の日本の哲学研究はそのような在り方とはかなり乖離した状況にあると考えられる。即ち、我が国の哲学研究、思想研究の特徴として、ある哲学者の哲学や思想を自分の専門とするとで通用してきたという状況を挙げることができる。これでは、きわめて専門化してしまった個別科学の一つでしかない。「基礎学」とも言いえないし、「教養」とも言いえない。
  • 哲学は、本来、社会的なディスクール、言説が生成するその場所に関わるものである。
     西洋近代の哲学者であれば、「自由」、「法」、「権利」といった概念が形成される社会の現場において発言し続けてきたと言ってよいと思う。また、現代の西洋の哲学者も、社会的なオピニオンの形成の場であるジャーナリズムであるとか、社会の担い手を育成する初等中等教育に対しても、哲学者が深く関わっているといってよいと思う。
     このような観点からみると、日本の哲学研究は、ある哲学者の思想の文献学的研究に始まり、それを思想史の文脈の中でどう位置づけていくのか、そして、研究対象とした哲学者の著作の解釈を更新していくことにすべてのエネルギーを注ぎ込んでおり、哲学教育にしても、哲学の思想史研究としての哲学研究の専門家を養成するということに著しく偏っており、社会の中の哲学的思考を育んでいこうという関心が非常に少ないということが言える。
  • 「科学」をヨーロッパから輸入する際に当たり、近代以前から日本に存在する伝統的な学問の位置づけが不安定なものになってしまったと考えられる。
  • 明治以後、日本の学問というもの、学術というものの基本がほとんど西洋学というものになってしまった。選び取ったということにもなるが、その結果、そこでは日本伝来の、明治以前の我が国の学問である和学のほうの継承がほんとうに手薄なものになっていってしまった。今やおそらくいわゆる国文学・国史学というところでだけ生き残っているという状態になっている。

(2)研究の細分化

要旨

  • 研究の細分化が進みすぎると、「人間」や「歴史」に対する大きな認識枠組みの構築や提供といった一般社会からの期待に応えることができなくなる。
  • 「哲史文」が、一般社会がに求める役割や機能、即ち、「人間」や「歴史」に対する大きな認識の枠組みの構築と提供という役割や機能を果たしていくためには、あまりにも研究の細分化、固定化が進んでしまっているという現状に留意する必要がある。
  • あまりにも細分化しすぎるのも問題ではあるが、新しい歴史像といった認識の枠組みの創造の前提には個別的な実証研究の積み上げが必要であり、非常に重要なのである。このようなメカニズムは、自然科学において実験や計測を積み重ねることなしに創造が生まれないというのと共通している。
  • 教授等の選考に携わってみると、人文学において、研究の細分化がかなりの勢いで進んでいるという印象を受ける。当該研究から若干離れた分野の研究者から見て、理解が困難な非常に細かい研究テーマを設定していないと、その分野の専門家として認められないのであろうか、という印象を受ける。このような状況を踏まえると、やはり全体を見渡す視野を持った人材、即ちオールラウンダーを育成していくことの必要性を改めて考えざるをえない。

(3)人文学の衰退

  • 日本だけではなく、欧米においても、人文学は全体として予算やポストが停滞又は減少している。
  • 近年、人文学や社会科学の意味、重要性が、社会的に認知されなくなりつつあるという印象がある。

(4)「哲史文」という枠組み

要旨

  • 伝統的な「哲史文」の枠組みが大学教育の場面から急速に失われている。
  • 大学における教養教育の衰退に伴って、「哲学」、「歴史」、「文学」といった、人文学の中核をなしてきた枠組みや名称が、教育の場面から急速に失われている。しかし、一方、研究の場面においては、「哲史文」の枠組みが、研究者の帰属意識として十分に引き継がれている。

(5)人文学への期待

要旨

  • 人文学の知見がなければ応えられないような現代的な課題の解決への期待がある。
  • 人文学の衰退が叫ばれる一方で、知的関心の高い人々を引きつけている斬新な研究があり、これを人文学の覚醒への期待と見ることもできるのではないか。
    例えば、哲学や倫理学といった分野では、終末期医療や生殖医療における人間の尊厳といった課題を扱う生命倫理の問題や、現代人を引きつけている新宗教の問題など、哲学者や倫理学者、宗教学者の研究により様々な学説が提起されている。
     また、歴史学の分野では、現代の国際社会を理解する上で不可欠な要素であるイスラーム史に関する研究の興隆や、日本社会の包括的な理解という観点から網野善彦氏の中世社会史の研究に対する期待感といったものを挙げることができる。
     文学研究の分野では、今年、執筆後1,000年を迎えた源氏物語を東アジア世界の文学表現全体の中で考察した研究や、「カラマーゾフの兄弟」の新訳が大ブームになっていることなどを挙げることができる。

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