第3章 人文学の特性

(1)研究対象

1.「精神的価値」、「歴史的時間」、「言語表現」

 人文学は、「精神的価値」、「歴史的時間」、「言語表現」を研究対象としている。
 即ち、人間の社会・文化が成立するに当たっての人間の「精神的価値」はどこにあるのか、また、「精神価値」は単に現存するだけでのものではなく、「歴史的時間」の中で形成されたものであることから、その歴史的な脈絡はどのようにして理解できるのか、さらに、「言語表現」を理解する在り方はどのように説明できるのか、といった問題を、伝統的に人文学は取り扱ってきた。
 これらの問題は、古典的な問題であると同時に、現在でも決して十分に説明できていない重要な問題であり、将来においても、人文学が学問の展開において果たすべき役割は大きい。

2.「メタ知識」

 人文学には、「精神的価値」、「歴史時間」、「言語表現」といった個別領域の「知識」に加え、自然科学や社会科学が研究対象とする諸「知識」、また技術的な知識も含め、「知識」に関する「知識」、論理や方法といったいわゆる「メタ知識」を研究対象としている。
 このような観点から、人文学は、個別の研究領域や研究主題を超えて、社会科学、自然科学及び技術に至るまで、これらを学問的の総合し、もしくは連携させるための重要な位置を占めていると考えなければならない。

(2)研究方法

 人文学振興のための施策の検討に当たっては、人文学に特徴的な方法的前提を理解することが必要である。特に、研究者が歴史や文化に拘束された(依存した)存在であること、人文学における「普遍性」は「対話(ディアローグ)」を通じた「認識枠組み」の共有を通じて獲得される可能性があることを踏まえることが重要である。

1.研究主体:歴史や文化に拘束された(依存した)存在としての研究者

 「(1)研究対象」において述べたように、人文学の研究対象は「作られたもの」である。即ち、人文学は、「人間」と無関係に存在するものを取り扱うのではなく、「社会」であれ、「文化」であれ、歴史の中で構築されてきた存在を取り扱っている。即ち、「知識」は純粋な「知識」として成立するのではなく、歴史的、社会的な制約を受けつつ、ある歴史的、社会的枠組みの中で生まれてくるものであることに留意する必要がある。
 さらに、ここで重要なことは、研究者自身もまた、歴史や文化に拘束された存在として歴史の内に存在しているということである。即ち、自らも歴史に参画する者として、歴史を解釈し、哲学を構築せざるをえないのである。換言すれば、世界の内にあって世界を語ることの困難性を人文学研究は抱えているのである。
 なお、このような観点を踏まえると、実は、我が国の学問の伝統や歴史に由来する知恵、発想、工夫といった形式知に還元できないものに、日本人研究者の思考の前提となっていることにもう少し自覚的であってもよいかもしれない。

2.研究プロセス:研究者個人の見識や個性が果たす役割の重要性

 人文学研究において前提となる研究者の歴史拘束性を踏まえると、人文学研究では、歴史や文化あるいは体験の中で形成された研究者個人の見識や個性が、研究プロセスにおいて大きな役割を果たすことを理解できる。
 例えば、文学研究であれば、一般的な理論を適用したテクスト読解という、ある意味で科学的な研究方法に対して、研究者個人の体験と想像力を、テクスト特に「古典」を通じて普遍化していくという伝統的な研究方法が、依然として重要であることに変わりはない。それは、研究対象であるテクストとは異なる価値や歴史を体現した研究者個人の人格そのものが、自然科学的に言えば研究装置として機能しているからである。
 そして、おそらく、このことは人文学の研究が伝統的に個人研究中心であったことと関連がある。即ち、研究者個人の見識や個性を手掛かりにして、異なる時代や地域における「精神的価値」、「歴史的時間」あるいは「言語表現」へとアプローチしていくことが有力な研究方法であるということは、結局は個人研究が有力な研究方法となることを意味しているからである。

3.研究プロセス:価値の相対性を前提とした「学び」の重要性

 人文学の研究者は、研究者自身が歴史や文化に拘束された存在であることを自覚した瞬間に、自らの依って立つ価値の相対性に気づかされることになる。この結果、人文学の研究プロセスとは、ある意味で、研究対象からの「学び」という性質を帯びることになる。
 例えば、芸術学であれば、芸術作品、即ち過去又は現在の創造的な行為が、一体どのような感受性に基づいてこのような形となって生まれたのかを学ぶ行為となる。また、文化人類学であれば、単にある異文化の社会を観察したり、自文化の立場から評価するのではなく、逆に、異質な社会の調査を通じて、自己が帰属する社会や文化の価値とは異なる価値を学ぶ行為となる。同じ文脈で言えば、歴史学は、単に過去の社会や文化を観察し、現在の視点から評価するのではなく、過去に学ぶ行為となる。

4.研究プロセス:他者との「対話」(学び合い)を通じた「認識枠組み」の共有

 人文学は、古今東西の様々な考え方や価値観を学ぶことにより、自己はもとより自己が属している社会集団、文化集団の価値観を相対化するとともに、異なる価値の尺度を抽出し、自己又は自己が属している社会集団、文化集団の価値の尺度を練り直してことを可能とする。
 これは、人文学が、他者との「対話(ディアローグ)」を通じた自他の「認識枠組み」の共有を契機として含んでいることを意味しており、そのような「認識枠組み」の共有という観点から「普遍性」を獲得できる可能性を有していることを意味している。
 なお、この特性は、「第4章 人文学の機能」の「第2節 理論的統合」における「諸学の基礎としての人文学」という観点、及び「第4節 教養教育」における「専門家と市民とのコミュニケーションを通じた架橋」という観点と関連を有している。

5.使用言語の多様性

 以上のように、人文学が研究主体、研究対象、研究プロセスにおいて、歴史や文化に依存していることを踏まえると、研究のプロセスにおいて使用する言語は、研究者と研究対象との関係で決定されることになる。したがって、人文学研究においては、使用言語は多様になるものと理解される。
 人文学の研究プロセスを、研究者が依存している歴史的、文化的伝統と研究対象が前提としている歴史性、文化性との「対話」と考える場合には、使用言語は母国語(日本語)又は研究対象の歴史性、文化性を体現している言語となるのが自然である。
 ただし、研究成果の発信や当該分野における教科書の執筆といった観点から、英語等の国際的に通用性の高い言語を使用するということは十分にありうる。

(3)研究成果及び評価

1.「真理の理解」と「実践的な契機」

 自然科学が専ら「真理の理解」を目指すのに対して、人文学や社会科学には、「真理の理解」に加え、人間観や社会観などの転換を通じた「文明」や「社会」の変革という実践的な契機が含まれている場合がある。ただし、ここで言う実践的な契機とは、明確な意図ではなく、結果として効果を与えるような要素というくらいの意味である。
 例えば、「民主主義」概念に肯定的な評価を与えたトックヴィルの「アメリカの民主政治」には、その後の西欧社会において「民主主義」概念が積極的な価値を持って理解されるような契機が含まれていたと言うことができる。
 このように、実践的な契機を内包しているが故に、人文学や社会科学にあっては、研究成果が社会還元に直結するということでは必ずしもなく、研究成果が社会や歴史の選択を経て、受け入れられたり、拒絶されたりするということである。また、その際に重要なことは、社会や歴史の選択は一度のものではなく、時代や社会情勢の変化により、何度も繰り返されることがあるということである。

2.「定量的な評価」と「定性的な評価」

 人文学及び社会科学において、定量的な評価は困難であり、定性的な評価の方がなじむという意見がしばしばある。どのような評価基準であれば優れた定性的な評価と言いうるのか示すことが必要である。

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