第2章 人文学の役割・機能

 人文学は「理論的統合」、「社会的貢献」、「教養教育」という3つの役割・機能に立脚した学問である。これらの機能のうち、どれか一つが欠けても人文学は成立しない。
 人文学は、「精神的価値」、「歴史的時間」、「言語表現」に関する研究を通じて、諸学の基礎として個別科学の根拠付けという役割・機能を担っている。また、知識についての「メタ知識」の学という観点から、個別科学の背後にあるものを取り扱うことが考えられる。

第1節 理論的統合

 人文学は、「精神的価値」、「歴史的時間」、「言語表現」に関する研究の立場、及び「メタ知識」の学という立場から、諸学の基礎として、「総合」の立場から個別科学の根拠付けを行うという役割・機能を有している。
 具体的には、1.知識についての「メタ知識」の学という機能・役割、2.個別科学が前提としている諸価値そのものの評価や、3.学問の背後にある「人間」そのものの考察を行うという機能・役割を果たしている。
 ここでは、これらの機能・役割に、専門分化してしまった個別科学の「総合」という観点を見出し、これらの役割・機能を合わせて「理論的統合」と名付けることとしたい。

(1)「メタ知識」の学

 人文学には、「精神的価値」、「歴史時間」、「言語表現」といった個別領域の知識に加え、自然科学や社会科学が研究対象とする諸知識、また技術的な知識も含め、知識に関する知識、即ち、論理や方法自体の研究、あるいは個別科学が前提としている基礎的な概念の研究といった、いわゆる「メタ知識」を取り扱うという機能がある。
 特に、哲学は、あらゆる学問の基礎を考究する学問であり、知識(ナレッジ)が単なるオピニオンではなく、サイエンスでありうるための根拠を探求する学問であり、いわば諸学がサイエンスとして成立する条件を探求する、学問の根本に関わる学問であると言うことができる。
 そして、更に重要なことは、このような考え方を突き詰めたとき、あらゆる個別科学の根底には哲学の営みが存在しているということである。即ち、自分の学問の根拠を考究していけば、どの分野であれ必ず哲学の問題にぶつかる。例えば、物理学であれば「物質」、「運動」、あるいは「1」という概念、医学であれば、「病」、「異常」という概念について考究すること、また、歴史学であれば、「現存していないもの、即ち不在のものについて科学的に探求するとは何か」といった問題について考究することは、まさに哲学と言いうるものである。
 このような観点から、人文学は、個別の研究領域や研究主題を超えて、社会科学、自然科学及び技術に至るまで、諸学を総合、もしくは連携させるための重要な位置を占めていると考えなければならない。
 なお、個別領域の知識が人間、社会又は文化等に対してどのような意味を持っているのかといった知識社会学的な問題関心もここに含めてもよいかもしれない。

(2)「価値」の判断

 人文学には、個別科学がそれぞれ前提としている「価値の尺度」自体の評価を行う役割・機能がある。即ち、個別科学は、一定の「価値の尺度」を前提にして、その尺度に基づいて当該個別科学の範囲の中で「真偽」、「優劣」等を判断していくが、人文学、特に哲学の立場は、その「価値の尺度」自体が本当に正しいのかどうかの論議を行い、判断していくことにある。
 特に哲学は、我々が、普段これは当たり前のことだ、自明のことだと考えているものの考え方とか、価値というものを揺るがしていく、あるいは疑ってかかるという性格の学問であり、常にものの考え方のルール、土俵を絶えず更新していくような性格のものである。
 このような役割を人文学が果たすために、人文学の研究者は、様々な社会、様々な時代の考え方や価値観の在り方を学び、自己の価値観、自己が帰属する社会の価値観を相対化している。また、異文化の社会や過去の文明に、現代とは異なる価値観を発見し、学び、自己にフィードバックして自己の価値観、自己が帰属する社会の価値観を練り直していくのである。

(3)「人間」研究

 人文学には、個別科学の諸知識の背後にある高次の視点としての「人間」をホーリスティックな立場から研究する「人間」研究を担う役割・機能がある。
 これは、主として文学研究や芸術研究などにおいて成立する「総合」の視点と考えられる。
 例えば、「文学研究」は、「研究者個人の精緻な読解力」、「イマジネーション」そして「人間そのものへの洞察力」を通じて重層的かつ派生的な複合体として存在するテクストから、新たな読みの可能性を引き出すことであり、当該テクストの内に、隠された文脈と世界のモデルとを発見し、それを限りなく更新していく知的な営みであるが、これを一言で言えば、「人間の多様性の解明」と言いうるものである。文学研究者は、このような人間と人間間、及び人間社会の隠された多様性、多元性の発見を通じて、それぞれが与えられた存在の在り方と運命への認識を深めることになる。このような人文学における「人間」研究は、「人間」の一側面の研究を行う個別科学における「人間」研究とは異なり、総合的な視点に立ってはじめて成立するものである。

第2節 社会的貢献

 人文学の第2の機能は、「社会的貢献」である。もちろん、あらゆる学問が「社会的貢献」という機能・役割を担っているのであるが、人文学に特徴的なことは、「精神的価値」、「歴史的時間」、「言語表現」、知識についての「メタ知識」という諸学の基礎となりうる学問であることから、1.人間や文化の文明史的な位置づけといった総合性の観点、また、2.個別科学の成果を一般市民に対して伝達するといった個別科学の専門性と市民的教養との架橋という観点からの社会的貢献が期待される。

(1)「人間」や「文化」の文明史的な位置づけ

 人文学は、人間観、社会観、宇宙観といった文明を根底において構成している諸価値を基礎付ける役割・機能を有している。このため、人文学は、現代文明における諸状況の変化に対応した「人間」や「文化」その他の諸価値の変革、あるいは場合によっては、文明を先導するような形での諸価値の変革を担うことが期待されている。
 特に、現在、情報技術やバイオテクノロジーといった科学技術の飛躍的な発展や、産業の発展や生活スタイルの変化に伴う大量消費社会へと文明社会が展開していく中で、改めて現代文明を基礎付けている「人間」という価値そのものが問い直されている。
 また、「画一性」の論理を軸とする「グローバリゼーション」の潮流が、政治、経済、文化といった文明社会のあらゆる領域を覆っている中で、地域や社会集団等における「個性」及びそれら「諸個性」の共存状態としての「文化の多様性」の確保が大きな課題となっている。このような文明史的な課題に対して、「精神的価値」や「歴史的時間」、「言語表現」といった諸学の基礎を取り扱うというその総合性の観点から、人文学が果たすべき役割は大きい。
 このような観点から、人文学は、異文化コミュニケーションの可能性の探索や、多文化が共存可能な社会システムの構築に向けた考究といった社会的な役割・機能を担うことが大いに期待されているところである。

(2)専門家と市民とのコミュニケーション支援

 人文学は、専門家である大学等の研究者が創出した知識・技術を、様々な活動を行う一般市民が理解し活用していけるよう、両者を架橋する役割・機能を担うことができると考えられる。意見が異なる人々が、一つの事柄について論理的に議論ができる、そのような場を設定してファシリテートしていくという社会的な役割・機能を担っていると言える。
 大学では、専門家共同体内での知識のための知識の競争という学術研究活動と、技術的な知識については、いわゆる産学連携というような形での研究成果の社会還元が行われているが、他方、一般市民は、それらの活動からいわば取り残されているのが現状といってよい。
 このような状況を前にして、人文学、特に哲学は、両者を架橋し、例えば、科学技術の社会への適用の場面において発生する市民と専門家とのコンフリクトの調整や、コンセンサスの形成といったコミュニケーションの問題に対して、一定の役割・機能を果たすことができると考えられる。哲学は、諸学の基礎という性格と同時に、教養という意味での一種のアマチュア性という二義的な性格を有しており、専門家と市民との間のコミュニケーションを支援できる可能性を有している。

(3)政策等の形成支援

 人文学の社会的貢献として、第3に、政策の形成や制度等の設計に当たって、行政や医療、教育といった公益的な活動を支援することが考えられる。
例えば、言語表現が、人々のコミュニティー形成にどのような役割を果たしているのか、再生医療や終末期医療等のいわゆる生命倫理の問題に関し価値や倫理の問題からどのような考え方を提示できるのかといった試みを通じて、人文学の知見が、政策の形成や、社会における価値観の形成に一定の役割・機能を果たすことができると考えられる。

第3節 「教養」の形成

 人文学の第3の役割・機能として、「教養」の形成を挙げることができる。「理論的統合」や「社会的貢献」における特性を踏まえ、社会の共通規範としての「教養」を構築する機能を人文学が果たすことになると考えられる。

(1)「共通規範」としての「教養」

 「教養」とは、世代間のコミュニケーション及び共時的なコミュニケーションという観点から、異なる価値観を有する人々をつなぐある種のコミュニケーションのための道具、即ち「共通規範」と言うことができる。そして、このような社会的な機能を有している「教養」の充実のためには、教養知と最先端研究の結合という観点から、「共通規範」である「古典」の研究への集中的な知の投資が求められる。「古典」こそが「共通規範」の典型であり、人文学を通じた「古典」に対する理解の共有がコミュニケーションを通じた文化集団の形成を促すことにつながるのである。
 言うまでもなく、歴史的にも、「世界」や「人間」について考察するための教養や理念といったものは、「古典」を読み、これを理解することを通じて修得できるという考え方が、例えばヨーロッパや中国において受け継がれてきたと考えられる。現代においても、高等教育や生涯学習の場面において、古今東西の「古典」を読むことが推奨されることが多いが、このことは、歴史的な経緯に鑑みれば、容易に理解できる。

(2)「価値」についての正しい判断力としての「教養」

 「共通規範」としての「教養」が主に文化的な側面からの定義とすれば、他方、哲学的な側面からは、「教養」とは、様々な「価値」についての正しい判断力と定義することもできる。
 特に、人文学のうち、「哲学」における「教養」を考えた場合には、広い視野と深い配慮を背景に様々な「価値」の間の評価・判断を行うことが「教養」の役割・機能ということができる。例えば、様々な「価値」について、「なくてはならないもの」、「あってもよいが、なくともよいもの」、「端的になくともよいもの」、「あってはならないもの」を判断していくことが「教養」としての哲学ということになる。

(3)「教養」の文化的多様性

 (1)及び(2)を通じて言えることは、「教養」とは、「共通規範」としての「古典」を通じて形成された「価値」についての正しい判断力と言うことができる。
 ただし、実際の「教養」の具体的な現れ方はそれぞれの地域、時代に固有であり、歴史的には多様な「教養」が存在してきた。これは「共通規範」としての「古典」の共通性が、当該「古典」を生んだ文化集団の固有性を背景としているからである。しかし、「古典」が特定の地域、特定の時代における文化集団の構成員にとって「共通」の「規範」と成りえたことから理解できるとおり、「共通性」という意味での「普遍性」を獲得した「古典」は、更にそれぞれの「古典」間で、「共通性」を獲得できる可能性を十分に有していると推測できる。むしろ、実際の歴史のプロセスの中で、そのような「教養」における文化的多様性が生き残ってきたことを十分に考慮し、多様性を多様性として尊重すべき立場を採ることこそが要請される。
 例えば、西洋におけるリベラル・アーツが、西洋の学問研究、学問教育の基礎をなしてきたことは言うまでもない。また、中国では四書五経の読解が世界や人間を考えるための教養や理念を提供したものと言うことができる。さらに、これらリベラル・アーツや四書五経は、それぞれの文化世界において物事を考える上での思考のパターンや、学術上の概念の使用方法といった方法的な基礎を与えるものでもあり、これらが、法律学や医学といった専門の学問を学ぶ上での前提にもなっていた。これらは現在で言えば、人文学の基礎教養と言われているものにほぼ相当している。
 我々は、歴史的に形成されたきた諸「教養」を十分に継承しつつ、おそらく、コミュニケーションの相互作用を通じて、「価値」についての正しい判断力を磨いていく永遠の努力を行うこととなる。

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