第1章 人文学の課題

第1節 「輸入学問」という性格に伴う課題

(1)西洋の研究者の研究成果を学習するタイプの研究からの脱却

 序で述べたとおり、我が国が受容した西洋の学問とは、総合の学問としての「科学」ではなく、既に専門分化を遂げた後の「個別科学」であり、そのことが人文学を含む我が国の学問の在り様を規定し、その影響は今に至るまで継続している。
 例えば、我が国の哲学研究は、百数十年間、西洋思想史の研究に必死に取り組んで生きた。西洋の偉大な哲学の歴史、そのテキストをまず言語を学ぶことから始め、テキストのクリティークをきちんとし、草稿、マニュスクリプトまで丁寧に読んで、西洋思想史について正確に理解するという営みを続けてきた。もちろん、このことは学問の受容という観点から重要なプロセスであり、その後の我が国の哲学の展開のために重要な知の営みであったと評価することができる。ただし、問題は、それはいわば「哲学学」ではあっても「哲学」ではないというところにある。
 ここでは、哲学を例に挙げたが、同様の問題は、他の研究分野にも当てはまるケースが多いであろう。「受容」という段階から次の展開が必要な時期に来ているのではなかろうか。

(2)社会的な言説との乖離からの脱却

 我が国においては、「輸入学問」という来歴のためか、我が国の歴史や文化、そして社会から乖離したところで人文学の営みが成立してきた。
 例えば、「哲学」は、本来、社会的な言説が生成するその場所に関わって営まれる知の活動である。西欧の哲学者であれば、「自由」、「法」、「権利」といった概念が形成される社会の現場において発言し続けてきたと言ってよい。また、現在でも、社会のオピニオン形成の場であるジャーナリズムや、初等中等教育に対しても深く関わってきたと言ってよい。
 このような観点から見ると、日本の哲学研究は、ある哲学者の思想の文献学的研究に始まり、それを思想史の文脈の中でどう位置づけていくのか、そして、研究対象とした哲学者の著作の解釈を更新していくことにほとんど全てのエネルギーを注ぎ込んでいるという状態にある。また哲学教育にしても、思想史研究としての哲学研究の専門家を養成することに専ら関心があり、社会の中で活かされる哲学的思考を育むという関心はあまりないように思われる。
 ここでも哲学を例に挙げたが、「受容」という段階を乗り越えて、研究者が置かれた社会や人々の在り様から人文学を構築することが求められる段階に至ったのかもしれない。

(3)近代以前から我が国に存在する人文学的な知への関心の低下

 明治以降、「科学」をヨーロッパから輸入して以降、近代以前から日本に存在する伝統的な学問に対する関心が、アカデミズムにおいても、また一般社会においても、低下してしまっている。ある意味で、歴史の中で日本人が選び取ったということになるのかもしれないが、その結果、明治以前の我が国の学問としてのいわゆる「和学」を継承しうる学問領域が狭まってしまった。おそらく今では、いわゆる国文・国史というところでのみ生き残っているという状態になっている。
 後にも触れることになるが、このことは、日本人研究者が、暗黙のうちに前提としている知恵、発想、工夫といった日本における知の伝統や文脈に対して、あまり自覚的ではなかったということを意味しているのかもしれない。

第2節 研究の細分化に伴う課題

 人文学に対する人々や社会の期待は、「『人間』とは何か」、「『歴史』とは何か」、「『世界』とは何か」、「『真理』とは何か」といった文明史的な課題に対する「大きな認識枠組み」の構築と提示にある。ここで「大きな認識枠組み」とは、現代人類文明の存在の根拠となる基本的な価値を含んだ諸概念の体系である。これは現代人類文明を構成する人々の間で共通の了解を促すという意味での「普遍性」を獲得する可能性を有している。
 しかし、我が国だけの問題ではないかもしれないが、我が国において、人文学がこれら「大きな認識枠組み」の構築と提供という役割や機能を果たしていくには、あまりにも研究が細分化され、そして細分化を前提とした固定化が進み過ぎているという指摘もある。
 ただし、新しい歴史像といった認識の枠組みの創造の前提には、個別的な実証研究の積み上げも必要であることにも留意が必要である。

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