第4章 21世紀の日本における学術のあり方―課題と展望

 第2章および3章は、学術が人類社会と日本社会の課題にどのように応えるか、また、学術の発展をどのように展望するかを論じた。本章は最後に、このように課題と展望を示す学術が、具体的にいかなる条件の下に営まれ、そこにおける問題がなにか、問題解決の方向をどこに見出すかについて、学術をめぐる体制と政策を論じ、具体的な提言を行う。

(1)日本における学術政策の現状

 戦後からほぼ半世紀、学術政策は文部省で立案・実施されてきた。必要な研究設備や組織の立上げは、大学や研究機関が概算要求として申請し、関係する審議会の審議を経て実施された。その中で、日本学術会議が科学者コミュニティの意見を反映して取りまとめた各種の要望も大きな役割を果たし、多くの研究所や共同利用研究の仕組みが実現してきた。
 1956年に科学技術庁が総理府外局として設立され、原子力、宇宙、海洋などの国策的大型プロジェクトの推進にあたることとなった。また、各省庁においてもそれぞれの目的に応じた国策プロジェクトが推進された。
 我が国において、科学・技術政策の立案と実施について、戦略的かつ一元的な取組みを組織化しようとしたのは、1995年の科学技術基本法の制定と1996年からの科学技術基本計画の策定である。2001年に科学技術基本計画の司令塔として総合科学技術会議が設立され、また同年には中央省庁改革の一環として文部省と科学技術庁が合併し文部科学省が誕生した。
 これら21世紀初頭に起こった一連の動きの背景には、バブル崩壊後の我が国の経済復活にとって科学技術の振興が基本である(科学技術創造立国)という認識があり、小さい政府を目指す行財政改革、民間の効率性を生かした政策の追求と数値目標による評価導入など、様々な関連した動きと一体となったものである。この時期、補正予算の度重なる導入によって、国策的な大型研究設備が次々と建設され、同時に産業と結びつく科学技術の成果が強調されるようになった。
 科学技術基本法の制定および科学技術創造立国の政策は、我が国の科学技術にとって画期的であったと言ってよい。特に、政府の方針が明確化され、さらに研究設備や組織、そして法制度が整備された。しかし一方、科学者コミュニティが主体的に科学技術政策の立案に関与するという面では、日本学術会議の役割の縮小も含めて後退してきたと言わざるを得ない。また、この中で、短期的な成果がより強く問われるようになり、長期的な展望に立つ学術の振興は次第に影が薄くなってきた。特に哲学や歴史学など人文学分野を含めて学術の基礎をなすような分野は、存続の危機すら言われている。2004年に国公立大学の法人化が行われ、大学の基礎予算である運営費交付金は、ここ5年間で3,700億円減額されている。一方、競争的資金の伸びも決して十分ではなく、その結果、小規模大学は財政的に非常に苦しい状態となり、人員削減も加わって、多くの研究・教育の現場で活力が低下した。こうして基礎研究の基盤が縮小して行く一方、日本の科学水準を押し上げてきたボトムアップによる基礎科学の大型計画も進まなくなり、日本の学術は全体として活力を失いつつある。
 ここ10年の間に学術研究分野で起こったことは、国の政策主導による研究投資効率向上という目的に沿った競争的環境への急速なシフトである。一方、学術の振興には、人材の育成を含めた長期的な取組みが必要であり、そのためには、研究・教育環境の長期的・持続的な整備が不可欠である。しかし現在、両者はバランスの取れた状態にあるとは言えない。しっかりした研究基盤が確立し、その上で競争的環境の下での切磋琢磨が行われるような政策の実行が望まれる。そのためには、科学者コミュニティの視点が学術政策の立案により強く反映される体制を作ることが必要であり、現在、日本学術会議が果たすべき役割は、改めて非常に大きなものとなっている。

(2)学術研究の位置づけと国際基準

 学術研究は、この世界の森羅万象の根底にある原理や事実の理解を深め体系化するとともに、新たな発見によって知の地平を拡大する営みである。それは真理を求める知的探究心によって駆動される。基礎研究の多くは、その成果が社会に直接的・物質的な恩恵をもたらす性格のものではない。しかし、知の地平の拡大は人間にとって根源的な知的欲求の結果であり、長い時間で見れば人類全体の福祉に全面的に貢献するものである。学術による知の集積は世代から世代へと受け継がれ、知的興奮と、良く生きる知恵を授ける。人類全体にとって重要な学術の発展に我が国が大きく貢献し、その知的存在感を高めることは、国家のあり方としても本質的な重要性を持つ。
 学術研究の中でも、社会的ニーズとの関係や期待される研究成果の実用的意義が見えやすい研究に対しては、産業界で研究投資が行われるとともに、それらに対する公的資金の投入についても国民の理解は得られやすい。一方、そのような関係が見えにくく民間セクターの研究投資があまり期待できない(純学術的)基礎研究に対しては、国として適正な規模の支援を行っていくことが必要である。基礎研究・基礎科学の発展に貢献することは先進国としての責務であり、国家の文化的水準を示すものでもある。ただし、基礎研究・基礎科学にどの程度の人的・物的資源を投入すべきかに関して絶対的な基準があるわけではない。したがって、研究開発への人的および物的資源投入状況の先進諸国との比較は、学術施策立案上の重要な判断材料の一つとなる。
 しかし、その際に注意すべきは、研究の定義をめぐる我が国における慣行の特異性である。研究活動をその性格によって「基礎(basic)」と「応用(applied)」、ないしは「純正(pure)」と「応用」に分類することは伝統的に行われてきたが、近年の科学の発展と研究活動のあり方の変化に伴い、研究の分類に関して様々な議論がなされている。しかし、実際に研究に従事する研究者の意識の中には、基礎と応用がそもそも混在している。さらに研究の動機・計画立案・成果発信といった活動内容の詳細に踏み込んだ分類を試みるとすれば、基礎と応用の境界はますますあいまいになる。最近では、イノベーションの源泉としての役割や、環境・エネルギー等の社会問題の解決といった目標を掲げた研究活動を基礎と応用の中間に位置づける議論もある。「基礎研究」と「応用研究」の定義をめぐる細かな議論を敢えて統一する必要はないが、学術施策の立案・検証の基礎とする観点からは、理解をある程度共通にすべきである。
 各国の研究開発関連統計は、基本的にはOECDのフラスカティ・マニュアル(Frascati Manual)(※5)に準拠している。しかし我が国においては、総務省統計局が実施する科学技術研究調査の指針とフラスカティ・マニュアルとの間に用語の定義のずれがあり、他国の統計データ集計基準との間に違いが生じている(本文書末尾<参考資料>参照)。フラスカティ・マニュアルは拘束力を持つものではなく、また各国の統計データの取り方にもある程度の違いが出ることは避けられないにせよ、上記の違いは日本の学術政策にかなりの影響を及ぼしている可能性がある。
 最も大きな問題の一つは、「基礎研究」が以下に述べるような要因で拡大解釈されて統計データに反映された場合、マクロな統計上は「基礎研究への投資はすでに十分に行われている」という議論に導かれかねないことである。
 例えば「基礎(fundamental)」という言葉に伴う「根源的」「本質的」というニュアンスが、研究活動の実践者における用語の選択嗜好に強い影響を与えている可能性がある。フラスカティ・マニュアルにおいて「応用研究」と「基礎研究」を区分する基準は、「具体的(specific)な応用ないし用途を目指すか否か」、つまり社会や産業への貢献の直接性と時間スケールの違いである。その際にフラスカティ・マニュアルではapplied research(応用研究)の定義が独創性も前提としているのに対し、科学技術研究調査の「応用研究」の定義では「基礎研究によって得られた知識を利用して特定の目標を定めて実用化の可能性を確かめる研究や、すでに実用化されている方法に関して新たな応用方法を探索する研究」という度外視したものになっていて、むしろフラスカティ・マニュアルのexperimental developmentにより近いものになっている。科学技術研究調査は質問票によって行われるため、研究の性格別分類は調査に回答する側が自らの活動をどのように捉えているかにかかっている。質問表の説明文において、応用研究が基礎研究から派生する非創造的な活動であるという印象を与えかねない表現になっていることが、応用分野の研究者に違和感を与え、その回答において研究の国際比較の妥当性を疑わしいものにしている可能性がある。さらに、科学技術研究調査における定義では、知の創造である「研究」と、知の具体化である「開発」の性格づけもあいまいである(※6)。科学技術施策検討において重要な意味を持つ国際比較がより実態を反映したものになるよう、科学技術研究調査における用語の定義等を国際基準であるフラスカティ・マニュアルに合わせるべきである。
 また、基礎研究に対する根源的な理解の不足も深刻な問題である。例えば、科学技術基本計画においては「基礎研究の重要性」が謳われる一方、実際のファンディングにおいては「投資効果の検証や社会還元が重要」とされる。そのような論調が過度に強くなれば、そもそも「出口論」にはなじまない基礎研究・基礎科学の諸分野における多様性の枯渇、ひいては我が国の学術の衰退を招くことが危惧される。
 国際標準からずれた我が国の統計データのもう一つの例として、「研究者」の定義の問題を指摘したい。本文書末尾の<参考資料>に述べられているように、我が国の科学技術研究調査における「研究者」の定義は、諸外国に比べてかなり広く捉えた定義になっており、そのため、例えば米国の統計に比べて、我が国の人口あたりの研究者数は相対的に過大に計上される結果となっている。
 上記のとおり、我が国では学術や科学研究の統計データの取得方法に国際基準からのずれがある。このことは、学術統計データに関して学術的見地から研究を行い、それを学術政策および統計データ取得事業そのものに反映する体制が極めて不十分であることに起因する。これまで「教育白書」、「科学技術白書」などの統計報告があったものの、学術研究の視点から明確な方針に基づく統計データを組織的に取得し、長期にわたって蓄積することは制度的に行われてこなかった。これは、国際比較の上に立って我が国独自の学術政策を立案する上で致命的な問題である。日本学術会議は、上に述べてきた学術、科学、技術に関わる概念と用語の基本的な整理と国際基準への回帰と併せ、「学術研究統計」の組織的取得とその分析・政策への反映を行う組織の早急な確立を強く要望し、その実現のための努力を惜しまない。[30]


5 R&D(研究・開発)統計の適切な国際比較のためのマニュアル。第1版の原案は1963年にイタリアのフラスカティで開催されたOECD総会において加盟諸国の専門家による討議・修正を経て策定され、現在までに3回の改訂が行われており、最新版は2002年版である。

6 フラスカティ・マニュアルのexperimental developmentはそのまま訳せば「試験開発」となるが、科学技術研究調査では「開発研究」という用語になっており、「研究」と「開発」の区別があいまいである。

(3)人文・社会科学の位置づけとその展望―総合的学術政策の必要性

 人文・社会科学は、第3章(2)で見たように、人類社会と日本社会に対する学術研究の貢献において独自の発展を遂げつつ、かつ自然科学系の諸科学との連携・協働、さらには文理の統合研究領域の展開において社会と人間への視野から舵取りの役割を果たすことを展望している。国の学術政策は、このような人文・社会科学の役割を適切に位置づけて学術を総合的に発展させるものでなければならない。
 そのためには、人文・社会科学としての学術研究の固有性を踏まえる視点が重要である。科学技術基本法体制の下では、学術研究に関わる制度・政策が科学の技術的・産業的応用の推進を本位として策定され、それが一般化されて、基礎的自然科学のみならず、人文・社会科学にもそのまま適用されるという傾向が強く見られる。また、研究資金を配分するための競争的資金の制度、学術研究プロジェクトのあり方、研究成果の求め方、研究業績評価や研究者養成のあり方など、具体的制度運用について、自然科学モデルへの準拠主義が広く認められる。その「自然科学モデル」もさらに「科学技術」本位による問題性を含んでいる。これらの政策と制度運用は、人文・社会科学の独自の発展とその舵取りとしての機能を促進し学術の総合力を高めるために、その固有性に対応したものに改善されなければならない。
 ただし、人文・社会科学の学術研究としての固有性を主張することは、伝統的な手法やスタイルに安住し、新たな課題に向けての研究体制の変革を拒否するものであってはならず、固有性に基づいた改革を自ら積極的に提示すべきである。例えば、研究評価のあり方については人文・社会科学の各領域において異なった方法が想定されるから、自らの積極的提案なしに問題の解決はありえない。また、日本の人文・社会科学は、細分化が進みすぎ、国際的発信の遅れも指摘されており、俯瞰的、国際的視点に立った学術研究、さらに自然諸科学との統合的研究の促進が必要である。これらを通じて、人文・社会科学の研究体制も新たな展開を示しうる。
 人文・社会科学の営みの本質的な役割の一つは、知の継承と蓄積にある。期限付きプロジェクトの方法により短期的に新たな知を創造することは、社会の課題に迅速に応えていくという視点からも重要である。他方で、人文・社会科学の社会に対する役割を真に発揮するためには、社会の学術的基盤を整備して多層的に知を集積し、さらなる知の発展に結びつけるシステムが不可欠である。この観点から、多様な史・資料・データの収集・保存・整理事業を長期的プロジェクトとして、また国際的なプロジェクトとして設計し、人文・社会科学の研究分野コミュニティを結集して大規模学術研究を組織することなどは、国として、また科学者コミュニティとして積極的に支援・推進すべきである。同時に、人文・社会科学は、自然科学の基礎的分野と同様、個人研究、小・中規模の共同研究において多くのオリジナリティーのある研究成果を生むものであるから、これに見合う多様な助成政策の展開が必要である。
 以上のように、人文・社会科学の独自の発展を確保し学術の総合力を高めるためには、日本の科学技術基本法体制を政策的に補正し、日本の政策を「科学技術政策」からより総合的な「学術政策」に発展させる必要がある。それは、人文・社会科学を施策の対象としてその固有性を踏まえて明確に位置づけ、基礎研究・基礎科学の発展を本位とし、その上に科学・技術の推進を図る政策体系である。人文・社会科学は、21世紀の人類社会の課題に応えて自らの使命を果たしうるように日本の学術体制の再構築に努めなければならない。[27、31]

(4)学術研究の拠点としての大学の課題

 日本の大学は欧米に比べれば比較的歴史が浅いとは言え、大学は我が国における学術研究の発展に中心的な役割を果たしてきた。一方、国立大学法人法の施行を契機に、日本の大学は大きな転機を迎えており、解決するべき課題は多く、かつ、大きい。「法人化」は、国立大学のあり方を変えただけでなく、日本の大学全体を経営体として競争的な環境の下に置くものとなった。問題の根幹には、(1.)国が学術研究や人材育成を「将来への投資」としてよりもむしろ「消費」と捉えて施策を進めていること、(2.)大学も、組織としての当面の自己保全に懸命になるあまり、学術の視点に立って国家百年の大局を構想・実践することができていないという現実がある。以下、具体的な項目で述べる。

1.法人化後の大学等の財政問題

 行政改革の流れの中で、2001年からほとんどの国立研究機関が独立行政法人になったのに続き、2004年には国立大学法人法によって国立大学が国立大学法人、大学共同利用機関が大学共同利用機関法人となった。2004年度からの6年を第一期目標期間として基盤的な教育研究費と人員の削減(毎年1%)が実行され、2010年度から第二期に入る。私立大学の助成でも、経常費補助金は平成19年度より毎年1%削減されており、私立大学財政も困難な状況にある。公立大学も、地方自治体財政の悪化に伴い、その財政状況は厳しい。そもそも法人化は、大学・研究機関がより自主性を発揮し自由な運営を可能にする改革理念を掲げて進められた。しかし独自の財政基盤や柔軟な寄付制度を持つ米国の大学などとは異なり、日本の国立大学はもともと運営のほとんどを国からの支援に頼っており、法人化によってもその状況に変化はない。その中で、法人化後は財政基盤が特に脆弱となり、国による評価の下での運営は、以前にも増して国の方針に追随した形で財政支援を獲得せざるをえず、研究・教育本来の独立性・独自性がかえって失われていくというジレンマに陥っている。このような状況は大学等の組織とそこで活動する人々の活気を失わせ、ひいてはそれが教育の質の低下を招くなど、次世代の人材育成にも影を落としている。

2.競争的研究資金と基盤的研究資金

 学術研究における大学の最大の使命は、研究者の自主性の尊重と研究意欲の高揚を基本とし、知的創造活動としての基礎研究推進の場を与えることである。そのためには多様性に富んだ基礎研究の意義を改めて認識し財政基盤を強化することが重要であり、「基盤的経費」と「競争的資金」の二本立て(日本におけるデュアルサポートシステム)を強固にし、長期的視点に立った学術研究支援がなされるべきである。しかし法人化に伴い、デュアルサポートに支持されるべき多様な基礎研究を行う基盤は、急速に失われつつある。実際、研究資金配分の重点化傾向が一層強まる一方、基盤的経費は毎年削減されている。教育・研究の基礎を支えている基礎研究は、常識を覆すようなユニークな研究など短期的には評価されにくい分野が多い。「競争的資金さえ拡充すれば世界的な研究成果が生まれるはず」というのは、誤った認識である。これを早急に改め、基盤的経費の改善策を具体的に検討し、実行することが重要である。また、研究投資が競争的資金に過度に偏ったため、研究を支えるインフラストラクチャーの整備やシステムが急速に脆弱化した。その結果、長期的視点に立った研究のリソースの維持・充実が滞って、大学における学術研究を一層困難にしている。

3.評価等の負荷増大による研究時間の劣化

 法人化後の大きな問題として挙げられるのが、「中期目標」という言葉が大学内に過度なまでに強く浸透し、それが学術研究の弱体化につながっていることである。本来大学で自由な発想と豊かな知的好奇心・独創性で進められるべき学術研究において、「目的を設定し、一定期間内にどの程度達成するかを見える形で計画する」というシステム自体が研究の本質と矛盾する。そればかりか、研究の偏りを生み、表層的で弱体化した研究が闊歩する状況につながる大きな危険性をはらんでいる。また、研究・教育活動やプロジェクト事業に関わる評価をめぐる作業は、全ての大学・研究機関に大きな負担を生み出している。大学等の研究者は、監督官庁から押し寄せる評価や監督官庁の情報の理解、その方向性を知ろうとする情報戦に振り回され、肝心の創造的研究を推進する時間と余裕を失い、その結果、多くの時間を研究・教育ではなく事務的労働に費やす状況が生まれた。科学技術政策研究所の調査結果[32]によると、大学の法人化前(2003年)と比較して2007年には研究に関する活動時間は大きく減少し、それと反比例して組織運営に関する活動時間が増大している。研究支援組織が欧米に比べて脆弱な日本の大学では特に、このことは学術研究の遂行に対する本質的かつ深刻な問題であり、やがて目に見える形で大きな影響を及ぼすことが懸念される。もとより適正な評価は重要であるが、より柔軟で学術に根ざした評価システムと研究者支援の強化に向けて、早急な改善策が必要である。

4.どう改革するか

 「科学技術立国」を標榜する我が国において、学術研究を担うべき大学をめぐる環境が悪化し、全体的に活気を失いつつあるのは深刻である。中でも国立大学や大学共同利用機関の法人化による影響は大きい。運営費交付金の削減、過度の競争や評価への対応、人員削減などによる疲弊は、本来の大学・研究機関のあり方を大きく変化させ、その主体性、独立性が失われつつある。大学には学術を担い社会をリードしていく責務があり、国や社会との間に緊密な信頼関係を維持しつつ、同時に適切な緊張関係を保つことが必要である。大学・研究機関は本来、学術的な信頼の上に立って社会や国に「発信すべきことを発信する場」でなくてはならない。それこそが、我が国における「明日の知を生み出す基盤」を保証するのである。
 上に述べた危機的な諸問題を克服し、大学における基礎研究本来の姿を発展させるためは、なによりも基盤的経費の増額による財政的基盤の強化、人員制限の柔軟化などによる環境づくりが必須である。そのためには国が学術研究や人材育成を「消費」ではなく「将来への投資」として改めて認識するべきである。当面は運営費交付金など国からの直接支援の強化が重要であるが、将来的には国にのみ依存するのではなく、学術・教育活動を支援する税制改革などを通して、大学・研究機関の高い独立性・自主性を復活させ、社会をリードする本来の役目を果たせるように長期的な政策を検討することが重要である。もちろん大学等の研究者それぞれが学術に対する高潔な理念と強い動機づけ、社会への関わりを保ち、起業家精神(entrepreneurship)発揮するなど独自の努力を怠らないことが重要である。
 一方、大学における学術研究推進では人材の確保に加え、それを下支えする重厚な研究環境の確立が必要である。研究を推進する基盤を支えるための多様な人材の育成や補強を怠れば、当然研究は弱体化する。日本の研究者一人あたりの研究支援者(研究補助者、技能者、研究事務者等)の数は主要国の中でも際立って低く[33]、ここでも事態は深刻である。研究支援者に対する社会的評価・待遇は一般に低く、有能な人材を集めることが困難な状況であり、有効な研究環境の構築のため、研究支援人材の処遇や人事の柔軟化など適切な改善策を講じるべきである。
 最後に、今後、大学が昔の姿を取り戻すと考えることはできないことを述べておきたい。我が国の大学はグローバリゼーションの波とともに明治時代の開設以来といって過言ではない変化・変革の時期を迎えており、既成の価値観からでは学術の発展も国の将来も展望できない転換期に立っている。法人化は大学にとって厳しい試練となったが、大学はこれを「停滞し自己改革に遅れた自らの蘇生の機会」と捉え、その方向に舵を切るべきであろう。大学・研究者は「伝統・研究は守るものではなく、創るものである」との精神を共有し、偏差値・序列化等に象徴される、学術をめぐる時代錯誤の教育・研究体制から抜け出して、国際性豊かで独立性・独創性に満ちた大学・研究を創り上げることを目指し、また国はそのために十分な支援政策を講じなければならない。大学人は社会、政府と共同して、国際的かつ知的存在感のある文化国家としての日本の創出を目指すべきである。[34]

(5)学術とイノベーション

 日本学術会議はその憲章において、科学を「人類が共有する学術的な知識と技術の体系」と定義し、その活動を担う科学者は「新たな知識の発見や技術の開発によって公共の福祉の増進に寄与するとともに、地球環境と人類社会の調和ある平和的な発展に貢献する」と宣言している。
 この宣言は、第3期科学技術基本計画における「イノベーション」の定義:「科学的発見や技術的発明を洞察力と融合し発展させ、新たな社会・経済的価値を生み出す革新」に照らしてみると、科学あるいは学術の役割を「知の創造」と「社会・経済的価値の創造」の両方に軸足を置くと同時に、「両者の創造活動の相互連関」の重要性を謳っていると言える。
 社会と世界に科学技術的知の創造の成果が深く浸透し、今後一層の進展が予測される21世紀において、「学術とイノベーション」は表裏一体の関係にあると言えよう。日本学術会議の憲章にも謳われている「社会と世界の持続可能な発展の実現」には、「持続可能な科学・技術駆動型イノベーション創出能力の一層の強化」と、それを実現する「人材の育成・教育」がますます重要になる。
 社会も科学者コミュニティも政治・行政も、以上の共通認識を持ち、真の科学技術創造立国の実現に注力することが必要であり、それに向けて以下を提言する。
 1)学術の振興とイノベーション創出振興との両輪一体的な振興政策の推進を強化し、学術への国民の投資が「公共の福祉の増進と、地球環境と人類の調和ある平和的発展に貢献する」機能を一層強化する必要がある。
 2)その際、多様性・継続性を担保する基礎研究の振興を確実に推進しながら、社会・経済的価値創造を目指す基礎研究・応用研究振興の両立を担保する政策の強化が重要であり、その実現のために、それぞれの研究資金枠とその審査基準の明確化が必要である。
 3)並行して、基礎研究を中心とする「新たな知の創造」と応用研究を中心とする「社会・経済的価値の創造」との間の不連続的かつ不確実な結合メカニズムに十分配慮しつつ、イノベーション誘導政策の強化を行うことが重要である。
 4)これらの様々な価値の創造を担う多様な人材の育成を、長期的視点を堅持しつつ国を挙げて継続することが重要である。その一環として、初等・中等教育段階から科学・技術に対する興味、科学・技術と社会・世界との連関に対する理解力の増進を一層図ることが必要である。同時に、高等教育、特に大学院教育においては、学術の進展に資する教育・研究にとどまらず、社会・経済的価値の創造に向けた幅広い素養を育てる教育の充実も重要であり、これに向けた国による計画的な教育投資の充実が必要である。
 5)以上の施策を推進する要は、「教育(人材育成)」と「研究(知の創造と科学的・技術的革新)」と「イノベーション(社会・経済的価値の創造)」という国創りの三大要素の三位一体的推進にある。国は、この視点に立った個別の強化策と同時に、三位一体的視座からの総合推進機能の強化に向けた改革をすることが喫緊の課題である。[35]

(6)若手研究者育成の現状と政策課題

1.若手研究者育成の現状

 分野を問わず、学術における発見と発明、困難な問題の解決のための新しい発想、あるいは、革新的な提案などは、ほとんどの場合、若い頭脳が生み出してきたことは歴史が証明している。新しい現象に対する好奇心、斬新な考え方を取り入れられる柔軟性、さらに社会変革への純粋な意欲などは、若い世代の特権と言ってもよい優れた特性である。こうした人たちが存分に活躍し、未来の新しい学術・社会を創造する人材として育つためには、彼らの意欲を引き出し、自信を与え、かつ世界に貢献する成果を出せる環境を整えなければならない。例えば我が国の研究開発の国際比較[36]では、研究開発投資額、研究者数、論文数やその引用数、そして優れた技術の開発などで成果を挙げていることが分かるが、明日の学術を支える研究者の供給については課題がある。
 特に、大学院で研究者として育った者が研究者として働く場を適切な形で十分に確保できないという点で、若手研究者問題は深刻である。いわゆるポスドクは、常勤職ではない「非正規労働者」である。様々な研究プロジェクト資金により任期付きで雇用され、社会保険の加入率も半分以下で、キャリアや年齢に見合わない低収入に甘んじている。2005年度の調査によれば、大学・研究機関(民間企業を含む)914機関において、1万5923人の「ポストドクター等」(博士号取得者および博士課程満期退学者)が、競争的資金などの外部資金や運営費交付金を原資として任期付きで雇用されている[37]。
 一方、日本の大学院学生数は、2009年現在で修士課程約16万7000人、博士課程約7万3500人である[38]。これは1990年の約6万2000人と約2万8000人に比べると約2.7倍で、学生数(4年制大学)がこの間約1.2倍増であることから、大学院の重点的な強化が進められたことが分かる。この大学院の拡充強化は、日本の学術研究を支える人材を作り出すために必要な方向であり、先進国との比較において、日本の大学院学生数はまだかなり少ない。学部学生数に対する大学院学生数の比率では、日本は10.4%(2008年)であるが、アメリカが14.3%(パートタイム学生・大学院学生を含むと16.9%)(2005年)、イギリスが22.3%(パートタイム学生・大学院学生を含むと43.5%)、 そしてフランスが69.2%であり(イギリス、フランスは2006年)、いいずれも日本を大きく上回っている[39]。
 さらに近年、理工系大学院の入学者数に深刻な変化がある。修士課程入学者数はほぼ一定であるが博士課程の入学者数は大幅な減少傾向にある。志望者が比較的多い医学分野でも基礎医学を志望する若者の数は急減しており、人文・社会科学分野でも大学院進学者が大幅に減少している。こうした各分野の入口での減少傾向の原因として、博士号取得者の深刻な就職問題や劣悪なポスドク待遇の問題がある。また、博士課程に進学すると就職の間口が狭まり、博士号を取ってもキャリアにおいてそれほど有利にならないと信じられていることがある。実際、日本社会における理工系出身者の処遇は、文系に比べはるかに悪い。中央省庁のトップクラスに理工系出身者は極めて少なく、諸外国と比べて日本のこの特異さは突出している。企業においても理工系はリーダになりにくく、生涯賃金にも理工出身者と文系出身者とでは明確な差がある。こうした状況を部分的にでも打開できないと、「科学技術立国」としての日本の将来は暗い。放置すれば欧米諸国のみならず新興諸国に対しても、日本は学術の国際的な地位を喪失しかねない。

2.社会のための人材育成のシステム

 現状を改善するために、まず世界や日本社会で学術に携わる研究者がどのような役割を果たし活躍しているかを広めること、大学・研究所・産業界などで若手研究者が伸び伸びと研究に取り組めるポストを増やし、博士号取得者の高度な専門性を認めて処遇改善を図ることなどが基本である。日本では、大学院生や研究員への国の支援は非常に小さい。大学院博士課程在籍者を研究職業人と位置づけ、経済的自立を可能とする公的財政支援を行い、国際的な対等性を確保する必要がある。さらに、大学院では研究者育成プログラムの充実を図り、特に、多様な人材の集まる環境において常に知的刺激に曝され、俯瞰的な視野を養いうる研究現場を形成する必要がある。
 具体的な方策の一つは、養成される若手研究者の数が増えたことに見合うだけの「将来の見通しのあるキャリアパスの総合的なデザインとそれに応じたポスト」を用意することである。日本学術会議(第19期)は第2期科学技術基本計画(2001‐2005年度)の実施状況のレビューを行い、第3期科学技術基本計画の策定に向けた提言にその必要性を明示している[40]。実際、第3期科学技術基本計画(2006‐2010年度)では「人材の育成、確保、活躍の推進」のため特に「若手研究者の自立支援」などを掲げて若手研究者問題に対する取組みが焦眉の課題の一つとされ、一定の支援策が採られてきたが、本質的解決には程遠い状況である。
 さらに若手研究者について、アカデミズム以外での専門職としての処遇に、「官」が率先して取り組むべきである。具体的には、国家公務員や地方公務員採用における「大学院(博士、修士)枠」の新設、高度専門職(図書館司書や博物館・美術館の学芸員など)への博士など大学院修了者のより積極的な採用を進めて、若手研究者の受け皿を作る必要がある。
 近年、博士課程の学生の意欲やその能力への不安がしばしば語られる。情報が溢れ、変化が早い時代の中で育ってきた若者が、息の長い努力を要する仕事よりも、結果が得られ易い仕事を好む傾向になったことも一因と言える。例えば国際的調査[41]によれば、日本の中学生の数学・理科の力は世界有数であるが、それらが好きというわけではない。そうした観点から、大学以前の初等中等教育や社会環境において、子どもたちが、自然や社会に触れて新鮮な感動を得たり、ものづくりや社会のあり方に関心を持つ楽しみを発見できる環境を整えることが、極めて重要である。[26]

(7)女性研究者の現状と政策課題―学術分野の男女共同参画推進のために

 日本学術会議は、これまで学術分野の男女共同参画に積極的に取り組んできた。特に、第20期科学者委員会男女共同参画分科会では、日本で初めての試みとして、国公私立大学705校を対象にアンケート調査を実施した[42]。ここでは、その調査結果も含めた現状の検討を踏まえて、提言を行う。

1.女性研究者の現状

 学術分野における日本の女性研究者の数および全研究者に占める比率は先進国の中では依然として極めて低い(平成14年度10.8%、平成20年度13.0%)。さらに領域(理工系)や職階(例えば平成20年度、大学では女性の助手51.4%、助教23.2%、講師27.1%に対して、准教授18.9%、教授は11.6%)とともに、国立・私立大学間でも大きな偏差が存在するのも特徴である[43]。これらの問題を解消するために効果的な取組みが必要とされる。
 女性研究者の採用割合を見ると、自然系全体では目標値の25%に近い(24.6%)が、実際は保健系が達成しているにすぎない。さらに競争的資金獲得率は、女性研究者割合とほぼ同率の12%であるが、獲得金額が5%と極めて低い。

2.政策課題  

 言うまでもなく、学術分野の男女共同参画促進は、女性研究者を増やすという「数」だけの問題ではない。個性と能力に基づいて公正で自由な教育・研究環境を作り、女性教員比率等の数値目標を明記するほか、女子中高生の進路選択においてジェンダーによる固定観念に束縛されない社会環境を作り出し、ロールモデルの育成、発掘、提示を積極的に行う必要があろう。これらの課題を解決し、学術分野の男女共同参画を促進するために、まずなによりも、第3期科学技術基本計画の数値目標の着実な実施と推進が必要であり、数値目標を確実に実施するため大学や研究機関における実施責任を明確にし、制度整備を行うことが不可欠である。そのため、以下のような具体的措置をさらに進めて、国の推進体制の強化を図るべきである。
 1)法的整備の必要性:諸外国では法的整備が進んでいることにかんがみ、ポジティブ・アクションを含む積極的施策について予算措置を含めた行政機関横断的な取組みや立法措置(有期雇用者の育児休暇取得条件の緩和等)を行う。
 2)男女共同参画への取組み促進の制度化:実施したアンケート調査により、国公立に比べて私立大学における男女共同参画の指針設定率が低いことが判明しており、私立大学を含めた取組み促進施策の制度化を目指す。
 3)「女性研究者育成モデル事業」および「女性研究者養成システム改革加速」プログラムの継続と促進:調査結果では上記諸事業の採択校は、男女共同参画の実施率が高く、事業の有効性が実証されたため、今後もこれらの事業・プログラムを継続することが必要である。
 4)大学評価基準への指標導入:大学評価等の評価基準に男女共同参画推進状況を示す指標または女性教員比率の項目を導入することが重要である。機関申請グラントに男女教員比率を明記し、男女共同参画社会への貢献度を示す方式は、積極的促進策(インセンティブ方式)として男女共同参画推進に有効である。

(8)日本社会が必要とする新しい学術政策に向けた提言

(1)から(7)までの検討を踏まえて、それらを要約しつつ、ここで具体的な提言をまとめることにする。

1.学術の総合的発展の中で「科学技術」の推進を位置づける

 我が国で行政などに用いられている概念としての「科学技術」は、人文・社会科学を除外し、「科学を基礎とする技術」を中心に据えた応用志向が強いものであって、より広範な概念である「学術」の中に位置づけられる。学術の長期的かつ総合的な振興は「科学技術」の推進にも不可欠であり、科学技術創造立国を目指す我が国は、人類社会の将来を見据えつつ学術の総合的発展を追求し、その中で「科学技術」の推進を明確に位置づけることが必要である。

2.研究に関する基本概念を整理し学術政策のための統計データを早急に整備する

 我が国の行政において「応用研究」や「開発研究」という用語に与えられている概念定義は、現在国際的な概念定義の基礎となっているOECDのフラスカティ・マニュアルにおける「応用研究」や「実験開発」の定義と重要なずれがある。また博士取得を研究者の基本定義とする海外諸国に対し我が国の「研究者」の定義はあいまいであるなど、研究に関わる統計調査等において諸外国の統計調査と大きく異なる結果を導いている恐れがある。こうした基本概念の問題性に加え、我が国における学術研究に関する長期的・組織的な統計データは極めて不備な状況にある。国際的統計データ比較は、一国の学術政策立案において極めて重要な要素である。学術研究に関する概念の明確化・国際水準への復帰とともに、学術研究統計データの組織的・長期的な取得とその分析・政策への反映を行う組織の早急な確立を提言する。

3.総合的学術政策の推進のため人文・社会科学の位置づけを強化する

 現代の学術や技術応用は、社会や人々に広く大きな影響を及ぼす。したがって国の学術政策は、人文・社会科学の役割を含めて総合的に立案・推進されなければならない。そのためにも重要となる自然科学系諸科学との連携・協働や文理統合型研究分野の展開において、人文・社会科学は社会との連携の舵取り等の役割が期待される。人文・社会科学の独自の発展を確保しつつ、自然科学等諸分野との広範な連携を進め学術の総合力を高めるため、日本の科学技術基本法体制を政策的に補正してより総合的な「学術政策」に発展させ、21世紀の人類社会の課題に応える日本の学術を構築することが必要である。

4.大学における学術研究基盤の回復に向けて明確に舵を切る

 「科学技術創造立国」を標榜する我が国において、学術研究を担う大学をめぐる環境が法人化の影響などで悪化し活気が失われつつある現在の状況は、深刻である。国が大学や大学共同利用機関における学術研究・人材育成が将来への投資であることを明確に認識し、基盤的経費や人員の削減、競争環境の過度な育成方針、研究時間を劣化させる評価などがもたらしている危機的状況を克服することなしには、日本の未来は暗いと言わなければならない。この危機の克服のためには、基盤的経費の増額による財政的基盤の大幅な強化、人員制限の柔軟化などによる研究環境の向上、学術研究の本質を活かすものへの評価システムの改善、過度な競争政策の是正に向けて、はっきりと舵を切ることが必須である。
 また当面、有効な研究環境の構築のため、大学等における研究支援人材の処遇や人事の柔軟化などの適切な改善策を講じるべきである。さらに将来は、学術教育活動を支援する税制改革などを通して大学に独自資金確保への道を開き、大学が高い独立性・自主性・活動性を確保できる長期的政策が重要である。

5.イノベーション政策を基礎研究とのバランスを確保しつつ推進する

 人間社会には、科学・技術による創造の成果が深く浸透している。21世紀における「社会と世界の持続可能な発展の実現」のためには、学術全般とイノベーションとは表裏一体の関係で発展しなければならない。多様性・継続性を担保する基礎研究を確実に推進しつつ、社会・経済的価値創造を目指す応用研究推進との両立を担保するためには、それぞれの研究資金枠とその審査基準を明確化・適正化することが必要である。こうした施策推進の要として、「教育(人材育成)」、「研究(知の創造と科学的・技術的革新)」、「イノベーション(社会・経済的価値の創造)」の三位一体的推進を視座に置き、イノベーションを総合的に推進する。

6.若手研究者育成の危機に対応する早急な施策の実施

 過去の大学院強化政策で大学院生数は一時増加したが、先進国との比較では日本の大学院学生数はなお少ない。その一方、若手研究者の状況は国際的にも劣悪で、博士号取得後のポスドク1万6千人が将来に大きな不安を抱きつつ「非正規労働者」として低収入に甘んじている。日本の若手研究者養成は深刻な危機に直面しており、例えば理工系では博士課程進学者が顕著に急減している。その克服には、従来に増して明確な政策が必要である。まず大学院博士課程在籍者を研究職業人と位置づけ、経済的自立を可能にする公的財政支援により、国際的な対等性を確保する必要がある。大学院では研究者育成プログラムを充実改善し、大学院生数を踏まえて将来の見通しを与えるキャリアパスの総合的デザインを用意するべきである。また民間での博士取得者の積極採用のほか、高度な専門家としての若手研究者採用に「官」が率先して取り組むべきである。国家公務員や地方公務員の大学院卒採用枠の新設、司書や学芸員など高度専門職への大学院修了者の積極的採用など、実現可能な施策を早急に実施すべきである。

7.男女共同参画のさらなる推進

 日本の女性研究者数および全研究者に占める比率が先進国の中で依然として極めて低いことを踏まえ、国の男女共同参画推進体制の一層の強化を図るべきである。具体的には、ポジティブ・アクションを含む積極的施策、男女共同参画の指針設定率が低い私立大学を含めた取組み促進の制度化、「女性研究者育成モデル事業」および「女性研究者養成システム改革加速」プログラムの継続と促進、大学評価基準への男女共同参画に関する指標導入などを推進すべきである。

8.学術政策における専門家と日本学術会議の役割の強化

 我が国では先進諸国に比べ、学術政策における研究者のコミットが極めて弱く、日本の学術政策において長期的視点・計画性の不足や国際対応の遅れが目立つ大きな要因ともなっている。複雑化する学術と社会との関連の中で従来の審議会行政を超える総合的・長期的・計画的な学術政策への取組みが必要であり、国際的協議や調整にも推進省庁と学術コミュニティ・専門家の共同が重要になっている。人類の営みとしての学術研究の本質を踏まえて総合的な学術政策を打ち出して行く上で、日本の科学者コミュニティと、それを代表する唯一の公的組織である日本学術会議の責任は大きい。日本学術会議はこのことを深く認識し、日本の学術政策の立案と実行への寄与を格段に強化しなければならない。

(9)日本学術会議が果たすべき役割

 最後に改めて日本学術会議の役割について述べたい。科学の先進諸国に比して、これまで学術および科学・技術政策における科学者・研究者のコミットが極めて弱いことは、日本の学術が抱える大きな問題の一つである。そのことが、日本の学術および科学・技術政策において長期的計画性の不足や国際的対応の遅れが目立つ一要素となっていることは否めない。本章第1節で述べたように、かつて日本の学術の振興に大きな役割を果たした日本学術会議は、その後の状況変化や改組を経て、21世紀の新たな状況の中で日本社会に学術の立場から深くコミットするとともに、学術政策に専門的立場から寄与する大きな役割を要請されている。1995年以来科学・技術から社会への比較的短期の応用効果を重視した政策を展開してきた科学技術基本法体制に加えて、人類の営みとしての学術研究の本質と長期的視点を基礎に科学・技術の発展を支え、文化的・社会的・国際的側面から総合的に日本の学術研究を推進する新たな学術政策を打ち出して行く上で、日本学術会議の責任は大きい。
 現在、日本学術会議は、社会問題や学術研究の推進に関わる数多くの課題について、学術の英知を結集して積極的に提言や勧告を行っている。さらにイノベーションや社会的リスク、環境問題、大型科学や大規模研究の推進などに関し、関係各省庁との連携の中で日本学術会議が果たす役割が急速に増大している。従来、学術政策は総合科学技術会議が各期の科学技術基本計画に基づいて施策を検討するほか、文部科学省など関連機関・省庁において課題ごとに組織される審議会や調査委員会に省庁の各部局が諮問する形で個別に進められてきた。複雑化する学術と社会との関連の中で、より総合的・長期的・計画的な取組みが必要になっていることは明らかである。同時にグローバル化の中で学術政策は国際的な協議や調整を求められており、この面からも我が国の学術政策における推進省庁と科学者コミュニティ・専門家の協働の格段の強化が必要になっている。
 日本学術会議は、日本の科学者コミュニティを代表する唯一の公的組織として、今後日本の学術政策の立案と実行への寄与を格段に強化しなければならない。日本学術会議は、学術の総合力の発揮のために科学者コミュニティの担い手である学術研究団体との連携を一層実質的なものにし、また組織的には日本学術会議の機能強化を図る機構改革と専門・調査研究スタッフの拡充等を進めることが重要である。
 『日本の展望‐学術からの提言2010』は、日本学術会議が総力をあげて取り組んだものであり、その方向に向かう第1ステップとして位置づけられる。日本学術会議は、ここに示した分析と展望を踏まえ学術研究の広範な担い手たちが支えるコミュニティの知恵と創造的エネルギーを集めて、日本の学術政策に責任と役割を十分に果たせるよう、様々な局面で努めて行きたい。

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科学技術・学術政策局計画官付課

(科学技術・学術政策局計画官付課)