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本年1月31日に行われた米国大統領一般教書演説で発表された米国競争力イニシアティブの内容について紹介したい。この教書演説では,2004年12月に発表された「Innovate America」との関係に触れつつ,米国の競争力をどう回復させるのかについて書かれている。そのための方策として, NSFの予算を倍増させること,基礎研究の予算を10年で10倍にすること, 人材分野について,初等中等教育を改善すること, これまでのライフサイエンス・バイオサイエンス中心から数学・理工系教育に力点を置くこと等が書かれている。
これを踏まえると,日本の競争力を強化するためには,高等教育のみを議論するのではなく,初等中等教育から一貫して考える必要があるのではないか。
また,「我が国の高等教育の将来像」でも言われている大学の機能別分化を考えるにあたり,教育と研究のバランス,さらに教育の中での教養教育と専門教育のバランスについて考えていく必要がある。特に,国立大学が法人化後に教育,特に学部教育と大学院教育をどのように強化したかについて示して欲しい。大学院重点化により,学部教育と大学院教育のバランスがどうなったか,この部会で議論する必要があるのではないか。大学院重点化により,学部教育がおろそかになっている部分があるのではないか。
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国立大学と私立大学の決定的な差は,教職員が学生の立場に立っているかどうかではないか。「学生消費者」という言葉があるように,今後,学生に対するサービス精神と教育理念を持っていない大学は取り残されるのではないか。また,市場原理に任せるとすれば,今後破綻する大学が出てくるので,どういった場合に何をするのか,ガイドライン的なものを策定することが,行政として必要ではないか。
次に留学生の問題について,日本は外国から留学生を受け入れるのは熱心な一方,日本の学生を外国に送り出すのは熱心とは言い難かった。現在,我が国の財政状況は危機的な状況であり,国費等を投入することは困難でもあるが,海外への留学生を拡大するためにも,寄附税制の活用等が考えられるべきではないか。
また,大学院重点化によって学部教育が形骸化しているという意見には同感である。大学のアイデンティティを高める上でも学部段階は重要であるにもかかわらず,大学院生や留学生の数が増え,教員が忙しくなり,学部教育まで手が回らない状況になっている。アンケートを実施するなど,教員の実態を把握するとともに,教員の分業化についても検討する必要があるのではないか。
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昨年1月の「我が国の高等教育の将来像」で言われている「緩やかな機能別分化」について,各大学で様々な視点から検討が進められているが,この機能別分化が大学の「差別化」としてとらえられてしまっている部分もあるのではないか。そこで当部会では,機能別分化に加え,育成されるべき人間像が何かについて議論すべきではないか。具体的に教養教育について議論するのであれば,機能別分化に絡めた議論を進めていくことが必要だと思う。
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日本学生支援機構の業務には,主に 学生に対する奨学金事業, 大学の学生生活全般についての調査研究, 留学生交流の3つがある。その中でも奨学金については,外国人留学生には給付型の奨学金があり,大学院生には成績優秀者に対して返還免除の制度がある一方,学部学生にはそういった制度がない。また,現在,無利子の第1種と有利子の第2種があるが,国の財政事情もあり,無利子の貸与人数の拡大が図りにくい状況にある。このような背景から,奨学金の問題については是非議論したい。
次に留学生交流について,現在,海外から約12万人の外国人留学生の受け入れがあり,10万人という目標は達成している。また,日本学生支援機構では,日本留学フェアや日本留学試験を実施しているが,大学の関心はまだ低い状況である。質の高い留学生をどのように日本に招致するかについて,国をあげて検討すべきではないか。
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労働政策の立場から,現在の大学教育については危惧を抱いている。学生の現状と社会,中でも産業界が求めている人材像のギャップを埋めるのが教育のなすべきことであり,それが何かについてこの部会で十分に議論すべきである。
また,昨今行われているキャリア教育について,キャリア教育そのものだけではなく,本来の教育を通じて学生に対してどのような付加価値を与えることができるのかについても議論すべきである。
各大学の現状を見ていると,これまでキャリア教育は就職部やキャリアセンターの職員が中心となって取り組んできたが,最近では教育課程の中に位置付けられつつある。今後は,どのように職員と教員が連携していくか,どのように産業界の要望に対応したプログラムを作っていくのかが課題である。教育が産業界の人材需要にどのように応えていくべきかについても議論したい。
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企業の立場から見ると,昨今,学生に対してマナーの段階から再教育をしなければならず,年々そのウエイトが大きくなっている感じがする。本来は学校教育の中で教養を身につけ,入社後に必要な専門知識を教育するという形が理想的だが,現状では,企業がマナー等も含めた教養教育に投資しなければならない状況である。大学生活の4年間は長く,その間には相当なことができるはずである。学生に教養を身につけさせるためにはどのようなカリキュラムが必要かということについて議論したい。
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大学にとって学生は顧客であり,学生サービスを良くすることで顧客満足度を上げることは必要であるが,それが学生を甘やかすことにつながっては,今までよりも状況が悪くなってしまうのではないか。
最近の学生の質は20〜30年前と比べて落ちているのではないかという印象を受ける。産業界が大学の成績を評価しないことや海外の安い労働力を安易に利用してきたことなど,質が落ちた責任は産業界にもあると思うが,大学は学生にもっと勉強させて欲しい。学生は一面では大学にとっての顧客であるが,産業界を含めた社会にとっては大学の言わばプロダクトでもある。学生の質を大学側が保証し,質の高い学生を社会に送り出して欲しい。
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各大学がどのように教育の質を担保していくかについては,大きな課題を突きつけられている。「我が国の高等教育の将来像」の「12の提言」の中にもアドミッション・ポリシー,カリキュラム・ポリシー,ディプロマ・ポリシーについて触れられているが,大学において,この3つが必ずしもうまく連携していないケースがあるように思う。教養教育・専門教育の在り方や機能別分化の問題を絡めながら議論する必要があるのではないか。
また,学生の学力低下の問題が出ていたが,現在は大学・短大の進学率が50パーセントを超える状況にあり,学力にばらつきが出るのはある意味で当然なのかもしれない。これまではそれをリメディアル教育で何とかしようということだったが,むしろ学力に幅があることを前提にした上で,機能別分化の在り方を考えるべきではないか。それがその大学のアドミッション・ポリシーであり,それに基づいたカリキュラム・ポリシー,ディプロマ・ポリシーが決められれば良いのではないか。
次に,留学生交流の促進・充実については,日本の学生が海外に留学する際の支援が必要だと思う。また,世界の中で先頭に立てるような人材を養成する仕組みをつくることも必要ではないか。
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最近の医学生の中には他人に関心を持てない学生が多くなってきており,人間性教育を進めていくことが緊急の課題となっている。本来,コミュニケーションや人間性や人間関係についての教育は,家庭の中あるいは初等中等教育の段階で行われるべきものと考えるが,現在では,医学部のみならず,大学において人間性や人間関係についての教育が必要になってきている。
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最近の学生はソーシャルスキルが十分でないという指摘があったが,一方ではマナーは良くなっているという見方もある。
また,最近の学生は勉強をしないという指摘があったが,何のために学ぶのかということの意味づけが必要なのではないか。
さらに,先ほど大学院重点化により学部教育がおろそかになっている議論があったが,私立大学の場合は逆だと思われる。私立大学の場合は,大学院における教育まできちんと行っているかどうかを考えなければならないのではないか。
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「我が国の高等教育の将来像」で言われている「21世紀型市民」や大学審議会答申で言われていた「課題探求能力」など大学と社会との関わりを強く意識した提言がされている事項について,これらが点として行われているとしても面として総合的に展開されていないのではないか。
アカデミックな学問や教室での授業を経て,ボランティア活動を行い,自ら学んだことを検証したり,何ができるか提唱してみるという米国大学のような手法を活用することによって,学生と社会をつなぐことが可能になるのではないか。
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検討課題例を考えるに当たっての基盤となる情報をできる限り提供していただきたい。昨今,どの大学でも色々な試みがなされ,大学は大きく変化してきている。当部会で挙げられている検討課題例はどれも重要であり,それに関する具体的な事例を挙げてもらうことは議論の上で大変役に立つのではないか。大学も国公私の別があり,私立の中でも大中小様々な規模があり,そういった違いを全て視野に入れながら議論をしないと本質的な部分に迫ることは難しいのではないか。
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伝統的な1960〜70年代の学生像が基準にするのではなく,いわゆる大学全入時代を前にして,現在の学生像について,我々自身が意識を大きく転換させていかなければならない。
昨今,大学が多様化し,機能別分化ということが提唱された状況で,大学の様々な取組を通じて類型化とも言える状況が進行しつつある。大学教育の現状についてマーケット分析をした資料があれば,どこに問題の所在があって,どこに課題があるのかについて共通認識が持てるのではないか。一口に学生と言っても多様化しており,大学教育の質について一義的に論じるには困難があるのではないか。また,大学が変質してしまい,学生が社会性や文化性を学ぶ機会が大幅に減少している。そして,人間や個人,あるいは集団,家族,地域,産業,企業といったことを考える問題意識が非常に衰退してきている。
次に,社会人が大学で学びたいという需要に関して,大学がさらに変わり,制度的に社会人が通いやすくなるようになれば需要が一層顕在化してくることが予想されるため,社会人全体を見据えた大学教育について議論することも重要ではないか。
また,現在様々な面で分権化が議論されているが,地域が活性化していくための拠点として,大学は重要な役割を担っている。市場原理の中で企業が短期的な利益志向を採らざるを得ない状況で,大学が地域活性化のための知のワンストップセンターになるような戦略や,卒業生が社会で力を発揮できる場の開発についても議論すべきではないか。
さらに,労働政策の観点から,現在,厚生労働省では実習併用型の教育プランを進めようとしている。学生の質が多様化している状況で,教育手法も多様化が必要である。この点についても議論していきたい。
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「学生の視点に立った大学教育の展開」といった時に問題になるのは,学生がどのような視点を持っているのかがはっきりしないということではないか。就職を希望する学生は,受け入れ先の視点を内在化させるのが通常であるが,受け入れ先が学生に対して何を求めているのか,大学教育に何を求めているのかが必ずしも明確でないために,結果的に,学生がそれを内在化できない状態になっている。その結果として,学生の視点に立つには何が必要かという議論になっても,必要な教育内容は何で,それを教えるためにはどうすべきかという方向に必ずしも議論が進まない。やはり大学教育を考えていく際には,学生自身のニーズ,それから学生に対して社会が何を期待しているかということを常に考える必要がある。
法科大学院ができると,法科大学院での教育負担が大きいため,学部教育に対して力を割けないのではないかという懸念もあったが,法科大学院に進学するという目的意識がはっきりしたため,むしろ学部生の授業の出席率も上がっている。その一方で,目的が明確になった分,その目的実現のために,短期的な効率性を求めることになるという問題も生じている。
今回の教養教育の問題は,教養を客観的に評価することが難しいという点にあるのではないか。客観的に評価できないが,社会において重要なものを教育しなければならないときに,どのような方法で学生を動機づけ,どのような方法で教育をし,それを社会全体の中でどのような形で評価していくのかということを考えていく必要がある。特に,教養教育と専門基礎教育との関係を,学生や社会のニーズをも生かした形で考えていきたい。
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最近の学生は必ずしも明確な目的意識を持って大学に入学していないのではないか。そのことが,今日のニート・フリーターの問題に大きく影響しているのではないか。教養教育の重要性は理解しているが,入学時から基礎的専門科目を学ばせることで,入学時に学問内容の意識付けをすることも重要ではないか。
次に留学生の問題について,日本の大学は東南アジアからの留学生を手取り足取りで受け入れている。一方,欧米では自国の学生に比べ留学生の授業料が10倍近く高い。日本の場合はその逆であり,留学生の授業料が安価だというのは疑問を感じる。日本人学生の海外留学を促進するには,経済的支援を充実させる必要があるのではないか。
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今,大学教育に関して,職業的倫理と市民的倫理という2つの倫理が厳しく求められる時代になっている。1990年代半ば以前は,学生は在学中に就職活動をすれば就職先が見つかり,正社員となることができた。就職活動が大学3年生の終わりごろから始まるということからもわかるとおり,企業側は学生が大学で何を学んできたかではなく,出身大学や学生の人柄や熱意に重点を置いてきた。そして企業が正社員としてその職業的な能力や,あるいは職業的以外の市民的な教育さえも企業の中で行ってきていた。ところが,その後,社会の状況は大きく変化し,正社員になれる大学生の層が縮小している。正社員になれない者は,これまで正社員であれば享受できた職業的あるいは市民的な教育訓練という部分を全く受けられなくなっている。その中で,大学教育がこれまで企業に任せてきた部分を,どう引き受けていくべきかを検討する重要な時期に来ている。大学は,職業的にも市民的にも,若者が生きていく上で実質的に力となるような教育内容をどのように提供していくべきかという切実な課題に取り組んでいかなくてはならない。
また,格差社会ということが言われているが,今後,私立の比率が高い日本の高等教育の中で,学費負担の問題を含め,教育機会を保証しながら,質をどのように担保するのかということが大きな課題になっていると思う。
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学生に対して大学の中でどれだけ市民教育を施していけるかという課題に対して,我々が,どのように機会や方法を作り出していくのかということを議論すべきではないか。また,大学教員が如何に自分たちを変容させられるかについては大きな課題であり,そのことも議論すべきではないか。
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今の大学には,小・中・高でやらなければいけないことのつけが回ってきているのではないか。しかし,そのつけを全て大学で引き受けるべきではないと考える。大学の側から,小・中・高の現場に対して情報発信や支援を行うことで,大学の機能を活かしていく道もあるのではないか。
熟練技能者の大量退職という「2007年問題」と並んで,2006年4月には,新しい学習指導要領の下で教育を受けた学生が大学に入学してくる。そのことを考えると,大学がやるべき事柄を絞って検討し,国力を維持し高めていくための教育を考えていきたい。
また,危機への対応という意味で,最先端の科学技術や基礎科学,例えば環境問題に力を入れて欲しい。イリオモテヤマネコやツシマヤマネコの保護に関する研究に従事する大学院生たちは研究費が無く,交通費や暖房費も危うい状況にある。知を担う大学に対する予算的支援を議論していかなければならない。
さらに,ITに関してはインドの大学卒業生たちが企業に入って徹底した日本語教育を受けている。グローバル化ということを考えるのならば,社会が驚くくらいのことを考えなければならない。
先ほど,現場のケースを調査すべきとの意見があったが,委員の一人として,特徴のある取組をしている大学に対してヒアリングをしてきて,その様子を報告するようなことも考えたい。
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今後の進め方については,本日いただいた意見を参考にしながら決定したい。また,各大学の取り組みについてヒアリングを行ったり,有識者の方からの意見発表をしてもらったりすることも考えていきたい。
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