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大学の教員組織の在り方に関する検討委員会(第9回)議事録・配布資料


  日時   平成16年10月26日(火曜日) 15時〜17時

  場所   三田共用会議所 第三特別会議室(3階)

  議題
 
(1) 審議の中間的な整理(案)について
(2) その他

  配付資料
 
資料1   大学の教員組織の在り方に関する検討委員会(第8回)議事要旨
(※ 第8回議事録・配布資料へリンク)
資料2   助手制度についての検討素案
資料3   「新職」の位置付けについて(たたき台案)
資料4   (新)助手の位置付けについて(たたき台案)
資料5   大学における教員組織の在り方に係る制度改正の全体イメージ(たたき台案)
資料6   条文のイメージについて(たたき台案)
   
 
参考資料   大学の教員組織に関する関係条文等
(※ 第6回参考資料へリンク)


 
(机上資料)
  教員組織の在り方に関する基礎資料
  高等教育関係基礎資料集
  大学審議会全28答申・報告集
  大学設置審査要覧
  教育指標の国際比較(平成15年版)

出席者
(臨時委員)   荻上 紘一(座長代理)、天野 郁夫の各臨時委員
(専門委員)   岩田 啓靖、小野田 武、川村 正幸、福田 康一郎、堀江 孝至、四ツ柳 隆夫の各専門委員
(文部科学省)   結城 文部科学審議官、石川 高等教育局長、徳永 高等教育局審議官、泉 高等教育局審議官、小松 大学振興課長、石野 医学教育課長 他

  議事
   事務局から資料についての説明等があり、その後審議の中間的な整理(案)についての討議を行った。

(○:委員、●:事務局)

 
委員  昨年の秋以来、今回で9回目ということになるが、前回特に助手の問題を中心として闊達なご議論を頂いた。これまでの審議の中で、一通りの議論は出して頂いたのではないかと思っている。そこで、そろそろこれまで本委員会でご議論頂いた審議の状況を途中経過という形で一度公表して、様々な方面から広くご意見をお聞きして、それらを踏まえて更に審議を深める方向に進めていきたいと考えている。
 その為に、本日はまず今後の教員組織の在り方の基本となる部分についてご審議を頂き、もし本日ある程度基本的な部分が固まれば、次回事務局と相談して具体的に公表する審議経過の原案を作成し、それをご審議頂くというような進め方ができればと思っている。

委員  資料2は、前回までにご議論頂いたことに関して、基本的にこのA案、B案の2つに整理をして頂いたものである。今回はこれに関してご意見を頂きたいと思う。できれば今日、基本的な考え方の方向を示すことが出来ればと思っている。
 A案、B案の違いというのは、教授から助手まで全体で考えれば、A案が教育研究職が3種類、教育研究支援職が1種類、つまり3プラス1という構成である。B案は教育研究職が2種類、教育研究支援職が1種類ということで2プラス1である。講師は両方とも必要に応じて置く形ということで、別にある。このように講師を別枠で考えるとすると、3プラス1というのがA案で、2プラス1というのがB案ということで考えてよいかと思う。

委員  そもそも今回の制度改正を望んだ原点は、教育研究の国際競争力を上げたい、その為には若い人のパワーが必要で立ち腐れを防がなければならないという点、この点に関心が払われて議論されてきた。
 但しこれを資料2のように教育研究組織の図に書いた場合、相変わらずリニアモデルに拘りすぎている。例えば、一番最後に結論的に表現された資料5、これはやはりリニアモデルなので非常に身動きがとりくにい。端的な例は、「新職」、准教授、教授、これはクリアなリニアモデルである。一方、講師というのは本来は准教授と教授の横に置くような職務ではないかと思う。
 そこで問題は、(新)助手である。(新)助手の人達のキャリアパスをどのように位置付けるのかということが、リニアモデルに拘りすぎていて、場合によっては先のないリニアモデルに入っているような感じがあり、「新職」への予備軍になってしまう可能性もある。(新)助手の人達の多くはポストドクター経験者や学位を持っていると考えられる。この場合、より高い教育レベルの人達にとっての立ち腐れの場所を新たに作ってしまうことにならないかという懸念がある。
 大学というものは、確かに教育研究の中核であることは間違いない。しかし、1つの独立した組織体として従来に比べて遥かに多様なファンクションを持たなければならないという気がしている。特に(教員以外の)職員の分野においては、従来とは桁違いのタレントと専門性、そして新しいキャリアパスなどが必要である。私は大学の職員が教育研究に対して素人であるというのはおかしいと常日頃思っている。この(新)助手の方の1つのキャリアパスとしては確かに「新職」への多少予備軍的な性格もあるだろう。それと共に、いわゆる新しい大学の経営に係わる、職員側にかなり強い意識を持って頂けるような図が欲しい。
 資料5の図中、(新)助手を「新職」、准教授、教授というラインの左側にぴたっとのせるのは止めた方がよい。法制的には、(新)助手が将来色々なことができるように書いて頂いて、具体的な(新)助手のキャリアパスについては大学によって考えるということもあるのではないか。

事務局  皆様のご意見を頂いて反映するような形にしたいと思っている。今のお話にあったように、資料5の図については確かにリニアで(新)助手の次は「新職」、「新職」の次は講師というように見えるため、先ほどの説明や今までの議論と少し違うような感じもするのはその通りだと思うので、資料5の図における講師の位置や助手と「新職」の位置関係は少し工夫しなければならないと思う。それが1点。
 2点目は、(新)助手について、その主たる仕事の内容は結構広く、事務職として典型的に考えられている仕事や専門性をもった技術職を主たる業務とするのとも少し違うけれども、実際に教育研究活動をしていく時に、必要な専門性を持って支援業務を行っていくという部分が現在は助手によって果されているところがある。その部分で「新職」と(新)助手の具体的な職務内容を整理する時に、こういったことを業務とする人がいるということをどう表現できるのかということだと思う。
 そして、そのキャリアパスについては、例えば従来の国立大学では非常にはっきりとした国家公務員の給与表があり、助手は教育職と決まっていた。そのことは今各国立大学法人で変えても良いのだが、従来からの強い影響があるので、建前はともかく、その影響は考えながらやらなくてはいけない。現実問題としては教育職以外の俸給表を作ること等を含めて各大学でフレキシビリティーがあって良いと思う。
 3点目は、主たる業務として職務を定め、実際の大学でその主たる業務としてはこういうことだけれども、組織の自主的な連携・分担の中で各大学がフレキシビリティを持てるということを答申の中などではっきりとさせないと、多分問題の解決はつかないだろうということがある。

委員  お気持ちは十分わかっているつもりだが、やはりこれからの大学というのは組織的に言えばリニアモデルではないということを、色々な場面場面で表現して頂くことが大事ではないかと思う。

委員  この資料5の画で言うと、(新)助手のところが黄色になっていて、そこから右が青になっている。この辺りも意味としては複合している。(新)助手と「新職」から右側では職種が違うというようなことを表しているつもりだろうと思う。
 講師がここに入っているといかにもそれはリニアに見える。これは先程事務局からの説明にもあったが、講師は決してここにリニアに並んでいるものではない。

委員  この考え方では夢が無いと思う。重要なことは教育研究の活性化の為に若い教育研究者に夢を与えるようなシステムに移行することである。その為に今の曖昧な助手を分けて、教育研究に専念する新しいポストを作るということがやはり強調される必要があるのではないか。
 そういうことになると、一体この「新職」の規模をどれ位にするのかという問題が極めて重要である。例えば、(新)助手と「新職」とが半々に分かれるとか、2対1位で(新)助手が多くなるのかということは、これは夢と非常に関係している。したがって、こういったポストをもっと増やして、若手を教育研究の活性化の為に大いに活用するべきだというシステムを出すのであれば、こちらを増やせということをやはり答申の中に要望として盛り込む必要がある。それが1点。
 もう1点は、(新)助手の位置付けである。この資料4の具体的な内容を見ると、これはTAやRAとどこが違うのかと思う。そうなると、(新)助手というのは何をする人なのか。TAやRAに比べると数が遥かに少なく、助手数が減少している現在、さらに講座制が廃止されると、学部や学科に所属して10人も15人もの教員から酷使されることになってしまう恐れがある。
 私は、(新)助手というのは事務職の専門職的な扱いでいいと思うが、何か中途半端になっている。したがって、この具体的な内容の規定にはあまり賛成できない。

委員  先生は(新)助手と「新職」との数の比はどれ位が良いとお考えか。

委員  どれくらいになるのかということよりも、今助手がどれ位いるのかということに左右される。今いる助手が対象になるとすれば、医学部のようなところを除いては、「新職」はあまり増えないだろうと思う。半分以下になるかもしれない。

事務局  只今の件は大変重要な点だと事務的にも考えている。今のお話はこの会議でも繰り返しご指摘頂いているように、分野によってかなり違うので、一元に何割と言うわけにはいかないと思う。
 この件について、確かに規模の問題をやるのが先ではないかということもあるが、議論の順序を若干お許し頂ければ、ある程度様々な方面に案を示して、どれくらいの人数になるのかということを伺いながら整理していく、それによって結論は多少違ってくることはあり得るという方法をとらなければ、なかなか掴みきれない。我々としては、現在助手になっている方の中で、今回で言うと「新職」に当たる方が主観的に見た時にどれ位いるのかをある程度掴みで調べてみたいと思っている。
 そうすると、おそらく分野によって割合はかなり違ってくると思われる。それを最終的に報告に書き込んでいくという形をとらないと、恐らく今ご提示の疑問に答えることができないと思っている。

委員  今のようなご指摘には賛成である。この新しいポストと助手の問題は、大学の性格と学部の性格によって全く違うというのが分かってきた。それを一括で議論するのは殆ど意味が無い。新しい助手を置くか置かないかは、各大学が選べるような制度設計にした方が良い。
 教育重視の、研究がそれほど重要視されない大学では、こういう職は、4段階のリニアだと考えると、置く必要がない。大学によっては、教授と助教授だけで助手は本当にお手伝いさんのような人がいるという程度なのかもしれない。或いは、大学院がなくてTAやRAがいなければ、助手がその役割をしなければならないのかもしれない。大学、学部によって事情は非常に違う。だから、どこのことを問題にするのかということが非常に重要だと思う。
 この新しい職を作った時に、研究者養成の場でもある研究型大学はやはり厳しい業績競争がなければならないところであるから、そういうところは必ず新職を置かなければ競争が起きない。そして、競争を起こす為には、この「新職」が非常に少なくなければならない。
 また、今の国立大学を見るとトップヘビーになっていて、教授職が非常に多く、年齢構成が高くなっており、若い人の居場所がどんどん無くなっているので、このままいったら人件費から言っても、或いは教育研究の活性化から言っても、国立大学は破綻するのではないかと思う。年齢構成を変えていく必要がどうしても出てくるのではないかと思う。
 そういう時に、こういった新しい職が重要な意味を持つのであれば非常に良い。

事務局  もう1つ先程ご指摘があったTA、RAとの違い、これは確かに難しい問題である。この助手制度の問題というのは、昔からずっとあるのと同時に、大学審議会で明確に取り上げられてくるという流れがある。平成年間に入った頃と現時点では大学院の状況や、職種の他の若手研究者の育て方についての構えがかなり流動的になってきている。
 ご指摘のとおり、TA、RAもその数や占めている領域が昔とは違ってきている。更にはポストドクター、フェローシップ、外国人研究員等も変わってきた。若手の育成の仕方については一概に大学院生から助手、助手から講師になって助教授になるというリニアなものだけを想定することは出来なくなっていると思う。
 TA、RAとどう違うのかという問題の整理はある一方で、事務的にやや悩むのは、そこはある程度オーバーラップするのかもしれないと思いながら、その支援の仕方としては、例えば、その大学でTA、RAに支援業務を担わせるべきということであれば、助手は廃止するということになる。
 助手のみにするということは、多分選択肢としてもう無いので、TA、RAは残すということになるのかと思う。そうすると、こういった制度改正をした時に、各大学が色々と取り組んでいかれる中で、ある大学では例えば助手は事実上無くして、TA、RAに移行されるところも出てくるだろうと考えられる。或いは、何らかの事情で常勤ポストとして、そういうものを残したいというところと分かれるであろう。
 その様子が動いていくのを見ながら、将来の判断をしていくというような若干流動的な要素が出てくるのかもしれない。この辺はそういう見方をして良いものなのか。或いはそういう見方をした場合にこういう考え方で良いのかというところは、もし何かあれば併せてお伺いできると非常に有難い。

事務局  結局この問題は学校教育法という学校制度、そこにおいて教育関連の職員としてどういう職を置くのかという問題である。実態として大学でどういう形で教育研究が行われ、それを支える職員がどうであるのかという問題よりも、国の学校制度として教育研究というものを進める為に、我々としてどういう職を想定しているのかという問題である。
 実際にTAやRAというものが同じ職務を担おうと担うまいと、少なくとも学校教育の建前からいって、研究補助をする職員というのが大学においては必要であるということ、そういう職員を置くことができるという規定を置くということ自体が大事なのである。
 したがって、TAやRAについて学校教育法上で何らかの規定があれば、これは重複という問題が起きてくるが、実態としてTAやRAと同じになるかどうかということまで判断する必要はないと考える。制度上の問題と実態的な問題というものがあり、そこは整理する余地があると思っている。

事務局  前回、学校教育法上(新)助手とした場合に、大学の判断により置くかどうかを決めるのか、或いは一応置くという構えで行くのかという二様の議論を資料でお示ししたが、その時に助手は各大学の判断で置くことができる制度とする案とした場合には、TAやRA或いはポストドクターのような話と絡めて考えなくてはならないということであった。
 その時の議論の感じとしてみると、一応階層的には「新職」に当たる職を置いて整理していくという中で、ある種そういう職の構えとして(新)助手を置くということになった。
 そこで、今回の案では、重複するか否かという問題とは別にお示ししている。重複するのではないかというご疑問はその辺にあるのかと思う。

委員  資料5では、学校教育法上の位置付けについては、太い枠、二重枠、細い枠の3種類の記号を使い分けて書かれている。現在は教授、助教授、助手が黒い太枠で置かなければならないとなっているのに対して、ここで今提案しているもので言えば、置かなければならないというのは教授だけになっている。
 そして先程は黄色い(新)助手はむしろ事務職的な位置付けではないかというご意見があった。それは学校教育法上の位置付けとしてそうしたほうが良いというお考えか。

委員  私はその方がすっきりするのではないかと思う。この問題は職員の問題と関係している。教育研究の支援職ということでなっているが、支援というのはこういう助手だけなのか。例えば、アドミッションセンターやアドミッションオフィスをあちこちで作っている。そういう所で働いている人達で、事務職員の中で専門職的な人もいる。留学生センターやカウンセリングをやっている学生相談室等にもそういう人はいて、今は殆ど人は助手身分にまでいっている。あのような人達をどうするのかという問題もある。
 教育研究支援職と言った時に、今は教授と助教授の教育研究活動の支援だけ言っているが、学生に対する教育研究活動全般の支援というものもある。そこの部分の人達をどうするのかという問題は今回の議論には入っていないが、それも非常に大事ではないか。もしそれがはっきりすれば新しい職によって助手のステイタスが上がったと受け取られる可能性もあある。そういうことで区別した方が良いのではないかと思う。
 もう1つ非常に難しい問題がある。これまでは職種によって職務内容が異なっており、教授がいて、教授を助ける助教授がいて、教授・助教授を助ける助手がいるというのは、これは仕事の中身が違うのだという理解であった。
 しかし、これからは全て同じになる。そうすると、どこで教授、助教授、「新職」あるいは(新)助手は違うのかという問題になる。特定のところを教えるのが「新職」であるという定義の仕方もあるが、本来ならば教授、助教授はどういう選考基準で選ぶのかというと、これは教育研究上の業績によって教授、助教授などを区別するということになっている。つまり、教育者、研究者としての成熟度の違いであるとか、レベルの違い等で決まっている。
 そういう問題とこれは関係しているので、特定の領域だけを教える人は、講師や「新職」だということなのか。それとも教授、助教授、「新職」というのは、結局教育研究者としての成熟度の違い、或いは能力の違いなのか。職務内容を一緒にしてしまうとこういう問題が生じる。

事務局  この表を作る時の考え方として、今ご指摘のお話については、教授、准教授というのは、資格的な部分や今この辺まで教えられるだろうという点において差があるけれども、本質的には職務内容に大きな差はないということがあった。
 通常で考えると、教授がその中でも中心になるが、そこを具体的にどうするのか、個別にどうするのかというのは、組織編成の規定の連携・分担の中で各大学が決めるという考え方である。そういう差がある一方で、教授・准教授はある意味では一つの塊であり、そういう意味で言えば一つの大きな塊の中がそのように分かれる。
 それに対して「新職」は、基本的には独立して授業を持つという意味において教授、准教授の仲間になるが、例えば教育課程の編成などについて責任を持ってやるというような全体像から見ると、特定の授業科目について持つ、というようなイメージでこの表は作ろうとしている。

委員  先程のお話を伺っていて、この資料5は横並びの図であるが、これは縦にした方が本当は分かり易い。講座・学科目制度の中で、教授、助教授、助手については、これは1対1対1くらいを考えておられるかと思う。医学部の場合にはこれはピラミッドになっていて、助教授までは同じだが、その下の講師はやはりこの階層上の中間に位置付けてしまっているのが現実である。したがって、助教授1に対して講師が非常に多いことがあり3とか4になる。その下に更に助手が底辺におり、その階層のピラミッドがきちんとできているので、横より縦の方が分かり易い。
 今の制度の職務の位置付けについては、今ひとつ明確でないのは事実である。底辺にいる助手が殆ど博士の学位を持っているし、診療科担当もしている。そういった人は診療科の中核にもなっており、指導者にもなっている。
 そういう状況で助手の名称ということに対して、実際は責任を持った職を分担しているということから、「新職」は歓迎されている。ただこれはパーマネントであると固定化するので、やはり全体の構成上入れ替えが必要である。その中の優れたものが上に上がっていくこと、それは良いと思う。
 他所の分野と少し違う面があり、それは診療科を底辺で支えているのが助手であるということである。実際に大学院生までが診療科をやっており、そういう状況では他分野と噛み合わず、議論を進めることが難しいということもある。しかし一方でこれを進めて行って頂きたいという声もある。大学病院の現状からいくと、例えば国立大学の病院長会議でこの話を紹介すると、是非やって頂きたい、いつやるのかと言われる。各大学が助手をたくさん抱えている中で、助手のステイタスを上げていくというのは皆関心がある。これは現実的にそうであり、前からある問題である。ただ、分野によって異なっており、全部一律にすることは多分できない。そこを上手く調整するようにしたい。
 問題として、講師を恒常的、段階的に置いているということがある。先程、話があったが、キャリアパスとしては、教授、准教授、助教授というのが一番分かり易い。講師の置き方というのは、慣習的に置かれてしまっているので、これは助教授にしてしまうのが良い。講師は例えば学外から呼んでくるような人達を特別に任命して一定の科目をやっていただく。そうすると諸外国と比べてものすごく分かり良い気がする。ただ、現実的には講師は恒常的に置いているので、そこが少し問題だと思う。

事務局  講師は、国立学校特別会計法上の講座セットというのがあり、医学部の場合は必ず予算上、教授1、助教授1、講師1が必置になっており、更に助手5人というセットがあった。元々予算制度の中で必ず1講座につき必ず講師が1、助手が5人ということが決まっていた。
 今回、国立大学が法人化されたので、そういう講座セットというものがなくなり、今後の推移の中で実態に応じて推移していくものと考えられる。

委員  医学部の中でも臨床系の講座と基礎系の講座の在り方というものはかなり違いがある。組織としては教授、助教授、専任講師、助手、その数が国立に限らず、私学においても教授又は助教授1、助教授又は専任講師2、それ以外は助手という、形態はまさにピラミッドに作られており、その構成の中で人事をやっているというのが実態である。
 最近は基礎系の講座の中で、特に研究に特化したような組織ができているとことでは、先程話に上がったTAやRAはかなり導入されてきている。
 ただ、医学部におけるいわゆる基礎教室と、臨床教室だけを考えると、これらの在り方というのはまだまだ少し不明確な状況である。そして、先程お話にあった事務職の専門職というのは、これは我々の頭の中には全く考えられない。完全に医師の集団としての教員職と事務職は分かれている。
 もう1つは、臨床系の現場に行くと、実際に今行っている教育システム自体、クリニカルクラークシップにしても上中下の関係でチームを組んで診療に取り組むというのは当たり前である。このシステムは、医師になりたての人も学生を教育する、5年生は4年生を教育するという、そういう認識が段々と育ってくる。ピラミッド型はまずいと言われると、それは少し考え方が違う。
 実際に臨床の現場で教授、助教授、専任講師、助手が横並びで、研究を意識してという考え方があるかと思うが、横並びのシステムでやりなさいと言われても、なかなか機能しないのが現状と思われる。今やっているこの議論を医学部に導入する場合には、そのまま医学部関係の協会に持っていき、助手、講師、助教授、教授は同じ立場で研究に取り組むということを直ぐに理解しろと言っても、なかなか理解し難いと思う。

委員  工学系は如何か。工学系は助手が非常にたくさんいて、色々と何種類かあるのではないかと思うが。

委員  工学系も大学院重点化の時に大分振り替えして、大体、1、1、1に近くなったという状況である。私もずっと講座制の中で育ってきた人間であるので、横並びと言われると少し抵抗がある。
 やはり若い人をあまり早い時期に独立させると、一緒に仕事をしながら人を育てるという機能がきちんと働くかどうかが気掛かりである。高等専門学校の中では助手を育てるのは非常に難しい。講座制だと親方が責任を持って教育から先の身の振り方まで見ながら人を育てていく。そこで適性を見ていこうというところがある。
 そしてもう1つ、先程も出た意見であるが、立ち枯れということがある。工学系も教務職員という教育研究支援職の方がおり、ドクターを出て職がなければそこへ配置するケースが最近出てきた。したがって、(新)助手を作った時に、ドクター経験者もしくはポストドクター経験者がそこに入り込んで立ち枯れを起こす危険性は依然としてあると思う。
 この場合、教育研究職とは全く別の事務系の職種として位置付けることによってそういうことの防止にはなる。しかし、可能性を持つ多くの人材を育てる上でトータルとして間口が狭くなるデメリットもある。やはり一番大きな問題点は、若手の教官ポストの絶対数が減少しているということである。それさえなければ、支援職というのは研究者として育てていく人の枠から外した方がむしろすっきりすると思う。
 そして、その先の話として、教授、准教授、助教授、講師という名前の方が現状に照らして分かり易い。国際的な整合性も取り易いと考える。

委員  私の立場は社会科学系ということでお話させて頂くと、この(新)助手と「新職」という形で今の助手を分けるとすると、社会科学はおそらく99%は(新)助手のままである。ごく一部が「新職」に就くという形になると思われる。
 そういった中で、(新)助手というのは教育研究支援という業務と、事務系の教育支援がある意味で重複している。ただ、現在の事務職員は、国立大学で見た場合に、はっきり言って教育研究の支援ができるレベルの職員がいない。これからはマスターくらいを出た人を事務職で採って、教育研究の支援スタッフとして育てていかないと駄目なのではないか。大学を出ただけで殆ど教育研究の経験のない方が本当に支援するのはかなり困難である。そういう方に例えば履修アドバイスのような教務的なことを頼むとすると、かなり硬直的な対応しか出来ない。
 今の大方の助手は教員の下で色々と仕事をしたことによって、ある程度対応できるようになっている。そういう意味では、教育研究支援を、現在の助手が(新)助手に移った時に、その人達に一応担わせるというのはスタッフとしてはあるかと思う。将来的には、今のような事務の専門職が育ってくれば、そこで一体化してくるはずで、教育職として位置付けるかというのは、おそらく将来的にはそこは違ってくるはずであろうと思う。

委員  それに追加して、今、教育研究支援職というのは、必ずしも助手相当の人がなる職と考える必要はない。例えば、助教授経験者等が、対外的なリクルート活動、もしくはリエゾン活動、その他知財本部等ができてくる中で、専門職としてかつて教育研究職に携わった人達がそこで活路を見出すということも並行して考えてはどうか。

委員  今までの議論と少しトーンの違う意見を言わせて頂きたい。この制度を改正しようする動きの1つの柱立てが、若手教員の人材育成ということをどうするのかということであった。それはそれで非常に大事なことであり、学校教育法上の職として、教員の職として今まであった教授、助教授、助手の助けるという構造の末端に助手という職種が位置付けられる形を変えようという方向で議論が進んでいる。これには大賛成である。
 しかし、問題はその学校教育法が適用される学校は、大学だけではなく、短期大学、高等専門学校を併せて全国におそらく1,000を超える数があり、その全体に適用される基本的な部分がこの法律によってきちんと明確に把握され、そこがきちんと整理されるということが大事と考える。その上にどういった価値をのせて行くのか、或いは目的をどのように積み上げていくのかということは、例えば医学部のような特殊な営みと規模を持っている大学なり学部は、その学校教育法上の教員組織の通則法的な仕組みの上に自由にどんどん乗っていけるような、開かれた制度設計になっていれば良い。また、大学院を維持して、主として研究的なところで大学の役割を真摯にやっていこうとする大学はまた、そのような形で特別な上への積み上げをやはり書いていく。
 しかし、それを一番底辺にある学校、大学の組織全体に対して、医学部的条件や大学院の先端的研究を担う仕組みの諸条件をおろしていくのは、私は不適切であり、その必要はないと考える。
 そこで、どちらかと言うと地方型の小さな学校で色々と人材的にも足りないものが多い大学の立場からこの問題を見ると、助手の今の制度がむしろ弊害になって、特に助手である若手研究者、教員が教育活動や研究活動自ら行うという部分ができない為に非常に閉塞状態にあるということがある。
 具体的には、カリキュラムの中に例えば栄養士、管理栄養士、看護士、社会福祉士などの養成課程のようなものがあると、何名の助手を置かなければならないという助手の必置義務がある。その為に、大学の中には助手がかなりの数いるが、その助手が指導権を持って教育的な活動をできないということの為に、その他の教員が非常に忙しくなっている。その上に社会貢献という新しい高等教育機関の一つの哲学というものが現れて、これは国家的な高等教育機関の役割になってきた。
 この社会貢献という新しい分野でどんどん活動して欲しい教育のヒューマンリソースとして助手の力は大変潜在的に大事であると思っている。しかし、助手に自主的に教育研究活動や教育計画を作ったり、評価したりということをなかなか付託できない。それは例えば学校教育法上で助教授を助けることと規定されているという、従来の我々が持っている大学での常識のようなものが機能し、なかなかそこが踏み切れない。したがって、そういった視点からも、むしろこの助手という職名がなくなっていくような方向で、大学の職制改正が進むと良いと思う。
 以上整理すると、助手を中心とした教育職については、これに自主的、自律的な研究の主権を与えるとともに教育上の責任も負えるような制度というものにして頂きたい。末端と言うか、大学として一番の底辺のところから見た時に、そういった希望、期待を持っている。

委員  大分闊達なご意見を出して頂いた。前回までA案、B案、C案という3つの考え方が出ていたが、本日は最初に事務局から説明頂いたように、A案、B案という2つに整理をしてお諮りした。一通りご意見を伺ったところでは、資料2でいうところのA案、B案で言えば、A案型のほうが良いのではないかというお考えの方が多いようにお見受けする。資料5で示されているように、いわゆる教育研究職を3種類、教育研究支援職を1種類というA案型のほうに絞っても良いのではないかと思われるが、如何か。
 その点について異論がなければ、次回からはそこは1つに絞って、今度はそれぞれの職種の定義付けを議論して頂くこととなる。
 では、そこのところは固めて宜しいか。全体を色々とフレキシブルにしておくと、なかなか議論が固まらないので、まずそこのところは資料5のような形で、3プラス1という形で宜しいか。

委員  基本的にそういう考え方で良いと思うが、仮に「新職」に助教授という名前を当てはめた時にはやはり講師の位置付けが気になる。A案を採った場合、この「新職」が助教授になった時、「新職」と慣例的な講師の位置付けはどうなるのかという点。講師は外にいると考えて、教授、准教授、助教授というのなら良いのだが。

委員  講師はやはりこの図に問題があるのかもしれないが、これは括弧に入ると考えていただきたい。名称はまたご議論頂く。ご指摘については了解した。
 それでは、資料2でいうところのB案はもう次回からは消すということで宜しいか。それでは、基本的な部分としては、これで固めることと整理をさせて頂く。
 そうすると、資料5の(新)助手、「新職」の位置付けをどうするのかということをこれから議論して頂くことになる。どちらからやるのが良いのかは分からないが、役割がこれまでとはっきり違うような位置付けにしてはどうかと今考えられている(新)助手からご議論頂いた方が宜しいのかと思う。これは資料4になる。「新職」の位置付けが資料3、(新)助手の位置付けが資料4ということで用意して頂いている。
 それでは(新)助手の位置付けについて少しご議論を頂きたい。先程、これだとTA、RAとどう違うのか、もう少しその事務的な位置付けにしたほうが良いのではないかというご意見もあった。主たる職務として教育研究支援ということで考えているが、この資料4のような考え方で良いのかどうか。(新)助手という名称については、あくまでも仮にこう呼んでいるだけであるので、名称についてはまたご議論を頂く必要がある。まずは位置付けについてご意見を頂きたい。
 これも分野によって全く違うであろうと思うが、制度を作る時には全ての分野に適用可能なように作っておかなければならない。

委員  私達の大学における取り組み方としての発言であるが、先程お話があったように、医学部では教授、助教授、専任講師の定員枠というのは非常にタイトで絞られている。私共の大学の医学部の場合、教授が1割である。従って、圧倒的に助手の数が多い。その中で、なかなか講師或いは助教授等にプロモートすることができない状況がある。前にも発言したことがあるかと思うが、私共の大学では講師(専任扱い)という身分を設けている。その身分は助手ではなく講師として扱うが、定員の枠があるので正式の専任講師には任用できない。この改正案に類似した任用の仕方をした場合の「新職」に相当する人達というのは、実際には身分的には助手であるが、扱いが違っている。その違いというのは本人たちにとっては非常に大きな励みになっているのは事実である。
 したがって、自分達の経験に基づくと、助手だけでいるよりも、「新職」の意味付けが明確にされると、助手の人達の中における励みになる新しい職種になると思っている。

委員  医学部の場合では資料5の黄色の(新)助手というのは、現在は殆ど存在しないのか。

委員  実際に臨床分野で助手の資格を持っている人達が診療行為をかなりの時間行っている。そしてその現場において学生教育、或いは若手医師の研修医などの教育にも関わっている。実際にはかなりの部分が教育に関わらないと、我々の大学においても学生、或いは若手の医師の教育が上のほうだけでは十分出来ない。そういう意味で先程クリニカルクラークシップという言葉を言いたが、グループ体制で直接教育に携わる立場にある。また、この人達は同時に夜遅くには研究活動をかなりやっている。
 したがって、臨床だけではなく、現在の助手の人達は研究活動を実際にしているし、そこでそれなりの成果を挙げなければ上に上がっていけない。こういった人達が(新)助手ということになれば、単なる支援ということではなく、自立的な教育研究もやっている(新)助手という状況にあるかと思う。

委員  むしろ医学部の場合は、現在いる助手の方々は、これで言えば「新職」に相当しているのか。

委員  実際にはそういう立場だと思う。

委員  殆どがそうだと思う。年齢層も、一番年がいっている方で50歳近い人もいる。助手無くして医学部は成り立たない。

委員  実際に色々な活動をやっていくのに、教授、助教授、講師だけで出発するのはとても無理で、助手の人達のエネルギーがいかに活発であるかということが、かなりその教室自体の活動性、成果というものに繋がってくるというのが実情である。

委員  医学部では助手になるまでには、医学部を出て、研修医になり、更に大学院の4年を出て、研修や専門研修をして、その上にやっとというのが最短である。そうすると年齢的にもかなりいっている。そういう人たちの実際上の職務の場合は、今の助手、或いは(新)助手とされるものとは明らかに違う。
 ただ、ごく一部は昔、教務職員があってそれを格上げしたようなところが臨床でもで幾つかあった。この人達は医師免許を持っていないので、支援職でも構わないが、それはごく一部だと思う。

委員  医学部の場合は医師免許を持っているか、持っていないかで非常にはっきりと分かれるということか。医学部以外では(新)助手の位置付けをどのように考えれば良いのか。
 工学系はこの(新)助手に相当する人は、昔は結構いたのではないか。

委員  教務職員系の人がそれに当るであろう。しかし、これから助手になる人は学位持っていることが前提である。将来の発展性がを考えたときに、学位持たずに助手になるのは大変である。現在は実際上は殆ど「新職」のほうだと思う。

委員  お話を伺っていると、(新)助手であるが、資料5に書いてあるような主たる職務内容であること自体も場合によってはかなり決め難いのではないか。資料5では各大学が定められるということが書いてあるが、そういう面で見ると、「新職」の予備軍的な方達もかなり(新)助手で残るケースもあり得るのではないか。そういう形で、ある程度職務内容の範囲を幅広く受け止めるが、大学の考え方によっては大分今までとは変えることができるという理解でよいのか。その辺はどういう考えがベストなのか、議論を聞いていて分からない部分があった。

委員  おそらく、講師というのが「新職」、准教授、教授という、いわゆるリニアラインとは違う立場でその3つをカバーして、部門によってはその間に入ることもあり得るという職なのではないか。そういう考え方を(新)助手にも持てば、(新)助手も教員ラインの部分にも入るけれども、職員の部分にも入るという、教員系と職員系のところに絡むフレキシブルなポジションという位置付けになってこないと、現実には対応出来ないのではないか。そういう感覚を持って、ネーミングができればと思っている。

委員  「新職」というポストについては資料にあるような学校教育法上の新しい規定でポジティブに定義しているということ、必要に応じて教育研究を支援することができるという法令上の規定で、この部分をカバーすることはできないか。
 例えば今の医学部の問題は非常に大きな問題であるが、これは医学部に特定された問題性に思われる。したがって、経済学部、或いはその他の理学部や文学部というところでは、なかなか現実が異なる。必要に応じて医学部的な学校、或いは特に大学院でCOE的な方向を目指す特別な組織は必要かと思うが、それはその学校の中で制度設計ができるような書き方にするというのはいかがか。
 (要するに、(新)助手については法令上の規定を置かない、若しくは、もっと抽象的な職務規定にして各大学の自由度をあげてはどうかと考えるのだが、)(新)助手というのは、やはりポジティブにこうであるという支援することを含めて、どういう仕事であるのかを学校教育法にやはりきちんと書かないとまずいのか。

事務局  学校教育法であるから、そこはきちんと書くべきである。さらに、一番大きいのは、そういうことを書いておかないと、基本的に実際には誰が(新)助手を任命するのか、誰が人事権を持つのか、どちらのラインに入るのかということが問題となる。ある程度教育研究支援をするということは、明確に事務職員、事務をするのとは違ってくる。そうなれば、人事、その他についても別ラインだということで明確になる。あまりそこを不明確にしてしまうと、そもそも大学の中で一体この人達はどこから誰が採用して、どうしていくのかということが問題となるので、やはり学校教育法に職を置く以上はそこはある程度明確なイメージを持っていないと、それは無責任ということになってしまう。

委員  今の点について、例えば定款がある。新しい独立行政法人の定款のレベルで各大学、或いは設置者がそれを明確に書くという義務はあるとしても、その内容は書き方については法律のレベルで特化しないでいくという方向はないのか。

事務局  現在の大学には事務職員、技術職員、その他必要な職員の規定がある。したがって、職務内容を明確にしなければ、事務職員、技術職員、その他職員のどれかに当てはまるかくらいの話になってしまう。そうすると一番大きいのは、そもそも今まで、学校教育法には教育研究を補助することが必要であるということで意思表示をしていたのが、事務職員、技術職員、その他職員であるという中で、同様に職務内容を規定しない職を新たに置いたところで、教育研究を補助する職員が必要であるという意志を表すことができるのか、できないのかということになる。ここは、全く白紙で、全く何もないところから制度設計をするとすれば重要かと思うが、今ある学校教育法の立場を踏まえて、これから今の事務職員、技術職員、その他職員、それに加えて助手というものに対してどうこれから繋ぐのかということが非常に重要になってくると思う。

委員  今のご指摘はその通りだと思う。大学改革の方向から言えば、事務職員というのは教員とパートナーシップでやっていこうということに段々となってきている。そのパートナーシップとなる事務職員というのは、専門的な職能を持っていなければならない人が増えていくと思われる。
 したがって、技術職員とも一般の事務職員とも違う人達が少しずつ増えていかないと、大学の事務は効率化されないし、レベルも上がらない。そういう人達の中には、プレースメントオフィスやアドミッションオフィス、或いは学生相談室など、色々なところの人達がいる。その人達は事務職員ではない。しかし、直接教育に携わっているわけでも研究を行っているわけでもない。
 そういう人達の1つの職務としてのグループをどういう名前で呼ぶのかという問題を含めて助手問題を考えていってはどうかというのが私の考えである。
 また、私は教育学部にいたが、教育学部としては助手はどういう身分であったかというのを、他とは違うので少し話をしたい。私のところは講座制をとったので、教授、助教授、助手という組織であった。その助手は実に種種雑多なことをやっていた。勿論、研究者として能力の高い人を採るわけだが、学科、研究室の講座研究室の事務を一切彼らがやっていた。学生の指導もやる、学会の事務もするという大変気の毒な仕事であった。しかし、気の毒だけれども、それは研究者としての将来の1つのキャリアパスになっていたので、やっていたわけである。
 しかし、ある時期から学振の特別研究員制度ができた。これができたことが非常に大きなショックであった。なぜならば、ポストドクターとしてお金をもらえるようになれば数十万円のお金、月額にすれば助手よりも高い給与をもらって、一切事務的な仕事をしないで、自分の研究に専念できるというポストができたわけである。これは非常に大きなショックで、助手の地位が途端に下落した。助手は朝から晩まで毎日来て、先生のご意向を伺ったり、学生の相談をしたり、ともかく忙しい。片方には何にもしないで、均せば毎月助手よりも高い給料を貰っているという。こういう複雑な関係になった。今でもその状態は変わっていない。今の助手が辞めれば、次の助手の成り手があるかどうか。私のいた大学の学部での問題である。
 しかも、大講座化が進んで、その時に助手のポストを放出したので、それまでは1講座につき1人助手がいたが、今は3講座に1人になっており、仕事の分量は非常に増えている。こういう助手が教育研究の支援職かどうかさえ少し怪しくなってきており、気の毒だと思う。何とかしなければいけないのではないかという思いが私にはある。なるべく助手という名称を消して、違う新しい職名を作ったほうが良いのではないかと思う。

委員  つまり助手という名称は使われないけれども、現在の教育学部の助手がやっているようなその仕事を担うような職種が必要だということか。

委員  そうではなく、雑用部分を分けたほうが良いということ。それでなければ、優秀な研究者が助手をポストに選ぶというのは今は難しい。

事務局  1つは、本当に各大学・学部のそれぞれの運営の仕方によって非常に様々な状況で、また、かなり重要かつ深刻な問題を抱えているので、それを無視することはできないと考えている。職務内容については、法律上、しかも諸外国とも関係があり、大学という国際的な社会制度の中で、一定のリーズナブルな階層の職を定めて制度としていくことはどうしても必要であると我々は理解している。その際に、学校教育法上の例えば助手、或いは事務職員に加えて、その大学独自の新たな職を学内でどう当てるのかという話と、もう1つはその中で例えば専門的なグループを更に大学の中でどのように組織していくのか、或いは集合させていくのかという話がある。これもある種二重に、制度的に一般論として立てておく基本と、それを基にどのように専門職グループを組織するのかということがあると思われる。
 例えば、(新)助手の主たる業務として、助手のようなグループで主任助手や助手長のようなものも考えられると事務的には提案をしたが、それ以外にも今のような議論から言うと、例えば留学生の支援センターやそういうところにいる専門的なものを持っている方達と、教室で色々と実験等をされる専門的な、しかし、将来研究者になられるわけではないという方達が想定される。こういった方達をまとめるとすると、それを学校教育法上で言えば、この人は技術職員に当たり、この人は事務職員に当たるけれども、この人は助手に当たるといったことを、そしてそれらをまとめたグループとしてこのように処遇するといった工夫も合わせて考慮して書かなければ、今のような問題がが解決しないのではないかと事務的には思っている。
 こういったことをを参考にしつつ、今回のご意見を反映できるかどうか工夫してみたいと思う。

委員  それでは是非、出来れば次回、何かそういった形で事務局で用意して頂ければ有難いと思います。それでは大体時間も近づいて参りましたので、今日の審議はこの辺りまでということにしたいと思います。最初に申し上げましたように、事務局には、今日、色々と頂いたご意見などを基にして、座長と相談をして頂いて、次回、当委員会の審議の途中経過として具体的に公表する為の原案のようなものを用意して頂ければ有難いと思います。次回は、ご用意頂いたものを基に御審議いただき、取りまとめてまいりたいと思います。宜しくお願いします。

  次回の日程
   次回は、11月中旬に開催する方向で日程調整を行うこととなった。


(高等教育局大学振興課)

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