制度部会(第22回) 配付資料

1.日時

平成18年11月17日(金曜日) 14時~16時

2.場所

三田共用会議所(4階) 第4特別会議室

3.議題

  1. 教員の養成とファカルティ・ディベロップメント等について
    【意見発表】 潮木 守一氏(桜美林大学大学院国際学研究科教授)、加藤かおり氏(新潟大学大学教育開発研究センター助教授)
    【自由討議】
  2. その他

4.配付資料

机上資料

  • 制度部会関係基礎資料集
  • 高等教育関係基礎資料集
  • 大学設置審査要覧(平成18年改訂)

5.出席者

委員

 安西 祐一郎(部会長),郷 通子(副部会長)の各委員

臨時委員

 天野 郁夫,荻上 紘一,黒田 壽二,佐々木 正峰,佐藤 弘毅,長田 豊臣,矢崎 義雄の各臨時委員

専門委員

 雀部 博之,舘 昭,光田 好孝,吉田 文,米山 宏の各専門委員

文部科学省

 村田高等教育局担当審議官,安藤私学部参事官,伊藤大学改革推進室長 他

6.議事

 (□:意見発表者,○:委員,●:事務局)

 (1)事務局から,「教員の養成とファカルティ・ディベロップメント等」について説明があった後,有識者から意見発表があり,その後,質疑応答が行われた。意見発表及び質疑応答の内容は以下のとおりである。

【潮木 守一氏(桜美林大学大学院国際学研究科教授)の意見発表:「大学教員の教育力の向上」】

 まず,大学での単位認定の現状について説明したい。現行の大学設置基準では,卒業要件が124単位以上となっているが,個々の教員の単位認定の方法には問題がある。単位認定のために,通常,学期末試験を行うが,到底合格水準に達しないような答案でも単位を認定せざるを得ない。それはなぜか。単位を認定しなければ,次学期も単位取得のために学生が当該科目を履修するため,教室がますます混雑する。このような学生の中には,学習意欲の乏しい学生もおり,私語等により,授業に集中できない環境になる。学生の中には,強い学習意欲を持って入学してくる者もいるが,このような状況を見て,次第に学習意欲が薄れていく。
 このような現状を説明すると,なぜ普段から学生の学習成果をチェックしないのか,出席をとらないのかという疑問が生じる。教員の中には,毎回出席をとる者もいる。しかし,そうすると,学生は出席のためだけに教室に顔を出し,私語が横行するという状況になる。教員も様々な戦略を練るがなかなかうまくいかない。また,教員によっては小テストをこまめに実施する者もいる。しかし,これも,2,3名の教員が行うだけでは効果がない。小テストは成績管理が煩雑で,教員にとって負担が大きい。そして,単位認定を厳しく行うことで,学生からの授業評価が悪くなるといった経験を重ねていくうちに,自分だけ単位認定を厳しく行うことにどれほどの意味があるのかと疑問を抱くようになる。
 平成10年(1998年)の「21世紀の大学像と今後の改革方策について(答申)」では,単位認定や厳格な成績評価について提言されているが,この提言の効果については検証する必要があるのではないか。答申により,幾つかの大学では,教員に対し「単位認定を厳しくするように」という要請が出たと聞くが,教員の立場からすると,単位認定を厳しくすることはいくらでも可能だが,先ほど述べたように次学期以降の授業への影響を考え,厳格化できないでいるだけである。さらに,卒業時の単位認定についても同様に厳格化できずにいる。
 教員の側も「自分は成績評価が厳しい」という風評を意図的に流すことで,成績評価が甘いと言われる教員の授業へ学生を誘導するという作戦をとる者もいる。このように,個々の教員が対応している状況では,最終的な解決策にならない。
 これを大学全体の立場から見ると,別の問題が生じる。「あの大学は単位認定が厳しい」「なかなか卒業できない」という評判が流れると,受験生が集まらなくなり,大学経営が立ちゆかなることもあり得る。そこで,「自分たちだけが単位認定を厳しくしても仕方がない」として単位認定を甘くすると,最終的には,大学に対する社会の信頼性が損なわれていく結果になる。既に,個々の教員が単位認定,卒業認定を行うのは限界に達している。それで,大学に対する社会の信頼を取り戻すための方策を提案したい。それは,1.各科目ごとに第三者機関による学力評価を実施,2.各科目ごとに共通教科書を編集,3.共通試験による評価である。
 例えば,経済学の学部段階で最低限修得しなければならない事項を学生に提示する。学協会が中心となり,学部段階で最低限教えるべき内容を定義する必要があると考える。定義することにより,学生に対して具体的なゴールを提示することになる。また,保護者に対しては,授業料を納めた代わりにこれだけのことは教えるという一種の契約書となる。そして,社会に対しては,「この科目を履修した学生は,最低限これだけの内容は理解している」という説明にもなる。現在,企業では採用の際,大学生の間に何をどの程度学んだかを評価する仕組みを持っていない。しかし,第三者機関による学力判定の仕組みができれば,採用者側もそれに従った採用が可能になるのではないか。
 こうなると,教員も変わらざるを得ない。教員は,共通試験のための準備教育のコーチ役になる。これまでは,自らが教える内容を決め,自らの基準で単位認定を行っていたが,第三者機関が評価することで,学生が理解するまで教える必要が出てくる。また,共通試験の合格率によって教員が評価されることにもなる。これは現行の評価よりも,より合理性が高い教員評価になるのではないか。
 では,共通試験で何点以上の成績であれば単位を認定するのか。これは,大学経営上の問題ではないか。つまり,共通試験で80パーセント以上の成績でなければ単位を認定しないという大学があっても良いし,20パーセントの成績でも単位を認定するという大学があっても良いのではないか。例えば「80パーセント以上」と設定した場合は,単位未修者が多く生じることが予想される。そうなると,教員を増員し,施設を拡充する必要がある。結果的には,このような大学は「卒業しにくいが,卒業生の質は高い」という評価ができるのではないか。最終的には,大学の経営陣がどのように基準を設定するのかという問題である。
 標準教科書の作成に当たっては,出版社とも連携し,改良を重ねる必要がある。一方で,教員の中には,自分の講義は規格化できないと主張する者もいるだろう。そのような教員は,シラバスにその旨を明記した上で授業を行えば良いのではないか。標準教科書の導入によって,このような教員の居場所がなくなるような事態は避けるべきである。また,これは全国一斉に導入するのは困難であり,可能な分野,大学,あるいは希望する大学から導入することが重要である。
 最後に,大学設置基準上,1クラスの受講生の上限を設定していただきたい。平成3年(1991年)以前の大学設置基準には数量基準が存在したが,同年の大学審議会答申「大学教育の改善について」により,各大学の自主性に任せるという方針の下,数値基準が撤廃されてしまった。現在のような状況の中で,大学設置基準上の数値基準の是非について,議論していただきたい。

【潮木 守一氏の意見発表に対する質疑応答】

○ 単位認定が厳しい,進級が容易でない,簡単に卒業できない大学では,受験生が減少して,経営面に影響するため「教育的配慮」が横行するとの説明があった。一方,共通試験を導入し,合格基準をどこに設定するかは大学の判断であるという説明もあった。この両者の関係はどうなのか。

□ 現在,4年制大学は700校余りあり,千差万別である。そこで,共通試験の成績が80パーセント以上でなければ単位を認定しない,卒業資格も出さない大学があっても良いし,一方で,20パーセントでも卒業させる大学があっても良いのではないか。これは,市場が評価することである。各大学が主体的に基準を設定し,長期的な大学の在り方を検討すべき問題ではないか。

【加藤かおり氏(新潟大学大学教育開発研究センター助教授)の意見発表:「英国における大学教員の教育力向上策」】

 現在,大学教育開発研究センターに所属しており,実際にFDや新任教員研修等を担当している立場から,業務の参考にするため,イギリスについての調査を行っている。
 イギリスにおける大学教員の専門性(Academic Practice)には,1.学習教授活動(Learning&Teaching:L&T),2.研究活動(Research),3.大学管理・運営(Administration)の3つがあり,このうち,1,2の双方に従事する者をアカデミック・スタッフと言う。イギリスにおけるアカデミック・スタッフ開発は,大学の教育目標や教育戦略を実現する方策と位置づけられている。イギリスでは,FDという言い方をせず,スタッフ・ディベロップメント(SD)として包括的に実施されていると報告されてきたが,学習教授開発は特化したものとして位置づけられている。それと同時に,キャリア開発として,ITスキル,コミュニケーション力,マネジメントスキルの向上等が行われており,前者は,教育開発センターやSDセンター(ユニット)が,後者は人事関係部門やその系列のSDセンターが担当している。
 近年,イギリスでL&Tの取組が活発に行われている背景には,知識社会やグローバル化する高等教育におけるイギリス高等教育のリーダーシップの開発がある。このリーダーシップについては,ブレア首相が,高等教育を国際戦略として位置づけ,全面的に支援していることもあり,開発が進んでいる。また,学習中心の教育への徹底的な転換もある。学習社会,知識社会で生き抜く人材育成としての大学教育への転換がOECDやUNESCO等の国際機関を中心に急速に進められている。知識社会における学習とは,1.学習者が学習目標を実現するプロセス,2.新しい意味作り(知識創造,知識生産),3.学習を行う能力(コンピテンシー)を基礎とすることである。日本の高等教育では,「学習」自体の理解があまり深まっていないのではないか。平成9年(1997年)のデアリング報告書等では,キーコンピテンシーとして,コミュニケーション能力,数学的思考力,情報テクノロジーの利用,如何に学ぶかの学習力等が挙げられている。そして,これを実際に学士課程プログラムの中に位置づけるということも行われている。
 イギリスにおける大学教育の主な方向性としては,1.「学習を可能にする」教育への転換,2.目標達成型の教育プログラム化へが挙げられる。1については,具体的には構成主義に基づく学習観,学習支援へという方向である。構成主義とは,「知識は個々の価値観や目的に応じて再構成されるものであり,真の理解や知の獲得はこの再構成のプロセスで培われる」という考え方である。こうした構成主義の考え方は,北欧等で広く用いられている。ここでは,「何を教えるか」ではなく「学生自身の学びを如何に深めるか」が重要な課題となる。2について,ここで言う「目標」とは,学生自身が達成したい目標,達成を期待されるラーニング・アウトカムズを意味している。これら2つの方向性への転換と,さらなる教育開発の戦略としてL&Tの開発が続けられている。L&Tの構造については,大元にはイギリスの高等教育戦略があり,それと同時に,大学ごとの教育目標の実現戦略として,L&Tが位置づけられている。そして,その一番の核になる部分に,PGCHE(Postgraduate Certificate in Higher Education)といういわば大学教員の養成課程がある。それをコアとして,個々のワークショップ・セミナー,学科などのユニット単位での課題解決プロジェクト,学内における学習コミュニティの形成等がある。学習コミュニティの形成は,特に知識社会において重要だと認識されている。そして,このような大学ごとのL&T開発の取組を支援する第三者機関として高等教育アカデミー(HEA:Higher Edcation Academy)がある。
 L&T開発の展開については,HEAの一員であるポール・ラムズデンによれば,まず,前提となる教育能力(Performance)の段階がある。次に研究成果による啓発的な教育(Research-led Teaching)の段階がある。これは,教員が自分自身の研究の成果や熱意によって,学生たちに学問的な興味を引きつけていくという教育の在り方である。 そして,学生中心の教育(Student-centred Teaching)の段階,学問研究としての教育(Scholarship in Teaching)の段階,教育におけるリーダーシップ(Leadership in Teaching)の段階へと進む。最終段階は,大学の教育の在り方について,指導的に普及活動を行う段階である。
 L&TのコアとしてのPGCHEとは,大学教員の教育能力証明を取得する大学院の修士課程レベルの課程である。ここで期待される大学教員像とは,自らの専門分野の専門家であると同時に,高等教育に関する学問的かつ実践的な専門家である。主として,L&Tの基本を学習するとともに,理論的根拠をもって教育活動を計画実施し,その成果についての明確な証拠の提示等,省察的な考察を行うことを身につける。そして,こうした研究プロジェクトの一端としてのL&Tをもって,高等教育の独自性を示そうとするものである。また,PGCHEは新任教員を中心に,ピアサポートやピアコミュニティー形成の機会でもある。
 PGCHEは具体的にどのような構造を持っているのか。PGCHEは一般的な名称であり,大学により,タイトル,資格の取扱,モジュールの単位や構成等の設計は多様である。修士レベルのパートタイム制をとっており,主として学内の新任,仮採用者を対象とし,学内者は無料で受講できる。主な課程モデルとしては,1モジュールが10~20の単位となっており,全体として4モジュール程度を積み上げて取得する。そして,前半後半を合わせた合計60単位を2,3年程度で修了し,この前半30単位の取得を正規採用の条件とする大学が多い。前半の取得でHEAの準会員資格の申請ができ,全課程を取得することで,正規会員の資格申請が可能となっている。インペリアルカレッジロンドンの例では,モジュール1,2は,オリエンテーション及びコアワークショップへの参加となっている。そして,このワークショップ自体が,構成主義や学習サイクル理論等に基づいて構成されている。さらに,モジュール3,4は,個人もしくはグループの授業研究プロジェクトの計画,実行である。その際,授業観察とピアレビューを実施する。最終的には,ポートフォリオを作成し評価を受ける。評価は,合格または不合格で判定される。担当部局は,教育開発センターであるが,大学によっては,SDセンターや教育専攻コースが担当していたりする。
 PGCHEの設計基準には,1.教授及び学習支援のための国家専門性基準枠組み,2.高等教育学歴証明枠組み(Mレベル),3.各大学における教育理念,目標,戦略の3つがある。1については,今年,HEAによって作られたものであり,2については,QAAが平成13年(2001年)に設定した。これらを指標にQAAが適用しているプログラム詳述書作成ガイドラインを参考にプログラム化を行っているが,ベンチマークはまだ存在していない。1の基準枠組みには,専門性内容として,16つの活動領域,26つのコア知識及び理解,35つの価値観がある。具体的なコンテンツとして何を盛り込むか,どこを強調するかについては,大学の自由になっている。また,スタッフのレベルについては,1.TAなどの教育未経験者,2.実質的学習支援スタッフ,3.同僚へのT&Lに指導的な経験のあるスタッフの3つに分けられており,それぞれに必要な能力範囲を規定している。
 基準枠組み作成までのプロセスにも注目すべき点がある。PGCHEは全く白紙の状態から作られたわけではなく,1950年代からの大学教授法に関する理論研究や,特に1980年代の学習中心,理解を深める学習理論の蓄積が背景になっている。このころから,T&L開発が進み,大学の中には新任教員に対する研修を独自に行っているところもあった。そして,平成9年(1997年)のデアリング報告書において,教育スタッフの研修プログラムの開発及びILTHC(現在のHEA)による認定の検討,新任教員のILTHC準会員資格取得の勧告により,研修プログラムが全国的に拡大した。さらに,平成15年(2003年)の高等教育白書において,高等教育の専門性基準枠組み作成が提言され,これに基づき,平成18年(2006年)以降,新任教員がこの枠組みに基づくサーティフィケートを取得することが提言された。この提言を受けて,平成16年(2004年)には,UKK(Universities UK),SCOP(the Standing Conference of Principals),HEFCE(Higher EducationFunding Council for England)等の要請を受け,HEA中心に枠組み作成を開始した。まず,HEAが提案書を作成し,それに関する第一次協議として,各大学のプログラム開発担当者,教育担当副学長等の関係者へのセミナーを行い,枠組みが実際に適用可能かについて繰り返し協議を行ってきた。それを経て,平成17年(2005年)10月に最終協議を行い,本年2月に完成,公表された。
 以上がイギリスでの取組状況であるが,対する日本のFDの現状については,1.知識社会における高等教育の学習の在り方についてビジョンがない,2.目指す教員像,求められる能力基準が存在しない,3.FDの基準や目標が明確ではないため,有効なプログラムの開発が困難という状況である。また,実際,イギリスやアメリカをモデルに独自にプログラムを開発している機関もあるが,「方法」の導入にとどまり,理論的な根拠が不明確な場合が多い。
 また,FDを担当しているセンター等の現状については,1.FD以外にも学部内で解決不可能な課題の処理を担当しており,教育開発が二の次になりやすい,2.プログラム開発担当スタッフが足りない上,FDプログラム開発や高等教育の学習理論の専門家が殆ど養成されていない,3.執行部等とFDの重要性についての認識の差があり,ともすると学内で孤立しがちである,4.全ての機関でFD専任の担当者を配置できるわけではないという状況である。一方,FD実践の現場では,1学部・学科等のFDでは,高等教育の専門家として,理論的裏付けやアドバイスを求められる,2「大学教員として,何をもとめられているのか」と質問されることが少なくない,3新任研修参加者から,研修内容は全ての教員に必要な内容であると言われる,4学習理論や方法論の適用を可能にする学習プログラムが求められる等の問題があり,FDプログラムもまた学習プログラムの一環であることを痛感させられる。
 最後に,1.プログラム開発のための基準枠組みの作成,2.知識社会における「学習」への転換の推進,3.超機関的な高等教育開発支援体制の構築の3つを提案したい。1については,作成プロセスにおいて,同時に全国的な教育開発担当者の育成,開発を行い,また,地域ネットワーク的な相互協力のための仕組みも構築すべきである。2については,1と同時進行で行う必要がある。3については,HEAのような第三者機関の設立が理想であるが,現在あるセンター協議会や大学教育学会等を基盤に超機関的に構成しつつ,FD推進に必要最小限の枠組みから始めることが考えられる。

【加藤かおり氏の意見発表に対する質疑応答】

○ 構成主義とはどのようなものか。具体的内容について説明いただきたい。

□ 構成主義を一言で説明するのは難しいが,基本的には,学習者が自分自身の目標を設定し,それを達成できるような能力をつけることが教育の中心にある。これまでの「教える」ことが中心の考え方では,教科書の内容は個々の知識とは関係なく,教員がそれを学生に伝達することが中心である。一方,構成主義では,学生自身が既に持っている経験や価値観をもとに,例えば「構成主義とは何か」というテーマに対して,学生が知識を出し合い,それに対して教員が補完し,授業の中で意味づくりを行う。教員が設定した教育目標を達成するというよりは,学習者自身が,自らの目標が何かを認識することが重要視されるとともに,目標を達成するためにはどうすれば良いかについて,計画を立て,実践し,結果を考察し,新たな課題を発見するというサイクルが重視される。したがって,教員は,インストラクターというよりもファシリテーターやコーチに近いと言われている。

○ モジュールにおける講義のコンテンツはどのようなものか。

□ インペリアルカレッジロンドンの例では,モジュールは,いくつかのワークショップの固まりである。その中からいくつかを選択して受講する。それが1つの単位になる。各モジュールの受講の方法には順序はなく,全体でモジュールが4つ積み重なれば良い構造になっている。

○ モジュールの内容は何か。

□ 内容は,例えばコアワークショップと呼ばれるものがある。これは,例えば目標達成型の教育計画の方法等について,若干の講義の後,受講者の間で議論し,意味づくりを行う。

○ 例えば,高等教育の現状というテーマのワークショップであれば,最初にイギリスにおける高等教育の現状という講義があるのか。

□ オリエンテーションの段階で1時間程度の講義が行われる場合もある。

○ では,メインの講義のテーマは何か。

□ 例えば目標達成型の教育計画である。

○ 教育計画の立て方を講義するのか。

□ 講義もあるが,殆どが受講者による議論や作業が中心である。

○ 講義のテーマは何か。

□ 例えばアウトカムズ等である。

○ アウトカムズとは何かについての講義を行うのか。

□ アウトカムズとオブジェクティブズの違いや教育と学習の違いについて講義があるが,時間的にはわずかである。私が参加したコアワークショップでは,1つのプログラムが1日8時間2日間で構成されていた。その間の殆どが受講生による議論,実践,発表の繰り返しであった。

○ 受講生自身が議論することで,実際に学生の知識が構成されていくプロセスを実感するということだが,これは重要なことである。

○ 受講生は大学教員もしくは採用前の者か。専攻分野も様々な者が一同にワークショップに参加するのか。

□ そのとおり。受講する教員の専攻分野は様々である。また,ワークショップは約20名で行われる。

○ 1.PGCHEのプログラムはどのくらいの大学に置かれているのか,2.プログラムに携わっている者はどのようなバックグラウンドを持つ者か,3.新任教員にはプログラムの受講を義務づけているのか,4.教員は,採用後の一定期間に受講しなければ正規採用とはならないのか,この4点について確認したい。

□ プログラムはHEAの認定を受けることになっているが,現在認定されているプログラムは100程度ある。スタッフのバックグラウンドは,様々である。心理学や学習理論の専門家もいれば,全く異なる分野が専門の者でも経験を積んで教育ディベロッパーのスタッフとして活躍している場合もある。プログラム受講については法的な義務はない。しかし,殆どの大学では,新任採用の教員もしくは仮採用中の教員に対して受講を義務づけており,実質的には義務化されている。

○ 義務づけについては,国が義務づけているわけではなく,各大学が正式採用の前の受講を義務づけているということか。

□ そのとおりである。

○ 先ほど,プログラムの数が約100あるということだったが,イギリスの大学全体の中で,どのくらいの割合になるのか。また,プログラムを開設している大学のレベルはどのようなものか。殆どの大学にこのようなプログラムがある状況なのか,特定の大学のみがプログラムを有し,他大学の教員もそこに受講しに行くような状況なのか。

□ いわゆる上位校と言われている大学の殆どはプログラムを有している。しかし,大学によってサーティフィケートとして取り扱っているところもあれば,ディプロマとして取り扱っているところもある。教員に対して受講を義務づけている大学では,殆どがプログラムを有している。

【本日の意見発表に対する全般的な質疑応答】

○ イギリスの大学は約90校である一方,プログラムが100あるということは,いくつかの大学が複数のプログラムを有しているということか。また,プログラムには法的な義務づけがないにもかかわらず,大学がプログラムを導入している背景には,どのようなインセンティブがあったのか。

□ 例えば,インペリアルカレッジロンドンのセンターは,HEFCEからのインセンティブで作られたものである。また,プログラムに法的な義務づけがないとはいえ,デアリング報告やその後の高等教育白書において,これらが国策として位置付けられ,実現に向けた行動計画が定められているため,ある程度,国からの補助と同時にプレッシャーもあるとのことである。

○ HEFCEがセンター設置のためのインセンティブを与えるのは理解できるが,大学が教員の採用に当たりプログラムの受講を義務付けるのは,これとは別の事象だと考えるがどうか。

○ イギリスでは,以前からベテラン教員が新任教員の授業を参観するということをやっていたようである。このように,以前から大学の中にこのようなことを行う要素があったのではないか。

□ センターの教員はこれを追い風にプログラムを開発していった背景がある。

○ イギリスは学位の同等性を維持するために力を入れている。もともとアウトカムが話題になったのは,卒業試験を複数の大学が合同で行い,そこで優等学位,普通学位を授与しているため,その同質性を確保することがねらいであった。また,ポリテクが大学に昇格する際に教員が大量に必要になり,そのとき以来,新任教員の研修を始めたという経緯がある。アウトカムにおいて,学位がどの大学でも同等であることを維持するためにインセンティブが働いているという側面があるのではないか。

○ 知識基盤社会と言いながら,学習については,これまでなかなか取り上げられてこなかったのではないか。

○ 知識基盤社会における高等教育については,強い問題意識を持っている。アウトカムが論じられるようになった背景は何か。高等教育の大衆化か,それとも伝統的なイギリス高等教育の内容を抜本的に変えようとしているのか。

□ 自ら学習目標を設定し,学習を計画,実行することができない学生が増えたことが背景にあると考えられる。それに対して,アウトカムズを明確にし,学生たちに何をどうすればよいかのプロセスを伝えることが重要になっている。また,知識基盤社会への転換も大きく影響している。このような社会では,高等教育こそがリーダーシップをとれるということをワークショップの中でも強調していた。

○ 単位認定の基準設定に当たり教育内容の標準化が必要であるという考えには同感である。例えば,アメリカでは,学会と出版社が一体となっているのか。経済学では標準的な教科書が存在し,様々な大学で使用されているが,出版社と研究者が共同で標準教科書を作成していくべきなのか。

□ そのとおりである。全ての分野で一斉に行うのは困難であるが,可能な分野はある。現に経済学の分野では,資格認定機構もできている。いずれはそれが単位認定,卒業認定の判定材料の一つとなるのではないか。

○ 共通試験については,実施時期はいつを考えているのか。また,共通試験実施によって発生するコスト負担の問題や実施組織についてはどのように考えているか。

□ 組織については様々な形態が考えられる。経済学の場合は,NPO法人が実施組織となり,料金を徴収し実施している。共通試験を単位認定や進級判定に利用する大学もあれば,大学院入試の一部として利用している大学もある。
共通試験の実施時期,方法については,さらに議論が必要ではないか。

○ 日本のFD関係施設の現状はたしかに貧弱である。欧米では1980年代に既にFDスタッフがおり,センターも設立されていた。日本の場合,センターが作られてはいるが,国立大学の教養部を解体した際,教養教育の実施組織として作ったという経緯があり,カリキュラム調整等が主な役割となっており,教授法の開発は期待されてこなかった。
最近では,京都大学に教授法開発のセンターが設置され,日本の状況も徐々に変化しつつあるが,どのようにすれば欧米レベルに追いつくことができるのか。現状では,人員も予算も極めて少ない状況である。

□ 我が国でもっとも問題と考えられるのは,学習に対する意識が転換されていないということであり,この状況は深刻である。高等教育に限らず初等中等教育を始め,日本の教育で遅れているのが「学習への転換」「学習者中心の学習」である。また,それに必要な構成主義的な考え方も普及していない。私が所属する大学では,大学教育開発研究センターにおいてFDの開発研究を中心に行える状況にあるが,センターがある大学であっても,FDが片手間であったり,センター内での学習についての理解が進んでいない場合も見受けられる。
よって,まず基準枠組みを作成することが必要である。それにより,すでに行われているプログラムの内容も,基準枠組みに従って変えていくことができる。基準枠組み作成の段階で,学習とは何か,それに必要な教育方法とは何かを,センター教員が学び合いながら共に基準枠組みを作成していくことが必要である。また,同時に,分野別のベンチマークや学位プログラムとしての基準枠組み作成が必要ではないか。

○ センター協議会や大学教育学会が,基準枠組みについて提言を行うのか。それとも,中央教育審議会として検討して行くべきなのか。

□ 学会等でこのような話をすると,基準枠組みを策定することがコンテンツを規定するという誤解があるため,「大学の学習指導要領をつくるのか」という回答が返ってくる。現状では,学会内で共通理解を深めることは困難であり,行政としての提言が必要であると考える。

○ 共通試験については,文系と理系でも状況が異なる。また,医学教育では,最低限の知識・技能を修得させる観点から,在学中に共通試験を実施している。費用については,各大学で負担すると共に,一部は学生にも負担させている。
学習への転換は日本の教育の欠けている部分である。欧米では,構成主義的な自己解決型教育を初等中等教育段階から取り入れているのではないか。我が国でも教育意識を普遍的に持つには,早い段階から導入,実施することが重要ではないか。

□ 確かに分野によって状況は様々である。中でも,工学,医学,法学の分野は先進的な取組を行っている。教育内容の共通化,標準化は今後も進める必要があり,世界的にもその方向に動いている。今後は,評価の段階で学生の学習到達度が問われるようになるのではないか。
現在日本には4年制大学が700余りあるが,形態は多様である。博士課程まで持ち,大学教員を養成する大学とそうではない大学との間では,大きな差がある。また,教員市場の動向により,短期間で研究成果を挙げることが要求されているため,研究テーマが細分化している。しかし,実際就職する大学はこれまで体験してきた環境と全く異なる場合があり,教員と学生との間の摩擦が起きている。大学教員は,専門家であると同時に教育者であるから,幅がなければならない。そのためにも,大学院在学中に教員としてのインターンシップを行うべきである。そうすることで教員同士が様々なストラテジーを共有する必要があるのではないか。

○ マスプロ教育がもたらすデメリットについて意見発表があり,大学設置基準上に受講生の上限設定や数値基準の設定について提言しているが,この数値基準とは受講生の上限設定に限ったものか,もしくは,学部教育の充実,質の向上のためにその他の数値基準も設定すべきということか。

□ 念頭に置いているのは,受講生の上限設定に関する数値基準のみである。大学を取り巻く状況は大きく変化しており,その変化に見合った形で大学設置基準も見直す必要があるのではないか。

○ 私が所属する大学では,教員の賞与を削減し,それをもとに優秀な教員の給与を上増しするような仕組みを作ったが,教員の間には,未だにこの仕組みには抵抗がある。限られた資源を有効に配分する趣旨であるが,実施はなかなか困難である。

□ 私も同様のことを学内で提言しているが,導入はなかなか困難である。日本の大学教員は非常に横並び意識が強い。諸外国では業績に応じて教員の給与に差が生じるのは当然のことと考えられている。

(2)事務局から,教育再生会議の動向について,説明があった。

7.次回の日程

 次回は,12月14日(木曜日)16時~18時に開催することとなった。

お問合せ先

高等教育局高等教育企画課高等教育政策室

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(高等教育局高等教育企画課高等教育政策室)

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