制度部会(第2回) 配付資料

1.日時

平成13年9月6日(木曜日) 10時30分~13時

2.場所

文部科学省別館 第5,6会議室

3.議題

  1. パートタイム学生の受入れや社会人の学習の場としての大学・短期大学に求められる機能や役割についての有識者ヒアリング
  2. ヒアリング内容に関する質疑応答
  3. その他

4.配付資料

5.出席者

委員

 岸本忠三(部会長),高倉翔(副部会長)の各委員
(臨時委員)
 天野郁夫,黒田壽二,島田燁子,関根秀和,野中ともよ,濵田道代の各臨時委員
(専門委員)
 生越久靖,清成忠男,倉内史郎,武田結幸,舘昭,長田豊臣,森脇道子,山内昭人,四ツ柳隆夫の各専門委員

文部科学省

 結城官房長,田中総括審議官,林官房審議官,工藤高等教育局長,清水高等教育局審議官,板東高等教育企画課長 他

6.議事

 3人の委員より各々報告があり、意見交換が行われた。
 (○:委員,□:説明者,●:事務局)

長田委員(立命館総長・大学長)の報告

報告事項:「社会人の学習の場としての大学に求められる機能や役割について-パートタイム学生、社会人学生の受け入れと大学の役割について-」

 大学側の扱いとして社会人学生はこれまで主流ではなく、教育の機会均等などの観点からの受入れが一般的だった。しかし、少子化によって、この問題が焦点となってきており、アメリカが80年代の危機を留学生や社会人を大学教育に組み込むことにより乗り切ろうとしたこともあって関心が高まっている。しかし、我々はもっと積極的にこの問題を捉えるべきであり、質の高い教育とは何かについて考え直す必要がある。
 従来は、学問的業績のある教員と偏差値の高い学生の存在が、質の高い教育であった。この考えの背景には、日本の大学の成立の歴史があると思う。明治以降、欧米の水準を様々な意味でキャッチアップするために作られたのが日本の大学で、いわゆる効率中心主義だった。そこでは、知識吸収力・理解力・暗記力に優れた均質な学生が要求され、個性的で創造性のある学生はやっかいな存在であった。しかし、20世紀の後半-特に昭和30年代から状況が劇的に変化し、日本の独自性-個性や創造性などの能力-が要求され始めた。均質な学生を中心とした我が国の大学教育は、この100年間で欧米にキャッチアップしたという成功の事実はあるが、明らかに限界が見え始めている。それがおそらく現在言われている大学の危機の本質であると思う。少子化により潜在していた問題が顕在化したことは事実としても、それ以前から問題自体は存在していた。
 教員の側としては均質な学生だけに教育することは労力的にも質の維持の観点からも安心だが、社会や人々の関心が複雑になり、価値観が多様化してきた現在では、多様性を持つことが重要だろう。質の高い教育について再度考え直す必要がある。その前提として、明確なモチベーションを持った学生の存在がある。そのような学生が各々のモチベーションを一定期間中に完結することを保証する大学が質の高い大学であろう。学生も早成型・晩成型等様々であるため、出発点を同一点でそろえる必要はなく、大学教育に耐えうる知能指数を前提として、各々の水準からの出発を許容するシステムが必要ではないか。我々はこれまで知的能力と学習到達度を混乱させてきた。一定期間内に知識を詰め込んだ学生が優秀だと考えてきたが、知識量以上にその使い方・応用力が重要になってきている。そう考えると、重要なのはモチベーションと意欲を持った学生であり、社会人やパートタイム学生は大学教育の質の向上と多様性を保証する意味で決定的に重要である。大学は様々なモチベーションを持った学生が混在する知的アリーナであるべきだと思う。パートタイム学生や社会人学生の受入れは、単なる定員確保や教育の機会均等などの綺麗事ではなく、もっと大学教育の本質に迫る積極的意味があると考える。
 立命館大学では、最近10万人入試を行っているが、社会人を受け入れることを定員確保策とは考えていない。むしろ大学の知的活性化・多様化の保証と捉えている。私立大学が国公立に対抗するには多様化が不可欠であり、我々は社会人の受入れに熱意を入れている。
 従来から二部(夜間部)を設けていたが、勤労学生がほとんどいなくなったため、2001年から昼夜開講制に踏み切った。学則定員26,385名のうち、1280名が社会人である。96年から社会人を昼間主に受け入れている。23歳以上を社会人と考えており、試験の仕方は社会人自己推薦で、志望動機を中心をした小論文と面接、英語か国語の一教科を課している。企業・団体からの推薦や勤労学生向けのスカラシップ入試、また、京都市など53の協定団体から毎年20名位の推薦入学がある。社会人入試は、以前や定年後や子育てを終えた人などが生涯学習のため受けることが多かったが、最近では若年層が増えている。これは、大学が門戸を開いた時にそこへ駆けつける熱心な人がだいたい出尽くしたということだと思うが、実態分析をしなくてはならない。2000年度は昼間主社会人4回生のうち20代の占める割合は28%だったが、1回生では40%に達しており、男子学生がかなり増えている。おそらく、長く浪人をした者などが入って来るのではないか。成績や卒業要件は一般学生と全く同様だが、一般学生では必修の外国語は選択制である。昼夜開講制は昼間部と所属・学籍は分けているが、昼夜選択可能なため、夜間主の学生であっても7割位は昼間に授業を取っている。これは、産業構造が変化して時間のやりくりが出来る人が増えたためだと思われる。ただし、夜間に授業がないと卒業できない学生も一定数存在している。
 大学院の場合も社会人向けの独自入試を行っており、修士課程で422名、博士で37名受け入れている。今年立ち上げた応用人間科学研究科は、臨床心理と社会福祉の問題を扱うが、定員50名のうち半数を社会人枠としている。医療機関や福祉機関で働く人達が臨床心理士の資格を取得するために来ている。看護学校の教員が多いのは、修士号がなければ教員を続けられなくなるからである。司法試験や公認会計士、税理士、司法書士の資格取得を目指す者も多い。立命館は8学部全て大学院を持っているが、特筆すべきものがないので、研究中心の大学院は新しい構想で立ち上げることを現在計画中である。
 学費については、社会人の場合は入学時点で4年以上で卒業することを前提として、5~6年で分割納入する制度を認めている。また、上位5パーセントの成績優秀者には学費の半額免除を行っており、417名中社会人が22名いる。
 非正規学生については、聴講生や科目履修は、京都に「コンソーシアム京都」が出来たので、そのシティカレッジの市民講座分をかなり引き受けている。また、JR西日本の高卒の職員向けに1年研修プログラムを行っており、毎年8名受け入れている。
 今後考えられる課題として、学士編入制度との接続による4年プログラム(3回制に編入して修士号を取得する制度)や、教育訓練給付制度の活用によるパートタイム学生院生の積極的な受入れがある。また、長期間在学制度の検討も始めており、8年以上の在学や3年間に限った休学を認めることを考えている。さらに、取得単位分に応じて学費を納入する制度を立命館アジア太平洋大学ではすでに取り入れており、学生の半数はこれを利用している。社会人対応の資格取得目的のプログラムや社会人の経験を活かせるような新しい科目群も作っていかなければならない。企業との連携プログラムとしては、大学内に拠点を置き、そこへ企業が研究所を置いて、技術者の養成を行うということをはじめている。教員は、企業と大学の双方から出しており、立命館大学の学生も参加するシステムで、今後その成果が出てくるのではないかと思う。この対応・推進のため、生涯学習推進機構を立ち上げ、生涯学習担当の主事を置いている。市民講座としては、京都の社会福祉協会の要請を受けて、カウンセラーの養成も一定数行っている。社会人の受入れは新しい大学の多様性のための決定的な要素と考えて取り組んでいる。

関根委員(大阪女学院長・大阪女学院短期大学長)の報告

報告事項:「社会人の学習の場としての短期「大学」の可能性-その機能と役割-」

 短期大学を新しい社会人学習の場としてどう設定・想定するかについては、準学士課程としての特徴を活かしきる工夫をするべきだと考えている。その視点としてSGP,SAP,SSPの3つに分けて考えていきたい。
 まず、SGP(Lifelong Study for General Purpose)について、“General”をどう捉えるかであるが、いわゆるカルチャーセンターと大学で行う社会人向けの教育は明確な違いを作るべきであり、市民形成・地域社会形成に資する社会人教育の場ということを、これからの短期大学の大きな役割と考えたらどうかと思う。1995年5月に地方分権推進法が成立し、第1次から第4次の地方分権推進計画の中でいわゆる広域行政権の中核として300地域を再編するというプランが出てきている。それが仮に進んでいくとすれば、現在あるそれぞれの地域が中核都市に再編されるので、当然今後の国・地方づくりの上で市民形成・地域社会形成、特に市民意識の形成が重要になってくるだろう。短期大学は元々地域と結びついている。現状の短期大学は地域の生活・産業等、地域社会と結びつくような学科を有している。既存の学科の教育目標を整理し、市民形成・地域社会形成に資する場と意識化すれば、自治体や地域団体との協力関係が非常に密になるだろう。自治体や地域団体の関係者を含め、地域文化・地域教育等内容に焦点をおいた研究所を設置し、それら学内・学外で作られた研究所の様々な働きをもとに、地域総合の教育課程内容を設定して、地域科学総合学科という形態を作ってみたらどうか。その実質的な教育課程を構成するのは、現状のそれぞれの短期大学が持つ学科の組み合わせになる。地域で特徴的なのは、精神形成の伝統や地域宗教との関係である。今の短期大学の学科編制で意識を市民形成や地域社会形成に合わせていけば、現状の短期大学の資源を十分に使うことが出来るのではないか。それにより、地域で活かせる知識や、自分のリフレッシュメントを求める人達が短期大学に入って来るだろう。
 2つ目のSAP(Lifelong Study for Academic Purpose)についてだが、一つは、自己形成としての体系的な学習が出来る場、もう一つは、キャリアアップの場として考えられる。そのためには短期大学のプレスクールとしての働きを考えるべきではないか。特定の専門的な学問領域への進学準備の期間として短期大学が役立てると思う。例えば、理系の基礎教育や語学教育等を行うことが出来る。出来る限り特定の学部・大学院との提携を結んでおいて、このプレスクールで取得した単位を提携先の大学に進んだ時には、その卒業要件単位とされれば、更に意義がある。
 3つ目はSSP(Lifelong Study for Specific Purpose)で、キャリアアップやキャリアチェンジの場として考えられる。現状では専門学校・短期大学・学部のキャリアアップやキャリアチェンジに資する場としての有り方が混沌としているが、その整理が必要だろう。視点として、職業が成立する基礎や職務遂行に必要な基礎、職務遂行に必要な能力、他の領域との関係で必要な能力を考慮し、教育課程を設定していく必要がある。
 パートタイム学生は、短期大学で受け入れる場合には卒業して準学士を取得することを目的とし、在学年数は1年で10~12単位を修得して、5~6年で卒業するのが適当ではないか。そうすると、フルタイムの学生の在学年数にも影響を及ぼすので、その弾力化の必要も出てくるのではないか。このように、フルタイム学生、パートタイム学生、科目等履修生についての併行関係の調整検討が必要になるだろう。制度的に併行関係を調整・検討するものと、各々の法人・学校の意志により調整・検討するものとの整理が必要なのではないか。例えば、一単位当たりの学習量や必要な学力をどう設定するのか、遠隔授業による修得単位数の制限をどうするのか、サテライトによる単位の修得をどうするのかなどがある。また、学習評価の方法や学費の一単位当たりの納付制度等も必要だろう。形態間の移動も課題であり、フルタイムの学生がなかなか卒業できずにパートタイムに移行するような場合もあると考えられる。

舘委員(大学評価・学位授与機構評価研究部教授)の報告

報告事項 : 「米国におけるパートタイム学生及びコミュニティカレッジの現状について」

 アメリカの高等教育と成人学生の外観、成人学生と職業学位の関係を説明した上で、コミュニティカレッジとパートタイム学生制度の実態等について説明させていただく。
 アメリカの高等教育は、先進高等教育型で、生涯学習社会を達成している。知識をベースに社会を構築しようと考えており、高等教育が雇用の流動性や起業を支えている。アメリカの大学では、学生の約半数が25歳以上で、非常に幅広い学生層になっている。短期大学の方は、大学以上に幅広い年齢構成になっている。4年制大学(大学院含む)では7割がフルタイムでパートタイムが3割、2年制大学では4割がフルタイムで6割がパートタイムである。
 アメリカでも18歳人口減を80年代に経験したが、その間にも短期大学の学生は増えていた。その要因の一つとして、職業学位が成人を引きつけるということがあると思う。アメリカでは、自由学芸と知的職業の区別がある。専門職と基礎学問の学位の区別が明確で、目的をはっきりさせている。自由学芸分野はそのままでは職業に結びつかず、教養課程を担当するのがアメリカの構造である。日本は独自の教養部分を作ったので複雑になってしまった。職業分野とされるのは、農業・工業・教育・経営系等である。第一専門職は中世の大学からあった神・法・医の分野で、高度な専門職養成となっている。アメリカの準学士は4割が自由学芸で、6割が職業分野である。学士についても同様となっている。また、修士は8割以上が職業学位で、博士は5割である。アメリカの大学での学問は知的ではあるが、職業人の養成という意識を強く持った実践的学問となっている。
 コミュニティカレッジという言葉は、主に公立の2年制大学を指す。実際、2年制大学の学生は95%が公立に通っているが、これは公立の方が学費が安いからだろう。2年制大学の3大機能として、編入教育と職業の完成教育、文化の享受がある。アメリカの短期大学は、4年制大学では疎かになりがちな一般教育を、大学の中に2年制カレッジを作るのではなく独立した形で、自由学芸教育として提供するために作られたと言われている。その流れで、編入教育が短期大学の重要な機能とされた。4年制大学には高校成績上位者のみ進学でき、コミュニティーカレッジは高卒であれば誰でも入れる。ただし、高校成績上位者でもコミュニティーカレッジに進む者もおり、4年制大学へのトランスファー機能が重視されていて、高等教育拡大に対するバッファー的な様相も呈している。
 職業教育の高度化に対応する高等教育機会の拡大については、第二次世界大戦後にトルーマン委員会が、アメリカの民主主義と今後の高等教育に関するレポートで、少なくとも国民に2年の高等教育の機会を与えるべきで、その中で2年で完成する普通教育・一般教育を重視した職業プログラムを強化することが打ち出された。日本では、6・3・3・4という、高等教育が4年以上という改革の中で、4年より短いものは短期大学とする暫定的な政策が打ち出されたが、アメリカではこの時期に短期大学を強化する政策を打ち出した。アメリカでは1960年代に高度大衆消費社会と言われる時代になり、地域に文化享受の需要が出てくる。地域に密着した文化の拠点であり、地域に展開するコミュニティーカレッジに文化センターの機能が付加される形で発達する。日本にはこの時期のコミュニティーカレッジが紹介されて、アメリカの短期大学はカルチャーセンターではないかと考えられた。アメリカのコミュニティーカレッジを私なりに概括すると、生涯にわたる高等教育のファーストステージという概念となる。アメリカのコミュニティーカレッジは、生涯学習社会の建設を目指す国では、常にモデルにされるものである。アメリカでは高等教育の入り口に短期大学があり、初回入学者の半数は2年制大学からスタートしている。
 パートタイムという概念を考える場合は、フルタイムが前提となる。フルタイムという概念は、日本の大学の中には必ずしも存在しない。アメリカのパートタイムの学習は、仕事や家事の負担がある者に許されるもので、通常の連邦給付奨学金は受けられないが、授業料免除や授業料の雇用主負担などがある場合が多い。よく在学年数が問題になるが、4年制大学に入る人は2年制を出ている人が主なので、入学から卒業まで4年かかることはほとんどない。過去の学習を活かした形でパートタイムで学習している人が多い。パートタイムの授業料は、1単位毎に支払う仕組みである。

質疑応答

  • ○ 大学評価・学位授与機構の学位授与者の中でパートタイム学生はどのくらいいるのか。学位授与機構がパートタイム学生に対して、学士の学位を出す基準を持っているのか。単位の数だけそろえばいいわけではないと思うが、その辺りについて聞かせてほしい。
  • ● 短期大学の卒業者、高等専門学校の卒業者等が基礎資格者となっており、これらの者が大学で科目等履修生として単位を修得したり短期大学・高等専門学校の専攻科で単位を修得したのち、学習の成果としてレポートなどを提出し、それに基づいて機構で審査をし、学士を授与するという形になっている。
  • ○ 立命館大学では、社会人学生の確保について様々に努力しているが、彼らを卒業を前提とする正規の学生と考えているのか。
  • ○ 正規の学生である。
  • ○ そうすると、何らかの資格を取得させることを考えつつ、幅広い教育を行うことを考えているのか。
  • ○ 様々な規制があるが、それはその都度相談しながら取り組んでいきたいと思っている。
  • ○ 1年制のショートプログラムのようなものも考えているようだが。
  • ○ 非正規学生として、例えばJR西日本から1年間毎年8名受け入れている。単位の取得上限は36単位である。市民講座もその例の一つだが、聴講生の場合は単位認定がない。
  • ○ 23歳以上を社会人学生としているようだが、年齢で区別しているのか。
  • ○ II部の場合には、勤労者のための特別入試なので、就労証明を提出させている。
  • ○ 社会人学生という定義は、どこかで仕事を持っているということか。
  • ○ 勤労学生と社会人学生の定義が曖昧になっているが、現実では60%くらいは若い年齢層になっている。それをどうするかというのは、深刻な問題である。試行錯誤しているが、統一性が取れていないところがある。昼夜開講制の勤労学生についてはスカラシップ入試をしているが、いずれ廃止することになると思う。基本的には18歳から23歳までの学生を普通の学生、それ以外を社会人学生としている。社会人学生の受入れは教育の質に関わる問題となると思う。アメリカの大学はドラスティックに変わっている。戦争に行った学生がどんどん大学に入ってきており、特にバークレーはそういう学生を受け入れてどう教育するかを考えている。日本でも社会人を積極的に受け入れれば、大学院が活性化して大学院卒の就職先も増えるのではないか。
  • ○ これまでの大学の教官は均質な学生の方が教育をしやすいと思っていた。それは、今までの教育方法と絡んでいたと思う。教官が一段高いところから学生に知識を教えるには、均質な学生の方が受け止めてくれやすかったからだ。しかし、教官の言うことは学生は聞き流してしまう。反面、友達等の話はきちんと聞いている。従って、教育は横からの刺激を最大限に利用するべきで、そのためには個性的なものから多様な刺激を受けて活性化する必要がある。これからの大学は、行くと自然とモチベーションが高まる場でなければならないと思う。これは、横の刺激によりモチベーションが高まるという意味において重要だ。モチベーションの高い社会人も、若い学生との競合により、刺激を受けうる。一方、年配の人には向いている分野と向いていない分野があるのではないか。人生経験が生きてくるのは社会科学や人文科学の分野ではないか。日本の大学の中での人文・社会科学のテコ入れと合わせて考えていってほしい。職業人養成とオーバーラップする問題だ。
  • ○ パートタイムについては、日本では「社会人」として特別扱いしているが、アメリカではそういう扱いではない。また、学部では予想以上にパートタイムの受け入れが少なく、22%とのことだが、分野によって全く状況が違うのではないか。
  • ○ 一般的な印象として、社会人が取得しているのは職業学位が多い。第一専門学位は、ロースクールとメディカルスクールが授与しており、パートタイム学生はほとんどない。個々の教育プログラムによるので、大学のポリシーにより状況は異なってくる。
  • ○ 全ての大学で同じようにパートタイム学生を受け入れる必要はない。コミュニティーカレッジは高等教育のファーストステップとなっており、その後、大学へ進む率は高い。
  • ○ アメリカと日本のパートタイム学生の質は違うのではないか。経済的な問題については、カレッジのフルタイム学生は経済的に豊かなことが多い。アメリカのカレッジでパートタイム学生になる原因は何なのか。
  • ○ パートタイムになるのは時間的な制約のためだと思う。フルタイムでは、一日8時間勉強するコースロードを取る必要があり、1学期あたり15単位取らねばならないが、社会人にはそれは不可能である。日本との学習形態の違いに加えて、若者には経済力がない。コミュニティーカレッジは、一般的に4年制より特化した機能を持つので、アクセスしやすくなっている。
  • ○ コミュニティーカレッジの場合の学費や補助金はどうなっているのか。日本の場合は、個人への補助より機関補助の方が重視されているように思える。
  • ○ パートタイムとフルタイムの学費は、提供する授業量により異なる。たとえばある大学では、フルタイムは年間1,860ドルで、パートタイムは一単位60ドルとなっている。フルタイムとパートタイムの混在がアメリカでは普通になっている。
  • ○ 制度部会でのミッションを再確認する必要があると思う。各論に入る前に、国全体として高等教育をどう変えるかの議論をすべきだ。今の高等教育は国民皆教育のシステム設計で、高等教育を受けることが社会に出た時の基準となる。社会や大学そのものが変化しているが、制度が変わっていない。大学の在り方自体について危機感を持つ。変化への対応を大学の自己責任に任せるのか、差別化の流れを担保するのか、具体的に考えるべきだ。
  • ○ この部会は各論について議論する場で、総論は大学分科会で扱っている。
  • ○ 前提として、原則方向性を決めるべきだ。それが一番大きなことだ。
  • ○ 自分の短期大学では、社会人の特別扱いは一切していない。学生は、モチベーション・意欲があるから学ぶのであり、高い偏差値を持っているから学ぶわけではない。パートタイムということにこだわらずに、社会人向けの教育を7年以上行っている。学問分野によってパートタイムの必要性は異なるのではないか。

7.次回の日程

 次回は、10月2日(火曜日)に開催し、今回のヒアリングと議論を踏まえて、パートタイム学生の受入れ等について審議することとなった。

お問合せ先

高等教育局高等教育企画課

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