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基礎編

1.カビとは

1−1 微生物の大きさ

 地球上に最初に誕生した原始的な単細胞生物は長い時間をかけたさまざまな進化の過程をたどり、現在の高等動植物までに進化してきた。しかし、一部の生物は進化の過程で今なお単細胞あるいは数個の細胞から構成されている小さな生物としてとどまっており、顕微鏡によりやっと見える微小な生物群を微生物と定義している。このような微生物の中には単独では増殖することができない最も小さなウイルスを含めて原核細胞の細菌、真核細胞の酵母およびカビが存在する(図2)。


図2 微生物の大きさ

 細菌や酵母は培養液中や寒天平板上で大量に増殖させた場合には濁りとして、あるいはコロニー(細胞の集合体)として観察されるが、個々の細胞の微細な形状は肉眼では全く見えない。また、カビについても菌糸や胞子の集団あるいは担子(キノコ)は見ることができるが、微細構造については見ることができない。光学顕微鏡下では細菌およびカビの大まかな形態観察が可能であるが、ウイルスや細菌およびカビの表面の微細構造は走査型電子顕微鏡を用いなければ観察することができない。したがって、カビなどの増殖初期には通常は肉眼では全く観察できないことに注意を要する。

1−2 カビの分類学的位置

 生物は自己増殖をする細胞性生物と自己増殖機能を持たないウイルスに大分類することができる。微生物は細胞性生物の中の下等な原生生物界に分類され、細胞壁を持つことから植物に近い構造を有している。さらに、微生物細胞内に核を持たない原核原生生物(DNAが原形質内に存在)と核を有する真核原生生物(DNAが核内に存在)に分かれる。前者の原核原生生物の中に細菌類が属し、後者の真核原生生物の中にカビ類が分類される(図3)。微生物を栄養源的に分けると炭素源として炭酸ガスを利用可能な独立栄養微生物と炭素源を有機物に依存する従属栄養微生物に分けられるが、カビは従属栄養微生物であり葉緑体は持っておらず、炭素源を有機物から獲得するため、セルロース、ヘミセルロースなどの繊維質や糖質およびタンパク質を分解し、利用(資化)する。
 真菌を簡単に分類すると隔壁を持たない藻菌類と隔壁を有する子嚢菌類、担子菌類および不完全菌類に分類される。藻菌類には卵菌類、壷状菌類および接合菌類(有性的に接合胞子を作り、栄養状態が良いと無性的に分生子を作る)であるケカビ類(クモノスカビ、ケカビ等)に分類される。子嚢菌類は菌糸に隔壁を有し、有性胞子は子嚢に内生する。しかし、接合菌と同じように栄養状態が良いと無性的に分生子をつくる。これらの仲間には青カビ、麹カビ、紅麹カビがある。酵母は子嚢菌の仲間で半子嚢菌類(子嚢内に1個の胞子を作る)に分類される。担子菌類は菌糸に隔壁を有し、有性胞子は担子に外生する。この担子(子実体)が、椎茸、松茸、シメジ、マッシュルーム等である。不完全菌類は菌糸に隔壁を有し、有性胞子は認められず、無性胞子により繁殖する。この仲間には木材腐朽菌、植物病原菌及び腐敗菌がある。


図3 カビの分類学的位置

 現在、カビは80,000種以上確認されているが、生きているが培養できない種類(VNCあるいはVBNCと略:viable but non-culturable)も加えると、今後新たに発見される種類は増加すると思われる。
 真菌を簡単に分類すると藻菌類と子嚢菌類、担子菌類および不完全菌類に分類されると前述した。真菌のさらに詳細な分類や種類について図4に示した。専門書ではここに示すよりもさらに詳細な分類がされているが、本書の目的から真菌をツボカビ門、接合菌門、子嚢菌門、担子菌門および不完全菌門に便宜的に分類した。ツボカビは鞭毛を持つ遊走子形成を特徴としており、2006年12月に我が国で発見されたカエルツボカビ症の原因カビもこの仲間である。接合菌門にはムコール目(Mucorales)、トリモチカビ目(Zoopagales)およびハエカビ目(Entomophthorales)に分かれている。ユミケカビ、ケカビおよびクモノスカビ等はチーズ、老酒、凝乳酵素、グルコアミラーゼ生産等食品製造分野において有用なものもあるが、一方では接合菌症を引き起こす病原性の仲間も多く存在する。子嚢菌門には、半子嚢菌綱、不整子嚢菌綱、核菌綱、小房子嚢菌綱、ラブルベニア綱および盤菌綱に分類されている。半子嚢菌には、カンジダ症のような病原性を示すカビや、不整子嚢菌には、アスペルギルス症を引き起こす仲間もある。担子菌門は半担子菌綱、菌覃綱および腹菌綱に分類されている。菌覃綱には食用キノコとしてマツタケ(Tricholoma)、シイタケ(Lentinus)およびシメジ(Lyophyllum)が属している。不完全菌門には不完全酵母綱、不完全糸状菌綱、分生子果不完全菌綱が分類されている。不完全酵母綱には病原性を示すカンジダ(Candida)、クリプトコッカス症肺炎の原因カビであるクリプトコッカス(Cryptococcus)が属する。不完全糸状菌綱には白癬菌症(水虫)を引き起こすトリコフィトン(Trichophyton)や各種真菌症の原因カビが多く属している。また、分生子果不完全菌綱には角膜真菌症の原因カビが属している。また、カビ胞子は感染型真菌症以外にもシックハウス症候群、喘息等アレルギー疾患の原因となっている場合もあるのでカビが発生・着生した資料や記念物を取り扱う場合にはガーゼマスク(多めにガーゼを重ねる)など着用が必要である。
 多くのカビはマイコトキシンと称する多種の毒素を産生する。これらマイコトキシンの一部を紹介すると、アフラトキシン(Aspergillus flavus等によって産生される発ガン性毒素)、シトリニン(Penicillium citrinum等によって産生される肝臓毒素および腎臓毒素)、トリコテセン系マイコトキシン(Fusarium等によって産生される食中毒性無白血球症を引き起こす毒素)および麦角アルカロイド(Claviceps purpurea等によって産生され、跛行、乾性壊死、豚の無乳症を引き起こす毒素)などが有名である。
 さらに詳細なカビの分類や情報については、巻末記載の参考文献を参照。


図4 主な真菌の分類

1−3 カビが資料に与える影響

 カビは、表1で述べたように衣食住や工業製品のほとんどを栄養源として分解・劣化させる。さらに、カビは天然有機物や人工有機物のみならず無機物や鉱物までも栄養源としており、博物館・図書館等の資料などは格好の栄養源(炭素源、窒素源)として物理的、化学的に分解(破壊)される。特に、木質系、天然繊維系、皮革系および膠等は経年劣化(物理的劣化・化学的劣化)した場合には、資料素材が本来持っていた僅かの抗菌性物質(テルペノイド、リグニン、フラボノイド、芳香族化合物、精油成分、抗菌性色素等)が分解あるいは蒸散して減少しているため、細菌やカビによる微生物劣化を容易に受ける。さらに、カビ類は有機性染料(植物由来、動物由来)を含む全ての天然有機物を分解する酵素群を有しており、酵素分解により資化し、カビの細胞増殖の原料として利用する。したがって、カビ被害は不可逆的(一方通行)な生物反応で、決して元に戻らない劣化であることに改めて注意する必要がある。

2.カビの生理生態と生育環境

2−1 カビの生育環境

<水分>

 微生物の生育に水分が不可欠であり、水が全く存在しない環境では全ての微生物が生育不可能である。物質中に含まれている水は通常は遊離水(自由水)、結晶水、水素結合水、水和水(タンパク質、糖質、脂質、その他との水和)および氷の状態で存在しているが、微生物が利用可能な水分は自由水のみである。すなわち自由水とは、環境の温度、湿度の変化で容易に移動、蒸発および氷結が起こる水である。自由水が減少すると生育速度の低下や生育が停止するなど自由水は微生物の増殖に非常に重要な因子となっている。自由水を定量的に表す指標として水分活性(Awwater activity)が用いられている。Awは本によってはawと記載されている場合もある。

 実際の測定は試料を入れた密閉容器内が平衡状態に達した時の湿度(平衡相対湿度:ERHEquilibrium Relative Humidity)を測定することにより水分活性を求めることができる。

 すなわち、試料を入れた密閉容器内の平衡相対湿度が90パーセントならば、Awは0.9となる。なお、大気中の湿度は相対湿度(RHRelative Humidity)で表される。一方、大気中の水分は温度が低下することにより飽和水蒸気圧が低下し、結露が起こる。この結露が起こる温度を露点といい、特殊な露点温度計や電気抵抗値で自動計測することができる。資料等の収納庫や展示ケース内では環境中の水蒸気と常に平衡状態が保たれているため緩やかな温度変化には結露への影響が少ないが、急激な温度変化により結露や水分活性が上昇し、カビ等の生育可能領域に入ると増殖が始まる。これらについてはカビの制御方法のところで解説する。
 細菌、酵母、カビの増殖に必要な最低Awは、表2に示すように細菌類は一般に高いAwを必要とするが、酵母ではそれよりやや低いAwである。しかしながら、特に耐浸透圧性酵母(塩分の多い環境でも生育可能)は0.61とかなり低い。カビは酵母よりもやや低めのAwであるが、特に乾性カビ(好乾菌)は微生物の中でも最も低いAw環境で生育可能である。博物館等での保管資料にはこの分野のカビが問題となる。次にAwが低くなるとカビ胞子がサブロー寒天培地(カビ培養用培地)上で発芽に要する時間(日数)にどのように影響するのかを図5に示した。クモノスカビや黒コウジカビの胞子はAwが低い場合には発芽に要する時間が長くなる。低いAwでも生育の可能な黒コウジカビでもAwが0.8以下になると極めて発芽し難くなる。
 通常では対象とする物質のAwを0.6以下に保持するとカビは全く生育できない。これを維持するために環境の相対湿度を温度変化に拘わらず常に60パーセント以下に保つことが必要である。

表2 微生物の生育可能な最低Aw

  Aw
細菌 緑膿菌、床ずれの原因菌(Pseudomonas aeruginosa 0.97
大腸菌(Escherichia coli 0.95
枯草菌、納豆菌の仲間(Bacillus subtilis 0.95
黄色ブドウ球菌(Staphylococcus aureus 0.86
酵母 カンジダ、カンジダ症の原因菌(Candida albicans 0.94
アルコール発酵酵母(Saccharomyces cerevisiae 0.89
耐浸透圧性酵母、醤油の熟成酵母(Saccharomyces rouxii 0.61
カビ ケカビ、アミロ菌(Mucor rouxii 0.93
クモノスカビ(Rhizopus nigricans 0.94
青カビ(Penicillium citrinum 0.83
黒麹カビ(Aspergillus niger 0.88
乾性カビ、好乾菌(Aspergillus repens 0.65
乾性カビ、好乾菌(Aspergillus ruber 0.65


図5 カビ胞子のサブロー寒天培地上での発芽に要する日数

<酸素>

 微生物には、生育に酸素を必要(好気的呼吸)とするものと必要としない(嫌気呼吸)ものが存在する。カビは空気(分子状の酸素)の存在無くして生育不可能である。一方、メタン菌やボツリヌス菌などは酸素が全く存在しない環境でのみ生育可能である。このように酸素を必要とする性質と必要としない性質を好気性および嫌気性と言う。微生物の生育環境を環境気体中の酸素分圧(酸素濃度)や水中あるいは水を多く含む物質中では酸化還元電位(ORPOxidation Reduction Potential)で表すことができる(図6)。カビや酢酸菌は偏性好気性菌(絶対好気性菌とも言う)に属し、生育のための酸素分圧条件は大気中と同じかそれ以上必要である。言い換えると空気が無いと生育できない。したがって除酸素や窒素置換した環境では全く増殖できない。資料を厚手のポリエチレン袋に入れ、脱酸素剤を入れ密閉シールすると簡単に無酸素環境にすることができる。しかし、無酸素あるいは窒素環境下においてもカビ胞子は死滅せず生存しており、酸素環境条件が調うと直ちに発芽して増殖をすることに注意を要する。腸内細菌群(大腸菌の仲間)や酵母類は通性嫌気性菌であり、酸素が存在する方が良く生育するが、酸素が無い状態(大腸内の環境)でも生育可能である。また酵母類は酸素が無くなると嫌気呼吸(発酵)によりエネルギーを獲得する。偏性嫌気性菌(絶対嫌気性菌とも言う)は、分子状酸素(気体状酸素)あるいは酸化体の濃度が高い環境では全く生育できない。


図6 酸素環境および酸化還元電位と微生物の生育

  ORP(E)は、以下に示すネルンストの式によって与えられる。すなわち水に溶けている酸化体と還元体の活量の比の自然対数と気体常数、絶対温度およびファラデー数と標準電極電位で与えられる。

 実際の測定は、白金電極と飽和カロメル電極(SCE)からなる酸化還元電位計により簡単に測定できる。低い酸化還元電位や低い酸素濃度を利用したカビの生育制御は空気中の酸素濃度、水中では酸化還元電位の測定を継続的に行いカビの生育条件領域外に環境を維持する必要がある。

<炭酸ガス>

 非常に低濃度の炭酸ガスは、好気性微生物の生育促進作用があるが、大気中の炭酸ガス分圧が通常環境よりも高くなると生育阻害作用を示すようになる。さらに、微生物の呼吸に伴って発生した炭酸ガスの排出圧よりも、外部の炭酸ガス分圧を高くすると強い呼吸阻害を起こして増殖が停止する。また、純炭酸ガス雰囲気下では、特にカビなどの偏性好気性微生物は炭酸ガスの作用と無酸素状態の相乗的な働きにより、増殖が完全に停止する。

<窒素およびアルゴン>

 前述したが、空気を窒素ガスやアルゴンで置換すると好気性微生物は呼吸が停止し、増殖が強く阻害される。偏性好気性のカビの生育抑制には、不活性ガスである窒素およびアルゴン置換が有効である。

<温度>

 生育可能温度で微生物を大まかに分類すると、0度近傍を最適温度領域とし20度以上では増殖できないものを好冷菌、20〜45度を最適温度領域としているものを中温菌、45〜60度を最適温度領域としているものを好熱菌、60〜80度を最適温度領域としているものを高度好熱菌および90〜100度を最適温度領域としているものを超好熱菌となる。カビ、酵母及び細菌の生育可能温度と最適生育温度を表3に示す。なお、凍結すると前述の自由水が氷結し、利用可能な水分が存在しなくなるため増殖が停止する。しかし、カビ胞子や細菌芽胞などは生存していることに注意しなければならない。

表3 微生物の生育可能温度領域と最適生育温度

微生物 生育可能温度領域 生育最適温度
カビ 0〜40度 25〜28度
酵母 0〜40度 27〜30度
細菌 0〜90度 36〜38度

 微生物の極限環境と言われる0度近傍や100度近傍を除外すると、通常のカビや酵母は0度以下または40度以上にすると生育不可能である。しかし、0度近傍では生育速度が非常に遅いが、半年あるいは数年後に目視で観察されるまでに生育する低温カビも存在するので、冷蔵保存する場合には特に注意を要する。
 カビは通常は菌糸と胞子の状態で存在するが、その胞子には分生子(無性胞子)、子嚢胞子(有性胞子)および接合胞子が存在する。子嚢菌の麹カビと青カビを例としてカビ胞子を水に懸濁した状態での耐熱性について、表4に示した。子嚢胞子は最も耐熱性が高く、次いで分生子の順となっている。しかし、菌糸は胞子よりも耐熱性が低く、50度でほとんどの菌糸が死滅する。80度において、30分程度の加熱処理によりほとんどのカビが死滅することがわかる。

表4 カビの耐熱性

カビ 胞子 熱死滅条件
温度 D値
麹カビ(Aspergillus sp. 分生子 50度 5分
子嚢胞子 65度 50分
青カビ(Penicillium sp. 分生子 60度 2.5分
子嚢胞子 82度 6.7分
D値
一定温度で加熱した時、生菌数が1/10に減少させるのに必要な加熱時間(分)

 しかしながら乾熱(乾燥状態での加熱)では、カビ胞子(分生子、子嚢胞子、接合胞子、厚膜胞子)を死滅させるには120度以上で60〜120分程度の加熱時間を必要とし、非常に耐熱性が高い。したがって、資料上に付着あるいは生育したカビの加熱殺菌は不可能であることがわかる。

<pH(ペーハー)>

 水素イオン濃度(pH(ペーハー))は、生物細胞内の生化学反応に重要な環境因子の1つである。pH(ペーハー)環境により生物を分類すると、好中性生物(pH(ペーハー)5〜9に至適増殖領域を示す生物。大半の高等生物がここに含まれる。)、好酸性生物(pH(ペーハー)5以下に至適増殖領域を示す生物。極端な酸性条件では、生化学反応の調節の乱れやタンパク質の変性が見られるが、これらの条件に耐えうる生化学的資質を有する好酸性菌など。)、および極限環境中にはpH(ペーハー)1以下の条件で至適増殖領域を示す生物(古細菌)も存在する。
 カビの生育可能pH(ペーハー)領域は2〜8.5であり、最適pH(ペーハー)は4〜4.5と非常に狭い領域である。しかし、生育可能pH(ペーハー)範囲が広いことより注意を要する。

<圧力>

 細菌や酵母の懸濁液を圧力容器に入れ、室温下で圧力(静圧)を上昇(20〜40MPa(メガパスカル))させると細胞内タンパク質が徐々に変性(水素結合の切断による凝固)し、これに伴って生育速度が低下する。さらに圧力を高める(80〜100MPa(メガパスカル))と死滅する。

2−2 カビの生理生態

<カビの生活環>

 接合菌類や子嚢菌類は、有性と無性の2種類の生活環(life cycle)を持つものと不完全菌のような比較的単純な生活環を持つものが存在する。
 接合菌類は、菌糸体から栄養・環境状態により分生子柄の先端に形成した胞子嚢内に無性胞子(分生子)作る。この分生子は、栄養・環境状態が良いと発芽して菌糸体を形成する。しかし、このサイクルのみでは遺伝子の欠陥が生じ、菌糸と菌糸が雌雄(プラスマイナス)に変化し、接合して二倍体の接合胞子を作り、遺伝子の修復を行う。この接合胞子が再び発芽して菌糸体となる。
 子嚢菌類は、菌糸体から分生子柄の先端に形成した胞子嚢内に無性胞子(分生子)を作る。これが発芽して菌糸体となるサイクルと、菌糸体から子嚢果を形成し、この中に有性胞子(子嚢胞子)を作り、それが発芽して菌糸体を作る2つの生活環を有する。また担子菌のように担子内に胞子を形成するものもある。
 不完全菌類は、菌糸体から2種類の分生子(大型分生子や小型分生子)を形成、あるいは複雑な生活環をもつものもある。詳細は参考文献を参照してください。


図7 接合菌の生活環、クモノスカビ(Rhizopus
(引用:株式会社光生館「精説 応用微生物学」22頁、図1−3/昭和48年/天羽幹生、小石川仁治 著)


図8 子嚢菌の生活環、カワキコウジカビ(Eurotium
(引用:株式会社テクノシステム「かび検査マニュアルカラー図鑑」42頁/2002年/高鳥浩介 監修)


図9 不完全菌の生活環、アカカビ(Fusarium
(引用:株式会社テクノシステム「かび検査マニュアルカラー図鑑」43頁/2002年/高鳥浩介 監修)

<寿命>

 カビの寿命は形態や器官(分生子、子嚢胞子、接合胞子、厚膜胞子、菌糸)により大きく異なる。胞子の寿命は非常に長いが菌糸はかなり短い。通常の寒天平板上では、培養後1ヶ月経つとコロニーの周辺部の菌糸は生存しているが、コロニーの中心部の胞子形成した株の菌糸は死滅している場合が多い。斜面培養したカビ菌糸の乾燥を防ぐため高湿下において13〜15度で保存した場合、おおよそ1〜3年で菌糸は死滅する。一般に、菌糸は過度の乾燥下あるいは氷結温度付近では数週間で死滅する。

<栄養源>

 カビは細菌に比較して非常に多種多様の栄養源で生育することができる。まず炭素源では単糖類(グルコース、フラクトース、マンノース、ガラクトース等)、二糖類(サッカロース、マルトース等)、オリゴ糖(メリビオース)および多糖類(澱粉、セルロース等)を利用する。澱粉糖化酵素やセルロース分解酵素を細胞外に分泌し、単糖あるいはオリゴ糖にまで加水分解して吸収する。窒素源として無機窒素(塩化アンモニウム、リン酸アンモニウム、硝酸アンモニウム、硫酸アンモニウム等)および有機窒素(各種アミノ酸、タンパク質)を利用する。また、リン酸塩、硫酸塩やミネラル(鉄、マンガン、マグネシウム、カルシウム、カリウム、ナトリウム等)を必要とする。

<カビ酵素の産生>

 一般に、酵素は生物体内反応の全てを起こすタンパク質触媒であり、これら代謝反応に関与する酵素は、生体膜(細胞膜や細胞小器官の膜)に結合している膜酵素、細胞質や細胞外に存在する可溶型酵素に分類される。可溶型酵素のうち、細胞外に分泌される酵素を特に分泌型酵素と呼ぶ。酵素はその触媒機能により酸化還元酵素、転移酵素、加水分解酵素、リアーゼ、イソメラーゼ、リガーゼに分類されているが、細胞外に分泌して作用する酵素の中でも特に注目すべきはタンパク質、脂質、多糖(炭水化物やセルロース)を加水分解する多種多様の酵素群(プロテアーゼ、ペプチダーゼ、リパーゼ、セルラーゼ、アミラーゼ等)である。カビがこれらの酵素群を細胞外に分泌し、タンパク質、脂質、糖質から加水分解作用により低分子化合物(アミノ酸、グルコース、マルトース、グリセリン、脂肪酸等)に分解した後、吸収して栄養源としている。

<カビの色素産生>

 最も有名なカビ色素である紅麹カビ黄色素や赤色素は紅麹カビ(Monascus purpureus)が産生し、食品添加物として使用されている。しかし、大多数のカビは赤色、橙色、褐色、赤褐色、黄褐色、黄色、淡黄色、紫紅色等の様々な色素を産生する。一方、胞子は黒、黒褐色、褐色、緑色および白色のものが多く見受けられる。資料表面上に発生したカビは、既に組織内部にまで菌糸を伸張し、生育に伴って上記のような色素産生および着色胞子を着生し、資料に重大な汚染と影響を与えている。カビの産生色素や胞子による着色は化学的除去や物理的除去が非常に困難である。

3.カビの分離、観察と簡易同定法およびカビ制御方法

3−1 カビの分離・採取方法

<付着カビの採取方法>

 通常の保存スラント(斜面培地)からの採取は、先端を鍵型に曲げた白金線(ニクロム線でも良い)を用いて行う。しかし資料等に着生している菌糸や胞子は、前もって30倍程度の手持ち小型顕微鏡あるいはルーペで十分に観察した後、注意深くピンセットで採取し、プレパラートに置きカバーガラスで覆って顕微鏡観察する。場合によっては、プレパラート上に採取したサンプルに水をマイクロピペットにより数十マイクロリットル程度添加して観察してもよい。資料が強靱で表面が破損しないことが確認できればセロテープを資料に優しく押しつけて採取し、プレパラートに貼り付けて検鏡することもできる。

<空中浮遊カビの採取方法>

 資料の展示施設や保管庫内の空中浮遊カビは、寒天平板培地あるいはプラスチックプレート寒天培地(寒天を充填したプレート)をセット可能な電池式エアーサンプラーを用いて一定時間(一定容積の空気)吸引し、その寒天平板培地あるいはプラスチックプレート寒天培地を27度で2〜7日間培養する。培養後カビ数の計測とコロニー形態を観察する。寒天培地やプラスチックプレート寒天培地に捕集したカビの培養にはインキュベーター(培養器)を使用するが、通常、冷却と加温により温度調節を行う冷蔵庫タイプが多く、庫内が乾燥するのでインキュベーター内にプラスチック容器に水を入れておく方が良い。

<落下カビの採取方法>

 施設内の落下カビは、寒天平板培地を測定すべき室内の床上60〜70センチメートルに置き一定時間蓋を外して落下菌を採取する。落下菌が多い環境では20分程度、少ない環境では1時間程度蓋を開いておく。蓋を閉じた後、27度で2〜7日間培養する。培養後カビ数の計測とコロニー形態観察をする。

<カビ採取や培養した後の培地や容器の後処理方法>

 カビ採取に用いたピンセットや白金線は、ガスバーナーの外炎中で付着したカビを殺滅する。一方、観察の終わった寒天平板やプラスチックプレート寒天培地はオートクレーブ(加圧蒸気殺菌装置)を用いて121度、15分間殺菌処理した後に廃棄(医療廃棄物として)する必要があり、決してそのまま廃棄してはならない。オートクレーブが無い施設ではカビの採取と顕微鏡観察のみ行い、培養等は専門家に任せた方が良い。また、安全キャビネットが設置されていない施設では、カビの培養を行ってはいけない。

3−2 カビの観察

<カビの目視観察>

 カビの観察は目視による直接観察が重要であり、特にカビが生育した資料が植物系、動物系、木質系、樹脂系、無機系素材であるのか、変色の程度や色調および臭気によりカビである判断や種類も推定可能である。次に、ルーペあるいは小型手持ち顕微鏡で観察すると菌糸の状況あるいは胞子着生状況が明確になる。

<カビの検鏡観察>

 実体顕微鏡の資料台に置くことが可能な資料は、実体顕微鏡観察を実施する。なお、各種波長のLEDランプ照射下での観察は、カビ菌糸の蛍光により判定が容易となる。最後にカビをプレパラートに採取して、光学顕微鏡、蛍光顕微鏡さらには微分干渉顕微鏡により詳細な観察を行う。

3−3 カビであるのかの判定法

<カビと蜘蛛の糸、糸状や針状の無機結晶、繊維およびその他との判定>

 菌糸と思われる資料を注意深くピンセットにより採取し水に入れ、速やかに沈殿あるいは溶解すれば、無機結晶であると判定できる。沈殿や溶解しない資料については、培養法およびATP(アデノシン三リン酸)の存在を確認するとよい。生きているカビ菌糸細胞内にはかならずATP(アデノシン三リン酸)を保有しており、細胞が死滅すると細胞内ATP(アデノシン三リン酸)加水分解酵素により速やかに分解されるので、ATP(アデノシン三リン酸)が存在しない。

<培養法>

 採取したカビと思われる資料をカビ用培地(サブロー寒天培地、ポテトデキストロース寒天培地あるいはツァペックドックス寒天培地等)に接種し、1〜7日間培養後にカビであるかの判定を行うが、培養時間を必要とし、かつVNC(生きているが培養できない)化した菌糸や胞子には適応できない。また、前述したが、オートクレーブ、安全キャビネット、廃棄物処理の契約やその他カビを安全に取り扱うことのできる施設以外では、カビの培養をしてはならない。

<細胞内ATP(アデノシン三リン酸)量の測定>

 ATP(アデノシン三リン酸)は地球上至る所に存在し、特に人の皮膚上や手で触れた器具などには多量のATP(アデノシン三リン酸)が付着している。また高い耐熱性を有していることより、沸騰水加熱やオートクレーブ処理でも分解しない極めて高い安定性を有している。したがって、採取した資料容器内や菌糸表面に付着しているATP(アデノシン三リン酸)をATP(アデノシン三リン酸)分解酵素により完全に分解した後、ATP(アデノシン三リン酸)を抽出試薬により抽出し、発光試薬(ルシフェリン、ルシフェラーゼ、pH(ペーハー)緩衝液などを含む)を加えてルミノメーターで発光量を測定する。菌糸や胞子の外部に付着しているATP(アデノシン三リン酸)を除去する操作により細胞内ATP(アデノシン三リン酸)のみが検出できる。このATP(アデノシン三リン酸)測定法により生きている菌糸と胞子が検出可能となる。また培養が困難であるVNC化した菌糸や胞子でも検出することが可能である。なおATP(アデノシン三リン酸)測定に必要とする時間は約30分程度であり、迅速的測定方法である。

3−4 カビの簡易同定法

<目視による簡易同定>

 カビの同定は熟練しないとかなり難しい。資料等に着生しているカビを、培養せずに目視のみで同定することは、極めて困難である。しかし、採取した後、純粋培養したカビについて、簡単なものは目視のみで同定が可能である。シャーレ上に形成したカビコロニーの形状、菌糸の色、胞子の色、コロニーの盛り上がり方、綿状、粉状および産生色素等により判定する。この方法では、分類学上でいう、カビの門および綱が判定できる程度である。

<光学顕微鏡による形態学的簡易同定>

 ここでは非常に簡単な同定方法について図4および図7に示した接合菌のケカビ目(Mucorales)のクモノスカビやケカビを例として説明する。1菌糸には隔壁(septa)を有していれば子嚢菌、担子菌、不完全菌であり、有してなければ卵菌(ミズカビ)、ツボカビ(鞭毛を有する遊走子を形成)、接合菌(接合胞子を形成)である。2接合胞子の確認により接合菌門とする。3接合菌の仲間にはムコール目(菌糸が蜘蛛の巣状に伸びている)、トリモチカビ目(線虫補食カビ)およびハエカビ目(昆虫寄生カビ)がある。4ムコール目の中で仮根の有無、小胞子嚢の有無、胞子嚢柄の形成部分により分類ができる。ケカビ(Mucor)は仮根を作らず通常の胞子嚢を形成する。クモノスカビ(Rhizopus)は胞子嚢柄の部(節部)に仮根(Rhizoid)を形成する。ユミケカビ(Absidia)は胞子嚢柄が形成していない部分(節間部)に仮根を形成する。エダケカビ(Thamnidium)は小胞子を形成する。これら形態の差異により、ムコール目の主なカビを同定することができる。しかしながら、詳細な形態学的な同定は光学顕微鏡のみならず走査型電子顕微鏡、透過型電子顕微鏡観察と形態学の専門知識が必要であり、専門家にお願いするのが良いと思われる。

<遺伝子解析による同定>

 カビの細胞内にはDNAの遺伝情報をもとにタンパク質を合成する場所と機能を提供するリボゾームを有している。このリボゾームは、大きさの異なる5S(スヴェドベリ)、5.8S(スヴェドベリ)、18S(スヴェドベリ)、28S(スヴェドベリ)(S(スヴェドベリ)は沈降係数)から構成されており、これらをコードしているのがrDNAである。これらの遺伝子の特定領域を、遺伝子増幅方法であるPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)により増幅し、比較解析することによりカビの分類・同定が可能である。現在、遺伝子解析を行う企業が多数設立されており、容易にカビの分類同定が可能となった。

3−5 カビの保存方法

 現場から採取し、平板寒天培地に生育させたカビは通常の場合、3ヶ月以上保存することが難しい。また、カビの種類にもよるがスクリューキャップ付き試験管での寒天斜面培地の場合でも恒温高湿下(13度、湿度90パーセント以上)で1年程度が保存の限界である。したがって定期的に新しい培地に移植し、培養、保存を繰り返す必要がある。詳細なカビの継代や保存については「かび検査マニュアルカラー図鑑」等の参考文献を参照してください。

3−6 カビの制御方法

1)物理的制御

<電磁波>

 電磁波照射による微生物制御はガンマ線および紫外線が用いられている。ガンマ線はエネルギーが高く、透過性に優れているので、一般的には密閉包装されたプラスチックの医療器具(注射器、試験管)、シャーレなどの滅菌に使用されている。通常は60Co(コバルト60)および137Cs(セシウム137)などの密封放射性アイソトープからのガンマ線を用いる。ガンマ線照射法はカビのみならず細菌やウイルスなども確実に滅菌することが可能である。しかし、ガンマ線による資料の劣化も大きいため、風水害などによる大量の資料汚染が起きた場合にのみ緊急避難的に利用することが望ましい。ガンマ線被爆を受けると生死に関わる重篤な害をおよぼすので、この方法は完全に遮蔽された照射室を持ち、かつ許可された施設が必要である。

<電子線>

 電子線は粒子線であるためガンマ線やエックス線と異なり、物質にもよるがその透過力には自ずと限界がある。電子線照射滅菌の殺菌メカニズムは、微生物細胞内の水分子が照射された電子と結合し、励起された結果、殺菌力の非常に強いヒドロキシルラジカル(・OH)が発生し、細胞内でラジカル連鎖反応により遺伝子、タンパク質などを変性、破壊することにより殺滅する。しかし資料への劣化影響も大きいので前述のガンマ線と同様、使用は緊急時にのみに限定する必要がある。

<紫外線>

 紫外線は260〜280ナノメートルの紫外線ランプにより発生させることができるが、物質を透過する力は極めて弱く、物体の表面に存在する微生物のみを殺滅することができる。微生物が菌塊を形成している場合には陰となる部分では全く殺滅されない欠点がある。さらに紫外線照射は資料に対する劣化影響が大きいので殆ど使用されていない。

<熱>

 カビの耐熱性については温度の項で解説したがカビ菌糸のみを殺滅するのは比較的低温(80度、30分)加熱で良いが、分生子、子嚢胞子、厚膜胞子などの耐熱性細胞は120度、2時間以上の加熱が必要であるので資料や記念物に応用しない方が良い。なお、加熱方法としてはマイクロ波加熱、赤外線加熱および熱気流加熱がある。

<低温>

 低温を用いたカビ制御方法は物質の自由水含量にもよるがマイナス2〜マイナス3度の氷結点(物質の中で水が氷結し始める温度)よりも少し高い温度(0度付近)で保存するとカビは増殖せずに眠らせておくことが可能である。

<遮断(クリンルーム)>

 一度、滅菌した資料の再微生物汚染を防止することにより、カビの発生を防ぐことができる。展示ケース内の無菌化や無菌空気雰囲気で保存するのも一つの方法であるが費用がかさむ。

2)化学的制御

 化学的なカビの制御方法としては、前述した除酸素、窒素、炭酸ガスやアルゴン置換、pH(ペーハー)、酸化還元電位などの利用が考えられるが資料や記念物においては、いずれも適用が困難である場合がほとんどである。しかし水溶性の高い防カビ剤や殺カビ剤は取り扱いが容易であることより、利用されている場合もある。ここではカビに効果の高い薬剤に限定して記載した。しかしカビに対して強い殺カビ性や増殖阻害作用を示す薬剤は少なからず人体に対する毒性や環境毒性を有しており、使用に当たってはMSDS(化学物質等安全性データシート)を詳しく読み、使用後にはMSDSに指定された方法で処分しなければならない。

<エチレンオキサイド>

 ガス殺菌剤の主なものとしてエチレンオキサイドとメチルブロマイドの化学式を図10に示した。前者の別名は酸化エチレンガス、エチレンオキシド、オキシランと称される。高圧ガス、可燃性ガスで急性毒性物質である。毒性は酸化エチレンガスを短時間に多量に吸入した場合、急性中毒症状として頭痛、悪心、脱力、嘔吐が起こる。重症の場合は肺水腫、神経症状として意識障害、協調運動障害、眼への影響(白内障)が現れることがある。慢性暴露障害としては末梢神経障害、発癌性、生殖毒性が存在する。作用メカニズムはエチレンオキサイドによるDNAの断片化やタンパク質のアルキル化により細菌、カビ、ウィルスを殺滅する。使用方法はオートクレーブと異なり滅菌する資料を一部分が通気性のあるシールパックに入れて加圧・減圧耐性滅菌器に入れ、減圧後エチレンオキサイドガスを注入し、16〜20時間かけて滅菌し、その後エチレンオキサイドを減圧除去する。一般のエチレンオキサイドガス滅菌器は減圧、ガス充填、減圧が自動的に行われる。

<メチルブロマイド>

 別名は臭化メチル、ブロムメチル、メチブロと称され、沸点が4度、通常の温度域では気体で存在する。これまでは大部分の用途が土壌殺虫剤・殺菌剤として使用されてきたが、オゾン層の破壊物質の一つであることより、日本国内では2005年以降使用が禁止された。ヒトに対する吸入毒性は非常に高く、頭痛、めまい等をおこし、数時間から数日後に痙攣や視力障害等の神経障害をおこす。高濃度暴露では肺水腫をおこし、呼吸麻痺、循環器障害を伴う中枢神経系の機能低下により、死亡することがある。細菌、カビ、ウィルスの殺滅作用に加えて殺虫効果も非常に高い。作用メカニズムは生物に対してアルキル化剤として作用する。


図10 ガス殺菌剤(燻蒸剤)

<エチルアルコール>

 カビに対して使用が可能なアルコール類およびアルデヒド類の化学構造式を図11に示した。エチルアルコールは揮発性と可燃性が高いので特に注意が必要である。エチルアルコールの作用メカニズムは微生物細胞膜への浸透により細胞膜が破壊され、タンパク質の溶出や変性が起こり殺菌効果を示す。したがってエチルアルコールの場合には70w/w%(重量パーセント)(約80v/v%(容量パーセント))の場合が最も高い殺菌力を発揮し、この濃度域より高くなっても低くなっても殺菌効果が激減する。この理由は細胞表層の膜と同じ疎水性にアルコール水溶液を調製すると浸透性が高くなり、高い殺菌活性を示すことに基づいている。エチルアルコールは栄養型の細菌には有効だが、細菌芽胞、真菌や酵母に対しては長時間の接触が必要である。なお、最小発育阻止濃度(MIC)は黒麹カビ(Aspergillus niger)、青カビ(Penicillium notatum)に対して、5パーセント濃度において48時間接触条件で生育を阻害する。エチルアルコール濃度を70パーセントに保ち(蒸発を防ぎ)長時間接触させることでカビを殺菌することが可能だが、エチルアルコールを栄養源とする酢酸菌やその他の微生物の存在により消費されてしまう欠点がある。

<プロピルアルコール、イソプロピルアルコール>

 プロピルアルコールおよびイソピロピルアルコールもエチルアルコールと同様に細胞内へ浸透しやすい濃度(細胞表面疎水性と同じような疎水性)にすると殺菌活性が高くなる。

<ホルムアルデヒド、ホルマリン>

 ホルムアルデヒド燻蒸は初期の空間内濃度1,000〜3,000ppm(パーツパーミリオン)とし、最低濃度を600ppm(パーツパーミリオン)以上で7時間以上、湿度70パーセント以上を維持すると細菌、細菌芽胞、真菌、ウィルスおよび原虫等の全てが殺滅され、所期の目的が達成できる。しかしホルムアルデヒドガスは変異原性が陽性、吸入毒性と経皮毒性が高く、皮膚感作性が陽性、眼刺激性が高いことより、ホルムアルデヒドガスを用いた燻蒸や殺菌には取り扱いや廃棄に細心の注意が必要である。人体に及ぼす危険性、環境への負荷などが問題となりホルムアルデヒドガス燻蒸は極めて少なくなった。なお、ホルマリンは35〜38パーセントホルムアルデヒド水溶液(無色、強い刺激臭)であり、真菌、細菌、原生動物に対して高濃度(原液の100倍希釈液)では非常に高い効果を示す。黒麹カビ(Aspergillus niger)およびカンジダ(Candida albicans)に対しては(0.05パーセント)500ppm(パーツパーミリオン)以上で増殖抑制効果を示す。

<グルタルアルデヒド>

 グルタルアルデヒドは通常2〜20パーセント水溶液が殺菌に使用され、主に医療機器(内視鏡)の殺菌消毒に利用されている。2パーセント水溶液は細菌、真菌、ウィルスを15秒で殺滅し、芽胞を60分の接触で殺滅する。グルタルアルデヒドは毒性(変異原性が陽性、皮膚刺激性が強い、皮膚感作性が陽性)が高く、人体には使用できない。作用メカニズムはチオール基の酸化、アミノ酸との反応、DNA合成阻害作用を示す。また、アルデヒド類は酸性やアルカリ性下ではアルドール縮合(アルデヒドが脱水反応によりアルデヒド基とヒドロキシル基を持った不飽和化合物を生成する反応)を引き起こす。アルデヒド類の殺菌メカニズムはTCAサイクル(トリカルボン酸サイクル)中の脱水素酵素を特異的に阻害し、タンパク質の合成阻害作用を示す。しかし、グルタルアルデヒドは電子顕微鏡の資料作製には無くてはならない固定化試薬でもある。


図11 アルコール、アルデヒド系殺菌剤

<イソチアゾリン系>

 イソチアゾリン系薬剤の主な化合物の化学構造式を図12に示した。イソチアゾリン系殺菌剤の中で2-n-オクチル-4-イソチアゾリン-3-オンは黒麹カビ(Aspergillus niger)では8ppm(パーツパーミリオン),青カビ(Penicillium funiculosum)では1ppm(パーツパーミリオン)、カンジダ(Candida albicans)では2ppm(パーツパーミリオン)の非常に低いMIC(最小発育阻止濃度)を示し、強い効果を有する。一方、5-クロロ-2-メチル-4-イソチアゾリン-3-オンと2-メチル-4-イソチアゾリン-3-オンの混合物はAspergillus nigerPenicillium funiculosumに対してMICが1ppm(パーツパーミリオン)および0.5ppm(パーツパーミリオン)の非常に強い効果を有する。しかし、これらイソチアゾリン系薬剤は高い皮膚刺激性や眼刺激性を有することより取り扱いに注意を要する。


図12 イソチアゾリン系殺菌剤

<第四アンモニウム塩系>

 第四アンモニウム塩は1935年にGerhard J. Domagkにより、その殺菌活性が見いだされて以来、多種の化合物が開発され、消毒剤として利用され効果を上げてきた。その主なものはモノ型の塩化ベンザルコニウム(病院での消毒剤)、塩化セチルピリジニウム(デンタルリンスや練り歯磨きの殺菌剤)、塩化ジデシルジメチルアンモニウム(食品製造環境殺菌剤)が使用されてきたが、最近我が国においてアンモニウム塩ヘッドを2個有する対称型のジェミニ型(双子型)のアンモニウム塩が開発された(図13)。前者のモノ型の第四アンモニウム塩は細菌に対して高い効果を示すが、細菌芽胞や真菌に対して殺菌効果が低く、低い温度環境や酸性環境に加えタンパク質の共存下では殺菌活性が低下する傾向があった。しかし、ジェミニ型のアンモニウム塩は、細菌、芽胞、真菌、カビ胞子に対しても非常に強い殺菌効果を示し、細菌の表層構造破壊や湿潤環境や水環境でのバイオフィルムの発生を抑える効果が見いだされた。また、ジェミニ型殺菌剤は、薬剤耐性菌の出現を極めて低く抑えることができるなど優れた特徴を有している。さらに、細胞壁の厚いアルコール酵母(Saccharomyces cerevisiae)の栄養細胞、黒麹カビ(Aspergillus niger)の胞子に対して30分の接触で5〜20ppm(パーツパーミリオン)程度の低濃度において高い殺胞子活性が認められた。本薬剤は毒性(血液毒性、経口毒性)が低く、皮膚感作性が陰性であり、少し弱い皮膚刺激性を示すものの資料の展示室や保存施設におけるカビ胞子数を低減させる環境消毒剤として効果を発揮すると思われる。なお、防カビ剤の詳細については「防菌・防黴剤の開発と展望」、シーエムシー出版および「菌防黴剤原体事典」、日本防菌防黴学会を参照。


図13 第四アンモニウム塩系殺菌剤

4.カビ被害防止のための管理について

 文化財は人間の歴史と関係する遺物・遺産であって、その歴史伝承の媒体として後世に伝えることを目指している。そのため文化財保存の最終目的は、実物(オリジナル)の保存であり、具体的には形態の保存と価値(鑑賞における色、使用痕、環境履歴)の保存が求められる。
 資料や作品は人の歴史の記録であり、資料や作品の価値付けの主体は人間である。人間の活用なくして資料保存の意味はなく、そこで保存環境を整えるにあたっては、資料や作品の理想的環境下での寿命ではなく、空気(酸素・水・二酸化炭素)があり、居住環境の温度帯、人間が利用可能な環境下で寿命を全うさせることを目指す。著しく寿命を短くする負荷を低減するように環境を整えることが保存環境づくりである。
 資料保存の考え方は、かつての処置中心(被害が生じた後の対策)から、1990年代に予防中心(被害を未然に防ぐ対策)Preventive Conservationに変わりつつある。生物被害防止対策についても、臭化メチル製剤の使用禁止を受けて、総合的有害生物管理(IPMIntegrated Pest Management)の考え方が博物館・図書館等の分野にも導入され、約10年が経過した。カビ対策を考える場合、カビの胞子は外気とともに多量に流入し、栄養分と自由水があればどこでも繁殖するが、被害が発生するまでは気づくことはなく、被害がない程度に環境を整えるというIPM手法がこれまでも採用されてきたとも言える。しかし、カビは繁殖することで基質そのものを物理的に・化学的に分解し、カビ代謝物の残存からフォクシングが発生したり、資料を直接分解汚損するおそろしい劣化要因であり、なによりも繁殖を抑えることが重要である。水分制御と清掃、資料清掃が欠かせない対策である。
 文化財行政においても「国宝・重要資料の公開に関する取り扱い要項」(平成8年7月12日、文化庁長官裁定)の中で、「6 公開の環境 重要資料の公開は、じんあい、有毒ガス、かび等の発生や影響を受けない清浄な環境のもとでおこなうとともに、温度及び湿度の急激な変化は極力さけるとともに、次に掲げる保存に必要な措置及び環境を維持すること。1慣らし 2温湿度の調整 3照度」とあるように、カビの発生については十分に警戒するよう通知している。資料や作品の置かれている施設は博物館・美術館だけではない。重要な文書等は図書館・公文書館・文書館・史料館等にも収蔵され、また多くの歴史資料が図書館・史料館・資料館の収蔵物となっている。

表5 IPMに則ったカビ被害対策の進め方

IPMの段階 全体方針 具体的な対策
回避 利用できる水分量の抑制 水分流入阻止、空調、室間の差圧調整
遮断 栄養物/塵埃の低減 清掃、フィルターによる浮遊粉塵除去
監視 検出方法の普及 点検、LED点光源の利用
対処 除菌あるいは殺菌の選択 ガス燻蒸利用時の基準、除菌方法確立
計画の見直し 体制を整える 点検時期の見直し、空調制御方法見直し等

カビ被害対策の段階的実行

 資料への微生物被害を抑えるにあたって、資料特有の制限がある。例えば、資料表面に滅菌や防カビのために薬剤を塗布することは、将来の変色などを誘発するおそれもある。また栄養物等の除去のための表面クリーニングは、資料の破損を招く怖れもあり頻繁には行えない。そのため、すでに広範にカビ被害を受けてしまった資料については、ガス燻蒸で殺菌し、再発しないように環境整備を計画することが必要となる。資料への微生物被害対策としてなによりも重要なことは、微生物が繁殖しにくい環境に資料を保管することしかない。博物館等で保管されている資料は保存環境を管理して、資料周辺を清浄に保ち、高湿度環境にならないように計測監視することが重要である。
 カビ被害が発生する時期は、新築/増改築、漏水・浸水、結露の発生、高湿度空気の滞留、設備の故障、粉塵堆積の見過ごし、などであり、その対策は初発燻蒸、空調稼働、材料選定(被害を受けにくい建材を利用)、設備復旧と増設である。建物の応急処置・修理は優先的におこなわれる必要があり、換気・送風による温度差の解消や資料周辺の清掃が重要である。多量の寄託、移転、借用時など外部から資料を搬入する場合には、何らかの除菌処置は必須であろう。

<回避>

 カビ被害を回避するには、何よりも生えにくい環境を整えることにある。資料表面のクリーニングは専門の技術者であっても難しく、また人間が利用できる空間として酸素濃度は下げられないため、カビ発生抑止のために採用できる方法は、カビが利用できる水分量を低減して、温度設定を見直し、発生速度を遅くすることである。また同時に、大気からの塵埃により資料表面に栄養物が蓄積され、また外気から胞子に汚染された空気が流入する場合もあるため、空気清浄化を計画することが重要である。
 外からの不容易な水分の流入を阻止するには、建物外周の水回りの始末に注意するとともに、扉などの開口部をふさぐことである。また室内側を正圧にしておけば空気の流れが常に内から外に向けて作られ、水分や塵埃の流入を阻止できる。
 除湿可能な空調があれば生育抑制には有効で、送風装置で室内の温度むらを一様にできれば、カビ発生にもっとも影響する結露や高湿度たまりの解消に役立つ。

<遮断>

 遮断の処置としては、汚染された資料の持ち込みを抑制し室内の微生物量を低減することのほか、資料とその周囲のクリーニング、汚染拡大防止のための措置などがある。微生物はたいそう小さく、空気と同じ挙動をするため、空気の流れのとおりに拡散していく。室内空気を清浄化するよう計画し、空調機にHEPAフィルターを組み込む、空気清浄機を増設するなど、遮断には機器類のサポートも必要である。
 重要な資料が収納されている空間での作業については、塵埃発生の程度について把握し、作業計画を立てる。人からの汚染を避けるために必要な場合には、マスク、手袋等を装着することも有効である。
 室内大気の塵埃の量と利用人数には相関があるため、特に重要な区画については立ち入り人数・滞在時間を把握するために記録をつけ、空気調和設備の整っていない区画に特に重要な資料が収納されている場合には、立ち入り人数や滞在時間を制限することも有効である。

<監視>

 監視には、資料そのものを点検して微生物被害発生の早期発見・対処を目的とする活動と、環境を監視して微生物被害発生を遅らせる活動がある。
 資料点検にも適した時期がある。空調などの制御ができない収蔵場所では、気候の影響を大きく受ける。曝涼は防虫殺虫・防カビを目的とした高温多湿な夏を越えた日本での資料保存の智恵とされるが、日本海側・瀬戸内海など年間通して相対湿度が安定している地域では一般に気温の下がる秋季には資料の含水率が増加する条件となる。冬季の乾燥の激しい東京など太平洋側の気候では11月以降に含水率が下がり、6月の梅雨季に資料の含水率上昇が見られるため、秋の曝涼は含水率を下げるのに有効な手段と言える。このように当日の気候条件を検討して適している場合に行うことが重要である。

<対応>

 緊急処置として、カビ被害の拡大を防ぐために、資料をすみやかに隔離する必要がある。カビが生えている区画への無駄な立ち入りの制限、閲覧等の利用を一時的に中止して、カビの生えている区画とその他の区画間の空気交換が行われにくい状況に管理する。
 短期的な対処としてカビ等の処置は、すみやかな除菌および殺菌・ガス燻蒸に尽きる。しかしこれらはあくまでも後手の対応であり、長期的に、施設内に収納された資料を管理する場合には、カビ等微生物被害を受けにくい環境に、資料を取り巻く空間を管理制御していくことが大切である。
 カビ等微生物被害は、一般的な建築室内環境では、湿度調整・換気・清掃などの適正な管理を怠れば、時間経過に伴い急激にその発生の危険性は増していく。例えば、結露が原因であれば、温度差がなくなるように、断熱補強や空調温度設定の変更など何らかの方法で、空間全体をほぼ等温にするように変えていく必要がある。また空気溜まりを作らないようにする、全体的に湿度を下げるように除湿器を増強するなど、気流の確保と湿度管理はたいそう有効である。一般環境で見られるカビは大気中に含まれた土壌粉塵などが発生源であり、清掃による除塵、空調ダクトからの吹き出し空気の清浄化などの対策が必要である。

<保存体制の見直し>

 資料保存管理のためには、管理者による継続した監視、記録と設備が必要である。設備については常に稼働状況を監視し、適宜更新が必要である。また、管理者が保存に取り組みやすい状況を全体で作り出すとともに、研修などを通して常に情報を集め、多様な対処法を身につけることができるようバックアップしていくことが必要なのである。
 職員の啓発活動の推進に加えて、利用者へのカビ被害が資料や人体に与える影響についての周知も重要な課題である。

5.カビ被害の早期発見と緊急対策

 カビ被害は発生のための環境・栄養条件が整い次第、やや広い範囲で同時に発生するため、できる限り被害の小さいうちに発見して、除菌・消毒による緊急対応とともに保存環境の見直しを進め、被害の拡大を抑えることが重要である。
 カビ被害の早期発見は、カビの生えやすい資料を集中的に監視する資料点検と、資料保存空間の各種計測などから空間の特性を把握してカビ被害の受けやすさを評価する方法がある。展示室や閲覧室でカビが生えていることに気づくのは管理者よりも閲覧者・利用者が早い場合が多く、見つけた場合の連絡先やカビ被害の影響についてあらかじめ周知させる努力が必要である。
 微生物調査に主に採用されてきた手法は、空中菌に対しては落下法、付着菌に対しては滅菌綿棒による採取と培地への塗抹である。近年では採取機器も進み、サンプラーを使って一定容量の空気を採取する方法も採用されるようになった。大気中に漂う胞子等の量は人の活動に依存するため、空中菌のサンプリングは一定した条件のもとで行わない限り、その量についての比較ができないことに注意が必要である。毎日始業前にサンプリングする等、一定期間ごとに同じ条件のもとで試料採取して空間の清浄度を管理するのが最良である。空間内にカビ被害が発生した場合、相対湿度90パーセント以上の空間であれば胞子の飛散は起こりにくいが、通常の環境では胞子等が空中に飛散するため、空中菌量が増大し、カビ被害の早期発見につながる情報となる。いずれの方法でも培地の選択次第で、生育しやすい真菌類・細菌類が異なる。スライドグラス中に封入されたカビ菌糸を試験場所に設置してその成長速度からカビ被害可能性を評価する方法も、市場に提供されている。
 資料へのサンプリングによる資料への負担は最小限にして最大の情報を得るためには、好湿性・好乾性・好ちょう性などカビの生育条件をよく理解し、調査対象資料の置かれた空間の環境条件を把握し、その条件下での資料への被害微生物を想定して調査手法を組み立てていく必要があり、保存科学や微生物制御の専門家と協力して調査計画を立てることが重要である。
 微生物被害への対処方法の決定には、資料への影響、人体への影響、地球環境への影響と、経済性(時間/場所)を考慮する。まず、化学薬剤に頼らない処置の導入が可能かを検討し、その後、化学薬剤による処置を検討する。学芸員や司書など、資料保存を現場で担当する職員は、化学物質への知識が乏しい場合が多い。職員は当然ながら労働者として労働基準法に守られており、化学物質による健康障害の防止について雇用側は何らかの対応を義務付けられているものの、本来の学芸業務、司書業務には化学物質取り扱いは含まれていないため、研修等の機会がなく、保護具について十分に学習できるよう機会を作るべきである。
 緊急対策としては、資料のすみやかな隔離が必要である。微生物は微小なため空気の流れに沿って移動するため空気の動きを遮断するように、資料をその他の資料のある空間とは別の空間に仕切るよう、何らかの方策を立てる。厚手のポリエチレン袋を二〜三枚重ねてかぶせることで胞子の拡散を防ぐことができるが、内部の資料が蒸れて被害が著しく進むこともあるので注意し、変化を監視できるような方法で別置する。
 大規模に被害が拡がった場合には、ガス燻蒸以外にカビ被害を抑制することは難しく、ガス燻蒸可能かどうか判断する。大概の場合、カビの生えた原因が施設への漏水にあり、ガスが外部へ漏れる恐れが大きく、収納空間全体のガス燻蒸は難しいことが多い。空間内でテント燻蒸をおこなう事例はあるが、十分に排気しきれないので、資料への薬剤残留分は多い。また、図書資料は利用者が直接手にとって利用するもので、大学等では若年者の利用が多いこともあり、残留ガスの人体影響の点から、ガス燻蒸の採用を躊躇する場合も多い。燻蒸後に十分に排気・交換すれば残留薬剤量は微量である。移動燻蒸車の利用も可能である。
 ガス燻蒸は、被害がないのに処置するのは無駄で、何ら意味はない。ガス燻蒸した時点ではすべての微生物は死に絶えているが、換気で空気を入れ替えたとたん、外気と一緒に微生物がまた室内に誘導されるからである。また、すべての細胞に対しても同等に有効で、そのため強い人体毒性を持つ。滅菌には必要な処置であるが、残留ガスの人体毒性と、微量の残留ガスによる資料の劣化促進が問題である。また燻蒸後に資料表面のクリーニングを行わない限り、繁殖していた微生物の死骸が資料表面に保湿層を作り、新たな栄養ともなって次の被害を招きやすい点も問題である。
 化学物質による健康障害の防止の原則は、

  • 1)使用の中止、有害性の少ない物質への転換
  • 2)工程、作業方法の改良による有害物質の発散の防止
  • 3)設備の密閉化、有害工程の隔離
  • 4)局所排気による汚染物質の拡散防止
  • 5)全体換気による汚染物質の希釈排出
  • 6)作業環境測定による管理状態のチェック
  • 7)保護具の使用による人体侵入の防止
  • 8)特殊健康診断による適正配置の確保
  • 9)定期健康診断による異常の早期発見と治療
  • 10)不注意、不適当な作業方法、姿勢等による異常曝露の防止

であり、番号の小さな対策ほど有効性が高い。何ら情報を与えられていない、研修機会のない労働者の労働環境を守るためには、(1)を選択せざるを得ない場合が多い。