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第1章   キャリア教育が求められる背景
   文部科学行政関連の審議会報告等において,「キャリア教育」という文言が登場したのは,平成11年12月の中央教育審議会答申「初等中等教育と高等教育との接続の改善について」(以下「接続答申」という。)が初めてである。
   同審議会の基本テーマは,答申の名称が示すとおり,学校種間における接続をいかに改善するかに置かれていたが,加えて,学校教育の最終段階における接続,つまり,「学校教育と職業生活との接続」の改善も視野に入れられることになった。それは,当時既に,若者のフリーター志向の広がりや無業者の増加,高水準で推移する就職後の早期離職等,「学校から職業への移行」にかかる課題は深刻なものとなっており,学校教育における接続の改善を図るに当たっては,卒業後の職業生活を視野に入れた接続全体の在り方を検討する必要があったからである。「キャリア教育」の推進は,このような流れの中で,第一義的には,「学校教育と職業生活との接続」の改善,言い換えれば「学校から職業への移行」にかかる課題を克服する観点から要請されたのである。
   こうした「接続」ないし「移行」といった,いわゆる「出口」にかかる課題の背景には,職業選択をめぐる急激な環境の変化に加え,社会の成熟化や生活環境の変化等により,子どもたちの生活・意識が変容してきていることなど,極めて広範かつ根深い要因が存在している。特に,近年の社会・生活環境の加速度的な変化が子どもたちの社会的発達に及ぼす影響は極めて大きい。「接続答申」においては,こうしたことを踏まえ,「小学校段階からの発達段階に応じたキャリア教育の推進」が提唱されている。
   その意味で,「接続答申」における「キャリア教育」の推進は,こうした「接続」・「移行」にかかる課題と子どもたちの変容を前にして,教育は何ができるのか,何をなさねばならないのかという,教育の在り方についての包括的な提言であったと言うことができよう。

   学校から社会への移行をめぐる様々な課題

   経済のグローバル化が進展し,コスト削減や経営の合理化が進む中,雇用形態等も変化し,求人の著しい減少,求職と求人の不適合が拡大している。
   若者の勤労観,職業観の未熟さ,職業人としての基礎的資質・能力の低下等が指摘されている。

(1)    就職・就業をめぐる環境の激変
   今日の厳しい経済情勢や産業・経済及び雇用の構造的変化等に伴って,「学校教育と職業生活との接続」ないし「学校から職業への移行」は,量的にも質的にも極めて困難な局面を迎えている。
   その第1は,就職・就業をめぐる環境が激変したことである。経済のグローバル化が著しく進展し激しい競争を強いられる中,企業はコスト削減や経営の合理化を余儀なくされ,製造部門の海外移転をはじめ,営業・販売部門等の再構築や,それに伴う雇用調整等を進めている。また,職業人に求められる資質や能力も大きく変化し,採用においては,即戦力志向の高まりや業務の高度化に伴って,経験者採用や中途採用,さらには,外部委託等の比重が高まるとともに,定型的業務については,正規雇用から一時的・非正規雇用(アルバイトやパート等)への切り替えが,広い範囲にわたって進められている。
   このような動きに伴い,中学校・高等学校・大学を問わず,求人は著しく減少するとともに,求職希望と求人希望との不適合が拡大し,新規学卒者の職業生活への移行に様々な問題を投げかけている。また,終身雇用や年功序列型賃金に象徴される従来型の雇用慣行が見直される中,若者にとって,将来の生活や社会人・職業人としての生き方を描くことが,かつてなく難しくなっていると考えられる。

(2)    若者自身の資質等をめぐる課題
    第2に,若者の勤労観,職業観や職業人としての基礎的・基本的な資質・能力をめぐる課題である。働くことへの関心,意欲,態度,目的意識,責任感,意志等,広い意味での勤労観,職業観の未熟さをはじめ,コミュニケーション能力や対人関係能力,基本的マナー等,職業人としての基礎的資質・能力の低下を指摘する声は,これまでになく大きく厳しい。
   若者の資質等にかかるこのような課題は,決して今に始まったわけではなく,程度の差はあるものの,過去から様々に指摘されてきた問題である。しかし,かつてのように従業員の確保が最優先され,若者への求人が数多くあった時代にあっては,企業は長期的視野に立って教育・訓練することに意を用いてきたことなどから,若者の資質が大きな社会的関心事となったり,厳しい批判の対象となったりすることは少なかったのである。
   今日,産業・経済社会は激しく変化するとともに,極めて厳しい経済状況が続いている。そうした中,若者の意識や資質にかかる課題は,学校から職業への移行をめぐる大きな社会的課題として一挙に露呈し顕在化したと考えられる。上記の厳しい指摘は,こうした事情を如実に物語っていると言えよう。
   年齢別人口構成から見れば,近い将来,若年労働力が逼迫する事態も予測される。しかし,産業・経済社会の構造的変化が一層進む中,若者の意識や資質の向上がない限り,学校から職業への移行は依然として楽観を許されない状況が続くと考えなければならない。
   長年にわたって指摘され続けているこうした課題を克服するために,学校教育においてこれまで真摯な取組がどの程度行われてきたのか,また,今後,教育の在り方をどのように変えていくのかが厳しく問われていることを深く認識し,新たな対応を検討することが求められる。
   さらに,このような課題は,そのすべてを若者の努力や責任に帰すべきものではないことにも十分留意しておく必要がある。フリーター志向の広がりや早期離職等も,今日の経済状況や労働市場の変化と深くかかわっており,これらをどう評価するかについては難しい側面がある。「接続」や「移行」にかかる問題を検討するに当たっては,若者と教育の在り方との関連とともに,社会全体の動きとの関連を視野に入れ,複合的・多面的に見ていく必要がある。

   子どもたちの生活・意識の変容

   精神的・社会的自立が遅れ,人間関係を築くことができない,進路を選ぼうとしないなどの子どもたちが増えつつあることが指摘されている。
   高等教育機関への進学割合の上昇等に伴い,いわゆるモラトリアム傾向が強くなり,進学も就職もしようとしなかったり,進路意識や目的意識が希薄なまま「とりあえず」進学したりする若者の増加が指摘されている。

(1)    子どもたちの成長・発達上の課題
   子どもたちの成長・発達をめぐっては,身体的には早熟傾向があるにもかかわらず精神的・社会的自立が遅れる傾向にあること等が,各方面から指摘されている。また,最近では,遊びや消費活動,情報活用能力等における早熟化が進む反面,生産活動や社会性等に未熟さが見られるなど,発達上の課題が一層顕著になっていることが指摘されている。
   この背景には,幼少期からの様々な直接体験の機会や異年齢者との交流の場が乏しくなったこと,豊かで成熟した社会にあって人々の価値観や生き方が多様化したことなどが考えられ,そのことが自己や他者及び身の回りの環境等への関心や勤労観,職業観の形成・確立など,子どもたちの発達課題の達成を困難にしていると考えられる。
   また,子どもたちは,自らの成長・発達を支える上で不可欠な「社会の現実」や異年齢者等との多様で幅広い人間関係を得ることができず,モデルとすべき生き方を見つけにくい状況に置かれている。このことは,不登校をはじめとする生徒指導上の様々な課題とも無縁ではない。
   各種報告等では,人間関係をうまく築くことができない,自分で意思決定できない,自己肯定感を持てない,将来に希望を持つことができない,進路を選ぼうとしない等々といった子どもたちが増えつつあることが指摘されているが,これらは子どもたちの成長・発達上の課題が相当に根深く深刻なものであることをうかがわせるものであろう。
   しかし,その一方,働くことや生きることに対する子どもたちの関心や意欲は低下しておらず,潜在的な資質・能力が高いことを裏付ける事例も少なからず見受けられる。適切な機会や場が提供され,指導内容や方法等に工夫がなされれば,子どもたちの豊かな可能性は,予想以上に大きく開かれるに違いない。
   これからの教育においては,子どもたちが置かれている今日の状況をしっかりと認識するとともに,目の前にいる子どもたちの実像を見極め,子どもたちの成長と発達をどのように支え促していくのかという視点に立って,きめ細かな温かい取組を展開していくことが強く求められる。

(2)    高学歴社会におけるモラトリアム傾向
   子どもたちの発達の変容は,少子高齢社会,高学歴社会の到来とも深くかかわっている。
   近年,少子化や家庭の経済的ゆとりの増大,高学歴志向等を背景として,大学,短大,専門学校等の高等教育機関に進学する者の割合は著しく上昇してきた。そうした動きに伴って,若者が職業について考えたり選択・決定したりすることを先送りする傾向,いわゆるモラトリアム傾向が強くなり,進学も就職もしようとしなかったり,進路意識や目的意識が希薄なまま「とりあえず」進学したりする若者が増加していることが指摘されている。
   成熟した社会にあって,多くの若者が高等教育を志向することは,必然的な流れとも言えるものであるが,そうした高等教育は卒業後の進路や職業への系統的準備の教育を含んだものであることによって十全なものとなり得る。しかし,現状は必ずしもそうなっておらず,また,高等学校,大学双方において,こうした視点に立った改善の取組はあまり進んでいないことも事実であろう。安易な高学歴志向やモラトリアム傾向は,それを許容する学校教育の在り方に内在する問題でもあることを踏まえ,今後,この面での取組を飛躍的に強化していくことが求められる。
   なお,高学歴志向やモラトリアム傾向の背景には,この要因のほか,保護者自身に,とりあえず進学させさえすればという意識が強かったり,必要以上に長期にわたっての子どもの経済的依存を許容したりして,若者の自立を阻害していることなどが考えられる。保護者の意識や養育態度の在り方も,今後の大きな検討課題であることを提起しておきたい。

   これらの課題は,社会の成熟化や生活環境の変化等によって,必然的にもたらされるものという側面を持っている。しかし,それは同時に,そうした側面に気付きながら,子どもたちへの適切で有効な働きかけを十分行ってこなかった大人社会の在り方やその責任が問われる問題でもある。
   激しい社会変化に伴う「接続」や「移行」をめぐる環境は激変し,これと並行して子どもたちの発達上の課題が顕著になってきている。このような状況を踏まえ,今,教育をどのような方向に変革していけばいいのか。また,そのことを通して,21世紀の変化の激しい流動的な社会を力強く生きていくために必要な資質や能力をどう育成していくのか。キャリア教育には,「生きる力」を身に付けるという時代の要請に応えていく重要な役割が期待されている。



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