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素晴らしい試みであると感じた。講座の内容の工夫について伺いたいのだが、これらの講座は大学でやっているものそのものではなく、高校側との協議会等で色々と意見を取り入れて内容を決めているものなのか。
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中山助教授
基本的には学部生が受講する授業そのものを配信している。
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すると、学内からの抵抗は思ったより少ないということになるのか。
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大即教授
というよりも、実際はその抵抗のない先生にやってもらっているというのが実情である。
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中山助教授
先ほど説明したように、あくまで先生方のボランティアでやっている状況である。以前、担当教員がある高校を訪問していただいたところ、先方には1人の生徒しかいなかった。ただ、高大連携授業の内容について色々と質問されて、高校生が普段学んでいる内容などについて1時間以上話をしてとても楽しかったという報告をいただいた。そういうまさにボランティアでやっている状況であり、それは生徒も同じ、高校も同じである。
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高校生が思ったより楽しんでいたという感想があったが。
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中山助教授
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2002年当時は、最後まで残った生徒たちの意見としては、楽しかったというものが多かった。生徒からの意見としては、高校生に合わせた授業をやってほしくない、大学でやっている授業をそのまま教えてもらいたいというものであった。ただ、その後少し状況が変わって、さすがにちょっと難しい授業だとやめてしまう生徒もいるように感じる。
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我々の高校では土曜日の2時間を使って特別授業として40ほどの講座を設け、生徒たちが受けるということをしている。主として卒業生を頼りに来てもらい、講義をしてもらっている。それを、1学期8回を単位に、年3回、3つのテーマで話をしてもらうということをしているが、例えば、90分8回くらいのサイクルであれば講義してもらうということは可能か。
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中山助教授
恐らく難しいと思う。それは、公開講座に合わせてデザインをして運営すると、その分手間がかかるからである。授業ではなく、独立の公開講座としてやろうとすると、内容を検討することから始め、先生方の日程を合わせたり、教材の検討などが必要になり、先生方の協力を得にくい。やはり、通常の正規授業としてやっていることをそのままやってもらうというのが長続きするように思う。
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大即教授
附属高校に毎週土曜日に行ってやっている授業など、公開講座として設計しているものも中にはある。
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中山助教授
総合的な学習の時間を使って配信授業を活用している高校からは、オムニバス形式の授業をお願いしたいという要望もある。オムニバス形式であれば、何人かの先生が順番に講義をするというものであるから、そのうちの1人、あるいは2人分の講義を高校の授業に活用するということもでき、高校側の取捨選択が容易となる。
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普通の授業であれば、大学生には試験とかレポートとかがあるが、公開講座ということであればそういうものはないと思う。そこで、高校側から評価の実際のやり方などについて問われることはあるか。
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中山助教授
評価については完全に高校に任せているが、例えば大学で期末試験等を実施している授業については、期末テストの問題を送ってほしいという要望もある。そういった場合、担当の教員が作成した問題の模範解答も一緒に送っている。中には、生徒がレポートを書く場合もあり、そのような場合は授業担当の教員先生に見てもらっているいる。
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検討課題として、受講生が入学した場合の単位認定の可能性ということが挙げられていたが、法令的には十分可能。これについて踏み切る、踏み切らないという色々な議論があれば教えていただきたい。
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大即教授
以前は単位認定に関してあまり議論はなかったようだが、今の話を聞いて、恐らく数年前と状況が変わっており、前向きな検討ができるのではないかと思う。
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18歳にならないと大学生にはなれないが、放送大学では15歳から科目履修生として入ることができる。22歳にならないと卒業はできないが、30単位を取れば16歳でも17歳でも正規課程に入れる。今、15歳から18歳までの高校生相当の学生が50人くらいいる。しかも、これは大学から単位が出るから、協定さえ結んでいればどの大学に入っても60単位までは読むことが可能であり、飛び入学を丸々やったことと同じような効果があると思う。また、現実に学生が活用しているかどうか分からないが、大学院の授業は18歳から受講できる。
オープンユニバーシティーというものはそういうものであり、しかも、テレビやラジオで受講でき、試験を受ければ大学生と同じように単位を取得、成績もつけられる。また、面接授業もある。もしオープンユニバーシティーというシステムがうまく機能すれば、飛び入学などという議論はなくなるのではないかと思う。高校で必修になっているものを勉強しなかったから大学に行けないということも恐らくなくなる。日本は、オープンユニバーシティーというものが少なすぎると思う。
大学は箱に入れて箱から出しているのではないか。何々学部、何々学科というと、どうしても必修がなければ学科構成ができないので、必然的にある塊を勉強することになる。塊の途中を省略して抜けていくこともできない。そういったものとは別の学修の仕方があるのではないかと考える。箱を外に置いたもう1つの教育体系がパラレルにあると、随分色々なことが柔軟になるのではないか。高等学校と大学院まで円滑につながるのではないかという気がする。
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今、高校生相当が50人ほどいるという話であったが、その履修状況などについて詳細に教えていただけないか。
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それらの学生は、高等学校と連携をとっているというものではなく、個人的な希望で入ってきているものであり、詳細については把握していないが、調べてみたいと思う。
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大学院の方でも、飛び入学のようなことがあるのか。
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大学は22歳になるまで卒業できないが、科目履修生として大学生のときから大学院の授業を取っている者はたくさんいる。特に語学や数学が多いようだ。
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先ほどの話のようなことはこれからも進んでいくのだろうと思うが、そういったときに大事なのは、一つ一つの授業の質の保証ということがあると思う。特に、東工大の試みはメディアを使っており、流しっ放しにするとうまくいかない部分もあると思うが、この方式で大学の授業としての質を担保していくような要件のようなものを感じていれば聞かせていただきたい。
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中山助教授
本事業としては実施していないが、質を保証する方法の1つとして、スクーリングがあると思う。例えば、夏休みに高校生に大学に来てもらって先生の授業を実際に受ける。2日でもいいと思うが、そういう機会を設けたら非常に良いのではないかと思う。ただし、費用の問題もあると思うが、何よりも、何のために実施するかということを明確に意識することが必要と思う。東工大としてそういう授業をやることが大学のメリットになるのか、例えば高い資質の入学者を確保できることになるのか、あるいは社会貢献としてそういうことが広く認知されるのか。そういう意識がないと、結局、何のためにやっているのかということになってしまう。高校生からも講義を受ける以外にも何か他にメニューはないのかということが実際に声としてあるわけだが、そういった声に対し、どのような選択肢が用意できるのかを大学としてある程度考えないと、非常に中途半端になってしまうのではないかと感じている。
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AO入試をするとき、学生の学力のレベルが分からないという問題がある。その際、例えば、放送大学のある単位を取っていた学生だったら良いなどの基準を設けるという考え方もできるのではないか。
それから、もう1つは、1、2年生の教育は殆ど、例えば放送大学に預け、そこで所定単位を取得した者は3年に転学させるというようなやり方もある。そうすれば、随分単位互換の形が変わってくるのではないかと思っている。
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高校生が、以前は難しいことにチャレンジするのを好んでいたが、今は易しい、自分が分かることを学ぶ傾向があるという話があったが、一方、提供しているプログラムは大学の授業そのもので高校生向きではない。そういった状況で、受講する高校生は減っているのか。
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中山助教授
開始当初よりは減っている。また、高校生の受講傾向については、高校の先生から聞いた印象であって、実際は確かにそうだということは言えない。例えば、昨年、工学部の専門科目を半年間提供したところ、多くの高校で学期の途中で受講者がいなくなり、残念であった。かつては難しいから良いという話もあったので我々もチャレンジする高校生を期待していたが、必ずしもどんな授業にも最後までチャレンジするわけでもないことも再認識した。 |
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機会均等ということで、例えば18年度であれば16講座、全府立高校へ同時配信しているという話であったが、高校により色々な独自性、種類というものがあると思う。そういうことへの配慮はどの程度されているのか。一律の内容が全部の高校で同じように上手くいくとは思わない。少なくとも18年度の場合は「21世紀の科学」というキーワードで講義がなされているので、場合によっては相当難しいところもあろうかと思うが。
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鈴江課長
高校によってそれを聴講するか否か、更に単位認定するか否かを判断するものであるので、皆が同時に聞いているわけではない。
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聞く側の問題ではなく、配信する側の配慮はどうか。例えばもう少しきめ細かな配慮をした方が実効的な効果が上がるのではないかとか、色々と考えなければならないことは多いと思うが、その点について、教育委員会の中で議論をしてきた経緯等あれば聞かせていただきたい。
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鈴江課長
そういった観点からの配慮ということであれば、我々が大学の先生に依頼をしにいく時も、対象はほぼ高校の1年生もしくは2年生であるが、それほど高校のレベル、学年のレベルの学習内容ということは考えなくても結構ですという話をする。その際、もし難しいという話があれば、高校側で補習や解説をするということで対応する。決して受けっぱなしということではないが、それ以上の配慮ということはあまりできないというのが現状。
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成果が見えにくいという話があったが、教師の授業改善に役立つ、あるいは生徒の9割が講義に満足しているというだけでも私はすごいことではないかと思う。
進学意欲ないし勉学意欲というものの低下の原因は恐らく目標が見失われていることにあるだろうと思う。そこで、来年は京都の伝統文化ということであったが、どのようにして講義テーマを決めるのかということも聞きたい。それから、それが生徒の学習意欲、教師の授業態度の改善等にどのように反映されたのか。さらに、それをどのように評価するのかということについて聞きたい。
また、京都では、市内は昼間だが、丹後の方ではもう夜のようであったり、雪が降っていたりということもあり、時間通りに通常の授業を受けるということは難しい。まさにそのためのインターネットであろうかと思う。これはダウンロードしておけば、あとでいつでも見ることができる。
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鈴江課長
成果ということになると本当に難しい面があるが、以前より様々なことに奔走する中で、1人でも2人でも講義を受けて学問の面白さを感じてくれる生徒がいてくれればいいという思いでやってきた。ただ、教育行政の立場にいると、やはり進学率がどのように伸びたかとか、難関大学に入ったかとか、実際講義を聞いた大学への進学はどうであったかとか、非常に短いスパンでの成果を求められやすい。そのように成果を捉えるとなかなか見えにくい。大学にとっても、志願者が増えたか、提携先の高校から志願してくれる生徒が増えたかなど、どうしても数字に残るようなことになると成果としては見えにくいかと思う。事業ということになれば、予算を使うからにはやはり成果を問われることになる。
授業改善という点では、毎回、大学の講義は難しい概念をわかりやすく説明したり、最近の色々な分野の動向を説明したり、高校生たちも受験科目だけではなく様々な分野を勉強することができ、将来非常に役に立ちそうだという感想が聞かれる。我々にとっても、こういうことが実に大切なことであったと気付かされる。とかく受験のための知識、数字ばかりに拘りがちだが、そういうときに本当の学び方を意識させられ、教師自身も大変に参考になったであるとか、学部選択の進路指導に参考になったとか、生徒の進路指導のミスマッチもなくなるということもあろうし、授業改善ということに関してもヒントを得るものが多かったという感想も直接学校の先生から聞くこともできた。
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恐らく、こういった高大連携に参加することは、大学の先生にとっても良いファカルティディベロップメント(FD)の機会になっているのではないかと思う。先ほど大学の箱という話もあったが、いわゆる従来の閉じた大学の殻を破っていくことで、また何か新たなものが生まれる可能性もあると思う。
成果の問題もあったが、教育の成果というものは教育心理学の永遠の課題でもあり、やはり簡単に成果ということには表せないものと思う。
こういった高大連携の取り組みというのは、特に大学受験という日本の抱えている難問題に風穴をあける1つの大事な取組みなのではないかと思っている。未履修問題なども一方であるわけだが、テストで100点をとってもそこで学びが終わってしまったら本当の学びとは言えないと思うので、単に学力ということだけではなく、感想として挙げられているような「数学のおもしろさや奥の深さを知って、見方が変わった」というように、次にまた数学をやってみようということにつながっていく、そのようなつながりをこの感想を寄せた生徒は感じているはずで、これだけでも高大連携の重要性を示す非常に重要な証拠になり得るのではないかと思っている。
ただ、1つの課題として、このような感想が出てくるわけだが、では、この後どのようにつないでいくのかということがある。面白いと思うことに対し、次に具体的にどのように学びの道筋について情報提供することができるか、京都の場合にはコンソーシアム京都という組織もあるので、是非トライしていければ良いのではないかと思った。
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地域によって、東京や近畿地方など、大学・大学院といった大きな教育の集団があるところと、一方、例えば離島など、高校が一番上のランクの教育機関であるというところもある。そこで、様々なことを検討する上で、東京という、日本のエネルギーも知恵も全て集まっている、一種の特殊地帯が非常に巨大な存在としてある。そこで行われていることと地方で行われていることは随分違う。すると、例えば高大連携といっても、大学なんて見たこともないという地方もあれば、一方、目の前に大学がいっぱいあって、東京大学の門の前を毎日通っているのに東京大学へ入れなかったという高校生も多くいると思う。そのあたりをどのように考えるか。
もう1つ、大学に入るための入学試験を突破することがもしかしたら日本の教育のかなりの部分を歪めているのではないかということに対し、我々が何かできることがあるのかということ。もしもそれがあるとするならば、それは高大連携ではないか。であれば、長期的視野に立てば、難関大学へ何人入ったかという議論はナンセンスだと思う。しかし、高校生にとっては、今難関大学を通るか通らないかということに対して必死の思いである。そのように、そこへ入ることが人生の目的のように全てを投げ打って高校で勉強してきたという生徒にとって、高大連携はどのように映るだろうか。現状は、大学へ入れるか入れないかということばかりに関心がいっているが、本当は何が教育かという大変難しいことを考えねばならない。
何とか試験に通り、4年間だけ大学に通ったら一生それで飯が食えたという時代はもう終わった。しかし、終わったということを明確に認識していないから、1サイクル目の教育にものすごく拘ってしまう。更に、1サイクル目以上の教育が不十分、すなわち、大学を出た後の生涯教育について然るべきレベルの高い教育というものが日本では十分でない。そこが十分であれば、1サイクル目に基本教育だけやっておき、2サイクル目では色んなところで色んな勉強をしようという考え方ができる。学部を1サイクル目の教育にして、2サイクル目、3サイクル目を一生かかって勉強するというシステムをどのように作るかというのが高大連携の次の問題としてある。試験に落ちてしまったらダメということではなくて、1サイクル目を違う入り口から入ったというだけのことということを、どのように若い生徒たちに示してやれるのかということが、高大連携のかなり大きな役割ではないかと思う。
やはり現在の大学に入るときの競争の激しさと50年前とでは桁違い。そしてフェアでなければならないということを大学入試に要求するから、試験問題を少し間違えればとんでもない問題になって、新聞に大々的に書かれてしまう。人間、間違わないはずがないのに、そういうことを許容しない社会を作ってしまっている。だから、こういった歪みについては高大連携のところで風穴を少し広げ、違うルートから違うルートへ行く学生もいるという考え方が広がれば良いと思う。
4年間1学科にいるということは大変重いことである。だから、もう1回そこに入るということは基本的にあり得ない。修士課程2年間だって、1専攻で2年間びっしりというのは、社会人にとっては途方もなく重い。そういう意味で、教育システム全体を色々と考えなければならない状況にあると思う。大学に行ってその後に至るまでのスパンについて、おぼろげながらでも見ながら議論ができれば良いと思う。
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京都の状況について、皆さんの相当の努力がないとこのようなことを実施するのは難しいと思うが、京都府教育委員会や私立の高校の担当者含め、このような事業に携わっていることに喜びを感じられるような状況にあるだろうか。恐らく、そのような感情がないとこのような大きなことはできないのではないかと思っている。
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須原総括指導主事
なかなか大学の先生方も快く引き受けていただけるということはまずないし、初年度やったときも、機械的な問題等も課題としてあり、色々と大変なこともあった。ただ、例えば京都大学には入学しないであろう高校生が京都大学の先生の話を聞ける機会というのは、もしかしたらもうこれでないかもしれない。また、非常に難しい講義をしていても、その子の目が一生懸命聞いているということも多々ある。感想を取り寄せて読ませてもらうと、やはりやって良かったと思う。どこの学校にも満足を得られるということは本当に難しいし、更に次のステップとして単位認定ということをやろうと思うと、取組みを縛る部分もあり、また難しい。また、これだけ多様化した高等学校が多くある中で、それぞれの学びの広がりをどのように教育委員会として考えていくかということも非常に難しい問題ではあるが、やっていること一つ一つは、成果をすぐに数字で捉えなければならないということがなければ、大変楽しい事業だと思う。
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中山助教授
今日配付している高大連携のパンフレットは、毎年全国1,000校ほどの高校に配付しているが、残念ながら受講している高校は15校ほどしかない。高校側から受信設備を整える予算がないという話も聞くが、一方で、大手予備校の講義を受ける受信設備に関しては、学校で工面して実際活用しているところもある。
また、ある高校からの問い合わせで、そこの高校の生徒ではない高校生がぜひ受けたいということで、他の高校の生徒も受講して良いかという話があり、それは是非受けていただいて構わないという話をした。
我々としては、高校側にも少しこういった高大連携事業に参加するということに価値を見出してもらって、高校と大学でこのような協力関係が築ければ良いのではないかと思っている。
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予備校ができて大学ができないというのは困るが、それについては色々と今の日本の仕組みの中では難しい問題もあるのだろうと思う。
ただ、講義と講演というものがかなり混同されている可能性があるのではないかと感じた。講義というのは10回とか15回とかやって1シリーズで、そこから学生が体系的なものを身につける。オムニバスという講義もあるが、それは極めて特別な講義であって、一般的にはそうではない。それから、講演というのは、1回か2回の単発的な話の内容で、聞く者に強いインパクトを与えるというもの。だから、公開講座といっても全く性質が違うものを1本にしてやると、例えば一発型のものを10回受けたら1単位やるなんてことにしたら子どもが大変。高大連携が何を狙うかということを明確に設計した上でやらないと、場合によっては、高校にそんなもの15回も流されたらうちのカリキュラムが壊れてしまうというようなことを言われてしまうこともあると思う。高校全体を対象にしてやった方が良いのか、能力のあり余っている高校生が夜家で勉強した方が良いのか、そういったことも全体のシステムとしてしっかりフォローアップする必要があるだろう。 |