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「文化審議会著作権分科会法制問題小委員会審議の経過」に対する意見募集に寄せられた御意見

※いただいた御意見は項目ごとに整理させていただいておりますが、原文のまま掲載しております。
項目 意見
6.裁定制度の在り方について
(1)基本的な考え方 一、著作権者が連絡先不明などの場合に、使用者の便宜を図るために、実効性のある弾力的な供託制度への見直しや補償金制度の創設を希望します。

(2)著作者不明等の場合の裁定制度 3手続面の問題の所に、
なお、個人情報保護法に関連し、不明な著作権者を捜す作業の困難さを懸念する意見もあったが、このことを理由として、著作物を利用しようとする者が通常行うであろう調査方法に足りない方法でよいとすることはできず、例えばインターネット上の尋ね人欄に掲載しただけで調査を尽くしたとすることは難しいと考える。
と書いてありますが、今やネットによって世界中が繋がっている状態において、一般市民が著作権者を捜すのは最早不可能と言わざるを得ません。
何故かって?
その著作物が会社等では無く、ネット発、しかも匿名掲示板だった場合、発信者が多岐にわたる上に掲示板の管理人がその掲示板を閉鎖してしまう事もあります。個人のHPだって似たような物です。著作権者が外国人である事しかわからなかった場合はそれこそどうしろと。

裁定制度については、以下のような変更が必要である:
少なくともフォークロアに分類される文化芸術を、ある種の形態で利用(いわゆるフェアユース)する際には、裁定を不要とすべきである。
裁定制度を無視しフェアユースの範囲を超えた利用には罰則を設けるべきである(著作権者不明の場合には、文化庁長官に告訴権を与える)。
フォークロアに対する裁定制度を新設すべきである。
その理由は以下のとおりである。
最近、インターネットの掲示板等の利用者の文化芸術的活動が、日本発の新たな文化芸術の礎となりつつある。その一例が、文字の形を組み合わせて絵としたAA(アスキーアート)である。このAAは、まさにフォークロアであり多くの人の手を経て改良を重ねられるが、作者は特定できない場合も多い。現行著作権法を厳密に適用すると、この場合、個々の貢献者が改作するにあたっては著作者不明として文化庁長官の裁定を受ける必要があるが、そもそもオリジナルを含めた各貢献者はそのような改作を当初から積極的に許容していたと推察されるだけでなく、フォークロアの発達にわざわざ行政がお役所仕事で介入しては健全な文化芸術の発展が阻害される。
同様に、日本の漫画業界の発展を支えているのは、厳密には著作権法に従っているとはいい難い同人誌であるが、この事実は漫画業界はよく認識しており、同人誌を不当に弾圧することはなく、共栄共存している。ところが、日本が漫画に並んで世界に自信をもって発信できる現代的文化芸術であるアニメについては、これまで一般人が貢献できる方法はなかった。この状況を変えつつあるのが、パソコンやインターネットの発達によって可能となった、いわゆる「フラッシュ」であり、ある程度動きのある画像を音声とともに、比較的簡単に作成することができる。この結果として最も有名(後に述べる理由により、有名とはいえ悪名高いだけである)なのは「わた」氏作成になる「恋のマイアヒ」という楽曲への「フラッシュ」であるが、その成立には「フラッシュ」コミュニティの存在は必須であった。その中心的なキャラクターは、インターネット掲示板のフォークロアとして多くの人の手を経て形成されてきた「モナー」というAAである。

同人誌やフラッシュのコミュニティが健全に発達することは、文化芸術振興基本法の基本理念である2条各項の規程「文化芸術の振興に当たっては、文化芸術活動を行う者の自主性が十分に尊重されなければならない」、「文化芸術の振興に当たっては、文化芸術活動を行う者の創造性が十分に尊重される」、「その能力が十分に発揮される」、「文化芸術を創造し、享受することが人々の生まれながらの権利」、「文化芸術を鑑賞し、これに参加し、又はこれを創造することができるような環境の整備」、「文化芸術活動が活発に行われるような環境を醸成」、「世界の文化芸術の発展に資する」に沿うものである。
さて、最近、音楽出版者であり「恋のマイアヒ」に関するある種の権利を有するavex社は、その「フラッシュ」を「恋のマイアヒ」のプロモーションに用いた。その際、裁定制度は利用していない。
ここまでなら裁定制度の無視はともかく、文化芸術の振興という視点からは何も問題はない。しかし、あろうことかavex社は、せっかくの「フラッシュ」を育てた文化的土壌であるコミュニティに対し著作権等を振りかざし、多くの「フラッシュ」サイトを閉鎖に追いやり、わた氏作成のものだけを流通させようとした。これでは、次世代どころか次作品すら育たない、文化芸術振興とは正反対の、今さえよければよいという近視眼的視野の行為である。焼畑農法にたとえようとしたが、焼畑農法のほうが、まだ焼けた灰が次世代の肥料になるだけましで、avex社のやり方は、草を根こそぎ刈り取ったあとの地面に毒を撒くようなものである。さらにavex社は、AAである「モナー」とそっくりそのままの絵と多少改変を加えた絵を自社オリジナルの「のまネコ」として商標登録し、「モナー」に関する知財権を独占しようとした。
幸い多くの国民は文化芸術の公正な利用とはいかなるものであるかについて正確に理解しており、またavex社の非道な行為はネットワークを通じて知れ渡り、avex社は社会的制裁を受けつつある。しかし、今後同様のことが起きた際にいちいち制裁していたのでは社会のほうも疲れるので、何らかの制度的規制が必要である。
とはいえ、その規制は、文化芸術の正当な利用を不必要に妨げるべきでもない。

そこで、同人誌コミュニティや「フラッシュ」コミュニティの健全な育成によるわが国の文化芸術水準の維持と発展のためには、それらの元となる商用著作物のある程度自由な利用とコミュニティ内での成果の交流が必須である。その際、裁定を用いてお役所仕事を介在させることは文化芸術の活力を失わせるだけであり、著作権等の制限により実現すべきである。そのためには、モナー盗用事件を振り返ると「多くの国民は文化芸術の公正な利用とはいかなるものであるかについて正確に理解して」いることから、ある種のフェアユース制度の導入が適切であると考えられる。
フェアユースの概念は、当初から完全な形で導入してもよいが、フォークロアの発展のためだけなら、当面は裁定制度への例外として「公正な慣行に従っているか又は明らかに作者の意図に沿っている場合には裁定なしで著作物を利用できる」という程度で足りる。現行著作権法でもフェアユースの概念は既に、氏名表示権、同一性保持権、引用では「公正な慣行」として導入されており、現行著作権法との不整合も特にない。実際的にも、このような法改正は、現在の漫画業界と同人誌コミュニティの関係を追認するだけである。フェアユースの範囲の拡大は、その後徐々に行ってもよい。
一方、avex社のようにフォークロアを不公正な方法で利用しようとする者に対しては罰則が必要であるが、現行著作権法では多くの罰則が親告罪であり、著作者不詳の著作物に対する不公正な利用に対してはほとんど実効性がなく、avex社やその役職員に刑事罰を下すことは容易ではない。そこで、文化庁長官に告訴権を与える等の措置が必要であろう。
ある利用が公正か不公正かについては、これまでの著作権法の権利制限だけでなく米国の著作権法のフェアユースの条件を日本にも導入すればよい(米国法の条文だけでは、営利かどうかには明示的規程はあるが、例えば私的利用が明示されていない。これでも米国最高裁はタイムシフトをフェアユースと認めたが、日本の司法慣行を考えるとこのような判断は期待できない)。モナー盗用事件を振り返ると「多くの国民は文化芸術の公正な利用とはいかなるものであるかについて正確に理解して」いるのであり、社会的混乱も起きようがない。

また、利用行為の事前にその公正さを担保したい者には、現行同様事前の裁定を行えばよい。
最後に、オリジナルの作者がわかっている場合のフォークロアの著作権と著作者人格権の管理も、誰もが安心して利用できるよう、作者が不明の場合同様に文化庁に委ねることができるようにすべきである。ただ、その場合、フォークロアとしての性質から、利用は無料であるべきで補償金供託の必要はない。

1特定機関による 裁定の実施将来的には必要であり、その場合の特定機関の在り方を議論すべきではないかとおもわれる。
2著作権の制限規定での対応 反対である。限度なく再利用がされる恐れがあるため。
3手続面の問題 
不明な著作者を探す、あるいは探したことの証明については、職権として戸籍や住民票の取得が認められている「弁護士」「司法書士」「行政書士」の証明(報告書)を付すことにより認めるとすれば簡便で国民の利便性になるとおもわれる。また、調査の代行等もこうした資格者で構成される団体に任せるように制度設計をすべきではないかとおもわれる。

意見1
第67条は「相当の努力を払ってもその著作者と連絡することができないときは」裁定を受けることができるとするが、「相当の努力」とは何かが問題になる。審議会は「インターネット上の尋ね人欄に掲載しただけで調査を尽くしたとすることは難しいと考える」としているが、そのとおりだろう。また、書物で著者が特定できる場合で著作権が切れていないと推定される場合は、新聞広告やインターネットの公告掲載では相当の努力と言えないと考える。なぜなら、公告は相手が特定できないときの手段であり、著者が特定できれば、著者が死んでいても、著作権は相続されていると推定され、調査すれば著作権者の特定は容易だからである。この場合の調査は職務上請求権を使うことのできる行政書士等の士業者に依頼すべきである。裁定はどうしても著作権者を見つけることのできないときの最後の手段であり、調査すれば容易に著作権者が特定されるであろう場合には、それをするのが相当の努力の意味である。

(3)著作物を放送する場合の裁定制度 著作物の放送(著作権法68条)について、“公共性の強い放送において、著作物を公衆に伝える最後の手段として裁定制度の存続を望む”との意見に賛成する。

2著作権の制限規定での対応」(「審議の経過」51ページ)において、一旦許諾を受けて利用したもののについて、例えばデータベース化のような限定的な再利用等の特別な場合については、著作権の制限規定で対応すべきという意見があったとされているが、このような方向には賛成できない。
著作権の制限規定が認められるのは、公益上の必要がある場合に限定されるべきであり、商業的な二次的利用を促進するために著作権制限規定を導入するのは、ベルヌ条約等にも違反するものであり認められない。
著作物の利用促進という観点からは、過去の編集著作物のデータベース化において原権利者一人一人の許諾を得るということは事実上不可能であることも多く、簡便に許諾を得るためのシステムが必要であることも理解するが、これは裁定制度によってあくまでも対処すべきである。

(4)商業用レコードへの録音等に関する裁定制度 ●意見●
(特定多数を含む)公衆への提供をする場合についてのみ裁定制度を利用できる事になっているが、特定少数に提供する場合の事が全く考慮されていない。
個人がほんの数人に商業用レコードの複製を配布したい場合、この制度を利用すると、費用が非常に高額になる恐れがある。
特定少数に配布する場合、もっと安価に簡易的にできるようお願いします。
例えば、次のような方法はいかがでしょうか。
・廃盤となって20年とか、相当の年月が経過している
・5年以内に再発売する予定はない。
 あるいは、予定があると言いつつ5年間発売しなかった。
・CDが再発売されれば必ず買う(CD購入料金を供託する)
・無償配布である事等、一定の条件下で特定少数に提供する場合、
・30条適用の範囲内である旨明文化
・CD購入と同程度の費用で可能となる制度の創設

●理由1
何かのきっかけで、昔、ある素晴らしい歌手がいた事を知ったとします。尊敬するその歌手が歌った曲をもっと聴いてみたいと思うのは自然な事です。
しかし、現実には、ほとんどのレコードやCDは廃盤となっており入手は困難。数人の同士を集めてレコード会社にCD発売の要望を出したとしても全く相手にされません。
結局、これらの購入不可能な曲を聴くためには、廃盤レコードや廃盤CDを持っている人を見つけ、
・30条適用範囲内となるごく親しい友達になるか、
・違法を承知でコピーしてもらうか、
しか手段がありません。
これらの行為を禁止したとしても、アメリカの禁酒法が失敗したように、誰も守る人がいない悪法となるに違いありません。
誰も守れないような事は、原則合法である旨明記すべき。
次に、著作権者等に適切な補償金が行くように考えるべきだと思います。

●理由2
著作権者側から見た場合、CDを発売しない場合、売上が減る訳ではないので損害はほとんど0である。
CDを発売した場合、売上を供託金から回収できるので損害は0である。
消費者から見た場合、どうしても聴きたかった曲を聴けるので大満足。

●理由3
廃盤となり購入不可能となってしまった多くの曲を聴く事が可能になるので、貴重な著作物の死蔵化を防ぎ、文化を引き継ぐ者も現れ、文化の発展に役立つ。

(6)新たな裁定制度の創設について 古い作品を見ようとしても見れない場合があります。なかなか難しい課題があるようですが引き続き検討をお願いします。

放送番組の二次利用にあたって、実演家の所在等が不明な場合、許諾が得られず、利用を断念せざるを得ないことがある。このため、「著作権者不明等の場合における著作物の利用」(著作権法67条)を著作隣接権についても拡大すべきである。
著作権については商用的でなく人間的な意識に戻って、深く考え直していくことだと思います、
「モナーのまネコ問題」の事例では、アマチア作家が作った2次創作物(FLASH)内での利用許諾違反(O-ZONEの楽曲部分)が法律をすり抜けプロの目に止まり、描かれていた有名著作物(モナーなど)を一部修正する形で商用化がなされました、しかし絵柄がモナーであることを明確に示さずに「のまネコ・米酒」だと主張し、著作権と商標権を持ち出した為に、製品版となった2次創作物(VIDEO)内の道義的問題(有名著作物の改造品・偽物品疑惑)へと発展して騒ぎが起こりました。
この事例で感じることは2つあり、その1つは成長時期にある個人作家の創作の自由度を著作権法が押さえ込んでしまうことで、法律を悪用されると力を持つ権利者だけが人の創作物を自由に支配できてしまうという問題につながってしまっていることです、多少複雑であるため考察をお願いしたいおですが、著作権制度中に様々な選択肢を持たせる事ができれば、文化を発展させ易くすることができると考えます。
2つめのモナー絵柄の件では、著作者不明の共有文化物保護の法整備要求が起きています、文化の定義からすれば「著作者不明の共有文化物」というものは、現時の著作権制度には規定されなかった”パブリックドメイン”などに近いものでありますが、実は文化の根源を指すものに近いと思われます、通常100年程かかって広がっていた知的文化(これは遊戯)が、ITの影響で5年に短縮されたことによるもので、これまで商用化させることで強制的に広げていたものが先祖帰りを起したようなものだと考えればたいへん貴重だと思います、国外の発生例として知的共有文化のLinuxOSがあり、共有文化は自治活動的なもので保護されています。
居場所がわからない実演家に対しては権利制限が妥当です。「文句があるなら、ちゃんと連絡取れるようにしてからにしろ」と。
義務を果たさずに権利ばっかり主張させてはいけません。

裁定制度については、以下のような変更が必要である:
少なくともフォークロアに分類される文化芸術を、ある種の形態で利用(いわゆるフェアユース)する際には、裁定を不要とすべきである。
裁定制度を無視しフェアユースの範囲を超えた利用には罰則を設けるべきである(著作権者不明の場合には、文化庁長官に告訴権を与える)。
フォークロアに対する裁定制度を新設すべきである。
その理由は以下のとおりである。
最近、インターネットの掲示板等の利用者の文化芸術的活動が、日本発の新たな文化芸術の礎となりつつある。その一例が、文字の形を組み合わせて絵としたAA(アスキーアート)である。このAAは、まさにフォークロアであり多くの人の手を経て改良を重ねられるが、作者は特定できない場合も多い。現行著作権法を厳密に適用すると、この場合、個々の貢献者が改作するにあたっては著作者不明として文化庁長官の裁定を受ける必要があるが、そもそもオリジナルを含めた各貢献者はそのような改作を当初から積極的に許容していたと推察されるだけでなく、フォークロアの発達にわざわざ行政がお役所仕事で介入しては健全な文化芸術の発展が阻害される。同様に、日本の漫画業界の発展を支えているのは、厳密には著作権法に従っているとはいい難い同人誌であるが、この事実は漫画業界はよく認識しており、同人誌を不当に弾圧することはなく、共栄共存している。ところが、日本が漫画に並んで世界に自信をもって発信できる現代的文化芸術であるアニメについては、これまで一般人が貢献できる方法はなかった。この状況を変えつつあるのが、パソコンやインターネットの発達によって可能となった、いわゆる「フラッシュ」であり、ある程度動きのある画像を音声とともに、比較的簡単に作成することができる。この結果として最も有名(後に述べる理由により、有名とはいえ悪名高いだけである)なのは「わた」氏作成になる「恋のマイアヒ」という楽曲への「フラッシュ」であるが、その成立には「フラッシュ」コミュニティの存在は必須であった。その中心的なキャラクターは、インターネット掲示板のフォークロアとして多くの人の手を経て形成されてきた「モナー」というAAである。

同人誌やフラッシュのコミュニティが健全に発達することは、文化芸術振興基本法の基本理念である2条各項の規程「文化芸術の振興に当たっては、文化芸術活動を行う者の自主性が十分に尊重されなければならない」、「文化芸術の振興に当たっては、文化芸術活動を行う者の創造性が十分に尊重される」、「その能力が十分に発揮される」、「文化芸術を創造し、享受することが人々の生まれながらの権利」、「文化芸術を鑑賞し、これに参加し、又はこれを創造することができるような環境の整備」、「文化芸術活動が活発に行われるような環境を醸成」、「世界の文化芸術の発展に資する」に沿うものである。
さて、最近、音楽出版者であり「恋のマイアヒ」に関するある種の権利を有するavex社は、その「フラッシュ」を「恋のマイアヒ」のプロモーションに用いた。その際、裁定制度は利用していない。
ここまでなら裁定制度の無視はともかく、文化芸術の振興という視点からは何も問題はない。しかし、あろうことかavex社は、せっかくの「フラッシュ」を育てた文化的土壌であるコミュニティに対し著作権等を振りかざし、多くの「フラッシュ」サイトを閉鎖に追いやり、わた氏作成のものだけを流通させようとした。これでは、次世代どころか次作品すら育たない、文化芸術振興とは正反対の、今さえよければよいという近視眼的視野の行為である。焼畑農法にたとえようとしたが、焼畑農法のほうが、まだ焼けた灰が次世代の肥料になるだけましで、avex社のやり方は、草を根こそぎ刈り取ったあとの地面に毒を撒くようなものである。さらにavex社は、AAである「モナー」とそっくりそのままの絵と多少改変を加えた絵を自社オリジナルの「のまネコ」として商標登録し、「モナー」に関する知財権を独占しようとした。
幸い多くの国民は文化芸術の公正な利用とはいかなるものであるかについて正確に理解しており、またavex社の非道な行為はネットワークを通じて知れ渡り、avex社は社会的制裁を受けつつある。しかし、今後同様のことが起きた際にいちいち制裁していたのでは社会のほうも疲れるので、何らかの制度的規制が必要である。
とはいえ、その規制は、文化芸術の正当な利用を不必要に妨げるべきでもない。

そこで、同人誌コミュニティや「フラッシュ」コミュニティの健全な育成によるわが国の文化芸術水準の維持と発展のためには、それらの元となる商用著作物のある程度自由な利用とコミュニティ内での成果の交流が必須である。その際、裁定を用いてお役所仕事を介在させることは文化芸術の活力を失わせるだけであり、著作権等の制限により実現すべきである。そのためには、モナー盗用事件を振り返ると「多くの国民は文化芸術の公正な利用とはいかなるものであるかについて正確に理解して」いることから、ある種のフェアユース制度の導入が適切であると考えられる。
フェアユースの概念は、当初から完全な形で導入してもよいが、フォークロアの発展のためだけなら、当面は裁定制度への例外として「公正な慣行に従っているか又は明らかに作者の意図に沿っている場合には裁定なしで著作物を利用できる」という程度で足りる。現行著作権法でもフェアユースの概念は既に、氏名表示権、同一性保持権、引用では「公正な慣行」として導入されており、現行著作権法との不整合も特にない。実際的にも、このような法改正は、現在の漫画業界と同人誌コミュニティの関係を追認するだけである。フェアユースの範囲の拡大は、その後徐々に行ってもよい。
一方、avex社のようにフォークロアを不公正な方法で利用しようとする者に対しては罰則が必要であるが、現行著作権法では多くの罰則が親告罪であり、著作者不詳の著作物に対する不公正な利用に対してはほとんど実効性がなく、avex社やその役職員に刑事罰を下すことは容易ではない。そこで、文化庁長官に告訴権を与える等の措置が必要であろう。
ある利用が公正か不公正かについては、これまでの著作権法の権利制限だけでなく米国の著作権法のフェアユースの条件を日本にも導入すればよい(米国法の条文だけでは、営利かどうかには明示的規程はあるが、例えば私的利用が明示されていない。これでも米国最高裁はタイムシフトをフェアユースと認めたが、日本の司法慣行を考えるとこのような判断は期待できない)。モナー盗用事件を振り返ると「多くの国民は文化芸術の公正な利用とはいかなるものであるかについて正確に理解して」いるのであり、社会的混乱も起きようがない。

また、利用行為の事前にその公正さを担保したい者には、現行同様事前の裁定を行えばよい。
最後に、オリジナルの作者がわかっている場合のフォークロアの著作権と著作者人格権の管理も、誰もが安心して利用できるよう、作者が不明の場合同様に文化庁に委ねることができるようにすべきである。ただ、その場合、フォークロアとしての性質から、利用は無料であるべきで補償金供託の必要はない。

実演及びレコードに関する世界知的所有権機関条約第10条が実演家に、第14条がレコード製作者に排他的権利を与えることを義務づけているのは、そのレコード(に固定された実演)について、有線又は無線の方法により、公衆のそれぞれが選択する場所及び時期において利用が可能となるような状態に置くことを許諾する権利であり、それ以外の方法で「商業上の目的のために発行されたレコードを放送又は公衆への伝達のために直接又は間接に利用することについて」は、実演家及びレコード製作者に「単一の衡平な報酬を請求する権利」を享有させれば足ります(同第15条)。
したがって、公衆のそれぞれが選択する場所及び時期において特定のレコード(に固定された実演)を利用することが可能となるような状態に置くという方法以外で、有線または無線の方法により「商業上の目的のために発行されたレコードを放送又は公衆への伝達のために直接又は間接に利用すること」を強制許諾の対象とし、または報酬請求権の対象とするに留めることは国際条約に違反しない。
したがって、インターネットラジオやインターネットテレビ等においてレコードに固定された実演を公衆送信することについては、公衆の側で特定のレコードを特定の時期に視聴できるインタラクティブなタイプのもの以外については、強制許諾の対象とし、または、公衆送信権の対象から除外して報酬請求権の対象とすることは、実演及びレコードに関する世界知的所有権機関条約等に反するものではありません(なお、インターネットラジオ等においてはこれを「放送」するにあたってはレコード(に固定された実演)を一次的に送信用サーバのハードディスクに固定する必要がありますが、実演及びレコードに関する世界知的所有権機関条約における「放送」は、「公衆によって受信されることを目的とする無線による音の送信、影像及び音の送信又はこれらを表すものの送信」と定義されており(第2条(f))、日本法でいう「公衆送信」よりもさらに広い概念ですので、インターネットラジオは日本法上「自動公衆送信」にあたるという文化庁の見解を前提としても、インターネットラジオの放送局を「放送機関」と解することは十分に可能であり、したがって、インターネットラジオの放送局が自己の手段により自己の放送のために行う一時的固定については複製権の侵害とはならない旨規定することは、国際条約に反しないということができます。)。

日本においては、インターネットラジオは有線放送ではなく自動公衆送信にあたるという見解が多数説を占めており、かつ、実演家及びレコード製作者に送信可能化権を付与している一方、インターネットラジオの放送局が包括的にまたは個別のレコード・実演について許諾を得るためのシステムが用意されておらず、または用意される見込みがないのが実情です。
米国等では地域FMに代替する手段としてインターネットラジオが広く開設され、公衆が多様な楽曲に触れる機会を創出しているのに、日本では、著作隣接権がインターネットラジオによる著作物の伝播を妨げてしまっています。日本の楽曲が、日本のインターネットラジオ局により広く「放送」されることは、日本の楽曲に世界中の人が触れる機会を増やすことに繋がり、それは日本のコンテンツを広く世界中に「輸出」する原動力ともなります。
したがって、国際条約に反しない範囲で、著作隣接権者の個別の許諾なくしてレコード(に固定された実演)をインターネットラジオで「放送」することができるように、強制許諾制度を導入するなり報酬請求権に落とすなりすることを望む次第です。



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