一 研究者・教員の国際交流

 第二次世界大戦によって中断されていた研究者・教員の国際交流は、戦後漸次復活してきた。占領下におけるその特徴は、日米関係の交流であり、日本の研究者・教員がアメリ力合衆国に招待されるという形をとったことにある。

 その先駆的役割を演じたものが、米国占領地救済資金(GARIOA)による人物交流計画である。この事業は昭和二十四年に発足し二十七年まで三年間継続した。この間、アメリカ合衆国に招致された教育関係者の数は、一、〇四七人であり、うち研究者は約八〇〇人を数えた。

 二十七年の平和条約締結を契機として、ガリオア計画はフルブライト法による人物交流計画に引き継がれ今日に至っているが、この間にアメリカ合衆国に招致されたわが国の教育関係者の数は四、○○○人をこえている。

 反対に、フルブライト計画によってアメリカ合衆国からの研究者を中心とした教育関係者の来日者数も漸次増加して今日までに、七七八人に達している。この計画は戦後国際間の人物交流における質量ともに最大のものであるといえよう。

 平和条約締結以降、年を経るに従って、わが国の経済成長も進み、国力も充実し、同時に交通・通信の驚くべき発達によって、わが国の社会が国際化の傾向を強めていく過程の中において、学術・文化の国際交流も新局面を迎えるに至った。

 (一)その第一は、諸外国との文化協定の締結である。わが国のすぐれた学者・研究者を協定国に派遣するとともに、協定国からも招致することを建て前とし、それぞれの国と学術・文化の交流、協力関係の促進を図ろうとするものである。二十八年フランスと文化協定を締結したのを手初めに、現在、フランス、イタリア、メキシコ、タイ、インド、西独、アラブ連合、イラン、パキスタン、イギリス、ブラジル、ユーゴスラビアおよびアフガニスタンの一三か国との間で協定が結ばれている。

 研究者・教員の交流については、「フランス語研修計画」、「日独間の文化・教育に関する人物交流促進計画」、「日ソ学者・研究員の交換計画」などが、その主なる事業である。

 フランス語の研修計画は、三十八年以来のもので、わが国のフランス語担当教員約四○人を対象とするフランス語講習会を毎年国内で開催することのほか、大学の教官二〇人をフランスで開催される「外国人のためのフランス語研修会」に参加させることを内容とするものである。

 西ドイツとの人物交流計画は、四十三年以降、ドイツ大学交換奉仕会の奨学金計画の協力を得て、わが国のドイツ語、、ドイツ文学担当の大学教官を毎年、一〇人程度西ドイツに派遣するものである。この仏・独二国との計画は語学研修という点に特色がある。

 日ソ間の学者・研究員の交換計画は四十年に開始されたが、これは名実ともに相互交流で、今日までにその数は招致・派遣ともに数十人に及んでいる。

 また、西ドイツのフンボルト財団の奨学金を得て、同国で、学術研究に従事する日本人研究者は年間約四○人であり、フランス政府給費留学生制度による日本人留学生の派遣は二十五年の六人以来、年々増加し、現在では年間約一〇〇人に達している。

 このほか、日本学士院等とロンドン王立協会(The Royal Society)との協議に基づく日英科学者交換制度があり、それぞれ七人の自然科学者の相互交換を毎年実施しているし、カナダ国立科学研究所(The National Research Council of Canada)フェローシップなど数多くのプログラムが現われてきたし、さらに他方、ユネスコの人物交流計画や、国連の拡大技術援助計画などの国際機関を通じての研究者・教員の交流も近年ともに活発になってきている。

 (二)第二は、アメリカ合衆国との間の交流の新しい展開である。アメリカ合衆国との間には、特に文化協定というようなとりきめはないが、すでに述べたガリオア、フルブライト法による人物交流計画のほか、新しくいわゆる対等の形をとって三十六年には科学協力に関する日米委員会が設けられ、両国のすぐれた科学者の相互交換を行なう事業が研究施設の相互利用、科学情報の相互交換などのプログラムとともに発足した。そうして翌三十七年には、文化および教育の交流に関する日米合同会議も発足し、文化と教育に関する人物交流の促進が語学教育の改善や両国の大学間の提携、芸術交流の促進などの問題とともに討議されたことは新しい局面として注目されるべき点である。

 日米間交流の計画の具体化としては、三十六年からハワイ大学の東西センター(East west Center)に、わが国の中等学校英語教員、英語担当指導主事および英語教員養成を担当する大学教員を年間一〇人程度語学研修に派遣し、今日に至っている。また四十四年からはアメリカ合衆国の英語教員を都道府県教育委員会に英語担当指導主事の補助者として受け入れ、わが国の中等学校英語役員の現職教育面での協力が行なわれている。

 (三)第三は、外国人流動研究員および奨励研究員制度の創設である。三十四年から日本学術振興会が中心となって実施に当たっているこの制度は、共同研究が強く要請されている特定のテーマについて、その促進のために外国人研究者を招へいして参加の道を開いたものである。外国人奨励研究員制度は、外国人の小壮有為な研究者にその望む研究に専念させようとするものである。その規模はなお小さいが、今後の発展を期待されている制度である。

 (四)第四は、在外研究員制度の復活・拡大と教職員の海外派遣制度等の創設である。前者は主として国立大学の教員などに対し研究・教授能力の向上を図るとともに、学術の国際交流を目的とするもので、明治の初期から行なわれているものである。戦時中の中断ののち、二十五年に復活したが、学術の急速な進歩に伴い在外研究員の数も拡大してきており、四十六年までに四、三三一人に至っている。そうして四十一年には新たに国際研究集会に出席する研究員の派遣制度も創設した。

 教職員の海外派遣制度は三十四年に創設したもので、校長・中等教員・教育行政関係者に海外の教育を視察せしめ、国際的視野に立った識見を身につけさせるためのものであり、四十六年までに一、六八七人を派遣するに至っている。このほか、社会教育指導者の海外派遣を三十一年から、婦人指導者のそれを三十五年度から開始し現在に及んでいる。

 なお、近年、青少年の国際的関心が高まり、数多くの青少年が、公的・私的に海外に学ぶ傾向は年とともに顕著になっている。特に総理府では「青年の船」の計画を四十二年から実施しているが、毎年この計画によって約三〇〇人の青年が二か月間にわたりアジア諸国を歴訪して国際理解、特にアジア諸国に対する理解を深めつつあるが、この事業は世の関心を集めている。

お問合せ先

学制百年史編集委員会

-- 登録:平成21年以前 --