四 史跡名勝天然記念物の保護

記念物の調査・指定

 史跡名勝天然記念物の指定件数は昭和四十七年一月末現在、総計一、九二六件で、その内訳は表94のとおりである。

表94 史跡名勝天然記念物指定一覧

表94 史跡名勝天然記念物指定一覧

 まず、史跡について見ると、その大部分は旧史跡名勝天然記念物保存法に基づいて戦前に指定された物件であるが、同法施行後新たに指定されたものも二七八件に達している。ことに最近においては、土地開発の急激な進行による遺跡の破壊に対処してその保護を図る必要に迫られたごとにより、年々二〇件程度の新しい指定が行なわれている。最近の指定の傾向としては、平城宮跡の一二四へクタール、大宰府跡の一一〇ヘクタールの例に見られるように、指定範囲の拡大化が顕著であり、他方、時代別では近世(江戸時代)および近代(明治時代)の史跡指定が増加しつつある。

 名勝についても、大部分が戦前指定の物件で、自然名勝と庭園とから成っており、自然名勝の多くは自然公園法による国立公園等の指定区域と重複しているが、名勝としてのその指定は名所的にまたは学術的に価値の高いものに着目して行なわれてきている。天然記念物もその約八割は戦前の指定物件であるが、戦前には自然の環境条件が一般に良好であったため、特殊な対象に限定され、また地域を定めて指定する場合もごく一部に限定して指定することによって保護が可能とされていた。しかし、国土開発の急速な進展によって自然の様相が著しく変化し、環境条件の悪化しつつある現在では、新たな指定を急ぎ、保護を加える必要のあるものも多く、また、自然の広域指定も必要となってきている。このような時代の要請に対処するため、現存資源の全国的調査資料を得る目的で、四十二年度以降五年計画で天然記念物緊急調査を実施し、調査の終わったものから逐次「全国植生図および主要動植物地図」を刊行している。

 これら史跡名勝天然記念物は、そのほとんどが地方公共団体その他を管理団体(その数一、一六九)としてその管理を行なっているが、標識・説明板・境界標・囲い柵(さく)等の保存施設の設置や防災施設の整備のため国も積極的に補助し、また、北海道のタンチョウや新潟県のトキ等の天然記念物の保護増強の助成措置などを講じてきている。

史跡の公有化と保存活用

 昭和三十年、開発によって破壊の危険にさらされかけた堺市のいたすけ古墳を文化財保護委員会が急きょ史跡に指定し、管理団体となった堺市が国庫補助を受けて、この土地を購入した事例を皮切りとして、全国的に国土開発の進展が進むにつれ、年を追って史跡の買い上げも進行していった。これを予算面から見ると、三十三年度に初めて二五〇万円の補助金が計上されたのを皮切りに、逐年増額が図られ、四十六年度一四億八、○○○万円、四十七年度二〇億円と飛躍的な増額を示してきた。文化庁では、民有地である史跡地の約二三%に当たる一、二三〇ヘクタール(約二二四万坪)を四十五年度以降十年計画で買い上げる計画を立て、これを実施に移しつつある。なお、四十六年度までに地方公共団体の補助事業として土地の公有化を行なった件数は、天然記念物等も含めて計一四七件、補助金(原則として二分の一補助)総額は約四一億円である。

 史跡の公有化と並行して、その修理および環境整備の事業を進めていくこともたいせつである。修理関係予算は二十五年度の文化財保護委員会発足当時から計上されていたが、建物基壇、石垣(がき)、濠(ほり)、井戸等の主要な遺構の修理復原、植樹、芝張りなどの修景、園地化を行なう環境整備事業は、四十年度に初めて一、〇〇〇万円が計上され、年々充実されて、四十七年度で二億四、○○○万円となっている。

 個々の史跡の環境整備を促進する一方、史跡等が集中し、歴史的風土を形成しているような地域については、環境整備とあわせて資料館をも設置する「風土記の丘」の設置を促進することとし、四十一年度から国庫補助の措置を講じてきた。これまでに、宮崎県西都原、埼玉県さきたま、和歌山県紀伊、滋賀県安土、富山県立山、島根県八雲立および岡山県吉備路の七件の風土記の丘の整備を完了した。

平城宮跡および飛鳥藤原宮跡の保存

 平城宮跡は、奈良時代七代七五年間にわたる帝都であった平城宮の大内裏の跡であり、大正十一年に史跡に指定されたが、昭和二十七年には特別史跡に指定されたものである。ところが、最近の奈良市の発展と土地開発の活発化に伴い、その保存が困難になってきたので、同宮跡内の民有地を国で買い上げることとし、三十八年度から買収をすすめてきた。さらに、四十年と四十五年に史跡地の追加指定を行ない、現在、指定面積は約一二四ヘクタールである。また、三十年度から奈良国立文化財研究所でこの地の発掘調査を進めてきて、学術上貴重な成果をあげている。

 飛鳥・藤原地域の保存については、近年、この地域が大阪のベッドタウンとして発展し、大規模な宅地造成が行なわれるようになったことから、保存の声が急速に高まり、四十五年十月、文化財保護審議会から文部大臣に「飛鳥・藤原地域における文化財の保存および活用のための基本方策」についての諮問に対する答申が行なわれ、相前後して歴史的風土審議会からも内閣総理大臣に対する答申が行なわれた結果、同年十二月、飛鳥・藤原地域の保存措置、環境整備その他の具体的な措置に関する「飛鳥地方における歴史的風土および文化財の保存等に関する方策について」の閣議決定が行なわれた。文化庁では、これらに基づいて同地域の発掘調査、土地買い上げ、飛鳥寺跡の環境整備等の事業を推進するとともに、明日香村奥山地区に国費による歴史資料館の建設を行なうこととし、四十八年秋の開館を目標に建築を進めている。

埋蔵文化財の開発と保護

 埋蔵文化財包蔵地とは、貝塚(づか)、古墳、住居跡、寺跡、経塚等の埋蔵文化財を包蔵する土地を言う。昭和三十五年度から三十七年度にかけて行なった埋蔵文化財包蔵地の分布調査で、全国で約一四万か所の所在が判明し、これに基づいて三十九年度から四十二年度にかけて全国遺跡地図を刊行し、関係機関等に配布してその周知徹底を図ってきた。埋蔵文化財発掘届け出件数は、二十五年度八二件、二十六年度二四一件であったものが、三十年代以降急速に増加し、四十六年度では、一、一二九件に達した。発掘届け出のうち学術調査を目的とするものは、最近でも年間二〇〇件前後でほとんど変化がなく、宅地造成、道路建設、農業構造改善事業等の開発事業に伴う発掘が急激に増加してきている。このような事態に対処して、四十六年度から再度全国遺跡分布調査を実施し、さらに正確な実態のは握に努めている。他方、公共的な工事に伴う不測の破壊をさけるため、四十年に埋蔵文化財包蔵地の取り扱いに関する覚書を日本住宅公団と文化財保護委員会との間で交換したのを初めとして、日本鉄道建設公団、日本道路公団、日本国有鉄道等とも覚書を交換し、事前協議体制をとり、工事に伴う発掘調査およびその経費の原因者負担等を図ってきた。なお、発掘調査等によって出土した文化財を保管するための収蔵庫の建設を二十八年度から国庫補助により実施している。しかし、急速な発掘調査の増加の結果として、都道府県等でこれに当たる技術者の確保が困難となってきており、その対策が急務とされている。

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