三 著作権制度の改善

著作権行政の推移

 昭和二十二年十二月に内務省は解体されたが、これに先だつ同年五月、明治八年以来七十年余り内務省の所管であった著作権事務は、文部省に移された。二十二年七月、社会教育局に著作権室が置かれ、まもなく管理局著作権課となったが、その後、社会教育局、文化局を経て、四十二年六月、文化庁が設置されるに及び、同庁文化部に所属し、今日に至っている。

 敗戦後、外国著作権は他の分野の文教行政とは異なり占領軍当局によって直接その管理行政が行なわれたが、二十七年四月、平和条約の発効により、わが国は戦前どおりベルヌ同盟国の地位を回復し、西欧諸国との間に著作権関係が復活した。

 また、日米間には、かつて「日米間著作権保護ニ関スル条約」(明治三十九年五月十一日公布)があり、翻訳は相互に自由であったが、二十八年四月、平和条約第七条(a)項によってその廃棄が確認され、これに代わり両国の間には、内国民待遇の相互許与に関する交換公文が取りかわされ、二十七年四月から三十一年四月二十七日までの四年間、相互に内国民待遇を与えることとなった。一方、二十七年九月に、アメリカ合衆国等の登録を著作権保護の要件とする国々とベルヌ同盟国など、方式を要求しない国々との間のかけ橋的意味を有する「万国著作権条約」がジュネーブで締結され、三十年九月に発効している。わが国は、三十一年一月この条約に加入し、(わが国については、三十一年四月二十八日発効)これを実施するために、「万国著作権条約の実施に伴う著作権法の特例に関する法律」を制定、三十一年四月から施行された。その結果、この日以後における日米両国の著作権関係は、万国著作権条約によって規律され、国内的には万国著作権条約特例法によることとなった。

 なお、平和条約により、わが国は、連合国側の著作物の保護期間について戦時期間の加算義務を課せられたが、この義務を履行するため、二十七年「連合国および連合国民の著作権の特例に関する法律」が制定された。

国際著作権制度の進展と著作権法の制定

 ベルヌ条約(明治十九年制定、明治三十二年日本加入)は、死後五〇年の著作権保護期間の確立等を目的として、昭和二十三年ブリュッセルにおいて改正されたが、この条約改正会議に敗戦国のわが国は招請されなかった。

 ベルヌ同盟国中の主要な国は、すでに国内法を改正し、このブラッセル改正条約に加入しているが、わが国は、いまだ昭和三年のローマ改正条約の段階にとどまっている。

 一方、三十六年十月、ローマで、ユネスコ、ベルヌ同盟およびILO(国際労働機関)の三機関の共催により「実演家、レコード製作者および放送事業者の保護に関する条約」(いわゆる隣接権条約)が制定された。

 ベルヌ条約については、さらに、条約の内容を時代の進展に即応したものとするとともに、開発途上国に著作物利用上の便宜を与えることを目的として、四十二年ストックホルムにおいて改正され、その管理規定のみが発効した。なお、このストックホルム改正条約と同時に、「世界知的所有権機関の設立に関する条約」(いわゆるWIPO条約)が制定され、四十五年に発効している。

 このように、国際著作権界は、戦前と状況を一変し、戦前にはおよそ二十年ごとに行なわれたベルヌ条約改正会議もそのテンポを速めつつあり、一方、テープレコーダ、複写機等著作物の複製手段やテレビ放送・有線放送など著作物の伝達手段も高度の発達をみるに至った現在では、旧著作権法は、しだいに著作物利用の実態には対応しがたいものとなっていった。加うるに、放送・出版・音楽・レコード・映画等の分野において著作権権利思想が普及し、反面、著作権に関する紛争も多くなるなど、内外にわたって明治三十二年制定の著作権法を改正しなければならないとする機運が年を追って熟してきた。

 こうした情勢を背景に、三十七年、「著作権制度審議会」が設置され、文部大臣は著作権法改正および隣接権制度創設に関し諮問し、改正作業が着手された。この際、改正作業中に保護期間が切れてしまう結果となる著作者の著作権を救うために、三十七年、原則的保護期間三十年を三年延長する措置がとられた。(その後、四十年に二年延長、四十三年に二年延長、四十四年に一年延長され、結局三十八年まで延長されて、全面改正による死後五十年に切り替わった。)

 著作権制度審議会は、四年間、延べ二八〇回にわたる慎重審議の結果、四十一年四月詳細な答申を行なった。

 政府は、この答申および関係団体の意見に基づき、四十一年十月「著作権及び隣接権に関する法律草案」(当時文化局試案)を公表、さらに関係団体の意見を聞くとともに、内閣法制局において一年半、八九回に及ぶ事前審査を終了し、四十三年「著作権法案」の閣議決定をみたが、国会事情のため国会提案には至らなかった。

 政府は、四十四年第六十一回国会に同法案を提案したが、審議未了で、翌四十五年第六十三回国会に提案し、慎重な審議の上可決され、新しい著作権法が四十六年一月一日から施行された。ここに、明治三十二年来、実に七十余年ぶりに著作権法制が実質的全面改正をとげることができたわけである。

著作権法の主たる内容

 第一に、著作者等の権利の保護に関し、著作物の原則的保護期間を国際的水準である著作者の死後五〇年に延長したこと、著作者とは別に、著作物の伝達のにない手である実演家・レコード製作者および放送事業者について新たに著作隣接権の制度を設けたこと、音楽の放送、演奏についてレコードによる場合も生(なま)の場合と区別せず権利を認める原則を確立したこと(もっとも当分の間、レコード演奏については政令で定める営利事業についてのみに限った。)等である。

 第二に、著作者等の利益と公共の利益との調整を図りつつ、著作物の円滑公正な利用を期するための措置を講じている。

 第三に、著作権法で認められた権利を実効あらしめるよう措置している。すなわち、権利侵害に対する罰則強化、紛争解決あっせん委員の制度を新設している。

国際著作権界の動向と今後の課題

 ベルヌ条約は、前述のように昭和四十二年ストックホルムにおいて改正されたものの、その実体規定の内容を不満とする先進国側によって批准されず、実効性を有しない状況にあった。四十六年七月、パリで万国著作権条約およびベルヌ条約同時改正会議が開催され、両改正条約が採択された。これは開発途上国に対する一種の著作権援助をその内容とするものである。また四十六年十月、ジュネーブにおいてレコード海賊版の防止を目的として「レコード無断複製に対するレコード製作者の保護に関する条約」が採択されている。このほか、衛星通信信号保護条約制定の動き等が予定されており、国際著作権界はますます多端な動きを示している。

 他方、国内的にも、新たな著作物利用手段の開発に対処しうる新たな措置の検討が必要とされてきている。

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