六 視聴覚教育・社会通信教育の拡充

視聴覚教育

 わが国が独立を回復して、社会教育の態勢をたて直しつつあったとき、科学技術の進歩は視聴覚媒体のいっそう顕著な発達をもたらし、それによって視聴覚教育の役割は一段と重きを加えるに至った。なかでも注目されるのはテレビ放送の普及・発達である。わが国のテレビ放送は昭和二十八年に開始されたが、その後放送網、受信設備ともに急速に伸びて、三十八年には電波のカバレージは全世帯の八七・〇%、受像機の所有世帯は全体の七五・九%に及んで、その影響力はきわめて顕著となった。文部省では、早くからテレビの教育利用についての実験調査や子どもへの影響力調査を実施してきたが、三十三年、放送局に教育・教養番組の放送が条件づけられるに際して、これについての制作者、利用者の共通理解に資するため、社会教育審議会の議を経て「テレビジョン学校放送番組ならびに社会教育・教養番組に関する中間試案」を作成し、公表している。また、同年から文部省企画の学校教育ならびに社会教育向け番組を民間放送を通じて全国に提供する事業がはじめられた。その後テレビ放送は国民生活にますます深く浸透するに至ったが、四十二年に新たにUHF電波の使用割当てが定められようとするに当たって、文部大臣は社会教育審議会に対して「映像放送およびFM放送による教育専門放送のあり方について」諮問し、四十四年、放送を積極的に教育に利用すべき旨の答申を得た。さらに同年、文部、郵政両大臣の臨時の諮問機関である「放送大学懇談会」から、放送を主たる教育手段とする放送大学を設立することについての意見書が出され、そのための研究と準備が進められることになった。なお、四十六年には放送によって社会教育の新しい方式を開発するねらいをもって、「社会教育における放送利用の促進について」の局長通知が発せられた。一方、文部省企画のラジオによる社会教育放送は、二十八年以来実施されている。

 教育映画についてみると、ナトコ映写事業はわが国の独立回復とともに廃止されたが、その機材はほとんどそのままわが国に譲渡されて、都道府県が自主的に社会教育活動の促進に利用できるようになった。文部省では、三十年からすぐれた教育映画、スライドを無償で都道府県に配布したり、三十三年からは青少年に優良な映画を観賞させる機会を設けたりする事業を行なったが、視聴覚教材が教育の第一線で活発に利用されるようになるためには、視聴覚ライブラリーの整備が何よりも重要であることが明らかとなり、三十九年からは市町村立視聴覚ライブラリーの設置助成のための補助事業が開始され、その育成・指導につとめてきた。また、社会教育のさまざまな分野にわたって録音教材を作成し、これを都道府県に配布して広く一般の利用に供する事業も二十八年来続けられている。この間に、数次にわたって参考資料が編集刊行され、また毎年各地で指導者養成のための研修講座が開設されるなど普及にも努力が重ねられてきた。

社会通信教育

 文部省は認定社会通信教育の振興のために、普及資料の作成・配布、国費による新聞広告の実施、優秀修了者に対する文部大臣表彰、大会・研究協議会の開催、社会通信教育協会に対する助成および都道府県の行なう共同学習班育成受講者研究集会開催に対する助成などの施策を行なってきたが、学習内容の多様化、高度化によって個人学習の必要がいよいよ加わり、社会通信教育の重要性が増大してくることにかんがみ、昭和三十六年社会教育審議会に対し「社会教育における通信教育の拡充の諸方策について」諮問を行ない、同年、答申を得た。この答申の趣旨を実現するため、従来の「通信教育認定規程」に代えて、翌三十七年「社会通信教育規定」を定めたが、その後、課程の拡充に努めるとともに、教育内容、学習方法、事業経営等に改善を加えて、質量ともにその向上を図った。その結果、課程、受講者数とも年々大幅に増加するに至ったが、その推移は表73に示すとおりである。

表73 社会通信教育の拡充状況

表73 社会通信教育の拡充状況

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