三 社会教育施設の整備

 公民館は、昭和二十四年の社会教育法制定によって軌道にのり、農村だけでなく、都市をも含めてその設置数の増加を見せた。二十八年の町村合併促進法によって始められた町村合併の進行は、それまで設置されていた公民館を統・廃合する動きを示したが、公民館関係者の努力と当事者の理解とによって、旧町村公民館の多くは地区公民館として存続することとなった。三十四年、社会教育法の改正によって文部大臣は公民館の設置および運営上必要な基準を定めるものとされ、同年その基準が告示されたが、この基準によって、対象区域、建物の規模、施設・設備の内容、職員、分館等について最低の標準が示されたので、その後の施設・整備に大きい影響を与えた。三十五年ごろから、施設費に対する助成も年々増額され、また起債も認められることとなったため、施設の整備にはかなりの躍進が見られた。しかし、社会の激動期を迎えて、運営は必ずしもそれに適応できず、公民館行きづまりの声さえきかれるに至った。四十六年の社会教育審議会答申は、そうした情勢の中にあって、改めて公民館のもつ新しいコミュニティーの形成と人間性の伸長に果たす役割を強調し、施設の整備をさらに促進するとともに、その効率的な運営のあり方を検討することを要望した。文部省はそれにこたえて、四十六年度以降、公民館予算の飛躍的な増額に踏み出している。

 図書館、博物館はそれぞれ二十五年の図書館法、二十六年の博物館法制定以後、その発展が促進されることとなった。図書館については、文部省ではその後、公立図書館の施設費、設備費、巡回文庫の図書購入費、自動車文庫のための自動車購入費などに補助を行ない、また、農村文化の振興に資するため、三十七年度からは農村モデル図書館の新設にも助成を行なった。図書館の数も、戦後は一時減少したが、三十年ごろから漸次上昇を続け、その内容も充実の度を高めており、地域性に応じた特色ある奉仕活動が各地域でくり広げられている。その間にあって、図書館法の定める公立図書館の設置及び運営に関する基準を定める機運がようやく熟し、四十二年には社会教育審議会が同基準に関する試案を作成し、四十六年からは同審議会分科会でさらにその試案の検討にはいった。

 博物館については、図書館と同様、その後、公立博物館の施設費、設備費などに国庫補助が行なわれたが、社会が安定するにつれて、博物館の数も漸次増加してきている。三十年には、博物館の設置主体の範囲を広げ、学芸員の資格取得のための講習を廃止して文部大臣が資格を認定する制度に改め、また文部大臣が博物館相当施設を指定することできるようにするなど、いっそう実態に即するような博物館法の改正が行なわれた。博物館法の定める博物館の設置及び運営に関する基準についても、四十五年ようやくその試案が作成され、関係方面の意見聴取の段階にはいった。公民館、図書館、博物館の施設、職員の設置状況の推移は表70・71・72に示すとおりである。

表70 公民館の施設数および職員の推移

表70 公民館の施設数および職員の推移

表71 図書館の施設数および職員の推移

表71 図書館の施設数および職員の推移

表72 博物館の施設数および職員の推移

表72 博物館の施設数および職員の推移

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