三 教員の現職教育

 戦後、教育制度の全面的改革に伴い新教育の理念と方法の徹底を図るとともに、教職員の資格、資質を高めるための再教育が全国的な規模をもっていち早く実施されてきた。

 それらを大別すると、一つは、教職員の資格向上を目的として昭和二十五年度以来実施されてきた免許法認定講習等の現職教育である。この現職教育は三十三年度をもって一応完了したものの、なお、免許状上進を必要とする者が相当数いたのでこの現職教育を引き続いて三十四年度から三か年計画で実施した。

 他の一つは、教職員に研修の機会を与え、また教育課程の改訂に当たってその趣旨の徹底を図るとともに、資質の向上に資するため実施されてきた各種の講習会、研究協議会、指導書の作成等である。これらの講習会等のうち、文部省が全国的規模で実施したおもなものをあげると次のとおりである。

 (一)幼稚園、小学校の教職員等を対象にしたものとしては、二十九年度以来実施している「幼稚園教育指導者講座」および小学校の各教科等について学習指導上の問題点の解明と指導力の向上に資するため、三十一年度以来開催している「初等教育指導者講座」がある。また、教育課程の改訂(三十三年度および四十三年度)に伴いその趣旨徹底と小学校教育の改善・充実を図るための「小学校教育課程講習会」をそれぞれ、第一回改訂については三十三年度~三十五年度、第二回改訂については四十三年度~四十五年度にわたり実施した。さらに、各都道府県毎に現場の研究・実践を積み上げ、その研究成果の発表を行なう「都道府県小学校教育課程研究集会」を三十七年度以来東京において実施している。へき地教育関係ではその振興を図るために、「へき地教育指導者講座」を三十三年度から実施している。

 (二)中学校、高等学校の教職員等を対象にしたものとしては、小学校と同様の趣旨により、「中学校教育課程講習会」(三十四年度~三十六年度、四十四年度~四十六年度)、「高等学校教育課程講習会」(三十五年度~三十七年度、四十五年度~四十七年度)をブロック別に実施し、さらに、四十六年度から五か年計画で「毛筆書写実技講座」を各都道府県において実施するとともに、四十七年度から三か年計画で「中学校美術(工芸)実技講座」を中央および都道府県において実施することが計画されている。また、教育機器利用の理論と実際について必要な知識と技術の習得を目的とした「教育機器利用に関する講習会」を指導者を対象にして四十五年度から中央およびブロック別に実施している。

 産業教育関係については、中・高等学校の産業教育担当者に対し、「産業教育指導者講座」を二十七年度から、また、高等学校の産業教育担当教員を生産現場において研修させる「高等学校産業教育実技講習」を三十六年度から実施している。そのほか、二十七年度に、産業教育担当教員等を国立大学等へ三か月~一か年の間派遣して研修に専念させる「産業教育内地留学生」制度が設けられて以来、今までに五、三〇〇名が派遣されている。

 次に生徒指導、進路指導関係のおもなものとしては、「生徒指導主事講座」を三十九年度から中央において、四週間(開設当初は八~七週間)を期間として実施しており、また、各都道府県においても同様の趣旨で二週間実施されている。さらに、「中学校カウンセラー養成講座」を四十五年度から三週間ずつ中央において実施している。また、「進路指導講座」が各ブロックごとに、三十六年度から毎年約四○○人を対象に実施されている。

 (ニ)特殊教育関係の充実に対する強い要請にこたえ、文部省は「国立特殊教育総合研究所」(四十六年度開所)を神奈川県横須賀市に建設し、特殊教育の総合的・実際的研究ならびに指導的立場に立つ教員等の研修を実施することとしている。特殊教育担当の教員等の資質向上を目的とした「特殊教育講座」を二十九年度から、さらに、精神薄弱児の判別と就学指導に従事する専門職員を対象とした「心身障害児判別就学指導講座」を中央ならびに各都道府県において四十年度から実施している。そのほか、「特殊教育寮母講習会」、「特殊教育課程研究集会」等を実施して担当教職員の資質の向上を図っている。

 (四)学校体育関係の現職教育としては、小・中・高校における体育の実技の指導能力を高めるとともに都道府県実技講習会における指導者の養成を図ることを目的とした「学校体育実技指導者講習会」を全国四地区(各会場約四○○人)において三十四年度から実施している。そのほか、「水泳指導者講習会」、「交通安全指導者講習会」、「学校保健講習会」等を実施している。

 以上のほか、広く教職員の識見を高め、指導力の向上を目的とした「教職員等中央研修講座」を三十五年度から実施している。この講座は、四十四年度までは「校長指導主事等研修講座」として、管理職としての校長と指導行政に携わる指導主事等を対象として開設され、受講者は八、二〇〇人に及んだ。四十五年度からは「教職員等中央研修講座」と改め、新たに中堅教員を加え宿泊研修として充実・強化し、参加人員も年間一、四〇〇人に拡充して実施している。また、校長等の識見を深めるため、海外の教育事情を視察調査する海外派遣制度を三十四年度に設け、現在まで一、六八七人を派遣している。

 講習会等の開催のほか、文部省においては教職員の研修に役だてるため、各教科、特別活動、学校行事等についてそれぞれ指導書、手引書等の編集・刊行を行ない、また、「初等教育資料」、「中等教育資料」、「産業教育」等の月刊誌も刊行して広く関係者の利用に供している。各地方においても、教職員の現職教育はますます活発化し、教育委員会主催による各種講習会、研究会、研究団体による研究活動、また校内研修の充実など枚挙するいとまがない。なかでも、国の補助を得て、四十五年度から各都道府県において実施されている「新任教員研修」は、新任教員の全員を対象として、教員としての自覚を高め、実際的な指導能力を高めることを目的とするもので現在までの受講者は四万二、〇〇〇人に及んでいる。

教員の給与

 昭和二十八年八月、給与法の改正により、ながらく懸案となっていた教育職員の俸給表が一般職俸給表から独立し、義務教育学校、高等学校、大学のいわゆる三本建給与が実施されることとなった。高等学校教員の別建てについては反対も強かったが、旧制高専卒以上の現職者が多数を占めていた当時の事情が勘案されたためである。このときの切り替えによって、教育職員の調整号俸は新俸給表の俸給月額に含めるよう措置されたが、号俸の金額はいわゆる通し号俸であったから、俸給表は別建ても一般俸給表との比較において教育職俸給の有利性は明確であった。

 三十二年六月、給与法の改正により、等級別の給与体系へ移行することとなり、戦後の生活給的色彩が強いとされていた給与制度は、かなり職階的な給与制度に切り替えられた。この等級別俸給表は以後毎年のように給与改定が行なわれ、俸給表の構成にも種々改正がなされたが、この過程で一般行政職と比較して、かっての教員給与の有利性が必ずしも明確ではなくなり、四十年代の超過勤務手当支給要求の一因となった。

 諸手当についても公務員全般についての拡充のほか特に教員については、三十二年に産業教育手当、三十四年にへき地手当、多学年学級担当手当、三十五年に定時制通信教育手当が新設された。また、三十三年校長に管理職手当が支給されることとなり、その支給をめぐって管理体制の強化の意図が含まれているなどの反対もあったが、三十五年からは教頭(相当者を含む。)にも支給されることとなった。

 教員の超過勤務については、「第一章第五節四教員の身分・処遇と団体活動」に述べた経緯により、特定の事務に従事する場合のほか、これを命じないこととし、校長の勤務時間の割振りによりその職務を遂行するよう指導方針がとられてきた。しかし、公立学校教員には労働基準法が適用されているため、超過勤務の事実をめぐり理解が分かれたため、文部省は、四十一年度に教員の勤務状況の実態調査を行なった結果に基づき、超過勤務手当に代えて「教職特別手当」を支給することとし、教育公務員特例法の改正案を第五十八回国会に提出したが、超勤命令の歯止め措置をめぐる論議で成立に至らなかった。四十六年に至り、人事院のこの問題に対する意見の申し出により、文部省は、義務教育諸学校等の教諭等について、その職務と勤務の態様の特殊性に基づき、新たに「教職調整額」を支給する制度を設け、超過勤務手当制度は適用しないこととする「国立及び公立の義務教育諸学校の教育職員の給与等に関する特別措置法案」を第六十五回国会に提出し、五月可決された。同法は四十七年一月一日から施行され、多年の懸案であり、また、学校の管理・運営上の大きな問題であった勤務時間の問題はここに解決し、同時に本俸相当の性格をもつ教職調整額の創設をみたことは注目すべきことである。

教員の福利厚生

 昭和二十九年一月、ながらく要望されていた「私立学校教職員共済組合法」が制定され、私立学校教職員共済組合が設立された。しかし、その組合加入については任意加入を認めたので、一部に適用除外校を生じ、これらの学校の教職員は従来の制度(厚生年金、健康保険)の適用を受け、今日に至っている。同組合の給付内容の充実・改善もしだいに進められ、今日では公務員共済組合と同一程度まで高められてきたが、同組合の充実のためには未加入校の加入がなお課題となっている。

 新国家公務員共済組合法はその後、恩給法適用者についても共済方式による新退職年金制度が実施されるよう改正され、同時に従前の公立学校共済組合は同一性をもって同法に基づく組合として存続してきたが、組合員たる公立学校教職員の退職年金制度が、三種(恩給法準用、退職年金条例、町村職員恩給組合)に分かれ、複雑をきわめていたので、共済方式への移行は見送られた。三十七年九月、地方公務員についても国家公務員の共済方式に準ずる「地方公務員共済組合法」が制定され、同年十二月から、新公立学校共済組合が発足した。新公立学校共済組合は、従前の事業を吸収し、公立学校教職員およびその遺族の生活の安定と福祉の向上化寄与するため健康保険の代行機関としての短期給付(病気、負傷、出産、休業、災害)および厚生年金保険の代行機関としての長期給付(退職、廃疾、死亡)を行ない、あわせて公務の能率的運営を図るための給付事業および福祉事業を行なう特殊法人となった。同組合の発足により公立学校のすべての教職員は新共済退職年金制度に移行することとなり、多年の懸案であった国家公務員、地方公務員およびその相互間の在職期間は過去の在職期間も相互に通算されることとなり、人事交流等の上に与える影響は大きいものがある。また、教員の福利厚生制度が共済制度により統一され、ここにようやく確立をみたことは画期的な改革であった。

教員の服務

 昭和二十五年十二月、「地方公務員法」が公布され、新しい公務員制度下における公立学校の教員を含めて地方公務員の一般的な服務のあり方が明らかにされた。

 その後、二十八年の「山口日記事件」や「京都旭丘事件」などのいわゆる偏向教育事件が契機となって、教員を党派的勢力の不当な支配から守り、その自主性を擁護することを趣旨とする「義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法」および公立学校の教育公務員の政治的活動の制限を一般の地方公務員と異なり、国立学校の教育公務員と同様とする「教育公務員特例法の一部を改正する法律」のいわゆる教育二法が二十九年六月に公布・施行された。

 三十一年には「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」が制定され、市町村立の小・中学校教職員の任命権は都道府県教育委員会に、服務監督権は市町村の教育委員会に属するものとされた。

日教組等の教員団体

 昭和二十二年に結成された日教組は、教職員の組織するわが国最大の職員団体として、経済闘争、教育闘争、政治闘争を幅広く展開し、それらの激しい運動をぬきにしては、戦後のわが国の教育界を論じえないほどの影響を与えて今日に及んでいる。

 二十七年六月の第九回定期大会では、「教師の倫理綱領」を制定して階級闘争の立場を明確にし、以後の諸活動の基盤とするとともに、同年八月には日本教職員政治連盟(のちに、日本民主教育政治連盟ー通称日政連)が結成され、日教組と表裏の関係に立って政治活動をはじめ日教組推薦の者を多数国会や地方議会の議員に送り出した。

 定期大会で決定される運動方針は、二十八年以来、闘争重点主義(戦う日教組)が強く打ち出され、二十九年の「教師の基本的人権を奪うのみならず、学校教育に警察権力の介入をさせるものである。」としてのいわゆる教育二法反対闘争、三十二年から三十四年にかけての「教師を権力でしばり、自主的な行動を抑圧し、教員組合運動を圧迫するものである。」としての勤務評定反対闘争、三十六年・三十七年の「教育内容の国家統制、改悪教育課程押しつけの手段である。」としての学力調査反対闘争等の闘争を経て、三十七年七月の第二十四回定期大会において、経済闘争重点の戦術転換を行ない、四十一年から四十六年までの間、人事院勧告の完全実施、給与の大幅引き上げ要求等と、安保条約破棄、沖縄返還協定反対等の政治目的をも結合させて延べ七回にわたるストライキを実施し、延べ約一一二万人の教職員が参加し、うち延べ約二八万人の教職員が懲戒処分を受けている。

 この間、四十三年五月の第三十四回定期大会において、教育課程の改訂期を前に、再び教育闘争を経済闘争とともに前面に打ち出し、組合員の総学習・総抵抗運動などをおしすすめるとともに、四十六年七月の第三十九回定期大会では、中教審路線との対決姿勢を強く打ち出している。

 他方、日教組は、組合活動と結合した教育研究活動を重視し、二十六年に第一回教育研究大会を開いて以来、毎年教育研究大会を開催してきた。特に三十年の研究大会からは、その名称を研究集会と改め、父母や労働者の参加をも求めた。こうして教育研究集会はしだいにマンモス集会と呼ばれるほどに発展してきた。また、四十五年の第三十八回定期大会で、日教組中央執行委員会の諮問機関として「教育制度検討委員会」を設置し、四十六年六月に同委員会は、「日本の教育はどうあるべきか」と題する第一次報告書をまとめ発表している。

 以上みたように、日教組は、経済・教育・政治の各闘争を活発に展開して現在に至っているが、職員団体の本来の目的に照らし、その基調と運動はきわめて大きな問題をはらんでいる。

 日本高等学校教職員組合(日高教)は、二十五年四月、日教組の小・中学校教員偏重の運動に不満の教職員が、日教組から離脱して全日本高等学校教職員組合(全高教)を結成した(三十一年日高教と改称)ものであるが、三十七年二月に至り、指導部の姿勢をめぐり左右に分裂した。現在、両派とも各県高教組のうち、それぞれ一一県が加盟している。左派は、日教組とほぼ同様の活動を行なっており、右派は、これとは別個の行動をとっている。

 日教組、日高教(左派)の闘争方針に批判的な教職員が、日教組等から脱退し教育の正常化等を目標に結成した団体に、日本教職員連盟(日教連)、日本新教職員組合連合(新教組)がある。これらの団体は、勤務条件の改善とともに教育の正常化、教師の専門職の確立等を指向して活動を続けており、特に日教連は、四十六年八月には、第一回教育研究全国大会を開催するに至り、今後の動きが注目される。

 これらのほか、全国的な組織ではないがいずれの組織にも加盟していない職員団体として、各県段階で約七〇団体が存在している。

 日本教師会は、三十八年二月、日教組から脱退した教職員等によって結成された教育研究団体であり、教師の使命を自覚し、日本にふさわしい教育を推進することを綱領として、活動を続けてきている。

ILO八十七号条約と関係国内法の改正

 昭和三十四年その批准について閣議了承を得たILO八十七号条約(結社の自由及び団結権の保護に関する条約)は、その後種々の経緯を経て四十年五月に第四十八回国会で批准され、同時に批准に伴う関係国内法の改正法案も可決・成立した。同改正法のおもな内容は、1)管理職員等と一般職員とが同一の職員団体を組織することができないこととすること、2)在籍専従制度を明確にすること、3)交渉手続きを法定化することなどである。なお、同改正法が可決成立する際、与野党の話し合いで総理大臣の諮問機関として総理府に設置された公務員制度審議会は、現在その第三次として公務員の労働問題の基本事項を審議中である。

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