六 育英奨学と厚生補導

日本育英会

 昭和二十八年の法律改正により、名称を「日本育英会」に改めるとともに、学術研究者および教員の確保のための奨学金返還免除の制度を創設し、戦後の一転期を画した。その後、三十三年度に特別貸与奨学生制度を創設し、一段の充実を加えた。この特別貸与奨学生は、三十九年度に至り、義務教育の教員養成課程の学生について定数に特別わくが設定され、義務教育諸学校の教員の人材確保に資することとなった。また、四十二年度からは、私立大学の学生について、その学校納付金の実態にかんがみ特別高額な貸与月額が定められるなど、きめ細かい配慮が加えられるに至った。

 この間、三十四年三月の中央教育審議会の答申「育英奨学および援護に関する事業の振興策について」において、育英奨学事業の今後の方向が示され、以来、おおむねこの基調に従って進められてきたと言えるが、三十年代後半から始まった高等教育機関への進学の急速な増大と学生生活費の上昇に際し、育英奨学事業は、必ずしも事態に即応し得なかったうらみがあり、その改善策について再検討をせまられるに至り、たとえば政府保証による学資の銀行貸付制度などを含めて、国家的な奨学制度のあり方についての根本的な検討が目下進められている。

 四十七年度には、国立大学の授業料について、三十八年度以来九年ぶりの改定が行なわれることとも関連して、基本的な改革は今後の課題としながらも、貸与月額の大幅な増額を中心として、事業費総額も対前年度比四七億円増で二五〇億円となり画期的な改善措置が講ぜられる。

 日本育英会の創立以来の業績は、表64のとおりである。

表64 日本育英会創立以来の業績

表64 日本育英会創立以来の業績

民間育英法人等

 わが国の育英奨学事業は日本育英会のほか、地方公共団体、公益法人、学校、会社等多くの団体によって行なわれている。これら国以外の奨学団体の昭和四十五年度の奨学費総額は約六六億円で、日本育英会の同年度一八八億円の約三分の一に当たっている。このうち育英法人については、戦後は一時その活動が停滞したものの、わが国の経済発展とともに活発化し、四十五年度で、法人数約五〇〇、奨学費総額約三四億円で、国以外の奨学事業団体の奨学費総額の五二%を占めている。育英法人は、篤志家の寄附により設立され、それぞれ、設立の趣旨、目的に即して特徴のある運営がなされており、国としても、そのいっそうの発展を期するため、税制上の優遇措置を講ずるなどを通じて、育成に努めている。

表65 昭和47年度奨学金貸与月額一覧

表65 昭和47年度奨学金貸与月額一覧

学徒援護事業

 戦後の混乱期に国の補助を得て学徒援護の事業を行なった財団法人学徒援護会は、時代の進展とともに、その事業内容に抜本的な改革を迫られるに至った。まず、学生の宿舎としての学生会館については、昭和三十九年、学生会館の秩序と管理・運営の改善を図るため、「学生会館管理規程」を制定したところ、学生会館の自主管理・運営を主張する学生側と対立し、これを契機として全国の会館に紛争を生じ、東京の会館を除いてはその正常な運営が期待できない状況となり、学徒援護会としては、あくまでも会側の管理権を排除して自主管理を主張する会館については廃止の方針を定め、四十六年度末までに、遂に、五会館を廃止するのやむなきに至った。また、学生相談所のアルバイトあっせんについても、四十六年度には全国一一の相談所で約八万人の学生にあっせんしたが、学生の生活状況の変化に伴い、従来のあり方には、再検討を要する時がきている。東京の相談所においては、手数料を徴収しての貸間あっせんの業務も行なわれている。

 なお、戦後、学生自身の手で学生の生活を守るべく、多くの学生経済生活活動団体が結成されたが、そのほとんどは社会経済の安定とともにその使命を終えた。ただ、大学消費生活協同組合は、今なお多くの大学でその活動を続けており、一部には、政治的色彩をもつものもあって、大学の管理運営上の特別の問題となっている例も見受けられる。

厚生施設の整備と管理・運営

 大学の厚生施設も、社会の安定と経済の発展に伴ってしだいに整備されてきた。国立大学の学寮についてみると、新制大学発足当初は、旧制高校・旧制師範学校等の寄宿舎、または兵舎を転用したものが多く、きわめて不適切な状態であったが、文部省としては、昭和三十七年の学徒厚生審議会答申「大学における学寮の管理運営とその整備目標について」に基づき、その整備・充実を図るとともに、・学寮における経費の負担区分について」 (三十九年二月十八日)の通達で、管理運営の改善を図ったが、学生側は、学寮の自主管理と学寮経費の全額国費負担を要求し、大学の管理運営上困難な問題を生ずることとなった。また、三十四年度から、学生相互の日常的人間関係を緊密にすることなどを目的として、学生会館の設置が進められてきたが、四十年ごろから、学寮同様にその管理をめぐって、学園紛争の一因となることも多かった。

 さらに、学生の心身の健康の保持管理を目的として、四十一年度から保健管理センターを全大学に設置する計画が進められている。

 これらの施設の整備状況は、表66のとおりである。

表66 国立大学の厚生施設の整備状況

表66 国立大学の厚生施設の整備状況

学生就職

 昭和二十八年三月は、新旧両制度の卒業者が重なり、就職難が予想され、学生が早くから就職問題に没頭したり、一部の事業所が六月ごろから選考・採用を行なうなど、就職上、教育上好ましくない事例が起きたので、二十八年に文部省のあっせんにより、大学側と業界で推薦・採用選考の時期について申し合わせが行なわれた。その後、三十年代の後半にはいってからは、全般的な好に況よる求人難となり、申し合わせの趣旨を無視して早期の採用内定を行なう風潮がまんえんした。この申し合わせは、その後も続けられ、三十六年度には就職事務開始時期を事務系七月一日、技術系六月一日とし、.四十六年度からは、就職事務開始時期は事務系、技術系とも七月一日に統一された。しかし、現実には、この申し合わせの趣旨はなかなか実現困難で学校教育上の一つの問題点である。

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