四 高等専門学校制度の創設

高等専門学校創設にいたる経緯

 新学制の理念であり特徴である教育の機会均等と学校体系の単一化については、教育の機会均等はあくまでも保障しつつも、特に上級段階に進むに従い、適性・能力に応じ、また進路に適した教育を制度的にくふうすることは必要であり、特に基礎学力の充実した専門的職業人の養成は産業社会の要請であって、その要望は社会各方面から主張されるに至った。

 すでに昭和二十六年、独立後の制度改善を企図した政令改正諮問委員会は、高等学校三年と大学の二年または三年をあわせた五年制の農・工・商教育等の職業教育に重点を置く「専修大学」を提案していたが、その後、中央教育審議会においても、短期大学制度の恒久化と関連して、これについて検討が重ねられ、前後四回にわたって、新しい学校について答申がなされた。

 これらの答申に基づき、三十三年三月、いわゆる専科大学の創設を内容とする学校教育法の改正法案が国会に提出されたが、短期大学の恒久化を技術者養成機関の創設に含めすべて専科大学に吸収しようとする内容が、ようやく独自の存在意義が定着しかけていた短期大学の関係者に強い反対を招いて審議未了となり、その後も再三国会に提案されたが成立するに至らなかった。

 一方、わが国経済の発達、産業構造の高度化、科学技術の進歩等に対応して、技術者の量的不足と質的向上が問題化し、三十五年の国民所得倍増計画の策定をめぐって、技術者養成に対する要望はますます活発になった。ここにおいて文部省は、短期大学恒久化の問題を切り離し、新たに工業教育を主体とする高等専門学校の創設を、三十六年四月、学校教育法の改正法案として第三十八回国会に提出し、同年六月公布、施行の運びとなり、三十七年度から工業高等専門学校が発足することとなった。

高等専門学校創設当時の概況

 高等専門学校は、「深く専門の学芸を教授し、職業に必要な能力を育成することを目的とし」、中学校卒業程度を入学資格とする修業年限五年の一貫教育を行なう高等教育機関であり、また、その卒業生には四年制大学への編入学の道が開かれている。

 制度が定まるや、全国各地に国立工業高等専門学校設置の誘置運動が起こり、文部省はその調整に苦慮を重ねたが、昭和三十七年度に一二校、三十八年度、三十九年度も引き続いて一二校ずつ逐次設置し、また、三十七年度、三十八年度には公立四校、私立六校が相次いで設置された。

 四十二年度には、商船高等専門学校が創設され、従来の国立商船高等学校五校が昇格し、四十六年度には、電波通信学科を置く工業高等専門学校が設置され、従来の国立電波高等学校三校が昇格した。(内容については「第六節三高等教育機関における産業教育」参照)

 高等専門学校の入学状況をみると、国立では、三十七年度一七・五倍、三十八年度一三・三倍と競争率はきわめて高く、優秀な生徒が集まった。その後、学校数も全国的に分布し当初の狭き門は逐次解消してきている。

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