十 体育・保健・給食の発展

 戦時中の体練科から軍事的色彩を除去した戦後の学校体育については、その目標を児童・生徒の発展と生活の両面からとらえた「学習指導要領体育科編」(試案)が昭和二十八年に編成され、以後、学習指導要領の改訂に応じて体育および保健体育の内容が充実され、特に四十三年、小学校に始まる学習指導要領の改訂においては特にその総則において、学校の教育活動全体を通じて体育に関する指導の充実を図ることの必要が強調された。このように指導内容の改善・充実と並行して三十年代後半からは体育館、水泳プール等の学校体育施設の整備も急速に進められた。学校体育の振興に伴い対外試合をどのように関連づけるかはむずかしい問題が存在する。文部省は二十三年に学徒の対外試合について基準を定めて学校体育の節度を指導したが、その後スポーツの発展、児童・生徒の体位の向上、交通事情の改善等の推移に伴い、この基準に数次の改訂が行なわれ、現在では、児童・生徒の参加する競技会を「学校教育活動としての対外競技」と「学校教育活動以外の運動競技会」に分けてそれぞれの基準を明確にしている。

 学校保健管理を体系的に処理するために三十三年「学校保健法」が制定された。その内容は、学校保健計画、学校環境衛生、健康診断、健康相談、伝染病予防、学校保健技師、学校医等、医療費の援助等について定められた。特にへき地学校の保健管理の改善充実には重点を置き、また近年は学校環境衛生基準を設けて力を入れている。なお、いわゆる学校病としてはむし歯と近視が増加し他の疾患は減少の傾向にある。

 学校教育における児童・生徒の安全管理についてその災害補償が懸案であったが、修学旅行や水泳訓練中の集団事故等が契機となって三十四年「日本学校安全会法」が制定され、学校管理下の負傷、疾病、廃疾、死亡の災害共済給付制度が確立された。四十六年度で給付件数は七三万件、給付金額は二三億円にのぼっている。最近の交通事情の下で子どもを交通事故から守る安全教育と安全対策が、さらに大気汚染等による公害被害の著しい地域の学校保健が、大きな課題になってきた。登下校道の交通規制や公害地学校の特別健康診断あるいはいわゆるグリーンスクールの事業など文部省は積極的に対策を講じている。最近十年間の学校保健、学校安全の推移に社会の変化を痛感させられるものがある。

 戦後学校教育の特徴の一つに学校給食がある。二十九年「学校給食法」が制定され、三十一年には学校給食が小学校から義務教育諸学校のすべてに拡大された。これにより学校給食の目標、経費負担の区分、国の補助等が明文化され、また学習指導要領においても学校教育の中での位置づけが明確にされた。三十六年には夜間定時制高校へ拡大され、三十八年から脱脂粉乳に対する国の補助、四十一年から高度へき地のパン・ミルク給食の全額国庫補助など、給食に関する施策は拡大された。また、三十年に特殊法人「日本学校給食会」が設立され、主として脱脂粉乳を取り扱ったが、四十六年からは小麦粉の業務も加わり、学校給食用物資の需給体制もしだいに整ってはきたが、多種多量の物資の円滑な流通体制の整備はなお今後の課題である。さらに、文部省は学校給食の所要栄養量の基準の向上につき指導を続け、栄養職員の設置についても財政措置を講じて整備を図っている。

 わが国の体育・スポーツの振興を図るため三十六年待望の「スポーツ振興法」が制定され、国民の心身の健全な発達と明るく豊かな国民生活の形成に国は積極的に乗り出した。なかでも各種の体育施設の整備に力を入れてきたが、わが国の体育施設の七〇%余は学校の施設であり、一六%が企業の施設で、公共の社会体育施設は七%、一万か所にすぎない。現在、市町村を中心に日常生活圏域の体育施設の整備に文部省は力を入れている。第三回アジア競技大会を機会に三十三年に国立競技場が設置され、三十九年にはオリンピック東京大会の女子選手村跡に青少年の宿泊研修施設としてオリンピック記念青少年総合センターが設立された。また四十七年札幌オリンピック冬季大会に際してはスキー、スケートの世界に誇りうる競技施設が設置された。この間、スポーツの国際交流はきわめて活発化し、ひとりスポーツの振興のみならず国際理解と国際親善に寄与している。

 このような体育・スポーツの振興施策において指導者の養成・活用は不可欠の課題となっており、体育指導委員の設置をはじめ各種の研修会を開催しているが、さらにその具体策として国は四十二年には富山県に「登山研修所」を設置した。また、財団法人「日本体育協会」は明治の末に設立されたわが国唯一の総合的スポーツ団体で国内競技はもとより国際競技の推進母体となってきたが、文部省もこれを援助して各種のスポーツ活動、指導者養成などを推進している。

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