一 独立後の教育発展

 昭和二十七年四月、平和条約の発効により、わが国は待望の独立国の地位を回復したが、当時わが国は、冷たい国際緊張の谷間にはさまれ国内的にも経済・社会の復興もいまだしの段階にあって、手ばなしで独立の春を謳(おう)歌することを許される状況ではなかった。しかし、政治・経済・社会の各分野にわたって占領下の諸施策に反省と検討を加え、国家社会の発展と国民生活の向上を図り、世界の進展に寄与しつつ、わが国が真に独立国として国際的地歩を確立するための方策を自ら見いだすことが急務とされた。このような要請は、民主的な国家、社会、国民を形成するための基盤をつちかう教育の分野において特に切実なものがあった。前章で述べたように占領期間中に民主主義を基調とするわが国の戦後の教育改革の骨組みは成立したが、その実質的な整備はこつ時期文持ち越された。一方、占領下に措置された諸施策の中には、民主主義的な教育の理念や方式の採用に急であって、その実施の経験を通じて、わが国の文化と伝統および進展する社会・経済との関係において必ずしも適切ではなく、そのままではじゅうぶんな成果を期待できないものもあることがしだいに明らかになってきた。

 このような要請にこたえた、独立回復から今日までの二十年間の教育施策を跡づけるとき、大観して三つの時期が認められる。第一期は独立から三十二、三年ごろまでで、この期間に、一方では占領下施策について必要な是正措置が行なわれるとともに他方では新教育制度の充実のための諸施策が進められ六・三制がしだいに定着してきた。次いで、第二期は、戦後復興期をおえた以降の三十年代、なかんずくその後半を中心とする、経済・社会の急速な成長、発展の過程で、この時期にわが国の教育は急激な拡大をみせつつ、新時代に即応する新たな発展をとげたのである。さらに第三期を設定するのは、ここ三、四年の間の推移と将来の方向を展望しつつ、特に第二期と画して新たな変貌と発展への転換が始まっているとみることができるからである。この動きを洞察した中央教育審議会はすでに、第三の教育改革を意図する教育改革構想を四十六年六月答申している。このような時期の分岐点は、占領、独立のような明確な事件で画することはできないもので、したがって三つの時期も一つの流れの中の時期的な特徴とみることもできよう。

 さらに、この二十年間の教育施策をみる場合に、これに至大な影響を与えた二つの顕著な社会的現象を見落としてはならない。一つは、いわゆるベビーブームの波と流れである。二十二年に始まる戦後出生児の急増の波頭は二十八年小学校に達し、以後三十五年中学校に、三十八年高等学校に、そして四十一年には大学の門戸に迫った。新学制の理念とする教育の機会均等は進学の障壁を撤廃した学校制度によって保障され、これに加えて、おりからの国民所得水準の上昇にささえられてこの波は進学率の上昇を伴ってわが国学校教育の目ざましい量的発展をもたらした。他の一つは、科学技術の革新、経済の高度成長、社会の高度成熟である。この社会的現象は、第一の現象と合して教育需要を高め、教育の規模拡大の要因となるとともに複雑な影響を教育に与え、たんなる戦後の新教育の発展とのみはいえない新しい教育発展を促したのである。これら二つの社会的現象が教育に与えた影響は特に先に述べた第二期以後において顕著である。しかしながらこの間、占領下施策をわが国の実情に即して是正しようとする措置や新たな社会的要請にこたえようとする施策に対して、新教育理念の後退、戦前旧教育体制への復帰あるいは経済・社会の要請に対する教育の従属等を理由に一部に強い反対が起こり、時には教育界に混乱を生じたりして二十年の歩みは決して平坦な道ではなかったことも忘れてはならない。いずれにしても独立回復以降の教育施策について、前述の時期区分や社会現象をふまえて、いかなる措置がとられてきたかを以下概説する。

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