三 私立学校法の制定と私学助成

私立学校法の制定

 戦前の私立学校については、小学校令、中学校令、高等女学校令、専門学校令、大学令等の諸学校令に基づいて設立されるものについては、教員資格、施設・設備、教科編成等に関し、まず当該学校令の規定が適用され、該当規定のない部分について私立学校令が補充的に適用される仕組みであった。また、「一般ノ教育ヲシテ宗教外ニ特立セシムルノ件」(明治三十二年文部省訓令第十二号)によって、私立学校においてもいわゆる宗教教育は禁止されていた。このため宗教系の私立学校は、私立学校令のみの適用を受けるいわゆる各種学校として存在するものが多かった。

 新教育の基本を定めた「教育基本法」は私立学校の公共的性格を明らかにするとともに、その設置者は特別の法人に限定されるべきことを定め(第六条)、さらに、私立学校における宗教教育の自由を認めた。(第九条)また、「学校教育法」においては、学校の閉鎖命令を法令違反等の場合に限り、収支予算、決算について届け出義務を課するにとどめ、授業料等納付金を記載する学則変更は認可制を廃して届け出制にするなど、私立学校に対する監督庁の権限を大幅に縮小し、私立学校の自主的な運営による健全な発展に期待が大きくかけられた。そこで、私立学校の設置主体を特別の法人とする法律の制定が望まれた。

 私立学校の設置者を特別法に基づく法人とするという考えは、すでに昭和二十一年十二月の教育刷新委員会の第一回建議において示されていたが、一方憲法第八十九条と私立学校に対する公の助成との関係について、憲法制定議会においては、私立学校はいろいろな点で公の機関の特別の監督を受けているから公の支配に属さない教育の事業には該当せず、これに対する公の助成は違憲ではないとされていた。しかしその後疑義が提出されるに至ったこと、および経済的悪条件により、経営困難な状況にあった私立学校に対する公の助成はわが国の教育の振興上不可欠のものと考えられたことなどから、私立学校に対する公の助成に対する憲法上の疑義を解決するための立法措置が望まれた。教育刷新委員会は、二十二年十二月の第十回建議において、私学に対する財政援助策のすみやかな樹立を建議し、二十三年五月の第二十二回建議に至っては、私立学校法案を至急制定する必要のあることを建議した。

 文部省では、日本私学団体総連合会と緊密な連絡を保ちつつ私立学校法案の作成を進め、幾多の曲折を重ねて成案を得、二十四年十一月国会に提出、可決され、同法は翌二十五年三月施行された。

 「私立学校法」は、1)私立学校の自主性を重んずる教育行政組織を確立すること、2)私立学校の経営主体の組織・運営を定めてその公共性を高めること、3)憲法第八十九条との関係において私立学校に対する公の助成の法的可能性を明確にすることをねらいとしたものであった。第一の点については、私立学校に対する所轄庁の権限を学校教育法よりもさらに限定するとともに、所轄庁がその権限を行使する場合には、主として私立学校の代表者から構成される私立学校審議会または私立大学審議会に諮問しなければならないこととした。第二の点については、私立学校の設置者について、従前の財団法人に代えて、学校法人という特別法人とし、特に法人の管理・運営について役員の定数、構成、評議員会の必置制など民法には見られない基準あるいは制約を設けるとともに、反面、自主性尊重という観点から、財団法人に対するような主務官庁の包括的監督権限は認めないこととした。なお、学校法人は、財団的な性格を有するが旧大学令で規定する「収入ヲ生ズル基本財産」は必要とせず、その供託制度も廃止された。これにより、従前に比して学校の設置が容易になるとともに、財政的基礎の必ずしも堅実でない私立学校が生まれるようになったことも否定しがたい。第三の点については、第五十九条で、国または地方公共団体が私立学校に対し補助金を支出する等の助成をすることができる旨を規定するとともに、所轄庁は、助成を受けた学校法人に対し、業務、会計の状況に関し報告を徴すること、予算について必要な変更を勧告すること、および役員の解職を勧告することの権限を有す旨を規定し、私立学校に対する公の助成について憲法上の疑義を解消した。

 以上のとおり、私立学校法は、わが国の私立学校制度に画期的な改革を行なったものであり、その後における私立学校の発展を制度的に保障したものであった。しかし、反面、従前と異なり、私立学校の公共性の維持・向上は、ほとんど理事等関係者の良識と自覚にゆだねられたため、一部には私学経営に好ましくない事例が生じても所轄庁の規制によりこれを未然に防ぐ方途を失うに至った。

私立学校に対する応急的助成

 戦後の私立学校は、学校を維持するに足る収入を生ずることが期待されていた基本財産は急速なインフレの進行によってほとんどその価値を失い、また私立学校が都市に集中していたため戦災による被害がはなはだしく、さらに新学制の実施に伴う施設・設備の改善・充実を迫られるなど、その経済的ひっ迫の度は著しかった。他方、昭和二十一年二月の「金融緊急措置令」に基づく資金凍結措置により、私立学校の預金は第二封鎖預金と定められたため、私立学校はその預金の利用の道を閉ざされ、大きな打撃を受けた。また、寄付金の募集についても、当時の社会・経済的事情に基づく取り締まりによって抑制され、授業料の値上げによる増収も実際上困難であるばかりでなく、認可制(当時は授業料を含めて学則は認可制)による障害もあって、私学の経済事情は危機にひんし、公の助成による救済が不可欠とみられた。

 二十一年十月には、衆議院本会議において「私学振興に関する決議」が採択され、また二十二年一月には、教育刷新委員会が第三回建議で私学助成のためのいくつかの具体的提案をするに至った。

 このような背景のもと、二十一年度予算に私立学校建物戦災復旧貸付金二、四三〇万六、〇〇〇円が計上され、戦後最初の公的金融措置が行なわれた。この貸付金は、大破以上の罹(り)災建物の復旧に対するもので、五年間無利子すえ置き、その後二十年の元利均等年賦償還の条件で、その後の震災復旧等の分も合わせて私立学校振興会が発足する二十七年までの六年間に、総額約一六億三、〇〇〇万円に達した。しかし、非戦災の私立学校にあっても、経営はきわめて困窮していたので、応急援助として、二十二年度に五、〇〇〇万円、二十三年度に七、五〇〇万円の経常費貸付金が、戦災、非戦災を問わず申請学校に対し融資された。

 また、私立学校のうちには、旧軍用施設の転用を受けているものが相当数にのぼっていたが、これらについては、二十三年の「旧軍用財産の貸付及び譲渡の特例等に関する法律」により、私立学校に対しては有利な払い下げまたは使用が許可されることになった。しかも、払い下げの条件等は漸次改善されたため、旧軍用施設の転用は、私立学校の施設の充実にかなりな役割を果たした。

 このほか、地方公共団体においても私立学校助成は行なわれていたが、憲法第八十九条との関係で、教育の機会不均衡の是正に関する契約に基づく支出という名目で二十三年度および二十四年度には東京都ほか十数府県で約一一億二、〇〇〇万円が支出された。

私立学校振興会

 戦後財政的苦境に立った私立学校を援助するため、前述のとおり国からの貸し付けも行なわれたが、さらに積極的・恒久的にじゅうぶんな資金を長期低利で貸し付ける公的金融機関の設置が強く要望されていた。

 昭和二十七年三月、「私立学校振興会法」が公布・施行され、ここに政府全額出資の特殊法人私立学校振興会が発足した。この時の国の出資金は二一億四、九〇〇万円で、その内訳は、二十一年以降、私立学校の設置者および都道府県に対して国から貸し付けられた戦災その他の災害の復旧費および経営費貸付金の債権一七億五、九〇〇万円と現金出資三億九、〇〇〇万円であった。

 私立学校振興会の行なう事業は、法律上、私立学校の経営に必要な資金の貸し付け、私立学校の教育の事業に対する助成および私立学校の職員の研修、福利・厚生等の事業を行なう者に対する資金の貸し付け、または助成の三つであるが、現実には、私立学校の施設費等に対する融資が中心であって、資金需要に対応する充実はその後の措置にまたなければならなかった。

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