三 新しい学校保健の方向

 終戦直後の学校衛生は、とりあえず、戦前の学校衛生への復帰という傾向であった。米国教育使節団報告において、学校における健康教育を重視する必要があることが勧告され、昭和二十二年度から新しい学校制度が発足し、「教育基本法」において「心身ともに健康な国民の育成」が教育の目的に、また、「学校教育法」においては、小学校教育の目標の一つに「健康、安全で幸福な生活のために必要な習慣を養い、心身の調和的発達を図ること。」がそれぞれ明示された。したがって、これまで、疾病、傷害の予防と処置によって学習の条件を整えることに中心がおかれていた学校衛生の考え方が改められ、「健康」が教育そのものの目的、目標となり、積極的に健康を保持・増進することが重視されるようになった。また、どちらかといえば、学校医、学校歯科医、養護訓導または養護婦などの専門的技術者中心の仕事から、学校教員全体の責任となり、従来の学校衛生から新しい学校保健へと転換が図られた。この新しい学校保健のあり方は、二十四年十一月「中等学校保健計画実施要領」(試案)に示され、これによってわが国の新しい学校保健の輪郭がほぼ定まった。

 次に、学校保健は、保健管理と保健教育の二つに分けて考えるのが一般的である。そこでまず、保健管理の面についてみると、二十一年二月「学校衛生刷新に関する件」の通牒で、戦後の学校衛生刷新の方向を示したことは前述のとおりである。次いで同年三月「学校伝染病予防に関する件」の通牒により痘瘡(そう)、発疹(しん)チフス等の流行に対する対策を指示した。続いて翌二十二年三月制定された学校教育法第十二条に「学校においては、学生・生徒・児童及び幼児並びに職員の健康増進を図るため、身体検査を行い、及び適当な衛生養護の施設を設けなければならない。」と定め、保健管理を学校教育活動の基礎として位置づけている。

 また、二十三年の「高等学校設置基準」でも、生徒の養護をつかさどる職員を置くことが規定され、翌二十四年五月制定の「教育職員免許法」によって従来の養護訓導または養護婦は養護教諭または養護助教諭と名称も資格も新たにされた。

 二十四年十一月、新しい学校保健のあり方が、「中等学校保健計画実施要領」(試案)によって示されたことは前述のとおりであるが、これによると、学校保健計画は、「健康に適した学校環境」、「健康に適した学校生活」、「学校保健事業」の保健管理の面と「健康教育」で構成されている。また、学校保健委員会、学校保健主事の名称もこの要領ではじめて使用されている。引き続いて、二十六年二月「小学校保健計画実施要領」(試案)が同様な趣旨で作成された。

 なお、二十四年三月、学校身体検査規程も改正された。これに先だち、二十三年度から学校衛生統計調査が指定統計となり、学徒の発育や疾病異常の実態についての重要な資料を毎年うることができるようになった。(表(40)参照)

表40 戦前と戦後の体格の比較(11歳)

表40 戦前と戦後の体格の比較(11歳)

 また、新しい学校保健で特に重視されることとなった保健教育の面についてみると、二十二年六月刊行の「学校体育指導要綱」では、前述のように「体育は運動と衛生の実践を通して人間性の発展を企図する教育である。」とされ、体育科の内容に衛生の項目が設けられた。

 二十四年には中学校・高等学校の体育科の名称が保健体育科に改められ、中学校、高等学校ともに三年間に七〇単位時間の保健の学習を行なうこととなり、その内容は前述の「中等学校保健計画実施要領」の「健康教育」の項によることとなった。また同年五月「保健」、「保健体育」の教員免許状の制度が設けられ、さらに二十六年四月検定教科書も作成され、保健の学習指導の態勢が整えられた。

 また、二十四年度から実施された大学の一般体育科目の講義の中でも保健の内容を取り扱うようになった。したがって、中学校から大学まで、教科としての保健の学習が行なわれるようになった。

 さらに、二十六年改訂の「学習指導要領一般編」(試案)において、小学校の保健教育については、「ある特定の時間を設けて指導するよりも、教科の学習や教科以外の活動のすべてを含め、あらゆる機会をとらえ、あらゆる活動を通じて、行なわれることが望ましい。」と示され、小学校における新しい保健教育のあり方が、あらためて強調された。

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