五 社会通信教育・視聴覚教育

 以上みてきたように、戦後わが国の社会教育は、民主化の方向にそって強力に再編成されていったが、その過程で新しい社会教育を展開するのにふさわしい各種の手段、方法が導入されたり開発されたりした。一般に手段、方法が多様化し、組織化されるようになったことは、戦後の社会教育の特筆すべき傾向といってよいであろう。その中で制度的なものにまで高められ、その後の社会教育において重要な役割をになうようになったものとしては、社会通信教育と視聴覚教育の二つがあげられる。

 通信教育の起源は明治時代にはじまった「講義録」式のものにまで遡(さかのぼ)ることができるが、戦後は米国の発達した方式に刺激されて面目を一新した。ここで社会通信教育というのは、学校教育法に基づいて高等学校や大学で行なう学校通信教育以外の通信教育で、受講資格にきびしい基準や制約がなく、広く社会人がそれぞれの職業や生活の必要に即して、希望する課程を自由に選び、随時受講できるものである。文部省では、昭和二十一年から通信教育調査会等を設けてその制度化を進めてきたが、翌二十二年に「通信教育認定規程」が制定され、これに基づいて社会通信教育の認定が始められた。次いで、二十四年の社会教育法に通信教育に関する事項が規定されて、社会通信教育の認定制度は法律によって確立された。すなわち、文部大臣は学校または民法第三十四条の規定による法人の行なう通信教育で社会教育上奨励すべきものについて、社会教育審議会に諮(はか)って通信教育の認定を与えることができるとされたのである。そうして認定された通信教育は、郵便料金の特別取り扱いを受けること、「文部省認定」の表示ができること、育成・助長の対象として国や地方公共団体から便益が供与されることなどの特典が得られることとなった。このようにして戦後制度化された社会通信教育は着実に進展を見せるに至った。

 視聴覚教育についても、その実質活動の一部はすでに戦前から行なわれていて必ずしも新しいものとはいえないが、これが全国的な規模で組織的に行なわれるようになったのは戦後のことである。すなわち、二十三年に総司令部は一、三〇〇台のナトコ映写機(十六ミリ発声映写機)および多数のCIEフィルム等を日本政府に貸与し、これを全国の都道府県に配布して上映させた。この計画は視聴覚媒体によって広く人々の啓もうと民主化を図ろうとするものであった。これに対応して都道府県では、社会教育主管課に視聴覚教育係を置き、フィルムの保管と貸し出しに当たる視聴覚ライブラリーを設けるなどしてて、視聴覚教育を促進する態勢を整えた。これより先、文部省では二十二年に「教育映画等審査委員会」を設け、教育映画、幻燈画、紙しばいの教育的価値を評価して、その結果を公表し、利用者の選択の便に供するとともに、作品の質的向上を図ることとした。この仕事は、三十四年以降は社会教育審議会の「教育映画等審査分科会」に引き継がれている。また、二十五年には放送法が制定されて、公共放送のほかに民間放送が行なわれることになって、放送番組が著しく多様化するとともに国民に及ぼす影響も一段と大きくなった。こうした情勢をふまえ、文部省では社会教育と学校教育の両面にわたる視聴覚教育の連携を促進するために、二十七年度に社会教育局内に視聴覚教育課を設け、その行政を一元化して視聴覚教育の向上および普及につとめることになった。

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