二 社会教育施設の整備

 戦後の新しい社会教育行政は、国民が自主的に学習できるような環境を醸成し、条件を整備することを最大の任務としたので、社会教育施設の充実・整備はそのための重要な役割をになうこととなった。その中でも中心的な存在となったのは公民館である。公民館は、わが国独自の構想により、文部省が提唱してその設置を奨励した総合的な社会教育施設であり、総司令部当局からも支持を受けて、たちまちのうちに全国的に発展を見た。昭和二十一年七月の文部次官通牒「公民館設置運営について」は、公民館の趣旨や具体的な設置、運営の方法などをはじめて明らかにしたものであるが、それから三年後の二十四年六月、「社会教育法」公布の時点において、当時の市町村数一万余のうち実に四、〇〇〇余の市町村がすでに公民館を設置していた。これは当時の郷土再建の機運に結びついたものと考えられよう。

 祖国復興の意欲に燃える人々の手によって情熱的で個性的な公民館活動が各地で展開されたのである。ただ、このころはきびしい地方財政の窮迫や資材の不足等の中にあって、施設を持つことよりもむしろ活動そのものにアクセントが置かれたため、施設を持たないいわゆる「看板公民館」、「青空公民館」が多かったのも、やむをえないところだった。二十五年現在でなお公民館の半数が独立した施設を持っていない。こうした情勢の中に社会教育法が制定されたが、全文五十七条中公民館関係の規定は二十三条を占め、ここに公民館の運営に国庫補助の道がひらかれることとなった。二十五年度からは運営費補助金、翌二十六年度からは施設費補助金が交付されて、漸次施設の設置、職員や設備の充実が進められた。また、社会教育法が公民館の性格、事業内容を明確にしたことによって、それまでともすると町づくり村づくりのための機関としてよろず屋的に受け取られていた公民館が、はっきり教育機関として位置づけられることとなり、それまでの個性的な活動がやや平板化したうらみもあるが、公民館活動は、ここにようやく本格的な展開をみせるに至った。

 図書館、博物館は、公民館に比べると、いずれも長い歴史的沿革を持つ専門的施設であるが、戦禍を受けたものが少なくなかった上に、復旧も遅れがちであった。その中にあって、「第一次米国教育使節団報告書」は図書館、博物館の意義と役割を強調したが、特に図書館については、CIEの力強い支持のもとに制度の改革に踏み出した。二十五年、その結実として「図書館法」が制定されるが、同法においては、図書館のあり方を従来の保存、管理にウエイトを置く静的なものから、積極的に利用者へのサービスを図る動的なものへ移行させた点に眼目があり、さらに、司書、司書補の専門職制の確立、公立図書館に対する国庫補助、公立図書館の無料公開、私立図書館の独自性の尊重などが規定された。これにこたえて、開架方式の採用、ブック・モビールの活用、レファレンス・サービスの重視など、新しい奉仕活動の試みが各図書館で実施されるようになり、施設の復旧とあいまって、新鮮な活動が開始された。一方、博物館は、財政難のために活動が著しく沈滞し、二十五年の第二次米国教育使節団の報告書でも、文部省がその窮状を検討するよう勧告する状態であった。二十六年制定の「博物館法」は、歴史・民俗・科学・郷土などそれまで博物館と呼ばれたもののほかに、天文館・美術館・宝物館・動植物園・水族館なども博物館の中に包含し、それら博物館の動的な教育的機能を明示するとともに、専門的職員としての学芸員の設置、公立博物館に対する国庫補助、博物館資料の輸送の特典などをうたった。この施行を契機に、博物館界に蘇生の新風が導入されることとなり、既設の博物館はその内容の整備、改善に着手し、また各地に新しい博物館建設の機運が醸成されてきた

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