一 社会教育関係法令の成立

社会教育と社会教育行政の転換

 戦時中、統制的指導の色を濃くしていた社会教育行政も、それに伴って教化的性格を強めていた社会教育も、敗戦を契機に、その本来の姿に立ちかえろうとした。社会教育は、本質的に人々の自発的な学習活動を基盤にするものであって、上からの押しつけになじまないものであるから、自由を回復した国民の間にほうはいとして社会教育振興の機運が盛り上がったことは当然といってよい。ただ、あまりにも急激な転換のために、新しい方向を模索して途方にくれたのも偽らぬ実態であった。一方、行政の側も、社会教育行政の役割がそうした社会教育活動に対する奨励・援助に限定されるものであることを認識して、新しい観点から社会教育の振興に取り組むこととなった。しかし、当面、この社会教育の転換のためにも、強力な行政指導の措置が必要とされた。

 まず、終戦直後の昭和二十年九月、文部省はとりあえず「新日本建設の教育方針」を発表したが、その中で社会教育に関しては、国民道義の高揚と国民教養の向上が新日本建設の根底をなすものであるので、成人教育その他社会教育の全般にわたってその振興を図りたいこと、国民文化の興隆を進めたいこと、および統制によらない自発的な青少年団体を育成したいことなどを述べている。同年十月には文部省内に社会教育局が復活したが、新生の社会教育局は、同年十一月局長通牒(ちょう)をもって、都道府県に社会教育協会を設置して従前の思想指導委員会を廃止するよう指示し、引き続き、同年十一月の大臣訓令および次官の依命通牒「社会教育振興ニ関スル件」をもとに活動を開始するのである。その次官通牒には、都道府県における社会教育専管課の設置、青少年・婦人団体などの育成、学校施設の開放と教職員の協力、社会教育団体の活動促進、図書館・博物館等の整備、増設、各種講座の開設など、戦後施策の基本的な方向がうたわれた。さらに同年十一月、「一般壮年層ニ対スル社会教育実施要領ニ関スル件」「婦人教養施設ノ育成強化ニ関スル件」などの通牒が相次いで出された。

 このころから施策の背後にあって推進力となったのは、中央では総司令部に置かれたCIE(民間情報教育局)、地方では各都道府県に設けられた地方軍政部(のちに民事部と改称)である。二十一年四月には、戦後の教育改革の根本的な指針を示した第一次米国教育使節団の報告書が公表されたが、この報告書は、社会教育に関しては、日本の民主化をすすめる上での成人教育の重要性を指摘し、具体的には、行政の民主化、指導者および図書館などの充実、PTAの奨励、大学などの開放を勧告するとともに、討議や話し合いを重視する方法上の改革をも示唆した。これらの勧告は、CIEおよび地方軍政部の指導のもとに、国情の相違からくる若干の摩擦を伴いながら、逐次実施に移されることとなった。同年五月、文部省および都道府県・市町村に社会教育委員制度が設けられることになったが、これも社会教育行政民主化のための措置と見ることができる。

 一方、教育刷新委員会は、総司令部と密接な連関を保ちながら、教育改革のための基本方針や具体的方策を審議し、多くの建議を行なったが、そのうち社会教育に関するものは、「労働者に対する社会教育について」、「社会教育振興方策について」、「青少年社会教育の振興について」、「社会教育と宗教との関係について」、「いわゆる低俗文化の排除について」などである。なかでも「社会教育振興方策について」の建議は、国および地方公共団体における社会教育費の飛躍的増額を期待するとともに、社会教育関係立法の急速な実現を要望しており、さらに、公民館の設置・運営・機能、学校の開放および社会教育団体の性格・運営についても言及していて、のちの社会教育法案の基盤となった。

社会教育の法的整備

 教育基本法においては、社会教育は国および地方公共団体において奨励されなければならないこと、および図書館・公民館等の施設の設置や学校施設の利用などによってその目的の実現に努めなければならないという基本原則が定められた。また、学校教育法においても、学校は学校教育上の支障のない限り社会教育に関する施設を付置したり、学校の施設を社会教育などのために利用させたりすることができるとする条項が設けられた。この二法律の制定に当たり、文部省では、学校教育に並ぶ分野として社会教育に関する法制を整備する必要を感じ準備を進めたが、昭和二十三年四月、先に述べた教育刷新委員会からの社会教育関係立法の急速な実現を要望する建議を受けて、社会教育法案の立案作業が具体化することとなった。たまたま、同年七月教育委員会法が公布され、社会教育の事務は教育委員会の任務の中に含まれることとなったが、教育委員会として社会教育に関しどういう権限・任務をもつか明確でなかったので、法制定の必要性はいよいよ切実に認識された。すでに公民館は全国的に普及しはじめ、PTAなど社会教育関係団体の活動も漸次活発になってきており、社会教育連合会主催の社会教育全国協議会の立法措置の要望も拍車を加え、二十四年六月、「社会教育法」は遂に制定をみるに至ったのである。

 社会教育法は、社会教育に関する国および地方公共団体の任務を明らかにすることを目的とし、社会教育関係団体、社会教育委員、公民館、学校施設の利用および通信教育など社会教育全般にわたって社会教育と社会教育行政との関係を規定したものであって、わが国ではじめて社会教育行政に法的根拠を与えた画期的な法律である。ただ、社会教育に関する総合法として、図書館・博物館についての規定も入れる構想で準備されていたが、この両者については、詳細な規定が必要であり、未解決の問題もあったので、「図書館及び博物館は、社会教育のための機関とする。」とだけ明記して、別にそれぞれ単独法が制定されることとなった。図書館法は二十五年に、博物館法は二十六年に制定された。

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