三 新制高等学校の発足

新制高等学校の性格

 高等学校における教育の目的は「中学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて、高等普通教育および専門教育を施すこと。」と規定されている。

 高等学校は、中学校に接続して、中等教育の後期段階を分担し、さらに大学に続く学校であるが、制度的には決して大学予科的なものでなく、高等普通教育のみでなく、専門教育をあわせ行なうものである。

 高等学校においては、前述の教育の目的を実現するために、次の諸目標の実現に努めなければならないこととされている。1)中学校における教育の成果を、さらに発展・拡充させて、国家および社会の有為な形成者として必要な資質を養うこと、2)社会において果たさなければならない使命の自覚に基づき、個性に応じて将来の進路を決定させ、一般的な教養を高め、専門的な技能に習熟させること、3)社会について、広く深い理解と健全な批判力を養い、個性の確立に努めること。

 高等学校は、教育の形態により、全日制、定時制、通信制の課程に分かれ、また、教育の内容により普通教育を主とする学科、専門教育を主とする学科に分かれているが、これは生徒の個性や進路に応じ、また修学の便宜を図るためのもので、そのいずれの課程、学科においても等しく前述の教育目標に従った高等学校の教育であり、その限りにおいて、なんらの差異があるものではない。

 ところで、新制の高等学校の教育水準等に関連して、発足当初は、旧制高等専門学校程度のものを期待する考えがあったとみられる。昭和二十二年四月の教育刷新委員会の建議には、新制高等学校の程度は、およそ旧制の「高等専門学校の程度を基準とすること。」とし、また、教員の資格についても、旧制の「高等専門学校の教員資格を有する者を原則とすること。」を要望していた。また、制定当初の「学校教育法」には、全日制の課程の修業年限は三年とされていたが、ただし「特別の技能教育を施す場合」には「三年をこえるもの」を認めていた。しかし、当時のわが国の経済能力、教員組織等から直ちにこのような学校を多数設置することは、きわめて困難であったので、新制高等学校は旧制中等学校を無理なく移行させるという方針がとられることとなった。このことと関連して、新制高等学校の設備、編制、学科の種類の基準として定められた二十三年の「高等学校設置基準」も旧制の高等専門学校の程度を目標としたいわゆる「恒久基準」と、旧制令学校を無理なく移行させるための「暫定基準」の二本立てとし、二十六年三月三十一日までは、「暫定基準」によるものとされていた。しかし、実態としては、旧制の中等学校がほとんどそのまま移行して新制高等学校が成立し、その教育水準もそれに即して実質的に変化し、定着した。かくて二十五年の「学校教育法」の改正により、「高等学校の修業年限は、三年とする。但し、定時制の課程を置く場合は、その修業年限は、四年以上とする。」となり、全日制の場合は三年とされた。

表34 新学制実施の経過一覧

表34 新学制実施の経過一覧

新制高等学校の発足

 昭和二十二年三月「学校教育法」が公布されたが、新制高等学校は一年間の準備期間を経て二十三年度から発足した。新制高等学校は新制中学校に比して、旧制中等学校からの移行と一年の準備期間の余裕があったことで、混乱も少なく比較的円滑に発足した。ただ、発足に際し、旧制中等学校在学生の移行などの経過措置を必要としたが、その後二十四、五年度でしだいに充実し、その体制を整えた。

 新制高等学校の発足に当たって、三つの原則が総司令部から強く主張された。それは学区制、男女共学制および総合制の原則である。学区制は旧制の中学校、高等女学校や中学校、実業学校の間の格差を是正し教育の民主化および機会均等の理念を実現しおよび高等学校の普及を図る趣旨によるものであった。そのため、公立の高等学校の平準化、地域性を図るため都道府県教育委員会に学区制を定める権限が与えられた。(旧教育委員会法)

 また、高等学校における男女共学の実施とともに普通科と職業科をあわせた総合制高等学校の設置が勧められた。

 しかし、二十二年二月の「新学校制度実施準備の案内」では、必ずしも男女共学でなくてもよい、男子も女子も教育上は機会均等であるという新制度の根本原則と、「地方の実情、なかんずく地域の教育的意見を尊重して」決定すべきであるとされ、同年の「新制高等学校実施の手引」においても同様の趣旨が述べられていた。また、総合制高等学校の設置についても、前記「新学校制度実施準備の案内」では、「学校数の少ない地方においては、総合的な学校が地方の必要性に適合すると思われる」と述べ、これを漸進的な方針により勧奨していた。したがって文部省としては、三原則の画一的実施は指導しなかった。しかし、地方によっては、当時の地方軍政部の意向により、その統合が強力に実施され、多大の混乱を起こしたところもあったが、講和条約成立後はしだいに実情に適するように改められた。

 なお、私立の高等学校は、旧制の中学校・高等女学校等の転換であったため統廃合の例もほとんどなく、右の三原則の強制も受けなかったが、中学校と高等学校の併置の型が多かった。

定時制・通信制教育

 高等学校の定時制の課程は、中学校を卒業して勤務に従事するなど種々の理由で全日制の高等学校に進めない青少年に対し、高等学校教育を受ける機会を与えるために設けられた制度である。制定当初は、夜間において授業を行なう課程と特別の時期および時間において授業を行なう課程とに区別され、その修業年限は三年を越えることができるとされていたが、昭和二十五年の学校教育法一部改正により、この両課程をひとつにまとめて定時制の課程とし、その修業年限を四年以上とした。

 定時制の課程は、全日制の課程と同等の教育を施し、同一の資格を与えるもので年々その生徒数はふえ、二十七年度には約五二万人で全高等学校生徒数の二二・六%を占め、勤労青少年の教育機関として大きな役割を果たした。

 高等学校の通信制教育も高等学校の発足とともに創設された制度であり、全日制や定時制の課程と同一の教育目標・内容をもち、その修得単位の効力も同一である。ただし、制度上の制約から実施教科・科目には制限があり、通信制教育のみでは高等学校卒業資格は得られなかった。二十七年における通信制教育を受ける生徒数は約三万人であった。

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