二 国語調査機関の設置

国語問題・国語改良運動

 徳川時代の封建鎖国のとびらが開かれて、わが国が近代化のれい明を迎えようとした幕末のころ、前島密が徳川慶喜に建議した「漢字御廃止之(の)儀」が国語改良運動の最初である。これは、「国家の大本は国民の教育にして其教育は士民を論ぜず国民に普からしめ之を普からしめんには成る可く簡易なる文字文章を用ひざるべからず」という論旨で、漢字の国語発達に及ぼす影響、漢字廃止に伴う利益等を論じたものである。前島はさらに、明治政府に対し、ひらがなをもって「国字と定め、古来の教育法を変じ、新教育法を以て、論理、物理、法理等より日常万般の事に至るまで、其仮名字なる簡易の国字を以て教育する」ことにしたらどうかという趣旨の「国文教育ノ儀ニ付建議」を提出した。このようにして、わが国の国語問題、国語改良運動が芽ばえてきた。明治維新を一つの新たな刺激として一転機を画したわが国の近代化現象の一翼に、欧米文物の吸収による近代市民社会的な進歩改良主義と国民意識の統一、国民文化の高揚による国力伸張主義が登場してきたのである。これが外に向かっては、わが国が諸外国と伍して対等に交際していく上において、日本語は外国語に比べて見劣りするのではないかという反省があり、国語についての近代社会的・文化的意義を改めてせんさくする必要が生まれたのである。また、内に向かっては、国民的教養の大衆化のための国語の統一と学習の平易化を図る必要から、国語・国字改良の機運が生まれてきたのである。

 こうして民間にまき起こされた国語問題、国語改良運動を大別すると、1)漢字制限論、2)言文一致論、3)標準語論、4)国語尊重擁護論などがあった。これらは相互に入り乱れて世論をわかし、政府としても国語政策に介入しないではいられなくなり、その最初が明治三十三年の国語調査委員の委嘱であった。

国語調査機関の設置

 明治二十六年、井上文相は字音仮名遣に関する諮問を落合直文、栗田寛、外山正一ほかの国語学者に対して行ない、その答申を受けて三十三年八月小学校令、同施行規則により「仮名の字体」、「字音仮名遣」、「千二百字漢字制限」を実施した。三十三年四月、前島密ほか七人の国語調査委員を委嘱したが、これは三十五年三月官制により国語調査委員会となり、加藤弘之委員長ほか委員一二人で「国語ニ関スル事項ヲ調査ス」る機関として発足した。この機関は、「普通教育ニ於ケル、目下ノ急務ニ応ゼン」ために、漢字の制限、字音仮名遣の改定、一語仮名造の改定ほかの調査を行なうこととし、「送仮名法」、「漢字要覧」、「仮名遣及仮名字体沿革資料」、ほか数多くの成果を発表した。

 この国語調査委員会は大正二年に廃止し、十年になって臨時国語調査会を設置した。そして「常用漢字表(一、九六二字)」(大正十一年)、「仮名遣改定案」(大正十三年)、「字体整理案」(大正十五年)、「漢語整理案」(大正十五年~昭和三年、一三回)、「常用漢字表ノ修正(一、八五八字)」(昭和六年)などを作成し、昭和九年十二月廃止となりただちに官制による国語審議会に引き継がれた。

国語審議会

 昭和十年三月文部大臣から国語審議会に対して、1)国語の統制に関する件、2)漢字の調査に関する件、3)仮名遣の改定に関すること、4)文体の改善に関することについて諮問し、さらに十七年七月これに追加して、5)国語の横書きに関することを諮問した。国語審議会は、これら諮問事項に対して、終戦までの間に、「漢字字体整理案」(十三年)、「仮名遣改定ニ関スル件」(十四年)、「標準漢字表ー常用漢字・準常用漢字・特別漢字の三種類から成る、計二、五二八字」(十七年)、「新字音仮名遣表」(十七年)、「国語ノ横書キニ関スル件」(十七年)をそれぞれ答申した。

 以上、前記の国語調査委員会のほかに、仮名遣の改定については臨時仮名遣調査委員会(明治四十一年五月~十二月)が、また、ローマ宇のつづり方については臨時ローマ字調査会(昭和五年~十一年)をそれぞれ設けたが、このうちローマ字に関しては、この調査会の成果をもとに、十二年九月内閣訓令でいわゆる訓令式のローマ字つづりを制定した。

 なお、このような国語調査機関の活動の活発化に即応して、十五年十一月に図書局内に国語課を独立させ、国語の調査、日本語教科用図書の編修、国語審議会の事務その他日本語普及の事務に当たることとした。

国語・国字の整理統一

 以上、国語調査機関の作業の進展のさなかにあって、戦時体制が国語改善の施策にも及び、国語・国字の整理統一を図ることは、国民精神の作興上、また国民教育の能率増進上、さらには東亜の共通語としての日本語普及の上、現下きわめて喫緊のことであるとして、政府は「重要なる国策」として次の申し合わせをした。これは昭和十六年二月、「国語・国字ノ整理統一ニ関スル件」として閣議申し合わせをした。

 一、文部省ニ於テ国語・国字ノ調査研究並ニ整理統一ヲ促進シ内閣及各省ハコレニ協カスルコト。

 一、前項ニ依リ整理統一セラレタル事項ハ閣議ノ決定ヲ経テ内閣及各省速ニ実行スルコト。

 そこで文部省は、国語審議会が答申した「標準漢字表」を政府の責任において実行に移すため、各省庁の意見を取りまとめ三つの区分をやめ、字数を二、六六九字に改め、十七年十二月、閣議申し合わせを行ない「各官庁ニ於テハ別冊標準漢字表ニ照応シテ今後ノ用字ニ考慮ヲ用フルコト」とした。

 明治三十五年末、漢字制限に関して政府でも民間でもいろいろな案を作成発表してきたが、ここに初めて政府の施策として実施されることになった。これにより、日常使用する漢字の範囲について一応のよりどころができた。しかし、これは戦争の影響で実際には行なわれなかった。

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