二 教育審議会

 教育審議会は昭和十二年末に設置されたのであるが、それ以前に文教審議会があった。すなわち、十二年五月二十六日「文教審議会官制」が公布され、国体観念の徹底、、国民精神の作興に関する重要事項を調査・審議するため、内閣の諮問機関として文教審議会が設置され、従前の数学刷新評議会が廃止された。しかし、七月七日、日華事変の勃(ぼつ)発に伴い十二月十日「教育審議会官制」が公布されるに及び、文教審議会は廃止された。新たに設置された教育審議会は、内外諸情勢の新事態に対処した時局的要請に基づく教育の制度・内容の全般にわたる刷新・振興・改革の基本方策を審議するため、教育に関する内閣の諮問機関として設置されたものであるが、官制の公布に当たっては特に上諭が附され、かっての臨時教育会議に並ぶ強力な文教施策の審議機関であった。

 官制によれば、教育審議会は、内閣総理大臣の、監督に属し、その諮問に応じて教育の刷新振興に関する重要事項を、調査・審議し、あるいはこれらの事項に関して内閣総理大臣に建議することができるものとした。総裁のほか委員六五人、臨時委員若干人をもって構成され、文部大臣は会議に出席して意見を述べることができるものとされた。初代総裁には枢密院副議長荒井賢太郎が任命されたが、その後総裁には枢密院副議長を充てる慣例となり、荒井の後は原嘉道、次いで鈴木貫太郎が総裁に任じられた。委員には原嘉道のほか六五人が任命された。また、臨時委員八人、幹事一四人が任命された。同年十二月二十三日第一回総会を開催した後、十六年十月十三日第十四回総会をもって審議を終了するに至るまで、特別委員会六一回、整理委員会一六九回を開き、この間青年学校義務制、国民学校制度、義務教育年限延長など教育の各分野にわたって、七つの答申と四つの建議を行なった。

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