三 中学校・高等女学校の教育内容の改編

教学刷新・戦時科学振興と教授要目の改正

 昭和十二年三月二十七日中学校教授要目、高等女学校および実科高等女学校教授要目中、修身、公民科、国語漢文、歴史および地理の要目の改正を行なった。これは当時の国体観念の明徴と教学刷新の趣旨にそうためのものであった。なおこれらの教授要目に基づく教科書の経過的な取り扱いについて詳細な指示を通牒(ちょう)によって明らかにした。十四年二月十九日、中学校国語漢文教授要目に改正を加え、国語漢文の要目第五項中「詩文ヲ加フベシ」を「詩文ヲ加へ更ニ高学年ニ在リテハ成ルベク現代支那ノ理解ニ資スベキ適正ナ時文ヲ加フベシ」に改めた。

 十七年三月五日中学校教授要目中数学および理科の要目を改正した。「時局ニ鑑ミ時代ノ進達ニ伴フ教授内容ノ刷新充実ヲ図リ一層科学教育ノ振興ヲ期スル」ものであると説明があったが、戦時科学振興施策の趣旨にそうものであった。教材および教科書の経過的な取り扱いおよび教授時数の配当基準等について通牒をもって指示した。

中学校・高等女学校の教科と修練

 中学校規程、高等女学校規程の「総則」の冒頭に中堅皇国民錬成の諸目標があげられている。

 中学校・高等女学校の学科課程においてはこれらの錬成の徹底を期して新たに教科および修練が定められた。すなわち、国民学校教育によって確立された教科組織を基礎としてさらにこれを拡充し、中堅皇国民に必須(す)な陶冶(や)の分野に従って教科および修練を定め「知徳相朗心身一体ノ教育」を施して錬成の成果をあげることとした。

 教科外の行事および作業等の教育的意義を重視し、教科外における行事等を組織化して修練と名づけ教科とともに必修させ、学校内外の生活をあげて皇国民練成の一途に帰せしめることを要請した。

 中学校の教科は国民科(修身・国語・歴史・地理)、理数科(数学・物象・生物)、休錬科(教練・体操・武道)、芸能科(音楽・書道・図画・工作)、実業科(農業・工業・商業・水産)、外国語科(英語・独語・仏語・支那語・マライ語・その他)の六教科とし、実業科と外国語科は第三学年(夜間課程にあっては第二学年)以上にあってはそのいずれかを選択履修させることとした。

 高等女学校の場合、教科を基本教科と増課教科とに分け、基本教科は国民科、理数科、家政科(家政・育児・保健・被服)、体錬科(体操・武道・教練)および芸能科とし、増課教科は家政科、実業科(農業・商業)、外国語科とした。そして増課教科はその内の一または二を課さないことができるとした。外国語科を増課する場合はその他の増課教科と選択履修させた。

 中学校・高等女学校とも修練は「行的修練ヲ中心トシテ教育ヲ実践的綜合的ニ発展セシメ教科ト併セ一体トシテ尽忠報国ノ精神ヲ発揚シ献身奉公ノ実践カヲ函養スル」ものとしては握され、「日常行フ修練、毎週定時二行フ修練及び学年中随時ニ行フ修練」とした。以上の教科および修錬について、昭和十八年三月二十五日「中学校教科教授及修練指導要目」 「高等女学校教科教授及修練指導要目」を制定し、これらによってそれぞれの学科課程を細目にわたって整備したのである。

中等教科書の国定制

 臨時教育会議は高等普通教育の改善に関する答申の中で模範教科書の編纂(さん)を提案した。文政審議会に対しても大正十三年五月に中等標準教科書編纂の件が諮詢(じゅん)されたことがあった。国体観念の明徴、教学刷新の気運が高まるにつれ、中等標準教科書の編纂が着手されることとなった。昭和十三年師範学校用修身、公民科、国史の標準教科書が文部省で作成されたが、このとき中学校公民科教科書も編纂発行する方針とした。十四年四月青年学校義務制の実施とともに「修身及公民科」の教科書を国定とし、修身公民書を逐次発行することとなった。十四年九月教育審議会の中等教育に関する答申においては、中学校の教科書については「修身公民、歴史等ノ教科書ニ付テハ文部省ニ於テモ之ヲ編纂スルコト」を述べた。

 一方、戦局の進展につれ物資の需給が円滑を欠くようになり、従来の検定教科書の発行供給にも支障が予想されるようになった。十五年七月文部省は発行者に自主的整理方を要望し、同年八月末各教科目ごと五種の教科書に限定する旨明示した。同年十月検定教科書の五種選定が行なわれ、各学校の需要数に基づく用紙資材のあっせんを行なった。このような背景のもとで中等学校令において中等学校の教科書に関しては、「文部省ニ於テ著作権ヲ有スル教科用書ヲ使用スベシ」と規定し、ここに中等教科書が国定制となった。

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