三 幼稚園による教育

戦争による影響

 昭和十三年十二月、教育審議会は「国民学校、師範学校及幼椎園ニ関スル件」について答申した。そのなかで「幼稚園ニ関スル要綱」として、次のように述べている。

 1) 幼稚園ノ設置ニ付一層奨励ヲ加フルト共ニ特別ノ必要アル場合ハ簡易ナル幼稚園ノ施設ヲ認ムルコト。2)幼児ノ保育二付テハ特二其ノ保健並ニ躾ヲ重視シテ之ガ刷新ヲ図ルコト。 3) 保姆ニ付テハ其ノ養成機関ノ整備拡充ニ力ムルト共ニ其ノ待遇改善ヲ図ルコト。 4) 幼稚園ト家庭トノ関係ヲ一層緊密ナラシムルト共ニ之ニ依リ家庭教育ノ改善ニ稗益セシメ、併セテ幼稚園ノ社会的機能ノ発揮二力メシムルコト。

 この答申は、その意図として「幼児保育ノ国家的重要性愈々加ハレル今日、国家トシテ益々之ガ普及発達ニ意ヲ用フルコトガ肝要」であるとし、父母ともに労働に従事する家庭の子どものために、幼稚園の設置を容易にするとともに簡易な季節的幼稚園をも設けうる道を開こうとしたものであった。また「徒ラニ知的負担ヲ多クスルガ如キハ厳ニ戎シメ」、「躾ヲ重視シ」ようとした。さらに保母養戒制度の確立を図ったものであった。

 十六年三月幼稚園令を、同年四月幼椎園令施行規則を改正した。これによって公立幼稚園職員の「進退、服務、懲戒処分、免許状褫奪、俸給、旅費」などの規定を新たに設けた。十八年三月、師範学校が都道府県立から官立になった結果、従来の女子師範学校付属幼稚園をすべて官立に変更した。十六年十月、文部省は学校防空緊急対策に関する通牒を発し、「幼稚園については空襲の危険の切迫とともに一定期間授業を中止することあるべきこと。」を指示した。十八年三月、高等女学校規程を改正し、高等女学校に幼稚園または託児所を付設することを勧奨し、付設に必要な補助金を交付した。

幼稚園の閉鎖と切り替え

 戦時体制下にあっては、特に戦局が重大化してくると、幼稚園と託児所の差はほとんどなくなり、両者を一丸として国策に協力しようという気運が高まった。

 たとえば東京都では、昭和十八年二月、六五万円をもって都内一〇〇か所に戦時託児所を設けることとした。また福岡県では、十八年一月、「生産増強対策ノ一途トシテ幼椎園ノ施設ヲ保育所ニ転用スルノ件」の通牒を出し、三万円近い経費をもって幼稚園を保育所に転用している。

 以上のように、戦争の影響をうけて幼児教育が軽視されることはなく、かえって幼児を保護する見地から保育機関が重視された。そして保育時間を延長したり、勤労家庭の幼児を優先的に受け入れたり、教育よりも保護を重視する見地から、戦時託児所に切り替えるところが多くなった。しかし戦局がいよいよ苛(か)烈になってくると、空襲を受けた地域では、幼稚園や戦時託児所(戦時保育所)の多くが自然閉鎖の形をとった。そして十九年には二一七園が、二十年には四八六園が廃止された。

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