四 地方教育行政の機構

地方教育行政機構の拡充

 社会教育関係の文部省機構の改革と並行して、地方においても、社会教育に関する行政機構の整備が行なわれた。すなわち、大正九年五月六日には各地方庁学務課内に社会教育担当の主任吏員を特設するよう要望した。さらに十四年十二月十四日の「地方社会教育職員制」によって、道府県に専任の社会教育主事や社会教育主事補が置かれることとなった。さらに、昭和七年四月八日には、全国の市町村に社会教育委員を置くことが勧奨された。

 学校衛生・体育行政についても、大正十三年六月十日「地方学校衛生職員制」が制定され、道府県費をもって全国道府県に学校衛生技師各一人を置くこととなった。さらに、昭和五年八月八日には「地方体育運動職員制」が定められ、道府県費をもって道府県に体育運動主事を置くこととなった。

 臨時教育会議は、視学制度に関する答申の中で地方の視学制度の改善についても言及し、これに基づいて、岡田文相は、府県の視学機構の拡充を図ったが、内閣の交代のため実現をみなかった。その後、大正十三年十二月二十日、地方官官制の一部改正による行政整理に際して、従来理事官をもって充てていた道府県視学官は、事務官をもってこれに充てることとした。

 十五年六月四日の地方官官制の改正によって、従来内務部に置かれた学務課を廃して学務部が新設され、視学官には学務部長を充てることとした。昭和三年三月九日の地方官官制改正により道府県に専任の視学官が置かれることとなったが、同日の勅令「北海道庁視学官、地方視学官、北海道庁視学及府県視学ノ任用ニ関スル件」によりそれぞれの任用資格が定められるとともに、視学官は高等試験委員、視学は普通試験委員の選考を得て任用されるものとなった。

 なお、大正十年四月の「郡制廃止ニ関スル法律」およびその施行期日を定める十二年三月の勅令によって自治体としての郡は十二年四月一日以後消滅したが、国の行政機関としての郡長は存続し、教育行政事務にも関与していた。

 しかし、十五年の地方官官制の改正によって郡役所が廃止され、郡長およびその補助機関たる郡書記・郡視学も廃止することとなり、従来郡長、郡視学等が処理してきた教育事務はすべて府県庁に移すこととなった。

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