三 義務教育費の国庫負担

市町村義務教育費国庫負担法の成立

 大正六年十月、臨時教育会議に対する諮問第一号として小学校教育の改善方策について諮問されたが、これに対し、同会議は、その答申においてこの際至急実施すべき事項として「市町村立小学校教員俸給ハ国庫及市町村ノ連帯支弁トシ国庫支出金額ハ右教員俸給ノ半額ニ達セシメンコトヲ期スヘシ」、「国庫支出金ヲ分配支給スルニハ最モ有効ナル方法ニ依ルヘシ」ということを掲げ、さらに、希望事項としてその実施に当たって政府は「教員ノ増俸ヲ行フト同時ニ市町村ノ負担ヲ軽減シ地方ノ財政及税制ヲ整理」することを述べた。これに基づいて、翌年三月二十七日「市町村義務教育費国庫負担法」が制定・公布された。この法律によって、市町村立尋常小学校の正教員および準教員の俸(ほう)給の一部は、国庫がこれを負担することとなり、そのため国庫は、毎年一、〇〇〇万円を下らない金額を支出しなければならないこととなった。この法律によって、はじめて、義務教育費に関して、国が単にその不足を補助するのではなく、市町村と連帯して、積極的にその一部を負担する義務教育費国庫負担制度が開始され、国と市町村との間の義務教育費の分担関係が制度的に確立されることとなった。これはわが国の義務教育財政史上画期的な意義を有することであった。

 この国庫負担金の配分については、市町村立尋常小学校の教員数と市町村の就学児童数に比例して、市町村に交付されるものとされたが、総額の一〇分の一をこえない範囲内で、「資力薄弱ナル町村」に対し特に交付金額を増加することができることとなった。十二年三月には、この法律は改正され、国庫負担金が一、〇〇〇万円から四、○○○万円に増額されるとともに、その負担金の交付方式も改められ市に薄く町村に厚い配分方式をとった。この法律は、義務教育費に対する国庫負担の制度を確立すると同時に、市町村間の義務教育費財源の不均衡の調整を図ったものである。これもまた画期的な意味を有することであった。

 この法律による義務教育費国庫負担金の額は、大正七年から十一年までは一、〇〇〇万円、十二年から十四年までは四、○○○万円、十五年には七、〇〇〇万円、昭和二年から四年までは七、五〇〇万円、五年から十四年までは八、五〇〇万円というように教育の発展と社会情勢の推移につれて必要に応じ負担法が改正されて負担金が増額された。

 この間、大正十年三月には、「一年現役小学校教員俸給費国庫負担法」が制定され、市町村立小学校正教員で一年現役に服するものの服役中の俸給費の金額を国庫が負担し、これを市町村に交付することとなった。これは、七年の徴兵令の改正によって師範学校卒業生の六週間の服役を改めて一年を通じて現役に服することとしたため、その間代わりの教員を置かなければならない市町村の負担を緩和することを目的としたものである。その後、昭和二年の兵役法によって、師範学校を卒業したものの現役が五か月に短縮されたことに伴い、昭和三年五月にこの法律の名称も「短期現役小学校教員俸給国庫負担法」と改正され、二十年終戦により兵役が廃止されるまで継続した。

経済不況と義務教育費の国庫補助

 大正末期から昭和初期にかけての経済不況は深刻なものがあったが、その影響は特に農山漁村において著しかった。文部省は、昭和三年十月、訓令によって「学齢児童就学奨励規程」を定め、貧困児童の就学奨励の目的のために、道府県に補助金を交付することとした。当初の補助金額は五〇万円であったが、この規程はその後二十二年まで継続した。さらに、七年九月には、訓令第十八号「学校給食実施ノ趣旨徹底方並学校給食施設方法」により、学校給食を行なわせ、七年から十年まで毎年一〇〇万円を支出することとした。

 不況の深刻化に伴い、特に町村の教育費支出の減退がみられ、一部の町村では、小学校教員に対する給与の遅払いや強制寄付などの事態が起こった。五年十二月文部省が行なった調査によれば、教員俸給の全部または一部を支払い延期する町村は全国町村総数の約一割を占めるありさまであった。このような窮状に対する対策として、六年、公立小学校教員俸給の引き下げが行なわれ、七年九月、「市町村立尋常小学校費臨時国庫補助法」が制定された。この補助法は、市町村立小学校教員の俸給費に対する国庫補助を目的とするものであり、従来の市町村義務教育費国庫負担法による国庫負担額の引き上げによってもその目的を達することができたわけであるが、補助の性格が臨時的なものであることと、特に窮乏市町村に対する補助を手厚くする必要を考慮して、臨時特別法として制定されたのである。

 この補助金の総額は九年まで年額一、二〇〇万円とされ、以後廃止される予定であったが、十年度も九〇〇万円が計上され、十一年になって廃止された。一方、同年、窮乏町村の応急的な救済を目的として、新たに臨時町村財政補給金制度を設けた。なお、この補給金制度は十二年に臨時地方財政補給金制度となった。

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