一 文部省機構の改革

文部大臣の更迭と機構改革

 大正六年から昭和十一年に及ぶ時期において文部大臣の更迭がしばしば行なわれた。岡田良平・中橋徳五郎・鎌田栄吉・犬養毅・岡野敬次郎・江木千之・岡田良平(再任)・三土忠造・水野錬太郎・勝田主計・小橋一太・田中隆三・鳩山一郎・斉藤実・松田源治・川崎卓吉・潮恵之輔・平生鉱三郎の一七人が文部大臣となった。

 この時期における文部省機構の改革をみると、まず大正八年四月の文部省官制改正によって従来の大臣官房・専門学務局・普通学務局・宗教局のほかに実業学務局が置かれたが、大臣官房およびこれらの四局はその後昭和十七年まで引き続き存続している。その他の機構改革としては、まず、社会教育関係部局の整備・拡充が行なわれた。すなわち、大正八年六月、文部省分課規程を改正して、普通学務局内にはじめて、社会教育に関する事務をつかさどる新しい課を設置した。さらに、十三年十二月の文部省分課規程の改正に際して、普通学務局内に社会教育課を置いた。その後、昭和四年七月一日には、社会教育局を設置し、社会教育官が新設された。

 また、学生思想問題対策のため、昭和三年十月三十日には、専門学務局に学生課を新設し、翌四年七月一日にはそれを強化して学生部とした。次いで六年六月には学生思想問題調査委員会を設置しその答申に基づいて、翌七年八月二十三日の官制により国民精神文化研究所が設置され、国民精神文化に関する研究・指導および普及をつかさどることとなった。さらに九年六月一日には、学生部を改めて思想局を新設し、学校および社会教育団体における思想上の指導・監督および調査その他の事務をつかさどることとして、思想対策の強化を図ることとなった。

 さらに教科書行政に関する機構としては大正九年四月に図書局を復活し、教科書の編集および発行・検定等を扱う二課を置き、図書監修官九人、同補五人を任命し、また、教科書調査会を設置した。

 この時期における文部省機構の改革としては、以上のほか、次に述べる体育行政に関するものがあるが、その他重要なものとしては八年五月の教育調査部の設置がある。これはすでに二年十一月から設けられていた教育調査部を官制によって正式に設置したものであり、内外教育制度の調査と比較研究を行なって、将来実施すべき制度改革に備えようとしたものである。教育調査部には、文部省高等官中から部長を任命し、文部事務官、属、その他の職員を置いた。

体育・学校衛生行政の機構

 ここで、明治以降の体育および学校衛生に関する行政機構の変遷についてみると、まず、学校体育については、明治十一年に文部省直轄の体操伝習所を設け、これを中心に近代体操の研究・普及、体操教員の養成を行なった。学校衛生については、十二年の教育令で小学校入学児童に種痘を行ない、伝染病の児童の登校を禁ずるなどの措置をとっていた。

 二十四年には文部省に学校衛生取り調べ嘱託として専任職員を置いたが、二十九年五月からは文部省に学校衛生顧問九人以内および専任の学校衛生主事一人を置き、三十年から三十一年にかけては、学校清潔方法・学生生徒身体検査規程・学校医設置規程・学校医職務規程を相次いで制定した。三十三年四月には大臣官房に学校衛生課を新設したが、三十六年には、学校衛生顧問・学校衛生主事と学校衛生課を廃止し、官房文書課に一人の嘱託医をおいて学校衛生事務に当たらせることになった。その後大正五年までは専任者を欠いていたが、五年には学校衛生官を置き、さらに十年には再び大臣官房に学校衛生課を置くこととなった。学校衛生課の分掌事務は、1)官公私立諸学校の校地・建物・校具その他の設備の衛生、2)教授衛生、3)体育運動、4)学校職員・学生・生徒・児童および幼児の身体検査、5)学校における疾病の予防ならびに治療、6)身体虚弱または精神薄弱な生徒・児童等の監督養護、7)学校における飲料水ならびに飲食物、8)学校衛生統計、9)その他学校衛生に関することなどであった。次いで十一年五月には文部大臣の諮問機関として学校衛生調査会を設置した。学校体育や社会体育に関する行政については、十三年に体育に関する研究および指導を行なうため、文部省直轄の体育研究所を設けた。また、昭和三年五月四日の文部省分課規程の改正により、学校衛生課を体育課と改称し、庶務・医務・教授衛生・体育運動の四掛りを置くこととなった。次いで、四年十一月二十七日には、体育運動に関する文部大臣の諮問機関として文部省に体育運動審議会を設置した。同審議会は、その後十三年まで存続したが、わが国体育運動の指導方針・方策の樹立に大きな役割を果たした。

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