一 実業学校の改善

産業の振興と実業教育の発展

 第一次世界大戦を契機としてわが国の産業特に工業は飛躍的に発展した。工業生産額が著しく増大し、全体としてはまだ軽工業中心であったが、しだいに重化学工業の素地がつくられつつあった。このような近代産業の形成の過程に対応して、実業教育もまた急激な発展をみた。

 この期間における実業学校の校数と生徒数を五年ごとにみると、上の表に示すとおりである。この十九年間に学校数は五八七校から一、三〇四校にふえ、生徒数は約四倍になっている。

表25 実業学校の学校数・生徒数の推移(大正6年~昭和11年)

表25 実業学校の学校数・生徒数の推移(大正6年~昭和11年)

 大正六年九月に発足した臨時教育会議においては、実業教育についても答申を行なった。実業教育に関しては、全部で八項目にわたる答申をしたが、その第一項に、「実業学校二関スル現在ノ制度ハ大体二於テ之ヲ改ムルヲ要セサルコト」と述べている。その他の項目は、国庫補助の増額、徳育の振興、行政機関の整備、学校に関する規定の緩和、職員待遇の改善、実業界との連けい、実業補習教育の奨励である。このうち、実業界との連けいをいっそう緊密にすることを勧告したこと、また「技能二偏スルノ弊ヲ避ケ徳育二一層ノカヲ用ヒ人格ノ陶冶二努ムルコト」を勧告したことが注目される。しかし、この臨時教育会議の答申は、基本的には、明治後期に成立した実業教育制度に対して特に変更の必要を認めないという考え方に立っており、従来からの実業学校の体制のもとで全般的に実業教育のいっそうの振興を図ることを要請したのであった。

実業学校令の改正

 大正九年十二月十六日実業学校令の改正を行なった。この改正のおもな点は、第一条の目的の規定に、徳性の涵養を付加したこと、設立の主体として商工会議所、農会、その他これに準ずる公共団体を認めたことなどである。この実業学校令の改正に伴い、十年には実業諸学校の規程を改正したが、従来の甲種・乙種の学校の区別を廃止したこと、また教育内容・方法の整備に関しては、学科の改善、実習の充実などがおもな点である。また、新しく職業学校規程が十年一月に制定され、従来からの実業学校のほかに、社会状勢に応じてその他の実業教育を行なう職業学校が認められた。この種の学校は、尋常小学校卒業程度を入学資格とし、修業年限二年以上四年以内で、裁縫・手芸・料理・写真・簿記・通信その他各種の職業についての学科を設けることができるとした。

 その後十三年には、実業学校卒業者を中学校卒業者と同等以上の学力をもつものと認めるという文部省告示が出されたが、これも実業学校の発展と新しい状勢の進展を示すものであった。

 昭和年間にはいると、わが国の社会情勢の変化とともに、実業学校を産業社会の実情に即応させなければならないという要望が高まり、実社会と緊密な連けいをもった実業学校の施設・経営はいかにするかを問題とするようになった。そこで、四年以後になって各実業学校の規程の改正を行ない、主として学科内容の上から実業諸学校の教育な改善することとなった。たとえば、実業に関する学科目が従来画一的であったのを改めて、土地の状況に応じてさまざまな学科編成をなしうる方針をとったこと、教授時数を減少して午前中を教室内の講義にあて、午後の大部分を実習・実験にあてるとしたこと、長期にわたる実習教授を低学年においても認めるようにしたことなどがあげられる。また、卒業者に対する研究指導の施設を設けることとし、さらに中学校・高等女学校の卒業者に対しては第二部の制度を認めることにした。これによって実業諸学校はいっそう充実・改善の方向をたどることとなった。

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